Ø
最終更新:
Bot(ページ名リンク)
-
view
Ø
「鳳龍起きて!ㅤ朝ですよ!」
ㅤフライパンをお玉で叩いてカンカンカンカン……。
「……うるせぇ」
ㅤベッドからどす黒い声が漏れる。一度起きたら二度寝はしない男ではあるが、朝はいつも低血圧気味でしばらくぼーっとしていることが多い。鳳龍の起床を確認したラヴはうんうんと満足そうに頷き、ぱんぱんと2回手を打った。彼女に従って、部屋中のDAKが作動し始める。ベッドが勝手に傾く。鳳龍が転げ落ちるが、これを別のロボットアームが受け止めて立たせる。そして着替えと、歯磨きと、洗顔と髪のセットが十数本のロボットアーム達によって並列に行われる。全自動、朝の支度。
ㅤ鳳龍といえばこの状況をよしとは思っておらず、眉間に深々としたシワを作ってはいるが、面倒なのか抵抗する様子はない。仕上げに、ロボットアームがこれでもかと言うぐらいゆっくり丁寧にサングラスをかけさせて、鳳龍をひょいと持ち上げて椅子に座らせる。待ち構えていたかのように、その前にラヴが朝食を出した。昨日から漬け込んでいたフレンチトーストとコーヒー。
「召し上がれ〜」
「………………」
ㅤ鳳龍は何か言いたげだったが、ついぞ言葉を思いつくことなく、しぶしぶと言ったふうにナイフとフォークを手に取った。ラヴはその様子を、鳳龍の正面の席に座って、両手で頬杖をついてニコニコと見守っている。
「どう、おいし?」
「ええ、まあ」
「そう、よかった」
ㅤ先の一件で記憶を全て失った紫音は、その意味ではもはや紫音ではなかった。九死の一生か、精神年齢や思考レベルは特に変わらず、鳳龍から説明された状況をすぐに受け入れた。それでも『自分は紫音である』という認識は既になく、無意味な0と1にバラけて世界中に散ってしまった紫音の記憶は自分のものでは無いという見解を強く持ち、新たにゼローーØ(ラヴ)と名乗り始めた。愛(ラヴ)に執着し、それ故に死んだ紫音を知る鳳龍にとっては、当てつけのような偶然だった。
ㅤ先述の通り鳳龍は、ラヴにはラヴが生まれるに至った経緯ーー紫音という名の少女の一生とその最期を教えていた。他にもこの世界のこと、このN◎VA(まち)のことも。おおよそ常識であることやラヴ自身の出自、突き詰めれば彼女が知っておくべきであろうと鳳龍の考えたこと全て。それはラヴが自立し、自分の意志をしっかりと持つに越したことはないと考えたゆえだった。そういう意味では鳳龍の“教育の真似事”はその目的を達成してはいる。しかし鳳龍は、あまりスッキリしてはいない。
ㅤなぜなら、自分の意志をーー生き様を自分で決めたラヴが、もう鳳龍に縛られる必要は無いはずなのに、鳳龍のもとを去ろうとしないからである。
「いつも思うんですけど、朝食なんてキャンディのレーションで十分です。わざわざ前日から準備して調理なんてする必要ないですよ?」
「だめよそんなの、健康に悪いわ」
「栄養価もそんなに変わらないですし」
「私が言ってるのは身体じゃなくて、心の方」
ㅤ誰かの手料理って嬉しいものでしょ?ㅤと、まるでお母さんである。育てたと思っていたら逆に育てられている、とんだトラップだ。鳳龍は「はぁ」と要領を得ない返事だけを返した。
ㅤ完食する頃にはいい時間だった。今日はジミー楊からの呼び出しがあった。席を立つのと同時に「ごちそうさまでした」と無感情に言った。そして真っ直ぐ、部屋の隅のデスクに。全自動朝の支度が“あえて”準備したなかった銃を服の裏に仕込んでいく。ラヴが小さく「あ」と言ったが、聞こえないふりをした。
「じゃあ、仕事行ってきますね」
ㅤほとんど目を合わせることなく鳳龍は玄関に進み、靴を履く。
「ふぉ、鳳龍」
ㅤラヴがその後を追って、引き止めた。鳳龍はロック解除用のパネルに伸ばした手をピタリと止めて、首だけでラヴを振り返った。
「何か?」
「あ、あのね、やっぱり私、あんなお仕事はーー」
「三合会(トライアド)を辞めるつもりはありませんよ」
ㅤ鳳龍はラヴの言葉を遮って、先回りして言い放った。悲しそうなラヴの顔ーー前に鳳龍が自分の仕事にラヴを連れていった時と同じ顔ーーそれを目じりに。
ㅤいつも通りの仕事で、三合会の敵対組織の拠点に乗り込み、全員殺した。怯えたラヴに「もう大丈夫ですよ」と手を差し出したが、ラヴはそれを払い除けた。怖がられているのは自分だった。その時の顔だった。
ㅤそんな顔をするぐらいなら、そんなに人殺しが許せないのなら。
「だから私に朝食を作るなんて、必要ないと言ったんです」
ㅤ鳳龍は部屋を出た。残されたラヴはしばらくじっとしていたが、やがていつものような笑顔を取り戻した。
「お掃除、しないと」
ㅤ一方、楊の店に向かう鳳龍もいつものポーカーフェイスを取り戻していた。その裏で、脳裏にチラつくのは紫音のあの言葉。
ㅤフライパンをお玉で叩いてカンカンカンカン……。
「……うるせぇ」
