某月某日 本初子午線標準時刻午後一時頃……
ロンドンと言う街は非常に人通りが多く喧しい街である。
曇天の灰空を見上げて、アイザック=ファラデーはそう考える。
上下に統一された茶色のスーツに細淵の度の高い眼鏡を着用した青年だった。
頼りなさ気な細い顔と体格は、彼が運動に適した体をしていない事を物語っている。
そして、実際アイザックは『心理学教授』という体をあまり動かさない役職に就いていた。
曇天の灰空を見上げて、アイザック=ファラデーはそう考える。
上下に統一された茶色のスーツに細淵の度の高い眼鏡を着用した青年だった。
頼りなさ気な細い顔と体格は、彼が運動に適した体をしていない事を物語っている。
そして、実際アイザックは『心理学教授』という体をあまり動かさない役職に就いていた。
(まぁ、『上っ面の』心理学教授だがな)
かつて彼はバッキンガム大学の心理学において、二三歳という異例の若さで教授に成り上がり、一〇〇〇人に一人の天才と言われた期待の星『だった』。
だが、過度な期待に加え『アイザック』というどこぞの自然哲学者に類似した名前のせいで、さらに大きな重圧がかかり、何の結果も出せないまま二年間ふわふわとしたの教授人生を送っているという、自分でも呆れるぐらい紐男だった。
だが、過度な期待に加え『アイザック』というどこぞの自然哲学者に類似した名前のせいで、さらに大きな重圧がかかり、何の結果も出せないまま二年間ふわふわとしたの教授人生を送っているという、自分でも呆れるぐらい紐男だった。
(よく、こんな教授に給料払おうと思うよな……)
大学に対する自分勝手な疑問と「それが自分の落ち度かなぁ」、という割と極度な自己嫌悪に圧されながら、軽食を摂るため道沿いの喫茶店の扉を引く。
店の中は仏や伊にあるようなプロペラみたいな空調機もどきと装飾された木製の椅子机が並ぶ。さすがに昼時なので机はどこも人々で賑わっていて座席は一目では空いてない様に観えた。
大学に対する自分勝手な疑問と「それが自分の落ち度かなぁ」、という割と極度な自己嫌悪に圧されながら、軽食を摂るため道沿いの喫茶店の扉を引く。
店の中は仏や伊にあるようなプロペラみたいな空調機もどきと装飾された木製の椅子机が並ぶ。さすがに昼時なので机はどこも人々で賑わっていて座席は一目では空いてない様に観えた。
「一つ、空いています。相席になりますがよろしいですか?」
若い女性従業員に促され、窓際の二人用の席に案内された。
従業員の言ったように、すでに席には先客が居た。全身を真っ黒の修道服で身を包んだ修道女が姿勢よく座っている。……不覚にも彼女の大きな胸に目が行ってしまう。
別にロンドンでは修道女なんて珍しくも何とも無いが正午前後に飲食店にシスターがいるというのは彼の経験上かなり珍しい。禁欲のはずの修道女がアイスティーを美味しそうに飲み干している様は人生初の珍景だった。
若い女性従業員に促され、窓際の二人用の席に案内された。
従業員の言ったように、すでに席には先客が居た。全身を真っ黒の修道服で身を包んだ修道女が姿勢よく座っている。……不覚にも彼女の大きな胸に目が行ってしまう。
別にロンドンでは修道女なんて珍しくも何とも無いが正午前後に飲食店にシスターがいるというのは彼の経験上かなり珍しい。禁欲のはずの修道女がアイスティーを美味しそうに飲み干している様は人生初の珍景だった。
「相席、よろしいですか?」
一応聞いてみると、
「ええ、どうぞ」
そこは修道女らしく丁寧に答えてくれた。
一応聞いてみると、
「ええ、どうぞ」
そこは修道女らしく丁寧に答えてくれた。
「なるほど。ではあなた様は大学で教授をなされているのですか」
「まあ、一応」
「まあ、一応」
喫茶店で相席になったシスターは、アイザックか何となく話を振ってみると邪気の無い笑顔で彼の話に綺麗に乗ってくれた。
「えっと、オルソラ・アクィナスさん……でしたか。あなたはイタリアの生まれで、現在は仕事の都合上英国の女子寮に住み込んでいると?」
「ええ、それで大体合っているのでございますよ」
彼女は少し特殊な喋り方をする女性(観方によっては少女にも見える)だが、気さくで話しやすい人柄だった。彼も彼女と話しているのは楽しいのだが、
「えっと、オルソラ・アクィナスさん……でしたか。あなたはイタリアの生まれで、現在は仕事の都合上英国の女子寮に住み込んでいると?」
「ええ、それで大体合っているのでございますよ」
