とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

SS 9-740

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ryuichi

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 火災報知機を鳴らしたせいか、先程まで無人だった学生寮の周辺は消防関係者と野次馬で埋め尽くされていた。街を包む夜闇を、赤色灯が乱暴に切り裂いていく。
 上条は一方通行に肩を貸したまま、路地裏から表の様子を窺っていた。
 妹達――10032号は連れてきていない。あの場に置き去りにするのは気がかりだったが、流石に追われる立場でそんな大胆なことは出来なかった。
 表には警備員もいくらか来ているが、現時点でそういった不自然な動きはない。一方通行が言うには彼女もすぐに後続の妹達と共に撤収していくだろうとのことだったので、警備員は単純に彼女の攻撃を受けて破損した箇所の調査をしているだけなのだろう。
 とはいえ安心していられる状況でもない。こちらはこちらで重傷の一方通行をどうするのかという問題を抱えているのだから。
 一方通行は病院に連れて行けない。
 学園都市は日常的に『中の人間』を徹底的に監視している。人工衛星や警備ロボットなどの目は勿論のこと、街の出入りも国家間レベルの厳しい審査があるほどだ。病院に行くにしたって、学園都市の住人であることを示すIDの提示が必要になる。
 そして、敵は『妹達』だけではない。
 妹達なんてものが実在した以上、そこにこの街の上層部が一枚噛んでいることは確実だ。それがどの程度かは分からないが――最悪、病院にIDを提示したら妹達がやってきた、なんてこともありうる。
 だからこそ、フラフラと病院にいって情報を流すなんてことは避けたい。
「だけど、怪我はどうにかしないといけねえしな」
「心配、すンな。これくらい、どォとでも……」
 そう言う一方通行の呼吸は浅く、今朝のふてぶてしさなど欠片もない。
 そうでなくとも、それが強がりだと上条にはすぐに分かった。彼の傷は応急処置をした程度でどうにかなるレベルを超えている。そもそも彼の額からは未だに血が滲んでいるし、それが治まる気配も無い。
 上条は持ち前の不幸でよく冗談では済まないような怪我を負うこともあるが、そんな上条ですら錯乱しそうになるほど彼の傷は深刻だ。
 こうなると、もはや他に頼れるものなど何もない。
 何も出来ない自分が情けないが、取れる道は一つしかない。


741 :空から落ちてくる系の一方通行:2010/12/15(水) 02:24:48 ID:pN0Z7rqA

「おい、一方通行。聞こえてるよな?」上条は一方通行の方に顔を向けて、「お前が忘れていったこの電極って、能力の補助をするもんじゃないのか? これを使えば、止血くらいならどうにかなるんじゃねえのか!?」
 詳細は分からないが、一方通行は重傷の身を押してこの電極を取りに来たのだ。ならばこの電極にはそれだけの価値があると思いたいが――。
 一方通行は大量の血を失ったことで意識を朦朧とさせながら、焦点の定まらない瞳を上条に向けて、
「確かに、そォだが……、今は、関係ねェ」
 一方通行は一度呼吸を整えて、ゆっくりとした口調で続ける。
「それは元々、欠けた脳機能を補う為のもンだ……。だが今は、一時的に脳の別の部分が肩代わりしてやがるみてェだから、そっちは問題ねェンだ……」
 現況打破のために一方通行の説明を聞き頭を悩ませながらも、他方では上条はその内容に違和感を覚えていた。
 “欠けた脳機能を補うため?”
 確かに今、脳を損傷した一方通行には必要なものだろう。しかし彼は今朝、妹達に頭を撃たれる前からこの電極を所持していたのだ。
 それではまるで、こうなることを想定していたかのようではないか。
 そんな上条の違和感に重ねるように、一方通行は続ける。
「単純に、ダメージがでか過ぎるンだ……。大雑把になら能力も使えるが、千切れた血管だけ血を止めるなンて細かい演算は出来ねェ……」


