とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

7-01

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匿名ユーザー

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「この辺りで布教するのは困難を極めますから」
 街を歩く修道女が1人。元々美しかったであろう彼女の髪はあちこちが痛んでいる。
 擦り切れた修道服や格好を見るに、自分の見た目にまるで興味がないようだ。
 それでも、彼女は楽しそうに笑っていた。
 自分で語るほどの困難が眼の前にあるというのに、笑っているのだった。
(ですが、その困難を乗り越えてこそ、真の布教になりますので)
 身体をクネクネと踊らせ、一見不審者のようにも見える修道女、リドヴィア=ロレンツェッティはある街を目指していた。
 街と言ってもローマやヴェネツィアといった都市を指しているわけではない。
「ここからですので」
 そう呟いたリドヴィアが目をやる通路は、周りとは一線を画した場所であった。
 イタリア郊外にあるその街は、周りの雰囲気から一変した構造をしており、醤油の匂いが漂っているようにも感じる。
 日本人街。
 街と言うよりも集落という言葉が正しいそれは、特に日本的な地名があるわけではない。
 それどころか、日本人街ですよーという看板があるわけでもない。
 しかし、見る人が見れば100%日本っぽいと言えるような場所であった。
 『日本人同士集まった方が便利だし、住みやすいじゃん』というすこぶる人間的な理由で、集まって住んでいるだけの街。
 田舎に行くと同じ一族で固まって住んでいるのと同じようなものだ。
 そんな日本人街をリドヴィアは歩いている。
「ふふふ。余所者を見るような視線ですので」
 リドヴィアがちらりと目線を向けると、開いていたカーテンがシャッと閉まる。
 基本的に無宗教である日本人には、十字教のウケはそれほど良くはない。
 他に比べて排他的であるローマ正教であれば尚更、それは顕著となる。
「この不条理さこそが私の原動力となるのですから―――と、あれは?」
 リドヴィアは暗い場所を見るように目を細める。
 誰もいないと思っていた通路の影に、1人の少年が立っていた。
 見た目10歳くらいの少年の服は所々が破れており、元々クセのあるであろう茶色い髪はより一層ボサボサになっていた。
(最近増えてきたという、ストリートチルドレンですので?)
 リドヴィア=ロレンツェッティは目の前の少年の姿に困惑していた。
 それは『この場所』にとって、異様な光景だった。
 ボサボサした茶髪の少年は『興味深そうに』こちらを見ている。
「ねぇ。お姉さんは、十字教のひと?」
「そうですが。何……でしょうか?」
(物好きな子なので)
 慣れない好奇の目にあてられて困り顔を作りながら、リドヴィアは少年の目の前に腰をおろした。

 興味深い目で見られる。
 ある人にとっては楽しく、またある人にとっては嫌になるような、そんな状況。
 だが、リドヴィアは純粋に驚いていた。
 この日本人街でこのような目で見られるのは珍しい事だった。
 それよりも何よりも『権力』で飾られてしまったローマ正教において、子供が修道士に声をかける事自体が異常だった。
「あなたは、何とも思わないのですか?」
「どういう、こと?」
 キョトンとする少年の肩に、リドヴィアが手を置く。
「名も知らぬ修道女を前にして、あなたは怖くないので?」
「怖くなんて、ないよ」
 少年の表情はどこまでも真っ直ぐだった。
(強がりとか、そういうものではないようですから)
「『何もできない』事に比べれば、怖いものなんてないよ」
「そうですか………」
 リドヴィアは顔を伏せる。
 たかが子供の言葉ではある。人によっては異教徒の妄言だと切って捨てるかもしれない。
「自由に暮らすにはどうすればいいの?」
「自由?」
 リドヴィアは軽く目を見開き、少年の目を真っすぐに見つめる。
 少年の目は真剣だった。
「自分や身の回りの人の自由くらい、守れる強さを手に入れるには、どうしたらいいの?」
「…………」
 リドヴィアは鞄に詰め込んでいた聖書を取り出す。丁寧に装丁されたものではない表紙が風でペラペラとめくれる。
「『そんなもの』じゃなくて」
 少年はバッサリと切り捨てる。
 一歩間違えれば異端者として抹殺されそうな勢いで。
 一瞬、リドヴィアの顔に複雑な感情が浮かぶ。
 それでも、少年の目は揺れない。
「覚悟はあるので?」
 リドヴィアは少年の目を見る。
 こくん、と頷く少年の目は、やはり揺れていなかった。
 ついてきなさい、とリドヴィアは踵を返す。
 少年は一瞬の躊躇いの後、日本人街を振り返る。
 そして小さく何かを呟くとリドヴィアに続いた。
「あなた、名は何というので?」
 とある教会に向かいながら、リドヴィアは後ろについている少年を見る。
 俯いていた少年が顔を上げ、ボサボサの髪が揺れる。
「てる………雨宮、照」
 とある少年の運命に、魔術が交差する。

