とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

SS 9-576

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ryuichi

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「……ここだな」
 8月9日。
 日も傾き、夏空が茜色に染まり始めた頃。
 第七学区にあるとある病院の入り口に、学園都市第二位、『未元物質』垣根帝督はいた。
(病院だしな。堂々入ったって文句は言われねぇだろ。上条とやらのお見舞いです、とでも言っときゃいいか)
 そう考え、躊躇なく病院の自動ドアを潜ろうとした垣根だったが、
〈間然。少し待て〉
 脳内から呼びかけられた声――垣根の脳に絶賛不法滞在中の錬金術師・アウレオルス=イザードの声に、出しかけた足を戻す。
(……何だよ)
〈いや、その、だな……そ、そうだ。姫神の時のようになっては困るだろう。禁書目録に会う前に、貴様のすべきことを伝えておこう〉
 慌てたような調子のアウレオルス。
 垣根はその態度に彼の心情を見抜き、
(要らねぇよ。脳内の会話なんて数秒で済むんだ。歩きながらで構わねぇだろ)
 まるで取り合わずに病院内に入っていく。
〈だが、しかし……〉
 尚も食い下がってくるアウレオルスに、垣根はズバリ指摘する。
(テメェ、今更怖くなって先延ばしにしようとするんじゃねぇよ。俺の頭にジャンプしてきてからもうすぐ一日経つだろ。いい加減腹決めろ)
〈う……〉
 言葉を詰まらせるアウレオルス。
(つーか今日一日ずっとテンション高かったのもそのせいだろ。分かりやす過ぎんだよ。三沢塾で会った時は掴み所のねぇやつだと思ったが、実際同居してみりゃ分かる。テメェはただメンタルが物凄ぇ弱いくて、それがバレねぇように演技してただけだってな)
 あの治療針もメンタルを高めるためのものだったんだろ、と言ってのける垣根に、
〈………………〉
 アウレオルスは完全に沈黙してしまった。
 それは図星を刺されて気まずいようにも、或いはどこか拗ねているようにも見える。
(ったく、別に悪いとは言ってねぇよ。確かにそいつは短所ではあるが……それ以上に、テメェの守るべきものを守るっつー信念はすげぇんだからよ。俺が手本にしたがるくらいにはな。――だから、今は俺がテメェの治療針の代わりになってやるよ。うじうじしてるテメェの背中を押してやる。ま、この身体が俺のものである以上、テメェに拒否権はねぇんだがな)
 いつかアウレオルスが言った台詞をなぞったその言葉に、
〈………………本音だと分かってしまうというのも、時には気恥ずかしいものだ。やはり貴様を選んでよかった。感謝する〉
 アウレオルスは素直にそう応える。
(どういたしまして、だ。んじゃ、行くぞ。禁書目録の所へ)
 アウレオルスに心中でそう返して、垣根は上条当麻の病室を聞こうと受付へ歩を進める。
 ――が、


「むぅ……マスクメロン味のポテトチップス……これは、新たな次元への挑戦かも……」


 そのすぐそばに設置された院内売店に。
 そこら中が安全ピンで補強されているおかしな白い修道服を着て。
 マスクメロン味と書かれた怪しいポテトチップスの袋を両手で握りながら。
〈………………………………唖然。見つけた〉
(な、あいつが!?)
 禁書目録がそこに居た。



