とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

第四戦-1

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ryuichi

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だれでも歓迎! 編集
8月8日。
 その日、垣根帝督は久々のオフであった。
 実験も、仕事もない。
 そんな日は、友達と一緒にどこかへ遊びにいったりするのが一番だ。
 が、しかし。


 『未元物質』にそんな常識は通用しなかった。


 というか友達がいなかった。
「いや、そもそも仕事や実験がなくったって、やることは山積みなんだよ。ダチと遊んでる暇なんざねぇんだよ」
 負け惜しみにしか聞こえない言い訳を誰にともなく呟きつつも。
 仕事時に着る学校の制服のような服ではなく、今時の若者という言葉がしっくり来る雑誌モデルのような格好をして。
 言葉の通り、垣根帝督は貯まっていたいろいろな用事を一気に処理すべく、街へ乗り出すことにした。
 垣根帝督の休日、である。



(しっかし……)
 バイク置き場から愛用の大型バイクを出し、マンションから駆け出したところで、車上の垣根の顔が曇った。
(何なんだ? ずっと俺のことつけ回してんだよな、アレ)
 垣根は、前を向いて走りながらも、後方から自分をつけてきている『人間ではない何か』を感知していた。
 周囲に展開している極小の『未元物質』の粒子。
 それが、ここ数日自分の周囲をよく徘徊している存在があること、その存在はどうやら同一の物体であることを垣根に教えていた。
(遠すぎて、具体的にどんな形してるかまではわかんねぇが、この硬度と移動性は最近よく感じてるやつだ)
 追跡されているのを知りながらも、しかし垣根は何か策を講じるということはなかった。
(幻生の監視がこっちにも飛び火したって感じだろな。ま、実害がねぇなら放っといても問題ねぇだろ。俺やヒメにちょっかい出してきたら別だが――)


 ――それが貴様の道を阻むのなら破壊しろ、完膚無きまでに叩き潰せ。


(――――!?)
 頭の中に、誰とも知れない声が響いた。
(そういやこっちも最近よくあるんだよな……)
 思い、頭を左右に振る垣根。
(ただの幻聴だ。こっちも放置)
 心の中でそう呟くと、垣根は本日最初の用事を済ますため、駐車場にバイクを停めて学園都市内にあるとある書店に入店する。
(料理本のコーナーは、っと)
 垣根がこの書店に来た目的は、ズバリ料理本の立ち読みである。
 一冊一冊買っていたら馬鹿にならないくらい金がかかるが、店頭でパラ見する分には無料。
 そして、学園都市は第二位、垣根帝督の頭脳をもってすれば、小一時間立ち読みするだけでメニューの十や二十は完璧に覚えられる。
(そろそろレパートリー増やしたいしな。今度は中華とか挑戦してみるか)
 垣根は料理本のコーナーに移ると、棚から中華料理の本を適当に抜き取り、目を通し始める。
 すると、
「あのー」
 背中から声がかかった。
「あ?」
 人差し指をページに挟んで本を閉じ、後ろを振り返ると、そこには見知らぬ少年がいた。
 ツンツン頭を右手で掻きながら、少年は下手な態度で垣根に話しかける。
「参考書のコーナーってどこにあるのか知りません、かね?」
「あぁ、ちょっと見つけにくいところにありますからね。あの柱の裏ですよ」
 垣根は特に無視するでもなく、丁寧な対応で答える。


 ――どちらでもないなら無視しろ、貴様の行動の結果それが生きようが死のうが関心を持つな。


「ちっ……」
 途端に頭の中に響いた幻聴に、軽く舌打ちをする垣根。
「え?お、俺、何かお気に召しませぬことをやっちまいましたか?」
 垣根の舌打ちに、少年が畏縮した態度を取る。
「あ、いえ。何でもありませんよ。えっと、ここに来るのは初めてなんですか? 確かに参考書コーナーは入り口からは見えづらいところにありますけど、店内をぐるっと一周でもすれば、すぐに気づけますから」


