とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

SS 9-638

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匿名ユーザー

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「いいか、今日は絶対に家から出るなよ。俺が帰ってくるまで、絶対だ」
「…………うん」
 8月10日。
 朝。
 今日も今日とて変わらぬ雲一つない空の、どれほど苛立たしいことか。
 そう思いながら、垣根帝督はマンションの部屋の中に妹――垣根姫垣を一人残し、外出の準備をしていた。
 昨日、姫垣の背中から翼が生えた後。
 垣根と姫垣は騒ぎを聞きつけて人が来ないうちにその場を離れ、バイクを駆って家まで戻ってきた。
 無論金魚すくいも射的もする暇はなく、家に着いてからは、他言無用の箝口令を姫垣に対して下したこと以外にろくに会話もなかった。
 ――とてもではないが、『一緒の時間を享受する』ような精神状態にはなれなかった。
(兎に角、ヒメが『原石』ってのは間違いねぇ。それは認めるしかねぇ。普段の様子から見るに、秘密裏に幻生に能力開発されてたってこともなさそうだしな……だが……)
 木原幻生。
 あの男が姫垣の能力について知ってしまったら――
(何としても解決策を見つけなきゃならねぇ)
 マンションの扉を潜りながら、垣根は考える。
(だが解決ってのは一切合切の問題が無くなるっていう意味だ。『隠し通す方法』なんてのはまるで解決とは言えない。そこにはいつかはバレるっつー裏返しの意味が込められてる)
 そう、問題解決のために必要なのは――
(根本を絶つこと。つまり、ヒメの『原石』としての能力を失わせることだ)


(で、『原石』っつーのは普通の……『学園都市製』の能力者と何が違うってんだ?)
 朝一番の仕事を片付けた垣根は、誰とも知れない、興味もない研究者から奪取したデータチップを弄びながら、依然として脳内に住み着いているアウレオルスに問いかける。
〈そうだな。第一に学園都市によるカリキュラムを受けずに能力が発現していること。第二に『学園都市製』の能力者とは性質がかなり異なる能力を保持している場合が多いこと。第三に、現在の学園都市の科学技術ではその仕組みを解明できないこと。――無論、全て姫神秋沙からの受け売りだがな〉
 アウレオルスは、まるであらかじめ用意されていた回答を述べるかのようにすらすらと答える。
 姫神秋沙は『原石』。
 そして学園都市の科学技術でもその解明が不可能であり、最後の綱としてアウレオルスを――魔術を頼った。
 そういう経緯から、アウレオルスも『原石』については姫神から幾らか聞いているのだろう。
〈とは言え、本人に聞くに越したことはない。今から彼女を探して直接質問してみるか? 或いは『原石』の研究者を訪ねてみるのも近道か〉
(…………いや)
 垣根は手からデータチップをするりと地面に落とす。
 カンッ、という小さな音とともにチップがアスファルトを転がった。
(俺が『原石』について調べているのがどっかから漏れたら、まず間違いなく幻生は動く。研究者なんてもってのほかだし、姫神秋沙もかなりグレーゾーンだ)
〈歴然。賢明な判断だ。しかし、前に進めないままならば賢者も愚者と変わらぬぞ?〉
(………………)
 垣根は無言でデータチップを踏みつける。
 粉々になったそれは、垣根が立ち去った後に清掃ロボットが綺麗に吸い込んでいった。


(……テメェは、姫神秋沙の『原石』としての能力を封じた。十字架のアクセサリーを――魔術を使って。そうだな)
 二つ目の仕事を終え、昼食代わりに携帯食を食べながら垣根はアウレオルスに確認する。
〈当然。如何にもその通りだ〉
(だったら……魔術で封じられるってんなら、『原石』っつーのは超能力なんてもんじゃなくて、実際は――)
〈憮然。それは早計に過ぎるぞ垣根帝督〉
 垣根の言葉を遮って、アウレオルスが静かに告げる。
〈少なくとも『吸血殺し』のような能力を魔術によって人為的に作ることが出来る訳ではない。出来たらとうに私が行っていた。そうだな……吸血鬼を呼ぶという能力は確かに魔術的な結果だ。しかしその過程は違う。と言うよりも、分からない。まるでブラックボックスだ。偶々そこから生成されたものが魔術的に縁のあるものだったが故に『歩く教会』によって封じることが出来た。それだけの話だ〉
(……つまり、ヒメの能力も魔術的な何かによるものだったら、同じ『歩く教会』で封じられるってことか?)
〈そう容易くは頷けんが、可能性はあろうよ。しかし、そのためには何度もあの能力を見て深く分析しなければならない。場合によっては私以上の魔術の専門家――禁書目録のような存在も必要だろう。当然。そこにはリスクが出てくる。何より……〉
(あぁ、分かってるよ。んな大層なことして封印に成功しようが、んなものは保険でしか有り得ねぇ。全然解決にはなっちゃいねぇ、ってくらいな) 
 吐き捨てるように思考を飛ばし、垣根は携帯食の最後の一欠片を噛み砕いた。


