怪人・デカおじさん






「おぉーーーーーーーーーーーーーーーい!!!」

暴れ狂う猛獣ですら竦み上がるような野太い怒号は、白い霧の中に吸い込まれ、幾度か反響し、消えていった。

「どなたかぁーーーーー! 居られませんかぁーーーーーー!」

立ち止まり、しばらく耳をすませてみるが…………後に聞こえてくる音は何も無い。
これで何度目になるだろう。霧を相手に一向に反応の見られない虚しい呼び掛けをするのは。
この濃霧に包まれたゴーストタウンと異常すぎる出会いを果たし、動揺しつつも移動を始めて早1時間。
人はおろか犬や猫、鳥や虫、その他の動物に至るまで、生き物の姿が一切確認出来ず、
自分以外の全てが死に絶えてしまったかのではないか。そんな錯覚すら覚え始めていた。

「うぅ……一体何が起きているというのだ……?」

小暮宗一郎は、臨界点を突破した恐怖と心細さを吐き出すように言葉を漏らした。





始まりは、ただただ唐突だった。
尊敬する先輩である風海純也が行方不明の式部人見を探しにアメリカへ旅立った数日後。
編纂室に定時に出勤した小暮はいつもの様にデスクワークに悪戦苦闘していた。
風海が編纂室を何日も留守にする状態は初の事だったので、少々の寂しさを胸に抱えていたものの、
それ以外は何一つとして代わり映えしない日常だった。

「一人でも頑張っとるようやな。感心感心」

時計の針が12時を回ってから編纂室のボス、犬童蘭子警部が出勤するのも、頻度こそあれど日常の範疇だ。
編纂室に配属された当初こそ、生真面目な小暮は犬童のそのだらしない勤務態度には僭越ながらと口を出してきたが、
何を言っても聞く耳を持たない犬童に対して今では諦めの境地に達していた。

「押忍! お早うございます警部殿!」
「おう。しかしアレやな。アンタも一人やと寂しいやろ」
「いえ! そんな事は――」
「ええからええから。そんな寂しさを押し殺して頑張っとる小暮くんに、旅行のチケットを授けようやないか」
「はっ?」

そう言って犬童が差し出したのは、一枚の紙切れ。
いや、紙幣だ。二千円札だった。小暮は犬童の言わんとする事が分からず、目をぱちくりさせた。

「題して『唐揚げ弁当大盛り買い物ツアー』や。お釣りはやるわ。好きなもん買ってええで」
「はっ……つまり弁当の買出しでありますか?」
「ツアーやツアー。名前だけでも立派な方が気分ええやん?」

むしろ悲しくなるのだがそれは言わない事にして、
恭しく二千円札を受け取った小暮は「大盛りやで」と念を押す犬童に敬礼し、近くのコンビニへと出動した。

昼時のコンビニ内は、2つのレジに数人が並んでいる程に賑わっていた。
売り切れてはないかと心配になり、小暮は急いで弁当コーナーへと向かう。
幸い弁当は残っていた。唐揚げ弁当大盛りは870円。コンビニ弁当にしては高価な部類に入るから、人気も低いようだ。
自分は何を食べようかと考え、小暮の視線はある一つの弁当に止まった。
かねてから食べてみたいとは思いつつも、値段が高い為、その都度断念していたトリプルハンバーグ弁当950円だ。
普段食べている弁当2食分を越える値段であり、
上司の弁当よりも値段が高い品を選ぶ事には体育会系で上下関係を重んじる小暮には少なからず抵抗があるのだが、
犬童のおごりなどという機会はまず無いのだ。(おそらくは競馬か競輪で大きく勝った為だろうが)
ここで食べなければこれからも食べられないかもしれない。それに他に目を引く弁当はもう残ってはいない。
うむ、と頷いた小暮は胸をときめかせながらトリプルハンバーグ弁当を手に取り、レジへと向かった。