(何だ何だ。話が早ぇじゃねぇか。このまま突撃すりゃ任務完了だ)
 思いながら売店の禁書目録へ向かって歩きだそうとする垣根。
〈なっ、待て! 待て待てストップ!〉
(だーから今更怖じ気づいてんじゃねぇって……)
〈そうではない。否、それも少しはあるが、売店の隅を見ろ〉
 アウレオルスの言葉に、垣根は歩みを止めてそちらを見やる。
 するとそこには、
(……何だありゃ)
 黒い神父服の様な物を着た、明らかに場違いで、見るからに怪しい長身赤毛の男が、棚の陰から禁書目録の方に視線を遣っていた。
(って、あれ……さっきまであんなのいたか?)
 男がいる場所は、禁書目録を見つけた時からずっと視界の中にあった。
 あれほど目立つ格好をしていれば、自然と気づく筈である。
〈他人の意識から自身の存在を『外す』魔術だ。と言っても非常に弱く、暗示の延長のようなものだがな。それ故に禁書目録にも気付かれていない。一般人の目さえ眩ませれば充分ということだろう〉
(魔術ってことは、魔術師……イギリス清教か? つーか何でテメェには見破れたんだ? 今の魔術師テメェにゃ魔術師としてのスキルなんざ残ってねぇだろう)
〈雑然。一度に聞くなと言ったであろう。……まず、私には確かに魔術を扱う力も見破る力も残ってはいない。陣を見てそれがどんな魔術か、ということくらいは分かるが……それだけだ。知識しか扱えぬと言ってもいい。例えば私が貴様にこう陣を描けと命じたところで、魔術は発動しない。働くのは超能力者である貴様の身体と脳なのだからな。それと同様に、魔術にかかるのも貴様の身体と脳だ。当然、魔術に対して何のプロテクトも施されていないが故に、さっきの貴様のように奴の術に嵌ることになる〉
(じゃあ、何で俺は駄目でテメェは奴の隠れ身の術を見破れてるんだ? 俺の五感とテメェの疑似脳味噌は繋がってるんだろ?)
〈簡単。繋がっているからこそ、だ。私の今の状態は、貴様の五感を二股コードを使って私の方にも引っ張ってきているようなもの。つまり、私の感じる外界は、『貴様の脳で処理される前の世界』だ。一方、奴の魔術は『相手の脳に作用し、認識をブレさせる』ものである〉
(ん、あぁ。何か分かったぞ。テメェは俺の純粋な感覚器の情報だけを得るから、不純物である術に嵌った俺の視界の情報は届かない。そしてテメェの脳は本物の脳じゃねぇから、脳味噌の認識を書き換える信号を受け取ってもそれをその通りに実行出来ない。そういうことだろ)
〈正解だ。相変わらず聡明だな〉
(……んで、あいつは何者なんだ?)
〈――ステイル=マグヌス。イギリス清教、『必要悪の教会』の者だ。かつての禁書目録のパートナーでもある。もっとも、高々一年で彼女の救済を諦めた軟弱者であるがな。おそらく今は禁書目録の監視なり護衛なりをしているのだろう〉
(ボディーガード、ね。んじゃ、俺は禁書目録に不用意に近づけないんじゃ……?)
 垣根とアウレオルスが隠れて思考を交換し合っていると、ステイルが動いた。
 それも、禁書目録の方にではなく、上階へ上がる階段の方へ、だ。
(……監視なんじゃなかったのかよ)
 ジトリ、と脳内でアウレオルスを睨む垣根。
〈もともと中立地帯の学園都市、そしてここは病院。多少の油断もあるのだろうよ。大方上条とやらの所へ行ったのだろう〉
 想定通りだとでも言わんばかりに涼しげに答えるアウレオルス。
(……まぁ、いいけどよ。ステイル=マグヌスが帰ってくるまでが勝負ってことか。ま、別に禁書目録をどうこうしようって訳じゃねぇし、相対するのは魔術師のテメェじゃなく学園都市にはありふれている超能力者の俺。最悪見つかったらナンパにでも思わせておけばいい)
〈で、あるな〉
 二人は脳内でそう示し合わせると、垣根は禁書目録のいる売店へと足を進めた。



「むー、どうして!? どうしてこのマスクメロン味ポテトチップスとアンコ梅アイスバーを買っちゃいけないのかな!?」
「だから、買っちゃいけないのではなくて。その……お金が足りないのよ」
 ステイルに気を取られているうちに状況は変化していたらしい。
 どうやら禁書目録の手持ちの金が菓子を買うのには足りていないらしく、売店のお姉さんが猛犬のように唸る禁書目録を困ったように宥めている。
「むぅ、じゃ、じゃあこのアイスバーだけでも……」
「えっと……それでもまだ50円足りなくて……」
 禁書目録の後ろに回ってカウンターを見てみると、そこには百円玉が一枚だけ置かれている。
(こういうとこの物品は割高がデフォだろうが。上条ってのはどんなけ貧乏なんだ)
〈断然。私ならイタリア料理フルコースを三人前ほど取ってやるのだが〉
(おいおい、んなもん一人で食える訳ねぇだろ)
〈………………〉
(な、何で黙るんだ?)
 アウレオルスの無反応に戸惑いつつも、垣根は財布から千円札を取り出し、禁書目録の頭越しにカウンターに置く。
「これでお願いします」
「へっ、あ、分かりました」
 店員は垣根の出した札を手に取ると、さっさと会計を済ませる。
 と、
「い、い…………」
 禁書目録が突然声を震わせ、
「いい人!!」
 キラキラとした瞳で垣根のことを射止めた。
〈ごふぁっっっ!!??〉
(おい、どうしたアウレオルス!? 魔術攻撃か!? そうなんだな!?)
 気の抜けた風船のようになってしまったアウレオルスの肩をイメージの中で前後に揺らす垣根。
(つーか何だかんだでまだこの後俺はどうすればいいのか聞いてないんだが! おい! 応答しろアウレオルス!)
〈……………………ふ〉
 ようやく自我を取り戻したのかアウレオルスが額の汗を拭いながら話し始める。
〈茫然。少し立ちくらみを〉
(今のテメェにゃ血液もなにもあったもんじゃねぇがな)
〈何をするか、だったな。まずは『首輪』の有無の確認だ〉
(まぁ、第一目標だしな。了解)
 会話を打ち切ると、垣根は禁書目録の首もとに手を伸ばそうとし、
〈否。首輪と呼称しているが首に填めている訳ではない。それではすぐに存在がバレるであろう〉
 アウレオルスの言葉に動きを止める。
(んじゃ、どこなんだよ)
 何とはなしに聞き返す垣根に、
〈喉の奥だ〉
(はぁっ!?)
 アウレオルスは、簡潔に、しかし衝撃的な答えを述べた。



