生田床呂

生田床呂(いくたところ、1920年12月ー)は、日本の経営者、実業家。生田殖産取締役・相談役、一般社団法人日本経営戦略機構専務理事。

来歴

父は生田譲吉、兄は生田善次郎、弟は生田浩二

兵庫県立神戸高等学校卒業後、神奈川で暮らす乳母の佐藤ユキを頼って上京。ユキの実子である藤岡義雄を兄貴分として生活。東京大学に進学。東京大学文学部欧州思想史学科、京都大学大学院文学研究科文化思想研究専攻(博士課程)をそれぞれ修了した。
大学院修了後、父を頼って生田殖産へ入社。入社当時、お坊ちゃまと称されていたが、当時課長だった藤岡義雄に厳しく育てられ営業マンとして成長。課長補佐、課長と順調にキャリアを重ねる。父である生田譲吉の社長退任直前に、ロンドンに渡って継承争いへの参加を許されなかった。1965年に帰国、1971年より取締役に列せられる。1983年3月、相談役の地位にあった62歳で退社する。引退後、生田財閥が設立運営資金を出資していた一般社団法人日本経営戦略機構専務理事に招聘される。

経歴

1920年 12月 兵庫県神戸市・出身
1933年 4月 旧制神戸高等学校・進学
1935年 4月 兵庫県立神戸高等学校予科・編入
1939年 3月 兵庫県立神戸高等学校・卒
1943年 3月 東京大学文学部欧州思想史学科・卒
1948年 3月 京都大学大学院文学研究科文化思想研究専攻・博士課程修了
4月 生田殖産・入社
東京支社営業部二課
1951年 4月 東京支社営業部二課・課長補佐
1955年 4月 東京支社営業部二課長
1956年 4月 ロンドン支店営業課長
1959年 4月 ロンドン支店・副支店長
1963年 4月 ロンドン支店長
1965年 4月 営業本部国際営業部長
1969年 4月 営業本部次長
1971年 4月 取締役・営業本部長
1973年 4月 常務取締役・営業担当
1975年 4月 専務取締役・営業担当・資源担当
1979年 4月 相談役
1983年 3月 退社
日本経営戦略機構専務理事(1983.4-1990.3)
最終更新:2025年07月28日 13:12