 三つ目、本日最後の仕事が終わった。
 垣根はワゴン車を改造したような店舗のクレープ屋が営業している広場のベンチに座り、神に祈る殉教者が如く握り合わせた両手を支えにして頭を垂れ、ただひたすらに思考を繰り返していた。
(やっぱり、独力じゃ限界か……だが、他人に頼るのは……じゃあ、どっかの研究所に忍び込んで『原石』の研究データを……けど、学園都市の『原石』研究も完成しちゃいない……一人でやるしか……)
 堂々巡りも堂々巡り。
 いくら考えようともケリなどつきようがなかった。
「おい、お前。……おい、そこのお前じゃん」
 何度か呼びかけられ、垣根はようやくその声が自分を呼んでるものだと理解した。
 薄く目を開ける。
 そこにあったのは警備員の制服。
 座り、俯いている垣根の視線に写るのは、その人物の首から下だけ――やたらとデカいバストだけだった。
「もうとっくに最終下校時刻は過ぎてるじゃん」
 言われて初めて、辺りが暗くなっていることに気がついた。
 随分長居していたらしい。
 垣根は静かにベンチから立ち上がると、警備員を無視して歩き出した。
「おいお前。名前と学校名を……おい!」
 呼び止める声も黙殺するも、警備員はなかなか引き下がらない。
「どうしたじゃん? 困ってることがあるんなら話してみるじゃん。何か力になれるかもしれない」
「………………甘ったりぃ。力になるだなんて、軽々しく口にするんじゃねぇよ」
 ――関係もねぇくせに出しゃばるな。
 背中越しに小さく呟いて、垣根は遅い帰路につく。
 結局、今日一日で何も考えが進まなかったことを苛立たしげに感じながら。


 そして。
「やぁ、垣根帝督。お邪魔しているよ」
 自宅に戻った垣根が目にしたものは。
「なっ……」
 リビングのテーブル。
 その、いつも垣根が座っている席から気安く声をかけてきたのは。

