You're Not Here
【Flower Clown Of Poppy】
「アレッサがいたって……どういう意味なの?」
「アレッサって……おめーのあだ名じゃねぇか」
クローディア達の声がその耳に届いているのか、いないのか。
ヘザーは何も答えず、厳しい険しさを張り付かせた顔で、ただ頻りに辺りに視線を巡らせていた。
周辺。地面からの眩い光が照らし出している範囲には、微かな風になびく樹々以外には動くものは無い。その樹々一つ一つの動きすら見落とすまいとしているかの様だ。
――――その様子は、只事ではない。
ヘザーが動揺を露にし始めたのは、彼女が人影を見つけたと言う校門前からだ。
ヘザーにこれ程までに衝撃を与える、その人影。
もしや、アレッサが居たと言うのは、言葉通りの意味なのか。その人影が、ヘザーにはアレッサに見えたのか。
ならばヘザーが動揺するのも、当然の事だが――――。
有り得ない。クローディアは直ぐ様自身の考えを否定した。
確かに、アレッサには力があった。直接目の当たりにした事こそ無かったが、それは断言しても良い。
四人の足元に輝くメトラトンの印章も、かつてのアレッサならば作り出せたとしても不思議は無いだろう。
だが――――当の本人は今、ここに居るではないか。
あの頃の力を失い転生したアレッサ。それがヘザーなのだ。
ヘザーがこうしてここに居る以上、アレッサが存在している訳がない。
その事は、ヘザー自身が一番良く理解している筈。なのに、何故ヘザーはアレッサなどと言い出したのか。
――――いや。違う。
そうではない。アレッサが既に存在していない現実は、ヘザーが一番良く理解しているのだ。
常ならば、人影を見たからと言って、それがアレッサだと思うだろうか。――――思う筈がない。見間違ったと思う方が自然だ。その可能性は、先程ヘザー自身も示唆していた。
にも関わらず、ヘザーは今、アレッサの名前を出したのだ。
つまりそれは、メトラトンを発見した後に見間違いの可能性を完全に捨てたという事。
ヘザーは、アレッサの存在に余程の確信を抱いたという事に他ならないのではないだろうか。
となれば、どういう訳だ。
本当にアレッサが存在しているというのか。
ヘザーではないアレッサが今この場所に居て、メトラトンの印章を作ったというのか。
そんな事は有り得ない。クローディアには、有り得ないとしか考えられないが――――。
「アレッサ。『アレッサ』がいたって、どういう意味? あなたは、何を見たの?」
もう一度、クローディアは問いかけた。
ヘザーの様子からすれば、正確な答えが返って来る事は期待出来ないが、それでも、聞かずにはいられなかった。
ヘザーは、混乱を隠し切れていない瞳で一瞬だけクローディアを睨みつけるが、結局答える事はなく。
「見つけなきゃ……大変なことになる……」
誰に言うでもなく呟き、再び走り出した。
頭を掻いて舌を打つアベと、無表情で魔方陣を見つめていたエドワード。
二人と共に、クローディアはヘザーの後を追いかける。
メトラトンの輝きから離れ、視界のほぼ効かない暗闇に戻る中、ヘザーと並ぶや否やアベが苛立った様子で疑問をぶつけた。
「なあおい! ありゃあ何なんだよ!? 何が大変なんだよ!?」
しばしの沈黙の後、二人よりもやや遅れて走るクローディアの耳にも、その返答の声がはっきりと聞こえてきた。
ヘザーが話すのは、メトラトンの印章の事。
ニュアンスに多少の差はあれど、ヘザーの語るそれはクローディアの知るメトラトンの効力とほぼ同じだ。
完成すれば、迷い込んだ者全てを巻き込み街が消滅する可能性がある。
そこまでを聞けばアベも慌てふためき、キョロキョロと辺りに視線を動かし始めた。
だが結局、メトラトンを作った者――――アレッサについての説明は伏せられていた。
いや、それはヘザー自身にも答えようがないという事だろうが。
山中を駆けるヘザーとアベのライトは、未だにその人影を捉えない。
クローディアは会話を続ける二人の後を追いながら、考えを巡らせていた。
ヘザーが、メトラトンを作った者をアレッサだと考え、その存在に確信を得ている。それは間違いないとしよう。
では、何故ヘザーはもう一人の自分が居る事の確信を得たのか。――――全ては、恐らくメトラトンにある。
