Still Waiting――隙間録・ルーシー・マレット編


 ドアが外側から叩かれ、大きく軋みをあげる。
 ドアに立てかけられた机が僅かに跳ねた。
 おばけの呻き声が、ドアの隙間から部屋に入り込んでくる。怖気がルーシーの背中を撫でた。
 ルーシー・マレットは、部屋の中をうろうろと歩き回るママの背中を追っていた。首を動かす度に、二つ結いにした金髪がふわりと揺れた。
 逃げ込んだのは二部屋しかない狭いアパートだ。床は、草を緻密に編み込んだらしい、風変わりな敷物で覆われている。らしいというのは、敷物は全体的に朽ちていたし、赤黒く汚い黴がこびり付いていてあまり見ていたくなかったからだ。
 ルーシーは重くなってきた瞼を擦った。こんな時間まで起きていられたためしはない。
 ベッドのくまさんが恋しくて、ルーシーの腕が空を抱いた。
 もっとも、今何時なのかは分からなかった。そもそもルーシーは時計が読めなかったし、ママがいつの間にか時計が止まっているとぼやくのも聞いていた。
 夜、隣町に行くと怖い顔のママに起こされたのだ。
 何故と訊いたが、ハンドルを握るママは答えてくれなかった。ただ、町が騒がしいことは感じていた。何か、怖いことが起きていると。
 車が途中で使えなくなり、彼女はママと共にラクーンシティー郊外の山道を行くことになった。
 森を不気味な霧が覆っていたが、ママがずっとルーシーの手を握り続けてくれていたからそれほど怖くなかった。
 霧の向こうで動く影を幾度か見た。
 その度に、ルーシーはママと隠れんぼをしなければならなかった。隠れんぼはルーシーの好きな遊びだ。だけど、この隠れんぼはいつもほど楽しく感じられなかった。
 やがてママの背中の上で、ルーシーは隣町に辿り着いた。
 ルーシーたち以外にも、ラクーンシティから多数の人たちが逃げ延びて来ていた。
 おまわりさんやお医者さんたちが一番せわしく動いていた。リンダ・パールというお医者さんにルーシーは診てもらった。
 何処も怪我していないことを確かめると、パール先生はルーシーの頭を撫でてくれた。
 ママが強張っていた頬を緩めた。ルーシーは、それが一番嬉しかった。
 でも、その状態は長くは続かなかった。町は森よりも深い霧に覆われていて、その中にはおばけが沢山いることが分かったからだ。
 大人たちの誰かがヒステリックに叫んだ――英語でもスペイン語でもない言葉で。

「こんな町、知らないぞ!?」

 最初は大勢居たのに、霧の中を進む内に散り散りになり、ルーシーたちとはぐれていった。
 もうしばらくの間、ルーシーたちは三人で行動していた。
 一緒に居てくれたのはアカサカという日系人のおまわりさんだ。だけど、アカサカはほんの少し前にルーシーたちをおばけから逃がすために別れてしまった。
 アカサカは、すぐ合流するから大丈夫と言っていた。彼の、安心させてくれる声音はルーシーの耳に未だ残っている。
 ただ、おばけは他にもいたのだ。追われるに追われ、逃げるに逃げて、ルーシーたちは建物の二階に追い込まれた。 
 ママを追うのに飽きて、ルーシーは窓の外を見た。どの窓にもガラスはなかった。代わりに錆びた金属の格子がはめ殺しにされていて、隙間から覗くしかなかった。
 地面を揺らすようなサイレンが轟いてから、霧は消えている。
 ラクーンシティのように立派な時計塔が、屋根の上から頭一つ飛び出していた。その時計の針は、ママの腕時計と同じ場所で止まっているようだ。
 みしりと音が鳴った。そちらに目を向ける。扉の蝶番や枠の方が耐えられなくなってきたらしい。
 扉を叩きつける音は増えている。重なる声は、山から吹き降ろす風のように変じていた。
 ついに蝶番が跳ね跳んだ。隙間に指が突っ込まれる。そのまま肉が削げるのも気にせず、おばけは二の腕まで部屋に侵入した。生気のない肌は深い傷がいくつも刻まれていた。肉が滴り落ちる。
 ママがルーシーの名を呼んだ。返事を返す前に、ママはルーシーを抱き上げた。
 大きな引き戸のクローゼットの前で下ろされた。ママの手にはバールの他に、古びた傘が握られている。
 ママが膝をつき、ルーシーに視線を合わせた。ママが微笑む。

