――――事態は切迫している。
キャスターの優秀な監視網から得た情報があるからこそ、実弟・光実をよく知るからこそ、
呉島貴虎はそう強く認識していた。
単に白亜のアーチャー陣営が同盟を組もうとしているというだけであればこうまで焦りを覚えることなどありはしない。
聖杯戦争ということなら有り得ない話ではないし、キャスターならば撹乱・分断の策などはいくらでも用意できる。
襲撃を一時見送らなければならなくなるにせよ、白亜のアーチャーへの対策も無駄になることはない。
「マスター、これは非常に不味い状況かと」
キャスターも現状の厄介さを十分に理解しているらしい。
それはそうだろう。今白亜のアーチャー陣営に接触しようとしているのは誰あろう
呉島光実なのだから。
光実が白亜のアーチャーを取り込んで何をするか、想像できない貴虎とキャスターではない。
前提として光実は貴虎がマスターである可能性を疑っている。
キャスターの情報収集の成果からもそれは明らかであるし、そもそも貴虎自身予選の頃から光実をマスター候補と疑っていたのだから逆はあって当然だ。
そしてもう一つ。これが最も重要なことだが光実は貴虎の居場所を知っている。
貴虎は自らがマスターであること、どこに拠点を構えているかを誰にも知られぬよう立ちまわっているが唯一つ例外が在る。
その例外こそ呉島光実に他ならない。優秀な光実なら貴虎がユグドラシルタワー自体を拠点にしている可能性にも気づけるだろう。
今までは光実も地力に劣るサーヴァントを従えているために無理をできなかったのだろうが、もし白亜のアーチャー陣営を味方につけたのなら話は変わる。
マスターである少女を口八丁で丸め込むことぐらい光実なら当然可能だろう。
加えて、あの少女はアーマードライダー龍玄に恩がある。仮面の下の正体を明かせば少女は光実を信用する可能性が高い。
そうして自分たちの手を汚さずして白亜のアーチャーをユグドラシルタワーに差し向ければ光実は労せずして自分たちを落とすことができる。
これこそ貴虎とキャスターが最も危惧すべき最悪のシナリオだった。
(危険を承知で今、動くしかないというのか……)
幸いにも光実と少女の自宅はまだそれなり以上の距離があり、今ならまだ対処するだけの時間的余裕がある。
しかし、オーバーロード・デェムシュやキャスターの使い魔を感知してのけたランサーなど、今のUPTOWNには不安要素が多すぎる。
加えて、白亜のアーチャーへの対策として投入する予定である精神防御礼装もまだ完成に至っていない。
座して死を待つか、多大なリスクを抱えても電撃作戦を仕掛けるのか。究極の二択を迫られる。
まさか楽観的な予測に全てを賭けるわけにもいかない。
「これは…!マスター、先のランサーとオーバーロードが交戦を開始しました!」
「何だと!?」
先ほど撃破されたことを鑑みて使い魔はかなり遠くからの監視に留めていた。
しかしつい今しがたビル群を高速で移動、遭遇を果たしたデェムシュとランサーを捕捉したのだった。
ハイレベルのサーヴァントとそれに伍する存在たるデェムシュの激突は両者一歩も譲らぬ激戦の様相を呈しており、どちらも使い魔の存在に気づいた様子はない。
つまり、今貴虎とキャスターが動き出したとしてもこの二騎に気取られる可能性は極めて低くなったということ。
懸案事項だった不確定要素が消滅とはいかないまでも大幅に減ったのだ。
「どうやら天運は我々に味方しているようだな」
ここに至り、ついに貴虎は決断した。
未だ準備は不完全だが、今ここで少女とアーチャーを鹵獲することを。
元よりユグドラシルの社内は完全に掌握しているためしばらく貴虎がいなくなったところで後からどうとでも記録は改竄できる。
加えて現場第一主義者である貴虎はよく社内の見回りを行っていたためよほど長時間社内を空けない限り怪しまれる可能性は低い。
「機は熟した…とは言い難いがこの機を逃すわけにはいかん。出るぞ、キャスター」
「はい。ですが礼装は今から急げば試作型が出来上がるという程度で完成度は予定よりも大幅に落ちますが……」
「構わん。それと、分断策が使えない以上プランを変更する必要があるな」
「どうされるのですか?」
キャスターの誰何に貴虎は今は偽装されている、令呪の宿った腕を示してみせた。
「この作戦は我々の今後を占う重要な一戦になる。貴重な切り札とて惜しまず投入するさ。
それから目標の自宅周辺の監視を強化してくれ。最善を果たすことは難しいが、だからこそここは次善を尽くす。
我々の動きを発見する者がいれば、可及的速やかにこれを捕捉する態勢を作るんだ。素性も能力もわからぬ主従に奇襲されることは極力避けたい」
「わかりました」
具体的な作戦行動を煮詰めることに関してはキャスターよりも
ヘルヘイム対策指揮を執っていた貴虎に一日の長がある。
「ある場所」に竜牙兵を一体向かわせるなど時間の許す限り作戦を煮詰め、出撃の準備を整えていった。
