来歴
米国国内で
1959年9月の大学院修了後、米国本土で幾つかの法律事務所勤務を経て、
パイオニア・マイクロシステムズに入社。法務部門のリサーチャーとして特許問題の調査を担当した。その後、
ペンシルベニアに建てられたばかりの精密機械工場で、現場法務の管理などを担当した後、1971年に退職。
学士時代の盟友の導きで、単身
ニュージーランドに渡る。友人の伝手で、法律事務所の特許担当事務員に職を求め、日本人が経営するニュージーランドの名門法律事務所である、
イワタニケイゾー法律事務所に入所。1975年に、
岩谷恵三が顧問弁護士陣の1人を務めていた
オークランド航空機へ入社。航空特許に詳しいという前評判で採用されたが、専門はIT特許だったため門外漢で、入社後すぐにお払い箱とされた。その後、営業マンとして、ロンドン支店、ハノイ支店、パリ支店を渡り歩き、東京支店で営業統括代理人となる。1980年に、オークランド航空機の極東地域を統括する「日本支社」が発足。「同副支社長」兼「北京支店長」兼「広域中華民国輸入代理人」となる。1981年から日本支社長兼広域日本輸入代理人に就任。
1985年から、
航空審議会諮問委員となる。
日本へ
1988年にオークランド航空機を退職し、
矢田武富の仲介で、
アジア生命相互保険の常務取締役として入社。1990年から取締役副社長・国際担当役員となる。1994年から、ほぼ働かない代表取締役会長に就任。
最終更新:2025年09月12日 09:54