事の始まりは少女の何気ない一言だった。
「ショッピングというものに行ってみたいってミサカはミサカは頼んでみたり」
「あァ?」
茶色いショートカットの少女は病院のベットに掛かるテーブルの上に乗っていた。
青色のワンピースに身を包み、頭頂部から出ている一本の毛が風も無いのに揺れている。
其れに対して眉を顰めるのは少女の目の前でベットに横たわる白髪の少年だ。
見ただけでは男か女か判別不可能の中性な顔立ちと体つき。
学園都市内にその異名を轟かす白の最強能力者―――"一方通行"。
その最強の能力者は現在、目の前の少女を見て面倒臭そうに首を傾げていた。
少女は一方通行の次の言葉を待つかのように輝いた瞳で一方通行を見ている。
「……」
「お?お?もしかして好感触?ってミサカはミサカはかなーり期待してみる」
「寝ろ」
「いえーい!なんか久しぶりに聞いたよ、ってミサカはミサカは久しぶりに拳をつき上げてみたり!」
打ち止めはヤケクソ気味に拳を天に向かって突き出すが、一方通行はそれを面倒臭そうに見ていた。
「そもそも、俺ァまだ動けるような状態じゃねェだろうがよォ」
一方通行は八月三十一日にとある事件に巻き込まれ普通なら死んでもおかしく無いような傷を負っている。
その事件とは、この目の前の少女―――"打ち止め"を中心に起こった事件だった。
とある研究員が埋め込んだウィルスに侵されていた打ち止めを一方通行が自らの傷と引き換えに助けた。
端的に言ってしまえば、そんなところだ。
その間にも色々な話が詰め込まれているのだが、今は割愛するとしよう。
しかし、そのウィルスを消す際に記憶も一緒に消去された筈の少女は事もあろうに自らその記憶を補完して
こうして目の前でにこやかな笑顔を一方通行へと向けていた。
その上、何故か事件の後も済し崩しに一緒にいる形となっていた。全く持って謎である。
「あ、その点については大丈夫、ってミサカはミサカは胸を張りつつ言ってみる」
「あン?」
打ち止めはなにやらベッドから飛び降りると病室の隅へと向かう。
其処には何時の間にやら黒い紙袋が置いてあった。
怪しい。とにかく怪しい。
レベルを強いて言うならば、開けるな危険のオーラを醸し出すほどの怪しさだ。
というか、黒い紙袋なんてとてもじゃないが普通の生活では滅多に御目にはかからないだろう。
そして、打ち止めはご機嫌に鼻歌を歌いつつ黒い紙袋の封を開け、中へと手を突っ込んだ。
暫く中を探っていた打ち止めだったが、何か見つけた様に笑顔になり、腕を紙袋から引っこ抜く。
その手にあるのはチョーカーの様な黒い帯の付いた小型の携帯音楽プレーヤーのようなものだった。
じゃーん、と黒い帯の先に付いた小さい棒状の機械の様な物を揺らしつつ一方通行へと向き直る。
「何だァそりゃ」
「演算補助のための変換機ってミサカはミサカはもったいぶらずに答えて見る」
加えて言うが一方通行は八月三十一日の事件で傷を負い、その最強の所以たる能力の大半を失っている。
現在ではこの視線の先でほれほれ、と楽しそうに変換機と呼ばれた物体を揺らす少女と、
その姉妹の様な存在である"妹達"によって演算能力の大半を補っている状態だったりする。
「よし」
「おぉ、アナタがそこまで良い笑顔を見せるなんて始めてかもってミサカはミサカは喜びを体で表現してみたり」
一方通行は彼を知る者が見たならば、即座に裸足で逃げ出すようなとてつもなく良い笑顔で頷きを一つ。
「そこに直りやがれ、クソガキ」
「ひゃっほう、やっぱりこうなるのねー!ってミサカはミサカは現実から目を背けずに嘆いてみる」
打ち止めは其の場でよよよ、と座りながら手で顔を隠して嘘泣きをし始めた。
一方通行は気にせずに寝転がり、頭まで全身を布団で包んで寝る準備をし始める。
「あーッ!ってミサカはミサカは指差して驚いて見る!人が嘆いているのに放置して寝ようとするだなんて、
それでも人なの!?ってミサカはミサカは抗議してみたり!というか、これはアナタのためでもあるんだよー!
