さて。
アイドルの、この世界にいるもう一人の七草にちかに会いたい。
それが、田中摩美々にとって最初の同盟者となる少女・七草にちか兼ねてよりの願いだった。
白瀬咲耶の失踪と炎上が関係する火急の対応によって、後回しになっていたことではあったけれど。
実のところ、その要望を履行するにあたって、とりたてて障害となるものはなかった。

会いたい対象、もう一人の七草にちかは、元283プロダクション所属のアイドルであり。
なおかつ、283プロの従業員、七草はづきの妹という設定(ロール)を割り振られている。
それだけでなく、彼女が283プロダクションから消えるまでの、他のアイドルに比してやや特異だった流れも。
ウィリアムは田中摩美々が界聖杯に至るまでの来歴として聞いた話と、事務所に残された外形上の活動報告から把握していた。

研修生としての事務所所属。
家庭の事情による、WINGを優勝できなければ引退する約束。
元アイドル、他の事務所からの移籍デビューとなる緋田美琴との二人ユニット。
WING準決勝での僅差による敗退と、傷心の引退。事務所からの退所扱いと、時期を同じくするプロデューサーの不調。
世間的には、決して顧みられていないアイドルではなかった。新進気鋭の実力派ユニットとして地上波放送にも映っているぐらいには。
だけでなく、界聖杯内界、東京の事務所にはファンレターも届いていた。
『こんな事を書くのは変かもしれませんけど、哀しげな歌い方が好きでした。居場所がない時に、そうかなって、背中を押してくれてるみたいで』
……送り主は筆跡から考えて十代の少女であるようだった。
ともあれ、今現在の彼女は283プロダクションを退所扱いになり、アイドル活動とレッスンの一切に休業を出している。
ここ一か月の283プロダクションの運営代行の枠組みには含まれておらず、直接的なプロファイルの機会はなかった。

だが、彼女もまた聖杯戦争において無関係ではない。
この段階に至っては、『可能性ある者』の一人なのだろうという半ば以上の確信がある。
もとより弓兵とともに現れた同盟者のにちかもまた、ウィリアムが断ずるまでもなく相手がマスターかもしれないと視野に入れていた。
それも当然だ。自分には起こり得なかった喪失と夢からの脱却がついぞ起こらなかった、ありえない設定(ロール)の同一人物。
そのようなアイドルが、『こちらの方が、公式設定(このせかいのじょうしき)だ』とばかりに、亡き家族とともに存在しているのだから。
界聖杯の采配の気まぐれ(バグ)か、可能性世界(うんめい)の悪戯か。
相手は可能性なき者じゃないのかと決めつけるには、『世界を異にする別々の七草にちか』という事案がイレギュラーに過ぎる。

かといって、『相手もマスターなんだとしたら聖杯戦争の事情は知っているだろうし、はづきさんの安全が分かりしだい皆で会いに行きましょう』とはいかない。

何も、他にもいろいろと忙しいから先延ばしにしましょう、というわけではない。
聖杯戦争で差し迫った命の危機があることに比べれば、七草にちか個人の存在理由(レゾンデートル)など軽微な問題だと断じるつもりはない。
心の拠り所、魂の救済、己の在り方は、時として実際の命の安否よりも重たい。
それを、かつて犯罪卿と呼ばれ、『リアム』という唯一の愛称で定義された男は理解している。

同盟者・七草にちかの願いを尊重に値するとした上で。
それでも、七草にちか複数人問題が孕んでいるのは、七草にちかたち当事者だけにおさまる影響ではなかったのだ。

聖杯戦争の本戦が開始した夜において、ウィリアムの眼前には三つの問題があった。
マスターの生還の是非や、敗退した可能性の器の消去とは種類を異にする、283プロダクションに係わる問題として。

ひとつ。白瀬咲耶はおそらくマスターであり、であれば残されたプロファイル未作成アイドル――櫻木真乃幽谷霧子も、その可能性が低くないこと。
ひとつ。音信不通であったプロデューサーが隠れ住むようにしていた生活拠点と連絡先が判明し、『聖杯を狙っているマスター』だという疑惑があること。
ひとつ。アイドル候補生・七草にちかもまた、可能性ある者ではないかという疑惑を軽視できず、その上で前述するプロデューサーの独自行動に至るまでの動機が、根本的に偶像のにちかと紐づいているやもしれぬこと。

