とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

SS 9-343

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匿名ユーザー

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 そういえば今朝の出費で上条の所持金はほぼ0だった。
「………………不幸だ」
 一旦寮に荷物を置いてから、クラスメイトの青髪ピアスの居候先のパン屋でパンの耳でも貰うことにした上条。パンの耳なんて成長期の男子高校生にとっては『オヤツ』にすらならないのだが、無いものは無いのだから仕方ない。
 明日担任の小萌先生にお金を借りようと思いながら、寮のオートロックを抜ける。他の住人達は夏休み初日ということもあって、皆一様にどこかで夏を満喫しているようだ。
 夏休みであろうが無かろうが関係なく無人の管理人室を過ぎて、豚箱のような狭苦しいエレベーターに乗る。
 上条の部屋がある七階に着いて、ガコンというボロさを主張するかのような振動と共にエレベーターが止まった。
「ん?」
 と、上条はすぐに気付いた。エレベータホールから通路に出てその奥――自室の扉の正面で、清掃ロボが三台ほどたむろしている。清掃ロボットはこの寮には五台しか配備されていないはずなのに、なぜこんなに固まっているのか。
 故障しているわけではなさそうだ。むしろ職務を果たそうと頑固な汚れに挑んでいるように見える。
 ……なんか、すさまじい不幸の予感。
 そもそもあの手の清掃ロボはアスファルトにこびりついたガムだって瞬殺するのだ。それが三台も集まっているのに落ちない汚れとはいかなるものか。
 もしかしてチンピラみたいな格好をすればモテるなんていう幻想を未だに持ち続けている悪友であり隣人の土御門元春が、酔っ払って胃の中身を綺麗に曝け出したんじゃあなかろうかと上条は恐れ慄く。
「まさか、な……」
 何にしろ見ない方が身の為だとわかっているのだが、悲しきかな人間には怖いもの見たさという何の役に立つのか分からないものが巣食っている。
 そろりそろりと足を進めて、やっとそれが視界に入った。

 モヤシでチンピラな超能力少年一方通行がぶっ倒れていた。



「…………………………、はー」
 ドラム缶三台がガコガコと体当たりを繰り返すも、一方通行は身じろぎ一つしない。そもそもああいうロボットは人間や障害物を避けて通るようになっているはずなのだが、自称ゴミ以下のクソ野郎は清掃ロボットにもゴミ以下のクソ扱いされているのだろうか?
「…。ちくしょう、不幸だ」
 そんなことを言いながらも、上条は無意識に笑っていた。
 やはり気になっていたのだ。『妹達』なんてトンデモ話は信じられないが、妙な研究所が妙な技術を使って彼を追い回している、とも考えられる。
 それが変わらない、前と同じ姿で見つけられたのが嬉しかった。
 そんな細かい理屈を取っ払っても、また出会えたことが無性にただ嬉しかった。
 何に使うのか分からない電極、ただ一つの忘れ物。それを上条は思い出す。それが、何故だかおまじないのように思えてくる。
「何やってるんだよお前、こんなところで!」
 走り寄りながら声をかける。それだけの動作で何故こんなに心が弾むのだろうと上条は思う。
 一方通行はまだ反応しない。
 なんとも唯我独尊な『一方通行らしい』反応に笑みを漏らして、


