矢皇子律新

矢皇子律新(やおうじりっしん)〈1941.2ー2024.6〉は、日本の新聞記者、「メディア王の腹心」という異名を誇った平成のフィクサー。

来歴

1960 3 新潟県立新潟高等学校・卒
1963 3 京都大学法学部法律学科・卒
4 神戸新聞社入社
7 前橋総局・記者
1966 4 福岡支社紙面編集部
1968 4 福岡支社社会部(地域担当)
10 (兼務)中津支局
1969 10 福岡支社地域生活部(福祉担当)
1970 4 福岡支社地域生活部サブキャップ(福祉担当)
1972 10 福岡支社地域生活部キャップ(福祉担当)
1973 4 本社社会部キャップ(福祉担当)
1975 10 広島総局地域部
1976 10 宇和島支局
1978 4 松山総局デスク
1980 4 広島総局地域部デスク
1982 4 広島総局地域部長
1983 4 本社社会部デスク・論説委員
1985 4 本社地域生活部デスク・論説委員
1987 4 松山総局長
1989 10 名古屋総局長代理
1991 4 名古屋総局長
1993 4 本社地域生活部長・論説委員
1995 4 本社新聞総局長代理・地域生活部長・論説委員
1996 10 仙台総局長
1998 4 本社サービス局長・文化事業推進室長
2000 4 執行役員・本社サービス局長
2001 4 執行役員・副社長(多分野サービス担当)
2004 4 執行役員・主筆・相談役
2009 4 執行役員
2011 3 関西メディア元年実行委員長・就任
2014 3 退任

人物

福祉記者として

1969年7月、「大分県中津市の生活保護拒否問題」を特ダネとして取り上げた。本来ならば地方版の扱いだったにもかかわらず、全国で同様の事案をあぶりだして全国版扱いまで飛躍した。その結果、福祉記者として一躍名を挙げることとなった。その後も、地域の福祉行政を中心に担当し、本社地域生活部設立後は、地域福祉の取り組みに関して紙面の強化を勧めた。

メディア界の帝王との関係

神戸新聞社社主の大館大寺は、初任地である前橋総局時代の局長だった。その後も、社会部長、人事局長として人事的なバックアップ役を務めた。1983年、本社社会部長に就任したばかりの大館に従い、本社デスクに就任。1985年に地域生活部が新設されたため、これまでの活躍が見込まれて移動。大館は、1986年7月に発生した「神戸新聞捜査データ虚偽記載事件」の責任を負って左遷人事の憂き目にあう。その後に、不死鳥のごとく再起を図った大館の下、忠実な腹心として活躍。60歳の定年に合わせて「執行役員・サービス局長」を最後に退任するつもりであったが、大館の懇願でその後も役職が開かれることになる。しかしながら、以外にも人事上は、新聞総局長などを歴任した河野沖人の直系派閥だった。そのため、警察記者上がりの鶴丸貞祥とは、取材方針で対立し、広島総局、本社地域生活部ではガチガチの敵対関係だった。

大阪府知事選談合事件

1998年の第14回地方統一選挙で行われた大阪府知事選挙の報道で、当選した現職の兼松信也候補の陣営から報道で融通を聞かせるように贈賄を受けていたとして神戸新聞社の幹部が逮捕・有罪判決を受けた事件。この事件で、出世の王道ルートから外れていた矢皇子に本社局長のポストが開かれ、その後の役員への道が開かれた。
最終更新:2025年06月30日 08:02