とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

SS 9-562

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ryuichi

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階段の踊り場から飛び降りた上条が自転車をなぎ倒しながら着地するのを、10032号は半ば手すりに腰掛けるようにして見ていた。
 慌てて立ち上がりこちらを仰いだ上条と目が合う。その目に確かな怯えを見て取ったところで、10032号は手すりから降り、上条に背を向けた。
「どうやらこれ以上の追撃は必要無いようですね、とミサカは戦闘態勢を解除します」
 暗視ゴーグルを上げ、アサルトライフル――F2000R『オモチャの兵隊』に安全装置をかける。
 実験の障害は取り除いたのだから、それでよしとした。本来なら確実に始末したほうがいいのだろう。あの様子ならもう上条が直接妨害に来ることは無いだろうが、それでも警備員に通報くらいはするだろうから。
 だが10032号はそれをしようとは思えなかった。
 理由は単純、上条は自分達とは違うと思っていたからだ。
 いくらでも替えの効く自分達とは違って、彼は世界に一人きりしかいないのだから、と。
 単価十八万のクローン如きが人間を殺してしまうことに、最後の最後で躊躇してしまったのだ。
「……さて、それではこちらをどうにかしましょう、とミサカは雑念を振り払います」
 そういって10032号は一方通行に向き直る。清掃ロボットは跳弾を受けて停止しているので問題は無いが、依然として一方通行の額からは血が流れている。
 救急車を呼ぶという選択肢はない。そういった『表』の機関はそうそう利用できない。
 かといって彼女一人で一方通行にしかるべき処置をして研究所等に運ぶ――というのもいささか現実味がない。そもそもいくら細いといっても、人間一人を担ぐというのはなかなかの重労働である。
「一方通行に自分で歩いてもらうのが一番手っ取り早いのですがね、とミサカは一方通行を叩き起こすか思案してみます」

言うだけ言ったものの、流石に実行に移そうとはしない10032号。
 仮に起こせたとしても、一方通行は10032号の眼前から『逃亡して』『ここで倒れていた』のだから、自身で研究所まで帰還させるというのは二つの意味で非現実的だった。
 そもそも重傷人にそこまで働かせるのも酷だろう。
「他の妹達が到着するまではまだ時間がかかりそうです、とミサカは推量します。まあそもそもそんなにゆっくりしている余裕もなさそうですしね、とミサカは一方通行の容態を確認します」
 一方通行は意識の無いまま横たわっている。呼吸も脈も問題は無いので今すぐどうこうということは無いだろうが、かといってこの出血はこのまま放置しておくには余りに危険だ。本来なら一刻も早く医療機関での処置を施すべきだろう。
「少々脳を損傷しているようですが被害の程度は判然としません、とミサカはネットワークを通じて報告します。銃弾も貫通していませんし、ここまで来る途中にも何度か能力を使用していたので能力の使用にはまだ不具合は出ていないようですが、とミサカは推測します。しかし今は一時的に脳の他の部分が欠損部分の機能を補っているだけで、後に何らかの障害が発生する危険も否めません、とミサカは楽観的な見解を否定します」
 ひとまず途中で手に入れてきた治療具で、簡単な応急処置を行う。傷が深いのでこの程度では完全な止血すらも出来ないが、無いよりはマシだろう。
 どうせ洗い流しても後から後から流れてくるのだと、血も洗い流さずに消毒の後にガーゼで圧迫してからきつく包帯を巻く。
 そしてその包帯も、即座に赤く赤く染まっていく。
 それが溢れ出しているのは額の傷で、その傷を作ったのは10032号で。

(そういえば誰かに怪我をさせたのはこれが初めてですね、とミサカは思い至ります)
 妹達は皆見た目と年齢にはかなりの開きがある。クローンとして生まれ、培養機で強引に肉体年齢を底上げされ、学習装置で強引に精神年齢を底上げされた。
 故に彼女達は『経験』というものが圧倒的に少ない。直接的な経験は『後片付け』ばかりで、間接的な経験は一万回を超える回数の『殺されること』だ。
 だからこそ彼女は『痛み』には慣れていた。直接痛覚情報を受け取ったわけでは無いにしろ、その経験は彼女の中に蓄積されているのだから。
 けれどそんな彼女も知らない『痛み』が、彼女の心を揺らしていた。
 しかし、彼女がその痛みの正体に気付こうとした時。
 寮内の火災報知機のベルが、けたたましく鳴り響いた。

