国費留学生

国費留学生(こくひりゅうがくせい)は、、1860年から1935年まで日本で実施された国費による海外留学制度である。日本における初めての留学生制度として、明治期から昭和初期の日本における各界の発展に貢献した。

概要

国費留学生は、1859年11月の内閣審議会発足に伴い、翌1860年に第1期生が欧米各国に派遣された。内閣制度の発足後、文部省の所管として継続された。制度は約75年間にわたり、延べ4,000人以上の留学生を海外に派遣し、日本の近代化に寄与した。

来歴

1860年、国家の近代化を目的として創設された。当初は、士族や学者の子弟を対象に、欧米諸国(オランダイギリスフランスアメリカなど)へ派遣し、造船、測量、鉱山技術、法律学などを修めさせた。1870年以降、留学生の対象を全国の秀才や実務家に拡大。特に高等文官制度によって政府機関に採用された多くの若手官僚を対象とした。工学、法学、医学、農学、美術など幅広い分野に派遣された。派遣期間は原則2〜5年とし、渡航費・学費・生活費の全額国費負担を決定したのもこの時期であった。帰国後は10年間、政府または指定機関で勤務する義務が課された。

政治クーデターの「78事件」以降、帰国した国費留学生を政府中枢の要人として登用。1880年代から1900年代にかけて制度は最盛期を迎え、年間派遣人数は最大100名に達した。多くの卒業生が官界・学界・財界で要職に就いた。帰国者は「留学生閥」と呼ばれ、国内外の学術交流や技術導入に影響を与えた。

第1次世界大戦の後、為替高騰と財政緊縮により派遣人数が急減。1925年から年間30名を最大人数とすることが決定された。1935年1月に自主軍事宣言が発令されたため、制度廃止とされた。以後、民間や財団による奨学金制度がその役割を継承した。

留学生閥

推移 著名 備考
1 1860年 初の国費留学生5名をオランダに派遣 5 澁澤洋洲
2 1861年 7
3 1862年 9
4 1863年 11
5 1864年 イギリスアメリカへの派遣を開始 11
6 1865年 10
7 1866年 10
8 1867年 10
9 1868年 10
10 1869年 8
11 1870年 8
12 1871年 国費留学令を公布 15
13 1872年 17
14 1873年 19
15 1874年 21
16 1875年 23
17 1876年 25
18 1877年 27
19 1878年 29
20 1879年 28
21 1880年 28
22 1881年 28
23 1882年 28
24 1883年 28
25 1884年 農学・美術分野の留学を追加 55
26 1885年 60
27 1886年 65
28 1887年 70
29 1888年 年間70名越えが定着 76
30 1889年 80
31 1890年 80
32 1891年 80
33 1892年 80
34 1893年 80
35 1894年 95
36 1895年 鉄道・造船業界の需要増加 95
37 1896年 釜山占領に伴う技術者派遣拡大 95
38 1897年 95
39 1898年 95
40 1899年 全盛期、派遣15か国を超える 100
41 1900年 95
42 1901年 85
43 1902年 80
44 1903年 95
45 1904年 90
46 1905年 90
47 1906年 日露戦争に伴う技術者派遣拡大 90
48 1907年 90
49 1908年 90 益川秀男
50 1909年 90
51 1910年 93
52 1911年 第1次世界大戦開戦 70
53 1912年 派遣の一部中断 71
54 1913年 40
55 1914年 53
56 1915年 40
57 1916年 40
58 1917年 33
59 1918年 30
60 1919年 大戦終結 25
61 1920年 復興に伴う技術者需要拡大 85
62 1921年 60
63 1922年 60
64 1923年 75
65 1924年 為替高騰、緊縮財政により枠の削減 20
66 1925年 20
67 1926年 20
68 1927年 30
69 1928年 世界恐慌の発生 30
70 1929年 30
71 1930年 30
72 1931年 30
73 1932年 30
74 1933年 20
75 1934年 最終派遣 20
76 1935年
最終更新:2025年08月21日 19:23