メトラトンの印章。それは、17年前にこのサイレントヒルで起きた事件の概要にも登場する。
あの事件の真実を、実の所クローディアは知らない。いや、正確にそれを知る者は、今のサイレントヒルには存在しないのだが。
事件の概要は一つではなく、様々な内容で伝わっているのだ。
例えばヴィンセントが好んでいた、アレッサの悪夢が具現化したという話。
例えば信者の一人が信じていた、メトラトンの印章を悪用して神を封印しようとする異端者達の話。
クローディアの知る事も、幾つかの概要と、そして自身のアレッサに関する記憶から推測したものに過ぎない。
ヘザーのこの様子からすれば、メトラトンがかつての事件に深い関わりを持っている様ではあるのだが――――。
『アレッサ』と『メトラトンの印章』。
今のヘザーとは違い、当時は神を生み出す事を望んでいた筈の聖女と、神の力を消滅させる魔方陣。
何故ヘザーは、その『アレッサ』が『メトラトンの印章』を作り出すと確信しているのか。その関連性が分からない。
直接聞き出せれば話は早いのだが――――それは、不毛な期待だろう。
クローディアは答えの出せない疑問に、軽く首を振った。
視点を、変えよう。一旦、ヘザーの得た確信については保留だ。
では――――何故『アレッサ』は存在しているのか。こちらはどうだ。
ヘザーが存在し、同時に『アレッサ』が存在する、その理由とは。
17年前の事件の、様々な概要。
今それを思い返していたクローディアは、その中に一つ、符合する話があった事に気が付いた。
それは、肖像画として描かれている、神の母にして神の娘『聖アレッサ』のモチーフともなった――――魂の分裂の話。
――神は楽園を否定する異端者達から逃れる為、その聖なる魂を分裂させ娘を産み出し、姿を隠した――
――やがて神は再び一つに戻り、異端者達を排除するが、正しく戻る事が出来ずに聖母の中で今一度の眠りについた――
要は、メトラトンの概要の亜種とも言えるものだ。
魂の分裂。ヘザーとアレッサが同時に存在する理由としては、適当である様に思える。
しかし、これも考え難い。今のヘザーは、流石にそれ程の力を持ち合わせてはいない筈だからだ。
仮にそれ程の力があるとしても、ならば、ヘザーがアレッサの存在に動揺を見せるというのは理屈に合わない。
唯一思い当たった説だが、これも正解には成り得ない――――そこまでを、考えた時。
「魂の……分裂……?」
脳裏に、一つの刺激が走った。
思わず、走る足の動きを鈍らせる。
思考から派生した、一つの閃き。それは、あまりにも突飛な考えだった。到底有り得るとは思えない考えだ。
しかし、思い付いてしまえば、その他に理屈に合う答えなどとても考えられなかった。
まさか。
視線が、自然と自身の身体に向いた。
まさか、ヘザーが言っている『アレッサ』とは――――――――。
その時。
唐突に、視界が閉ざされた。
何かが、瞼の上に張り付いている感触がある。
反射的にクローディアは足を止めていた。
指で触れ、取って確認してみれば、それは単なる一枚の木の葉。
樹から落ちてきたのか。特に疑問に思う事なく結論を出して顔を上げたクローディアは、目の前に広がる光景にハッと息を呑んだ。
「これ、は……!?」
それは、不自然な光景だった。
クローディアの目の前で、木の葉が舞い躍っていた。
風も出ていないのに。何枚も、何枚も。首を巡らせば、それはクローディアを中心に渦を巻くように。
大量の木の葉が、静かに舞い上がり、音も無く舞い躍り、クローディアを包んでいたのだ。
「一体、何が――――」
疑問を口にするよりも早く、木の葉は“止んだ”。
今まで舞い躍っていたのが何かの間違いかと思える程に、木の葉は不意に躍りを止め、土の上に落ちていく。
何が起きたのか分からず、クローディアは戸惑いの色を帯びた視線を辺りに向けた。
木の葉はもう、動かない。動くものは――――遠くにヘザーのライトの光が見えた。
立ち止まってしまったのはほんの十秒にも満たないが、彼女達との距離が離れてしまうには充分過ぎる時間だ。
追わなくては。そう思い一歩踏み出したクローディアは、一つの気配に気付き、そのまま自然と足を止めた。
振り返った先には、いつの間にかエドワードが立っていた。
哀れで儚い表情も、庇護者を必要と思わせる様な弱々しい気配も、今は無い。
