My Dear Sweet Sister



【Sun】


エドワードの事は、一旦は置いておくとして――――。
二人だけで話をしている事に何かしらの不審を抱いたのか、睨む様な目付きでこちらへと迫り、エドワードの手を引いて再び離れ行くヘザーの背中に、クローディアは感情を殺した瞳を向けていた。

クローディアの胸中には今、様々な想いが複雑に織り混ざり、暗い澱みが生じていた。
軸としてあるのは、失望。ヘザー達の会話を聞けば聞く程、自身の胸は失望の色に染まりゆく。
何故、ヘザーは分からない。
何故、ヘザーは的外れの考察を続けている。
初めから、答えは出ているというのに。

話を再開したヘザー達から視線を外し、ゆっくりと首を巡らせれば、“神の力を反映したままの世界”がその目には映った。
――――そう。街の様相を変貌させたのは、“神”だ。
ヘザー達がどの様な推論を立て、論じ合おうとも、この一点に於いてクローディアは、確認こそしてはいないが絶対の確信を抱いていた。
確かに、ヤミジマという極東の地の島でのアベの体験は、非常に興味深い。
異形と化した死者の復活は、伝承や物語ではそれなりにありふれた話ではあるが、実例としてとなると流石に聞いたことはない。
他人の視界を借りる力や、赤い津波もそう。それらは、クローディアがどんな資料からも見聞きした事のない怪現象。俄には信じられない事ばかりだ。
恐らく、その背景にはアベの知る由もない何か特殊な力が隠されているのだろう。17年前の、或いは前回のこの街の変貌に、神の力が関わっていた様に。
だが、ヤミジマに何かが隠されている――――その推測が正しいものだとしても、それが一体何だというのだ。
不可思議な体験を切り抜けた人間がこの地に招かれたからと言って、その体験がこの街に関係しているとはいくら何でも話が飛躍しすぎている。
ヘザーはこの街の何を見ているのだろうか。
辺りには、前回の変化と全く同じものが見て取れるというのに。
ヘザーが育て、今はこの胎内に宿る神が創り出した変貌と同じものが見て取れるというのに。
何故そこに異国の怪現象が入る余地があると考えてしまうのだろうか。
そんな余地など、有り得ない。
仮に、ヤミジマに隠されているものが異教の神であるとしよう。
では、それが我らが神と全く同じを変質をこの街に施す事が出来るだろうか――――出来る筈がないではないか。それはまるで別の存在なのだから。
初めから、答えは出ている。街の様相が、既に証明している。この変貌は、神の力に因るものなのだという事を。

そもそも、ヘザーは前提からして履き違えている。
ヘザー達が先程から疑問に上げていた幾つかの謎。招かれた意味、参加者の共通点、ゲームの主催者、等々。
二人は、クローディアが遊園地で出会った少年――もう顔も名前も忘却の彼方へと消えつつあるが――の持っていた馬鹿げたチラシの話を真に受けてしまっているが、あんなものは、断じて神の創り出したものではない。
神は、人々の殺し合いなど決して望まない。神の望みはただ一つ。楽園の創造だ。
多少の破壊は伴うが、神は人々の罪を裁き、洗い流す。そして人々を許し、救い、その果てに永遠を築き上げる。
争う事もない。飢える事もない。全ての人々が、全ての苦しみから解放され、幸福の中で永遠を生きる。それが神の楽園。
その過程に於いて、人々に殺し合いを強要させ、新たな大罪を犯させようなど――――そんな事があろう筈もない。
殺し合いの強要。――――そんな低俗で愚か極まりない事をどうして神が望むと思えようか。その様な考えは、神に対する冒涜でしかないのに。

殺し合いは神の望みでは決して有り得ない。
この世界は、クローディアに与えられた試練なのだ。
聖女として。神の母胎として。クローディアが成長する為に。神を成長させる為に与えられた試練。
それを理解していれば、あのチラシや名簿が何なのかも自ずと答えは導き出される。
クローディアは知っている。神の創り出したこの世界では、人々の潜在意識が具現化する事を。
前回の出来事で、ヘザーもそれを体験した筈だ。時として、それはメモであり、ノートであり、音声であり、映像であり。街の至る所で、様々な形で出現したのだから。
あのチラシは、その程度の取るに足らない物だ。
一見、殺し合いの為に人々を呼び寄せた様に書かれていると読み取れなくはない。
殺し合いの為に重要となる街のルールを書き連ねてある様に見えなくもない。しかし――――。