 垣根は取り繕うように言葉を並べ立てる。
 ちなみに、垣根はこの店の常連である。
 但し、商品を買ったことは数えるほどしかないのだが。
 実は昨日までこの書店では参考書の半額セールを行っていたことも知っているが――それは知らない方が幸せだろうと思い、黙っておく。
「ん、えっと……初めてっつーか、何つーか……」
垣根の言葉に、少年は頭を掻きながら歯切れ悪く答える。
「? まぁ、ここは結構品揃え豊富で、駅も近いですから、利用しやすいと思いますよ」
 立ち読みとかに、とは言わない垣根である。
「そうか、じゃあこれからも使うことにするよ。まぁ……あんまり本屋とか来ないんだけどな。はは。それじゃ、ありがとうな」
 少年はそう言って笑うと、柱の裏にある参考書コーナーへ向かう。
「…………………」
 少年を見送ると、垣根は再び料理本に目線をやる。
 その頃には、垣根はもう少年のことを忘れていた。


 垣根帝督にとっては、そのツンツン頭の少年は、ただの一般人Aでしかなかったのだ。



「あとは何か要るもんは……」
 書店で一時間の立ち読みの後、続いて垣根は行きつけのバイク屋に顔を出す。
 そこで、メンテナンスのため、そこまで乗ってきたバイクを、
「丁寧に使ってくれていただいているみたいでありがたいです」
 と言う店員に受け渡す。
 実際はかなり荒っぽい使い方をしているのだが、そういう時には『未元物質』でバイクを丸ごと保護しているため、本体を傷めることはない。
 それでも、中身は普通のバイク。
 フレームを強化しようが、エンジンなど、内部の機構については他のバイクと同等の強度しかないし、そっちが壊れては元も子もないので、こうして定期的にメンテナンスに出しているのだ。
(今日は仕事も入ってねぇから使わねぇし)
 バイク屋を出ると、垣根は徒歩で歩き出す。
(ちっ……相変わらずついて来やがる。よく飽きねぇな)
 垣根が建物から出てくると、外で待っていたらしい『何か』が、追跡を再開してくる。
 それでも垣根は無視し続け、本日の最後の目的地である、自宅近くの大型デパートに足を向ける。
 そこでの目的は――


「あ、来た来た。てーとにぃ」
 デパートの入り口に、こちらに向かって手を振っている少女がいた。
「おぉ、ヒメ」
 垣根帝督のたった一人の妹、垣根姫垣である。
 肩の部分が紐状になっている白いシャツ、男の子が穿くような(実際垣根が穿いていたのだが)白っぽい短パンのセットに、ピンクのサンダルという如何にも真夏少女と言った風体の姫垣は、たったったっ、と軽快に駆けながら垣根に近づいてくると、
「に~いぃ!」
 その左腕に自身の右腕を絡ませ――
「う、うぅ……高い」
 ――ようとして身長の違いに大きく阻まれた。
「……何やってんだ?」
「腕を、組んでるの……」
 自分の左腕に半ばぶら下がるようにしながら、必死でしがみつく妹の姿に、
「猿みてぇ」
 と垣根は正直な感想を漏らす。
「むぅ!」
 膨れる姫垣。
「てーとにぃがもっとちっちゃくなればいいんだよぉ!」
 と言いながら、腕組みを諦めて自然に手をつなぐ。
 ぴょこぴょこ、といつも以上に動き回る妹の姿を見ながら、垣根は少し意地悪そうに告げた。
「何だよ、あんなに要らないって言ってた癖に、全然テンション上げまくりじゃねーか。やっぱり欲しかったんだろ、水着」