 研究者、木原幻生だった。


「どういうことだ……」
 廊下とリビングとの仕切りを跨いだまま立ち止まり、垣根は低い声で唸る。
 目の前には木原幻生――現在の垣根のパトロンの姿がある。
 幻生に住居を教えていない訳ではない、そもそも秘密にしたところですぐに調べがつくだろう。
 だが、今まで幻生は一度としてこのマンションを訪れたことはなかった。
 そういう――私生活の場には侵入してこないという――暗黙の了解がそこにはあった筈なのだ。
 それを破って、幻生が垣根宅にやって来たということは、そこには何かしらの要因があるに違いない。
 要因。
 それは、まさか――
「姫垣は……」
 垣根はリビングに足を踏み入れる。
「ん?」
 聞き返し、こちらを見やる幻生。
 垣根はその目の前まで到達し、
「姫垣は……どこですか?」
 かろうじて丁寧語を使って、問いを発する。
 だがその内側には今にも飛びかからんとする程の気迫が渦巻いている。
「あぁ、姫垣くんか」
 名前を呼ばれるだけでも腹が立つというのに、幻生はこちらを見据えたまま、ゆっくりと噛みしめるように、姫垣くんねぇ、と何度も繰り返す。
「いいから早く……」
「姫垣くんなら、そこにいるじゃないか」
「は?」
「そこにいるよ、姫垣くんは」
 何度も同じ言葉を繰り返す幻生。
 馬鹿らしいとばかりにこちらを執拗に見つめてくる幻生から視線を逸らすと、
「てーとにぃ?」
 こちらを覗き込むように見上げてくる垣根姫垣の視線とかち合った。
「ほら、いただろう。全く、怖い声まで出してしまって。君がまだ帰ってきていないというから、少し中で待たせてもらっていただけじゃないか」
 くどくどと説明する幻生の声とともに頭が冷えていき、変に取り乱してしまったと心中で自分の失態を恥じる。
「おい、ヒメ。お前、木原幻生に何かされてないか? 変な注射打たれたりとか……」
 垣根は姿勢を低くし、小さな声で姫垣に耳打ちするが、
「ううん、何にも。コーヒーとお菓子を出して……あ、この前買ってきたロールケーキ出しちゃったけど、駄目だったかな?」
 姫垣の方はお門違いな不安をぶつけてくる。
「いや、それならいいんだ。それなら」
 幻生は本当に自分に用事があって来たのだろう。
 どうやら勘ぐり過ぎだったようだ。
 昨日のことが衝撃的過ぎて動揺してしまったが、逆に考えれば昨日の今日で姫垣の秘密が幻生にバレるというのもなかなか現実味のない話だ。
 兎に角、今はこのマッドサイエンティストの用事を済ませ、この私空間から一刻も早く追い出そう。
「ヒメ、留守の間応対サンキューな。俺はちょっと今から幻生さんと話があるから」
「うん、分かった」
 頷き、姫垣はトコトコとリビングを離れようとする。
 その背中を見送る垣根の脳内に、
〈先程から思っていたのだが〉
 例の不躾で無遠慮な声が鳴り響いた。
(んだよ、シスコンって言いてぇのか? 悪いかよこのロリコン)
〈いや、そうではない。ただ疑問があってな〉
 珍しく、こちらをいじるでもなく言葉を続けるアウレオルスは、

〈漠然。貴様は一体誰と話していたのだ?〉

 まるで理解の出来ない問いを発した。
(――は? んなもん、ヒメと……)
〈もう一度聞こう、垣根帝督。貴様は一体誰と話していたのだ? 或いは、貴様には一体何が見え、何が聞こえているのだ?〉
(何を……)
〈私には、貴様が虚空へ向かって独り言を吐いている様子しか知覚出来ていないのだがな〉
(!?)
 アウレオルスの言葉を聞いた瞬間、垣根の視界から姫垣の姿が掻き消えた。
 まるで最初からそこにいなかったかのように。
 否、実際に最初からそこには誰もいなかったのだ。
 その、突然視界が開けたような、異界が全身を襲うような感覚は、昨日も経験したことだった。
 それは、病院の売店の陰に潜むステイル=マグヌスを見つけた時。
 その時垣根は教えられた筈だ。
 ――曰わく、外界を直接受容するアウレオルスに幻術の類は効かない、と。
 そして、アウレオルス自身もまた、禁書目録から魔導書の知識を取り出すために催眠を行った。
 それは魔術師たるアウレオルスには似合わない科学的な催眠術であり――

 果たしてそこにいる木原幻生という男は、その科学とやらの狂信的な研究者ではなかったか?