1,殺せ
――――神は、殺し合いなど望まない。


2,サイレンにより、世界は裏返る
――――裏返るというのが街の変貌の事だとするならば、これは初めから神の世界の事象の一つだ。
神が反応を示したあのサイレンが何なのか。それには心当たりは無いが、少なくともサイレンに関わらず、街は変貌する。
クローディアが教会で目覚め、外への扉を開いた時、この目には、神の力を反映したままの遊園地が映った。
“神の力を反映したままの遊園地”だ。そこはサイレンが鳴る前から、“霧に包まれながらも血と錆に塗れた世界だった”のだ。
つまりは、真理をついてはいない。


3,定期的に追跡者が追加される
――――追跡者は街を跋扈する怪物達の事だろうが、これも単なる神の世界の事象に過ぎない。


4,最後の一人には、完全なる幸福が約束される。
――――楽園を指しているのならば、見当違いだ。神は全ての人々を楽園へと導くのだから。
そこには確かに破壊と犠牲を伴う。しかし、この様な手段では、断じてない。


ルールは、根本的に出鱈目なのだ。
チラシはチラシ。所詮は単なる紙切れであり、それ以上の物では無い。神の世界に迷い込み、世界の性質を誤解した愚者の意識が具現化したといったところだろう。
そして、単なる紙切れであるのだから、招かれた理由や参加者の共通点などの謎もまた存在しない事となる。
ヘザーはルールを気にかけるあまり、あの事実にも気が付いていないのだろうか。――――或いは、忘れているのかもしれないが。
あのショッピングモールで、クローディアがヘザーを見つけ、彼女に宿っていた神の力を引き出した時。
異界と化したショッピングモールでは、クローディアやヘザーと全く無関係な人々も巻き込まれ、神の復活の為とは言え痛ましい犠牲となってしまっていたあの事実を。
無関係であろうとも、神の変化させた世界に“迷い込む”者は確かに存在する。
その逆もまた然りで、関係者や街の住人であろうとも、迷い込まない者もまた多数居る。
彼らに、差など無い。巻き込まれる者は、無作為に巻き込まれるだけであり、ここにはやはり意味や意志など何も無い。
名簿も、またルールと同様だ。
神の世界に迷い込んだ者達は、言い方を変えれば神に呼ばれし者達。
その人々の名前が。街に迷い込んでしまった者達の意識が。一枚の用紙となり、形としての体を成してしまっただけの事。
つまりは、ヘザーが重要視してしまっている『ゲーム』とは、“ルール”と“名簿”の二つが具現化してしまったが為に生じた誤解に過ぎない。
謎でも何でもなく、全ては神の世界の事象。それだけの事なのだ。

ただし、クローディアも今回の出来事全てに説明がつけられる訳ではない。一つだけ、分からない事がある。
聞けばアベは日本からこの世界に迷い込んだという。名簿にも、数多くの日系人の名が連ねられている。
その内の全員が、ではないだろうが、中にはアベと同じく日本から直接迷い込んだ者も居るのだろう。
それは、確かに『迷い込む』という事象の延長上の出来事ではある。
ルールや名簿のチラシにしても、多少特殊な形を取ってはいるが、『意識の具現化』という事象の延長上にはある。
地形の変化も同様に、『変貌』の延長上だ。
しかし、それにしても、流石にどの事象も規模が大きすぎるのだ。
神が完全な状態で誕生していたとするならばまだしも、あの時の神はアグラオフォティスのせいで弱体化していた。ヘザーに敗れ、死の淵まで追い込まれていた。
その、初期状態までリセットされてしまった筈の神が、どうしてこれ程の規模の変貌を引き起こす事が出来たのか――――分からない事とは、それだ。