この中で、手の付けやすい『白瀬咲耶との接触』から初めに手をつけたことに、らしくもない及び腰な対応だったという反省がある。
しかし、手を付ける順番を間違えてしまえば、たちまちの分解が危惧されるほどに人間関係はもつれきっていた。
プロデューサーは、『聖杯を狙っている』者の挙動をしていた。
アイドルに顔向けできない行動をとっているから、そういう加害者としての余波が降りかかることを防ぐ意図もあって、出勤ができなかった。
もろもろの不審な点を理屈づければそうなってしまう上に、聖杯を狙う『七草にちか』という動機もある。
善人が人を殺すことはない、とはウィリアムは思わない。
脅迫、喪失、心身の疲弊、蛇の誘惑、ありとあらゆる原因によって人間は道を外れるし、だからこそ『ロンドンの騎士』は罪人に堕ちた。

だが、もしも犯罪卿自らがプロデューサーとコンタクトして。
聖杯を狙う不屈の意思を確認して、スタンスを分かつことがあったとして。
その後に他のアイドル達を訪問して、『プロデューサーとは既に会ってきました。彼は犠牲を出してでも聖杯を狙うつもりです』と告げたとする。
これで、アイドルたちは『いきなり接触してきた暗殺者のサーヴァント』と『絆を結んだプロデューサー』の、どちらを信用するだろうか?

他者から信用されるための手管を、犯罪卿は知っている。
瞬く間に胸襟を開いて、同じ食卓で談笑する距離まで接近するための話術と洞察があると、自負している。
だがこの場合、信頼を勝ち取らなければならないのは、小手先の技術ではない本物の誠実さと、実際に苦楽を共にした重みだった。
元をただせば、事務所の誰も彼もから愛されるような心優しき人格者だ。

それが、同情すべき事情から外道に堕ちる覚悟を固めていたとして。
かつての『清廉潔白だったけれど殺人者になった議員』のように、一線を越えてしまったような失墜だったとして。
往年のプロデューサーとしての顔を、鉄の心によって再現したままに、『ここで聖杯狙いを認めてしまえば勝ちの目がなくなる』という焦燥から、
『君たちを騙して事務所の主従を手駒にしようとしているのは犯罪卿の方だ』というまことしやかな答えを、アイドルに用意してしまったら?
アイドルたちの避難を促してくれる程度には、奉仕対象以外への情を残していたとして。それさえも踏み越えて。
プロデューサーが聖杯を断念したくない一心にかられて、そのたった一手を打つだけで、こちらは詰む。
それは捻じれた疑念だ、己が穢れた悪党だからこそ勘繰ってしまうのだと自覚した上で、『不穏分子』のマークは外せなかった。

そしてプロデューサーはそんな堕ち方をしていないと断言するには、彼をよく知るアイドルを対面させて反応を引き出す他なく。
変わってしまったかもしれないプロデューサーと、田中摩美々を対面させること自体が一つの博打にも等しい。

――そんなに、私たちのプロデューサーを見る眼が信用できないんですかぁ?

それでも、マスターは呆れたようにそう言って、離れていくことはないのかもしれないと思ってしまうのは、甘えだろうか。

べつに、ことが七草にちかに対する未練によって聖杯を求めようという話ならば、その想いを否定するつもりはない。
皆のためのヒーローではない、誰かのためだけの守護者であろうとすること。
そういうものに嫌悪感はないし、むしろ個人的には好ましいとさえ思う。
何故かと言われたら。
名探偵は、『探偵(ヒーロー)として皆のために犯罪卿を倒すため』ではなく『大切なたった一人を救うため』に来てくれたから。
彼のそういうところを好きになった、救われた側の『たった一人』が、『皆の為ではなく誰かの為に戦う想い人』を否定することは絶対にない。

ただ、プロデューサーが奉仕を貫こうとすることが、摩美々を傷つけるものであるとすれば、それは絶対にいただけないのだ。
その上で、彼と摩美々との間にあったものが明確かつ形のある所属事務所契約――保護者と被保護者の関係であって。
彼が彼女を見出した張本人であり、偶像としての人生に責任を持つと約束していたのだとしたら、そこに怒らずに済まないほどには自分が未熟だし、性格も悪い方だという自覚がある。
何より、そこで摩美々の幸福を不可欠にしてしまうぐらいには、彼女に入れ込んでいる自覚がある。
言葉を選ばず吐露してしまえば、可愛くて仕方がない。
べつだん男が女に感じるようなときめきは、生前の女性関係もそうだったように皆無である上で。
モリアーティを善だと妄信するのではなく、時として手段を択ばない類だと理解した上でそばに置いてくれる聡明さ慈しさ、時には天邪鬼が、いじらしい。