(おま、それどういう……つぅかどうやって……)
〈歴然。口の中に指を入れて確認すればいいだろう〉
「結局難易度激高じゃねぇかよぉぉぉ!!!」
「…………?」
 突然頭を抱えて声を上げる垣根を首を傾げながら見つめている禁書目録は、しかし大した興味もないのか、先ほど買ったアンコ梅アイスバーの包みを溶けないうちにと開け始める。
 食費の提供者よりも食料の方が優先順位が上であるらしい。
〈今が好機だ。氷菓子を食べようと口を開けたところに指を突っ込め〉
(簡単に言うよなぁ! テメェはホント簡単に言うよなぁ!)
 脳内で突っ込みを入れつつも、しかし実際喉にあるという『首輪』を確認するためには口内を覗くのが一番早い。
 まさか喉を切り裂くわけにもいかないのだから。
 そう思い、アイスバーの包みを解いて、今にもそれにかぶりつこうとしている禁書目録に、垣根は再び右手を伸ばす。
 そして、垣根は
「ちょっと失礼するぞ」
「……!?」
 禁書目録の開かれた口の中に指を突っ込むと、歯医者で治療の際に使う突っ張り器具のように右手の人差し指と中指とを広げて上下の顎を支える。
(……………っ)
 途端に禁書目録のふわふわとした唇が指の先に感じられ、僅かに湿ったその感触が、垣根に背徳的な感情を誘発させる。
(何だこれ。マシュマロみてぇ、柔らかい。うわっ、舌が指に触って……まるで……)
〈……………………………〉
(……………………………)
 脳内で(おかしな言い方だが)背中から鋭い視線が浴びせられている。
(ごほっ、ごほん! お、おい、見えてるか? アウレオルス)
 指先の感触を振り払いつつ、垣根はアウレオルスに問いかける。
〈十全。…………確かに『首輪』は消えている。どうやら第一目標は達成されているようだ〉
 心なし弾んでいるように聞こえる声で、アウレオルスが告げる。
(そっか、取り敢えずオッケーだな)
 垣根は指を突っ込んだまま安堵の溜め息を吐く。


 すると、次の瞬間。


〈あぁ、そうだ。指はさっさと抜いた方がいいそ。垣根帝督〉
 アウレオルスの言葉が終わるか終わらないかのうちに、
「ッッッッッッッッッ!? ィッテェェェェェェェェェ!!??」
 鋭い犬歯(ギロチン)が、垣根の右手を上下から物凄い力で挟み抜いた。



「まったく、あむっ。食事は急に止められないんだよ。食事中の私の口に指を入れるなんて……というかそもそもれでぃの口の中に手を入れるなんて、一体どういう神経しているのかな……んー、すっぱあまい!」
 アイスバーを食しながら、垣根に向かって説教をする禁書目録。
 余りにも間の抜けた、とても説教とは言えないようなシチュエーションであったが――
「うぉぉぉぉぉ!!?? いてぇぇぇぇぇぇ!! 何だよこれ! 絶対女子の……つぅか人間の顎力じゃねぇだろぉぉぉぉぉぉ!!!!」
 一方の説教される側、右手の指を左手で抱えてあっちへこっちへぴょんぴょん飛び回っている垣根帝督もまた、学園都市第二位にあるまじき様相を見せていた。
「ゴリッていったからな! 骨がゴリッていったからなぁぁ!」
〈フン、折角警告してやったというのに〉
(遅すぎるんだっつーの! つぅか何だありゃ! 猛獣か!? あぁ!?)
〈否定はせん〉
(しねぇのか……)
〈とまれ、第二目標である〉
 何事もなかったかのように切り替えるアウレオルス。
(ん、あぁ……魔導書の記憶が消去されてるか、だったか。だがよ、どうやって調べるんだ? 何々の魔術について知ってますかなんて聞いたら、実際知ってようが忘れてようが、まず知らないと返ってくるだろうぜ?)
嘘吐き村の話じゃねぇけど、と付け加える垣根に、
〈任せておけ。貴様は私の言うとおりのことを禁書目録に伝えればよい〉
 アウレオルスは余裕の表情で答える。
(……さっきそれでものの見事に嵌った覚えがあるんだがな)
 ジトリとアウレオルスを睨みつけてから、
(まぁいいか。とっととやろうぜ)
 再び、アイスバーを食べ終えた禁書目録へと向き直った。