浮かべているのは、殺戮者を思わせる不気味な笑み。
醸し出しているのは、悪魔のものと思わしき禍々しい魔力。
これが、この少年の正体か。木の葉が舞ったのも、この少年の仕業か。それは、何の為に――――。
「……私に話でもあるのかしら?」
少年が、一歩ずつ、近付いて来る。
どうやら、話をする雰囲気ではなさそうだ。
「交渉は、決裂という事?」
白い歯を剥き出しにした口元から、ヒヒッと妖しい笑い声を零し、少年は詰めてくる。
それが、少年の出した答えか。どの様な力を持っているのかは知らないが、少年は、ここでクローディアとの戦いを選んだ。そういう事だ。
「そう。残念ね……」
微かに首を振り、深い瞬きを一つ。
開いた目には感情を宿さず、クローディアは右手を少年に向け、力を翳した。
クローディアにとっては、どちらでも良いのだ。エドワードが協力的だろうと、戦いを挑んでこようと、どちらでも良い。
どちらにせよ、これは己の力を試す絶好の機会。これではっきりするだろう。自身の力が、使えるものなのか、どうかが。
力を受けた少年は――――初めてその顔に狼狽を浮かべた。不安気な様子でクローディアを睨みつけ、頭を抑えていた。
しかしこれには、クローディアにも些かの驚きがあった。
クローディアが翳した力は、遊園地の学生に向けたものと同じ。瞬間的に意識を奪う想定だったのだから。
抵抗されている。それだけの力を、少年は備えているというのか。――――ますます興味深い。
おぼつかない足取りで、少年は尚も歩を進めていた。しかし、やがて耐え切れなくなったのか、膝を折り、地面にくずおれた。
「受け入れなさい。そうすれば、楽になる。悪いようにはしないわ」
クローディアの言葉に顔を上げた少年は――――再び、妖しい笑みを浮かべていた。
そして、そのか細い右腕をクローディアに向けた。何かを、仕掛けようとしているのか。
あくまでも受け入れないというのならば、やむを得ない。クローディアが、力を強めようとした、その刹那だった。
「――――ぐっ…………!?」
突然に走った衝撃。遅れて喉に生じた熱と、異物感。
数瞬、思考が、停止し――――ふと気付けばクローディアは、巨大な金属をその目に映していた。
いつの間にか、少年の腕からクローディアに伸びていた、その巨大な金属の塊を。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【A Stray Child】
アベを観察していて、二つ、分かった事があった。“視界を借りる力”についてだ。
一つは、その力はそれ程には遠くまで届かない事。せいぜいが、50m位だろうか。
もう一つは、その力はどうやら、動き回りながらでは使えないであろう事。
アベがその力を使用する時には必ず足を止めていた事から、それは窺えた。
この二つの付け入る隙を念頭に置けば、後はチャンスを待つだけだった。
エドワードの正体にどういう訳だか感付いているらしい奇妙な女、クローディア。彼女を始末して口を封じるチャンスを。
現時点で女に敵対の意志が無いのならば、敵対の意志が生まれる前に始末する。それだけの事だった。
そして――――そのチャンスは、予想外に早く訪れた。
集中を欠いて山中を駆けるヘザー。闇雲にそれを追いかけるアベと、自分達。
その時点では、流石に手を出せるとは思いもしなかったが、この状況で何故か女の足が遅れたのだ。
たちまちの内に離れる女と二人の距離。すかさず、エドワードは行動に移っていた。
――――取った手段は、サイコキネシス。
木の葉を舞わせ、女の足を完全に止めさせ、アベ達との距離を更に広げさせる。
それは、ほんの十数秒程度の時間稼ぎ。最悪、未必の故意止まりでも一向に構わなかったのだが――――存外、事は上手く運んだ。
多少の抵抗はされたものの、アベ達にばれるような展開にもならず、敗北する事にもならなかったのだから。
女が仕掛けてきた、意識を遠のかせる奇怪な術の効力も、鋏が突き刺さるとほぼ同時に解けていた。
生温い血液が、突き刺さった大鋏を伝い、一滴、また一滴と土の上に滴り落ちる。
首から胸まで、縦に大きく開いた致命傷。
女の全身から力が抜け、大鋏に全体重が掛けられた。
驚愕の色を帯びた目で、女はエドワードを見つめていた。まだ、息があるらしい。