彼女は少し特殊な喋り方をする女性(観方によっては少女にも見える)だが、気さくで話しやすい人柄だった。彼も彼女と話しているのは楽しいのだが、
「それで、オルソラさんは何故ローマ正教からイギリス清教へ改信したのですか?」
「残念ですけども私は科学に関しては齧る程度の知識しかございません」
「いや、だから何故改信したのですか?」
「あらあら、燃えるゴミの日は明後日なのでございますよ。この地域に住んでいれば日程は変わらないと思いますけれど」
「いや、あのだから改信の理由を……」
「今日は燃えないゴミの日でございますよ?」
「残念ですけども私は科学に関しては齧る程度の知識しかございません」
「いや、だから何故改信したのですか?」
「あらあら、燃えるゴミの日は明後日なのでございますよ。この地域に住んでいれば日程は変わらないと思いますけれど」
「いや、あのだから改信の理由を……」
「今日は燃えないゴミの日でございますよ?」
さっきからずっとこんな調子だ。彼女は人の話を聞く気は全くないのだろうか。
(いや、しかし改信するほどの大きな出来事があったとすれば人に言いたくないのは当然かもしれない。ここは話題を変えてみるのが無難かもしれないな)
(いや、しかし改信するほどの大きな出来事があったとすれば人に言いたくないのは当然かもしれない。ここは話題を変えてみるのが無難かもしれないな)
「えっと、ではオルソラさんは何かご趣味などはありますか?」
「改信については少々お話できない事情がありまして」
……話が一個前に戻った。そこまでして、話を歪曲させたいのだろうか。
「あの、だから何か趣味などはありま…」
「あらあら、燃えるゴミの日は明後日だと言ったではございませんか」
「改信については少々お話できない事情がありまして」
……話が一個前に戻った。そこまでして、話を歪曲させたいのだろうか。
「あの、だから何か趣味などはありま…」
「あらあら、燃えるゴミの日は明後日だと言ったではございませんか」
この女、遊んでいるのか?
しばらく、そのような会話が続いた。さすがの心理学者でも目の前の歪曲女王の考えていることは全く理解できない。話が行ったり戻ったりすることに始まり、新しい質問をすれば二つ前の質問の答えが返ってくるし、それに合わせて二つ前の質問をすれば燃えるゴミの日は明後日だと丁寧に教えてくれる。もう訳が解らない。
「あらあら、もうお時間でございますね。私はこれにて失礼させていただきます。」
「あっ……、」
「あっ……、」
アイザックが何か言う前にオルソラはさっさと店を出て行ってしまった。
そして、コーヒー片手に天井を仰ぐ。
そして、コーヒー片手に天井を仰ぐ。
「……何だったんだ?」
呟くが、アイザックは少しだけ興奮気味だった。
正直、オルソラと話している間はものすごくストレスが溜まる。
しかし、それでも話を切らずに会話を続けようとしたのには理由があった。
(…あの修道女、『面白い』な…)
彼女がユーモアを含んでいるということでもなく、彼女に好意を持っている訳でもなく、
ただ単に『心理学者』として彼女の思考に興味があったからに外ならない。
正直、オルソラと話している間はものすごくストレスが溜まる。
しかし、それでも話を切らずに会話を続けようとしたのには理由があった。
(…あの修道女、『面白い』な…)
彼女がユーモアを含んでいるということでもなく、彼女に好意を持っている訳でもなく、
ただ単に『心理学者』として彼女の思考に興味があったからに外ならない。
(会話の一番初めの質問は正当に返ってくる。だが、二番目以降は前回の答えが重複して返ったり、関係の無い話題を持ち出したりし、会話の終盤辺りはこちらに言葉は全く聞かずに一人で話を進め、一人で完結させる……、この会話方法には恐らく一定のパターンが存在するはずだ。一番目は正答。二番目は誤答。それ以降は雑答。最後は自己完結。これから導き出される解法(パターン)は……)
それから五時間ほど彼は窓側の席で心理学的解析を行い、店員に注意されて店を出た。
二日経ち、アイザックは頭を抱えていた。
科学者とはノーベル賞を受賞するのために研究を進めるのではない。
ただ、その研究の『結果』が知れれば周囲が下らないと言っても満足できるような生き物である。例え、それが、
科学者とはノーベル賞を受賞するのために研究を進めるのではない。
ただ、その研究の『結果』が知れれば周囲が下らないと言っても満足できるような生き物である。例え、それが、