――見習い探偵マミミーヌの事件簿でしたー

『見習い犯罪卿』とは名乗らない、そういう彼女が好きだ。
ウィリアムが愉快にはならない境界を、彼女は理解した上で接してくれる。
その上で、『モリアーティ教授』から何かを学び取ろうとしている。


結論から言おう。
当初の予定であれば、白瀬咲耶とまず接触をしたことによる田中摩美々の精神安定と相談相手の確保。
現時点では、七草にちか同士の誤解解消の余地をなくして、改めて問題のP氏に向き合える状況を作ること。
なおかつ、他のアイドル達の間とも、『初対面の暗殺者のサーヴァント』ではない、最低限の関係は築くこと。
これらを果たした上でなければプロデューサーの説得は難渋すると、判断した。


これから事務所にやって来るだろうと目される櫻木真乃にも、プロデューサーに関する疑念についてはまだ伝えない。
そこに触れてしまえば『ではプロデューサーにどう接触しようか』という話になることは避けられず。
彼に対するアプローチの話になれば『二人の七草にちか』に言及せざるを得ないからだ。
この段階で、また偶像のにちか当人も知らない同盟者・七草にちかを議題に上げるのみならず。
『そのにちかがプロデューサーと何やら口論した』なんて情報まで先行させてしまうのは、にちかの連れていたアーチャーからもまず良い顔はされないだろう。

そして、同盟者・にちかの探し求める対象、偶像Nとのファースト・コンタクトもまた、独自判断である。
まず、頭の回るサーヴァントであれば『283プロダクション自体の危険』を察知するであろう現状において、偶像Nが『姉を助けるため』に事務所に突撃をして下手な鉢合わせをすることがないよう、牽制することもメールを送った目的のひとつ。
そして、メールを足掛かりにした通話を仕掛けることで、偶像Nにごまかしの効かない見極めをするのが続く一手。
くだんの少女の人柄そのものは、ひとつ屋根の下で暮らしている七草はづきが従業員として283プロに勤務する様子からさほど疑ってはいないけれど。
おそらくその少女の後ろにいるであろう、サーヴァントまで信用できるかと言われたら話はべつだ。
もっと言えば、それ以前に『偶像NはマスターではなくNPCであった』という可能性もケアしなければならない。



「お待たせしました。それでは、自己紹介から始めましょう」
『待っていた、というほどじゃないさ。今来たところだよ――という言い方はおかしいけど、ついさっきコンタクトに気づいたばかりでね』



そんな複雑怪奇な人間模様は、知る由もないだろうけれど。
通話口に応答したのは、少女ではなく、穏やかな年若い青年の声だった。

アーチャーもいまだに少年の域を出ていないのではないかと思える『青さ』が見え隠れしていたけれど。
青年の第一声にも、精悍さの中に溌剌とした若者らしさがにじんでいる。
これでも人と話すのは好きなんだと語る声には、こちらを『新手の不審者か、ストーカーか』と疑念している様子がない。
つまり、とウィリアムは目的が何割か達成されたことを確認する。

彼は、聖杯戦争を知っている側だ。
つまり、偶像Nはマスターだった。
こちらとの接触を好意的に受け止めている挨拶に、ウィリアムもその前提を訪ね返す。

「それは良かった。アイドル、七草にちかさんのストーカー扱いされることは覚悟の上でしたから」
『さすがに七草はづきさんを危険から遠ざけてくれた恩人に、冤罪をかぶせることはできないよ。
 それに、事務所の人員を動かせる立場にいるというのなら、七草にちかの連絡先を知っていてもおかしくはないからな』

ここで、ウィリアムは笑みを深くした。
当初のコンタクトに際して送った文面。
その意味を、通話相手の彼はとても正確に捉えていたからだ。

メールの文面には『七草はづき嬢をはじめとして』と表記していた。
これが意味するところはつまり、『メールを送った者にとって、所属アイドルよりも真っ先に七草はづきの安否が大事であることを把握している』ということ。
ひいては、相手を『適当に捕捉したマスター』ではなく『七草にちか』だと承知でコンタクトをとっているのだという自己紹介代わりだ。

さらに、おそらく七草にちかのサーヴァントであろう青年は、『七草はづきが無事だとは、どういうことだ』とは聞いてこない。
白瀬咲耶の炎上の報せによって、『こういう事になってしまえば事務所は安全ではない』という現状把握にたどり着けている。
つまり、彼らは賢明だった。
いまだに奸物の類である可能性は捨てきれないにせよ、『七草はづきが危険から遠ざけられてよかった』と口にする以上、少なくとも表層ではマスターの方針に合わせようとする態度を見せている。
これが『なんで聖杯戦争をしにやって来たのに、マスターのもとの世界の事情なんかに振り回されなければいけないんだ』と反抗する類だったら、その時点でこれからの段取りが立ちいかなくなるところだった。

