矢田武富(やだたけとみ)〈1939.4-2005.12〉は、日本の企業家、
投資家、
経営コンサルタント。裏社会の領袖として知られ、航空機からテロまでを引き受けると呼ばれた経営コンサルである。
来歴
1982年4月、ヤナイ企画常務取締役・第一専門部長・対米交渉最高責任者に就任。メディア事業への資本算入を企画しており、
自由党内部の総務族を介してメディア人脈を形成したいと考えていた。その時に目を付けたのが、メディア出身で
自由党総務族において頭角を現した
曽根昭厚生労働大臣だった。この時、曽根昭の私設秘書となった
志藤十慈は、
ヤナイ企画の元社員で矢田の子飼いの社員だった。1984年6月に、
浅上内閣(改造)で
曽根昭が
内閣官房長官に就任したのは、矢田をはじめとする資金と暴力の後ろ盾があったためである。1987年、
内原幸徳(
内閣総理大臣)の下で組織された、民間外交団の副団長として渡米。
国連日本代表部オブザーバーに就任。
1995年、
ヤナイ企画取締役副社長・第一専門部長・株取引関連業務最高責任者に就任。1997年8月の
自由党党首公選において
雄伯会の会長であった
室堂卓二を資金面でバックアップ。2002年3月に
ヤナイ企画を退社。日本の大手企業から社外取締役などの打診を固辞する一方、個人投資家として活躍。2004年2月、
イギリス王立情報部の工作員が日本国内で拉致。英国に送還されて3か月間勾留される。日本で完成性の強かった政治家や官僚、経済人を通じて保釈を要請し、3か月後には極秘裏に釈放される。身の危険と隣り合わせの生活に耐えることができず、暴露本を寄稿。2005年12月に、
サンフランシスコのレストランで自ら命を絶った。没後には、これまで150名以上の暗殺仲介や暗殺指示をした事実、テロ行為助長のために大量の武器を供与した事実、反社会勢力に対して数億単位で毎年資金供与をしていた事実、自身から株券を受け取った各国の著名人・財界・政界・官界・軍事関係者の名前を列挙した暴露本が世界同時的に発表された。世紀の情報クーデターとして世界中を駆け巡り、少なくとも世界的大企業300社以上、各国23の政権が打撃を受けた。
最終更新:2025年04月23日 21:44