「おい、幻生!」
 垣根はぐるりと後ろを振り返ると、椅子に座る幻生の胸倉を掴み、思い切り壁に叩きつけた。
 衝撃に、幻生が白衣の胸ポケットに差していたボールペンが軽い音を立てて床を転がる。
「……突然どうしたのかな、垣根帝督」
 人を喰ったような態度を崩さずに問う幻生。
「どうしたもこうしたもねぇ。ヒメをどこへやった」
「おかしなことを言うねぇ。垣根姫垣なら、そこにいるだろう」
 再度幻生がその言葉を口にする。
 相手と目線を合わせて、一言一言刷り込むように。
 タネが分かってしまえば何のことはない、幻生の手法を観察する余裕さえ出てくる。
「だからその紛い物のヒメじゃなくて、本物のヒメをどこにやったかって聞いてんだよ!」
「……やれやれ、暗示が解けてしまったか」
 状況に気付いた幻生はあっさりと垣根を騙したことを白状する。
「基本的に個人で解くのは不可能の筈なんだけれど、まぁ所詮は暗示なんてその程度の研究だったと言うことかな。昔育てていた少年を他の研究所に高く売り払ったのも、どうやら正解だったみたいだね。もっとも、最近は『絶対的な幸運の持ち主』だとか何とか言って研究とは名ばかりの詐欺行為に利用されてるみたいだけれどね」
「べちゃくちゃどうでもいいこと言ってんなよ。質問に答えろ」
「あぁ、そうだったね。姫垣くんなら今私の研究所にいるよ」
 あっさりと、半ば予想していた答えを返す幻生。
 その態度に苛立ちつつも、垣根は質問を続ける。
「ヒメをどうするつもりだ。あいつに能力開発を行うってのは契約違反だと何度も……」
「そちらこそ、私の言ったことを聞いていないのかい?」
「……どういうことだ」
「それは姫垣くんより君の方に価値がある場合にのみ成立する条件だ。そして今や、天秤は反対側に傾いた。それだけのことだよ。最早伸びしろの見えない超能力者と、無限の可能性を見いだせる希少な『原石』。私がどちらを選ぶかくらい、君にだって分かるだろう?」
「っ!」
 ――知っている。
 木原幻生は、垣根姫垣が『原石』であることを知っている。
「どうして知っているのか、という顔をしているね。ならこっちのネタもバラしてあげよう。――『停滞回線』。学園都市の空気中には、そう呼ばれる極小の監視装置が数え切れない程放流されている。上層部はその情報を利用して学園都市の『裏』を統べているんだよ」
「停滞……回線?」
「中々興味深かったからね、そのコントロールの一部を『奪わせてもらった』。ほら、君が『メンバー』と小競り合いをした時だ。もっとも、奪ったという表現は正確ではないけどね。各『停滞回線』間は外部から干渉出来ない独自のネットワークで繋がっている。だからその内の幾つかに私のところへ情報を流すようなプログラムを組み込んではみたものの、それではネットワーク上の情報は回収できない――つまり仕組んだ幾つかの『停滞回線』それ自身が回収した情報しか得られない。そこで、その数機に試しに君のことを追わせてみたら、面白いものを見られた。そういうことだよ」
「何だよ……そりゃ……」
 垣根は突然の話にその内容の半分も理解出来ていなかったが、それでもそれがあってはならない事実を証明していることは分かった。
 最も知られてはならない秘密を。
 最も知られてはならない人物に知られたのだ、と。
 最早――
(ここでやるしかねぇ!)
 思い、垣根は幻生の問いを無視して、その顔面めがけて拳を繰り出そうとする。
「やれやれ、まるで周りが見えていないな」
 呆れたような幻生の声。
 それを感知した瞬間、垣根は幻生の右手が白衣の右ポケットに突っ込まれていることに気がついた。
(銃か? だったら取り出す前に――!?)
 垣根が標的を変えようとした時には、幻生は既に動いていた。
 右手をポケットから出すのではなく、そのままポケットの中で何かのボタンを押した。
 同時、周囲に奇妙な音が鳴り響く。
 その音が垣根の聴覚から脳へ至った瞬間。
「ぐ、ぁ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
 唐突に音が頭痛へと変換され、垣根の頭を大きく揺さぶった。