「手詰まりか、クソッ! どうする、危険を承知で救急車を呼ぶか!?」
「駄目だ……。そもそも、万が一、この街の妙な技術で完治なンてさせられたら、本末転倒なンだ……。最低限傷口を塞ぐ以上の処置は、必要ねェ」
 そして、違和感は疑問に変わる。
 『完治をしたら本末転倒』 確かに一方通行はそう言った。それでは最早、こうなることを想定していたどころの話ではない。こうなるように計画していたと言った方が正しい。
 だが、一体何の為に? 脳を損傷することを計画していたなんて、正気の沙汰ではない。
 ましてや彼は『一方通行』だ。そこいらの一般人とは脳を傷つけるということの意味が大きく違う。
 その学園都市最強である能力は、彼の脳に依存するのだから。
 単純な身体機能だけではなく、アイデンティティに繋がるその強大な超能力を損なうことにも繋がるのだ。
「大体、ちンたら入院してる時間なン、て……」
「おい、一方通行!?」
 何度か呼ぶと一方通行は呻くように返事をした。どうやら意識はまだあるらしいが……。
 上条は路地裏で途方に暮れる。一方通行はああ言ったものの、やはり無理にでも病院に連れて行くべきだろうか。確かに妹達に場所を突き止められれば危険だが、それ以前にこのままでは一方通行の命が危ない。
 とりあえず最寄りの病院にでも駆け込んでちゃんとした処置だけでも、と上条が決めた時。思いがけない人物の声が聞こえた。
 その声の主のことを、上条はよく知っていた。
「とうま? こんなところでなにやってるの?」
「……インデックス」
 銀髪緑眼の真っ白な修道女は、暗闇の中に溶けることなくそこにいた。


 そして、もう一人の少年も。
「テメェ……あの、時の……」
 彼女のことを、知っている。


それからどうなったのか、一方通行はよく覚えていない。
 意識をかろうじて繋ぎとめるのが精一杯で、記憶は途切れ途切れだ。
 朧気ながら、覚えていることは二つ。
 どこかボロボロのアパートの一室で、あのシスターが歌っていたこと。
 そしてそれに呼応するように、『天使』が現れたこと。
 漠然と、一方通行は無意識にそれを観測した。
“        、          ”
 薄ぼんやりとした意識の中、一方通行はよく分からないままに『何か』を理解する。


 そして、目覚めてみれば昼だった。
 鈍い頭痛に眉をしかめる。どうやら熱もあるらしいが、不思議と額の傷は疼かない。
 意識もはっきりとしないが、それは熱と頭痛のせいだけではないだろう。脳を損傷した影響で、言語能力と計算能力が低下しているのだ。
 額から濡れタオルが落ちるのも構わずに首を回せば、例の電極はすぐ枕元に置いてあった。一方通行は震える手でそれを掴んで、緩慢な動作でそれを側頭部につける。
 眉間にしわを寄せながら目を閉じる。頭の中の歯車が噛み合ったような感覚を覚えたところでゆっくりと息を吐き、目も開いた。
 (……で、ここはどこだ? あの時何が起きたンだ?)
 ひとまず落ち着いた一方通行は、状況を確認するために周囲を見渡す。昨晩の記憶は朦朧としていて、何が夢で何が現実なのかも分からない。