〈名前は?〉
「っと、お前、名前は?」
「インデックスだよ」
〈性別は?〉
「……性別は?」
「むぅ、見て分からないのかな? れでぃに決まってるんだよ」
「……だよな」
(おい、この質問一体どういう……)
〈いいから続けろ〉
(…………りょーかい)
 どうにでもなれ、と思いながら、垣根はアウレオルスの言うとおりの他愛のない質問の数々――年齢、国籍、好きな食べ物、嫌いな食べ物――を禁書目録に問うていく。
 そんな一問一答が50程続いた頃だろうか。
 流石に向こうも飽きてきたのか、立ったままふらふらとし始めた。
 止めたいのはこっちだ、と思いながら、垣根はアウレオルスの出す次の質問を待ったが――
〈……『黄金錬成』とは?〉
 アウレオルスが、突然魔術についての質問を飛ばした。
(っ、おいおい大丈夫か?)
〈いいから聞け〉
「……『黄金錬成』とは?」
「世界の全てを呪文と化し、それを詠唱完了することで行使可能となる錬金術の究極到達点。神や悪魔を含む『世界の全て』を己の手足として使役する事が可能となる。世界の完全なるシミュレーションを頭の中に構築することで、逆に頭の中で思い描いたものを現実に引っ張り出す魔術であるが、唱え切るには数百年単位の時間を要する為、実現は不可能とされている」
「んなっ――」
 驚いたのは、垣根の方だった。
 自分から魔導書の知識について語り出す禁書目録。
 スムーズに紡がれるその声には、一切の迷いもない。
 それこそ催眠的に言葉を吐き続けている。
(催眠……そうか、誘導尋問みてぇなもんか)
 一問一答によって相手の意識レベルを低下させ、素直な反応を引き出そうとする。
(思いっきり科学の領域じゃねぇか……あぁ、だから『魔術側』の禁書目録に効いたのか。脳科学に手を出した時にでも覚えたのか?)
〈あぁ……〉
 感心したような垣根の問いに、しかし力なく応じるアウレオルス。
(……そうだったな。答えることができたってことは――つまりそういうことなんだよな)
〈……当然。予想はしていた。いかに『吸血殺し』がいようとも――存在すら定かではない吸血鬼など、伝説でしかなかったか。或いは、捕らえ損ねたか、永遠の記憶術などなかったか、そもそも『吸血殺し』が引き寄せるのは吸血鬼とは別の何者かであったか……否、いくら考えようとも詮ないことだ〉
 ――言わずもがな、アウレオルスの第二目標は、失敗に終わっていたのだ。
「……ん? あれ、私……あれ?」
 意識レベルが戻ったのか、キョトンとして周囲を見回す禁書目録。
 目の前で小動物のように動き回る無垢な少女を見ながら、垣根はアウレオルスに語りかける。
(……確かに、テメェの理想の完遂には至っちゃいねぇようだがよ。それでもテメェは、守るべき者をきちんと守れてると思うぞ)
 今の禁書目録にはステイルや上条がついていて、記憶のリセットもなくなって、安全地帯の学園都市で暮らしていて――。
(少なくとも、これまでの悲劇のヒロインではなくなった……救われたんだよ、テメェにな)
 踵を返し、禁書目録に背を向けて、垣根は階段とは反対方向にある病院の出入り口へ向かう。
〈そうならば……良いのだが〉
 小さく呟くアウレオルス。
 その背に、
「ありがとうなんだよ、おにーさん!」
 少女の明るい声が降り注ぐ。


〈………………〉
 それは勿論、垣根に対してのもので。
 菓子を奢ってあげたという、些細なことに対してのもので。
 そんなことは、当然分かっていたけれど。
「……………………」
 垣根は、返事をしなかった。
〈…………大したことでは、ない〉
アウレオルスは、しっかりとそう答えた。


 病院の自動扉をくぐる。
〈垣根帝督〉
(何だ?)
〈最後に、振り向いてくれないか?〉
(……了解)
 閉まりゆく自動扉。
 垣根はその向こうにいる禁書目録の姿を視界におさめる。
〈……あぁ〉
 その視覚情報を得て、アウレオルスはひとりごちた。
〈良かった。彼女は変わらず――笑っているのだな〉