クローディアは、静かに、自身の腹部に手を当てた。
神の胎動。神は今、確かに胎内に宿り、力を蓄えている。
ヘザーの話によれば、クローディアとヘザーが対峙し一つの決着がついたあの時から、今は数週間が経過しているらしい。
と言う事は、この数週間の間に一度、神が力を取り戻すだけの何かがあったのだ。
そして力を取り戻した神は神話にもあるように、楽園を創り出そうとした。しかし途中で力尽き、クローディアを蘇らせて胎内で再び眠りについた。そういう事になる。
では、神が力を取り戻すだけの何かとは、一体何だったのか。神がクローディアを蘇らせる以前に、一体何が起こったのか。
――――分からない。クローディアには、何も思い当たらなかった。

だがそれは、特に判明せずとも良い事でもある。
クローディアの役割は、神を守る事。同時に、神を復活させる為の負の感情をこの身に集める事。
その方針に沿って行動する上では、神が一度力を取り戻した理由を知る必要性は何も無い。クローディアはただ、役割を果たせればそれで良いのだ。
そしてクローディアには、当然と言えば当然だが、自身の考察や確信をヘザーに伝えるつもりは一切無い。
クローディアが試練をやり遂げ、聖女としての役割を果たす為には、ヘザーには迷走してもらっている方が都合が良いのだ。
少なくとも、ヘザーが答えに辿り着けないでいる間は、クローディアと神に危害が及ぶ事は無いのだから。

ただ――――クローディアは、再びヘザーに視線を向けた。今度は、僅かばかりの悲しみと、切なさを乗せて。
愛しいアレッサ。
大好きだったアレッサ。
本来の聖女である筈の彼女が、神を信じないが故に答えに辿り着けない。
その皮肉めいた現実は、クローディアに失望を感じさせていた。
いや、理解はしている。
ヘザーがもう神の誕生を望んだアレッサではない事も、ヘザーが答えに辿り着けば自身の神が殺されかねない事も、良く理解している。
頭では、理解しているのだが――――未だに心の奥底は、彼女に対する微かな未練で疼いていた。

父親から体罰という名の虐待を受け、泣き喚くだけだった子供の頃の日々。
幸せだった覚えなど何も無かった、あの地獄の様な日々。
クローディアがアレッサと出会ったのは、その日々の中だった。
それは今はもう遠すぎる記憶で、最早断片的な映像でしかないけれども。
バルカン教会の中。ミサだっただろうか。母親に連れられたアレッサと、父親に連れられたクローディア。それが初めての出会いだったと記憶している。
幼かった二人が身の上話を交わすような事は無かったが、その暗い目と、傷だらけの身体を見れば、同じ様な境遇なのだろうとは直感的に感じ取れた。
彼女に自身を重ね合わせ、親近感はすぐに芽生えた。自然と仲良くなり、二人が一緒に過ごすようになるのには然程時間はかからなかった。
それからは――――アレッサとの時間だけが、クローディアの安らぎの時だった。アレッサだけが、クローディアに安らぎをくれた人物だった。
地獄の様な日々の中に見つけた、たった一つの安らぎの時。
アレッサは、クローディアを長い暗闇からを救い出してくれた恩人だったのだ。

――こんな世界、なくなってしまえばいい――

いつだかに聞いたアレッサのあの言葉は、今も鮮明に浮かび上がる。
アレッサが神を降臨させる為の聖女だったのだと知ったのは、彼女を火事で失ってからしばらく経ってからの事。
それを知った時から、クローディアは誰よりもアレッサを特別視していた。
自分の大好きだったお姉ちゃんは、クローディアの心を救ってくれた様に、聖女として世界を救おうと考えていたのだと。
世界を創り直し、人々を楽園へと導く特別な存在になる為に、あの火災で生まれ変わったのだと。信じて疑わなかった。
だからこそクローディアは、神を降臨させるべく、司祭への道を進む決心をした。
全ては、アレッサの意志を引き継ぐ為に。アレッサを目覚めさせ、神を復活させる為に。
幼い頃に芽生え、抱き続けてきた大切な想い。
それを支えにしていたからこそ、クローディアは父親の虐待に堪え、辛い現実に心を擦り減らしながらも、ここまで歩んでくる事が出来たのだ。