そして買い物を済ませて自動ドアを出ると――――街が濃霧に包まれていた。

最初は特に何も気付かなかった。ただ突然霧が出ていた事に驚いただけだった。
しかしよく見れば町並みが変わっているではないか。
見渡す限りの町並みは、とても東京都とは、いや、日本とすら思えなかった。まるで映画で見たアメリカの町の様だ。
訳が分からず、ふと振り返った小暮は更に混乱した。
あれ程賑わっていたコンビニ内に、人が1人としていなくなっていたのだ。
何だ、何だ、何だ――――小暮は慌てて店内に戻り、見回った。
トイレにも誰もいない。カウンター奥にも誰もいない。裏口から外を覗いて見てもやはり誰もいない。
何が起きたのか全く理解出来なかったが、とにかく小暮は警察に連絡を入れようと考え携帯電話を取り出す。
しかし通じない。これも何故か圏外になっている。警視庁のある千代田区で圏外など本来有り得ない事なのに。
呆然とした小暮は、嫌な予感を感じつつも、とにかく警視庁に戻る為に霧の中に足を踏み入れた。


そして結局警視庁に戻る事は叶わず、霧の街をさ迷い続けて現在に至る。という訳だ。


霧は相変わらず深く、辺りが次第に薄暗くなり始めている気がする。
不気味な雰囲気がますます霊感を刺激する。何か嫌な物が出てきそうで、怖がりの小暮にはたまらない。
ふと前方に、どこかで見た事のある建物が見えてきた。
一瞬だけ期待し、思わず早足になった。もしかしたらこれでこのおかしな街を脱出出来たのではないか、と。
しかしそれはほんの束の間の夢に過ぎなかった。
見えてきたのは、小暮が弁当を買ったコンビニ。いわばスタート地点だ。
どうやらグルグルとさ迷い、元の場所に戻ってきてしまったようだった。
とりあえず戻って来たものは仕方が無いので、もう1度店内に入り中を見回ってみるも、やはり無人。
徒労感が肩に重く圧し掛かり、小暮はここに来てから何度目か分からない大きな溜息を吐いた。


―――――スッ


はっとして顔を上げた。
入口に面した窓の外で、何かが動いたのだ。
小暮は慌てて窓へ駆け寄り、外へと視線を巡らせた。そしてその何かはすぐに見つかった。
入口の正面だ。はっきりとはしないが、深い霧の中に人影のようなものが見える。
これまでの孤独感や精神的疲労が積もり積もっていたのだろう。
小暮は迷わず大声を出した。

「おーーーい! そちらの方ぁーーー!」

小暮が声をかけると、影は立ち止まった。そして段々と濃くなってくる。
やはり人だ。人が近付いてきているのだ。

誰かが居るならもうこんな所は怖くなどない。いやいや、元々怖くはなかったが、益々怖くなんてない。
そうだ、これはきっと映画か何かのセットだったのだ。
たまたま自分が使用したコンビニが映画のセットに使われるだけの話だったのだろう。
理屈も分からない最近のバーチャル何とかなら町並みが変わったように見せるのも簡単なのだろうし、
スタッフが誰も居なかったのはきっと昼休みの休憩だったからに違いない。
そうだそうだ、怪奇現象なんてあるはずがない。全て科学的に説明がついたじゃないか。
先輩。不肖小暮宗一郎、また一歩先輩に近づく事が出来たようであります。

と、小暮は恐怖を誤魔化すかのように、瞬間的にそこまで考えた。
あの人影は休憩を終えたスタッフの一人だろうか。
そう思って入口の自動ドアの前に立ち、ドアが開いたところで、影が明確な姿を見せた。

「ハヒッ…………!?」

思わずみっともない悲鳴を上げてしまった。
影の正体は6~70歳程でいかつい顔をした白髪の男性だったが、それはいい。
問題なのは、男性は血の気が見られず、まるで死人の様な顔色をしている事。
向けられるだけで悪寒を誘う不気味な笑みを浮かべてこちらを見据えている事。
そして、男性の洋服や顔に…………血のようなものが大量に付着している事。

(い、いやいや。え、え、映画なんだから……メイクに決まっているじゃないか!)