「お久しぶりですね」
 暗い部屋の中に、軽い声が響く。
 その声に反応するように、白い修道女が振り返る。
「あぁ、久しぶりなので。無事に魔術師となったと聞いたのですが?」
「ええ、お陰さまで、ですよ」
 カラカラと笑う雨宮に、リドヴィアは小さく溜息をついた。
 日本人街での邂逅から1年。魔術師としての訓練を受けていた雨宮は久々にリドヴィアに遭遇した。
「あなたのその真剣味に欠ける顔はどうにかならないので?」
「いやいやぁ、元々こんな顔なんですけど」
「はぁ………会った頃のあなたはもっと真面目でしたから」
 やれやれとでも言うかのように肩をすくめるリドヴィア。
 酷い、と涙目になりながら、雨宮は肩を落とす。
(相変わらず変わった子なので)
 リドヴィアはもう一度溜息をついた。
 この1年間で雨宮は大きく変わった。少なくともリドヴィアはそう感じていた。
(よく笑うようになりましたから)
 感情のない顔でいることが多かった雨宮も、最近はかなり笑うようになった。
 リドヴィア自身、そのことは良いことだとは思っている。
 例えそれが表面上の、空元気の様な笑みで会っても、終始無表情よりははるかにマシだ、と。
 人を一定以上近づけない事以外は―――。
 リドヴィアは少しだけ口元を緩めると、雨宮の顔を見る。
 相変わらず奥の見えない、そんな目をしていた。
「魔法名は、決まりましたか?」
「はい?」
 唐突に聞いたせいか、雨宮は一瞬だけキョトンとした顔を作ると、慌てたように手を振った。。
「あ、あぁ、ま、魔法名ですかっ? caelum237―――空に羽ばたく者、です」
「―――それが自由を求める為の名、と?」
 リドヴィアの言葉に、雨宮が笑う。
 いつもと同じで、いつもと違う顔。
 少しだけ真剣味を足した、そんな笑顔だった。
「いやいやぁ、求めるだけじゃ駄目なんです。この世界の全ての人が『自由』であるようにって」
「……………そうですか」
 リドヴィアは目を背ける。
(言うだけタダ、とは言いえて妙ですから)
 世界の全て、そう言うのは簡単なことだ。
 単純に『世界征服』を宣言するだけなら、七夕の短冊に書く程度の覚悟でもできる。
 だが、実際にそれを目標として、願いとしてそれを掲げるのは容易ではない。
 世界平和。
 その気にならなくても、世界の多く人が同じことを望むだろう。
 『争いのない、平和な世界でありますように』と。
 それでも―――
(十字教の闇は、あなたが思っているほど簡単に拭えるものではありませんので)
 リドヴィアは口に出さない。
 教え子の夢を削らない為ではなく。
 自身が信じたくないその『事実』を、口に出したくはなかった。

