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 薄暗い路地裏の入り口に、獣の死骸があった。漂う霧に溶け込んでしまいそうな純白の毛皮を朱に染めて、力なく横たわっている。
 その死骸を、其れは見下ろしていた。其れは、黒い布に覆い包んだ身体をくねらせながら、ぼうと佇んでいる。
 其れは悩む様に頭を数回振った後、思い切ったようにその死骸に潜り込んだ。黒衣の長虫が消えた代わりに、死んでいた獣がゆっくりと立ち上がる。
 白い獣の殻を纏った其れは首を傾げた。いつもの殻よりも視界が著しく低い。立ち並ぶ倉庫が、おそろしく大きく見えている。
 その理由はすぐに分かった。この殻は手と足で地面を掴んでいるのだ。
 当然の如く、其れは二本足で立とうとした。しかし、どうしたわけか、今までの殻と違って、体勢を維持できずにひっくり返ってしまうのだ。
 きょとんとして、其れは周囲をきょろきょろと見渡した。何が何だか分からない。
 ふと見てみると、手は足と同じ形をしていた。仮令二本足で立てたとしても、道具など使えようがない形だ。
 一先ず立ち上がり、身体をふるふると揺すって汚れを振るい落とす。
 一度、己の全身を観察してみると、それまでと比べて他にも色々と異なる部分があった。
 そもそも、今までの殻の臀部に、余分な骨と腱の塊など付いていただろうか。何故そんなものがあるのか。邪魔ではないのか。
 しかし、取ろうにも手は使えない。仕方なく口で引きちぎろうとするが今一歩届かない。その場でくるくると回るだけで、徒労に終わった。
 とりあえず、其れは路地の壁に向かって後ろ足を上げた。何故そうしたのかは分からない。しかし、そうせねばならない気がしたのだ。
 結局何も起こらなかったが、妙な達成感がある。其れは満足し、感想を零した。

 ――はう、あうわふ…………?

 感情を言葉にした筈であったが、口腔より漏れたのは奇妙に掠れた音であった。

 ――わうわう、わん、わん、がふ、ばうわう………………くぅんぅふうぅん、くぅーん……。

 幾度か繰り返すが、うまく行かない。諦めて、其れは足で耳の後ろを掻いた。


 掻きながら、この殻は変わっているのだと、其れは判断を下した。不自由だが、それでも悪いことばかりではない。
 殻の表層を包む毛皮は、いつもの殻よりも呪わしい光を遮ってくれる。傘を持ったり、布を見繕ったりする必要もないぐらいだ。
 さらに、目視と幻視の他に、もう一つの視界を手に入れることができた。
 それは発達した臭覚が生みだす世界だ。其れには、昇り立つ陽炎のような痕がそこかしこに“見え”ている。特に鮮やかなのは、すぐ傍から霧の中へと続いている二つの筋道だ。まだ中身を失っていない殻が残したものであろう。
 使い様によっては、幻視よりも状況を把握するのに役立ちそうである。
 しかし、かといってこの殻を使い続けることには抵抗があった。地上奪還という大義のためには、この殻は幾分心許なく感じられる。
 新しい、いつものような殻が必要だ。そして――殻はこの霧の先にある。
 混じり合う体臭の片方に強く惹きつけられることを訝しく思うも、其れは臭いの道標を追って走り始めた。路面を掻く、ささやかな爪音が路地に響いていく。
 臭いの主は、すぐに見つかった。大柄な男の殻と――黒い服を着た少女の殻。
 そのとき、戸惑いが身体を駆け抜けた。臭いと少女の姿が結びついたとき、突然眼が離せなくなったのだ。

 そもそも、其れらは殻に興味などない。殻など、目的のための一時的な止まり木に過ぎないからだ。だから、容姿や臭いなどに注目したことはない。
 常ならば、そうであるはずだ。しかし、今、其れの視界は少女しか捉える事が出来ない。
 音に気付いたか、男が振り返る。と、それと同時に少女が首を傾げた。

「……ケルブ?」

 少女の呼び声に、其れの内で狂おしいまでの渇望が湧きあがった。それは痛みすら伴う衝動の奔流であった。
 其れは吼えた。大きく、深く、轟くように、訴えかけるように咆えた。
 この少女がとてもとても大切なものであることを、其れは知っていた。其れは常に、少女の傍にいなくてはならない。少女は常に、其れが導いてやらねばならない。
 少女と其れは、一緒に居なくてはならない。
 しかし、今少女は男の傍に居る――。あれは、其れのものだ。断じて男のものではない。