それなのに――――漸く再会出来たアレッサは、この17年の間にすっかり変わり果ててしまっていた。
ヘザーの中に眠るアレッサと再会して突き付けられたのは、アレッサによる神の否定という、何よりも無慈悲で、残酷な、現実だった――――。





一度は壊れた筈の思い出。蓋をした筈の記憶。
それでも。
それらが砕け散った筈の今でも。
幼心の残滓は、この胸を締め付けている。

簡単に忘れられる筈がない。諦められる筈がない。アレッサは、クローディアの全てだったのだから。
そして――――その事を忘れられない、諦められない自分自身にも、クローディアは苛立ちを感じていた。
アレッサであるヘザーに抱いてしまう期待と、神を信じようとしないヘザーに生まれる失望。
失望を感じてしまう程に、未だにヘザーに期待を寄せてしまっている自身への嫌悪。
切り捨てるべきなのに、どうしても心の奥底から消せないアレッサへの想いと未練。

感情を殺した振る舞いの裏で、クローディアの中には様々な想いが生まれていた。
それは複雑に絡み合い、織り混ざり、強いやるせなさを募らせ、胸中に暗い澱みを創り上げる。
澱みは少しずつ、少しずつ、溜まり続け、胸の中で重みを増していく。
息苦しさを覚えたクローディアは静かに目を閉じると、静かに一つ、長い溜め息を吐いた。




胎内から、重く、鈍い痛みが、拡がり始めた――――。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


【Never Forgive Me, Never Forget Me】


「――――でさぁ、その漫画何かにつけて『世界が危ない』とか『人類は滅亡する』とかやたら煽りやがってさぁ。絵も何か怖えしよ。ガキだったから信じちまうじゃん?
 で、1999年になっても結局何にも起こりゃしねえだろ? あったま来ちまってさぁ。それで占いとかノストラダムスとか嫌いになっちまって――――」
「ねえ、ちょっと! さっきから黙って聞いてれば、その話が今何の関係があるの?」
「いや、だから――――って、なぁ、あのオバチャン大丈夫なのかよ?」
「……子供じゃないんだから平気よ。あの子なら化け物に襲われたって勝手に何とかするでしょ」

当面の目的を、教会にするか。それともヒナシロ高校の下見にするか。
その打ち合わせの途中から、少々、いや、相当話を脱線させていたアベは今、戸惑い気味の視線をヘザーとヘザーの後ろに行き来させていた。
それは、クローディアを一人で少し離れた場所にほったらかしにしている事が気がかりだからだろう。そう解釈して敢えて無視したのだが――――。

「そうじゃなくてさぁ……あれ、何か腹の調子でもワリィんじゃねーかな」

アベのその言葉に、ヘザーは目の色を変えて振り返った。
――――クローディアが、腹部を押さえて蹲っていた。いつかのヘザーと同じ様に。

「便所連れてってやった方がいいんじゃねーか? 下痢って、すっげぇ辛――」
「ちょっと黙ってて!」

今はアベに構っている場合ではない。
剣幕に驚いた様に黙り込むアベには目もくれず、ヘザーはクローディアに歩み寄った。ベルトに挟んだ拳銃に、手だけは置きながら。

「そう言えば、教団も17年で少しは変わったみたいね」

無表情を装い、クローディアを見下ろす。
黒い司祭服に全身を包んだ幼馴染は、苦痛に歪ませた顔でヘザーを見上げた。
一瞬だけ絡み合った視線を緩やかに外し、襟元から覗く肌の様子を窺うと、見える範囲では白いままだ。

「その司祭服、あの人が着てたのに比べると随分とシックになった。それともあなたの趣味だったり?」

言い終えるや否やヘザーは、腹部を押さえているクローディアの片腕を取ると、それを捻り上げつつ、背後に回った。
勢いに流され、クローディアが呻き声を漏らしてアスファルトの地面に膝をつく。捻った腕を若干持ち上げ、左手で一息にその袖を捲れば、その下の肌もやはり白いまま。
神による侵食は、まだ最終段階にまでは進んでいない。

