Hereafter――隙間録・S.T.A.R.S.ブラボーチーム編



 ――アークレイ山地

 木々から毀れる月明かりがきらきらと森の中を揺蕩う。
 ロマンティックともいえる光景だが、抜けてきた風は微かな腐臭を運んできていた。
 葉擦れの音に紛れて、決定的なものを聞き漏らすのではないか。蠢く夜霧に異変はないか。
 リチャード・エイケンの瞳は周囲の変化を見逃すまいと忙しく動いていた。M3の銃把を握る掌に、じわりと汗が滲む。
 背後には、横転した海兵隊のジープが物言わず佇んでいる。ズタズタに引き裂かれた兵隊たちも乗ったままだ。しかし、腕や足を失った者が増えているようだ。
 今考えれば、人間の仕業であるはずがなかった。ボディに残った無数の引っ掻き傷を忌々しく見やる。
 だが、ほんの少し前まで、精鋭の海兵隊員たちを一方的に屠る存在が居るなど想像もしなかった。
 皮膚が腐り落ちた犬や人間たちと戦う訓練など、どんな軍隊もしているはずがない。
 今自分が生きているのは、純粋に運が良かったからだろう。危ない場面は何度もあった。
 リロードが間に合わなければ、己も無残な姿で横たわっていたに違いない。
 鼻先まで迫った。腐汁に満ちた口腔が浮かんだ――HBOには暫くチャンネルを合わせることは出来なくなりそうだ。
 合流したエンリコ・マリーニは無線に向かって話している。
 レベッカ・チェンバースからの連絡だった。周波数が一時的に変えられたため、リチャードの無線機からは聞こえていない。
 彼女の無事に、一先ずリチャードは胸を撫で下ろしていた。
 そして、彼女の単独行動を許してしまったことを悔やんでもいた。
 初任務とはいえ、レベッカもプロだ。訓練はみっちり叩きこまれている。
 それで問題ないと判断されたからこそ、今回の調査メンバーに組み込まれたのだ。
 過度の干渉は、彼女自身を軽んじていることになる。
 レベッカは――己の妹ではないのだ。幼い妹は、とうの昔に苦痛のない場所に行ってしまった。
 無為な投影は、己にも、レベッカにも良い結果を及ぼさないことをリチャードも自覚していた。
 レベッカからの無線を終え、上司の眉間に渋い皺が寄った。
 あまり好い報せではないに違いない。エンリコの立派な体躯が幾分小さくなったように見えた。
 リチャードは、少し前に受けたケネス・J・サリヴァンからの連絡を口にした。

「ケネスからの報告です。着陸地点(ランディング・ゾーン)から北北西、1ヤード程の地点で大きな洋館を発見したと。フォレストも一緒です」
「先行し、現地の確保をしておけと伝えろ」

 ケネスに連絡後、リチャードはエンリコを仰ぎ見た。

「レベッカは、なんて?」
「ビリー・コーエンの足蹠は不明。そして、エドワードが死んだそうだ」

 言い方は簡潔だが、表情からは深い慚愧が伺えた。
 結果論でしかないが、二人一組で動いておくべきだったと考えているのだろう。
 夜という、捜索に不都合のある時間帯を選んだのは、事件がほぼ全て日暮れから夜明け前の間に起こっていたからだが、完全に裏目に出てしまっている。
 視えないのは相手も同じ――それは人間が相手の場合に通じることだ。

「ケネスたちには伝えるな。この状況だ。多少なりとも動揺はさせたくない――」

 言い終わらぬ内に、エンリコの拳銃が火を噴いた。忍び寄ってきていた犬が短い悲鳴を上げて横たわる。
 ぞっとする吼え声が近づいてきていた。 

「アルファチームへの連絡はどうなっている?」
「駄目ですね。この霧のせいかもしれません」

 本部で待機しているはずのブラッド・ヴィッカーズからの応答はない。インカムからは耳障りなノイズだけが返ってくる。
 上空が地表よりも温度が高い場合、電波通信が不規則になるケースがある。逆転層というのだが、同時にこれは霧や蜃気楼を作り出す原因にもなっていた。
 ただ、チーム内の通信が問題なく行われていることが引っかかる。
 地を爪が蹴る音を耳が拾う。リチャードは身を反転させ、M3を構えた。散弾が犬の顔を吹き飛ばす。
 エンリコの冷静な声が飛んでくる。

