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大館大寺

大館大寺(おおだてだいじ、1926.1)

来歴

1926年1月、大阪府に生まれる。
京都大学卒業後、全国紙の名門である神戸新聞社へ記者として入社。入社同期には、後の埼玉県知事である大前信哉がいた。入社3期後輩には、自身と派閥争いを行う河野沖人がいる。

司法記者としてのキャリアを長らく歩み、1961年には同期トップで本社デスク(社会部)となる。総局長としての地方勤務を経て、人事畑や紙面構成などを渡り歩く。
1983年から本社社会部長(本社三役の一角)に就任。しかし、社会部属の警察記者が起こした「神戸新聞捜査データ虚偽記載事件」の責任を負い、本社紙面構成部長とともに左遷人事の憂き目にあい、全国新聞協会事務局次長となる。

1988年4月、蓮池大和(常務)の鶴の一声で、福岡支社へ帰任。その後、人事畑に戻り、1993年にようやく役員となる。1995年から子会社出向となるも、1996年の蓮池社主誕生に大きく貢献。しかし、本社復帰の夢を果たせず、蓮池派から完全に独立。

1998年から1999年10月までに複数回発生した新聞社の不正事件(大阪府知事談合事件大阪湾広域開発公社情報漏洩事件大阪電源広告記事偽造事件神戸新聞記事改ざん隠蔽事件)などの影響から、蓮池社主が引責辞任を発表。本社の役員が就任を固辞する中、子会社社長に過ぎなかった大館に白羽の矢が立つ。

その後、1999年12月から、あしかけ2011年に及ぶ長期政権を樹立。2011年からも名誉会長として権限をふるった。

略年歴

1948年 3月 京都大学文学部独学科
4月 神戸新聞社入社
前橋総局
1951年 4月 和歌山総局
1952年 10月 山口総局
1954年 4月 福岡支社社会部司法班(福岡高裁)
10月 福岡支社社会部サブキャップ(福岡高裁)
1955年 10月 東京支社社会部サブキャップ(東京高裁)
1956年 4月 東京支社社会部キャップ(司法)

1958年 4月 東京支社次長待遇・神奈川総局長付(横浜高裁)
1960年 4月 本社次長待遇・京都総局長付(京都高裁)

1961年 4月 本社社会部デスク・論説委員
1963年 4月 前橋総局長
1967年 4月 滋賀総局長
1969年 4月 本社紙面編集部デスク
1972年 4月 本社人事局交流部長
1974年 4月 仙台総局長

1977年 4月 東京支社紙面編集部長
1979年 4月 東京支社社会部長
1981年 10月 本社新聞総局長室室長
1983年 4月 本社新聞総局長代理・社会部長・論説委員

1986年 10月 (出向)全国新聞協会事務局次長
1988年 4月 (帰任)福岡支社販路流通部長

1989年 4月 本社人事局人材育成部長・人材育成センター次長
1990年 10月 本社人事局長・人材育成センター長
1993年 4月 執行役員・本社人事局長
1995年 4月 執行役員・神戸新聞印刷副社長
1997年 4月 執行役員・神戸文化劇場副社長
1998年 10月 執行役員・神戸文化劇場社長

1999年 12月 代表取締役社主・代表執行役員・信頼再建本部長
2001年 4月 代表取締役社主・主筆・代表執行役員・信頼再建本部長
2003年 4月 代表取締役社主・主筆・代表執行役員
2004年 4月 代表取締役社主
2009年 4月 代表取締役社長
2011年 10月 取締役名誉会長

人物

最終更新:2026年07月09日 23:01