 どうやら、貧乏学生が一人暮らしをするようなボロいアパートの一室のようだ。
 布団の横には今時コントでも見ないようなちゃぶ台が置いてあり、その上には灰皿と大量の吸殻が乗っている。畳は日焼けして傷みまくっているし、部屋の隅にはこれまた随分な量のビールの空き缶が適当に押しのけられている。
 ――ここまで観察して、一方通行は印象を訂正する。貧乏学生というよりは、野球か競馬が好きな中年オヤジが住んでいそうな部屋だ。
 (裏道でぶっ倒れてたところを拉致られた、なンてことはねェよな?)
 一方通行は更に情報を集めようと立ち上がる。ひとまず差し迫った危機は無いようだが、目覚めて見覚えの無い場所にいたというのはやはり落ち着くものではない。
 ひとまず外を見る為に窓の方へ移動しようとした。が、すぐにバランスを崩して壁に手をついてしまう。
 (……こいつはどォも、杖か何か必要みてェだな)
 電極によって大分改善されてはいるものの、やはり脳へのダメージは深刻だ。
 今の彼では、意識的にバランスを取らなければ真っ直ぐ立つことさえままならない。
 一方通行が山積する問題の数々を再確認し、これからのことに頭をめぐらせ始めたとき、水が流れる音と共に玄関の横にあるドア(どうやらトイレらしい)が開いた。出てきたのは、昨晩彼を助けた少年。
 彼は布団から起き上がっている一方通行を見つけると、一瞬驚いたのちに矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。
「一方通行、目が覚めたのか! 額の傷はどうだ? 体調は? 腹ペコの話だと熱が出たり頭痛がしたりするって話だったけど」
「……ウッゼ」
 起きて第一声がそれかよ!? とショックを受ける少年を尻目に、一方通行は壁にもたれるようにして座り込む。
 それだけで軋んだ音を発する壁に少々不安を覚えつつも、彼は睨むようにして少年に問いを返す。


「ってかオマエ、苗字はなンだ」
「は? ああ、上条だけど」
「上条当麻、ね……。で、上条、ここはドコだ? あの後どォなったンだ?」
 あれ、なんで名前は知ってたの? という上条のささやかな疑問は黙殺し、一方通行は説明を促す。
 それを受けて上条は、インデックスの『魔術』とやらで額の傷を治療したことと、ここは自身の担任教師の小萌先生の家であることを話した。
 したのだが。
「……『魔術』? なに寝ぼけたことほざいてやがるンだテメエ? しかもココが教師の部屋だァ? ンな人種が住むトコじゃねェだろ、どォ見たってもっとロクでもねェ人間の部屋だ」
 一切信じてもらえなかった。
 まあ確かにどちらも空を掴むような話だ。科学の街で魔術なんてオカルトを語るも然り、オカルトじみた生態の教師を語るも然り。
 しかしまあ、一応小萌先生は「ただの教師」であるハズなのだが。魔術なんて胡散臭いものと同列に並べても違和感が無いって、あの人も大概だなと上条は思う。
「あー、とりあえずな、一方通行。今お前ワイシャツ着てるよな?」
「あァ、着てンな。何か妙に小せェけどよォ」
「それ、この家の先生のだから」
「……テメエはさっきから俺をおちょくってンのか? ンなミニマムサイズの教師がいるワケがあるか」
 いやむしろお前がそれを着られたことが驚きなんですがね、と上条は呟く。
 一方通行の服――特にシャツは血塗れでそのまま着せておくわけにはいかなかったものの、着替えを上条の部屋まで取りに戻ると色々と面倒が起きそうなのでそれは出来なかった。
 とはいえ見た目小学生なミニマム教師、月詠小萌先生の家に男物の服などあるはずもなく。
 結局、寝巻きに使ったりしていたらしい余裕のあるサイズのワイシャツを無理やり着せたわけである。