一方通行の体が血に染まっていることに、ようやく気付いた。



「……、え……?」
 戦慄するより前に、困惑する。
 固まっている清掃ロボットに隠れて見えなかった。うつ伏せに倒れた一方通行の手が、額を押さえている。まるで頭痛でもするかのような仕草、しかしそこから止めどなく溢れる鮮血が、その前髪と服の白を鮮烈に塗り潰していく。
 その時上条は、それが『人の血』であることが理解出来なかった。
 たった今とついさっき。あまりに大きな落差を伴う現実が、頭の中をかき乱す。赤くて赤い真っ赤な……絵の具かなにかだろうか? あの一方通行が真っ白なキャンパスの前で筆を構えて、なんてなんとも似合わない図を妄想しても、上条は笑えない。
 笑わないでなく、笑えない。
 そんなこと、出来るはずもない。
 清掃ロボットが三台、床の汚れを拭っている。床を汚す赤を、一方通行の額から流れる赤を。
 くたびれた雑巾を絞るように、一方通行の体から血液を一滴残らず搾り出すように。
「……やめろ、くそっ! やめろ!!」
 やっと上条の認識が現実に追いつく。致命傷を受けている一方通行に体当たりを繰り返す清掃ロボットを、強引に引き剥がしにかかる。
 しかし馬力もさることながら、盗難対策の為に重量もある清掃ロボットはなかなか動かせない。
 無論清掃ロボットは一方通行の傷口を広げたいわけではなく、単純に『床を汚し続ける液体』を拭っているだけだ。それを理解していても上条には清掃ロボットが死肉に群がるハイエナのように思えた。
 そうまで感じているのに。ただの清掃ロボットを、上条は引き剥がすことすら出来ない。引き止められるのは一台が精一杯で、その間に残り二台が『液体』へ群がっていく。
 神様すら殺せる男のくせに。
 こんなガラクタに翻弄されてしまう。
 一方通行は身じろぎ一つしない。元から異常なまでに白かった肌は、最早死人のそれのように蒼白だった。
「ちくしょう、畜生!!」錯乱状態に近い上条は叫んでいた。「どうしたんだよ、何が起こったんだよこれは!? なめやがって、一体どこのどいつがこんなことしたんだよ!!」
「私達『妹達』ですが? と、ミサカは返答します」



 そして当然、背後から降ってきた声は、一方通行のものではない。
 喰らい付かんばかりの勢いで上条は体ごと振り返る。エレベーターの音はしなかったから、その脇にある非常階段から少女はやってきたのだろう。
 その少女は上条より低い身長で、顔も上条より幼く見えた。
 歳は恐らく中学2、3年といったところか。肩程度の長さの茶髪に半袖の白いブラウスとサマーセーター、灰色のプリーツスカート。あれは確かこの街の中でも有数のお嬢様学校、常盤台中学のものだ。ただしコイツを『ただの女子中学生』と形容する人はこの世にいないだろう。
 まず真っ先に目に付くのがごつくて真っ黒のアサルトライフルだ。無骨というよりは機能美的で無機質な兵器。次に目に付くのが額にかけられた、ゴツい暗視ゴーグルのようなもの。
 そしてなにより、その目。焦点が酷く曖昧で何を見ているのか何も見ていないのか分からない、感情の無く暗い瞳。
 学生とも、ましてや軍人とも呼べない少女。
 上条は、通路に立つ少女を始点に周囲の空気が塗り潰されていくのを感じる。
 『日常』から『非日常』へ。
 『普通』から『異常』へ。
 その時上条は恐ろしく思ったし、それより強く怒ってもいた。
 だが、それ以上に。上条が感じたものは『戸惑い』だった。幼い頃から住んでいるこの街、学園都市。それが決して謳い文句通りの平和で美しいだけの街ではないことは知っていた。
 開発では得体の知れない薬物を投与されてきたし、路地裏のスキルアウトには数え切れないくらい追われてきた。
 だが、それでも上条は知らなかった。この街の『裏』の本当の顔を。
 彼女が、『妹達』。
 今この時、この街はそんなものを平気で作ってしまうような『裏の顔』を曝け出していた。