ってミサカはミサカは必死に叫んでみる!」
「あン?俺のためだァ?」
「そうそう、ってミサカはミサカは内心ホッとしつつ正座してみる」
今まさに飛び掛らんとしていたのか、打ち止めはベッドに掛かるテーブルの上に乗っていた。
そのまま打ち止めは正座しつつ目を閉じて腕を組み、尤もらしく何度か頷く。
「実はリハビリも兼ねてたりするのってミサカはミサカはあのカエル顔のお医者さんが言ってたって言ってみる」
ほほゥ、と一方通行は改めて体を起こし、打ち止めを見やる。
「で、本音は?」
「暇だからどこかに連れてって、とミサカはミサカは正直に本音を――って、ふぎゅっ!?あ、やめてやめて。
布団でくるむのは御勘弁をってミサカはミサカはなんだか前も言ったことあるような台詞を言ってみるー!」
結局カエル顔の医者が回診に来るまでこの馬鹿騒ぎは続くのであった。
○
そして現在。
「なんで、こうなりやがンだァ!いきなり蒸発するかァ、普通よォ!?」
多くの人々が出歩く街の中心で、病院着から私服に着替えた最強の能力者は天に向かって叫ぶ。
詰まるところ、連れ添いであるはずの打ち止めと完全無欠に離れ離れになっていたのだった。
その叫びを聞いて一部過去に彼を襲撃して返り討ちになった不良達がすいませんでしたー!、等と
叫んで逃げて行くが、一方通行はそれらは全く気にせずに周囲を見渡した。
見渡す限りの人、人、人、馬、人。
見事に人だらけである。正直気が滅入った。
打ち止めの身長はそこらの小学生と変わらない。
この人の多さでは埋もれてしまい、見つけるのはとてもでは無いが無謀というものだ。
しかし、一方通行は、そんな事など知らないとばかりに足を動かし始める。
「あァ、なンでこンなトコで居なくなりやがンだァ……俺に恨みでもありやがンのかァッ!?」
恨み言を吐きつつ、一方通行は身体の状態も気にせず突っ走りはじめた。
速い。
地面に敷き詰められたアスファルトを砕くとまではいかないが、相当強い踏み込みの音が周りに響く。
その音に驚き、道を開ける人々。
一方通行は打ち止めを探して周りを見渡しつつ、モーゼの十戒の様に割られた人の群れの中を走っていく。
しかし、それでも人の流れというものは常に変化するものだ。
「きゃぁっ!?」
突如響く悲鳴。
走ってでもいたのか、開いた道のど真ん中に飛び出して一方通行にぶつかり、勢い良く尻餅をつく少女。
「あァ?悪りィな、ぶつかっちまったかァ?」
一方通行はそれを見て、自らにかかる慣性を適当に反射分散させて急ブレーキをかけた。
一応、一方通行も僅かばかりの礼儀作法というものは身に付けているのだ。
それでも、打ち止めと出会ってから大分マシになったという程度だが。
「あたた……うぅ、あなた、あぶな――ひッ!?」
「あン?」
少女は一方通行の姿を見るといきなり怯えた表情になり、固まってしまった。
一方通行は訝しげな顔をして目の前の少女を見る。
紺色の、前のチャックを開けたジャージを着込み、長髪を後ろで二つに結った髪型。
その髪の下には今にも泣き出しそうな怯えた少女の顔。
どこかで見た事があった、と一方通行は思う。しかも、極最近に。
「ひ、あ……」
一方通行が首を捻りながら誰だったか、と考えている間、少女は起き上がろうともせずに固まっていた。
どうやら腰が抜けているようだ。
ちなみに一方通行には怖がられる心当たりはありすぎる程あったりするので相変わらず気にしてはいない。
その間にも一方通行は思考を走らせ、記憶を掘り起こす。
学園都市最高の頭脳を持つ一方通行の記憶力は伊達では無い。
目の前の少女と一致する姿を検索する。
そうして数秒後、該当したのは―――、
「あァ、そうだ。オマエはあれか。あン時の三下かァ?」
ビクリ、と少女の肩が跳ね上がる。
少女は咄嗟に立ち上がって逃げようとするが、一方通行はそれを許さない。
逃げようとする少女の両肩を掴むと、少女が以前に見た事があるような邪悪な笑みを浮かべて言った。