 話は一日前に遡る。



 8月7日。
「ねぇ、てーとにぃ?」
 夕食後。
 本日の洗い物当番である姫垣が、キッチンの方から、リビングで何の気なしにテレビを眺めている垣根に向かって話しかける。
「学校のさ、水泳の用意ってどこにしまっちゃった?」
「んー、お前の部屋のクローゼット。上から二段目」
「りょうかーい」
「何だ? ガッコって夏休みもプールあんのか?」
 当然の疑問を放つ垣根に、
「ううん。明後日さ、友達と屋内プールに遊びに行くことになったんだ。あ、そういや言ってなかったっけ。明後日遊びに行ってもいい?」
 布巾で皿を拭きながら答える姫垣。
「はぁ、別にいいけど……ん?」
 少し首を捻ってから、垣根は続ける。
「お前って、水着持ってたっけ?」
 学園都市に来る前はプール施設になんて連れて行ってもらった記憶はないし、来てからも、今まで妹っが誰かとプールに遊びに行ったという話は聞いたことがない。
「うん。だから水泳の用意、探してるんじゃん」
 そこで、テレビに向いていた垣根の首がキッチンの方へと90度曲げられた。
「……いや、ちょっと待て。それは何だ? 屋内プール施設に遊びに行くのに、スクール水着を着ていこうと言うのか?」
「そうだけど……え、何かダメだった?」
「いや、ダメだろ……」
「何で? どこが?」
「いや、何でっつーか、どこかっつーか……」
「スクール水着で入っちゃいけないなんて決まり、無かったと思うんだけどなぁ」
「そうだろーよ、そうだろーけどさ、やっぱりさ……」
 幼女がスクール水着を着てそこらのプール施設に飛び込むことがどれほどの破壊力を秘めているのかについて、核兵器の威力と対比させて説明しようと思う垣根だったが、しかしそれではただの変態だということに気づき、自重する。
「……ヒメ、明日水着買いに行くぞ」
 危機回避の一策として、垣根は姫垣を真っ直ぐに見つめてそう言い放った。
「えー、要らないよぉ。スクール水着で充分だって」
 なおも遠慮してくる姫垣だったが、
「だからそれはダメなんだよ」
「だから何でなのー?」
「だから何でもなの。好きなの買ってやるから。明日昼にそこのデパートな。決定」
「むぅ。……わかったよ」
 垣根の言葉に、最終的に屈する形になったのだった。


 かくして垣根と姫垣は、デパート内にあるフードコートで昼食をとった後、早速水着売り場へやってきたのだが――
「嘘吐き! てーとにぃの嘘吐きぃぃぃぃ!!」
 女性用水着売り場の一角で、大声で叫んでいるのは垣根姫垣。
「好きなのって、何でも好きなのって言った癖に!」
「そりゃ言ったけどよ! でもダメだろ! それは例外だろ! ルールには須く例外ってもんがあるんだよ!」
 噛みつかれているのは当然その兄、垣根帝督だ。
 二人の争点となっているのは、姫垣がこれがいい、と言って選んだ水着である。
 それは――
「セパレートって! ビキニタイプって! 中一にゃ早すぎだろ! こっちのワンピースタイプにしとけよ!」
「そんなことないって! みんな持ってるって言ってたもん!」
 いつもならすぐに折れるのだが、言葉とは裏腹に新しい水着にかなり心躍らせていたのか、珍しく兄の言葉に反論する姫垣。
「んな馬鹿な話があるか! 中学生からこんなエロい水着着てるってのか? 有り得ねぇ!」
 一方の垣根は、エロのハードルが低いのか、変な幻想でも入ってるのか、必死に野暮ったいワンピースタイプの水着を勧める。
「エロい!? ただ上下分かれてるか分かれてないかだけの差じゃん! おへそが見えるか見えないかだけの差じゃん! それをエロいっていうにぃが変態さんなんだよ!」
「なっ! 実の兄を捕まえて変態呼ばわりだと!?」
「だってそうじゃん! 女の子の水着って言ったらセパレートの方が普通じゃん! 可愛いじゃん! それをエロいって何さ!」
 妹の攻撃に、追い詰められた垣根は。
「一般的にはそーかもな、そーかもしれんな! だがなヒメ、お前はまだブラジャーすら着けてねぇんだぞ! それなのにビキニっておかしいだろ!」
「…………!」
 言ってはならないことを口にした。
「てーとにぃの……」
 姫垣が右の拳を握り、
「バカぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 容赦なくアッパーカットを繰り出す。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
 そして、学園都市第二位、『未元物質』、垣根帝督は、中学一年生の少女に顎を撃ち抜かれてKOされたのだった。