「これはまた派手に決まってしまいましたね、とミサカは独り言に近い感想を述べます」
 妹達(一人称はミサカのようだがそれが名前なのだろうか)はその感情の無い瞳を一方通行に向ける。
「まだ息があるようなので能力が使えなかったわけではないのでしょうが……、途中の血の跡はその清掃ロボットが拭ってしまったのですね、とミサカは確認します」
 妹達は今も一方通行に集っている清掃ロボットに視線を向ける。
 『途中の』ということは一方通行はここでは無い場所で撃たれて、ここまでわざわざ戻ってきたのだ。
「でも、何で…?」
「一方通行がここまで戻ってきた理由ですか? とミサカは確認を取ります。私にも詳しい事情は分かりませんが、頭を撃ち抜かれた後にポケットなどを探って何かを探すようにしていたような、とミサカは思い出します。逃走に移ったのはその後だったので、何かこの辺りに忘れ物でもしたのではないですか? とミサカは推測を述べます」
 『忘れ物』。そんなもの一つしかない。
(あの、電極……?)
 一方通行が残していった唯一のもの。何に使うのかも分からない電極。
 だが、きっとそれは一方通行にとっては重要なものだったのだ。能力を使う為に必要なのか、能力を破られた時に必要なのか。
 推測しても答えはでない。が、分かっていることが一つ。
 一方通行がそんな大切なものを不用意に落とさなければ、きっとこんなことにはならなかったのだ。
「……とんだ馬鹿野郎じゃねえか」
 そして上条があの時、すぐに後を追って電極を渡していれば。
 上条が繋がりなんて求めなければ、きっとこんな最悪なことにはならなかったのだ。
「……とんだ大馬鹿野郎じゃねえかよ、俺は!!」
 思えば彼は最後、意図的に上条と距離をとろうとしていたような気がする。来るなとも言われた。
 それなのに上条が勝手にしがみ付いて足を引っ張って、結果がこれだ。
 上条は許せなかった。
 勝手に一人で戦って勝手に一人で血塗れになった一方通行が。そんな一方通行の額を撃ち抜いた妹達が。そして何より、人に不幸を押し付けた自分自身が。



「そんなに睨まれても困るのですが、とミサカは困惑します」
 妹達はそういいながらも顔色一つ変えずに続ける。
「確かに一方通行を撃ったのは私ですが、まさかあんなに簡単に銃弾が当たるとは思ってもみませんでしたし、とミサカは当時の状況を振り返ります。一方通行の能力は絶対防御であり、本来はあれくらい『反射』出来るはずなのです、とミサカは説明します。核爆弾が落ちてきても傷一つつかないという謳い文句だったはずなのですが……とミサカは疑問を抱きます」
 半ば独り言のように、最後まで一切の感情を滲ませずに、妹達が淡々と述べる。
 それが一層、上条の感情を逆撫でする。
「なんなんだよ、何考えてるんだよ。俺はお前みたいなクローンのことなんかよく分からないし、お前がどんな世界に生きているのかも分かんねえよ。それでもお前等にだって心はあるんだろ? 痛みとか苦しみとか感じられるんだろ……?」
 そんなこと、上条が言えたことではないのは分かっていた。
 この惨状の原因の一端は、確実に上条にあるのだから。
 それでも、言わずにはいられない。
「こんな細っせえヤツを寄って集って追い回して、銃弾ぶち込んで!! こんな現実を前に、テメエは何も感じないのかよ!!」
「だから、そもそも銃弾が当たるとは思っていなかったのですが、とミサカは再度説明します」
 それでも、彼女は一言で返した。僅かにも微かにも、揺れていなかった。
「もっとも、彼がどうなろうが実験は続けられますが、とミサカは分かりきったことを告げます」
「じっ、けん?」
 意味が分からない。
「……念の為パスの確認を取ります、とミサカは有言実行します。ZXC741ASD852QWE964、とミサカはあなたを試します」
「パス? さっきから一体何を……」
「どうやらあなたは実験の関係者では無いようですね、とミサカは今更ながら確認します。一方通行と言葉を交わす人間なんて実験の関係者くらいだと思っていたのですが、とミサカは僅かに驚きます。一方通行とは個人的な知人か何かなのですか? とミサカは質問します」