 だから、奪り還さなくてはならない。

 ――少女の殻が欲しい。

 ――あの白亜のような手に、頭を撫でられたい。

 少女の殻があそこに在るのは相応しくない。

 ――どうしても欲しい。

 ――白磁のような足に身体を擦りつけたい。

 間違いを正し、あの殻と共に地上を取り戻すのだ。

 ――男の殻はいらない。

 ――あの傍らで、ずっと共に過ごしていたい。

 なぜそこまで執着するのか、其れは疑問にも思わなかった。何しろ、少女は己の半身であり、存在意義なのだから。それが当然のことなのだから。

 なればこそ、少女は――死ななくてはならない。死なねば、完全な殻にはならぬ。

 其れは路面を蹴り上げ、大きく跳躍した。顎を大きく開き、少女の喉笛へと飛び込む――。
 しかし、其れの牙が少女の肉を引き裂くことは無かった。
 横殴りの衝撃が、其れを弾き飛ばしたのだ。何処かがぐちゃりと音を立てて潰れ、甲高い悲鳴が喉から迸る。其れは受け身も取れずに路上へと転がった。路面に飛沫を散らし、四肢が力なく放り出される。
 男が手に持った硬い棒きれで、其れを殴りつけたのだ。その一撃は、殻の顔を砕いていた。致命的ではないが、軽くもない傷だ。
 其れの耳だけが動き、少女の怒号を拾う。聞きながら、其れは殻の壊れた部分が元に戻っていくのを待った。

「――おまえ、ケルブを、なんで!?」
「分からなかっただろうが、あれは君に襲いかかったんだ!」

 もう少しで届いたのに、男に邪魔をされた。
 なぜ男は邪魔をするのだろう。なぜ男は邪魔をしたのだろう。
 間違いを直すだけなのに。不自然を自然へ戻すだけだというのに。

「!?……なんてこった。頭だぞ。力いっぱい頭をやったんだぞ!?」

 傷の修復が済んで立ち上がった其れを見て、男が叫んだ。ぽたぽたと、路面に黒い雫が落ちていく。雫は、其れの顔に紅と黒の不気味な隈取りを描いていた。
 少女もまた眼を見開き、唇を震わせた。

「おまえはケルブじゃない。おまえは……誰だ!?」

 愛らしい唇から紡がれたのは、拒絶と憤怒の言葉だった。
 其れは、奥底から膨れ上がる衝動に喉を唸らせた。
 芒野に吹く風のような、か細く乾いた声音で、其れは啼いた。
 それは哄笑だった。口端を裂けんばかりに吊り上げ、其れは発作に苦しむ様に嗤った。
 まるで鬼が謡うような旋律に、男が顔を引き攣らせて拳銃を構えた。からからと音を立て、捨てられた棒が路上に転がる。
 銃声は三発響き、内一発が其れの胸部を貫いた。其れは笑みのようなものを顔に刻んだまま、路上に崩れ落ちた。

「……今の内だ。今の内に、ここから逃げるんだ!」

 男の声に少女が同意し、足音が遠ざかっていく。そのたどたどしい二つの音が聞こえなくなる前に、其れは身を起こした。身体を震わせてから、路面に鼻を近づける。
 ふんふんと臭いを嗅ぎ、其れは臀部に付いた部位をおっ立てて左右に振った。これは、斯様にして使うものらしい。
 其れは一声咆えて、霧の中でくっきりと浮かび上がる臭いの陽炎の追跡を開始した。


【B-1レヴィン通り/一日目・夕刻】
【ハリー・メイソン@サイレントヒル】
[状態]健康、強い焦り、美耶子の手を引っ張っている
[装備]ハンドガン(装弾数12/15)
[道具]弾:34、栄養剤:3、携帯用救急セット:1、ポケットラジオ、ライト、調理用ナイフ
[思考・状況]
基本行動方針:シェリルを探しだす
0:あいつから逃げないと
1:学校に急がなければ!
2:移動しながら少女と話をする
※サイレントヒルにシェリルがいると思っています
※それまでに話した内容は後続の方にお任せします。

【神代美耶子@SIREN】
[状態]健康、怒り、ハリーに手を引かれている
[装備]特に無し
[道具]無し
[思考・状況]
基本行動方針:街から脱出する
1:とりあえずハリーと行動する
2:それにしてもこの景色は・・・・・?
※幻視によってハリーの視界を借りています。
※ここは羽生陀村ではないと勘付き始めています


※B-1のレヴィン通りに鉄パイプが落ちています。


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最終更新:2012年06月21日 21:07