 ――そしてもう、「失いたくない」と嘆かなくとも済むのだな。



 学園都市内にあるとある廃工場。
「………………………」
 その、開かれることになくなった正面扉の前に、一つの人影があった。
 電子ゴーグルを装着した中学生くらいの出で立ちの少女。
「量産能力者計画」の遺子、そして「絶対能力進化計画」の駒――妹達の一人であった。
「……………………」
 御坂妹は動かない。
 まるで人形であるかのように、微動だにしない。
 だが、
「よォ」
 忽然と、新たな人影が工場に現れる。
 御坂妹はそれを認識すると、操り人形の糸が手繰られたかのように活動を開始する。
 手にした小銃を胸に抱え、一歩一歩新たな人影に近づいていく。
「挨拶もなしに始まりかァ? オイ。まァ、サッサと終わるンならそれに越したことは……?」
 御坂妹に向かってべらべらと話していた人影が――学園都市第一位、一方通行が言葉を止める。
 どうにも、この御坂妹の行動は他の妹達と違う。
 そう感じたのだ。
「問題が発生しました、と御坂は伝えるべき事項を簡潔に述べます」
「問題だァ?」
「ここでは『関係者以外』に実験の様子を見られる可能性があります、と御坂は与えられた伝言を再生します」
「あァ、そりゃ確かに気になッてたが……」
 一方通行は辺りに注意を払う。
 どうやら廃工場の周りを数人の、それも実験に関係のない者が彷徨いているようなのだ。
「先日から行われているマネーカードのばらまきによるものだと思われます、とミサカは可能性を提示します。そして、今後の計画への歪みを考慮すると、実験の中止、延長も許可出来ないため、早急に別ポイントへ移動し、その場所で実験を再開します、とミサカは代替案を提案します」
「ンなもんそっちの都合だろォが」
 文句を言いながらも、一方通行は歩き出した御坂妹の後について行く。
「つーかよォ」
 しかし、言葉は止まらない。
「テメェはそのポイントへ着いたらこのオレに殺されるンだぞ? だッてのに、随分まァ余裕綽々なことじゃねェか、あァ?」
 まるで弄るように、乱暴な言葉をぶつけていく。
「実験は上からの指示で、ミサカは実験のために用意された実験動物です。逆らう理由も権利もありません、とミサカは――」
「あァそーかよ」
 自分から話を振っておきながら、一方通行は会話を断ち切る。
 ――これ以上話しても意味はない。
 その返答はこれまで一万回聞いたそれと同様であったのだから。



「毎度ありがとうございます。またのご利用をお待ちしております」
「いえ、こちらこそどうも」
 学園都市内にあるバイク屋。
 社交的な笑顔を浮かべながら先日点検に出したバイクを受け取ると、垣根帝督は早速それに跨って走り出す。
 時刻は午後7時を過ぎ、日の長い夏と言えどももう夜の時間がそこまで迫っている頃合いだ。
(あー、晩飯何にするかなぁ)
〈今朝食した納豆というやつだけは勘弁してくれ。あれは流石に味覚を遮断せざるを得なかった〉
(朝も夜も納豆なんて侘びしい食生活を送るつもりはねぇよ。もうヒメ帰ってきてるよなぁ。待たせるのも悪いしどこかに食べに行くか………………つーかよ)
〈む?〉
(……………………何でテメェは消えねぇんだ?)
 帰路を急ぐ車上から見える風景とは別のもう一つの視界へと呆れたような眼差しを向けながら、垣根帝督は脳内の居候たるアウレオルスに疑問をぶつけた。
〈何、気にする程のことではない〉
(いやいや、テメェの面倒臭いお願いを叶えたら即テメェが成仏してゲームクリア、コングラッチレーションでハッピーエンドってそういう話だったろうがよ! つーかいつまでも居座られても邪魔なだけなんだよ!)
〈貴様の良き話し相手かつ突っ込み相手になれていると自負しているが? あぁ、もしかしてエロいことが出来ないのが不満なのか? 別段私は気にせんぞ〉
(だーっからっよぉぉぉぉ!!)
 叫ぶ垣根であったが、垣根自身はアウレオルスを追い出す方法を持っておらず、アウレオルスが自主的に退散してくれるのを願うしかない以上、何を言ったところで意味はない。
 まるで悪徳商法か何かのようである。
〈なに、貴様には感謝しているのだ。ただ消えるのではなく、礼の一つでもしてやろうかと、プレゼントを考案中なのだ〉
(テメェが消えてくれるのがサイッコーのプレゼントだよクソ野郎…………?)
 脳内で喚き散らしていると、いつの間にやら自宅マンションまで辿り着いていた。
 そして、その正面玄関の前に、
「あっ、てーとにぃ! 帰ってきた!」 
 垣根帝督の妹、垣根姫垣が立っていた。
「お前。どうしたんだよ、こんなとこで。それに、その格好……」
「えっへへー、一人で着れたんだよー」
 動揺する垣根の前でくるりと回ってみせる姫垣が着ているのは、夏祭りにでも着ていくような、花のデザインがあしらわれた紺色の浴衣。
 確か去年垣根が買い与えたものであり、短めの裾から覗く足首が一年の月日を感じさせる。
「どうしてそんなもん引っ張り出して……大体、今日は友達とプールに……」
「いいからいいから! 早くしないと始まっちゃうよ!」
 言いながら、姫垣はヘルメットを被ると垣根の後ろに回り、バイクに跨った。
「おいヒメ。だから、一体どこに……」
 状況を把握出来ていない垣根に、
「ほら、あれだよ! もう始まっちゃってる!」
 姫垣は空の一点を指差すことで答えた。



