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生田財閥

生田財閥(いくたざいばつ)は、日本の財閥生田海運を祖業とし、現在は生田殖産を中心とする企業集団を形成している。

概要

生田財閥は、生田マサとその夫である島原了平によって興された、海運事業においては国内最大の財閥である。日本史上の名参謀と呼ばれる新舘有を番頭に置き、1871年に生田海運、1878年に生田殖産という2大事業会社を設立した。以後、この2社を中核として規模は拡大していく。

1919年に山陽銀行を設立、1928年に東日本拓殖銀行の経営権を政府から買い取ったため、金融一家を形成した。

生田財閥で注目すべきは、朝鮮半島における拓殖開発の歴史である。1896年の釜山占領に伴う水産加工場開業をはじめとして、朝鮮政府との関係強化策を打ち立て、木浦港仁川港興南港開発に力を注いだ。

旧グループ会社

財閥本社(商社

海運業

  • 生田海運:1871年創業。故島原了平の思いを継いだマサ夫人によって設立された、生田財閥の祖業。現在は、国内最大手の海運事業団体である。1952年に新生会社として継続が許された。
  • 生田船舶:1938年創業。生田海運の船舶操船事業の内、日朝航路を分離して経営した。1948年に解散命令を受けた。

造船業

  • 生田造船:1889年創業。大番頭の新舘有が自ら創業した造船会社である。1952年に解散命令を受ける。
  • 生田長崎造船所:1903年創業。長崎港に設立した造船所を経営した。1950年に解散命令を受けて日本造船九州傘下になるが、1959年に新会社のNgs長崎造船所となる。
  • 沖縄生田造船:1917年創業。沖縄県内8か所の造船所を経営する。1951年に解散し、県内実業家の島田屋宗七郎(島田屋HD代表)などの資金援助で琉球造船として独立する。
  • 生田造船櫻島営業部:1917年創業。鹿児島県の造船所1か所を経営する。1927年に倒産する。
  • 生田山造船:1919年創業。岩手県の造船所3か所を経営する。1949年に、生田財閥が資金援助する釜石鉱産の傘下となる。
  • 中山道造船工業:1921年創業。愛知県に本社を置き、造船機械開発に力を注ぐが、1942年に国有化命令を受けて解散
  • 生田造船発動機タービン:1926年創業。生田造船からエンジンタービンの製造研究部門のみを独立させた。1951年に解散命令を受け、岡山発動機(のちの瀬戸内タービン工業)が買収する。
  • 新潟船舶工業:1930年創業。生田造船から分離して、新潟県内4つの造船所を経営した。県内選出衆議院議員山内武石が後々に経営権を取得する。
  • 西日本造船所:1942年創業。広島県愛媛県大分県の3県に運営する10の造船所を経営する。1949年に解散命令を受けるが、1973年に再結集に成功した。業界トップクラスの造船大手

海産業

製薬業

製紙業

  • 釜山紙業:1923年創業。地元の篤志家で知られる李河准と共に出資した。1953年、大韓グループに買収される。
  • 大日本生田製紙:1925年創業。釜山紙業から技術者を来日させて創業した。1943年に国有化して、1951年から九州製紙HDに統合。
  • 生田太陽製紙:1932年創業。瀬戸内製紙の新工場設立に共同出資という形で設立。1949年に解散して、南日本紙業に統合される。
  • 山梨製紙:1940年創業。生田財閥、武田家金子寅安(甲府市長)の3社協業で設立した製紙会社。1952年に甲府木材店が買収して閉鎖。

繊維業

  • 生田紡績:1892年創業。生田殖産の繊維生産事業部の大幅独立によって創業。戦前最大の繊維生産会社。1943年に陸軍へ譲渡。1954年創業のニチメンHDの祖業。
  • 生田合綿:1900年創業。合繊生産に特化した生産事業者。1957年にニチメンHDへ参加。
  • 東日本合繊:1904年創業。岩手県最大の製造業者。日本初の合成繊維開発大手。1948年に東綿HDを組織
  • 山梨甲府綿業:武田医薬品創業者の会社

生田家

創始にあたる初代生田善右衛門は、北鎮将軍に仕えて東海道に従軍。武功によってに三浦半島に所領を持つ地頭となる。1600年代の前半には、地侍の地位を返上して商人の家系となる。その後、沼田藩が置かれると、藩の御用商人に招かれて沼田藩へ移る。沼田城に城下最大の屋敷を構えて、藩の財政を担う。1700年代中盤まで生田善右衛門を継承していたが、1749年に九代目生田善右衛門を最後に名を変える。沼田藩松平家が入ってから没落。沼田藩の財政赤字を精算するため、藩有林の運営を担当。しかし、木材相場で失敗したため、御用商人の立場を解かれた。
分家の多くは、沼田藩を離れる。灘藩に転じた生田マサを始祖に「神戸生田家」が起こり、やがて本流に転じる。1800年代中盤から「沼田生田家」は、東京府に出仕して新政府の官吏として活動。熱海に転じた生田山家、盛岡藩に転じて岩手県知事を輩出した生田門家は、政治一門として知られる存在であった。1900年代になり、神戸生田家が日本経済に大きな地位を占める名門財閥として復興。

神戸生田家

生田マサを始祖とする日本有数の財閥家である。マサの夫である島原了平も、生田家傍流の生まれである。海運事業、海外開発事業への投資で、規模の経済が急拡大し、資本力で遅れをとっていた中、政商としての地位が拡大。立憲党立党にかかる諸経費を賄い政界に燦然と輝く存在となる。今日まで、残り続ける名門である。

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最終更新:2026年05月17日 21:21