補足すると、わざわざ『七草にちか殿、および七草にちかの関係当事者殿』という単語を使ったのは、万が一聖杯戦争に無関係の少女だったとしても、即通報されるなどの目に見えて大騒ぎに発展されることを回避するためでもある。
すぐに事情を説明したいという弁明に加えて、『もしかして私の周りに事情を知っている人がいて、その人絡みではないだろうか』と含みを持たせておけば、すぐに大胆な行動に訴えることはやりにくい。
英文の慣用表現(To whom it may concern)を使ったのは、真名につながらない範囲で文章に『クセ』を敢えて残そうとしたからだ。
むしろ『一切何も悟らせてこない』という手合いは、かえって相手の警戒心を段違いに煽ることになる。

「まずは、接触が不審なものになったことを重ねて謝罪します。
 しかし私は、七草はづきさんは無事だと書き送っただけで、自ら彼女たちを避難させたとは申告していませんが」

聖杯戦争の話ができること。話が通じない者ではないこと。
最低限の土壌は確かめられた。
であれば、ここからは此方がどう接するのが適切であるかどうかの見極めだ。
お前は『七草はづきは助かっているぞ』と聞かされただけで、すぐに『恩人だ』と思い込むようなお人好しなのかと、問いかける。

『はづきさんの安全確保は別人がやったとでも言いたいのか? こちらは、まずは信用するところから始めたいんだが。
 人を見る眼には自信があるとは言わないよ。だけど、対人経験に自信が無いとは言えないな。
 生前に共にあってくれた人達をも巻き込んで貶すことになるんだから、胸を張るしかないだろう』

それとも、とここで折り返すように青年の声が転調した。

『お前が事務所の人間の行動を操れる上で、それを善意ではなく悪意でなせる人物だとしたら。
 一人はいるのかもしれないな。仮に、白瀬咲耶が意図的にその死を利用されていたのだとしたら』

青年の答えは、先刻の殺し屋と海賊の主従との応答において名乗った『炎上を起こした黒幕』としてウィリアムが存在していることを示唆するものだった。
それは、『仮にこちらの警戒能力を疑っているのだとすれば、その疑いはできることを示す』というもの。
その上で、その真偽をウィリアムに答えさせる。

それに対して、ウィリアムが用意するものは笑みだ。
通話越しであるが故にその笑みが相手方に見えないことは承知の上で。
しかし、その表情が形作る狡知と挑発、それこそ望んでいた質問だという牙の鋭さは、相手方にも伝わるように。

「はい、私の手は広大な海を血の色で染め、海の緑を赤一色にするでしょう」

――This my hand will rather the multitudinous seas incarnadine,making the green one red.

「――と、言ったらどうしますか?」
「『マクベス』か?」

シェイクスピアの作品を知っている。
それも、聖杯によって付与された知識の範疇をまず超えているであろう、文節の引用が通じるということは。
少なくとも相手方は、ウィリアムの生きた歴史の、おおまかに近世欧州までの世界観ならば共有できる文化圏の英霊だということ。
それはつまり、ある程度の欧州史由来の外交交渉(パワー・ゲーム)を根底においた常識、価値観の共有ができるということ。
相手方の聡明さも併せれば、交渉事の基本はこうだという前提が通じるという事だ。

「すぐに出典が通じるとは思いませんでしたが。しかしニュアンスが届けば十分です。
 私は白瀬咲耶を戦場へと誘導し、陽動として炎上させた。目的は事務所を通して競争相手を炙り出すこと。
そんな 邪智の支配者である私に、貴方方が供与できる利益を計るために声をかけたのだとしたら?」

ならば、そう問われた場合の答えは、己の色をあらわにするものだと青年も理解できるはず。
これが恭順か反発か。譲歩か敵対か。正義か悪か。白か黒かの二者択一で答えを要求される問でることは、相手にも明白であろうと。