▲
「マスター、準備が整いました」
「わかった」
竜牙兵の移動にも使われる搬入口から貴虎とキャスターは出発することにした。
飛翔の魔術と周囲への認識阻害を併用することによって空から一気に目標の自宅まで移動する算段だ。
貴虎は懐に仕舞っていたメロンロックシードを取り出し、起動した。
「変身」
『メロン』
貴虎は生身の姿を晒して移動するつもりなど毛頭ない。
ここから先は仮面を被り、正体を秘して動く。そのための変身。
『ロックオン!』
ロックシードをベルトにセット。聞き慣れた電子音声が鳴る。
同時に、貴虎の真上にファスナーが開いたような丸い穴(クラック)が出現。さらにクラックから緑の果実が姿を現した。
貴虎は思う。この発明、戦極ドライバーは本来なら人間同士の戦争に用いられるべきものではなかった筈だと。
人類の未来を切り開く、夢を託したドライバーだった筈なのだ。
しかし聖杯戦争という盤上では戦極ドライバーは単なる人殺しの道具、強力な兵器に成り下がってしまった。
そして自身もまた戦争のためにこの力を使っている。我ながら度し難い限りだ。
それでも、この力で戦うのだ。為すべき事から逃げ出すという選択肢は呉島貴虎の中には最初から存在しない。
普段よりも力を込めて、カッティングブレードを倒す。
変身を完了させるための、最後のプロセスだ。
『ソイヤッ!メロンアームズ!天・下・御・免!!』
頭部から果実を身に纏い、呉島貴虎の姿は異形の戦士へと変わる。
アーマードライダー斬月・メロンアームズ。いざ、出陣。
▲
――――空気が変わった。
アーチャー、
暁美ほむらは嫌な予感から霊体化を解き仮初めの肉体を実体化させた。
「何してるんだよ、通りでいきなり姿を見せたら」
「その心配はいらないわ。気づかない?さっきから人の姿が全く見当たらなくなってる」
アーチャーの言葉にそんな馬鹿なと思いつつ辺りを見回すが――――確かに誰もいない。
つい先ほどまでは、まばらではあっても通行人の姿があった筈にも関わらず。
どういうことだと光実が思案しようとしていた時、建物や塀の影から無数の異形がカタカタという音とともに二人を取り囲んだ。
「こいつら、何だ……!?インベスとは違う……!」
「使い魔の類かしら。何にせよ、タイミングが悪いわね」
光実とアーチャーの前に立ちふさがったのは骨で形作られた兵隊のようだった。
形は様々で、四足歩行のものもあれば大剣や弓、二刀の短剣を持った個体もある。
サーヴァントの姿は見えないし検知もできないが、何者かの差金であることは間違いないだろう。
あと一キロほど歩けば
前川みくと接触できたというのに、こんな時に敵襲とは。
「いつどこからサーヴァントが出るかわからない。注意しなさい」
「言われなくてもわかってる。変身!」
『ブドウ』
何であれ、ここで殺されてやるつもりなどは毛頭ない。
手慣れた手つきで即座に戦極ドライバーを装備し、ブドウロックシードを起動した。
ゲネシスドライバーは使わない。敵の狙いがこちらの手の内を探ることだとすれば、迂闊な使用は向こうの思う壺だ。
『ロックオン!』
ロックシードをセットし、クラックからブドウの果実が出現する。
すると使い魔たちが変身などさせぬとばかりに一斉に襲いかかってきた。
『ハイィ~!ブドウアームズ!龍・砲!ハッハッハ!』
しかし、光実に飛びかかってきた使い魔を鋼の果実が回転しながら迎撃。使い魔は呆気無く砕け散った。
そして果実は全身を包む鎧となり、アーマードライダー龍玄への変身が完了した。
瞬時にブドウ龍砲を発砲、エネルギー弾が正面から躍りかかってきた使い魔を粉々に粉砕した。
アーチャーはといえば、両手に持った拳銃を巧みに操り光実をして感嘆するほどの体捌きで次々と使い魔を破壊していた。
戦闘開始だ。敵サーヴァントの奇襲に注意しつつ、しかし確実に使い魔を屠っていかなければならない。
▲
――――また一人、誰かが出掛けたか。
白亜のアーチャー、正義の名を冠する彼女はマスターたる前川みくの住むアパートからまた一人誰かが出て行くところを確認した。
別段、NPCの行動や嗜好に興味などはない。ただ、上手くは言えないが何かが妙だとは感じた。
警戒しすぎか……いや、マスターのことを思えばいくら警戒していても不足ということはない。
ちらりとみくの部屋を見やると窓ガラス越しに携帯電話を操作しているらしいマスターの様子が見えた。
警戒を呼びかけようかとも思ったが邪魔するのも気が引けるのでやめておくべきか。
そう考えていた時、
ジャスティスのセンサーが魔力、いや魔術行使の気配を検知した。
ジャスティスには効果の及ばない類の術だがみくのアパートを含めた広範囲に渡って散布されている。
少し前まで霊体化していたこともあって、気づかないうちに魔術の効果が浸透していたのか。
何であれ、マスターであるみくがこの一帯に留まり続けるのは明らかに不味い!