「レベッカが潜んでいるのは此処から7時の方角だ。用途は不明だが、森の中を線路がはしっているらしい。合流の後、洋館に向かえ。ここは私が対処する」

 エンリコに頷くと、リチャードは森の奥へ向かって駆け出した。銃声は、遠雷の如く森に響いていく。




 ――アークレイ山地・洋館付近

 ケネス・J・サリヴァンは舌打ちをした。
 夜霧が深い。暗視装置(ナイト・ビジョン)を持ってこなかったことが悔やまれる。どうしても発見が遅れがちになってしまう。
 掴みかかろうとするゾンビの顎を、M590の銃底で跳ね上げる。蹈鞴を踏んだその腹が散弾で引き裂かれた。腐った脂肪を撒き散らしながら、ゾンビが倒れた。
 リチャードからの連絡を待たずして、彼らは移動を開始していた。
 襲撃を受け、待機しているのが不可能になったためだが。
 フォレスト・スパイヤーから放たれた榴弾を受け、ゾンビが爆散する。焼け焦げた血肉の臭気が風に混じった。 

「屈め!」

 フォレストの言葉に、ケネスは即座に膝を落とした。
 複数発銃声が響き、その数と同じだけの甲高い断末魔が背後で聞こえた。犬たちまで寄ってきたらしい。
 膝の屈伸から身体を前に押し出し、脇から手を伸ばしてきたゾンビから間合いを取った。
 自分たちは町で起こる猟奇殺人の調査に来たはずだが、いつの間にか低俗なグラインドハウスの真っただ中にいる。
 フォレストが目にしたという、巨大なヘビの影というのもあながち見間違いじゃなさそうだ。
 自嘲し、ゾンビたちに向き直る。
 大前提として、彼らがゾンビ――生き返った死者なわけはない。
 ブードゥー教を否定するつもりはないが、死者は生き返らない。これは覆らない真実だ。
 重篤な疾病症に罹患した者たちと判断するべきだろう。
 狂犬病――これが彼らの狂暴性に一番近いように思われる。
 ただし、通常の狂犬病ならば脳神経組織への影響に留まる。著しい皮膚疾患を伴うことなどは聞いたことがない。
 化学反応に依る物だとすれば、糜爛剤に類するマスタードガスあたりか。
 甚だしい皮膚組織への腐食性はホスゲンオキシムが思い浮かぶ。しかし、糜爛剤はどれも刺激性の臭気が発生する。低所に留まる特徴があるため油断はできないが、自分たちへの影響は一先ず無視していい。
 化学兵器に汚染された狂犬病患者――か。

(噛まれれば、不味いな……)

 発砲――血煙を残し、頭を失ったゾンビが倒れる。
 ことの真相はどうあれ、このゾンビたちがアークレイ山地近辺で起きている遭難事件、猟奇殺人事件の元凶と見て間違いないだろう。
 実際、遭難事件はアークレイ山地のこのポイント付近で多く起きている。
 近づいてくる洋館は、このゾンビたちの塒である可能性は高い。
 散弾を使い切ったM590で、飛びかかってきた犬を叩き潰した。 
 銃身が曲がってしまったM590を放り捨て、ケネスは洋館に向かって走った。霧が、心なしか深くなっているように感じる。
 先に到着したフォレストが扉を開け、牽制射撃を行っていた。
 飛び込めば、一息つける。
 と、ケネスは足を止めた。止めざるを得なかった。 
 先ほどまであった洋館がない。夜霧の向こうにあるのは、見たことのない街並みだ。湿気を孕み、澱んだ空気。両腕のない人影が、霧の中を蠢いている。
 町の其処彼処で銃声と悲鳴が交錯し、響き合っていた。そして、地を揺るがすサイレンが――。

「旦那、どうした!?」

 フォレストの鋭い声が突き刺さった。
 目を瞬かせる。洋館は、確とケネスの視界の中にあった。当然だが、町など何処にもない。
 止まっていた足を駆る。すぐ後ろに、犬たちの気配を感じた。
 フォレストはもう、半身を扉の向こうに入れている。両手にそれぞれ握られた銃火器が交互に火を噴く。
 ケネスが飛び込むのと同時に、彼は扉を閉めた。重苦しい音が屋内に響いた。
 拳銃を構えたまま、中々整わない呼吸に苛立つ。訓練を怠ってはいないが、年齢による身体能力の低下は日に日に大きくなる。
 肩を大きく上下させながら、ケネスは周囲を観察した。
 100平米を優に超える、広大な玄関ホールだ。中央には二階のバルコニーへと続く、これまた豪華な装飾が施された幅広の階段が据えてある。階段へは赤い絨毯が敷かれ、細微な装飾と貴金属に彩られた台の上には各種美術品が並べられていた。
 高い天井には豪奢なシャンデリアが輝き、ケネスたちの影を床に落としていた。
 その床には大理石が敷き詰められており、鏡のような光沢を見せている。ガス灯の揺らめきが、白い壁に不定形の影を形作っていた。
 かりこりと、犬たちが引っ掻いている。唸り声も扉越しに聞こえて来ていた。