『誰が相手でも、こう言うと決めているんだよ』

だが彼は、こちらの善悪に関係なく答えは一つだと覚者のような前置きをした上で。



『――俺がお前に協力すれば、全ては丸く収まるのだろうか』



できる全てを差し出す用意がある。

「それは……」

だがそれを享受するからには、そちらも『全てを丸く収める』ことをしろ。
決して全てを譲歩するという『主従の命令』の受諾ではなく、『対等の要請』であった。
やられたなぁ、と不愉快でない衝撃と感嘆を、聞こえないよう独り言ちる。
どこまでも許容範囲を広くとった上で、答えはどこまでも中立中庸。
善意のかたまりでありながら、正義と悪に寄らない境界線上に置かれている。

「……いや、見事なピン(駒の動作封じ)でした。
 重ねての非礼に対する謝罪として、明かしましょう。
 私は283プロダクションの縁者と契約したアサシンのサーヴァント。
 現在は中野区の事務所において、白瀬咲耶さん炎上による事務所の危険、その後片付けをしています。
 白瀬咲耶さんの犠牲については、望むところではなかった。
 彼女との接触が間に合わず、このような結果を招いたこと。
 結果として貴方がたの身辺をお騒がせした事とも合わせて、遺憾の念に堪えません」

なおかつ、これまでの覚者の回答はどこまでも実直誠実。
供与には供与で応じるのが交渉における暗黙の約束だ。誠意には誠意で答えるほかない。

『詫びとはいえ、現在地までつまびらかにしていいのか?
 よほど自分に自信があるのか、あるいはすでに連合でも作っているのか……』
「283プロの現状を隠す意味は、さほどありません。
 七草はづきさんの直接的な縁者である貴方たちに、隠そうとして隠せるものではない」
『つまり、【事務所の影で暗躍していること】をはづきさんには黙っている、その口止め料も含まれていると受け取るよ』

言葉の上では呆れのようなニュアンスがあったが、いくらか緊張のほどけた声色に変っていた。
こちらも一定の誠意を尽くしていることは伝わった、と思うことにする。

「では改めて、私の印象を率直に伺っても?
 ああ、職業を当てるような気軽さで構いませんので」
『善悪についてはいったん置いておく。すぐに結論出せないからな。
 その上であんたのやり方を憶測するなら……アブストラクト・ウォーゲーム(抽象化された盤上戦争)のプレイヤー、かな
 生前、そういうのが上手かった上司がいてな。人格はともかく、振る舞いからは似た印象を受けるよ』

あたかもそれがチェス盤上での出来事であるかのように。
サーヴァントやマスターを駒として、主従の集まりを陣営として。
包囲、誘導、囮(ブラフ)、手札開示(ショーダウン)、変数操作(イカサマ)を駆使し、戦局を誘導して勝利する。
『社会』という不特定多数を利用する一大勢力、サーヴァントという不確定強者に対して、知恵者が知恵によって牙を打ち立てるとすればそれだろうと。
なるほど、適格だと思った。
一人の少年が、一国を相手に戦おうとすればそうなるだろう。
探偵と犯罪者、貴族と庶民の対立構図を敢えて作り出し、社会構図を誘導して。
それをして『ゲームを始めよう』と称したイカサマ師の戦い方だ。
けれど。

「図星でないと言われたら嘘ですが、私はそこまで超越者気取りではありませんよ? 数式で測れない類の力があることは知っている」
『失礼した。あいにくと代替表現が思いつかなくてな――なら、プラクティカル・ウォー・ゲーム(実践を以てして盤上で決する戦争)とでも造語させてくれ』

混沌と理不尽の大戦を、盤上(ゲーム)の戦い方で終わらせる。先に続く布石を舗装する。
必要十分条件は、『キング(獲られたら終わる最重要で最弱の駒)』を場に残し続けること。
他の駒を獲る(ころす)か、獲らない(すくう)を選ぶかで、勝利難易度は大きく変動するにせよ。
差し手は、すでに二人いる。

「では、そのような陣営だったとして、あなたはどうしますか?」
『少なくとも、お前の思う役割を無条件でただ演じろというわけにはいかないな』
「…………」
『従わないという話じゃない。ただ、駒で終わるかと言われたらそうならないだろう』
「差し手(プレイヤー)の側に回ると?」
『それはまだ分からないよ……けど、貴方だって一人で踊るのは、しんどいだろう?』

驚いた。
感情を抑制していなければ、嘆息を漏らしていただろう。
それは直球の気遣いであると同時に、いささか以上に純粋なカマかけだ。

はいで答えれば、初めて会話をする相手に馬鹿正直に弱音を吐露するところまで距離を詰められる。
いいえと答えれば、『つまりマスターと【二人で】動いているわけではない、時としてマスターの意向を関係なく突っ走る輩である』という暴露になる。
たとえ「一人で踊っているわけではない」と否定したところで、「わざわざそこを正すのか」とムキになったという事実が残るだけだ。

