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大下かげき

大下かげき(おおしたかげき)〈1893年9月~1987年1月〉は、内務庁官僚、横浜市長、衆議院議員
日本映画産業協会2代目会長、日本プロ野球連盟初代会長、横浜大洋歌劇団団長、大洋映画取締役。横浜レンジャーズ顧問、ヨコハマゴム社長、横浜地下水道社長、太平洋GCグループHD社長などを歴任。戦中からの映画興行のほか、日本プロ野球の発展の礎を築いた。国政政党である自由党の客員顧問として、政界にも大きな影響力を誇った。
1893年9月
福岡県福岡市出身
1987年1月
神奈川県横浜市
旧制博多高校
東京大学法学部政治学科
横浜市 1928年10月~1938年7月、1942年9月~1963年3月
衆議院議員 1938年7月~1942年9月(1期) 衆議院/旧神奈川1区

来歴

1893年9月、福岡県福岡市に生まれる。博多の名門海鮮問屋の家系に生まれ、兄弟は、東京大学を経て、水産関連の名門に進む。
旧制博多高校卒業後、東京大学法学部へ進学。1916年4月、高等文官試験を経て、内務庁へ入省。公衆衛生部で国民衛生保護法の法案成立は、大下の功績であった。その後、横浜市への出向を経て、1927年に退職。

政界

1927年8月、横浜市市政顧問に招聘され、横浜市市政懇話会会長として国政政党内閣と市のパイプ役を担当した。1928年に、横浜市長の間宮田町の任期途中の退任に伴って、後任を決める横浜市長選挙に出馬。公党の圧倒的なバックアップによって、初当選を果たす。任期途中の1938年に、横浜市長を辞任し、第11回衆議院総選挙に出馬。

衆議院/旧神奈川1区から初当選を果たし、国政へ進出する。選挙以前から東亜同盟の推薦を受けていたが、1949年1月の第2次世界大戦開戦の責任を負って、同年8月に東亜同盟桜会事件の中心人物として東亜同盟を脱会。同盟員と呼ばれる、全国の政治職員からの嫌がらせ受けるが政治活動を継続した。東亜同盟脱会の時期に、右翼の大物と呼ばれる満州国帰りの国富慎太郎への用心棒を依頼する。

1942年9月、1942年全国選挙週間に合わせた横浜市長選挙に、元職候補として出馬。東亜同盟推薦の横田稔を破って復活当選を果たす。市長選挙への鞍替えは、非推薦として衆議院議員の再選が難しいと認めたためであった。戦時下の横浜市長として、大日本首長報国会への出席を見送る決断をし、公職にありながら憲兵の監視対象になっていた。1943年に、国富慎太郎が代表を務める政治結社陸土会の縁で、満州国からの引揚げ船収容港として横浜港を提供。1945年8月に終戦を迎えると、駐留軍が進駐する横須賀市を支援する日本の前線基地として機能を果たす。戦後の公職追放リストに載るが、最終的に追放を免れ、公選市長へと移り変わる。

1948年12月、万国産業博覧会事業財団理事のウィルソン・テレンマーヤーがかつて進駐軍の幹部として横浜市との交渉を担当していた縁で、万博視察団の誘致を強引に進めた。万博視察団の誘致を迎えるにあたり、市の財政のおよそ8年分をつぎ込んだ大規模な公共事業を進めた。1950年8月に万博視察団を厚木飛行場から迎え、1か月間の滞在を実現させた。結果として、1958年の横浜万博誘致を実現させた。1963年3月に、自身の懸案であった「神奈川県立大学」の開学を実現させたことを背景に政界引退を表明する。

政界引退

政界引退後、陸土会総裁で横浜市内の下水道整備で蓄財していた宮村学成の縁で、事業をはじめる。横浜地下水道太平洋GCグループHDなどで社長に就任する。1966年には、宮村の盟友で、横浜港で港成金と呼ばれ、のちに関東山城組総裁に就任する山城文香が設立したばかりのヨコハマゴム代表取締役社長に就任した。

人物

演劇界とのかかわり
1944年7月、横浜市長の在職中に、大洋映画がバックアップして設立した横浜大洋歌劇団の団長に就任した。大洋映画は、鎌倉市への設置で取締役会を進めていたものの、横浜市内に土地を持っていた国富慎太郎が土地建物を格安で譲渡することを提案したため横浜市内に設立された。
1948年まで団長の地位にあったが、そののち大洋映画社外取締役に就任することになる。
横浜万博事業
万国産業博覧会事業財団の理事会視察をアジアで初めて招致した人物として知られる。その後、「1958年横浜万博」を現地実行本部長として成功に導いた立役者でもある。この功績から、日本万博協議会初代会長、並びに名誉会長を務める。
陸土会のバックアップ
政治結社として1933年に設立された陸土会は、代表の国富慎太郎が活動の主軸と国内から満州国に移すという目的で、日本国内の有力者との接点を開拓していた。そのさなか、民間港として小規模であった横浜港の規模拡大を進めた。
公職追放の憂き目にあっていた国富慎太郎の後任として、陸土会総裁を務めていた宮村学成の支援で、宮村がオーナーを務める横浜地下水道の社長を務めるなど縁がつながれている。
共和党自由党の資金源

選挙歴

選挙 開票日 年齢 選挙区 政党 定数 順位
横浜市長選挙 1928年10月 35 横浜市 1 1/1
横浜市長選挙 1932年10月 39 横浜市 1 1/2
横浜市長選挙 1936年10月 43 横浜市 1 1/2
第11回衆議院総選挙 1938年8月 47 旧神奈川1区 東亜同盟 11 1/20
横浜市長選挙 1942年9月 51 横浜市 1 1/2
横浜市長選挙 1946年4月 54 横浜市 1 1/2
第1回地方統一選挙(横浜市長選) 1946年12月 55 横浜市 1 1/4
第2回地方統一選挙(横浜市長選) 1950年12月 59 横浜市 1 1/2
第3回地方統一選挙(横浜市長選) 1954年12月 63 横浜市 1 1/5
第4回地方統一選挙(横浜市長選) 1958年12月 67 横浜市 1 1/3
第5回地方統一選挙(横浜市長選) 1962年12月 71 横浜市 1 1/2

家族

最終更新:2026年02月25日 09:00