「丈が長すぎるのは私の好みじゃないけど。動きにくいったらないもの。すぐ汚れるし」
「……着てくれる、予定があったのかしら? アレッサ」
「……大昔には一応ね。でも今は絶対に願い下げ」

捻り上げていた腕を放すと、ヘザーはクローディアにはもう見向きもせず、ゆっくりと彼女から離れていく。
まだ、クローディアに拳銃を使う必要は無い。しかし、その時は、そう遠くは無い予感はあった。
かつての妹を、この手にかけねばならない“その時”は。

――小さなクローディア。私の愛しき妹――

ヘザーの目に、うっすらと滲むものがあった。
たった今見た、面影の残る顔が、ヘザーの心を懐かしさで優しく揺らしていた。
無邪気に微笑みかけてくれていた、あの頃の顔と重なっていた。

本当なら、クローディアを殺したくはない。
アベに言った言葉は本心からのものだった。
無論ハリーを殺された恨みが完全に消えている訳ではないが、形はどうあれ一度は決着の着いた復讐だ。
クローディアへの殺意は全て、あの時産まれ出た神にぶつけてしまった。
結局、後に残ったものは父親を失った事の喪失感と、深い悲しみだけ。
復讐劇は、事件の一つの区切りにはなったものの、自己満足すら生んでくれなかった。――――ダグラスの、言っていた通りだった。
それを知ってしまった今。そして、父ハリーが、このクローディアの様に蘇っている可能性も否定し切れない今。
今回のゲームではヘザー同様に一参加者に過ぎないクローディアを、憎み切れない気持ちが確かにある。
出来る事なら、殺したくはない。
クローディアを、殺したくはないのだ。

だが、それでも。
神は、誕生させる訳にはいかない。
アグラオフォティスも手元に無いこの状況では、母胎として神を宿しているクローディアを殺さなくてはならない時は、いずれ必ず来る。
“その時”の事を想像すると、ヘザーの胸には仄かな悲しみが生じた。
恐らくは“その時”、この胸の悲しみは大きな痛みへと変わり、ヘザーを襲うのだろう。
今の自分には、クローディアを愛していた頃の記憶が、鮮明に思い浮かべられるのだから。
母親にも、クラスメートにも、誰にも愛されなかったアレッサだった自分を、たった一人愛してくれたクローディア。
あの頃の記憶が、鮮明に。

自分は果たして“その時”が来たら、躊躇わずにいられるのだろうか。
ヘザーが直接手を下そうが下すまいが、神が産まれればクローディアは死ぬ。どの道死ぬのならば、選択肢は一つだ。
神を殺す為には必ず撃たねばならないのだが――――この薄れ切った憎しみで、クローディアに引き金を引けるのだろうか。

その自信は、今は――――。





「……またスゲー顔してんな」

投げかけられた声に、反射的に目がいった。
見やれば、アベが呆気にとられた表情でこちらを眺めていた。
――――引き金を引く覚悟は、今はする必要はない。目を細め、暗い思考を無理矢理に切り替える。
憂鬱を誤魔化そうとするかの様に。ヘザーはおどける様にアベに近付き、意地の悪い笑みを作った。

「そんな面白い顔してるあんたが言う? ねえエドワード、おじさんの顔見てごらん。笑える」
「って、何でお前までおじさんとか――」

エドワードがその言葉に従い、隣に立っていたアベに顔を向けた。
その気配に釣られて、アベはヘザーへの文句を止め、視線を下ろした。
数秒間、じっと顔を見合わせていた二人だったが、やがてエドワードの方が先程の様に顔を曇らせてしまった。
まずい――――ヘザーは慌ててエドワードに駆け寄り小さな身体を抱き締めたが、手遅れだ。エドワードは胸元に顔を埋め、小刻みに震え出していた。

「ちょっと、何してるのよ! 泣かせてどうすんの!」
「い、今のは俺のせいじゃねぇだろ!? 見ただけじゃねーか! 何で泣くんだよ! ……つーか、あっちはどうすんだ? ほっとくのかよ?」
「……あの子なら、良いの。あれはお腹の中の神様が元気に育ってる証拠だから」
「ああ、そういう事か…………って、それはそれでやばくねぇか?」
「心配しなくても大丈夫。いざとなったら私がロック・ボトムからのピープルズ・エルボーでスマック・ダウンしてやるんだから」
「お、おう。頼むぜ。……何だかよく分かんねーけど」