「ま、まだまだ修行中の身なので、これから頑張るんですけどね」
「そうですか」
「目標は大きすぎて越えれそうにないような山ですが」
 雨宮はカラカラと笑う。
「その為なら、俺はなんだってやろうと思います」
(良い目をするようになりましたので)
 リドヴィアは思う。
 犯罪者であれ、異教徒であれ、自分の目指すものを語る時の目は良いものだと。
 そこに辿りつく為の手段を与えることで、自らの『布教』は完成すると。
「目の前の壁が高いほど、越えた時の喜びは増すものですから」
 『告解の火曜』と呼ばれる女の本質。
 雨宮は彼女の言葉に頷く。
「………そういえば、あなたに関して妙な情報を聞いているので」
「妙な情報、ですか?」
 話の流れを断ち切るように、リドヴィアはポンッと手を叩いた。
「なにやら『実験』をするとかいう………」
「―――ッ!?」
 その途端に、雨宮は隠し事がバレた時の様な苦笑いを浮かべる。
「あ、あははははは」
「人の手で『聖痕』を作りだすなんて、主の教えに反するあるまじき行為ですので」
 苦笑いを浮かべ誤魔化そうとする雨宮に、リドヴィアはピシャリと言い放つ。
「そもそも、そんな実験に参加する意義は何ですので?」
 ふんっ、と鼻を鳴らす勢いで怒るリドヴィアを宥めるように抑える。
「それほど科学がお嫌いですか?」
「嫌いではなく。単純に私の目的のために攻略する対象だとは思っている程度なので」
 雨宮は小さく溜息をつくと、踵を返した。
「この実験に協力すれば……俺と同じ境遇の人を助けてくれると、それがローマ正教の出してきた条件です」
「科学を否定しながら、科学に手を染めるので?」
「俺は否定してませんよ。科学も、ローマも、ロシアも、イギリスも。等しく自由であるべきものでしょう?」
 リドヴィアに背を向けたまま、雨宮は右手を握りしめた。
「理想論かもしれませんが、ローマ正教の方針とは異なるものですから」
「例え貴女と道を違えても、俺のやるべきことは1つです。この胸に刻んだ、魔法名にかけて」

「うぐぉぉおおおおおおおおおおおおおぁァあああああぁぁあぁアァァァァッ!!」
 ゴバァァァァッ! という轟音が響き、ある教会の暗い部屋に爆発が起こる。
 爆心地となった手術室の様な部屋は勿論、それを内包していた教会ごと吹き飛ばすほどの爆発。
 ありとあらゆるモノが吹き飛び、爆風がガラスを粉砕し、中にいた人間を蹂躙する。
 いきなり超大型台風が直撃したような爪痕を残し、内側から吹き飛んだ教会は機能を停止したように静かになっていた。
「ッ、は………ば、カなッ……」
 火薬ではない、純粋なる魔力の暴発によって壊滅した瓦礫の中から、人が一人現れる。
 責任者として参加したこの実験は、最悪の事態を招いていた。
 科学者・パウラ=オルディーニは、所々が赤く染まった白衣を纏い、右手で顔を抑えてよろよろと千鳥足で動き回っている。
「そんな………ワタシの理論に、も、問題はナ、なかったはずッなのに」
 崩れ落ちた残骸を踏み散らし、よろよろと歩く白衣の女はその場に膝をついた。
 地面に落ちていたガラス片に顔が映る。
(んなっ!?)
 真っ赤に染まり、自分のものと思えないほど歪んでしまった自らの顔に驚愕する。
 ぶんぶんと首を振り、周りを見る。
 さっきまで同室で実験を行っていた技術者達の姿は見えない。
(生きてるのは、ワタシだけ、です、か?)
 じゃり、と踏みしめる音に気付き、パウラはそちらに目をやる。
「………ん、だよ………これ、は」
 立ちあがったそれは、先程まで自分が扱っていた実験体。
「うおぁぁああああああああああああああァァァァァァァァァァァッ!!」
 赤く血走った目をしたそれが大きく咆哮をあげる。
 周囲に強烈な魔力の奔流が起こり、形あるものが崩れさる。
(この力、コントロールはっ、できてない、のかッ………)
「たかが、実験体のクセにッ」
(実験は、成功、してるっ………力の制御さえ、でき、ればっ)
「たかが実験動物の分際で、調子に乗るなよぉぉぉ」
 白衣の女は吠える。凄惨な事件の中心に立っている怪物に向けて。
「こ、んの野郎がァァぁぁああぁぁッッ!!」
 満身創痍である事も忘れて、パウラは叫ぶ。近くに落ちていた金属のパイプを手に取り、暴走する実験体に投げつける。
 勢いよく放たれたパイプはヒュンヒュンと風切り音を立てて、直立不動の怪物へと向かう。