「ルーシー、私のちっちゃいお姫様。また隠れんぼの時間よ」

 ママが引き戸を開けた。

「ここがルーシーの隠れ場所よ。ママは別のところを探すわ」
「ママははいらないの?」
「同じところに居たら、隠れんぼがすぐ終わってしまうでしょう? ママは別のところ。ルーシーはね、じっと待つの」
「うごいちゃ、だめなの?」
「そう。物音が聞こえなくなるまで。ママが呼ぶまで。前にお庭にオポッサムが来たでしょう? 赤ちゃんは茂みの中でじっとしていたわね。オポッサムの赤ちゃんに出来るんだから、ルーシーは勿論出来るわね?」
「うん。わたしできるよ」
「賢いわ。ルーシー……ルーシー、愛してる。本当に愛している」

 ママがルーシーを抱きしめた。痛いほどに。そして何度も額にキスをした。
 ルーシーをクローゼットの中に入れ、戸に手を掛けた。

「でもね、近くで誰かの探す声が聞こえたらすぐに答えなさい」
「しらないひとでも?」
「そうよ。知らない人でも。鬼さんじゃないから」

 最後に頬にキスをして、ママは戸を閉めた。戸の隙間から光が細く入ってくるも、中はほとんど暗闇だ。
 ルーシーに状況を報せてくれるのは音だけだ。間もなく、扉が倒れ、その音が床の上で跳ねた。呻き声が入ってくる。ばんっと、傘が開く音がした。
 ママの声がした。こっちよ、マヌケども、こっちに来なさい!――そう叫んでいる。ママは部屋の外に出たらしい。叫びながらバールで通路の壁を何度も何度も叩く。
 呻き声と足音が遠ざかっていく。
 嫌な静けさが辺りを包んだ。銃声や声が聞こえはしたが、それは遠くだった。
 自分の息遣いだけが闇を占める。ルーシーは身動きをしなかった。
 ママはまだ来ない。アカサカも来ない。
 心細くて、ルーシーの目には見る見るうちに涙が溜まっていった。
 すぐ隣に何かがいる気がする――ベッドの下やクローゼットの中で隠れている、いつものあいつらだ。
 クローゼット。そう何しろ、今ルーシーはクローゼットにいるのだ。ここはブギーマンの世界だ。
 ブギーマンの指先がルーシーの周囲で蠢くのが、はっきりと分かっている。だけど、気づいていないぶりをしなくちゃならない。
 動いては駄目だ。指をしゃぶってもいけない。
 漏れ入ってくる光の中で、粒子がきらきらと舞っている。
 ルーシーはずっと待ち続けた。辛抱強く――待っていれば、ママがまた抱きしめてくれるから。ママの顔を思い浮かべる。
 優しいママ――。ママの温もりが、手や額や頬にまだ残っている。それをルーシーは掻き集めるようにして身体を丸めた。
 近くで銃声がした。反響が通路を駆け抜ける。

「ラクーン市警察のものです。誰かいませんかー? 助けに来ましたよー!」

 ややくぐもっているが人の声だ。ブギーマンが声にびっくりして、ルーシーから手を引っ込めたのを感じた。
 すぐに声をあげそうになったが、ルーシーはとどまった。まだ部屋におばけがいるかもしれないからだ。
 ほかに物音がしないことを確認して、ルーシーは声を上げた。

「いる! わたし、ここにいる!」

 戸を開けようとしたが、じっときつく身体を丸めていたせいか痺れて上手く動かなかった。

「どこかな? おまわりさんに教えてくれないかな?」

 足音が部屋に入ってくる。と、銃声と共に何故か電気が消えた。
 ルーシーは半ばパニックになりながら嗚咽混じり声を重ねた。

「クローゼットのなか! おまわりさん! あけて! あけてよぉ!」

 戸に指を掛けたが、重くてルーシーには開けられなかった。
 代わりに拳を何度も戸に叩きつけた。
 拳が空を叩いた。戸が開けられる音がした。むっとする饐えた臭いがルーシーを迎える。
 薄明りに、おまわりさんの肥満した輪郭が浮かび上がった。

「こんばんわ、お嬢ちゃん」

 闇に馴れた視界で、おまわりさんの顔の陰影がなんとなく分かった。
 薄明りが、割れた眼鏡のレンズにぼおと反射する。最初の頃に、ルーシーたちを護衛してくれていたおまわりさんの一人のはずだ。たしか、ハリーという名前の――。
 黒衣を頭から被ったおまわりさんは、ルーシーに優しく微笑んで銃口を向けた――。




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最終更新:2014年11月03日 17:03