「丁度良い。オマエ、確か"空間移動"出来たよなァ?ちょっとやって貰いてェ事があンだけどよォ」
一方通行の目の前では、少女が寒さに震えるハムスターの様に涙目で凄い勢いを付けつつ頷いていた。
突然だが、結標・淡希は"空間移動"の亜種である"座標移動"という珍しい能力の持ち主である。
簡潔に言えば、手で触らずとも物体を座標Aから座標Bまで移動させる事が出来るという能力だ。
しかし、結標の肩をガッシリと掴んでいる最強――"一方通行"の能力はその更に上を行っている。
その能力とはあらゆる力の"ベクトル"の操作。
ありとあらゆる攻撃を跳ね返し、己の力を倍加する能力はまさに最強の名に相応しいものだ。
その最強は現在結標の肩をガッシリと掴んでいた。
その表情はとても嬉しそうだ。
まるで獲物に狙いを付けた肉食動物の様な獰猛な笑み。
……あ、死んだ。
結標は知らず絵的に真っ白になった。
金属を叩く音でも鳴らしたら良く響きそうな程の静寂が満ちる。
周囲の雑踏などまるで気にしない。
というか、まるでどこかのステージの様に結標と一方通行の居る場所は開けていた。
なんだか他人が遠い。
今居るのは狩人と獲物の二匹のみである。アデュオス、この世。こんにちはあの世。
一方通行は魂の抜けている結標の肩から手を離しつつ、凶悪な笑みを引っ込めた。
どうやらもう逃げる心配は無い、と思ったようだ。
魂が抜けたままの結標は勿論、なんの反応も寄越さない。
「ンじゃ、いっちょ高く飛ばせ」
いきなりの命令系。
この少年、能力どころか性格まで理不尽のようだ。
ハッ、と一方通行の声をきっかけに意識を三途の川付近に飛ばしていた現実へと戻ってくる結標。
見上げてみれば、辺りをキョロキョロと見回している一方通行が目に入った。
何か探し者だろうか、と結標は呆然とした頭で首を傾げるが、その様子に気づいた一方通行は、
「トロトロしてねェでさっさと飛ばせ」
「と、飛ばす?」
イライラしたような視線を向けられて思わずたじろぐ。
結標は状況を理解しようと脳が全力回転するがまだ結果を導き出すまでには至っていない。
地響きがしたと思ったら誰かとぶつかり、注意の一つでもしてやろうかと思ったら、目の前には最強の能力者。
これはなんの悪夢だろうと思う。
「だァーから、とっとと飛ばせつってンだろォが!」
「は、はひっ」
声が思わず上擦る。
しかし、結標は、そんな事すら気になら無い程混乱したまま能力を行使した。
勿論そんな状況で使った能力が上手く行くはずもなく。
「……」
一方通行がぽふ、と地面に着地した。
総飛距離十センチ。結標・淡希、夢の新記録である。
「あァ~……」
一方通行は呆れた様な顔で声を出した後、表情をすぐさまとてつもなく良い笑顔に切り替る。
そして、結標を首だけ動かして見下ろし、
「よォし、いっぺン死んでみっかァ?」
「ごごごご、ごめんなさいぃー!」
涙目のまま左右へと凄い勢いで顔を横に振る結標。
それにしてもこの結標、ビクビクである。
「次はねェと思え?」
「うぅぅ……なんなのよぉ……」
良い笑顔のまま肩を叩く一方通行。なにやら肩がビリビリと痺れる。
顔を向けて見れば、なにやら一方通行の手から青白い火花が出ていた。
「生体電気って、やろうと思えば結構出力出るンだよなァ」
「つ、謹んで受けさせていただくであります、ハイ!」
尻餅をついたまま思わず敬礼をしてしまう。
かなり間抜けな格好の上に涙目と合わさって何やら一種の同情すら感じさせる光景だ。
実際、周囲の人々の哀れみの視線が痛い。
「悪りィな。ちっとバカがどっかにいっちまったもンだからよォ」
「悪いと思うなら最初から―――」
「血行を良くしてやンのもオツだよなァ?」
「と、飛んでけーっ!」
即座に計算式を組み上げて一方通行を空高くに"座標移動"させる。
先ほどまで一方通行が立っていた位置の遥か上空で、彼は何かを探すように周囲を見渡している。
……そういえば、"バカ"って誰の事かしら……?