極めて心優しい問いかけをぶつける上で、しかし優しさと甘さを絶対に履き違えることはしない。
むしろ、相手が答えにくい暴投を躊躇なく投げつける手厳しさがある。

「サーヴァントとて、一度も疲れたりしない輩などいないでしょう。誰にでも当てはまる問いかけでは?」
『失礼した。たしかに心理誘導に聴こえかねない言い方だったな』

そして『そんな感情はないという証明はできない』という悪魔の証明を要求する『ずるさ』がある。
その態度は、まるで――。

『そして、余計なお世話に聞こえたなら謝るよ。ただ、本格的に合流して一蓮托生になるつもりはないのかと思ったんだ』

「こちらはこちらで、敵を抱えていますので。言うまでもなく私は、白瀬咲耶さんの死を利用した悪意ある差し手を許しはしません。
 でも、これまでの話を聞く限り貴方はそういうスタンスではないでしょう。それに、リスク管理の観点からも推奨できない」

『リスク管理については同意するしかないんだけどな。別に誰も彼もの味方になるって言いたいのとは違うぞ。
【手を伸ばす】なんて言えば聞こえはいいが、要は『お前も一緒に来い』って、辛い道を歩く覚悟してもらう喧嘩だ。
マスターだって助けを求めてくれたからここにいる。手を取ってくれるかどうかは相手しだいさ』

「……もしも相互利益になること、たとえば定期的な情報交換であれば歓迎しますよ。人手が欲しいというのは切実な本音ですから」

『今はそれでもいいだろう。だが、最終目的だけでも開示しておかないか?
 お互いに、まだ決別はないと留保しておくために』

ぽんぽんと、澱むことなく流れる会話の応酬。
それは腹の探り合いであると同時に、現時点における落としどころの探り合いでもあった。
であればこそ、その手札開示(ショーダウン)は全く同時に声が揃えられる。

『マスターが夢を叶えられるよう、元の世界に送り届けること』
「マスターを【悪い子】にしないまま、元の世界に送り届けること」

ああそういうことか、という若者のつぶやき。
安堵しているようでもあり、それでいて相手の手札に役が揃っていた口惜しさが混ざっているようでもあった。

『……とまぁ、名乗るのが遅れたが、七草にちかと契約したライダーのサーヴァントはこういう奴だ。
 あんたにとっての合格点は取れていたか?』

「これからに期待、ということで」

『……それは赤点再補講、とか頑張ったで賞、みたいな意味合いじゃないといいんだけどな。
 いちおう、そっちの【W】みたいな個別の呼び名があった方がいいなら、連絡先の交換をする時にでも送るよ』

「それはご丁寧にどうも。では、こちらも提案をひとつ。
 直接の合流を果たせるかどうかは未定ですが、その代理のようなものとして。貴方たちに、会ってほしい方がいます。
 誠意を示されたからには暴露してしまうと、実のところ本命の要件はこちらを容れていただくことでして」

『その言い方だと、さっきの情報交換の申し出とは別にある事情みたいだな。
 合流を言い出したのはこっちなんだからやぶさかじゃないが、俺に会いたい奴が他にいるのか?』

「貴方のマスター、七草にちかさんに会ってみたいとするマスターがいます。
 決して危険なことにはなりませんと、それは誓って約束した上で」

『マスターに……? それは、一体何がどうして、そういうことになったなんだ?』

「それが、まずは会ってみないことには打ち明けられない類のもので。
 その程度には相手方にとって切実な要件だということが、今お伝えできる全てです」

詳細な日時は、段取りが決まりしだい連絡しますよ。
いささか以上に無茶な密会の提示ではあったが、ライダーは幸いにも、苦にした風もなく了承した。




「さすがにイヤな奴だと思われたかな……」

通話相手の声が聞こえてこなくなった携帯端末を握りしめ、しばらく会話の余韻に浸る。
彼らの行動そのものを縛っておく必要はない。
しばらく独自判断で動いてもらったところで、現状をひどく誤解するような危なっかしい立ち回りはしないだろう。

その上で、こちらとの関係をつなぎとめるための楔は打ち込んだ。
『マスターを悪い子にしないまま』という言葉一つで、マスターは283プロダクションの未成年――アイドルだと匂わせ。
つまりサーヴァントの真意はどうあれ、マスターは善良なる一般人だぞ、見捨てられないぞと確信犯で示唆したのだ。