 先行する御坂妹が立ち止まった。
「ここがポイントです、と御坂は周囲を指し示しながら目標地点に到達したことを報告します」
「ここかァ? 確かに人は少なねェが……」
 顔を上げる一方通行。
 その先には夜空に咲く幾輪もの花火があった。
「すぐそこで祭りやッてンだろ。逆に見つかるんじゃねェか?」
「いえ、みな花火に集中しているでしょうし、この先は先日の災害で壊れた高台。現在修復中で立ち入り禁止ですから、一般人のいる可能性は低い筈です、と御坂は上からの報告をそのまま伝言します」
「そうかよ」
 ドォン……と新たに花火が上がる。
 その光に、御坂妹の横顔が明るく照らされる。
 はたから見れば、或いはデートに来ている男女のカップルに見えたかもしれない。
 しかし。
 賑やかな祭りの開かれているそばで、そんな楽しげな雰囲気とは無縁な――むしろ正反対に陰鬱な気配を纏って、
「さァて、始めるか」
 白い悪魔が殺戮を開始する。



 ドォン……ドォン……
 身体の芯にまで届くような重低音が、空から次々に降り注いでくる。
 しかしそれは副次的なものでしかなく、その音響を生み出すものの本質は、色とりどりの光の花。
「うっわー、キレイだねー花火!」
 大空に咲き乱れる大輪を停めたバイクに寄りかかって見上げながら、姫垣が感嘆の声を漏らす。
「……そっか、確かここの花火大会、この前の乱雑解放騒ぎのせいで途中で中止になっちまったんだったっけ」
 思い出した、とでも言う風に呟く垣根。
 確かその日は一日フルで仕事が入っていて、姫垣と一緒に参加することを諦めた記憶がある。
 結局姫垣も一人で参加したり、友達と行ったりということもなく、後で中止の噂を聞くに止まったのだが――
「うん、でもね。今日花火大会の仕切り直しをやるんだって、プールに一緒に行った友達が教えてくれたの」
「そういうことか……」
「はー、ギリギリてーとにぃが間に合って良かったぁ」
 花火を見上げながらほっとしたように呟く姫垣に、垣根は躊躇いがちに問いかける。
「……なぁ、別に俺を待ってなくても、昼に一緒にプールに行った友達と行けば良かったんじゃねぇか?」
 そもそもその友達だって、おそらくは姫垣を誘おうと考えて話したのだろう。
「……ううん、これでいいの」
 姫垣は、花火から垣根へと視線を移してから言った。
「ヒメは、てーとにぃと一緒に花火が見たかったから」
「………………そうか」
「夏休み、二人で夏って感じのイベント行ったりとかしてないしね。だから、花火の話聞いて、今日しかないと思って、浴衣引っ張り出して。あ、どう? この浴衣?」
「去年も見た。つぅか帯曲がってる」
「え? 本当!?」
「動くな、直してやるから」
 言い、垣根はバイクから身を起こして背中を向ける姫垣の浴衣の帯を結び直す。
「……ヒメは、俺と一緒にいて楽しいか?」
 少しの沈黙の後、垣根は姫垣にそんな質問をぶつける。
「へ?」
「俺はお前の友達と違って女子の趣味や流行りの話なんてわかんねぇし、全然遊びにも行けないし、行けても同じ視点で物事を経験出来るとは限らない」
「…………」
「そんな人間といるより、気の合う友達といた方が楽しいんじゃないか?」
 背中越しに言葉を吐き出す垣根に、
「……そんなこと、ないよ」
 姫垣がゆっくりと語り出す。
「てーとにぃといると楽しい……ううん、幸せに感じる。だって、てーとにぃは、ヒメのお兄ちゃんだもん。それだけで充分なんだよ」
 後ろを――垣根を振り返り、姫垣はえへへ、と気恥ずかしそうに笑ってみせる。
「……そっか。ごめんな、変なこと聞いて。お前、いつも遠慮ばっかして、滅多にこういう、どっか遊びに行こうとか言わないからさ。その、なんつーか……」
 ――俺といると楽しくないのかと、悪い勘ぐり方をしてしまった。
「…………ごめんなさい。そうだよね、お仕事で疲れてるのに、引っ張ってきたりしたら、迷惑だよね」
「なっ……」
 俯いて小さく呟く姫垣。
 どうやらまるで正反対の勘違いをしてしまっているらしい。
「違ぇよ。俺だって、お前といると楽しいから。だから遠慮しないで、言ってくれていいんだぞ」
「……ホント?」
「本当。ほれ、帯終わったぞ」
「…………うん、分かった。ありがとう、てーとにぃ」
 いつかもやったような遣り取り。
 それでも、ほのかに赤く染まっている姫垣の頬を見ると、少しくらいは変わったのではないかと思える。
「えへへ。あっ、にぃ! こっち来て! 友達に聞いたんだけどね、この上の高台、花火鑑賞の穴場スポットなんだって! この前の地震で壊れたらしいけど、修復されてるみたい!」
 楽しそうにはしゃぎながら、姫垣はすぐそばにあった階段を登り、張られた黄色いロープを潜り抜け、土手の上にある、所々鉄筋で支えられた高台へ進んでいく。
 その様子を見ながら、
(なぁ、アウレオルス)
 垣根は、脳内の同居人に語りかけた。
(俺って、駄目だな。全然、まだまだだ。俺は何よりも――ヒメといる時間よりも、ヒメを救うことを第一に考えなきゃいけねぇのに――ヒメともっと一緒にいたがってる)
〈判然。そうだな。現段階の私に比べれば、確かにその立ち位置は遥かに低位だ〉
 自分と同じ思考を持ち、それでいて自分より上位にある存在。
 アウレオルスに否定されることは、自分自身に、そしてその理想に否定されることに等しかった。