目の前から一時的にとは言え、悪夢が消え去り少しはまともな思考になる。
一方通行が探すような重要人物。
……まさか、あの資料に載っていた女の子?
写真で見た一方通行を支える少女が脳裏に浮かぶ。
成る程、必死になるわけだ。
あの少女が居なくなればあの学園都市最強は最強ではいられないのだから。
そう、仮初でも"目的"が無ければ生きていられない、今の結標の様に。
「……」
少しだけ。ほんの少しだけ、何故だか結標は一方通行に親近感を覚えた。
……何を馬鹿な。一方通行は復讐すべき敵なのよ。敵。
頭を振ってその考えを振り払う。
罅割れた心を支えるために必死になって否定する。
それを認めたらまた心が砕けてしまいそうだから。
「っと、いやがらねェ。あのクソガキ……どこに行きやがったンだァ?」
唐突に軽い足音を立てて着地してくる一方通行。
十何メートルは飛ばしたはずなのにほとんど音も無く着地してくるなんてやっぱり化物だ。
一方通行はコチラへと向き直り、何故か少しだけ驚いた顔をする。
何かおかしい事でもあっただろうか、と首を傾げるが該当件数は零だ。
ふと、一方通行は表情を切り替える。
予想もしない表情、僅かながらも自然な笑みを漏らすものへとだ。
「あァ?まだ居やがったのか、三下」
「は、え?」
思わぬ一方通行の表情と言葉に呆然とする。
それもそうだろう、先程まで一方通行は遥か上空だったのだ。
そんな状態で人探しとなれば、下にいる雑魚の事など、彼が気にすることはまずないだろう。
それでも結標は逃げずに残っていた。
心配されたとでも、一方通行は思ったのだろうか。
実際はそんな事考えてもおらず、ただ単に考え事に耽っていただけなのだが。
「まァ、取り敢えずはだ――」
一方通行はそのまま愉快そうに背を向け、片手を上げた。
そのまま一歩歩き出して、呆然とする結標へと声をかける。
「――"アリガトウ"ってなァ。手伝い、感謝するぜ、三下」
思わぬ発言だった。
絶対にお礼なんて言うはずが無いと思っていた人物からの不意打ち。
しかし、結標は何故か少しだけ、ほんの少しだけその言葉に妙な安らぎを覚えた。
今はまだその妙な安らぎこそが結標の求めるもの、必要とされたいという願いの延長だという事も
わかってはいないのだが――確かに結標の心に一つの強い願望が生まれた。
その少しの、ほんの少しの妙な安らぎを、もっと欲しいと思ってしまったのだ。
だから、計算なんかよりも先に体が動いた。
「ちょ、ちょっと待って!」
「あン?」
気づいた時には結標は何故か一方通行の腕を掴んでいた。
キョトンとした顔で振り向く一方通行。
弾き飛ばされないトコロを見ると、どうやらぞんざいに扱う気はないらしい。
「なんだァ、三下。もう用はねェぞ?」
「そ、そうじゃなくて……」
思わず手を離して、もそもそと結標は口の中で呟く。
一方通行は呼び止められた事に少しだけイライラしているようだったが、
取り敢えずはその様子を訝しげに見るだけだ。
結標は深呼吸を一つ。思い切り勢いをつけて一方通行を指差しながら告げる。
「わ、私も人探しを手伝うから、携帯番号教えなさい!」