 ギロリ。

 ぬるりと動いた少年だったものの目が、投げられたパイプと、その先にいるパウラを捉える。
 焦点の合っていないような目が、少しだけ見開かれた瞬間、そよ風と呼ぶには強烈すぎる何かが、パウラの横を通り過ぎた。
(……な、)
 ぼとり。肉の塊をまな板に落とした時の様な鈍い音が、鼓膜を揺らす。
(にが―――!?)
 生温かい何かに気付き、パウラは自分の足元を見た。
 右腕。
 金属パイプを掴み、投げつけた腕が落ちていた。
 まるで捌きたての魚のように、ビクビクと脈打っている。
「あ、あああ。あぉぉおあおおぁぁぁ」
(そ、んな、ナ、なにが、起こっていると)
 パウラの視界ぐるりと回る。
 どちらが前で、どちらが右なのかも分からない。
(ワタシは、殺される、のですか?)
 前後左右どころか、上下も分からなり、身体がふらりと揺れる。
 瓦礫だらけの地面に倒れ伏せ、落ちていた教会の破片がパウラの身体に突き刺さる。
 痛覚さえ麻痺してしまった状態で、パウラは視界の端にそれを捉えた。
 青いゴルフウェアの様なものを纏った、屈強な何かを。
 パウラ=オルディーニの意識はそこで途絶えた。

 ゆったりとした何かに寝ているのに気付き、雨宮は薄く目を開ける。
 白い天井が一面に広がっている。
「病院……じゃ、ない、か」
 軋む身体を無理矢理に起こし、辺りを見る。
 教会の一室だろうか、それなりに広いその空間には色々なものが置かれている。
 部屋を見ればその主の性格が分かるというが、この部屋は教会に住まうような十字教徒のそれとは少し異なっていた。
 質実剛健。その言葉が似合う部屋は必要なものしか置かれていないように見える。
 青を基調としたものが多い中で、茶色い高級感あふれる小瓶が並べられている。
「気付いたか」
 低い男の声が、入口の戸から聞こえてくる。
 青いゴルフウェアのような服を着た男がそこに立っていた。
「………貴方は?」
「アックア」
 『神の右席』である男は雨宮の顔をを一瞥だけすると、部屋の奥へと入り、古い椅子に腰をかける。
「何が、あったんですか?」
「覚えてないのであるか?」
「ええ、まったく」
 ふん、と鼻を鳴らし、アックアは棚に並んだ瓶に手を伸ばす。
 いちばん古そうな未開封の瓶に手を伸ばしたところで、アックアは一瞬ためらうとその隣にあったものを手に取った。
「聖人に近しい力を得た貴様は、その力を制御できずに魔力の爆発を招いたのである」
「……実験は、成功したってことですか?」
 雨宮は力の入らない身体をよろよろと動かし、ベッドに座り直す。
 アックアは瓶に口をつけ、琥珀色の液体を飲む。
「二十余名の犠牲者を出して成功と言えるのなら、な」
「っ………」
 アックアは感情の読みとれない顔で酒を飲んでいる。
「俺は……どうすればいいんですか?」
 雨宮は嗚咽の漏れそうな声で小さく漏らす。
 はからずも、自分が人の命を奪ってしまった事に。
「まずは自身の力の制御法を学ぶしかないのである」
 アックアは小瓶のふたを閉めると、部屋の奥に立てかけてあった長いものを手に取った。
 3メートルはありそうなそれは、古ぼけた布でぐるぐる巻きにされている。
「これを貴様に渡しておく」
「重っ!?」
 古ぼけた布をとると、そこに現れたのは巨大な鉄槍だった。
「聖人の力を制御するのに役立つであろう」
「……はぁ」
「明日から私が稽古をつけてやる」
 アックアは椅子に腰をかけると、再び酒を飲み始めた。
「今日は?」
「今日は飲みたい気分なのでな」
 アックアはちらりと雨宮を見ると、小さく息を吐いた。
「貴様も飲むか?」
「いえ、遠慮しておきます。っていうか、未成年です」
 ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らすアックアに、雨宮は苦笑いで応えた。
(結構、高級な酒が並んでるよなぁ……)
 雨宮は棚に並んでいる酒のラベルに目をやっていく。
 彼には知る由もないが、とある男との因縁めいたものも並んでいた。
「そういえば、貴方は……どうして、俺を助けてくれたんですか?」
 雨宮の言葉を聞いて、アックアは小瓶をテーブルの上に置き、ふぅと息を吐いた。
 緊張感のある思い空気が漂い始めたころ、おもむろにアックアが口を開いた。
「悲しみ涙を暖かいものに変える事。それが私の刻む名であるからな」