〈――だが〉
 垣根自身の心をなぞるように、アウレオルスが言葉を続ける。
〈私とてかつてはそうだった。禁書目録を救うと『言い訳』して、彼女のそばに身を置くことで自身こそが救われていた〉
 懐かしむような声音で話すアウレオルス。
 それは、逆に言えば、その記憶を過去として切り離すことが出来るようになったということだ。
〈私が目的を達したことで、それを脳内で共有してしまったせいで、貴様は焦っているだけだ〉
(……あぁ、自分でも分かってる)
〈ならば悩むな垣根帝督。今持てる彼女との時間を精一杯享受しろ。救いたいという心は重要だ。だがそれと同じ程度には貴様も彼女に救われるべきだ――私と同じようにな〉
(救われる、か……そうだな)


 姫垣が産まれた時に、自分は彼女を守らなくては、と思った。
 それは、きっと姫垣という存在自体に垣根帝督が救われたから。
 彼女を幸せにすることで、自分を支えてくれる姫垣という存在に恩返しをしたかったから。
 だから、もう少しだけ――
 お前を本当に救済してやれるその時までは、
 俺のそばで、俺を救い続けていて欲しい。


(サンキュー、アウレオルス)
〈礼を言われる程のことではない。それより、彼女が待っているぞ〉
(あぁ……)
 実際の時間にして、ほんの数秒の遣り取り。
 それで垣根の心は決まった。
「待てよ、ヒメ! つぅかそこ立ち入り禁止だろーが」
 既に高台に着いている姫垣に向かって苦笑しながら叫び、垣根もまた階段へ向かう。


 先には不安もある。
 それでも、今はヒメとの時間を大切にしよう。
 一緒に花火を見て、その後は出店で好きなものを買ってやろう。
 金魚すくいや射的も一緒になって楽しもう。
 帰りはバイクをひいてゆっくり歩いて行こう。
 家に着いたら適当なテレビ番組でも一緒に見よう。
 滅多にやらないコンピュータゲームを引っ張り出したっていい。
 兎に角、今日はヒメと――



「…………ぁ」
 ドサリ、と御坂妹が地面に倒れる。
 その手にあった小銃はとうに破壊され、彼女自身も身体中に傷を作っていた。
「ハッ! こンなもンかよ! あァ!?」
 言いながら、一方通行はゆっくりと御坂妹に近づいてくる。
 最早勝敗は決していた。
 それでも、『実験』はまだ終了していない。
 『最期の一打』を打ち込んで初めて、段階は完了する。
「次はもう少し楽しませてくれよォ? 妹達」
 言い、一方通行は右足を大きく振り上げる。
 一瞬の溜めの後、それを勢いよく地面に――地面に横たわる御坂妹の背中に振り下ろし、
 ドガンッ!!
 という大きな音と共に、ベクトルを操作された強烈な踏みつけが、御坂妹の身体ごと地面を大きく砕いた。