(マスター、敵襲だ!すぐにそこから離れろ!)
(え、アーチャー、敵襲って……あ…な、に、これ……」
(マスター!?)
念話が途切れる。見れば、部屋の中にいるみくが携帯電話を手放し昏倒している様子が見受けられた。
レイラインが途絶したわけではないため、命に別状はなさそうだがあれでは当然逃げることもできない。
ジャスティスが抱えて逃げ出すこともまたできない。
「まさかこうも上手くいくだなんてね。仮にも聖杯に見初められたマスターなら魔術対策の一つや二つ打っていて当然と思っていたのだけど」
「………キャスター、か」
何故なら、上空にローブを被った如何にも大衆がイメージするところの魔女といった出で立ちのサーヴァントが現れたからだ。
アパートの住人たちが次々とここを離れていたのもこの女の魔術に依るものだったに違いない。
そしてみくがピンポイントで魔術によって意識を奪われたことから考えて、既に彼女がマスターであることは知られている。
さらに空を飛べるのなら、ジャスティスがみくを抱えて逃げようとしても容易く撃墜できる。
対魔力を備えるジャスティスはキャスターの魔術を弾けるがそれとて絶対というわけではないし、みくを狙われればどうしようもない。
ならば、可及的速やかに撃滅してここを離れるのみだ。
魔力放出。瞬きのうちに空中にいるキャスターとの距離をゼロにし横薙ぎにミカエルソードを振るい、その身体を切り裂いた。
だが、斃せていない。斬り伏せたはずのキャスターの姿は既にジャスティスの目の前にはなく、地上に移動していた。
空間転移。極めて高度な大魔術を準備もなく一瞬にして成したというのか。
「あら、怖いわね」
「大した術者のようだが、無謀だぞキャスター。お前では私に勝てない」
キャスターと同じく地上に降り立ったジャスティスの言は驕慢でも油断でもなく紛れも無い事実だ。
強大な魔術師のサーヴァントといえど対魔力スキルを有する三大騎士クラスのサーヴァントには勝てない。
さらに言えば魔術師は戦闘者ではない。正面対決というフィールドで、戦場で名を馳せた騎士クラスの資格を持つ英雄たちと戦えば当然、分は悪い。
ジャスティスとみくの素性を下調べしてきたにしては軽率に過ぎる行動と言わざるを得ない。
――――ただし、それは正しく一対一の尋常な果たし合いだった場合の話である。
暗い路地から人影が一つ。その人影は鎧武者と形容するのが相応しい姿だった。
左手に大型の盾を、右手に刀剣を持った白い仮面の戦士。しかしそれ以上にジャスティスが注目したのは腰に付けたベルトだ。
先ほど遭遇したマスターである緑の戦士が身につけていたベルトと全く同じものを装備していた。
「まさかマスターが前衛を張るつもりか?私を相手に?」
「その気がなければここにはいない」
よく見てみれば白い戦士は全身と武装から魔力が感じられる。先の緑の戦士とは違い魔術的強化(エンチャント)を受けていることは明らかだ。
ジャスティスの宝具の一つ「叛逆の王(ギルティギア)」にも何らかの対策を施してきたのかもしれない。
だが、まだ足りない。あちらも同様の認識だったのだろう、白い戦士が令呪発動の命令(コマンド)を解放した。
「令呪を以って命じる。この一戦の間対魔力スキルを打ち破れ」
「承りました、マスター」
令呪のバックアップを受けたキャスターがジャスティスへ魔術攻撃を放つ。
四発放たれた魔力弾は全てがAランク相当の魔術。しかしジャスティスはミカエルソードで全てを防御した。
されど、「防御しなければならなかった」。今のキャスターにはジャスティスの対魔力をも無効にする概念のようなものが付加されている。
三騎士クラスがキャスターに対して有利となる要素を令呪によって打ち消す。敵ながら上手い使い方だと認めざるを得ない。
キャスターに反撃を行おうとしたジャスティスを遮るようにして白い戦士、アーマードライダー斬月が盾を構えて間合いを詰める。
元々の斬月自体の人間の域を超えたスピードにキャスターの強化が合わさった加速は最早サーヴァントと同じステージに在る。
振るわれたミカエルソードを大盾・メロンディフェンダーで受け止める。当然のようにジャスティスに押し込まれるが、逆に言えば押し込まれるに留めている。
「…なるほど、ただの自惚れで私と相対したわけでもないか」