 茶髪の少年が高校生になった秋の初め。
 ローマ正教は学園都市との抗争の準備に着手していた。
 学園都市、ひいては『幻想殺し』上条当麻を本格的に危険因子と認識したローマ正教上層部が裏で動き始めていた。
(目標近く…………警備は割と手薄、か)
 街が静まり返り、日本でいえば丑三つ時と呼ばれる頃、雨宮は暗闇に紛れていた。
 魔術的プロテクトの合間を縫い、とある施設に侵入する。
 牢獄。
 檻や拘束具の置かれた、いわゆる『魔術的牢獄』である
 物陰に隠れ、雨宮はちらりと施設の奥を見る。見回りをしているのは気だるそうな2人だけのようだ。
(頑張り過ぎると目立っちゃうけど……)
 ふぅ、と小さく息を吐くと、雨宮は物陰から飛び出し警備員に接近する。
「んなっ!? だ、誰―――」
 文字通り一瞬で警備員を昏倒させ、雨宮は目的の場所へと向かう。
「…………テメェ、何しに来やがった?」
 雨宮が訪れた場所。そこは、犯罪者を拘束する為の牢獄であった。
「騒ぎになるからいちいち声に出すなよ」
 雨宮は牢屋の中の異教徒たちを見る。
 特に魔術に携わっている人間ではない。
 もっといえば、犯罪者ですらない。
 女子供、なんでもない観光客までいる。
 『異教徒の改宗を促すから』と言われ、雨宮が連れてきた人間だった。
「理由あってお前をココから出す。バレないようにさっさと逃げてくれ」
 雨宮は警備員から奪った鍵を使い、牢の戸を開く。
「罠じゃねぇだろうな?」
「わざわざ侵入してまで罠にかけてどうすんだよ」
 警戒を抱いた目で睨む異教徒の人たちに、雨宮は溜息をついた。
「俺を捕まえたアンタが、どうして俺を逃がすんだよ?」
「俺だって、こんなとこに『捕まってる』とは思ってなかったよ」 
 警戒しながらも牢から出てきた男の言葉に、雨宮は口を閉じる。
「――――――あるんだよ」
「はぁ!?」
 聞こえねぇよ、と異教徒の男は続ける。不安からか、妙にイラついていた。
「世の中には、知らなくていい事もたくさんあるんだよ」
 雨宮はそれだけ言うと、異教徒の男に向けてしっしと手を振った。
「さっさと逃げろって。また捕まるぞ」
「……………」
 捕まっていた人たちは何かを言いたげな顔で立っていたが、暫くすると諦めたように走り去って行った。
「そう。暗部なんて、知らない方が良い世界もあるんだよ」