「…………」
 10032号が頭上を仰ぐより早くスプリンクラーが作動する。豪雨のように大量の水が降り注ぎ、あっという間に10032号は濡れ鼠になった。
 報知器が作動した理由を10032号は考える。心当たりといえば先の手榴弾くらいだが、それにしては遅すぎる。そもそもあの手榴弾は破片を撒き散らすタイプのものなので、センサーに引っかかるとは思えない。
 ということは、あの少年が火災報知機のボタンを押したのだろう。最後に一矢報いたつもりだろうか。
「……まさかこの銃を無効化する為でしょうか、とミサカは馬鹿馬鹿しくて笑えもしません」
 『オモチャの兵隊』は勿論のこと、10032号の額にかかっている暗視ゴーグルも完全防水仕様である。学園都市製の軍需用品は防水加工されていないものの方が珍しい。
 そもそも学園都市製でない外の銃であっても、水に濡れたくらいで完全に機能を損なうものなどそうそう無いだろう。熱湯に浸せばまだ熱膨張などが期待できるかもしれないが――それすら現実的とはいえない。
 最もこの水が熱湯であったなら10032号はとっくに茹で上がっているだろうが。

 10032号は壁に張りついている赤い火災報知機を見る。能力を使って報知器を止めようかと思ったが止めた。今更止めたところでもう十分濡れてしまったし、消防にも連絡は行ってしまったはずだ。
 そもそもここら一体は水浸しだ。単純に能力での攻撃ならばむしろ都合がいいだろうが、電子機器に干渉するような精密作業を行うのは難しい。
 10032号は一瞬考えて、それからひとまず一方通行を回収することにした。消防隊に見つかっては厄介だし、一先ず人目のつかない場所に移動すべきだと判断したからだ。
「そういえばエレベーターは動いているのでしょうか、とミサカは懸念します」
 火災報知機と連動して機能を停止するエレベーターなんて珍しくもない。さすがにここのエレベーターがそうかなんてことまで下調べはしていないが、もしそうならば少々面倒だ。
 そんなことを考えていた10032号の背後で、エレベーターの到着を告げるキンコーンという音が響いた。
 どうやら動いているようだと彼女は一瞬安心するも、すぐそれは疑問に上塗りされる。
 この寮に住む学生は皆一様に遊びに出かけている。完全下校時刻にはまだ早いので学生ではないだろうし、学生以外にこんなところに出入りするものはいない。消防隊にしても早すぎる。
 ならば誰が? 誰がエレベーターを動かした?
 スプリンクラーで濡れた床が、カツンという音を鳴らす。誰かがこちらに歩いてきている音。
 10032号はゆっくりと振り返る。自分の体が僅かに震えていることにも気付かずに。

上条当麻が、そこにいた。

「……まさかこのスプリンクラーでミサカを無力化したつもりですか、とミサカは問いかけます」
「たかが濡れた程度で壊れちまうほど学園都市製の銃は弱くないだろ。俺だってそこまで馬鹿じゃないさ」
 10032号の思考が空転する。見たところ新たに武器を持ってきたわけでもないようなのに、何故彼はこの場に戻ってきたのか。『オモチャの兵隊』であれだけ一方的に撃たれたというのに。
 あまりの恐怖で気が狂ったのかのかと思ったが、その足取りにも眼差しにも一切の揺らぎは無い。
 静かに、上条当麻はそこに立っていた。
 自然と。泰然と悠然と浩然とそして誰よりも毅然として――そこにいた。
「それならばこれはどういったつもりなのですか、とミサカは重ねて問います」
「ああ、火災報知機か。単に携帯が壊れてたからその代わりでもあるんだけど」
 言って、上条当麻は視線を下げて、10032号の腰辺りを見た。
「いやー実は上条さん濡れ透けを期待していたんですがね。上はセーターがあるから無理だろうけどスカートならあるいは、って具合に」
「……大したものですね、とミサカは呆れます。この状況でそんな下劣な言葉が飛び出すとは思ってもみませんでした、とミサカは軽蔑します」
「上条さんだって健全な男子高校生なんですよ? そういうものに興味を持つのは当たり前なんです」
 視線を下げたまま軽薄に語る上条当麻。まさかあれだけの目にあってそれだけの為に戻ってきたのかと、10032号は訝しがる。