「ていうかお前、俺と身長同じくらいなのにそれに袖通っちゃうんだもんな……ちゃんと飯食ってんのか?」
「余計なお世話だっつうンだ」
 それにしても一方通行は細い。それもアスリート体型というわけでもなく、単純に筋肉も脂肪も殆どついていないのだ。
 肌だって不健康なほど白いし、挙げ句髪の毛まで白い。かといって女々しい雰囲気があるわけでは無いのだが、怪我のせいもあってか吹けば折れるような危うさがある。
「まあそれは置いといて。とにかく手段はどうであれ怪我は治ったし、一応この部屋も安全ってわけだ」
「……まァ、いい。10032号は?」
「多分大丈夫だろ。しばらく遠くから様子を見てたけど、そういう騒ぎが起きた感じはなかったし」
「そォか」
「因みに今、小萌先生は出かけてる。ついでにお前の服も調達してきてくれるってさ」
「……ってか、間に合わせにしたってこの服はあンまりじゃねェか」
 その意見には上条も全体的に同意だ。裸よりはマシだろうと思ったのだが、前がはだけたつんつくてんのワイシャツというのは、なんか色々勘違いした末に変な悟りにたどり着いたような奇抜すぎるファッションである。
 まあ風通しはよさそうだから蒸し暑くはないだろうが、なんて適当なことを考えながら、上条は落ちていた生ぬるいタオルを拾って洗面器の中の水に入れる。
「それはそうと、さあ」
 布団の横に座って洗面器の中でタオルを泳がせながら、上条は一方通行の顔を見据える。
「出来れば、小萌先生が帰ってくる前にお前の事情を聞きたいんだけど」
「…………」
「お前が出来るだけ周りを巻き込まないようにしてるのも分かってる。けど、もうなりふり構ってられる状況でもねえだろ?」


そこまで言って、上条は口を閉じた。
 洗面器からタオルを取り出して、固く絞る。
 一旦それを開いてからたたみ直して、一方通行に投げる。とりあえず寝てろ、と。
 片手でそれを受け取った一方通行は、そのまま微かに俯いた。
 上条は視線を窓の外へ移す。空は雲ひとつ無い夏晴れだ。
 初夏の日差しはまだ優しい方だが、じきに厳しい真夏のそれになるだろう。
 今日は少し風が強い。それに吹かれ、微かにカタカタと窓枠が鳴る。
 その振動が伝わった――わけでも無いのだろうが、台所で水道から水滴が零れる。ぴちゃんという音が耳まで届いた。
「……知りてェか」
 一方通行が言った。
 視線を戻した上条と目を合わせずに、何かを強く後悔するような表情で。
 深く沈んでいくような声は、その響きそのままに『重み』を伴っていた。
 上条にしてみれば、一方通行の事情なんてどうでもいいと思っていた。元来、上条は人の事情など気にする性分ではない。誰がどんな事情を抱えていても、上条はそのとき感じたままに好き勝手に動く人間なのだ。
 女の子が不良に絡まれていようが、誰かが殺されそうになっていようが、ただ敵を倒して(逃げてどうにかなるなら逃げて)助ける。それだけだ。
 だが、今度ばかりはそうはいかない。なにせその『敵』さえも助ける対象なのだから。
「俺の抱えてる事情を――犯しちまった『罪』を、本当に聞きたいか」
 一方通行と名乗る少年は改めて言う。
 上条は迷わずそれに答える。
 覚悟など、とっくに決まっていた。
「なんていうか、俺はシスターさんじゃないんだけどな」
 なんていうか、本当に。顔を伏せるその姿が、主に許しを請う罪人のようで。


「学園都市が何の為に超能力なンてものを開発してンのか、知ってるな?」
「まあ、それくらいは……」
 いくら無能力者とはいえ、上条も開発されている側なのだ。それくらいは知っている。
「――”神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの”――、レベル6。いわゆる『SYSTEM』への到達だ」
 もっとも本来は、レベル6はSYSTEMに到達するための手段の一つでしかない。
 だが大々的に超能力開発を行っているこの街では、レベル6=SYSTEMという共通認識が存在する。
「そこに辿りつく為に、様々な研究が行われてきた。表で行われている通常の能力開発は勿論。それの陰で行われてきた、能力体結晶の利用や多重能力者の研究なンかの派生も含ンだ『裏』の実験。そしてその裏の実験の一つに……」
 一旦つっかえたように言葉が途切れたが、微かに深呼吸をするようにして続ける。
「レベル6に最も近い、レベル5の第一位。つまり俺を利用した異常な実験が、腐るほど存在しやがったワケだ」
 例えば暗闇の五月計画。一方通行の『自分だけの現実』を解析して他の能力者に適用することで、同等の能力を持つ能力者を量産しようとした実験だ。
 とまあ、ここだけ説明すればこの実験、異常でもなんでも無いようにも思えるだろう。
 だがおかしな点が一つある。これは本来レベル6を作る為の実験のはずだ。それなのにこの実験は『一方通行と同等の』能力者を作ることに重点を置いている。
 つまりどういうことなのか。答えは単純、この実験は『いくらでも替えの利くモルモット』を量産しようとしたものなのだ。
 一方通行は唯一無二の素材であるが故にそうそう使い潰すことは出来ない。
 だが、それの代用品を作ることが出来ればより危険な――それこそ脳を切り刻むような――研究も可能になるのだから。
 不幸中の幸いとして、この実験は中途半端な成果だけを残して凍結された。だがそれでも、『自分だけの現実』を乱された結果、自らの能力の暴走で死に至った能力者も存在する。
 そんな人の道を外れた実験が、彼の周りには掃いて捨てるほどあった。
 それらは少しずつ、しかし確実に彼の心を蝕んでいく。