「あまり人間を侮ってもらっては困る」
無論、ジャスティスは手加減などしていない。許される魔力消費の範疇内とはいえ全力で斬月を屠ろうと剣戟を見舞っている。
だが斬月はジャスティスの予想を上回る強者だった。アーマードライダーの力とキャスターの魔術支援によって辛うじてジャスティスと同じ領域で戦えるパワーと装甲。
加えて変身者である呉島貴虎自身の培った技量と戦術眼で、圧倒されながらもジャスティスの攻撃を受けきってみせている。
敵の攻撃を見切り、後の先を取ることに長けた貴虎だからこそ成し得る奇跡だ。
(だが、こいつは何故私に立ち向かえる?キャスターの仕込みがあるとしても私の宝具を完全に防げるとは思えん。
あるいは、あのライダーと同じ狂人の類なのか?)
何故、斬月はこうもジャスティスに肉薄し真っ向から近接戦闘を繰り広げることが可能なのか。
スペックや技術の話ではない。ジャスティスが疑問を抱いた通り、精神的な問題だ。
キャスターは自身に精神防御魔術を施すことによって「叛逆の王(ギルティギア)」の影響をある程度軽減している。
しかしマスターである斬月はそうはいかない。キャスターが用意した試作型の精神防御礼装の効力で多少は影響を抑えているがそれだけだ。
しかし事実として斬月は堂々とジャスティスに立ち向かっている。ジャスティスに対して怯み、竦んだ光実との違いは何なのか。
無論、貴虎は「叛逆の王(ギルティギア)」を無効化しているわけではない。
絶えずジャスティスが放つ破壊神のプレッシャーに晒され、身体能力も削ぎ落とされている。
貴虎はただ、ひたすらに耐えているだけだ。ジャスティスの攻撃に、威圧感に。
ノブレス・オブリージュ。人々を守るために力を尽くす、呉島貴虎を形作る強固な信念。
地球がヘルヘイムの侵略に晒された時も、オーバーロードの王ロシュオの絶大な力を目の当たりにしても尚捨て去ることのなかった信念が貴虎に膝を屈させない。
「はあああああっ!!」
斬月の渾身の反撃を一歩も動かず受け止めるジャスティス。
無双セイバーとミカエルソードが火花を散らし、すぐにジャスティスが膂力のみで斬月を吹き飛ばした。
そのまま吶喊しようとした時、キャスターが現代人は元よりジャスティスにさえ聞き取ることのできない発音で呪文を紡いだ。
「………っ!」
目に見えない何かが重石になったようにジャスティスのあらゆる動作速度、パワーが一段階落ちた。
重圧の魔術によってキャスターがジャスティスの能力を削ぎ落としたのだった。
本来なら対魔力で無効化ないし大幅に減衰できるのだが、キャスターが令呪のバックアップを受けている今は直撃を免れない。
キャスターからすればジャスティスがこちらの力を削いでくることは百も承知。ジャスティスの宝具を防ぎきれないならこちらも相手の能力を落とせばいいのだ。
続けて放たれた攻撃魔術。どれもが当たりどころ次第で大きな痛手になる大魔術をジャスティスは高速移動で回避。
回避した先に、復帰した斬月が一気に迫り無双セイバーを振るった。
再び無双セイバーとミカエルソードがぶつかるが、今度は先ほどのようにジャスティスが斬月を圧倒することはできない。
無論未だパワーではジャスティスの方が上だが、単純な腕力のみで押し切ることはできない程度には両者の差は縮まっていた。
業を煮やしたジャスティスが法力を解放、バーストで斬月を吹き飛ばす。
さらに魔力放出で超加速し背後から斬月を切り伏せようとするも、マスターのそれとは思えぬ反応速度で防がれた。
「生憎だがそれは知っている」
ジャスティスと
バットマンの戦闘を見知っていた斬月はバーストを使われる寸前にメロンディフェンダーを構え地面に踏ん張っていた。
解放された法力をメロンディフェンダーが一種の光学兵器と認識し、電磁シールドを展開して衝撃の過半を殺していたのだ。
これにより吹き飛ばされながらも転倒を免れ、続く魔力放出での強襲にも辛うじて反応することができた。
聖杯戦争とは情報戦でもある。互いの手札を知っているか否かの差が徐々にジャスティスを苛みはじめていた。
全力での一手を防がれ逆に不意を突かれる形になったジャスティスの僅かな隙を見逃さず振るった無双セイバーの斬撃がついに彼女のボディを捉えた。
