曲紹介
どうも、溟に漂うthusです。
ELICITYさん主宰「ボカウォッチ楽曲投稿祭夏」出展作品です。(詳細:https://vocawatch.com/ )絵は桃melhen桃さんの絵をお使い申し上げました。
数年前、ASMRに嵌っていた頃、海月がふわふわ浮き沈むイメージで思いついた曲へ暫定的に「アクアリウム」と名付けてほんの一寸組んでから、「于此は駄目だ」と思って放っておかれた曲がありました。桃melhen桃さんの海月の絵を見た時、その全然未完成の曲を一閃に思い出し「今なら作れるかもしれない」と思って取り組んだのが5月末、そして無事完成したのですが、全然自分で作った実感が湧かず6月末に差し掛かった辺りで漸く実感が滲み出てきた次第です。完成が不可能だと思っていた曲の完成に大きく貢献して下さった桃melhen桃さんには、(その意図はなくとも其でも)本当に感謝しかありません。私は奇跡だと思っています。
所で皆さん、1つだけ良いですか。「夏」をテーマにしたコンテストや祭が余りにも多すぎませんか。私の体感では例えば四季に限ればテーマ設定頻度としては春夏秋冬=2:11:1:3くらいに、夏をテーマとした物が多い気がします。何か多くないですか。多いですよね。その通り多いんですよ(?) 然し、夏を限定的に象徴する視覚的な彩り有る自然現象こそ最も少ない様な気がして、私としては春夏秋冬の中では夏が一番曲を作り難いのです。然し現実には「夏」をテーマとしたコンテスト等が最も多い…此は中々興味深い社会現象だと思いませんか。…と此迄書いて多分、夏の曲を作り難いのは私だけなんじゃない哉と思い至る心当たりがある私です。そして、そうか、夏という概念は社会現象要素に多く構成される物なの哉と勝手に納得する一方、サンタが夏に来ていたらばもう一寸私も作り易いとか感じたの哉とか思ったりします。見えない事こそ、夏の象徴かもしれません。其を無理にでも見ようとする営みが、私達が「夏」と感じる其なのかもしれません。
意味不明になってきたので、この辺で。
アサヒィ スゥパァドゥルァァァァイ(今日からジュルァァァァイ)
曲名:『溟と水宝玉』(おおうなばらとすいほうぎょく)
- thus氏の93作目。
- ELICITY氏主催の『ボカウォッチ楽曲投稿祭夏』参加楽曲。
歌詞
ゆらゆらゆれゆく 潮騒の静かなる波間を縫って
ふわふわ漂う 細粒の琥珀色を摂る
幽冥の透目の藍へ
その鮮度も地下に覃びて如くほど
瞬けることを報すように
大海原 溢ち零ちて 沫上げる水面入り
目映く飛び込める 水鳥の群集をも
そうして瀛を流れた 端で礑と覚る湮みが
硝子色の透明を 鵠い碧の太陽に
水越し直接に 深く潜む珊瑚の手が
生命を抱けていた 太古からの何世紀をも
押並べ 瀬を遠く觀ては
ゆらゆらゆらめく 泡沫の不規則な狼煙が 結って
ふわふわ漂う 気泡が五体を撫で征く
簾を滑る気孔を感じ
その先途は直に見えぬ地脈の
湧き出る鉱物を釈かし昇る
溟 宙の下 音の舌 飛び交って
鯨の快哉の汽笛が亘る韻で
群れに揉まれ垣間見た 辯る中に見えぬ結びが
涯の没い暗闇で 湫く聳ゆ胎動に
身躯へ直接と 響き巻くその温度を
生命と慈しんだ 匯り廻るその連鎖を
押並べ 瀬を夐くして 流れていた
水中の美影たる窕さに癡れる 僕は坐に ずっと
そうして 底の莫い曖さに 祗 僕は淋しむ
そんな僕を宥める唄
我が子を愛しむ罔象の唄が
藍先途に嬰れた琴線と共に
溟を流れて 汐の流れへと引かれて
人魚となったように泳ぎ合った大群から
嘉誉れた戴天の 日の光が射した煦みが
洋の底で仰ぎ見た 緑青の輝きが
宛ら大地たる僕の還る場所だと
そうして力が抜けた 安堵腑を浮力が引き
押並べ 瀬を早み見て 泡と俱に
溟 遠退いて 水宝玉 僕を矚て
溟みへ点となって 消え入って月影の身
溟 瞰降ろして 水宝玉 僕を瞻て
水面に近づいて 拡がる肺胞から
大海原 瑞の上 冷やし撫でる汐風が
小さな僕を手に 乗せるようで穏やかな
大海原 瑞の上 澹かに鳴る汐の音
夕陽が沈む陰 深海の宝玉を矚た
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最終更新:2023年12月13日 00:31