「えへへ―」
 水着の入った紙袋を抱え、姫垣は頬を緩める。
 その横で、垣根は顎をさすりながら、やれやれ、と言った表情を浮かべる。
 結局、お互いの折衷案として、露出の低いビキニタイプの水着――アンダーまでしっかりと布で隠されている、それこそへそが出ているかいないかくらいしかワンピースタイプと違いがないものだ――を購入した。
 姫垣としては、取り敢えずセパレートなら満足、垣根としては、露出が少なければ了解、ということらしい。
(まぁ、もともと俺が言い出したことだし、あんまりガミガミ言うのも大人げねーし……)
 ちらり、と両手でしっかりと紙袋を握りしめながら、横を歩く妹の笑顔を盗み見て、思う。
(こいつが幸せそうなら、それでいいか。……あとは、っと)
 垣根は本日最後の用事を済ますため、再びデパートのフードコートにやって来た。
「ソフトクリーム、好きなの選んでいいぞ」
 アイスのチェーン店の前で、垣根は壁に飾られている色鮮やかなメニューを示す。
「え? いいよ、お腹空いてないし……」
 案の定、遠慮する姫垣だったが、
「ちょっと俺、服買ってきたいからよ。その間暇だろ。ソフト食って待っててくれ」
 垣根は姫垣の片手を掴み、強引に千円札を握らせた。
「じゃ、じゃあヒメも一緒に行くよぉ」
 ついてこようとする姫垣に、
「いいから待ってろ」
 ぴしゃり、と言い放って、垣根はフードコートから出、さっさとエスカレーターで上階に上がっていった。