そう思うも、身体は恐怖を正直に表現し、震えていた。
男性が奇妙な声を出して笑い、右手を動かした。そこで初めて小暮は男性が何かを持っている事に気が付く。
小暮に向けられようとしているそれは、猟銃に見えた。

(こ、小道具だ! メイクだ! そうに決まっている。そうじゃなかったら、そうじゃなかったら――――)

頭で下した判断は、顔色はメイク。そして猟銃は小道具。そんな至極常識的判断。
事情を話さなくては。助けてもらわねば。しかし声が出せなかった。身体はその判断を否定していた。
警告するのは野生の本能か、これまでの武術の鍛錬の賜物か、それとも欲しくもなかった生まれついての霊感か。
気付けば小暮は咄嗟に横に跳び、床に転がる様に倒れこんでいた。


ダァンッ!


直後、男性の持つ猟銃が火を噴いた。
小暮がたった今まで居た位置を銃弾が通過し、レジカウンターを破壊する。
埃が舞い上がり、バラバラと細かな破片が撒き散らされる中、「ほ、本物だと!?」――――小暮の背筋には冷たいものが走った。
同時に、先程までの恐怖心は何処へやら、正義感が込み上げてきていた。

男のあまりの不気味さに恐怖したが、本来は猟銃を人に向けて撃つような凶悪犯に臆するような小暮ではない。
幸いにも男と対峙しているのは自分ただ一人。だが、あんな奴が東京の街に出て行ったらどうなるか。
いつぞやの長崎での連続殺傷事件など比較にならない程の犠牲者が出てしまうだろう。
いや、男がそんな凶悪犯ということなら、あの血もメイクではないという事になる。
おそらくは返り血か。すると既に犠牲者は出ているのだ。
もしかしたらこの辺りの人間が居ないのも避難している為かもしれない。辻褄は合っている、ような気がする。
これ以上の犠牲は避けねばならない。奴はここで自分が取り押さえなくてはならない。

小暮は低い姿勢で、しかし、素早く通路を移動した。
雑誌コーナーを曲がり、商品の陳列している二つ目の通路を通過し、
三つ目の通路に差し掛かったところでカツン、と足音が立つ。
小暮のではない。男のだ。それで男が店内に侵入してきた事が分かった。
それ自体は小暮にとっても都合が良い。凶悪犯を街に逃がす心配が減るのだから。
とは言え、いくら柔道三段、剣道三段、空手二段の小暮でも、猟銃を持った相手に真正面から挑むのは避けたい。

角に設置された防犯ミラーに男が映っていた。男は小暮が逃げ込んだ通路に銃を向けている。
疑いようもなく、完全に小暮を殺すつもりだ。
小暮は極力気配を抑えつつ、何か使えるものは無いかと棚を見回すも、そこは酒のつまみのコーナー。
この状況で役に立つものではない。
男が通路を走って近付いて来た。まずい、このままではすぐに見つかる。
いざとなれば跳びかかるしかないが、それは想像するだけでも冷や汗が流れ落ちた。
小暮はもう1度視線を巡らせる。何か無いのか。何か使える物は。
手の届きそうな範囲でつまみ類の先に置かれているのは――――カップ酒。

(むむむ、いささか心許無いが)

足音はすぐ角まで来ていた。男の影が床に見え始めていた。
小暮はカップ酒を手に取ると勢いよく立ち上がった。棚越しに男の顔が見える。男も小暮に気が付き、振り向こうとした。
小暮の右腕が孤を描き、風を切る音と共に振り抜かれた。
男は小暮の方向へ猟銃を向けようとして、銃身を棚にぶつけた。小暮に向けて構える事が出来ていなかった。
それは小暮にも計算外だったが、一瞬タイムラグが生まれたのは確かだ。
ここぞとばかりに飛んでいくカップ酒が見事に男の顔面に命中した。
弾みで壁に向けられた猟銃がダァンと暴発する。呻き声を上げて怯む男。
小暮は壁から舞い上がる破片を払いながら、常人の1,5倍はある歩幅を活かし全力で距離を縮めた。

「うおぉぉぉぉぉ!」

男はそれでも銃を構えようとするが、小暮の方が速かった。
銃身と男の間に身体を滑り込ませ、丸太の様な腕から繰り出す手刀で男の手を打ちつける。
銃は床に叩き付けられた。痛みでか、男の動きも止まっていた。
勝機――――小暮は、ふんっ! と鳩尾を目掛けて正拳を捻じり込んだ。
腹筋も腹圧も感じられず、拳は急所に突き刺さった。一撃KOの手応えだ。
男はフラッと2、3歩後退りをした。そのまま倒れる、そのはずだった。しかし、そこで小暮は目を見張った。
男はそれでも顔を上げ、平然と笑っていたのだ。

(ば、ばかな!?)