「――今日の実験、終了ッと。あァーあ、コーヒー買って帰るか」



 その時。
 地面が、激しく揺れた。
「なっ――――?」
 思わず垣根は階段の手すりに掴まる。
(一体何が…………!?)
 状況を確認しようと上を見上げた垣根の目に飛び込んできたのは、
「えっ――――?」
 支えであった鉄筋が揺れで外れてしまい、崩れゆく高台と共に空中に投げ出される、
「ヒメェェェェッッッッッッッ!!」
 垣根姫垣の姿だった。



「やぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 高い声で叫びながら、鉄筋や土石と共に直下へ落ちていく姫垣。
「クッソォォォォォ!!!!」
 崩壊の原因は何か。
 そんなことを考える余裕などない。
 瞬間の内に、垣根は動いていた。
 能力を使い伸ばすのは『未元物質』で出来た伸縮性のロープ。
 数本の束にしたそれを、高台の下に植えられたら木の幹へ次々に巻き付けていき、瞬時に大きなネットを形成する。
(イケる、間に合う!)
 垣根の予測の通りに、『未元物質』のネットは姫垣が接地するより先に地面に程近いところへびっしりと張り巡らされる。
 だが――


 ネットが姫垣を受け止めることはなかった。


 かと言って、姫垣が地面に激突したという訳でもなかった。
 むしろ、その正反対。


 垣根姫垣は、ネットより少し高い位置で何の頼りもなく空中に静止していた。
 他に何の頼りもなく――彼女自身の背から浴衣の布地を破って出現している、水晶の様な透明の何かで構成された三対六枚の羽のみを用いて。


「あれ? 私……あれ?」
 現状を理解できていないのだろう、姫垣が翼と地面とを交互に見やって首を傾げている。
 対して、垣根帝督は。
「………何だよ……それ…………」
 それが何か理解していた。
 否、理解ではなく、知っていた。
 それが『何か』であることを。
 『理解できない何か』であることを。
 しかし、だからこそ認められない。
「嘘だ……そんなこと、有る筈がねぇ」
 否定する、その言葉を。
〈嘘を吐いているのは貴様の方だ、垣根帝督〉
 他者であり自身であるアウレオルスが更に否定する。
〈徴ならあった。貴様の記憶の中に、幾らでも〉


「あるって。ほら、いつだったか。公園でさ、茂みの向こうがちょっとした崖みたいになってるところ。遊んでるうちに、崖に気づかずに茂みの中にダイブしていって、2、3メートル落っこちたろ」
「そんなの学園都市に来る前の話だし。それに、あの時は怪我しなかったからいーじゃん」
 ――幼少期、垣根が落ちて怪我をする程の崖から落ちて、どうして姫垣は無傷でいられたのか。


 「む……じゃあ、あれだ。雨の日によ。傘さしてはしゃいでたら、足滑らせてすっころんだろ。しかも、そのまま土手を転げ落ちて増水中の川にダイブしたよな」
 「いや、これは今年の梅雨ん時だから、最近だし。そもそも俺が能力使ってお前のこと川ん中から助け出したんだからよ。水面に浮いてきてくれたから何とかなったが……あん時は本当に肝が冷えたぞ」
 ――今年の梅雨、増水した河川に流されながら、垣根が助けるまで、姫垣はどうやって沈まず水面に浮かび続けていたのか。


「結局、転がったせいか服も背中のところがすごい破れてて、着れなくなっちゃったし」
 ――ただ転んだだけでシャツの背中がああも大きく破けるものなのか。


「……まさか……そんな……」
 姫垣に能力開発を受けさせない。
 それで、彼女を『学園都市』というシステムの脅威からは遠ざけることが出来ると思っていた。
 ただの人間なら、凡庸な一般人なら、貪欲な科学者達の目標にならないと思っていた。
 ――だと、言うのに。
「有り得ねぇ……んなこと有り得る筈が……」
 地に膝をつく垣根。
〈認めよ〉
 その背中に剣を鋭利な突き刺すように、
〈認めよ、垣根帝督。現状を正確に理解せずに、どうして守るべきものを守り通すことが出来るというのだ〉
 アウレオルスは無情に答えを口にする。



〈垣根姫垣。あれは――『原石』だ〉



 垣根帝督の十番勝負


 第六戦 『禁書目録』


 対戦結果――大敗(決まり手・噛み付き)




 次戦


 対戦相手――『木原数多』

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