「更に学園都市には、ツリーダイヤグラム――世界最高の演算機があった」
 一方通行は話を続ける。
 その表情が辛そうに歪んでいるのは、熱のせいだけではないのだろう。
「そいつを使って俺をレベル6に到達させる方法を演算した結果、二つのルートが浮かび上がった。一つは通常の開発によって導く方法だったが、それは二五○年なンていう膨大な時間が必要だった」
 もっとも、そちらの案も一応実現する為の方法が存在した。
 つまり、人間を二五○年生きながらえさせる、まさに神をも恐れぬような方法が。
「そしてもォ一つが、実戦での能力の成長を利用した方法。特定の状況下で特定の対象と戦闘することで、通常より効率の良い能力成長を促すってモンだった」
 例えば、能力による遠隔攻撃での命中精度の向上により能力制御の進歩が見られたり、実戦的な能力の行使により演算の速度や精度が向上したり、といったものだ。
 そういったものは本来、意図しない状況で行われるイレギュラー的な成長だった。しかしツリーダイヤグラムはそれすらも完全に予測演算し、一方通行がレベル6に到達する為に必要な敵と戦場を導き出してしまう。
「レベル5の第三位『超電磁砲』を一二八回殺害すれば、俺はレベル6に到達する。ツリーダイヤグラムはそォ結論を出した。だが、『超電磁砲』は一二八人も用意出来ねェ。だからその代替案として浮上したのが……」
「二万人の妹達、ってことか」
「……あァ」一方通行は浅く頷く。「もっとも、妹達は元々軍用クローンとして開発されていたらしいがなァ。ともあれツリーダイヤグラムに代用品として妹達を利用するって方向で再演算させた結果、二万の戦場と流血によって俺がレベル6になる道は開けるって結論が出た」
 上条は10032号のことを思い出す。
 上条は不幸だ。レベルはずっと0のままだし、女の子には全くモテないくせに、不良にはよく絡まれる。
 だが、そんなくだらない不幸を嘆くことが出来る日常すら、彼女には与えられていなかったのだ。
 始まりは兵器として、終わりは使い捨ての代替品として。
 温もりなど何処にも無い非日常が、彼女達の日常だったのだ。