小暮は自分の拳にはそれなりの自信を持っている。慢心ではなく、経験に基づいた確かな自信だ。
今の一撃は例え武道の心得がある者であろうと立ってなどいられないはず。その確信を持てる程の手応えが有ったのだ。
それを凶悪犯とは言えただの老人が堪えきる――――有り得ない。有り得ないはずだ。

いや、そもそも、だ。
この男は異常なのだ。今、至近距離で対峙した小暮には良く分かった。

この男の血色の無さは何だ。
この手の冷たさ。体温の低さは何だ。
このタフさは何なのだ。
本当に、人間、なのか。


まるでそれは――――


既に死んでいる――――


死体の様で――――


死体が――――


死体が――――


動いて――――


嫌な想像が頭を支配し、恐怖に囚われかけたその時だった。
男はクルリと身体を返すと、入り口に向かって走り出したではないか。
小暮はポカンとただ立ち竦んでしまっていた。
遅れて気付く。これは、遁走だ。男は逃げ出したのだ。

(しししし死体は、ううう動かんっ! 動いてたまるものかぁ!!!)

身体に活を入れ恐怖を払拭すると、小暮は慌てて男の後を追いかけようとした。
しかし店を出てから、店内に放置されている猟銃の存在が頭を過ぎる。
応援を呼べない今現在、人の姿が見られないとはいえ猟銃を放置したまま犯人を追跡するのは――――やはり、問題だ。
急いで猟銃を回収に戻り、ついでに雑誌梱包用のビニール紐を手に取った。
刑事とは言え彼は編纂室所属。手錠などは持っていない為、犯人拘束の為の道具が必要だったのだ。

(これで、よし……!)

小暮は律儀に代金と「ビニール紐料金」と書いたメモ書きを砕けているカウンター上に残すと、
走りやすいように猟銃を右手に持ち、銃身を左手で支え、霧の中に飛び出し追走劇を開始した。



だが、小暮はこの街のルールを知らない。
今の彼は、ただでさえ怖い顔が緊張の為に強張っており、余計に厳つくなっている。
身長は190を越える、見事な体躯の強面の大男。それが猟銃を抱えて街を激走している。
客観的に見ればその姿は――――



このサイレントヒルで、彼が新手のクリーチャー「怪人・デカおじさん」と勘違いされない事を祈ろう。



【C-1コンビニ付近/一日目夕刻】
【小暮宗一郎@流行り神】
 [状態]:健康、凶悪犯追跡の為の緊張、街の雰囲気への恐怖
 [装備]:二十二年式村田連発銃(志村晃の猟銃)[6/8]@SIREN
 [道具]:唐揚げ弁当大盛り(@流行り神シリーズ)、トリプルハンバーグ弁当(@オリジナル)、ビニール紐@現実世界
     (全て同じコンビニの袋に入ってます)
 [思考・状況]
 基本行動方針:凶悪犯の逮捕。
 1:猟銃を持っていた男を早急に逮捕する。
 2:警視庁へ戻り報告を行う。
 3:何かが起こっている気がしなくもないが……あまり考えたくはない。
 4:トリプルハンバーグ弁当を食べたい。

※怪奇現象が発生している事はうすうす感じていますが、認めようとしてません。
※小暮の向かう先は後の書き手さんに一任します。

※小暮を襲ったのは屍人となった志村晃です。志村の今後、出すも出さないも、後の書き手さんに一任します。
※C-1のコンビニは日本企業のものです。


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最終更新:2012年06月21日 21:16