ペリア・クロブ

ペリア・クロブ(Peria Klub)〈1935年4月-2003年9月〉は、アメリカ出身のオークランド航空機社員、アジア生命相互保険代表社員。

来歴

1935年4月、アメリカオクラホマ州出身。オクラホマ大学で管理工学を専攻し、学生時代はアメリカンフットボールの全米代表選手に選ばれるほどの活躍を見せた。22歳で学士課程を終え、その後はニューヨーク市立大学の法科大学院で修士課程を修めた。

米国国内で

1959年9月の大学院修了後、米国本土で幾つかの法律事務所勤務を経て、パイオニア・マイクロシステムズに入社。法務部門のリサーチャーとして特許問題の調査を担当した。その後、ペンシルベニアに建てられたばかりの精密機械工場で、現場法務の管理などを担当した後、1971年に退職。

ニュージーランド

学士時代の盟友の導きで、単身ニュージーランドに渡る。友人の伝手で、法律事務所の特許担当事務員に職を求め、日本人が経営するニュージーランドの名門法律事務所である、イワタニケイゾー法律事務所に入所。1975年に、岩谷恵三が顧問弁護士陣の1人を務めていたオークランド航空機へ入社。航空特許に詳しいという前評判で採用されたが、専門はIT特許だったため門外漢で、入社後すぐにお払い箱とされた。その後、営業マンとして、ロンドン支店、ハノイ支店、パリ支店を渡り歩き、東京支店で営業統括代理人となる。1980年に、オークランド航空機の極東地域を統括する「日本支社」が発足。「同副支社長」兼「北京支店長」兼「広域中華民国輸入代理人」となる。1981年から日本支社長兼広域日本輸入代理人に就任。
1985年から、航空審議会諮問委員となる。

日本へ

1988年にオークランド航空機を退職し、矢田武富の仲介で、アジア生命相互保険の常務取締役として入社。1990年から取締役副社長・国際担当役員となる。1994年から、ほぼ働かない代表取締役会長に就任。
最終更新:2025年09月12日 09:54