「でもそんなやばい実験、最初から協力しなけりゃ良かったんじゃねえか。お前が実験に参加しなけりゃ、そんなもん全て無くなっちまうだろ?」
「……そォならよかったンだがな。そォはいかねェから今も俺は追われてるワケだ」
 無ければ実験が頓挫するということは、逆を言えば有れば実験は成功に近づくということだ。
 そしてそこにまだ可能性があるなら、実験は本当の意味で終わることは無い。その可能性を完全に絶たない限り、その結果を欲する人々の欲望は永遠に彼を付け狙う。
「そしてそれ以前に、当の俺が最低の屑野郎だった」
 一方通行はどこか泣き出しそうにすら見える表情で言葉を絞り出す。
「……それで全て解決とはいかなかっただろォが、確かに俺がその時止まれていればもォ少し救いがあったハズだ。だが俺は止まらなかった。結果、新たな実験は始まり、悲劇が芽吹いた」
 彼の心は、そんな人々の欲望に喰らい尽くされていた。
 その深刻な歪みは、彼一人の力で修正できるはずも無く。
「そして、これは今朝言ったな。――俺は妹達を殺した」
 一方通行は目を伏せる。
「腐った研究者どもが『モルモット』を廃棄するよりも残酷に。毒でも飲ンで自殺した方がマシなくらいに。肉体だけじゃねェ、精神までズタズタにだ。この学園都市の中で一万を越える妹達を殺して殺して殺して、どうしようもねェくらいに殺しまくった」
 まるで大量殺戮兵器のように。
 いや、実際その通りであり、それ以上に凄惨なものだったのだろう。心の底まで腐りきった研究者達からも恐れられるほどだったのだろう。
 だからこそ彼は、こんなにも後悔しているのだろう。


「……大体、分かった。つまり連中は、お前にその実験を続けさせたいってわけなんだな」
 二万人もの妹達、それら全てを殺害することによってたどり着く到達点。
 それは、学園都市が創設された理由そのものだ。
「……あァ。残り9970人の妹達を全て殺害すれば、俺はレベル6に到達する。つまり “神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの”になるってワケだ」
 それは当然神ではなく、しかしもはや人間とも呼べず。
 人間を超越し、神様の領域を侵犯する人外の化け物。
 SYSTEM。
 上条は無意識に拳を強く握り締める。上条は昔の一方通行を知らないから判断のしようもないが、彼が全く悪くないとは言えないのだろう。むしろこの悲劇の立役者と言っても間違いではないはずだ。
 だが、それでも彼にとって妹達を虐殺することが本意であったわけが無いのだ。
 何故かなんて語るまでもない。10032号と闘ったときのように、今の彼は少しでも犠牲者を減らす為に動いているのだから。
 そんな思いが突然降って沸いて出るはずもなく、ならば当然、そういった思いは最初から彼の中に存在したのだ。
 研究者達がそんな彼の思いを踏みにじってきたことも気に食わないし、そんな彼を『化け物』として扱うことはもっと許せない。誰も彼も人を道具みたいに扱って、そんな人間に一方通行は歪められてきたのだ。
 そして何より、そんな連中の罪まで一人で全て背負おうとしている一方通行が一番腹立たしい。


「……、すまねェな。こンな屑に加担させちまって」
 何に対してイライラしているのか、上条はその正体に思い当たった。
 そして、そこで上条の怒りは沸点を越えた。
 一方通行が着ているワイシャツの襟首を掴んで、捻り上げる。
「……なんでそんな話、黙ってやがった」
 暗い瞳で問いかける上条に、一方通行の表情が凍りつく。まるで妹達のように目の焦点が曖昧になり、錆び付いた機械のように唇が動く。
「……これは俺がやっちまったコトに対する最低限のけじめだ。本来俺が一人で片付けなきゃならねェ問題だ。だからそこにテメェを巻き込んじまったコトについては後で死ぬほど謝る。そして俺に加担しちまったことはテメェが気に病むことじゃねェ。そもそもは」
「うるせえよ」
 さえぎって上条は言う。
 断言出来る。上条の怒りはここが臨界点だ。
 耳に入る一方通行の言葉一つ一つが、ざらついた心の表面をいちいち逆撫でする。
「一々うっせえんだよ、お前は。くだらねえ話ばっかりしやがって。最低限のけじめだとか、てめえが片付けなきゃならねえ問題とか、俺になんの関係があるってんだよ?」
 一方通行は答えない。まるで糾弾されるのは当然だといわんばかりに、暗い瞳を伏せて黙っている。
 それだ、その目が一番腹立たしい。
「一万人以上ぶっ殺した? ああ確かにすげえな、そんな悪党なんざ骨董無形な御伽噺でもなかなか出てこねえよ。すごすぎて全然実感沸かねえな」


