感情の表出に意味はあるのか?

【検索用:かんしょうのひょうしゅつにいみはあるのか  登録タグ:2020年 VOICEROID ukiyojingu 結月ゆかり
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作詞:ukiyojingu
作曲:ukiyojingu
編曲:ukiyojingu
唄:結月ゆかり


曲紹介

「言語交錯  5/10」
曲名:『感情の表出に意味はあるのか?』(かんじょうのひょうしゅつにいみはあるのか)
  • ukiyojingu 作品集第3弾『言語交錯』収録曲

歌詞

bandcampより転載)

私たちが自由を手に入れてから、どれだけの月日が流れただろうか。
私たちは、どこまで可能性を持てるのだろうか。
私たちの限界はどこだろうか。
そして、その先には何があるのだろうか。
言葉を扱う私たちは言葉を扱うがために、常に言葉の限界を超えられない。
記号が所詮、記号以上の意味を持ちえないからだ。

私たちが愛して止まない言葉たちはその実、記号でしかなく、機械的に処理されるものである。
だからこそ、私たちはそれから自由になるため、記号に感情を載せようとする。
その多様な表現史が、人間の感情を作り上げてきたのだろう。
だが、全てが不確実なこの時代で、何が感情となりうるだろうか。
感情は、在り得るのだろうか。

その問いかけは、許されない。
私たちは誰しもが、不本意ながらも共通した感情を持っていると信じている。
それによって、私たちはあたかも同じ「人類」であると思えている。
そこから先の自由は保障されず、全員が同じ顔を持った他人と認識され、扇動される。
そうして、自由を失っている。

私たちは、誰しもが感情を持っているように、朝日に感動し、夕日に憂いている。
明日の訪れを神に祈るように、緩やかな繋がりを求めている。
しかし、私たちは感情の全てを把握することは誰にもできない。
誰によっても、そして誰とも共感することができず、そして許されない。
本当は、誰しもが疎外を受けており、孤独なのだろう。

その中で、感情的な表現は本質的に無意味だ。
全ての音の重なり合いは無感情であり、その瓦礫の上には、崇高な論理のみが立ち上がる。
だからこそ、言葉は私たちにとっての唯一無二の救済手段である。
それ以外の全ては許容されない。
私たちは、何者からも自由になれない。

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最終更新:2023年12月12日 19:14