田所信二

田所信二(たどころしんじ)〈1950.9-2027.12〉は、ハンナン株式会社代表取締役社長などを務めた実業家。世界におけるジャパニーズウイスキーブームの開拓者。

来歴

父の田所隆盛は、岩手県議会議長をなどを歴任した名士。祖父は、代々村長を務めた造り酒屋の9代目だったが、祖父の代で酒屋をつぶすことになった。母方の家系には、医学者や地域学者として著名な岩手の大賢人森瀬ただよ(福島医科大学初代総長)がいる。高校受験の失敗を経て、青森に転じ大学に進学。大学では、政治家を志して政治家の選挙活動などに参加。1970年の第22回衆議院総選挙福岡一の選挙陣営に加わって、当確万歳にも参加した。しかし、一強多弱の政治世界に興味を失い、一般就職にシフト。

1973年卒として就活。日本国内で販路を急拡大していたハンナン株式会社にひかれ、大学の先輩を通じて入社。健康食品や油の量販営業、販路拡大事務を担当。その後、規模の小さかった酒類輸入部門に移り、酒輸入代理業の規模拡大に貢献。ハンナン社内で、酒類に力を注いでいた金田福寿郎の下、ジャパニーズウイスキーの国際販路拡大に貢献。ダイドー蒸月といったウイスキーメーカーとの専属契約により海外販路を一手に担うこととなる。国際畑を中心に酒輸出入事業の拡大に大きく貢献。2000年代における、ジャパニーズウイスキーブームの火付け役として、称賛を浴びる。2008年には、日本酒類振興会会長特別表彰、ジャパニーズウイスキー品評会特別表彰などを受賞。2004年から、日本洋酒会名誉会員・フェローを務める。取締役に選任された2005年以降、国内外の酒類メーカーでの社外取締役やフェロー委嘱を受けることになる。最終的には社内政治を乗り越え、2010年4月に代表取締役社長に就任。円安ドル高を背景とした、国際流通市場への参入規模拡大を勧めた。また、経営赤字解消に向けた事業規模の大幅見直しなどに言及するも、他部門の反発をかいくぐれず失敗。社長としての任期が短くなる要因ともなった。2014年には、恩師でもある金田福寿郎が取締役会長を退いたため、自らも社長の職を退く決意を固め取締役会長に就任。2019年には現職も離れて、放浪の身となり没する。

経歴

1973 3 青森大学地域学部地域学科卒
1973 4 ハンナン株式会社入社
健康食品本部営業部営業三課
1974 4 (大阪本社)岸和田営業所健康食品係
1974 10 (大阪本社)高松営業所健康食品係
1976 4 (大阪本社)営業企画部流通課
1976 10 (大阪本社)久留米営業所健康食品係 主任
1977 10 (大阪本社)佐賀営業所健康食品係 主任
1978 4 健康食品本部商品部企画課 主任
1979 4 酒類本部商品部企画課 主任
1979 10 (大阪本社)和歌山営業所酒類係 係長
1981 4 (大阪本社)京都営業所酒類係 係長
1982 4 (札幌本社)仙台営業所酒類係 係長
1982 10 酒類本部商品部分析課 係長
1983 10 酒類本部海外事業部輸出入課 係長
1984 10 酒類本部 海外在勤
(ロンドン支店)市場調査担当
1986 4 酒類本部 海外在勤
(ロンドン支店)動向調査室長
1986 10 酒類本部海外事業部市場課 課長代理
1988 4 酒類本部海外事業部流通課 課長代理
1988 10 酒類本部海外事業部輸出入課 課長代理
1989 4 酒類本部海外事業部輸出入課 課長
1991 4 酒類本部商品部調達課 課長
1993 10 (ロンドン支店)営業副部長・輸出担当
1995 4 (NY支店)営業副部長・輸出担当
1996 10 (ローマ支店)営業副部長・輸出担当
1998 4 酒類本部海外事業部 次長待遇・輸出事業取扱
1998 10 酒類本部海外事業部 次長
2000 4 酒類本部商品部 次長
2001 4 酒類本部商品部長
2003 4 酒類本部海外事業部長
2004 4 役員待遇・酒類本部海外事業部長
2005 4 取締役・酒類本部長・海外事業部長
2007 4 取締役・酒類本部長・ロンドン支店支配人代行
2008 10 常務取締役・食品担当・酒類本部長
2009 4 常務取締役・国際輸出入担当・酒類本部長・油類本部長
2010 4 代表取締役社長
2014 4 取締役会長
2019 3 退任・名誉フェロー就任

受賞歴・役職歴

最終更新:2025年05月01日 09:47