「そういえば一方通行もなんか言ってたな。実験ってなんなんだよ? お前等と一方通行と、どんな関係があるんだ?」
「お答えできません、とミサカは即答します。というかミサカの質問はスルーなのですね、とミサカは不満を滲ませます」
 上条は黙って妹達を睨む。『不満を滲ませる』などとのたまいながら、彼女の顔には一切の表情が無い。その様は機械よりも機械的で、その挙動はまるで操り人形のようで。
 上条は少し彼女のことを理解する。きっと彼女は、『正しさ』なんて考えていない。それを正しいと『信じる』人々からの命令に従っているだけで、それが間違っているか否かなんて判断はきっと無い。
「まあそれはいいでしょう、とミサカは閑話休題を宣言します。それよりもミサカは早く一方通行を回収したいのですが、とミサカは申し出ます」
「かい……、しゅう?」
 だからこそきっと彼女のその発言にも、特に意図はないのだろう。そういう表現をしただけだ。
「ええ、回収ですよ、とミサカは繰り返します。詳細は語れませんが、一方通行は実験に欠かせない個体なので、早急に回収してしかるべき処置を施さなくてはならないのです、とミサカは漠然とした情報を告げます」
 その発言にも、だ。きっと他意は無い。人を人とも思わないような、まるでその実験に支障がなければ一方通行がどうなろうと知った事ではないと告げるようなその内容にも。
 もう少し深く、上条は理解する。きっと彼女達だけではなく、その背後にある研究者たちも『正しさ』なんて考えていない。得体のしれない『実験』の為ならば一方通行だろうが妹達だろうが使い潰すような、人を道具としか考えていない意思が妹達の背後に透けて見える。
 上条は全身に鳥肌が立つのを感じる。皮膚の内側から蛆虫が沸いて出るような不快感が体中を駆け巡る。
 科学宗教、という言葉が脳裏に浮かぶ。
 道徳も人権も完全に無視したその考えに上条は強い拒否感を覚えた。



「……やらせねえよ」
 言って、拳を固く握る。眼差しはまっすぐ妹達に向けて。
「それは、実験妨害の意思表示と取って間違いありませんか?とミサカは問います。第三者が実験の障害となる場合、ミサカはそれを迅速に排除する義務があります、とミサカは警告します」
「ああ。止めてやるよ。そんな胸糞悪い実験、この場で終わらせてやる!!」
 咆哮と同時に、爆ぜるように駆け出す。
 右の拳を更に強く、砕けんばかりに強く握り締める。
 上条の右手は不便だ。作用するのは異能の力だけで、銃なんかには全く歯が立たない。
 けれどそんな右手でも、ただの人間をブン殴ることには何の支障も無い。

「実験を妨害する意思を確認、これより検体番号10032号は対象の排除に移ります」
 それでも妹達――10032号は機械的に宣言する。
 そしてその間に上条は妹達との距離を半分に詰める。
「降伏の意思が認められるか、或いは行動不能に追い込むまで攻撃は継続しますので、速やかに降伏して頂ければ幸いです」
 そう上条に告げた10032号は、持っていたアサルトライフルをようやく構える。
 が、遅い。もう上条は彼女の眼前まで迫っている。
 銃なんてものは単純だ。銃口をこちらに向ける前に銃身を押さえてしまえば、もうそれはただの鉄の塊なのだから。
 10032号の言葉の一切を無視して駆けた上条は、右手を真っ直ぐ銃身に向かって伸ばす。
 10032号の指は引き金にかかっていたが、それが引かれるより早く上条の右手が銃身を捕らえた。
(捕った!!)
 アサルトライフルを掴んだままの右手を強く右に払う。銃を奪うことは出来なかったものの、銃口は上条から大きく逸れた。
 目の前には、それでも無表情な顔と、がら空きの腹。
 勝利を確信した上条が、左腕を振りかぶった瞬間。
 10032号の額から、凶悪な電撃が迸った。



