概要
全然4コマじゃないものを4コマであると定義したりする現代4コマの涙ぐましい努力も、観測者次第で「いやそんなことはないだろ」と一蹴されることは茶飯事。「一般的でない解釈は一部の人々の視点に限定され、現実的な解釈の域を外れてしまうのだ」とGPTモデルのAIも言ってる。
現代4コマは複雑に考えて4コマであることを理解させようとするので、その上で、感覚的にも理論的にも納得感を与える為には、世間一般のたいていの場合とは逆に、安直さが必要になる。安直なアプローチに、理論が紐づけば攻守隙がなくなって無敵だろうという考えである。
既に4コンマの記事などに詳しくはあるが、改めてアプローチを段階立てて説明する。
ともあれ安直さが第一である。4独楽も4コンマも4メンマも4個マも、語呂から勝負に入っている。人は物を名前をつけて覚える生き物である。名前の時点でそれがコマに似ているなら理屈を抜き取って、まあ似てるし……認めてやっても、まあいいか……くらいのゆるしの心になってくれるかもしれない。
あるいは「器」のように、見るからに4コマな要素を引っ張ってくる。
そうやって心理的な障壁をクリアする事で、4コマの概念の壁をぶち破ろうというのである。そしたら言い訳がましく説明に入ろう。やれ四個あるから4コマだとか、記号で区切りを表すから4コマだとか。コマの代替性を満たす物である事を示そうという姿勢が大事である。これは代替させてもらった物体に対する礼儀にも等しい。
こうやって、名も意味もコマなんだから4コマでいいじゃんと言い、そう思わせる主義がコマ名実主義である。