大下和弘(おおしたかずひろ、1931年7月22日~2030年7月)は、
生田村岡鉱山社長、
日本炭鉱工業館総裁などを歴任した。戦後における日本炭鉱業の中核的人物である。
来歴
1931年7月22日、
横浜市長に就任してわずかな、
大下かげきの3男として生を受ける。
1954年、
大阪大学工学部を卒業後、
生田鉱産ガスHDへ入社。
エジプト、
バーレーンの資源開発のため、現地駐在などを経験した。1967年から監査部リスク対策課長として、
村岡鉱山との対等合併に向けた細密調査を担当する。
生田村岡鉱山の設立という世紀の業界再編とされた、
生田鉱産ガスHD(業界3位)と
村岡鉱山(業界7位)の対等合併の実現に最前線で立ち会った。国際物流本部中東担当副本部長、中東本社副社長を経て、1983年より常務取締役中東本社社長、常務取締役石油本部長を歴任。1988年から専務取締役・国際担当。1991年に取締役副社長、1995年に代表取締役社長を歴任する。
2003年より、古典的組織であった
日本鉱業会を発展的解消するため、
日本炭鉱工業館設立構想を発表し、2005年に実現。初代総裁、名誉総裁として深くかかわる。
略年歴
| 1954年4月 |
生田鉱産ガスHDへ入社 |
| 10月 |
石油本部工業技術部 |
| 1955年11月 |
エジプト現地事務所駐在 |
| 1958年4月 |
バーレーン現地事務所駐在 |
| 10月 |
バーレーン現地事務所工務課長 |
| 1960年4月 |
石油本部中東事業部工務課係長 |
| 1962年4月 |
石油本部中東事業部交渉課長 |
| 1964年6月 |
社長室国際課付・中東連絡担当 |
| 1966年2月 |
社長室国際課長 |
| 1967年10月 |
監査部リスク対策課長 |
| 1970年10月 |
生田村岡鉱山へ |
|
社長室総務課長 |
| 1972年6月 |
総務部次長・国際交流課長 |
| 1974年4月 |
中東本社物流部長 |
| 1975年10月 |
中東本社石油開発部長 |
| 1977年4月 |
国際物流本部海運部長 |
| 1979年4月 |
取締役・国際物流副本部長(中東担当) |
| 1981年4月 |
取締役・中東本社副社長 |
| 1983年4月 |
常務取締役(中東担当)・中東本社長 |
| 1986年4月 |
常務取締役(石油開発担当)・石油本部長 |
| 1988年4月 |
専務取締役(国際担当)・外地駐在統括本部長 |
| 1991年4月 |
取締役副社長(地球規模環境問題担当)(サステナビリティ担当) |
| 1995年4月 |
代表取締役社長 |
| 2003年4月 |
取締役会長 |
| 2011年4月 |
名誉会長 |
| 2015年4月 |
終身会長 |
最終更新:2026年06月08日 15:11