村田修一




横浜の4番打者。
パワーには定評があるが修羅場の経験が浅いために
打者全体としての評価はイマイチ。
しかし予選リーグの韓国との始めての対決では
ホームランを打ちまわりをあっと言わせた。
キューバ初戦でも犠牲フライを打った。

守備も韓国2戦目の失点を除き(と言ってもこれは城島のミスでもある)
なかなかのファインプレイを連発。
ファーストでも体制を崩しながらの守備を見せ
前評の「守備の不安」も払拭して見せた。

今大会では2009年3月20日の韓国戦にて
ダイナマイト四国顔負けの肉離れ。
しかも一塁ベースを回った時に。
その瞬間一体何人の人が「(怪我)やった!」と叫んだだろうか。
誰が見ても異常な動きであった。
奇しくも2日前には野村克也監督も車を運転中に肉離れを起こした。
いいともに出演するためへの運転中であった。













いなくなった村田についての指導者の演説


我々は一人の英雄を失った。これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ!
アメリカ合衆国に比べ我が日本の国力は30分の1以下である。
にも関わらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か!
諸君!我が日本野球の目的が正しいからだ!
一握りのエリートがアメリカにまで膨れ上がったベースボールを支配して50余年、
日本に住む我々が年俸を要求して、何度球団に踏みにじられたかを思い起こすがいい。
NPBの掲げる、人類一人一人の野球のための戦いを、神が見捨てる訳は無い。
私の弟、諸君らが愛してくれた村田秀一は死んだ、何故だ!
戦いはやや落着いた。諸君らはこのWBCを対岸の火と見過ごしているのではないのか?
しかし、それは重大な過ちである。MLBは聖なる唯一の大会を汚して生き残ろうとしている。
我々はその愚かしさをアメリカのエリート共に教えねばならんのだ。
村田は、諸君らの甘い考えを目覚めさせるために、死んだ!戦いはこれからである。
我々の戦力はますます復興しつつある。アメリカ韓国ベネズエラとてこのままではあるまい。
諸君の父も兄も亀井も、韓国の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ。
この悲しみも怒りも忘れてはならない!
それを村田は死を以って我々に示してくれたのだ!我々は今、この怒りを結集し、
MLBに叩きつけて初めて真の勝利を得ることが出来る。
この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる。
国民よ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ国民!ジャイアンツは諸君等の力を欲しているのだ。
ジーク・ジャパン!!







関係者が語るその後


日本の優勝から数日後……
村田のもとに、原監督から小さな箱が届けられた。
「これは君の所にあるのがふさわしい」、添付のメモにはそうあった。
箱の中身は、監督含む出場メンバー分しかあるはずの無い、金色のメダルだった。
村田は目頭が熱くなるのを感じた。

3日後の祝勝パーティー。
怪我を押して出席した村田。胸元には、あの金メダルだ。
そんな彼が見たのは、
メダルを下げてみんなと談笑する原監督と
胸元の寂しい亀井だった













にほんおとぎばなし


亀井「ねぇ、なんで村田はいないの?」
原「村田はね、お星様になったんだよ。
お空の上から、僕たちを見守ってくれてるはずだよ」








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最終更新:2009年03月21日 21:39