とはいえ、重厚な装甲を誇るジャスティスだ。魔術による強化を受けた無双セイバーが命中して尚ごく僅かな傷しかつかない。
しかし、傷は傷だ。この聖杯戦争において無敵を誇ってきたジャスティスが初めて明確な、誰の目にも明らかな大きさの傷を負った。
「…ようやく、一撃か」
斬月の仮面の下で貴虎は確かな手応えと、そして同時に改めてジャスティスの筆舌に尽くし難い強大さを認識していた。
目の前に立つアーチャーは紛れも無くトップクラスのサーヴァントだろう。全力さえ解放できれば今回の聖杯戦争でも最強ですらあるかもしれない。
だが決して無敵の存在ではない。傷を追わないわけでもなければ不死身でもない。
それでも、強大な存在であることには何ら変わりない。
事前の情報収集で見知った手札に対策として用意した魔術礼装、令呪一画を切ったブーストに敵の能力を削ぐ大魔術。
予選期間から溜めに溜めた莫大な魔力量に物を言わせた魔術による攻勢にユグドラシルの技術の粋を結集、さらに強化魔術をも重ねたアーマードライダー。
これだけの手を尽くしてようやく傷を一つ与えただけ。これが英霊か、これが聖杯戦争か。
ジャスティスもまた、敵の周到さと刻一刻と悪化する状況に危機感を募らせつつあった。
これまでのキャスターと白い戦士の対応を見る限り、最初のライダーとの戦いや怪物からみくを救った場面は間違いなく筒抜けになっている。
加えてキャスターの魔術の技量も白い戦士の粘りも相当なレベルにある。他者を容易く強化する魔術支援も相まって、白い戦士は緑の戦士とはまるで次元の違う強さだ。
とはいえ、十全な魔力供給さえ受けられれば。本来のスペックさえ発揮できれば間違いなく勝てる戦いのはずだ。
いや、勝てるという表現さえ適切ではないか。本来なら勝負すら成立させずに塵に帰せるほどのパワーが、火力がジャスティスにはある。
今のジャスティスはほとんど魔力供給を得られないばかりか、切り札の令呪による支援すら封殺されている有り様だ。
みくの詳しい容体が分からない今、迂闊に彼女から魔力を吸い上げるわけにもいかず、結果自らの保有魔力のみでの戦闘を余儀なくされている。
当然のことながら、戦闘が長引けば長引くほどジャスティスの魔力総量は目減りしていく。
つまり均衡・接戦の状況が続くほどに天秤はキャスター主従に傾いていくということだ。
最早リスクを踏まずに戦況を打開することはできないと考えるべきだろう。最強宝具は使えないまでも、いくつかの武装を限定解除して殲滅する他ない。
これまでジャスティスは徒手空拳かミカエルソードを使った近接戦闘しかしていない。この事実をこそ武器にする。
すなわち、相手は自分のクラスをセイバーと誤認している可能性が高い。その一点に賭ける。
万に一つ撃ち漏らしたとしても、隙さえ作ればアパートにいるみくを回収して離脱する目も出てくる。
決断するや魔力放出の加速で一気に距離を取り、TNT数t分の威力の爆発に相当する炸裂弾N.Bを連続で発射した。
これまでの戦い方から一転してアーチャーとしての攻撃にシフトしたのだ。敵がこちらのクラスを誤認していれば意表を突けるはずだ。
ジャスティスの期待とは裏腹にキャスターは動じた様子もなく聞き取れない発音で魔術を発動、盾とも結界とも取れる魔術障壁によって敵主従を狙ったN.Bの爆発は容易く防がれた。
コルキスの王女メディアが操る防御魔術の強度は世界最大級の英雄ヘラクレスの無敵の肉体にも匹敵する。
たかだかTNT数t分の威力ではとてもではないが突破することは叶わない。
「侮らないでほしいわね、弓兵(アーチャー)。この程度なら防ぐなど造作もないわ」
キャスターのあまりに的確な対応に射撃兵装による攻撃は読まれていたことを悟った。
とはいえ、ジャスティスとてこうなることを一切予期していなかったわけではない。
使いたくはなかったが、今の魔力で使える最大最後の火力を解き放つしかない。
ジャスティスの頭部からキャスター目掛け強烈な閃光が放たれ、展開されていた魔術障壁と衝突した。
先ほどのN.Bとは段違いの威力を誇るレーザー攻撃、インペリアルレイの光が瞬く間にキャスターの障壁に罅を入れていく。
焦りを覚えたキャスターが懸命に魔力を込めるが防ぎきれない。
(不味い……!どこにそんな魔力が残っていたというの!?)