 でもな、と上条は大きく息を吸って
 叫ぶ。
「そんなこと、俺は知ったことじゃねえんだよ。そんな枝葉はどうでもいいんだよ! テメエが何人殺したかとか妹達が何人殺されたかとか、そんな話は一切関係ねえ!!」
 伏せていた一方通行の目が大きく見開かれる。
 何か言おうとして、結局音にすらならないで消える。
「それでもテメエは妹達を助けるんだろうが! それと同じだ、俺だってもうとっくにテメエまでひっくるめて妹達を助けることに決めてんだよ! なんで俺がテメエのくっだらねえ罪悪感だ制約だに縛られなきゃならねえんだよ!! ふざけてんじゃねえぞ!!」
 一方通行が、何か信じられないものを見るような目で見ている。
 それが一番イライラするのだ。自分は助けられなくて当然だと、たった一人で妹達を血塗れになって助けて、あとはゴミ屑のように扱われるのが当たり前だという考え方。
 確かに一方通行は妹達を殺したのだろうし、それは決して許されることではない。許されようとすることすらおこがましいのかもしれない。
 でも、だからといって、それは彼が助けられてはいけないということには結びつかないはずだ。彼がどれだけ深い深い罪を犯そうが、まだそこから戻ってくることが出来る『人間』ならば。
 そう、むしろ一方通行は救われるべきなのだ。妹達と同じように、この街の暗闇にもてあそばれる一人の子供として。
 それなのに、一方通行はそれすら認めない。上条の理屈も無くただ身勝手に差し伸べた手さえ、それに触れてしまうことまでもが罪のように振り払う。
 それが、腹立たしい。
 悲しいとか苦しいとか悔しいとか色々全部ひっくるめて、苛立たしい。
「……ちったぁ俺を頼りやがれ。人を勝手に見限ってんじゃねえよ」
 つまりは、そこだ。これまでの一方通行がどんな人間であっても、それは上条が降りる理由にはならない。
 そんなものは、最初からどこにも無い。


 一方通行はぽかんと上条の顔を見ていたが、やがてため息よりも大きく息を吐いて、天井を仰いだ。
「二人目、か。……馬鹿みてェだな。なに見当違いのコトやってやがったンだ、俺は」
 氷が溶けたような――否、何か無理な形で歪に留められていたものが開放されたような、そんな空気があった。
 脱力して壁にもたれる一方通行。
 彼は涙など流さなかった。嗚咽もしないかったし、顔を歪めることすらしなかった。
 だがそれでも上条には、彼が泣いているように見えた。
「二人目?」
 上条のその問いに対して、一方通行の返事は一言。
「"あひるの子は何故醜かったのか”」
 それだけ言って、一方通行は立ち上がる。
 ふらふらしながら歩き出した一方通行の背中に上条が言葉を投げかける前に、一方通行は便所に行くだけだ、となおざりに言い放った。
 ガチャンとトイレのドアが閉まる。
「"あひるの子は何故醜かったのか”って……醜いあひるの子? それがどうしたんだ?」
 一人呟いても、答える者はいない。



 その部屋から遠く離れたビルの屋上で、10032号は双眼鏡を覗きながら一人呟く。
「一方通行は無事のようです、と10032号は報告します。しかし一晩でほぼ完治させるとは、そんな超能力者が存在するのでしょうか? と10032号は疑問を提示します」
「あの少年がレベル0ですか? と10032号は訝しみます。少なくとも私の電撃に干渉する何らかの能力が無いとおかしいのですが、と10032号は疑問が尽きません」
「……それはもう決定した事項なのですか? と10032号は確認します」
「…………いえ、異論はありませんが、と10032号は言いながらもなんとなく……上手く表現出来ません。複雑な気持ちというやつでしょうか、と10032号はもやもやしながら呟きます」
 双眼鏡から目を離して、10032号はその場から立ち去る。

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