涼宮春日 すずみや ハルヒ |
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二つ名 |
日本一の変人 |
応援歌 |
ハレ晴レユカイ |
生年月日 |
1972年4月7日(53歳) |
出生地 |
大日本帝国 兵庫県西宮市 |
出身校 |
神戸大学 経済学部 |
前職 |
西宮市議会議員 |
所属政党 |
(無所属) →立憲翼政会(森派→町村派→ 細田派→無派閥) |
称号 |
経済学士(1995年) |
イデオロギー |
自由保守主義 |
配偶者 |
あり |
子女 |
1女 |
親族 |
父・涼宮流 母・涼宮日和 |
第100 - 102代内閣総理大臣 |
内閣 |
第1次涼宮内閣 第2次涼宮内閣 第2次涼宮第1次改造内閣 第2次涼宮第2次改造内閣 第3次涼宮内閣 |
在任期間 |
2021年10月4日 - 現職 |
第26代経済産業大臣 内閣府特命担当大臣 (原子力損害賠償・廃炉等支援機構) |
内閣 |
菅義偉内閣 |
在任期間 |
2020年9月16日 - 2021年10月4日 |
内閣官房副長官(政務担当) |
内閣 |
第4次安倍第2次改造内閣 |
在任期間 |
2019年9月11日 - 2020年9月16日 |
衆議院議員 |
選挙区 |
旧兵庫2区 →兵庫3区 |
当選回数 |
8回 |
在任期間 |
2003年11月9日 - 現職 |
その他の職歴 |
西宮市議会議員 当選回数 2回 (1999年 - 2003年) 第27・28代 立憲翼政会総裁 (2021年9月29日 - 現職) 立憲翼政会総裁特別補佐 (総裁:谷垣禎一) (2009年9月28日 - 2011年9月30日) |
ただの政治家には興味ありません。
涼宮ハルヒ(すずみや ハルヒ、1972年〈光文47年〉4月7日 - )は、
日本の政治家。内閣総理大臣(第100 - 102代)、経済産業大臣(第26代)、内閣官房副長官(政務担当)、財務副大臣(第x代)、衆議院議員(8期)、西宮市議会議員(2期)、立憲翼政会総裁(第27・28代)などを歴任。積極財政を求める超党派議員連盟会長、UFO議連名誉顧問。
SOS団永久団長。本名・涼宮春日(読み同じ)。
人物
年譜
- 1972年 - 4月7日、涼宮流・日和の長女として生まれる。
- 1980年代 - 父親に連れられ甲子園球場を訪れた際、人ごみの中自分の矮小さに絶望する。
- 1988年 - 兵庫県立北高等学校入学。直後に文芸部を乗っ取る形で長門有希、朝比奈みくる、古泉一樹および鈴木清夢らとSOS団を設立する。
- 1991年 - 兵庫県立北高等学校卒業。神戸大学経済学部進学。神戸大学ミステリー研究会に入会し2・3年生の大多数と対立、サークルの輪を乱したとして追放されるも、逆に1年生とSOS団神大支部を設立しミス研を機能不全に追い込む。
- 1992年 - 11月22日、第43回駒場祭に参加。講演で麻原彰晃に質問しようとするが、実行委員会により企画が中止され頓挫。
- 1995年 - 神戸大学経済学部卒業(首席)。この頃自死を考えていたが、地下鉄サリン事件をきっかけに考えを改める。4月から鈴木の家で同棲を始める。
- 1996年 - 3月31日、長女誕生。12月25日、鈴木と挙式。
- 1999年 - 4月、1999年西宮市議会議員選挙に無所属で出馬し初当選する。
- 2003年 - 4月、2003年西宮市議会議員選挙に無所属で出馬し2選。次回衆院選に向けての立憲翼政会の公募に合格し、11月9日の第43回衆議院議員総選挙で旧兵庫2区から出馬、初当選。当選後は小泉純一郎首相(当時)の出身である護皇会に属し、徐々に同期の中で頭角を現す。
- 2004年 - x月、文部科学大臣政務官に就任。
- 2005年 - 9月、第44回衆議院議員総選挙に翼政会公認で出馬し2選。長門や朝比奈、古泉に加え朝倉涼子に呼びかけ各地で立候補、当選させる。財務大臣政務官に就任。
- 2006年 - 9月、財務大臣政務官を退任。
- 2009年 - 8月、第45回衆議院議員総選挙に出馬、翼政会に逆風が吹く中で悠々の1位当選を果たし3選。谷垣禎一の下総裁特別補佐に就任。
- 2011年 - 9月、総裁特別補佐を退任。
- 2012年 - 9月、筆頭副幹事長に就任。12月、第46回衆議院議員総選挙で4選。
- 2013年 - 9月、筆頭副幹事長を退任。以後無役が続く。