だが本来であれば、『相手がきちんと独自判断で立ち回れる知力を持っており』『七草にちかの立場に寄り添える主従』だと読めた時点で、こう吹っかけるつもりだった。



『私のマスターは、283プロダクションのプロデューサーです』と。



その上で、『プロデューサーは事務所を守りこそしたが、実のところ聖杯狙いである』と吹聴。
実際に283プロに対して避難指示を出したのはプロデューサーである以上、外形的にもこの嘘は通りやすい。
Wたちはそう言われてしまえばプロデューサーと対面、直談判しようとせずにはいられない。
そこでさらりと、もう一人のにちか達に合流してもらえれば事情の説明役は事足りる。
仮に嘘が露呈して『お前はなんて嘘をつくんだ』と印象が最悪に落ちたとして、あくまで犯罪卿の独断による信用の失墜だ。
アーチャーやもう一人のにちか、摩美々たちの信用にも、プロデューサーから見た『偶像Nのサーヴァント』の信用にも響かない。
それどころか『犯罪卿』を最も怪しむべき存在として警戒心を向けることで、ライダーとプロデューサー間の情報共有はやむを得ない流れになる。

要は『アイドル・七草にちかと、犯罪卿の陣営は、完全に別の勢力だ』とプロデューサーに認知してもらう。
そして、話の発展しだいでは犯罪卿を目の敵にする者たちにも、誤認してもらえるならば僥倖だったのだ。
プロデューサーにとって、『このままだと善意のアイドル達に囲まれ説得されて、願いを断念するよう留められるかもしれない』という状況よりは、まだ。
何らかの感情の矛先を向けている当人とじかに話し合えて、七草にちか個人の味方という点ではかみ合う可能性が高くて。
『俺がお前に協力して丸く収まるなら全面的に味方するよ』と初手で譲歩される環境の方が、いくらか歩み寄りやすい。
現状、283プロに関して標的に定められたのがあくまで犯罪卿であることも併せれば、『狡知を弄さない善人の集団』が別に存在することはアイドル達にもありがたかった。

つまるところ犯罪卿は、善意に対する敬意をあれこれと述べたところで、そういう悪だくみをする男だった。
偶像Nへと通話を仕掛ける前に『犯罪卿』としての仮面を付けなおしたのは、決してただの気合いでも気分でも無く、そう振舞おうとしたから。
英霊(サーヴァント)として『犯罪卿』時代の在り方が固定されていればこそ、なおのこと。

けれど、ライダーから真摯に気遣われたやり取りで、心持ちが変わった。
彼に対して騙したり試したりといったようなことはしたくなかった。
いや、かの名探偵を相手にした時も最初に『試し(オーディション)』から始めたけれど。
少なくとも、相手方に相互利益が皆無であるのに操って踊らせるのは気が引けたし、何より。
あの手の人間は、自発的に意志がそちらを向いてから動くに任せた方が、最上の活躍をする。

――シャーリー(君)みたいだと、思ったから。

そんなことを言ってしまえば、君は『ヒーローっぽかったら誰でもいいのか』と呆れるだろうか。
それとも、あんな女受けしそうな若造(ガキ)と一緒にすんなと、嫉妬を見せるだろうか。
代替可能のように扱うことはしないよと但しが必要なことに、後ろめたさはあったけれど。
いずれにせよ親愛なる名探偵を不在とする世界で、それは悪くない発見だった。

【中野区・283プロダクション/1日目・午後】

【アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ】
[状態]:健康
[装備]:現代服(拠出金:マスターの自費)、ステッキ(仕込み杖)
[道具]:ヘルズ・クーポン(少量)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)→限定スイーツ購入でやや浪費
[思考・状況]基本方針:聖杯の悪用をもくろむ主従を討伐しつつ、聖杯戦争を望まない主従が複数組残存している状況に持って行く。
1:『彼(ヒーロー)』が残した現代という時代を守り、マスターを望む世界に生還させる。その為に盤面を整える。
2:283プロダクションに留まり、近く来るだろう櫻木真乃を出迎える。
3:白瀬咲耶さんの願いを叶えるため、マスターには復讐に関与させない。
4:同盟者を増やす。283プロダクションの仕事報告を受け取る際に噂を拾えた『義侠の風来坊』を味方にできればいいのだが。
5:"もう一匹の蜘蛛(ジェームズ・モリアーティ)"に対する警戒と嫌悪。『善なる者』なら蜘蛛を制するのではないかという読み。
[備考]ライダー(アシュレイ・ホライゾン)とコンタクトを取りました。以後、定期的に情報交換を試みます。七草にちか(弓)と七草にちか(騎)の会談をセッティングする予定です。詳細な予定時刻等は後続の人にお任せします。