「……はァッ?!」
間を置いて、考えを纏め、思わず間抜けな声を雑踏の中で上げる一方通行。
もう結標にも何がなんだかわからなかった。
○
「あれ?ってミサカはミサカは首を傾げてみたり」
青いワンピースを着込んだ幼い少女は、とある歩行者用道路の上で可愛らしく首を傾げた。
薄い茶色というよりもオレンジ寄りのショートカットに頭頂部で揺れる髪の毛。
ただいま現在進行形で自分で絶賛迷子中の"打ち止め"はうーん、と唸り始める。
「やっぱり離れ離れになってるんだなぁ、あっはっは、ってミサカはミサカは自暴自棄になってみる」
腰に手を当て、豪快に笑う打ち止め。
色々いっぱいいっぱいなのだ。
「はぁ……って、ミサカはミサカは一人寂しく溜息をついてみたり」
しかし、その強がりもいつまでも続くわけでは無い。
一頻り笑った後に来る虚無感。簡単に言えば虚しいだけだったりする。
「待てや、この馬鹿猫ぉおおおお!何時まで走らせる気だ、ぜぇぜぇ、おおおおおお!」
何か暑苦しい叫び声が打ち止めの向いている方向。
その右側に並ぶビルの間、恐らくは路地裏へと続く道から気合の声と共に凄まじい足音が聞こえてくる。
そして飛び出してくる毛並みの良い猫とツンツン頭の少年。
一瞬何事かと思ったが、ツンツン頭の少年の方には覚えがあった。
打ち止めが直接会ったわけでは無い、しかし、確かに覚えがある顔だ。
約一万人の同じ遺伝子を使って作られたクローン"妹達"。
その一万人が己の能力を使い構成するミサカネットワークにより、打ち止めは少年を知っていた。
上条・当麻。
その右手に"最強"であろうと殴り倒すような力を秘めた"最弱"だ。
つい数週間前に起こった事件でも"妹達"の一人、一〇〇三二号、御坂妹が世話になった少年だった。
「うぉおおおおおおおーッ!」
太陽を背景に猫へと飛び掛る少年。
そのまま見事に猫を抱きしめ、地面を二転、三転。停止する。
「……ミサカはミサカは思わぬデッドヒートに言葉を無くしてみる」
「あだだだ、つぅ、肘擦り剥いたぁ~」
むしろ其の程度で済んでいるのはおかしいと思うのだが。
呆然としている打ち止めを余所に猫を抱きかかえて起き上がる少年。
打ち止めはそれよりも先に動きを取り戻し、少年へと駆け寄った。
そのまま笑顔で頭を撫でている少年へと声をかける。
「大丈夫?ってミサカはミサカは優しげに心配してみたり」
「ん?あぁ、大丈夫って、ミサカ?ミサカって……ってうぉい、御坂妹が小さくなってやがる!?」
「む、失礼な。これでも一応ミサカは立派なレディだよ?ってミサカはミサカは胸を張りつつ主張してみる」
猫が暴れるが上条は全く動じない。
というよりも目の前の小さくなった御坂妹こと打ち止めに視線が釘付けになっていた。
「ど、どういう事でせうか!?これは狸型ロボットの新兵器のせいでございますか!?そうなんですね!?」
「あのー、もしもーし、聞こえてるー?ってミサカはミサカはジト目で手を振ってみたり、聞いて無いですか、そうですか、
ってミサカはミサカは疲れたように肩を落としてみる、よよよとミサカはミサカは嘘泣きもしてみたり」