砕かれた盾。迫り来るインペリアルレイの光条。転移魔術も間に合わない。
「やらせるものか!!」
不意に、キャスターの視界が白い背中に覆われた。
メロンディフェンダーを構えた斬月がキャスターとインペリアルレイの間に割って入ったのだった。
強力なエネルギー攻撃を検知したメロンディフェンダーが電磁シールドを展開、インペリアルレイの残滓を受け止める。
僅かな拮抗の後、急速にレーザーの勢いが弱まり、やがて完全に途絶えた。
ジャスティスの放ったインペリアルレイは元々魔力供給の不足からカタログスペック通りの威力を出しきれてはいなかった。
加え、キャスターの魔術障壁を破った代償に大幅に威力の減衰したインペリアルレイでは防がれて当然だった。
(キャスター、私が隙を作る!奴に最大火力を叩き込め!)
(は、はい。わかりました)
貴虎は大技を破られた直後にあるジャスティスから感じられるプレッシャーが弱まり、動きも目に見えて鈍くなったのを鋭く察知した。
サーヴァントを存在させているのは魔力であり、魔力の著しい不足はすなわち存在そのものの劣化を引き起こすことは予選の頃にキャスターから聞かされていた。
マスターに開示されるサーヴァントのステータスとは十分な魔力を持ったピーク時のものであり、魔力が不足すれば際限なく劣化していくことも。
ならば、相手が多量の魔力を浪費した今こそが好機。反撃の時は至れりとばかりに斬月が戦極ドライバーのカッティングブレードを操作した。
『ソイヤッ!メロンスカッシュ!』
電子音声と同時、斬月が左手に保持していたメロンディフェンダーを渾身の力で投擲した。
無論、ただの投擲ではない。ロックシードのエネルギーを付与した、インベスの強固な外殻さえ破り爆散させる必殺技・メロウブラストだ。
さらにキャスターの強化魔術によって、メロンロックシードのエネルギーとメロンディフェンダー本体、そして投擲する斬月自身の膂力の全てが段違いに強化されている。
そして神秘が付与されている以上、龍玄のドラゴンショットとは違いサーヴァントを傷つけ殺傷することができる。
インペリアルレイを撃ち魔力を大量消費した直後故の僅かな硬直、そして動揺を突かれたジャスティスには回避する術がない。
せめて堅固な両腕の装甲でガードし魔力放出で弾き飛ばそうとするが――――思うように出力が上がらない。
(魔力、切れ――――――――)
これまでどうにか内蔵魔力で戦ってきたジャスティスだったが、ここにきて決定的な魔力不足の状態に陥った。
魔力の切れ目はまさしく命の切れ目。ジャスティスほどの絶対的強者であろうとも、サーヴァントである限り決して逃れられない宿命だった。
著しい魔力不足の状態に立たされたことで基本ステータスそのものの低下をも引き起こしてしまっている。
しかし流石は破壊神、両腕に大きなダメージを負いながらもメロウブラストを弾いてのけた。
が、斬月からしてみれば必殺技が捌かれることなど当然予見していたことに過ぎず、故に次の一手を用意しないわけがない。
「……キャスター!」
「終わりよ、アーチャー」
宙空に浮かび上がったキャスターが描いた魔法陣から機関銃の如くしてAランク相当、あるいはそれ以上の魔力弾が掃射された。
大魔術の発動に数十秒以上の詠唱を必要とする現代魔術師が見れば卒倒しかねない光景であろう。
メロウブラストを防いだ直後では十全な回避・迎撃はままならず、総火力ならインペリアルレイにも比肩する暴力的な火力が次々とジャスティスの白亜のボディを抉り取っていく。
満身創痍になりながらも未だ膝を屈さぬのは最強のギアとしての戦闘続行能力が成せる業か。
『メロンスパーキング!』
まるでジャスティスの圧倒的タフネスを見越していたかのように、斬月が必殺技を起動。
空高く飛び上がり、ロックシードのエネルギーを脚部に集めた無刃キックを放つ。
翡翠の流星となった斬月のライダーキックに対し、咄嗟にバーストで押し返そうと試みるジャスティス。
「はああああああああああ!!」
一瞬の拮抗の後バーストは破られ、剣や鉤爪を生成できないほど損傷した両腕をクロスしガードしたが敢え無く破砕され白亜の胴体に無刃キックが直撃した。
必殺技の炸裂による爆発と共にジャスティスの巨体が吹き飛ばされ、ついに地に倒れ伏した。
