加賀美咲 かが みさき |
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二つ名 |
焼き鳥 |
応援歌 |
加賀岬 |
生年月日 |
1951年11月18日(73歳) |
出生地 |
大日本帝国 兵庫県神戸市 |
出身校 |
海軍兵学校 |
前職 |
海軍軍人 |
所属政党 |
立憲翼政会 (一光会) |
称号 |
海軍少佐(1979年) |
宗教 |
神道 |
イデオロギー |
社会保守主義 |
配偶者 |
あり(1986年 - 1999年) |
子女 |
長女・加賀愛 |
親族 |
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第x代 外務大臣 |
内閣 |
第2次涼宮第1次改造内閣 第2次涼宮第2次改造内閣 |
在任期間 |
2022年8月10日 - 2024年11月11日 |
衆議院議員 |
選挙区 |
(旧石川2区) →石川全県区 |
当選回数 |
15回 |
在任期間 |
1980年6月22日 - 現職 |
鎧袖一触よ。心配いらないわ。
加賀美咲(かが みさき、1951年〈光文26年〉11月18日 - )は、
日本の政治家、海軍軍人。最終階級は海軍少佐。
立憲翼政会所属。外務大臣、防衛大臣、通商産業大臣、国土庁長官、海軍大臣、衆議院議員(15期)、立憲翼政会幹事長、同総務会長、同政務調査会長などを歴任。立憲翼政会石川県連総支部長。
経歴
1951年11月18日、軍人一家の一人娘として兵庫県神戸市に生まれる。父は
大東亜戦争にも従軍した海軍少将で、加賀も幼い頃から軍隊、とりわけ艦船に興味をもっていた。8歳のときに神奈川県横須賀市へ転居。学生時代は、当時としてはマイナーな軍事趣味と、物静かで無愛想に見られがちな性格のせいで一人で過ごすことが多かった。1971年に海軍兵学校を卒業した後、8年間の実地勤務で少佐まで上り詰めた。
1979年、第35回衆議院議員総選挙に
旧神奈川2区から無所属で出馬するも次点で落選。内閣不信任決議案の可決により行われた翌1980年の第36回衆議院議員総選挙では
立憲翼政会公認で
旧石川2区から出馬し、定数3のうち3位で初当選する。当選同期には4歳年下の
赤城俊子がおり、以降2人で行動を共にするようになる。翼政会では
一光会(田中派)に属した。このとき石川県に国替えした理由は当時の幹事長だった櫻内義雄が「加賀市の加賀氏、で面白い」と考えたからで、以降の選挙演説では“100万石の思い”というフレーズが定番となった。1983年の第37回衆議院議員総選挙で2位で再選を果たし、以降2009年に行われた第45回衆議院議員総選挙まで2位連続当選、それ以降は1位当選を続けている。
1986年に8歳年下の海軍軍人と結婚、1988年に長女
愛をもうける。1990年、第2次海部内閣で外務政務次官に就任、その後宮沢内閣では経済企画政務次官を務めた。以降は無役が続いたが、1996年に成立した第1次橋本内閣で海軍大臣に抜擢(佐官級予備役の大臣就任は初)、第2次橋本内閣では国土庁長官に横滑りする。1998年、党政務調査副会長に就任。1999年に離婚し愛を引き取る。同年、小渕第2次改造内閣で最後の通商産業大臣に就任。省庁再編と同時に退任し、石川県連副総支部長に就いた。
2001年4月、第1次小泉内閣で海軍大臣に再び就任、翌年9月まで務めた。その後、2005年10月から2006年9月にかけて政務調査会長を務めたのち、第1次安倍改造内閣で外務大臣に就任するも、内閣総辞職により短期間で退くこととなった。加賀は以前から外交に関心を寄せており、
衆議院の所属委員会を外務委員会に変更、国民党外交部長ポストを獲得し積極的な外遊に出るようになる。翼政会が大敗した2009年の第45回衆議院議員総選挙でも森喜朗元総理とともに僅差で当選を果たし、石川県連総支部長に就いた。野党時代の精力的な活動を背景に2012年の翼政会総裁選挙へ出馬を模索するが、推薦人の目途が立たず断念。第1回投票、決戦投票ともに
石破茂へ投票した。
2014年9月、第2次安倍改造内閣で防衛大臣に就任、同年12月に退任。2018年10月、第4次安倍第1次改造内閣で再び防衛大臣に就任。2021年9月、竹下亘に代わる事実上の一光会領袖として
2021年立憲翼政会総裁選挙に出馬するも、決戦投票で
涼宮ハルヒに敗れる。同年10月、
第1次涼宮内閣で総務会長に就任、総選挙後に幹事長に横滑りし、2022年8月には約17年ぶりの外務大臣再任を果たした。
2024年立憲翼政会総裁選挙で涼宮に挑むも再び敗れ、2024年11月に
第3次涼宮内閣が発足したことを受け予算委員長に就任した。
年譜
政策
選挙歴
当落 |
選挙 |
執行日 |
年齢 |
選挙区 |
政党 |
得票数 |
得票率 |
定数 |
得票順位/候補者数 |
落 |
第35回衆議院議員総選挙 |
1979年10月7日 |
27 |
旧神奈川2区 |
無所属 |
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5 |
6/9 |
当 |
第36回衆議院議員総選挙 |
1980年6月22日 |
28 |
旧石川2区 |
立憲翼政会 |
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3 |
3/7 |
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当 |
第38回衆議院議員総選挙 |
1986年6月2日 |
34 |
旧石川2区 |
立憲翼政会 |
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2 |
2/3 |
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当 |
第47回衆議院議員総選挙 |
2014年12月14日 |
63 |
石川全県区 |
立憲翼政会 |
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5 |
1/8 |
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当 |
第50回衆議院議員総選挙 |
2024年10月27日 |
72 |
石川全県区 |
立憲翼政会 |
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5 |
1/10 |
エピソード
- 応援ソングは「加賀岬」。2020年4月、新型コロナウイルス感染症による自粛期間中、本人が熱唱する動画がYouTubeに投稿され、2週間で100万回以上再生された。
- 一人娘の愛とは不仲で知られる。加賀の無愛想な態度と厳しい躾が原因とされるが、盟友の赤城曰く「不器用で愛情を伝えられていないだけ」。愛の方も文京区議会議員や石川県議会議員を務めており、将来的に母の地盤を継ぐことに関して「みなさんが(そうしろと)言うなら」と答えていることから、政治家としての母は尊敬しているようである。
- 趣味は弓道。のちに日興会の領袖となる双川飛奈、護皇会の領袖となる鶴屋瑞希はともに弓道愛好議連の後輩である。。
出典
関連項目
最終更新:2024年12月08日 17:09