- 2014年 - 12月、第47回衆議院議員総選挙で5選。
- 2017年 - 10月、第48回衆議院議員総選挙で6選。
- 2018年 - 9月、財務副大臣に就任。
- 2019年 - 9月、内閣官房副長官(政務担当)に就任。
- 2020年 - 9月、経済産業大臣に就任。
- 2021年 - 9月29日、2021年立憲翼政会総裁選挙に出馬、総裁に選出される。10月4日、第100代内閣総理大臣に就任。10月31日、第49回衆議院議員総選挙で7選。11月10日、第101代内閣総理大臣に就任。
- 2023年 - 4月15日、和歌山県での演説中に何者かから爆弾を投げ込まれるが、自ら犯人を締め上げ拘束する。
- 2024年 - 9月28日、2024年立憲翼政会総裁選挙に出馬、総裁に再選。10月27日、第50回衆議院議員総選挙で8選。
政策
- 経済政策は、当初小泉の影響を強く受けており、増税せず財政支出を縮減する緊縮派だった。だが、2011年に早稲田大学教授の樋口優のMMT論を学び、2012年からはアベノミクスを擁護する積極派に転向した。また、グローバル化より国内産業の充実を訴えており、国益に反する外国企業の誘致は慎むべきとしている。
- 減税を唱え、2022年のウクライーネ独立戦争に伴う物価高に対応するため法人税を中心に税率引き下げを実行した。歳入庁構想の支持者で、自身の政治生命の終着点として「消費税減税と財務省改革」を挙げている。
- 外交では、英米との協調を基本としつつ、独ソとも関係深化を図った安倍・菅路線を継承。東南アジアやアフリカ、南米との関係強化が重要だとしている。
- 内地への移民には消極的だが、容姿・体力の面で優れたアジア系との混血により優秀な日本人が生まれるという独自の考えをもっている。
- 官僚嫌いで知られ、レクに来た役人を弁舌だけで追い返すことが何度もあったという。一方官僚出身の政治家を使いこなす能力も持ち合わせており、「万和の田中角栄」の異名をとる。
選挙歴
当落 |
選挙 |
執行日 |
年齢 |
選挙区 |
政党 |
得票数 |
得票率 |
定数 |
得票順位/候補者数 |
当 |
1999年西宮市議会議員選挙 |
1999年4月25日 |
27 |
- |
無所属 |
|
|
63 |
|
当 |
2003年西宮市議会議員選挙 |
2003年4月27日 |
31 |
- |
無所属 |
|
|
58 |
|
当 |
第43回衆議院議員総選挙 |
2003年11月9日 |
31 |
旧兵庫2区 |
立憲翼政会 |
|
|
5 |
3/ |
当 |
第44回衆議院議員総選挙 |
2005年9月11日 |
33 |
旧兵庫2区 |
立憲翼政会 |
|
|
5 |
2/ |
当 |
第45回衆議院議員総選挙 |
2009年8月30日 |
37 |
旧兵庫2区 |
立憲翼政会 |
|
|
5 |
4/ |
当 |
第46回衆議院議員総選挙 |
2012年12月16日 |
40 |
旧兵庫2区 |
立憲翼政会 |
|
|
5 |
1/ |
当 |
第47回衆議院議員総選挙 |
2014年12月14日 |
42 |
旧兵庫2区 |
立憲翼政会 |
|
|
4 |
1/ |
当 |
第48回衆議院議員総選挙 |
2017年10月22日 |
45 |
旧兵庫2区 |
立憲翼政会 |
|
|
4 |
1/ |
当 |
第49回衆議院議員総選挙 |
2021年10月31日 |
49 |
兵庫3区 |
立憲翼政会 |
|
|
4 |
1/6 |
当 |
第50回衆議院議員総選挙 |
2024年10月27日 |
52 |
兵庫3区 |
立憲翼政会 |
11万150票 |
20.0% |
4 |
1/11 |
エピソード
- 野球好きで知られ、高校時代に野球部の助っ人として大会に参加したほか、新人時代から同僚議員を誘って草野球をしている。ポジションはピッチャーだが、打つのも走るのも得意。始球式でプロ顔負けの豪速球ストレートを披露した際には「政治家じゃなかったらミュージシャンか野球選手になりたかった」と語った。贔屓球団は阪神タイガースだが、「自分がやった方が早い」という理由で観戦はあまりしない。
- 高校時代に文化祭でバンド演奏をして以来、ギターを嗜む。絶対音感の持ち主で楽譜は読めない。努力型の後藤ひとりより天才肌の平沢唯に親近感を覚える。
出典
関連項目
最終更新:2025年04月09日 01:27