「肝冷やしたぜ……犬ども背にして棒立ちになるなんざ、どういう了見だよ。ジョン・ウェインのつもりか?」
「……洋館を、見失ったんだ。知らない、霧の町が広がっていた」

 床に腰を下ろしたフォレストに事実を告げる。今目にしたものは自分でも信じられないが、嘘で誤魔化す理由もない。
 とはいえ、予想していなかったのだろう。フォレストは虚を突かれた表情をした。

「老眼ってなあ、幻影まで見えるようになんのかい? ハロー、旦那。俺、視えてる? ボク、フォレスト・スパイヤー」

 フォレストが手を振りながら、意地の悪い笑みを浮かべた。
 任された仕事は完璧にこなす男だが、度の過ぎた諧謔を好むところがある。クリス・レッドフィールドやジョセフ・フロストと同様に問題を多々起こしていた。
 これで機動隊のライマンまで加わるようならば、エンリコやバリーの胃に大きな穴が空いたに違いない。
 じろりと睨みつけると、彼はこれ見よがし肩を竦めて見せた。

「ディッキー坊やは子守、俺は老人介護。ウェスカー御大にゃVRの真似事させるか?」

 無視して、ケネスは無線機を取り出した。
 結果的に、洋館入り口に犬たちを引き寄せる形となってしまった。向かってくるエンリコたち4人に忠告しておく必要がある。
 場合によっては、一度ヘリコプターに戻った方が賢明かもしれない。
 しかし、ケネスの呼びかけに応ずる声はいない。エンリコたちどころか、パイロットのケビン・ドゥーリーさえ応答しない。先程の乱戦で壊れてしまったのだろうか。
 ふと手許に目を落とし、ケネスは頬を歪めた。

「フォレスト、今、何時になる」

 アーウェン37に弾を込めているフォレストがわざとらしい溜息を吐いた。

「……本当に老眼かよ、旦那。てめえの手首に巻いてんだろが――ありゃ、止まっちまってる」
「私のもだよ」

 腕時計の針は、ヘリコプターが不時着した時刻付近で停止していた。フォレストの腕時計もまた、同じ時刻を示している。
 フォレストが苦笑した。

「あらまあ、奇遇ね。まだ、一時間と経っちゃいねえと思うぜ」

 おそらく、正しいだろう。ケネスは重く嘆息した。

「長い夜になりそうだ――おい、何処に行く?」

 玄関ホールの奥にある扉に向かうフォレストを呼び止めた。
 フォレストは肩越しに、アーウェン37を掲げて見せた。

「見回りだよ。嬢ちゃんたちが来る前に、ある程度掃除しとく。旦那は此処を確保しておいてくれ」

 言い残し、フォレストは扉の向こうに消えた。
 足音は遠ざかり、やがて外の風音以外は聞こえなくなった。





 ――洋館二階東テラス

 フォレスト・スパイヤーは肩で扉を押し開けた。
 テラスは森の生ぐさい空気に満ちていた。夜霧が白絹のように、辺りを取り巻いている。
 左腕に力が入らない。左肩から袈裟切りに刻まれた裂傷からは、熱い血潮が滴り落ちていた。

(――しくじった)

 朱色に変貌した食人鬼は、比べようもない敏捷さで躍りかかってきた。
 始末は付けたが、ほとんど刺し違いに近い結果だ。
 よろめきながら、フォレストはテラスの縁を掴んだ。
 夜霧が幾つもの白い手となって伸びてくる。四肢を掴み、引きずり込もうとする。何処へ――。
 眼前に、町が見えた。大きな湖を中心に据えた、霧に包まれた町――。
 己を誘う霧の魔手を振り払うも、縋る数は増えていく一方だ。
 銃声が、フォレストの意識を連れ戻した。夜霧は幾分薄くなっていた。
 聞き慣れた音だ。速射の間隔も、耳に馴染んだものだ。
 フォレストの頬が、力なく笑みを刻んだ。
 ――お早い到着だな、相棒……。
 霞む視界に、小さな黒い影が複数横切った。
 カァーッと気障りな鳴き声が聞こえる。呼応し、複数の昂揚した鳴き声が銃声を塗りつぶしていく。
 アーウェン37を構えようとしたが、意に反し、右手は銃把を離してしまった。膝から力が抜け、フォレストは尻餅を付いた。
 ――だが、ちっとばかり遅かったようだぜ。
 フォレストの"人"としての意識は、そこで途絶えた。



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最終更新:2016年03月13日 15:25