上条当麻は通路の中央に棒立ちしている。スプリンクラーで水浸しの通路は一直線で、距離は彼の歩幅で10歩分ほどか。
 今『オモチャの兵隊』を乱射すれば上条当麻は逃げようがない。
 また先程と同じように手すりを乗り越えれば急場は凌げるが――そうやってイタチごっこでもするつもりなのだろうか。それとも他に何か策があるのか。
「それで、来ないのですか? とミサカは軽く挑発します」
「あぁ、まあなー……そういえば、お前に一つ聞きたいことがあったんだ」
「先に言っておきますが、実験の機密に関わることはお話できませんよ、とミサカは先手をうちます」
「ああ違う、そういう話じゃないんだ。……あーでもまあ、やっぱり後でいいや」
 口の端で笑った上条当麻はそう言って視線を上げる。真っ直ぐに10032号を見据えて右の拳を握る。
 それを受けて10032号も暗視ゴーグルをかける。銃口はまだ下げたままだが、この距離ならばそう慌てる必要も無い。
「やはり実験妨害の意思は変わらないのですね、とミサカは確認をとります」
「ああ――さて、と」
 その上条の一言で、空気ががらりと変わった。
 たった一歩。上条の動きに、10032号は緊張を走らせる。
「一応急所は外しますが五体満足は保障しませんよ、とミサカは簡潔に警告します」
「そりゃどー、もッ!」
 上条当麻が銃弾の如く駆け出す。爆ぜるように足元の水が撥ねた。
 しかし10032号の元へ上条がたどり着くよりも早く、彼女は銃口を上げた。
 上げながら、引き金に指をかける。それを引いた瞬間に弾丸はばら撒かれて、先とは違い全力でこちらに駆けている上条当麻はもう絶対に避けることは出来ない。
 その事実にほんの僅かだけ躊躇い、引き金を引こうとした瞬間。

「――――やめ、ろ」
 不意に、10032号は大きく仰け反った。
 急停車した電車に乗っていたかのようにバランスを崩す。突然のことに10032号の頭は混乱するも、後ろを振り返らずとも誰がこれをやったのかは即座に理解出来た。
(一方通行!?)
 10032号は、自らの足に一方通行が触れているのを感じる。あれだけの重傷を負いながらも、彼女にかかる重力のベクトルを操作したのだ。
「撃、つな……ッ、10032号……!!」
 10032号は背後を振り返る。そこには確かに一方通行が倒れていて、その手は10032号の足に触れていた。
 けれど10032号は『彼』を一方通行だとは思えなかった。まるで悪鬼のような、狂気のみを宿した瞳。学園都市の闇に君臨する化け物、それが一方通行なのだ。
 だというのに。
 彼が一語一語搾り出す度に、その額から血が零れる。
 そんなことは一切気に留めずに上条当麻を助け、挙げ句には彼が伏せる理由を作った彼女すらも案ずるような気色を滲ませる。
 一方通行――正真正銘の化け物としての生き方しか選んでこなかった少年はそこにはいなかった。それに驚愕する10032号は、今も迫ってきている上条当麻のことすら忘れかけてしまう。そうさせるまでの『異常性』がそこにはあった。
 パシャっという水を踏む音で、10032号はようやく目の前の上条当麻に視線を戻す。
 とっさに天井に向いている『オモチャの兵隊』を引き下ろし、銃口を上条当麻に向けた。
 とっさだった為に、照準は正面。このまま引き金を引けば、確実に上条に致命傷を与えてしまう。
 そして、この期に及んで10032号は上条当麻を殺してしまうことに躊躇する。
(……先とは違いゴーグルも装着していますし、幸いにも周囲は水浸しです。今なら能力も外しようがありません、とミサカは能力での攻撃を実行します!)
 10032号は能力を発動する。彼女の能力は『欠陥電気』。第三位の『超電磁砲』には遠く及ばない電力でしかないが、それでも対人使用では十分な成果を発揮する。
 彼女から放たれた雷撃はスプリンクラーから撒かれる水と、それで濡れた壁と床を伝って大きく拡散しながら上条に向かう。

 一方通行は動いた。その事実が彼に力を与える。
 事前に計画していたわけでもなければ、何か合図を決めていたわけでもない。それでもただアイコンタクトを交わしただけで、彼は上条に応えた。
(そうだよな、当然じゃねえか)
 上条は一瞬でも一方通行を疑った自分を恥じた。
 そう、当たり前なのだ。一方通行が他人の命をゴミ同然に扱うような悪人ならば、そもそも妹達から逃げる必要は無いのだから。
 一方通行自身も10032号も言っていたではないか。彼の能力を以ってすれば銃器如き何の障害にもならないと。
 それだというのに一方通行は今血に塗れている。何故か。答えなど考えるべくも無い、彼が能力を使わなかったからだ。
 最初から不自然だったのだ。彼は『追われ』『逃走し』『撃たれ』『八階から落下した』と言っていた。
 だが、世界中を敵に回しても生き残れるような化け物が何故そんなことをする必要があるのだろうか。彼がその気になれば、彼に敵対する人間は即座に呼吸を止めることになるのに。
 今のこの状況だって、本来ならば上条の右手のようなイレギュラー中のイレギュラーでしか為し得ないことなのだ。
 だが実際に彼は逃げることを選び、血塗れになっても彼女を傷つけようとはしなかった。
 それどころかただ一度言葉をかわしただけの上条すら庇おうとしている。