多少は慣れてきた手つきでエドワードの背中をさすりながら、ヘザーはクローディアの様子を横目で視認する。
彼女は、丈長のスカートに着いた汚れを払いながら立ち上がろうとしていた。もう痛みは引いたのだろう。
ほら、汚れた。口の中で呟き、視線を戻す。エドワードも、今度はすぐに落ち着いてくれた。
少年の頭を軽く撫で、ヘザーはアベを見上げた。

「それで、アベ。さっきの話――――」

アベに声をかけながら、立ち上がる――――その途中。
ふと首を巡らせたヘザーは、不自然に身体を硬直させた。


一つの影を、その目に捉えて。




【Letter - From The Lost Days】


ヘザーがその方向へと振り向いたのは、何気なくとしか言いようがなかった。
何かが視界に入った訳でもない。物音を聞いた訳でもない。
振り向いたのは、本当に理由など無く、ただ何気なくだった。

暗闇に隠れた日本の校舎から出てくる一つの影。それを、ヘザーはフェンス越しに見つけていた。
100m以上は離れた闇の中にも関わらず、不思議とその輪郭だけはくっきりと見て取れた。

それは、一人の人間のシルエットだった。
見覚えがある。
あの歩き方は、良く知っている気がする。
あれは、誰だったか――――。

一瞬後。
ヘザーは目を大きく見開き、全身を悪寒に震わせていた。

そんな馬鹿な。
居る筈がない。
見間違いだ。
それとも幻覚か。

幾つもの否定が瞬く間に浮かぶが、その影は目の中から消えはしない。
それどころか、凝視すればするほど、鮮明さを増していく様な気がした。


その、一人の少女のシルエット――――アレッサ・ギレスピーのシルエットは。


言葉としての形を成さない声が、半開きの口から零れ出た。
校舎の脇から奥の暗闇へと溶け込む様に消えていく人影に、目が惹き付けられていた。
固まるヘザーの横で、アベが心配した様子で声をかけてくるが、その声も今はどこか遠くに聞こえる。
人影が完全に見えなくなるまで、ヘザーはただ硬直し、それを眺めてしまっていた。

「――――よお! なあ! どうしちまったんだよ」

アベの声が、次第にボリュームを取り戻す。
だが、今のヘザーには彼の声に答えている余裕は無かった。
確かめなくては――――全身を包んでいた悪寒が、熱に変わる。
想いと熱に突き動かされる様に、ヘザーは目尻を吊り上げ、走り出していた。
単なる見間違いにしても、何かが居たのは確実だ。絶対に確かめなくてはならない。今の人影の正体が、何なのかを。

「ちょ!? おい! おぉい! 待てよ!」
「あんたはそこに居て! 二人をお願い!」

アベの返事を待たずに、ヘザーは校門を潜った。
背中にかけられる声も耳に入れず、グラウンド横の舗装された地面を駆け抜ける。
グラウンドを走るトラックに一瞬気を取られ立ち止まるが、運転席に誰もいない事を確認すれば、よくある事、と片付け追跡を続行した。
校門外の道路からでは暗くて距離感が掴めなかったが、実際に走ってみれば校舎脇に到達したのは30秒足らず。
肺に篭った息を吐き出し、その先にライトの光を差し込むと、校舎裏にはもう一棟の校舎が見えた。
左側には草木が生い茂っており、山中と殆ど変わらない様相。最早ミッドウィッチ小学校の名残は何処にもない。
人影は――――素早くライトの灯りを辺りに向けてみるが、見当たらない。
どこへ行ったのか。あの影は校舎の裏の方向ではなく、山の方へと消えていった様に思える。
ヘザーは上方へと続くであろう山道の側を照らした。痕跡らしき物は見当たらないが、つまりはこちらだ。