が!? ぁ、あぁぁ!?」
 余りの激痛に、垣根は幻生の白衣から手を放し、頭を抱えて床に転げる。
「キャパシティダウン。私の孫娘が開発した、能力者の能力を制限するための装置だ」
 足しか見えなくなってしまった幻生の方から、ノイズに混じって言葉が聞こえてくる。
「これのAIMジャマーと違うところは、直接能力の使用に干渉する訳ではないところだ。幻想御手の原理にヒントを得たようでね……共感覚性というのを知っているかな? 簡単に言ってしまえば、一定値以上のAIM拡散力場を放出している人間――つまり、低能力者以上がこの装置から出る音を聞くと、音波が頭痛に変換されてしまう。AIMジャマーと違って低能力者以上には等しく効果がある反面、無能力者の演算には一切影響しない。とは言え、そんなこと大した問題ではないけどね」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! が、がががががぁぁ!!」
 激痛の余り立ち上がることすら出来ない。
 ただ頭を抱えて赤子のようにうずくまるだけ。
 視界が明暗転を繰り返し、聴覚は幻生の言葉を壊れたラジオ音声のように歪めている。
「孫娘が作ったのは幅を取る上に、超能力者なら狙いさえ定めなければ能力を使えるくらいに弱い頭痛しか与えられなかったけれど……私がデータを引き取った後に色々と改良を施してね。大きさはラジカセ程度まで、頭痛は思考能力を停止させる程度までには出来たよ」
 言いながら幻生は自分の座っていた椅子の下から言葉通りの外見の装置をこれ見よがしに取り出した。
 それが例のキャパシティダウンという装置なのだろう。
 置かれているのは垣根の目の前、3メートル程先。
 しかし、それでも垣根にはどうすることも出来なかった。
 能力は使えず、辛うじて動くのは腕や指のみだが、それも這って歩けるほどの力は出ない。
 そもそも装置まで辿り着いたとて、それを壊せるだけの衝撃を与えなければこの地獄からは逃れられないだろう。
「が、ぐが、ががが、がががが、ぁ、ぁ……」
「そのままあと十分も頭を掻き回され続ければ、精神が崩壊する。そうしたら、君の身体は有効に使ってあげるよ。プロデュースの時のように脳味噌を切り分けるのもいいかもしれないね」
 一方的にそう告げると、幻生は垣根を放置したままで玄関へ向かって歩き始めた。
 宣言通り、垣根の精神がダウンした後に回収しに来る腹積もりなのだろう。
 待て、と言いたくとも舌が回らない。
 足首を捕らえようにもまるで届かない。
(この……ままじゃ……ヒメ、が……)
 途切れ途切れの思考でも、思うのはやはり妹のこと。
 そんな垣根を嘲笑うかのように、幻生の背中は扉の向こうに消えていった。
(く…………そ…………)
 痛みに、気を失いそうになる、その瞬間。
〈憤然。何をしている、垣根帝督〉
 飄々とした、癪に障る、うざったい、それでいてどこか力強い。
 この二日間常に共にあった声が聞こえた。
(アウレ……オル……)
〈無理に思考することはない。貴様の思念はこちらで勝手に回収して構築する〉
 憮然と言い放つアウレオルス。
 どうしてか、先程までの幻生の声と違い、アウレオルスのそれは酷く鮮明に聞こえる。
〈自然。私はある意味貴様の一部だからな。同じ脳内でならこうして情報を伝達するのも容易い。一方で私は感覚器を持たないため、それを通して脳を攻撃する類のものからは一切無縁である〉
 いつかも聞いたような口上。
 それの意味するところはしかし、この緊急時にあってとても役立つものとは思えなかった。
(それが……どうしたって……)
 要するに、アウレオルスは垣根がどんな状態にあろうとも一切のダメージを受けず、いつものように戯れ言を繰り返すことが出来る。
 所詮はそれだけのことでしかなく、そんなものではこの状況を打破することは不可能だ。
〈戯れ言で結構。言葉とは、否、知恵とはこの上のない力を持ち得るのだから〉
(どう……いう……)
〈木原幻生は言った。この装置は共感覚性を利用している、と。聴覚から得た情報を頭痛に変換してしまう、と。ならば――〉
(…………ぁ……)
 アウレオルスの言葉を受けて、垣根の視線が一点に固定された。
 それは、ほんの数センチ先の床。
 極度に制限された体力でも、何とか腕を伸ばせば届く範囲内。
〈やはり聡明だな。『魔滅の声』の例を出すまでもなかったか〉
 ふっ、と笑うアウレオルスに応えずに、垣根は床を這わせるように少しずつ指を伸ばしていく。
 その先には、




 ――ボールペンが一本、転がっていた。


「ったくよぉ、何で俺が幻生のジジイのために動かなきゃなんねぇんだ。テレスはどうしたテレスは……って、あいつはこの前馬鹿やって捕まったのか」
 木原研究所。
 その広大な敷地の正面入り口に立つ影が一つ。
「『猟犬部隊』が暇なのは確かだが、理事長直下の部隊を私用に使っていいもんかね。まぁ、ジジイに逆らうと後がコエーからな」
 顔面左側に大きな刺青。
 両手にはマニピュレーター。
 そして肩に担がれているのは巨大な携行型対戦車ミサイル。
 ――『猟犬部隊』、木原数多だ。
「誰も来ないならそれに越したことはねぇんだが……」
 言いながらも、数多は視線を闇の向こうへ遣っていた。
「そうそう都合良くはいかねぇか」
 光が見えた。
 高速で近づいてくるそれは、バイクのヘッドライト。
 暗闇の中でも、むしろだからこそ街灯の灯りを受けて白く輝く車体。
 搭乗者は、言うまでもない。
「一応言っとくぞ。こっから先は立ち入り禁止だ。侵入者は即刻死刑ってな」
 茶化したような数多の忠告。
 しかし、バイクはまるで停止する気配はなく、それどころか速度を上げる。
 すぐに研究所入り口の門に到達したバイクは、門前に立つ数多を完全に無視してその横を突っ切った。だが、
「――死刑っつったろクソ野郎」
 数多が肩に担いだ銃から、弾丸が発射された。
 背中越しに放たれたそれは、まるで吸い込まれるかのように走行中のバイクを追いかけ、衝突。
 次の瞬間、