ㅤベッドからどす黒い声が漏れる。一度起きたら二度寝はしない男ではあるが、朝はいつも低血圧気味でしばらくぼーっとしていることが多い。鳳龍の起床を確認したラヴはうんうんと満足そうに頷き、ぱんぱんと2回手を打った。彼女に従って、部屋中のDAKが作動し始める。ベッドが勝手に傾く。鳳龍が転げ落ちるが、これを別のロボットアームが受け止めて立たせる。そして着替えと、歯磨きと、洗顔と髪のセットが十数本のロボットアーム達によって並列に行われる。全自動、朝の支度。
ㅤ鳳龍といえばこの状況をよしとは思っておらず、眉間に深々としたシワを作ってはいるが、面倒なのか抵抗する様子はない。仕上げに、ロボットアームがこれでもかと言うぐらいゆっくり丁寧にサングラスをかけさせて、鳳龍をひょいと持ち上げて椅子に座らせる。待ち構えていたかのように、その前にラヴが朝食を出した。昨日から漬け込んでいたフレンチトーストとコーヒー。
「召し上がれ〜」
「………………」
ㅤ鳳龍は何か言いたげだったが、ついぞ言葉を思いつくことなく、しぶしぶと言ったふうにナイフとフォークを手に取った。ラヴはその様子を、鳳龍の正面の席に座って、両手で頬杖をついてニコニコと見守っている。
「どう、おいし?」
「ええ、まあ」
「そう、よかった」
ㅤ先の一件で記憶を全て失った紫音は、その意味ではもはや紫音ではなかった。九死の一生か、精神年齢や思考レベルは特に変わらず、鳳龍から説明された状況をすぐに受け入れた。それでも『自分は紫音である』という認識は既になく、無意味な0と1にバラけて世界中に散ってしまった紫音の記憶は自分のものでは無いという見解を強く持ち、新たにゼローーØ(ラヴ)と名乗り始めた。愛(ラヴ)に執着し、それ故に死んだ紫音を知る鳳龍にとっては、当てつけのような偶然だった。
ㅤ先述の通り鳳龍は、ラヴにはラヴが生まれるに至った経緯ーー紫音という名の少女の一生とその最期を教えていた。他にもこの世界のこと、このN◎VA(まち)のことも。おおよそ常識であることやラヴ自身の出自、突き詰めれば彼女が知っておくべきであろうと鳳龍の考えたこと全て。それはラヴが自立し、自分の意志をしっかりと持つに越したことはないと考えたゆえだった。そういう意味では鳳龍の“教育の真似事”はその目的を達成してはいる。しかし鳳龍は、あまりスッキリしてはいない。
ㅤなぜなら、自分の意志をーー生き様を自分で決めたラヴが、もう鳳龍に縛られる必要は無いはずなのに、鳳龍のもとを去ろうとしないからである。
「いつも思うんですけど、朝食なんてキャンディのレーションで十分です。わざわざ前日から準備して調理なんてする必要ないですよ?」
「だめよそんなの、健康に悪いわ」
「栄養価もそんなに変わらないですし」
「私が言ってるのは身体じゃなくて、心の方」
ㅤ誰かの手料理って嬉しいものでしょ?ㅤと、まるでお母さんである。育てたと思っていたら逆に育てられている、とんだトラップだ。鳳龍は「はぁ」と要領を得ない返事だけを返した。
ㅤ完食する頃にはいい時間だった。今日はジミー楊からの呼び出しがあった。席を立つのと同時に「ごちそうさまでした」と無感情に言った。そして真っ直ぐ、部屋の隅のデスクに。全自動朝の支度が“あえて”準備したなかった銃を服の裏に仕込んでいく。ラヴが小さく「あ」と言ったが、聞こえないふりをした。
「じゃあ、仕事行ってきますね」
ㅤほとんど目を合わせることなく鳳龍は玄関に進み、靴を履く。
「ふぉ、鳳龍」
ㅤラヴがその後を追って、引き止めた。鳳龍はロック解除用のパネルに伸ばした手をピタリと止めて、首だけでラヴを振り返った。
「何か?」
「あ、あのね、やっぱり私、あんなお仕事はーー」
「三合会(トライアド)を辞めるつもりはありませんよ」
ㅤ鳳龍はラヴの言葉を遮って、先回りして言い放った。悲しそうなラヴの顔ーー前に鳳龍が自分の仕事にラヴを連れていった時と同じ顔ーーそれを目じりに。
ㅤいつも通りの仕事で、三合会の敵対組織の拠点に乗り込み、全員殺した。怯えたラヴに「もう大丈夫ですよ」と手を差し出したが、ラヴはそれを払い除けた。怖がられているのは自分だった。その時の顔だった。
ㅤそんな顔をするぐらいなら、そんなに人殺しが許せないのなら。
「だから私に朝食を作るなんて、必要ないと言ったんです」
ㅤ鳳龍は部屋を出た。残されたラヴはしばらくじっとしていたが、やがていつものような笑顔を取り戻した。
「お掃除、しないと」
ㅤ一方、楊の店に向かう鳳龍もいつものポーカーフェイスを取り戻していた。その裏で、脳裏にチラつくのは紫音のあの言葉。
『やっぱり鳳龍は優しいよ』
「あなたの生まれ変わりは、そうは思ってないみたいですよ、紫音」
ㅤ独り言だった。あるいは、今この空間にも残っているであろう、紫音の記憶の欠片が聞き手かもしれなかった。
ㅤ独り言だった。あるいは、今この空間にも残っているであろう、紫音の記憶の欠片が聞き手かもしれなかった。