 その言葉は嘘ではない。
 実際に垣根は服を買った。
 まず自分用のシャツ、ズボンなどを適当に見繕い、ポイポイとカゴに入れる。
 ものの数分でそれらをレジに通すと、しかし垣根は姫垣の待つフードコートへは戻らず、さらにエスカレーターを上る。
 そうして着いた先は、最近爆発事故が起こり、先日新装開店したばかりだという女性服売り場だ。
「はぁ、スカートですか」
「えぇ。出来れば、動きやすいのとかがいいんですけど」
 愛想笑いを浮かべながら、垣根はポカンとしている女性服売り場の女性店員に話しかける。
「えーっと……」
 どうやらどう見ても男である垣根がスカートを買いに来ているのが引っかかっているようだが――
「あ、あぁ!」
 すぐに胸の前で手をポン、と叩く店員。
 垣根がプレゼント用に――勿論妹にである――購入しようとしているということに思い至ったようだ。
「ご自分でお穿きになるんですねっ♪」
「どうしてそうなるっっっ!!!!!」
 思わず神速で突っ込みを入れてしまった垣根である。
「え、だって……」
 店員は垣根の全身を上から下まで確かめてから、
「似合うと思うんですけど……」
 と謎な発言を繰り返す。
「マジで締めるぞコラ……プレゼントだよ。妹に」
 店員の態度に、垣根は敬語を忘れて接する。
「あぁ、成る程。ちょっと残念です。妹さんはいくつですか?」
「…………中一」
 一言余計な店員は、しかしそこは仕事人らしく、店内を巡り、ハンガーに掛けられたホワイトのシンプルなミニスカートを持ち出してくる。
「これなんてどうでしょう。最近女の子の間で人気の商品ですよ。とても動きやすいですし」
「んー、でもシンプル過ぎやしねーか?」
 賛同しかねる様子でそれを見る垣根は、そばに置かれている別のスカートを手に取り、
「これとかどうなんだ?」
 と店員に問う。
「…………………おにーさん、メルヘンですね」
「はぁ!?」
「正直センスを疑います。そんなの貰って喜ぶ女子はいませんよ」
 自分の店に置いてある商品に対して、店員は暴言のようなセリフを吐く。
「いや、明らかにそっちの無地よりこれの方が華やかだろ」
「華やかすぎてどん引きですよ。おにーさん、女の子は……ってゆーか俺様の妹は可愛くあるべき、みたいな幻想入っちゃってません?」
「んなっ…………悪いかよ」
 結構図星だったらしく、しゅんとなる垣根。
「悪いですよ。全くこれだから男は……自分の考えを押し付けるばっかり。相手のこともちゃんと考えてあげないと。本当に相手を大切にするっていうのは、そういうことですからね」
「……いや、何で俺は初対面の店員に説教されてんだよ」
「兎に角、こっちの白いスカート渡せばまず失敗はないですから! 保証します! よってお買い上げ、オーケー?」
「ちっ、分かったよ……!」
 ふとそのスカートの値札を見ると、垣根が想定していた値段よりも0が一つ多かった。
 対して垣根が選んだスカートはセール品。
 まさか填められたんじゃないんだろうか、と思いつつも、安物を贈るよりはいいかと思い直し、店員の選択に任せることにした。
「あ、それではウエスト測りますね♪」
「だーから俺じゃねぇっつってんだろーがぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 紆余曲折の末買ったスカートを、自分の服を入れた紙袋の中に突っ込み、
「これでよし、っと」
 一人満足気に頷いた時、
「…………?」
 垣根は、ズボンのポケットで携帯電話が鳴っているのに気づいた。
 しかも、
(こりゃ幻生からのメールの着信音……。ちっ、今日はオフなんじゃなかったのかよ)
 心中で毒づきながら、垣根は携帯を開きメールを確認する。
 例の粘つくような口調で書かれているその文面を要約すると、
『緊急の仕事。垣根帝督を尾行している何『物』かの破壊。特別手当あり』
 ということらしい。
(アレのことか)
 ずっと自分を尾行していた存在のことをすぐに思い浮かべた垣根だったが、あまり気分は乗らなかった。
(緊急ねぇ。アレはすぐにこっちに危害を加えてくるような感じには思えねぇが。大体今はヒメと一緒だし、久々のオフだってのに、特別手当だか何だか知らねぇが、んな面倒臭ぇことするくらいだったら――)


 ――利用できるなら利用しつくせ、不要になったら切り捨てろ。


「――っ!」
 三度、頭の中に幻聴が走る。
「くそっ、何だってんだ畜生が」
 頭を掻きながら、口に出してそう毒づき紙袋を握り直すと、垣根は足早に階下へ降りていった。



「あ、てーとにぃおかえり……って、へ?」
 突然目の前に服の入った紙袋を差し出され、困惑する姫垣。
「悪い、用事出来た。これ持って先帰っててくれ」
「え? 用事って? 服を買ってたんじゃ……」
「それとは別、仕事」
「あ……うん」
 こくり、と頷くと、姫垣は垣根が差し出した紙袋を素直に受け取った。
 そして、
「じゃあ。……先、帰ってるね」
 とだけ言い置いてデパートを離れる。
 垣根の事情もろくに聞かずに、その言葉に従った姫垣。
 それは、垣根の様子が普段とどこか違うように見えてしまったから――その違和感のある垣根の言動に、つい、気圧されてしまったから。
 両手に紙袋を抱えて歩きながら、姫垣は違和感の正体を考察する。
 まるで、何かに急かされているみたいだった、と。