「なっ!?」
 とっさに後ろに仰け反りながら、右手で顔を庇う。
 運よく右手に触れた電撃が、バチバチと音を鳴らしながら四散した。
(こいつ、能力者なのか!?)
 怪訝な顔をしている10032号を尻目に、上条は思い出す。
 今朝、一方通行は妹達のことをなんと言っていたのかを。
『妹達ってのは学園都市第三位『超電磁砲』のDNA マップから作られた二万体のクローンの総称だ』
(そういえばこいつらは学園都市最強の電撃使いのクローンだった。待てよ、ということはまさか妹達って全員レベル5!?)
 上条の全身から気持ちの悪い汗が噴出した。無意識に一歩、二歩と後ずさる。
 いくら上条の右手が異能の力を打ち消せるといっても、レベル5級の相手にそう簡単に勝てるわけでは無い。上条の右手はあくまで異能の力にしか作用しないので、能力の余波で飛んでくる瓦礫などは防ぎようが無いのだ。
 それがただの能力者ならば痛いで済む。だが相手がレベル5となれば話は別だ。
 その能力が『災害級』と称されるならば、その余波もまた『災害級』なのだから。
「……? やはり電子線を追えない状態での能力の使用は安定しませんね、とミサカはゴーグルを装着します」
 上条が電撃を打ち消したことを理解しきれていないまま、額にかけていたゴーグルを下ろす10032号。そこでようやく上条は我に返る。
 銃口がこちらを向いていた。
 上条は先の電撃を『右手』で打ち消した。そうするしか無かったので仕方無いのだが、結果アサルトライフルは今いつでも撃てる状態にある。
(マズ……ッ!!)
 上条と10032号の距離はたったの数歩。だがその距離を詰めるより早く、引き金が引かれる。

 オモチャの拳銃のように安っぽい銃声が、本物の破壊の後を追った。



 掃射が終わってみれば、辺りはもはや廃墟のようだった。床も壁も銃弾で容赦なく抉れ、通路奥にいた清掃ロボットにまで銃弾が数発めり込んでいた。
「やりすぎましたね、とミサカは前方を視認します」
 まるで銃を持ったテロリストが暴れまわったかのような(実際そんな感じなのだが)惨状を前に、10032号は相変わらず無表情で呟く。
 この寮、及び周囲に人がいないことは確認済みだ。夏休み初日なので住民は全員外出しているし、周囲にはそんな若者が集う場所は無い。
 だが、その全てが帰宅せずに徹夜もしくは泊まりで遊びほうけるということは無いだろう。
 実験は秘密裏に行わなければならない。なのでそれらが帰宅する前に、この惨状をどうにかしなくてはならないのだ。
「……まあなんとかなるでしょう、とミサカは無責任にため息をつきます。というか危うく一方通行にも当たるところでしたね、とミサカは自分の無計画さを反省します」
そもそも10032号も上条を必殺しようとしていたわけではなく、行動不能に陥らせようとしていただけだ。故に銃口は意図的にやや下に向けていたのだが、壁や床で跳弾したのだろうか。何にしろ、一方通行を回収するために一方通行を撃ち抜いてしまっては笑えもしない。
「まあもう撃ち抜いているのですけどね、とミサカは小粋なジョークを飛ばします。まあついでにもう片方にも釘を刺しておきましょうか、とミサカは手すりから身を乗り出します。」


「し、死ぬ! やばい! 本当に死ぬかとおもった!!」
 掃射が始まる寸前に七階の手すりを越えてノーロープバンジーに挑戦した上条は、六階の廊下で膝をついて荒い呼吸を繰り返す。心臓が左胸で暴れまわっているのを感じながら、とりあえず射程距離から外れて一息つこうとしていたのだが。
「はろー、とミサカは場違いな挨拶をします」