暫くの間、猫が暴れる音と、少年の叫び声、そして少女の落胆の声が響いていた。
道を行く人々が変な視線を送ってくるが気にしもしないそんな二人と一匹の組み合わせであった。
一方其の頃、かなり離れた場所で結標が一方通行に対してある種の爆弾発言を放っていたのを打ち止めは知らない。
学園都市のとある商店街。
其処を疾風のように走り去る一つの人影があった。
「ああぁあああああ―――ッ!」
馬鹿みたいな叫び声が商店街に響く。
道を行く人々の幾人かが驚きの表情で人影を見るが、その時には既に遥か遠くに走りさった後だった。
その人影の正体――結標・淡希は顔を真っ赤にして走っていた。
結標は数十秒前までの出来事を思い起こす。
『あァ?なんで俺がオマエに携帯の番号なんか―――』
『良いから教えて!』
あの爆弾宣言から暫く固まっていた両者だったが、先に沈黙を破ったのは一方通行の方であった。
しかし、一方通行の発言はすぐさま結標の悲鳴にも似た叫びに掻き消される。
結標は自分でも何を言っているのかわからなくなりつつも、必死に一方通行を睨みつける。
顔を真っ赤に染めた涙目の表情で迫られ、流石の最強も怯んだのか渋々と言った感じでポケットに手を突っ込む。
一方通行の取り出した携帯を見るなり、結標も慌ててジャージの上着ポケットから携帯を取りだす。
そして、互いの登録情報を交換して即座に、
『そ、それじゃ、見つかったら連絡するわ!じゃあね!』
『あ?って、速ェな、ォイ!?』
そのまま背を向けて走り去っていってしまったというわけだ。
そして、現在に至る。
正直なトコロ、結標は混乱していた。
一体自分は何を考えているのか、それすらもわからないのだ。
いや、本当はわかっているのだろう。
しかし、それを認めてしまっては、それをキッカケに己の心を"以前"の様に自分で壊しかねない。
それとは別の理由もかなりの割合で混じっている気もするのだが、それには目を向けようともしない。
……これは敵の情報を知るため!知るためなのよ!
そう自分に言い聞かせてなんとか心の均整を保つ結標。
その間にも彼女の疾走は止まらない。
ついには商店街を抜け、道路へと出た。
目の前にはアスファルトで固められた道路とそれを渡るための横断歩道。見上げてみれば信号が設置してある。
結標は信号を碌に見ずにそのまま横断歩道を渡りきる。
途中、なにやら叫び声と共に車のクラクションが鳴り響く。どうやら赤信号だったらしい。
渡った場所から少し走ると今度は緑が豊かな公園へと突入した。
と、ふと其処で結標は足を止める。
そして、ジャージの上着ポケットから携帯を取りだす。
二つ折りになるタイプの携帯を開き、幾つか操作をして電話帳を開いた。
緊張のためか顔が真っ赤になっているが、それは走ったせいだと自分を納得させた。
「えぇっと……一方通行の電話番号は……」
確認、確認、と携帯を弄り回す結標。
そういえば本名知らないわね、などと思いつつ見覚えの無い名前を探して行く。
暫くの間、平日のためか誰も居ない公園に携帯のボタンを押す電子音が響いた。
しかし、一方通行の本名と思わしきものは一向に見つかる気配が無い。
……?