「ぐぅっ……!」
必殺技を放った斬月も膝をつき、変身が解除され生身の貴虎の姿が表出した。目に見える外傷はないが、疲労から肩で荒く息をしている。
精神力で耐えぬいたとはいえ、「叛逆の王(ギルティギア)」によるプレッシャーに常時晒されていたために五分にも満たぬ戦闘の間にも急速にスタミナを消耗していたのだ。
加えてアーマーに何度か命中していたジャスティスの攻撃は容赦なく貴虎の肉体にダメージを蓄積させており、インペリアルレイを防いだ衝撃がそれをさらに後押しした。
疲労、ダメージの両方が限界に達しつつあった中での大技の連続使用は最強のアーマードライダーたる貴虎をしても負担が大きすぎた。
このため、無刃キックを撃った直後に装着者を負荷から守るためにシステムが強制的に変身を解いたのだ。
「マスター、ご無事ですか!?」
「…私なら大丈夫だ。それよりもアーチャーとマスターを捕縛しろ」
即座にキャスターが施した治癒魔術でいくらか回復した貴虎は健在をアピールし、キャスターに指示を出す。
無言で了承したキャスターは両腕を失ったジャスティスを魔術で拘束、油断なく接近していった。
「……しかし、対策を準備し圧倒的な優位を築いて二対一で仕掛けてもこれか」
改めてよく作戦が成功したものだと思う。
貴虎とキャスターは魔術で意識を奪った前川みくには目もくれずジャスティスに攻撃を集中した。
情けや甘さでマスターを狙わなかったのではない。狙うことができなかったのだ、ジャスティスがあまりにも強すぎたために。
ほんの一瞬であっても片手間に相手をしようとすれば即こちらの喉笛を噛みちぎるほど鋭利な牙を持つ強敵だ。
斬月なりキャスターなりがみくを確保しようと動けば必ずその間隙を突いて突破してくる。そういう確信を抱かせるサーヴァントだった。
だからこそ、総力を挙げてジャスティスにダメージを与え十分に弱らせておく必要があったのだ。
それとて殺すつもりでかからなければ自分たちもどうなっていたことか。
魔力が枯渇したジャスティスに攻勢をかける際、貴虎は完全にジャスティスを殺す気で攻撃していた。
実際、ジャスティスが咄嗟にガードして衝撃を殺していなければ無刃キックが霊核を傷つける可能性もないわけではなかった。
というより、普通のサーヴァントが相手なら間違いなくオーバーキルな攻撃である。
剣を交える中で生半可な気持ちで攻撃して捕縛できるような相手ではないと悟ったのだ。
殺す気で全霊の火力を叩きつけ、結果的に捕縛できた。そういう気概でなければ勝敗は逆転していたかもしれない、と貴虎は確信していた。
「もっともそれだけの力を持つサーヴァントを支配下に置けることは聖杯への大きな一歩だろうがな」
▲
ジャスティスは自らが敗北したという事実を厳粛に受け止めていた。
地に倒れた彼女を縛る鎖は万全ならともかく今の損傷度合いと消耗では破ることは不可能だ。
そして何故敗れたのか、という事についても既に答えを得ていた。つまりはマスターの差だ。
彼我の魔力保有量の差、諜報能力や事前準備といった条件による有利不利は確かにあっただろう。
しかし何よりも明暗を分けたのはマスターの能力と決意の差があったからだ。
サーヴァントはマスターの指揮によって最大限、ないしそれ以上の力を発揮することがあるという。
自分には関わりのない話だと思っていたが、なるほどこうして結果を突きつけられれば認めざるを得ない。
前川みくは先ほど、確かにジャスティスと一個の人間、生命体として向き合う決心をし、聖杯戦争にも向き合う覚悟を固めた。
今まで現実逃避じみた行動ばかりを繰り返してきた過去を思えばそれは誰の目にも明らかな前進だった。
だが言ってしまえばその程度の決意は聖杯戦争に臨むマスターならしていて当然という程度のことでしかなく、さらに言えば今までマスターとして何もしてこなかったという事実が消えるわけではない。
前川みくは何も積んでこなかった。何もしていなかった。ましてや特別な技能もない。
そんな小娘の決意一つが呉島貴虎の積み上げた覚悟に、研鑽に、準備に届くはずがない。
戦う前から、ジャスティスという圧倒的個の戦術的優位でさえ覆せないほどの戦略的敗北を喫していた。
ならばこそこの結果は必定ではあった。