「思考パターンのサンプルにもあの様な(あの修道女の様な)思考回路は発見できなかったな…。やはり、わざと行っているのか? いや、だとすれば表情にも多少なりとも変化は出るはずだ。あの時の彼女にそんな様子は無かったし……」
例え、それが調べても何の意味も無いただの修道女の脳内の事だとしても。
実際、オルソラ・アクィナスという修道女の会話方法など真似すれば簡単に出来るし、深く考えても時間の無駄……という事など彼は考える前から理解しているが、
実際、オルソラ・アクィナスという修道女の会話方法など真似すれば簡単に出来るし、深く考えても時間の無駄……という事など彼は考える前から理解しているが、
(どっちにしたって紐人生だ。何もしないより、よっぽど楽しい)
根本的に価値観がずれている彼にとってはそんな事問題では無い。
根本的に価値観がずれている彼にとってはそんな事問題では無い。
「とりあえず、もう一度会ってみるか……」
その日の昼、昨日と同じ喫茶店で彼女と再び出会って、昨日と同じ会話を繰り返して、昨日と同じ席で昨日と同じ分析を繰り返して、
(なんか、科学者として虚しい気がする……)
解りきったことを再確認した。
解りきったことを再確認した。
「お使い、ご苦労様です。シスター・オルソラ」
「どう致しまして、シスター・ルチア。今夜は、鶏肉のスープでもお作りいたしましょうか?」
「いえ、肉などを食卓に出すとシスター・アンジェレネの欲が覚醒しますから、普通のスープで構いません」
「そうですか。残念ですが、そう致しましょう」
「どう致しまして、シスター・ルチア。今夜は、鶏肉のスープでもお作りいたしましょうか?」
「いえ、肉などを食卓に出すとシスター・アンジェレネの欲が覚醒しますから、普通のスープで構いません」
「そうですか。残念ですが、そう致しましょう」
オルソラはイギリス清教の女子寮に帰ってきていた。お使いを頼まれた日用品と晩のおかずを抱えてニコニコしながら廊下を進んでいると,隣を歩くルチアに鋭い目つきで質問された。
「お使いするだけで、随分時間が掛かった様ですが、まさか寄り道などは……」
「ええ。紅茶の美味しい喫茶店を見つけましたので。」
「……昨日も同じ事言ってましたね。修道女は禁欲だと何度同じことを言ったら分かるんですか?」
「よろしければ、今度ご一緒にどうでしょうか。紅茶だけではなくて、面白い人にも出会えましたから」
「人の話を聞いてくださいシスター・オルソラ。……で、その面白い人とは?」
「やはり、気になるのでございますね」
「業務連絡の一環ですから、キラキラした目でこちらを見るのはやめてください」
「その面白い人は、バッキンガム大学で教授をなさっているそうでして。とても知的で明るい人柄で、ユーモアもあって話易い方でした」
「……それだけですか?」
「昨日と今日の同じ時間に同じ席でお会いしたのですが、何故か私とお話していると段々と疲れた顔になっていって最終的には知恵熱を出してしまいそうな表情になっていったので、二回共私から話を切ってお別れしました。私は何か気に障るようなことを言ってしまったのではないかと心配なのですが……」
「ええ。紅茶の美味しい喫茶店を見つけましたので。」
「……昨日も同じ事言ってましたね。修道女は禁欲だと何度同じことを言ったら分かるんですか?」
「よろしければ、今度ご一緒にどうでしょうか。紅茶だけではなくて、面白い人にも出会えましたから」
「人の話を聞いてくださいシスター・オルソラ。……で、その面白い人とは?」
「やはり、気になるのでございますね」
「業務連絡の一環ですから、キラキラした目でこちらを見るのはやめてください」
「その面白い人は、バッキンガム大学で教授をなさっているそうでして。とても知的で明るい人柄で、ユーモアもあって話易い方でした」
「……それだけですか?」
「昨日と今日の同じ時間に同じ席でお会いしたのですが、何故か私とお話していると段々と疲れた顔になっていって最終的には知恵熱を出してしまいそうな表情になっていったので、二回共私から話を切ってお別れしました。私は何か気に障るようなことを言ってしまったのではないかと心配なのですが……」
ルチアはそれだけ聞くと「ああ、…」という相槌と共に十割を理解して、それ以上は聞かなかった。
「とりあえず、一つ助言をしてあげましょうか、シスター・オルソラ」
「あら、なんでしょうか」
「あら、なんでしょうか」
「そもそも、あなたと話していて知恵熱をださない人間などこの世に存在しませんから安心してください」