生田マサ

生田マサ(いくたまさ、1838年9月-1889年11月)は、生田財閥創業者。

来歴

沼田藩で特権商人の地位にあった生田家に生まれるが、自身の出自は庶流にあたり特別に豪華な暮らしをしたわけではなかった。1838年9月生を受ける。3歳上で遠い親戚だった島原了平と1854年12月に結婚。1855年に、木材海運事業を始めた島原了平を内助の功で支えた。その後、神戸に拠点を移動して、木材中心の輸出入取引や海運事業を営んだ。夫の了平が、34歳道半ばで他界。子供を2人育てることが難しく、次男を隣商家の鈴木屋に養子入りさせて姓が変わった。

1871年4月、自身が代表に就き、番頭の新舘有が副代表に就く形で、生田海運株式会社を設立。1878年4月、経営危機に陥っていた鈴木屋を買収して傘下にまとめ込んだ。以降、鈴木屋の繊維紡織事業を継承する生田殖産株式会社を設立。1882年に、神戸本店と東京支店を竣工。設立式典には、マサの旧友で東京女子塾塾長の加茂市徳之助を代表とする各界の大物が参加した。1886年に、新舘有が急逝したため、自身も代表職を退く。自身の子である、生田恭三郎生田海運社長、鈴木真生田殖産社長にそれぞれ就任した。
1889年に、肝臓がんのため没する。

親族

夫:島原正平(1835.4生)

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生田財閥
最終更新:2025年09月10日 10:54