それも腹の中の“力”によるものだろうかと推測するが、どうでもいい事だ。
――あなたが望めば、私はあなたの力になる――
持ちかけてきたのは、そちらの方だ。
それでは、お言葉に甘えて。取引に乗らせてもらおう。
力になって頂こうではないか。
大鋏を持つ手に力を込めて、押すように手放せば、女の身体は鋏ごと後ろへと倒れ込む。
使い慣れた獲物を掴み直し、僅かに開くと、傷口は更に大きく裂けた。
仰向けに倒れた女の身体の下で、血溜まりが広がりを見せる。
口からは、ゴボリと血の逆流する音が漏れ、口内にみるみる溜まり、溢れて頬に垂れていく。
それだけ損傷した喉では、息があろうとも最早声は出せまい。
上機嫌で鋏を抜き取ると、大きく裂けた傷口からは血が吹き出し、エドワードの全身を濡らした。
エドワードはそれを意に介する事無く、その傷口に、自身の細い腕を躊躇いなく突っ込んだ。
女の顔が、激痛に歪む。身体の奥に腕を進ませる度、苦痛の顔は様々に歪む。それが可笑しくてたまらない。
声も出せずに生き続けるとなれば、その表情をずっと眺めていられる。これは実に遊び甲斐のある玩具だ。
だが、残念な事に遊んでいる暇は無い。エドワードや女が後ろにいない事に、アベとヘザーがいつ気付くかは分からないのだ。
迅速に目的の物を手に入れ、女には止めを刺さなければならない。
胸元から侵入させた腕で、身体の中を大きく掻き回す。
“力”が感じられたのは腹の下辺りだが――――。
「――――ッ! ヒヒ!」
――――あった。
胎内に蠢いていた、実体とも精神体とも言えない、魔力の塊。
いつの間にかそれは、先程エドワードが感じた時よりも強大な魔力を宿らせていた。
しかも、これは、もしかしたら――――。
“力”を捕まえた右腕を、女の身体を抉り取りながら、引き抜いた。
零れ落ちそうなくらいに大きく見開かれた目。その瞳はもう、何かを映し出す事は無い。
絶叫するかの様に大きく開かれた口。その喉はもう、声を作り出す事は無い。
それから、間もなく。女は数度の痙攣を見せた後、その色素の薄い瞳から光を消した。
試しに腹を、胸を、顔を、鋏で幾度か突いてみるが、もうその身体からの反応は得られない。
推測通り、女はこれの“力”に生かされていたという訳だ。
右手の中で、30cm程の大きさの真っ赤な胎児が苦しそうにその身を捩っていた。
やはり――――エドワードは不気味に口端を吊り上げた。
胎児の“力”は、その弱々しい姿からはとても考えられない程に、とてつもなく強大だった。
こうして直接握り締めてみれば、はっきりと感じられる。
今のこれに秘められている魔力は、病院での少女が持っていた石を遥かに凌駕するのだと。
用の済んだ得物を女の身体に突き立てて、エドワードは開いた両手で胎児を抑え込んだ。
胸元に寄せ、その魔力の吸収を試みれば―――すぐに胎児の持つ膨大な魔力が、エドワードの身体に流れる様に入り込んできた。
本来女の肉体に宿り、守られていなければならない魔力。
あの石とは違い、剥き出しで、無防備な魔力。
質の違いこそあれど、それを吸収する事は実に容易く。
取り込んだ魔力が、己の魔力として還元され、身体中を駆け巡っていた。
その魔力の全てを吸収された胎児は、エドワードの両手の中で見すぼらしく縮み――――やがて、消滅していった。後には、何も残さずに。
胎児を還元し終えれば――――。
奇声を上げて小躍りしたくなる程に、身体が軽くなった。
誰彼構わず切り刻みたくなる程に、力が漲っていた。
無尽蔵と思える程に、次々に魔力が湧き出してくる。
これ程とは、思ってもみなかった。
嬉しい誤算とはこの事だ。
込み上がる笑いが止められない。
赤い液体で失ってしまった魔力は、これで、漸く、完全に取り戻せた――――。
力さえ取り戻せば、後は彼本来の姿に戻り、思う存分に遊ぶだけ。
アベでもいい。ヘザーでもいい。
我慢を強いられていた分、相手を問わず今すぐにでも遊びたい気分だった。
――――そんな、気分ではあるのだが。
実に残念な事に、それもまだしばらくはお預けだろう。
今はまた、多少状況が変わってしまったのだから。
案じているのは、先程ヘザー達と一緒に見つけたメトラトンとかいう魔方陣の事だ。
あれからは、不愉快な、非常に不愉快な力が感じ取れた。
あれは、あの忌々しい赤い液体と、同質とまでは行かないが近しい性質を持つものだ。