 轟音と共にバイクが爆散した。


 それに伴い、搭乗者――垣根帝督も空中に投げ出され、後方、つまりは数多の立つ門の前へと墜落した。
 接地の瞬間『未元物質』を展開して衝撃は和らげたため傷はないようだが、その表情は訝しげに歪められている。
 そう、垣根のバイクは『未元物質』でコーティングされていた。
 果たして、数多は如何にして『未元物質』の保護を受けた特製のバイクをただのミサイルで撃ち破ったのか――。
 確かに、外側は『未元物質』でコーティングされており、大概の物理攻撃ならダメージは与えられないだろう。
 しかし、その内側は――動力機は、普通のバイク屋でメンテナンス処理を受けられるような、通常のパーツで構成されているのだ。
 ならば、何のことはない。
 バイクという乗り物の性質上、コーティングすることの出来ないタイヤとフレームの間。
 その小さなスペースに上手く衝撃をねじ込むことが出来れば、エンジンを吹き飛ばし、内側からバイクを破壊することが可能となるのだ。
 無論、それは理論上の話に過ぎず、高速で走行しているバイクの持つ小指ほどの隙間に爆発の衝撃で四散したミサイルの破片の一片を滑り込ませるという超高度な技術とは全く別の話なのだが――。
 その無茶を背中越しの銃撃でさえ平気でやってのける男、それが木原数多だった。
「死刑っつったんだから素直に死ねよオイ。それとも嬲られんのが好みって訳ですか、ドM野郎?」
 垣根の疑念を晴らしてやることもなく(そもそも説明して納得出来るとも思えないが)、自分勝手に話を進めていく数多。
 対して垣根もまた敵前にも関わらずゆっくりと立ち上がると、気怠げな様子で口を開いた。
「あー、何だって? まだ調整が充分じゃなくてよ、上手く聞こえなかったんだが」
「調整だぁ?」
 おどけて言う数多は、しかし後方でバイクの残骸が燃える炎の光を受けて明るくなった垣根の顔を見て、その意味を理解した。
「オイオイ、マジかよ! キャパシティダウンをどうやって攻略したのかと思ったら……」
 照らされる垣根の顔、その両耳と両肩は、赤色の軌跡によって結ばれていた。
「この野郎、テメェの耳をテメェで潰しやがった! ヤッハーッ! どんなけドMなんだよ! ハ、ハハハッ!! オイ、この野郎、素敵になぶられるのを御所望らしいぜ、好きにやっちまいな!」
 ひとしきり笑い終えると、数多は闇に向かって言葉を投げた。
 するとそれに反応して、物陰から何人もの大人がゆっくりと現れる。
 黒ずくめのユニフォーム。
 『猟犬部隊』の隊員達だ。
 彼らは垣根を円形に取り囲むように陣を組んでいく。
「あー」
 それを見てさえ、垣根の表情は変わらない。
 ただひたすらに不機嫌そうに呟く。
「調整終了、と。まさか『未元物質』の粒子に衝突した音波のパターンを解析して音声認識の補助にするなんて面倒臭い能力の使い方を本当にやることになるとは思わなかったが……おかげでテメェの豚の鳴き声みてぇなノイズも解読出来たぜ」
「ぁ?」
「『私はあなた様に素敵になぶられるのを所望しています』。オーケー、お望み通り、その不細工な刺青がもっと素敵なアートに生まれ変わるまで殴り倒してやるよ」
 見下すような垣根の発言を、
「ヒュー、カッコイイー! イーねー、そういう余裕ぶっこいてやがる阿呆を痛めつけるのがこの上なく楽しいんだこれが!」
 ぎゃははは、と高らかに笑い飛ばして。
 数多は右手に持ったミサイルの銃口を垣根に向けた。
「殺し合おうぜ! 『未元物質』!!」

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