首を傾げる結標。
もう一度見るが、やはり見慣れた感じのする名前しか並んでいない。
例えば、一方通行とか。
「………」
見間違えたのかと、目を擦ってもう一度画面を見直す。
『一方通行 プロフィール』
「って、そのまま!?」
期待を大きく裏切る変化球に思わず叫びを上げる結標。
まさか呼び名をそのまま自分の携帯に登録するなど夢にも思わないだろう。
面倒臭がってこんな風にしたのだろうか、それとも名前すら忘れたか。
後者はなさそうなので恐らくは前者だろう、と結標は結論を出すと携帯を閉じて上着へと仕舞った。
深呼吸を一つ。
酸素を取り入れ、冷静になるため、脳を正常化させた後、すぐさま全力回転させ始める。
よし、と気合を入れるために声を上げる。
まずは状況の整理。
一つ、少女を探しだして、一方通行に連絡する。
二つ、少女から一方通行の弱点を聞きだす。
三つ、少女を一方通行へ引き渡し、褒めて貰う。
実は未だに冷静ではない思考の結標であったが、全く気にする様子もなく顎に手を当てて考えるポーズをとる。
……問題はどうやってあの子を探すかよね。弱点を聞きだすとしたら一方通行より先に見つけなきゃいけないし。
一方通行がアレだけの上空から探したのに見つからなかったのだ。
恐らくは、かなり遠く。
もしくは何かビルの影になる様な場所に居るかのどちらかだろう。
取り敢えずは、
「足を使うしかないわね」
そう言って結標は早速一歩踏み出す。
何か踏みつけた。
「ひゃぁっ!?」
「だーうー」
何事か、と結標は妙な感触のした地面を見る。
其処にはなにやら白い衣装に身を包んだ少女が倒れていた。
なにやら力無く倒れる少女の身を包む衣装は良く見れば昔見た本に乗っていた修道女の服の様にも見える。
その暫定修道女は情けない声を上げつつ、コチラを見やる。
「お~な~か~す~い~た~」
「……」
捨てられた子猫のような目と言うのが、この場合の表現としては正しいだろう。
実際、少女の脇の下辺りから子猫が出てきて『いきなりすまないね、お嬢さん』的な視線を送っている。
この場合、飼い主と猫と見るべきだろうが、なんとなく結標には逆に見えた。
猫が保護者で少女が子猫っぽいのだ。
「おなかすいたって言ってるんだよ?」
「えぇっと……」
今度は体を引き摺るようにしてコチラへと方向転換する少女。
猫の方はしっかり少女の背中の上に避難している。
「……」
目の前の少女はなんなのだろうか、と結標は考える。
……シスター、かしら?神学系の学校はこの辺りには無かったと思うけど。
それにしても妙な衣装だと思う。
なにしろ妙に豪奢な布を強引に安全ピンで止めている様な状態なのだ。
見た目としてはかなり豪華さと仕上げのバランスが悪い。
なんらかの意味合いがあるのだろうか、と結標が少女を凝視していると少女は、
「あのー、もしもし、聞いてる?」
「あ、ごめんね。なにかしら?」
ハッと思考の海に埋没していた結標は現実に戻ってくる。
それと同時に困ったような笑みを浮かべて目の前の暫定修道女である少女の目を見た。
綺麗な碧眼に腰まではありそうな銀髪。
どこをどう見ても日本人ではなさそうであったが、どうやら日本語は通じるようだ。
「えっと、とうまが道端で困ってたおばあさんの猫を探して走り去っちゃったから、お昼ご飯がないの」
とうま、というのはどこかで聞いた事があったが、取り敢えずは保護者の事だろう、と結標は納得する。
「大変ね。それで、私はどうすればいいのかしら?出来る限りの事なら手伝うわよ?」
すっかり子どもの相手モードに入った結標は笑顔を浮かべつつ腰を落として少女の顔を見る。
整った可愛らしい顔だ、と結標が評価を下していると少女はパッと顔を輝かせるように表情を変えた。
要求の予想は大体ついていた。
恐らくは、保護者である"とうま"という人物を一緒に探して欲しいとかそういうものだろう。
見た目でしか判断出来ないが、この年頃の少女は強がりと同時に寂しがり、怖がりでもあるのだ。
……人探しなら、コチラの探し人も見つけられて一石二鳥というものだし。
結標は頭の中で人探しの計算も整えつつ、少女の次の言葉を待つ。
