極盛会(きょくせいかい)は、日本の
暴力団。関東以北の東日本に中核的な拠点を擁し、国際的な商取引にも関与する「広域指定暴力団」である。
概要
「博徒・的屋」系の出身で、東日本を中心に展開した組織である、初代会長
五十嵐小平は、東京の博徒稼業で莫大な私財を蓄え、
歌舞伎町を中心に商圏を展開した。現在でも、初代会長の系譜である
五十嵐宗家の血筋を最重要視する。
組織
会長室
若頭(会長の親子)
統括本部
- 統括本部長
- 統括本部長代行
- 統括本部長代行代理
- 統括副本部長
- 統括副本部長代行
- 本部長
- 本部長代行
- 本部長補佐
- 副本部長
- 管区長(北海道・東北・関東・中部・東海)
- 事務局長
- 事務局次長
舎弟頭(会長の兄弟)
役職
歴代会長
歴代会長室長
歴代若頭
歴代統括本部長
歴代舎弟頭
来歴
創業
1870年以降、
東京遷都の後に
東京都が形成される。東京都の成立後、繁華街を中心に「博徒」産業が拡大すると、それらを取り纏める組織が乱立。
横浜市の池澤屋、
川崎市の角田屋とともに関東三大博徒として知られていたのが、
三浦市を中心に勢力を伸ばしていた「五十嵐屋」であった。1900年代以降、
神奈川県として、新たな行政区分に組み込まれると、これらの関東三大博徒が
東京都に新たに進出することになる。
1919年の
第1次世界大戦終戦以降、「五十嵐屋」の若親分として頭角を現してきた
五十嵐小平が「マネー・パワー」を背景に関東近辺の賭場を吸収。1920年代には、「角田屋」「池澤屋」といった名門博徒の勢力圏に乗り込み、一時的な抗争にも発展。1930年代の前半には、
歌舞伎町を中心とした「博徒・的屋」稼業を展開。この時期には、
暴力団としての機能が成立した。
戦時中も、活動自体は継続していたが、軍の影響が強くなっていたため地下に潜る形となっていた。1945年8月の終戦以後も、
歌舞伎町を中心とした「博徒・的屋」稼業は継続。
勢力圏拡大
1960年代以降、
山内組・
松平組・
片桐組という傘下の三団体による血みどろの権力抗争が展開される。1960年代後半には、若頭、舎弟頭、統括本部長の3名が影響力を拡大。それぞれの持つ、
植松組・
林組・
池田組が東日本を中心に規模を拡大する。
最終更新:2025年06月20日 00:10