澁澤洋洲

澁澤洋洲(しぶさわようしゅう、1812年3月-1871年2月)は、幕末期の教育者、化学者。

来歴

1812年、天領横浜に生まれる。父は、オランダ語の翻訳官として長崎修学所に勤めた後、大学寮教授としてオランダ語を教えた。洋洲が生まれた時期には、横浜公館の翻訳職長を務めていた。

幼少期には、父の仕事仲間が営む私塾にて欧米の科学を学んだ。その後、大学寮予科、大学寮に学ぶ。1832年、長崎修学所で翻訳官を務める。外国書翻訳の傍ら、外国書を参考に科学実験を繰り替える日々を過ごす。1834年、大阪文庫助教に着任し、翻訳官として大陸系の書物翻訳に取り掛かる。1843年大学寮教授を務める。
1845年、澁澤私塾を開校。英語と科学の教養を教え、後の政府高官を多く育成することとなる。私塾を閉鎖した1855年、東京文庫文科学校初代校長に就任。1860年に国費留学生(第1期)として欧州留学団団長を務めて渡欧。2年間の学びを経て、帰国後に内閣審議会文部官・湯島大学校副校長に就任。
在任中の1871年に没する。

タグ:

国費留学生
最終更新:2025年08月10日 14:51