少女は流石に初対面の人になにかを要求するのは躊躇っているのか、モジモジとした後、
「ほ、ほんとう?」
「ええ、本当。お姉さんになんでも言ってみなさい?」
やはり躊躇いがちに聞いてくるが、結標は至って笑顔で応える。
こういう子の相手は怖がらせてはいけない。
笑顔で、優しく語りかけて上げるのが重要なのだ。
「それじゃあ……」
言葉を続ける少女。
なんとなく力がさっきより失われているようにも見える。
そして、飛来した少女の言葉は少々結標の予想とは違うものであった。
「なにか、食べ物を分けてほしいかも……げふ」
その言葉を最後にまた倒れ伏す少女。
暫しの間。
それほど長く無い間の後結標は思わず頬を書きつつ困ったような表情で苦笑いを一つ。
なんだか今日はまだまだ忙しくなりそうであった。
○
「つまりアナタはおばあさんにこの猫を届けるの?ってミサカはミサカは並んで歩きつつ聞いてみる」
「ミサカはミサカは、って重複してるよなぁ――まあ、そうだな。家までの地図も貰ってるし」
打ち止めと上条・当麻はとある商店街の道路を並んで歩いていた。
先程、上条が歩道で、ついに猫を捕獲した時に出会ったのだが、最初は随分と驚いた。
なにしろ、知っている少女が頭二つ分ほど縮んだように見えたのだ。
それはもう、新手のスタンド攻撃とかそういうものかー!などと意味不明な事を叫びそうになるほどだった。
なんとか落ち着き、自己紹介を済ませ、逃げようとした猫を確保するのに数十分。
随分と時間が経ってしまった。
周りでは、昼時だからか、この都市の象徴は科学だというのに無駄に熱い売り文句を叫ぶが響いている。
『安いよ安いよ!今ならこのサーモンピンクの河豚から取り出した実験食材がたったの――』
訂正しよう、やはり此処も例に漏れず科学万歳な場所のようだ。
その事実に半場安心しつつ、上条当麻は隣に並ぶ少女を見やる。
つい一ヶ月とちょっと前に知り合った少女達、御坂妹を含む約一万人の"妹達"。
その"妹達"全員に会ったわけでは無いが、この目の前の少女はなんとなく"妹達"の中でも特殊な気がした。
なんとなくあの"妹達"独特の雰囲気とは違い、妙に活発的な雰囲気が漂っているのだ。
今も物珍しそうに辺りを見回しては、変な物に興味を惹かれているようだ。
「おぉ、あれなんて中々格好良いかも、ってミサカはミサカは埴輪を見つつ目を輝かせてみる!」
本当に楽しそうだなぁ、と上条は笑顔で打ち止めの指さした方向を見る。
其処には、山積みにされた、妙にリアルに人の顔を模した埴輪があった。
正直、それが山積みになっている景色は不気味を通り越してある意味、荘厳だ。
「はは……」
思わず笑顔が引きつる上条。
やはりこの少女の感性は特殊で、少々斜め上に行っているようだ。
「おぉ、あれも珍しい!ってミサカはミサカは駆け寄って行ったりするー!」
楽しそうに左右に展開する店の前に飾られた展示品などの前を行ったり来たりする打ち止め。
どうやら出かけたりするのは稀らしい、と上条は微笑ましい光景を見つつ思う。
猫が腕の中で欠伸をかく。
どうやら追いかけている間に良きライバルとかそういうものと思われてしまったらしい、妙に友好的だ。
「まぁ、取り敢えずは……」
今日は平和だなぁ、と何か記憶の隅で蠢く白い悪魔の存在を敢えて忘れつつ、上条は空を見上げる。
取り敢えずは商店街の空はテントの様な物で隠されていて見えなかった。
視線を戻せば、打ち止めがまだまだ元気そうに走り回っていた。
そういえば、と上条は頭の隅に引っかかった事を言葉にする。
「そういやさ、お前、一体誰と此処まで来たんだ?」
「あ、そうそう。とミサカはミサカはアナタの下へ戻ってきつつ頭の中で情報を整理してみたり」
独特な口調にもそろそろ慣れ始めた上条の腕の中で猫が鳴く。
再び上条の横に並んだ打ち止めは自分が何故一人で居たか、何故相方が迷子になったか。
その理由を、色々改変しつつ話始めるのであった。
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