「無様ね、アーチャー」
勝ち誇った様子でキャスターがジャスティスを見下ろす。みくはキャスターの腕の中にあり、趨勢を見せつけるかのようでもあった。
もう何をしても状況一つ動かせない瀕死、消滅寸前の重体だ。ならばキャスターの態度は油断でも驕慢でもなく勝者の余裕と形容すべきものだ。
何ならとどめを刺されずとも半日も経てば魔力枯渇で消えるような状態だ。わざわざ無駄な手間をかけて殺しにきたか、と考える。
「言い訳や命乞いをするつもりはない。殺せ」
「早合点が過ぎるというものよ。貴女にはこれから存分に役立ってもらうのですからね」
「……何?」
不意に、悪寒を覚えた。何か取り返しのつかない事態になる予感がする。
ジャスティスの思考を裏付けるかのようにキャスターが一本の歪な形状のナイフを実体化させた。
格こそ高くはないが見間違えようもない。この短剣こそがキャスターの宝具だ。
真名を解放。突き立てられた宝具。
マスターとサーヴァントを繋ぐ術式が、契約が根本から覆されていく苦痛がジャスティスを襲う。
「ぐ、がぁあああああ――――――――!!!」
悶えながら、ジャスティスはマスターとサーヴァントの契約権たる令呪がみくの手から消え、あろうことかキャスターに移る様を見た。
キャスターは契約の移行が済んだことを確認すると令呪を移植した左腕を掲げた。
「令呪を以って命じます。以後私と私のマスターに従いなさい、アーチャー。
重ねて第二の令呪を以って命じます。私と私のマスターに対し害をなす、ないし不利益を齎す言動、行動の一切を永久に禁じます。
害、不利益を齎すとは知ることを話さない、翻意を隠す、嘘をつくといった行動全てを含みます」
莫大な魔力がジャスティスに供給されると同時に、二画の令呪の強制が働いた。
一般的にサーヴァントの意に反する令呪行使は対魔力次第で効果が減少、場合によって無効化される、また曖昧で長期的な命令ほど効果が薄くなるとされている。
だがそういったセオリーが適用されるのは近現代の魔術師であり、例外というものは常に存在する。
根源と共に在った神代に生きた魔術師にしてキャスタークラスに該当する英霊でもトップクラスに位置する王女メディアにそのような原則は通用しない。
何故なら令呪の効力とは使用者の魔術の力量次第で増減するからだ。
キャスターが発した令呪ならランクBの対魔力を持つジャスティスにすら一切の反抗を許さない埒外の効果を発揮する。
「…反則技だな、キャスター。サーヴァントがサーヴァントを使役しようというのか」
「あら、魔術師がサーヴァントを従えることに何の不都合があって?
このお嬢さんのような魔術回路も持たぬ人間がマスターであるよりよほど理に適っているでしょうに」
「ならば、何故マスターを生かす?」
ジャスティスはキャスターが未だみくを殺さぬことに疑念を覚えていた。
キャスターによって令呪に酷似した何かを移植されたせいなのか、サーヴァントと令呪の両方を失ったにも関わらず消滅する兆候が見られない。
いや、よくよくレイラインを感じ取ってみればみくとの魔力供給のラインは残っている。
何にせよ上手い手だ、と敵ながら感心するしかない。
みくを殺したなら、彼女の命が既に失われたなら令呪の束縛があろうと思いきり抵抗しようという気にもなれた。
何もできず殺されるのだとしても、奴らに痛手や出血を強いることはできる。
しかしこうして人質に取られてしまっては令呪に関係なく迂闊な真似をすることができない。
なまじみくが無事であるという事実がジャスティスを縛る第三の鎖になっている。
「それは私が答えよう。…が、今は場所が悪い。
すぐに引き上げるぞ、キャスター。光実に感づかれてはいないか?」
「今しがた足止めに差し向けた竜牙兵が殲滅されたところです。
それから擬似令呪の移植は滞り無く済みました。ですが何時聖杯に感づかれ干渉されないとも限りません。まだ予断の許されない状況かと」
「わかった、引き続き経過の観察に努めてくれ。
撤収するぞ、長くこの場に留まるわけにもいかないからな」
キャスターが恭しく頭を垂れ従うと、魔術によって四人の姿は余人から隠蔽された。
後には半壊したアパートやコンクリートを抉られた路地だけが残った。
最終更新:2016年05月07日 18:17