 奪い取った鍵を警備員に返し、侵入の痕跡を消した後、雨宮は牢獄を後にした。
 月の光のない街は暗く、自分以外の人が歩いている気配はない。
(っと、あれ、は?)
 雨宮は暗がりに目を凝らす。地面の真ん中に何かが転がっていた。
 不自然に転がされたそれは、人の様なシルエットをかたどっており、大きさはちょうど『さっき逃がした男』くらいであった。
(この匂い………まさか)
 鉄の様な匂いを感じ、雨宮はそれに近付く。
 頭の中で警報機が鳴り響き、状況の異常さを警告している。
「おやおや。こんな所でお会いするとは、奇遇ですね―」
「―――ッ!?」
 倒れている何かの近くの路地から、唐突に声が飛ぶ。
 雨宮は殆ど反射的に、その声から逃げるように距離をとった。
「暇ではないので暇つぶしに、とはいきませんが。少しお話を窺わないといけませんねー」
 穏やかに笑いながら、緑色の男は右手を振った。
 白い粉の様なものにまみれたその右腕に誘導されるかのように、『白い刃』が雨宮を襲う。
「ぐぅっ!?」
 雨宮はその場から真横に飛ぶと、その勢いのまま地面を転がり体勢を立て直す。
「アンタが……異教徒殺しの黒幕か?」
「ふむふむ。そこまで調べているとは感心ですねー」
 緑色の男は飄々とした表情のままで頷いている。
 雨宮はギリッと歯噛みした。
「改宗を促し、救うために捕縛したはずだ! それを、どうして殺す?」
「おやおや。良い敵意ですねー。ヴェントがいればさぞ喜んでいたでしょう」
 緑の男は睨み付けている雨宮を無視するかのように微笑んでいた。
「異教徒の豚に情けなど必要ないのですし。私が救うのは同じローマ正教の者だけですから」
「アンタ、本当に人間か?」
 信じられないと言った表情で、雨宮は緑色の男を見る。
「今のところはそうですねー。我々はその上を目指しているのですがねー」
「な、何を言っている?」
 男の言葉の何一つ理解できない、といった表情で固まる。
(人間以上? セフィロトの樹の根底でも崩すつもりか?)
「おやおや。アックアからは何も聞いていないのですか?」
 男は心底意外そうな顔をすると、何が可笑しいのか、クックと笑いだした。
「私の名前は左方のテッラ、後方のアックアと同じく、『神の右席』の1人です」
「は?」
 雨宮はキョトンとした顔のまま、その場に立ち尽くす。
(神の右席? 後方のアックア?)
「聞いていないかもしれませんが、貴方はここで寝てもらいますよ」
 雨宮の前に、白い刃が舞う。
「優先する。―――小麦粉を上位に、人肉を下位に」
 赤い鮮血が、雨宮の視界を覆った。
「牢にでも入れておいてください。特別製のそれじゃないといけませんがねー」
 テッラは控えていた部下に指示すると、踵を返して路地の奥へと帰って行った。
「『光の処刑』の調整は完璧とは言えませんが、まぁいいでしょう」
 そういうと懐から蝋で閉じられた羊皮紙の様なものを取り出す。
「これがあれば、なんとかなるのですからねー」

(くっそ……)
 雨宮は特別製の牢の中で歯噛みしていた。
 先日の行動により捕縛されてしまい、牢獄の最深部に幽閉されたのだった。
(また手の込んだ牢を用意してくれたもんだよなぁ)
 雨宮は自らを囲む牢の作りに目をやる。
 普通の、一般的のそれとは違い、あちこちに独特の意匠の装飾が施されている。
 それらが示す魔術的意味合いは『拘束と処刑』。
 対聖人用に特化した、特別製の牢であった。
(ローマ正教、か………)
 雨宮は力なく牢の地面を叩く。
 何が起こるわけでもないが、なんとなく、そうしたい気分だった。
 ローマ正教に入り、魔術師となり、人体実験を受け、さらに力を制御する為の訓練を受けて数年。
 自らを含めた、世界中の人に自由をもたらす為として生きてきたつもりだった。
(それが…………)
 改宗させる為に教会に連れて来た異教徒の人間は、あろうことか術式の的になっていた。
 恐らく、自分が実験を受ける対価として要求した子供たちも、秘密裏に消されているのだろう。
(まさか、こんな暗部があるなんてな)
 雨宮は自嘲する。
 何も知らない方が良かったのか、全てを知った方が良かったのか、それすら判断できない。
 下唇を噛んでみても、自分が間接的にでも虐殺に関わった事実は消えない。
「一体何が出来んだよ……」
 口から洩れる独白が、余計にその事実を突きつける。
 現状、世界的に巻き起こるデモを始めとした争いに身を焦がす人がいる。
 自らの故郷であった日本人街は、早々に片づけられてしまった。
「………相容れないってのかな。魔術と、科学と」
 溜息をつく。
(情けないな)
 雨宮は落胆する。
 何もできないどころか、間接的にでも人を殺してしまった自分に。
 日本人であって、ローマ正教である立場の自分に。
 魔術側でありながら、科学で染まった自分に。
「どう、するかな」
 このままローマ正教に居たとすれば、望まぬ争いに首を突っ込む事になるだろう。
 同じ日本人を。
 否、同じ人間を手にかける事もあるかもしれない。
 求めた自由は、死によってもたらされるものではないはずだった。
「学園都市、か」
 雨宮は弱々しくも立ち上がる。
 影から長い鉄槍を取り出し、構える。
 聖人の弱点を緩和する為に敢えて持っている弱点に、力を込める。
「お、おおおおぉおおおおおおおおおおおおおぁぁぁぁっ!!」
 牢を破り、施設から飛び出る。
 自由に羽ばたける世界に向けて。
 目指すは、科学の総本山。

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