――――後ろから、数人の走る足音が響いてきた。
肩越しに見れば、アベ達が追いついてくるところだった。
ヘザーの側まで来ると、息を切らしながらもアベは口を開いた。

「どう、したんだよ。いきなり」
「……あそこに居てって言ったじゃない」
「んなわけ、いかねーだろうが。あんな、ワケ分かんねートラックまで、走ってやがるし」
「よくある事」
「あり得ねーっつーの!」
「……人影を見たの。よく知ってる女の子のね。見間違いかもしれないんだけど」
「女の子?」

言葉を受け、アベは顔を上げるとあちらこちらに懐中電灯を回し始めた。
その光は人影を捉える事は無かったが、しばらくすると道の脇を射したまま、止まった。

「お、あれ……純金じゃね――――って、何だこりゃ? 看板?」
「純金と看板なんてどうしたら間違えられるの!? ボケるのもいい加減にして」
「いや……何か光った気がしたんだって」
「どうせ釘か何か――――ああ、もういい!」

「禁足」「立ち」「禁ず」「四鳴山」「太田」
拾ったボロボロの看板に書かれていた文字を、アベはぶつぶつと読み上げていたが、聞こえてくる声を無視してヘザーは再び山道を照らす。
やはり人影らしきものは見られない。――――だが。

「……ん?」

ライトの光がブレた。
いや、正確にはブレた訳ではない。ライトを動かしてみて理解する。ライトの光と重なる別の光が、山の上方で発生し始めたのだ。
光は、揺らめきを見せていた。何処か不安を駆り立てる光だった。あの人影は、そこに居るのだろうか。
一つ大きく呼吸をすると、ヘザーは心を決め、山道に足を踏み入れた。アベ達が僅かに遅れて、それに続いた。

ほぼ視界の取れない暗闇をライトの光で払い退け、四人は坂道を走り登る。
あの光。ヘザーは、心当たりがある様な気がしていた。
いや――――ヘザーは既に、確信に近いものを抱いていた。
胸の鼓動が勢いを強めていく。逸る気持ちがヘザーの足を次第にテンポアップさせていく。
光との距離が縮まるに連れ、徐々にその輪郭が明確になってきた。

「何だ、ありゃ?」

アベが率直に疑問を漏らす。
道から外れた山中の地面の上で、光が揺らいでいた。まるで、静かな海面に反射する陽光の様に。
草木と重なり合う様に存在する紋様。二重の正円の中に三角形を描いたその光。
それが何なのか、ヘザーには良く分かる。
それは、ヘザーが想定していたもの、そのものだったのだから。
生え渡る草木を踏み分けて、四人はそれに近付いた。

「これは……まさか、メトラトン……!?」
「メト……何?」

光を目前に、荒い呼吸を繰り返して立ち止まる中。当惑した面持ちで解答を呟いたのは、クローディアだった。
そう。地面に描かれているのは、見間違えようもない、あのメトラトンの印章。
17年前の事件で、アレッサ・ギレスピーだった自分が死を望んで描いた、神の力を消滅させる為の魔方陣だ。
それも、その光はかつての時よりも力強さを増している様に見える――――。

「アレッサ。あなたの見た女の子の人影って……?」

最早、決定的だった。
混乱して纏まりを見せない思考の中でも、その確信だけはある。
あの人影――――以前この街では、自身の抜け殻の様なものが襲いかかってきた事もあったが、あれはそんなものではない。
目の前のメトラトンの印章が、それを証明している。
あれは、見間違いや幻覚、抜け殻などではなく――――。




「……アレッサ……ギレスピー。……あの子が……あの子が、いた……」




――――17年前の、自分自身なのだと。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





back 目次へ next
YOU'RE GONNA BE FINE 時系列順・目次 You're Not Here
復讐の女神 投下順・目次 You're Not Here
 
back キャラ追跡表 next
静かな丘のリトル・ジョン ヘザー・モリス You're Not Here
静かな丘のリトル・ジョン 阿部倉司 You're Not Here
静かな丘のリトル・ジョン クローディア・ウルフ You're Not Here
静かな丘のリトル・ジョン エドワード(シザーマン) You're Not Here

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2012年12月20日 20:31