すなわち、己の魔力に影響を及ぼしかねないものだという事。
そして、己の魔力に影響を及ぼしかねないものを作り出せる者が居るという事。
このままあの魔方陣と、魔方陣を作り出した者を捨て置く事は出来ないだろう。
赤い液体と同様に、それらも必ず滅せねばならない。
となると――――今、欲望のままにヘザーと遊んでしまうのは、この先を見据えればマイナスにしかならない。
エドワードの知る限りでは、ヘザーはあの魔方陣を作った人物についての心当たりを持つ唯一の人間なのだから。
故に、ここはまだ我慢する。
その者を見つけ出し、始末するまでは。ヘザーと遊ぶのは先送りだ。
その時が来るのを心待ちにしていよう。――――もしも我慢が出来なくなったら、別の者となら遊んでしまうのも悪くはないが。
さて。と、エドワードは早速、取り戻したばかりの魔力を解放させた。
――――サイコキネシス。落ち葉を操ったものと同じ力を、エドワードは己に向ける。
すると、全身に付着している女の返り血が、不自然に剥離していくではないか。
数秒後、宙に浮かび上がるのは赤一色の不完全な人形(ひとがた)。
それはエドワードの身体からゆっくりと離れ、ある程度の距離を取ると、摂理に逆らっている事に気が付いたかの様に何の前触れもなく土の上に流れ落ちた。
返り血はこれで解決だ。後は、この状況の説明だが――――それは何でもいいだろう。
それらしき説明が何も思いつかなければ、エドワード自身も見つけた時はこうだったと。知らぬ存ぜぬで押し通せば良い。
それで二人は、勝手に悲劇のストーリーを作ってくれる。お人好しというのは、そういうものだ。
「……ん?」
数百m程遠くに見えていたヘザー達のライトが、動きを変えた。
漸くエドワード達がいない事に気が付いたらしい。
側に来られる前に、適当なところで泣き真似でもしておかなくては。
血の海に沈む女に向き直しエドワードはしゃがみ込もうとして――――ふと、ポケットに圧迫感を覚えた。
そうだ。ポケットには、病院の少女から奪ったあの石が入っているのだった。
魔力がこうして完全に戻った今、これは無用の長物と成り果てた。最早、必要は無い。
エドワードは、ポケットから琥珀色の宝石を取り出すと、それを空中に放り投げ――――。
――――甲高い金属音の中に、石が砕け散る鈍い音が生じた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【Please Love Me... Once More】
呆然と。
ただ呆然と。
ヘザーは、その光景を眺めていた。
先に気が付いたのは、アベだった。
いつの間にか、エドワードとクローディアがついて来ていない。
それを教えられた時、背筋が凍りつく様な感覚に見舞われた。
アレッサを探す事に、気を取られすぎていた。冷静さを欠きすぎていた事を、その時になって初めて自覚した。
躊躇いはあったがすぐに捜索を断念し、草木を掻き分け、迷いながらも道なき道を戻ってみれば――――やがて聞こえてきたのは、少年の泣き声。
そして暗闇を照らす円形の光が捉えたのは、座り込んで泣きじゃくるエドワードと、ほんの十数分前まで話していた幼馴染の無惨な姿だった。
何も、考えられなかった。
全身を巡る血液が、沸き立った様に熱かった。
エドワードを問い詰めるアベを諌める余裕もなく。
そのアベに泣いて首を振る事しか返さないエドワードを慰める事も出来ず。
まばたきも忘れて。
呼吸すらも止めて。
立ち尽くしてしまっていたのは、どれ程の時間だろう。
正体の分からぬ感情が込み上がり、当て所なく広がり、渦巻いていた。
時が経つにつれて戻りつつある理性が、漸くその感情を吐き出そうとヘザーの口を動かした。
「あ…………っと…………」
顔が、不自然に引きつった。
さっきの様に、おどけて皮肉を言おうとした。
だが、上手く笑みが、作れない。
どうしても、笑みが、浮かべられない。
――小さなクローディア――
「ま、た、勝手に、死んだんだ」
やっとの事で紡いだ言葉は、震えていた。
こんな終わりが来るなんて、思いもしなかった。
ハリーを失った時、誰にでも終わりは唐突に来るものだと学んだ筈だ。
今回のゲームでは、誰かが今も命を落としている、誰でも命を落としうるのだとは知っていた筈だ。