 降ってきた声に慌てて上条が振り返ると、10032号が上の階の手すりから身を乗り出してこちらを見ていた。
 手には当然アサルトライフル。
「嘘だろ、なんでそんな不安定な姿勢で撃てるんだ!?」
 弾かれるように走り出す上条の後を銃弾が追う。床が爆ぜ、ドアに風穴が開き、消火器が弾けとんだ。
 先ほどとは違いまだ逃げようがあるものの、それでも一直線に逃げていたのではではいずれ捕まってしまう。
 咄嗟に上条は真横の非常階段への扉を蹴やぶって転がり込む。下へ下へと階段を降りながらも、背後から容赦なく安っぽい銃声が追ってくる。
(そもそもこっちは丸腰だってのに……ッ)
 卑怯だ、と思う。とはいえそんな言い分はこの場で通用するとも思えない。
 しかし実際問題、あんな物騒な銃を持った相手を素手で倒すことなんて出来るのだろうか? 先ほどのように至近距離からの不意打ちでも決まれば話は別だろうが、一度これだけ距離を離してしまってはそれも適わない。
 しかも相手は能力まで持っている。さっきのはレベル3程度の電撃だったが、最悪レベル5クラスであっても不思議ではない。
 だからといっていくら上条が頑張ったところで、ちゃちな拳銃一つだって手に入らないだろう。よしんば手に入ったとしても相手はアサルトライフルだ。勝ち目なんてあるはずも無い。
 そこまで考えて、上条の思考は強引に断ち切られた。
 何故なら、上条の向かう先――階段の踊り場に手榴弾が投げ込まれたからだ。



「なっ……!? こんな物騒なものまで使うのかよ!!」
 爆発寸前の手榴弾を前に、上条がとった行動はシンプルだった。
 今まで下ってきた階段を引き返すのではなく、更に階段を下るのでもなく。
 そのまま加速して、手榴弾ごと踊り場の手すりを飛び越えた。
 背後で手榴弾が弾ける音を聞きながら、上条は着地地点を確認する。二階と三階を繋ぐ階段だったので死にはしないだろうと思って飛んだのだが、見れば下は自転車置き場だった。
「わっ、うわわわわああああ!」
 がしゃんごしゃんと自転車をなぎ倒しながらも、なんとか着地する。
 あちこち擦りむいたり切ったりしたが、大した怪我は無いようだった。
「って、安心してる場合じゃねえ!!」
 上条は慌てて頭上を仰ぐ。非常階段まで撃ってきたのだから、恐らくまだ10032号の射程範囲から外れてはいないだろうからだ。
 案の定、半ば手すりに腰掛けるようにしている10032号と目が合った。慌てて起き上がって逃げようとした上条だったが、10032号はしばらく上条の顔を見た後、手すりから降りて上条に背を向けた。

 どうやらもう追撃は無いらしい。
 それが分かった途端に、上条は脱力した。膝から崩れ落ちて尻餅をつき、深いため息をつく。



 まだ完全に危機を脱したわけではない。依然として上条は10032号がその気になれば撃ち抜かれる位置にいるし、一方通行のことも片付いていない。
 だが逆に。上条がここからさっさと逃げ出して一方通行のことを忘れてしまえば、これ以上の危機は訪れないのだ。
 10032号が撃って来ないのもそういうことだろう。つまり、今朝の一方通行と同じことを言っているのだ。
 こっちへ来るな、と。
 倒すべき相手も、助けるべき対象も、両者とも一様に来るなと言っている。
 それらを無視してまでそこに命がけで赴く理由なんて、上条には無い気がした。
 ポケットを探る。とりあえず携帯で警備員に連絡しようと思ったのだが、思い出してみればそれは今朝踏み砕いていた。
 結局、ここにいても上条に出来ることなど何も無い。本当に彼を助けたいのなら、さっさと携帯を持っている人や公衆電話などを探して助けを呼ぶべきなのだろう。
 例えその間に一方通行が『回収』されても。
 そもそも、だ。

『じゃあついてくンのか? 地獄の底まで』

 学園都市で最も強い能力者すら抜け出せないような深く暗い地獄の底。
 そんなところから上条一人で彼を引きずり上げるなんて、無理に決まっているのだから。
 彼の言によれば彼は人殺しで、極悪人で。
 その血に塗れた手を掴む理由なんて、上条には無いのだから。

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