(妹の方だけ? 垣根帝督は一緒じゃないのか?)
 第二二学区。
 その地下数百メートルに存在する地下街に存在する、VIP用の核シェルター。
 俗に『避暑地』と呼ばれるその場所――ではなく、普通のアパートの一室で(『避暑地』には前から目をつけているのだが、まだプロテクトを解除できていない)馬場芳郎はコンピュータのディスプレイに映し出された映像に首を傾げる。
(待ち合わせしてたくらいだから、てっきり仲良しこよし、一緒に帰宅かと思ったんだが……)
 他の出入り口の監視カメラの映像を(勿論無断で)確認するが、いずれにも垣根帝督の姿は映っていない。
(まだ中にいる……別に買い物でもしてるのか)
 そう思い、何気なく四足歩行型ロボットのカメラで姫垣を追いかける馬場。
 やがて姫垣は、すぐ近くにある自宅マンションのエントランスに一人消えていく。
 それから十分な時間を置いて。
 垣根帝督がデパートの正面出入り口から出てきた。
(まだ中にいた、やっぱり買い物か……ん? でもそうすると、何で手ぶらなんだ?)
 馬場が疑問を感じたその瞬間。


 垣根帝督が、自宅と反対方向に全速力で駆け出した。


「――っ野郎! 尾行に気づいて……」
 慌ててコンピュータを操作し、ロボットに垣根を追いかけさせる。
(それで垣根姫垣を先に帰したのか!? 一緒にいてはこちらを振り切れないと踏んで……いや、だがここで一度こちらの追跡を逃れたところで意味はない。向こうの拠点は分かっているんだから、簡単に尾行は再開できる。それは垣根帝督も了解している筈だ。そもそも……)
 馬場がキーボードにあるコードを打ち込むと、ドッグレースの犬並みと言った感じだったロボットの速度が、一気に自動車のそれへと変速した。
(バイクもない今、垣根帝督は、こいつから――『俺』から逃げられやしない)
 瞬時に垣根との距離を詰めるロボット。
 だが、次の瞬間。


 垣根の身体が垂直に上方へ向けて飛び上がった。


「なっ!? まさか、強い弾力性のある『未元物質』で、ジャンプ力を強化したのか!?」
 トランポリンみたいなものか、と思いながら、ロボットのカメラを上に向けると、垣根は空中でひも状の『未元物質』を作り出し、それを立ち並ぶビルの屋上の柵に絡みつけていた。
 そしてひもを収縮させて身体を引き寄せると、ビルの屋上に見事に着地し、そのまま屋上を伝ってロボットの視界から消えてしまった。
「くそっ、どういうつもりなんだ……! 待てよ、まさか俺の監視から逃れている内に、何か木原幻生からの依頼を……ちっ、博士のジジイに連絡を」
 思い、携帯を取り出した時、馬場はディスプレイに表示されている監視カメラの一つに垣根の姿を認めた。
 その監視カメラは――
「くそっ、違う! 垣根帝督の狙いは……」
 ロボットが潜んでいる場所の、後方の路地を映していた。
「――ロボットの破壊か!」
 コンマで馬場がキーを叩くと、ロボットが脚を一瞬大きく曲げた後跳ね上がり、控えていた場所から高速で離脱する。
 そして、一瞬の間すら置かずに、その場所に『未元物質』の槍が何本も突き刺さった。
 馬場はその映像をまともに見ないままロボットを走らせ、一目散にその路地から離脱させようとする。
「『暗黙の了解』が仇になった……向こうがこっちを攻撃しても、『言ってくれなかったら監視だとは分からずに攻撃してしまいました』とでも言えば通っちまう! そして、逃げるんじゃなく、こっちを破壊してからなら、監視の束縛から解放される時間は格段に上がる! その隙に何かをやる気か!」
 コンピュータを片手で操作しながら、もう一方の手で携帯をダイヤルし、『メンバー』はリーダー、博士へと繋ぐ。
「博士! 緊急事態です! 垣根帝督が監視用ロボットに攻撃を仕掛けてきました……っ!」
 その短い間に、気がつくと垣根がロボットを高速で追いかけている。
 監視カメラの映像によると、どうやら今度は靴裏に仕込んだ限りなく摩擦が0に近い『未元物質』で、道路に敷いた同質の『未元物質』の上をさながらスキーかスケートのように滑って高速移動しているようだ。
 ロボットにジグザグに路地を移動させ、追跡を振り切ろうとするも、ギリギリのところでこちらの位置を把握し、しつこく付きまとってくる。
 追う側と追われる側が、完全に入れ替わってしまった。

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