それでも――――クローディアだけは、自分の手で殺す事になるのだと、思い込んでいた。
――6歳のお誕生日おめでとう――
「そんなに……そんなに、私に殺されるのが、いや?」
こんなにも早く“その時”が来るなんて想像もしなかった。
まだ、心の準備をしていない。
覚悟を決めていない。
それなのに、こんな死に方――――不意討ちも良いところだ。
――私は本当の妹のようにあなたが大好き――
「だったら、何で生き返って…………! 何で――――ッ!」
言葉が、詰まった。
自分が何を言いたいのか。何を言って良いのか。分からなかった。
彼女は父を殺した相手だ。恨みこそすれ、悲しむ必要は無い女なのだ。
そう強く意識するも、胸の中に生じた痛みは、想像していた以上に大きくて。
一度クローディアを失ったあの時とは、比べ物にならない程に激しくて。
湧き上がる感情のままに言葉を紡ぐ事すら、させてくれなかった。
「何で…………何で…………」
唇を震わせて、ヘザーは黙り込んだ。
エドワードは、泣きじゃくるままだ。
アベは、いつの間にか周辺に気を配ってくれていた。
三人が立てる物音以外には、後は、静寂だけがその場を支配していた。
――――そんな中。
あのサイレンが、鳴り始めた。
夕方に聞いた、あのサイレンと同じものが、遠くから響き始めた。
何処かそれは、怒りの咆哮にも聞こえる。
何処かそれは、悲しみの呻き声にも聞こえる。
再び、霧が立ち込めだす森の中で。
ヘザーは錯覚を抱いていた。
上手く感情を出せない自分の代わりとして。
サイレンが、泣いてくれている様な。
サイレンが、全てを吐き出してくれている様な。
そんな、錯覚を抱いていた。
――だからこれからも仲良くしてね。アレッサより――
クローディアのことが大好きだったあの頃に。
クローディアにプレゼントしたバースデイカードが。
クローディアの小さな笑顔と一緒に、ずっと頭にちらついていた。
Child's Days Memory――――思い出は、色褪せる事無く。
【クローディア・ウルフ@サイレントヒル3 死亡】
【クローディアに宿っていた神@サイレントヒル3 消滅】
【A-3/雛城高校・裏山(四鳴山)/一日目深夜】
【ヘザー・モリス@サイレントヒル3】
[状態]:見知らぬ異国の施設への困惑、この場所へ呼んだ者への殺意、言い表せぬ激しい感情
[装備]:SIGP226(装弾数15/15予備弾21)
[道具]:L字型ライト、スタンガンバッテリー×2、スタンガン(電池残量5/5)、携帯ラジオ、地図、ナイフ
[思考・状況]
基本行動方針:主催者を探しだし何が相手だろうと必ず殺す。
0:……………………。
1:『アレッサ』が、どうしてここに?
2:主催者は、絶対に殺してやる。
3:教会へ向かうか。避難所候補として学校を調査しておくか。
4:エドワードを安全な所へ連れて行く。
5:他に人がいるなら助ける。
6:名簿の真偽を確かめたい。
【阿部倉司@SIREN2】
[状態]:健康、疲労(小)
[装備]:バール
[道具]:懐中電灯、パイプレンチ、目覚まし時計
[思考・状況]
基本行動方針:戦闘はなるべく回避。
0:……何がどうなってんだよ。
1:四鳴山ってどっかで聞いたような。
2:ヘザーについていく。
3:まともな武器がほしい。
4:どうなってんだこの名簿?
【エドワード(シザーマン)@クロックタワー2】
[状態]:健康、所々に小さな傷と返り血、魔力完全回復
[装備]:特になし。
[道具]:特になし。
[思考・状況]
基本行動方針:皆殺し。赤い液体の始末。メトラトンを作る者の始末。
0:えーんえーん。……いつまでやってればいいんだろ。
1:メトラトンの印章とやらを作り出した者を始末する。
2:ヘザーと「遊ぶ」のは先送り。
3:か弱い少年として振る舞い、集団に潜む。
4:相手によっては一緒に「遊ぶ」。
※魔力を完全に取り戻しました。
※クローディア、及びヘザーの参戦時期は、原作終了後より数週間経過後です。
※砕けた『ルーベライズ』のパワーストーン@学校であった怖い話(SFC)がクローディアの死体付近に落ちています。
※雛城高校の裏山が四鳴山@SIREN2となっています。ただし、これまでの本編中の描写との矛盾や不自然さが出ないように鉄塔は無いものとします。