「傑物だったな……こっちのカマかけや踏み込みはだいたい躱されたし、おまけに釘まで刺された。
 情報量の手応えだとこっちがいいとこ3で、向こうが7ってとこか」
「え。えぇ……? そんなバチバチ火花が散るみたいな話だったんですか?
 確かにハッタリみたいな事言ってましたけど、ライダーさんはけっこう平和そうにお話してたんじゃ……」
「平和ではあったぞ? お互いに怪しまないために、初手でじっくり怪しみあいましょう、みたいな話だ」
「た、たしかに私は悪人かもしれないぞー、とか怪しさ満点の言い方でしたけど」
「怪しかったから、怪しくなかったのかな……」
「えー? 怪しいってことは………………怪しいってことじゃないんですか?」

語彙が音を上げたかのようなトートロジー。
これがバラエティー番組だったら、今どっと笑いのガヤが入ったところじゃないかとは、とても言えなかった。

「言い換えるよ。『善人のふりをしていない』から誠意を返してくれると思ったんだ」

あの頭の回転の速さと心理を見透かした言動があれば。
おそらく、男にはできたのだろう。
いくらでも礼儀正しく懇切丁寧に、不躾なメールを送ったことさえも極めて緊急かつ仕方ないことだったと信じさせて。
誰がどう見ても『いい人だった』と思われるように、話し相手の感情を誘導することが。
だが、そうしなかった。自分を信用しすぎるな、自分の頭で考えろと言わんばかりに、すぐさま善人らしい振る舞いを放棄した。
しかし、だからアッシュは尋ねたのだ。お前は一人でそこにいるのか、と。
危ないから今助けるよと言って手を伸ばせば、来るなと撥ね付けられることも含めて。
今度こそ助けるのも、代償で地獄に落ちるから近づくなとするのも、それは全て『私/俺』が担うべき責務だという頑なさも、未知ではなかった。
境界線が、まだ平行線だった頃の話だ。

「マクベスって言うのはさ、勇敢だけどけっこう内面デリケートな将軍が、王様を暗殺して王国を代わりに統治するんだけど。
 罪悪感で眠れなくなって、自責の念でどんどん病みついて、最後は暴政を強いて反乱されて敗死する話なんだよな……」
「えっと、きたないはキレイ、キレイはきたないって台詞が出てくることしか知らないんですけどー。
 でもそれって、最初に王様を暗殺したのが悪いって風にも聞こえないですかねー?」

どうやら雑学披露だと受け取ったにちかに、アッシュはどうにもなごんでしまう。

「まぁ、本人も深い意味があって引き合いに出したか分からないしな。ただ……」

あれが生前の逸話か何かと類似した、自罰だか自戒だかの一種なのだとすれば。
話を聞く限り。
白瀬咲耶の犠牲を残念だと思う――日々を生きる善良な人を惜しむだけの正義感があって。
そのために、『白瀬咲耶を利用した側』と紙一重扱いされることをいとわない――正義感とは真逆の手段を保持していて。

――状況次第で、俺はこの敬意を胸にホライゾンさえ殺しにかかる破綻者だぞ? 紛う事なき塵屑だろう。

その上で、『糸を引いている黒幕を許しはしない』という確とした断言から隠し切れない殺意も。
殺意の在り方が、常人ならまず選ばないような箍の外れ方をしている、自称も他称も破綻者であることも。
それでもなお英霊として成立した以上、ある種の者にはまぎれもなく『光』に見えていたのだろうな、という直感も。

「……"悪の敵"って言われてた人に似ていたよ」


【新宿区・パレス・露蜂房(ハイヴ)/一日目・午後】

【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、精神的負担(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
1:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
2:ライダーの案は良いと思う。
3:私に会いたい人って誰だろ……?
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。
現在新宿区の歌舞伎町でセイバー(宮本武蔵)と待ち合わせている状態です。

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:健康
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
1:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
2:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
3:セイバー(宮本武蔵)の存在を認識しました。また、彼女と同盟を組みたいと言う意向を、彼女に伝えてあります。
4:アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)と接触。定期的に情報交換をしつつ協力したい。
[備考]宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。


時系列順


投下順



←Back Character name Next→
026:侍ちっく☆はぁと 七草にちか 058:霽れを待つ
ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
038:283さんちの大作戦〜紳士と極道編〜 アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ) 040:咲耶の想いと、受け継がれる願い

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最終更新:2024年04月11日 22:27