上条はこれまでの一方通行を知らない。何を考えて何を為してきたのかも。知っているのは彼自身が言っていた『一万を超える妹達を殺した』ということだけ。そしてそれすら本当なのか、上条には分からない。
 けれど、一方通行が本当に一万の妹達を殺したのだとしても。
 彼がそこからやり直そうとしているのならば、自ら地獄の底から這い上がろうとしているのならば。
 例えそれが血塗れであろうが、その手を掴まない理由など上条当麻の中には存在しない。
「邪魔だ!!」
 右の拳が、スプリンクラーの水ごと電撃を弾き飛ばす。
「!?」
 驚愕に染まる10032号の表情を尻目に、上条は彼女の眼前に迫る。
 スプリンクラーの意図は二つ。一つは一方通行を叩き起こすこと、そしてもう一つは電撃を使いやすい状況を作ること。
 幸運にも先の一回では上条の右手の力は悟られなかった。ならば先ほどのように至近距離で彼女に能力を使わせれば、それを破った一瞬に隙が生まれる。
 それを狙って、上条当麻は火災報知機を鳴らした。
 結果見事目論見通りに電撃を打ち消した上条は、その一瞬の虚を突いて10032号の眼前に迫る。
 そして立て続けに予想外の出来事が起こって混乱している10032号が我を取り戻すより早く、その握られた右拳が彼女の顔面に吸い込まれ――
 寸前で、止まる。

「……さっきの質問、今してもいいか?」
「このタイミングで聞くべきことなのですか? とミサカは返答します」
 右の拳は10032号の眼前で止まっており、左の手は『オモチャの兵隊』を押さえている。10032号は完全に制されている状態だ。
 上条は顔を伏せているので、10032号から彼の表情は覗えない。
「『一方通行は私達とは違って実験に欠かせない個体』って言ったよな。それってお前らは代えがきくってことなのか」
「ええ。私達は単価十八万でいくらでも量産出来るクローンです、とミサカは回答します。あなたが私をどうするつもりかは知りませんが、私を殺してもいくらでも代わりはいますし、人質としての価値も皆無ですよ? とミサカは淡々と事実を述べます」
「…………」
「私達はあなたや一方通行とは違う何の価値もない『出来損ないの乱造品』です、とミサカはかつて浴びせられた罵声を引用します。詳細を語ることは出来ませんが、私達は本来の目的と用途に沿うことすら出来ずに使われ消費されていく運命です、とミサカは事実を事実のまま伝えます」
「ふざけんじゃねえぞ」
「……? 何を怒っているのですかと、ミサカは」
 上条当麻は右手で10032号の襟元を捻り上げる。
 彼が滲ませる感情は、紛れも無い怒りだった。
「ふざけんな! いくらでも代わりはいるだ? なめやがって、テメエは世界にたった一人しかいねえだろうが!!」

その時、これまで貼り付けたかのような無表情であった10032号の表情が、初めて揺らいだ。
 驚きと哀しみと喜びがない交ぜになったような、そんな表情。
 事実、彼女は自分の感情を理解出来なかった。
 自分はいくらでも替えの効くクローンだということも、彼らと自分達が根本的に違う存在であるというのも紛れもない事実だ。事実のはずだ。
 それなのに何故この少年は、こんなにも憤っているのか。彼女には理解出来ない。
 間違っているのはこの少年のはずなのに、なぜ自分はこんなに動揺しているのか。
 まだ彼女には、理解できない。
「今からコイツと一緒に、お前を救ってやる。それまでお前は大人しく見学でもしてろ」
 右手が襟元から離れ、左手も『オモチャの兵隊』を放した。
 上条当麻は10032号の脇を抜け、一方通行のそばに跪く。
 一言二言なにか言葉を交わしたのち、上条当麻は手負いの一方通行を抱えて非常階段へと消えた。

 それを10032号は、ただ見ていた。
 一方通行を回収するのが彼女の任務で、目撃者の口を封じるのも同様で。上条当麻は彼女を全く警戒しておらず、彼女がその気になればいつだって彼を倒せたのに。
 結局最後まで、彼女は何も出来なかった。

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