とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

SS 9-929

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ryuichi

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「にしても、俺が今更こンなモンを着る羽目になるとはなァ」
 洗面器やタオルなどを片手で掴んでいる一方通行がぼやいた。もう片方の手では小萌先生に調達してきてもらった簡素な杖をついている。
 彼は上条と同じような、ありきたりな学生服に着替えている。
 元々彼が着ていた変な柄の(こういう表現をすると殴られそうだが)Tシャツは、ダイナミックに血染めになってしまったので洗濯中である。
 もっとも、あれほどガッツリ血痕が付いてしまったらなかなか落ちないだろうが。学園都市の科学力の見せ所かもしれない。
「結局、それが一番目立たない服装な訳だからな」
「普通はそうだがよォ、俺みてェなのが着たら逆に超目立つンじゃねェか」
「どーせ何着ても目立つって」
「オマエ一言前なンつった?」
 あれから一日が経過して、上条と一方通行は夜の学園都市を歩いていた。
 小萌先生のボロアパートには、ボロと接頭語が付くだけあって風呂がなかった。とはいえ、仮にも独身の(少なくとも見た目は)若い女性の部屋である。
 そこに男二人で寄生している身分としては、汗だの血だ硝煙だので妙な体臭を漂わせっぱなしでいるのは如何なものかと思ったのだ。
 上条らが部屋に転がり込んで来ても、小萌先生は文句の一つも言わなかった。むしろ明らかにただ事ではない事態だと分かっていながら、積極的に力になりたいと申し出てくれた。だからこそ、余計な気を使わせるのは心苦しい。
 そんな訳で、目指すは銭湯なのだ。


「一方通行。あくせられーた、ねえ?」
「……何だよ?」
 なんとなく呟いた上条に、一方通行は面倒臭そうに反応した。
 名前は以前から知っていたのだが、そういえば自己紹介というのはされていない。
「一方通行って通り名――ってか能力名だよな? 本名は?」
「……、ンなもン忘れた」
「忘れたってお前」
 ここは超能力開発を大々的におこなっている街だ。だからこそ、本人の名前よりも所有する能力名の方が有名になることもまれにある。
 そしてこの街にも七人しかいないレベル5にもなると、その傾向はより顕著になる。が、だからといっても名前を忘れるなんてことは尋常ではない。
 或いは、それが今まで彼がどんな扱いをされてきたのかということを示しているのだろうか……とそこまで考えた上条は、自分から振った話ながらどんな反応を返すべきか逡巡してしまう。
「…………苗字は二文字で名前は三文字の、大して珍しくもねェ名前だったンじゃねェの」
 彼が返答に迷った間に出来た沈黙に重ねるように、一方通行が投げやりに呟く。
 なんでもない風ではあるが、その所作はどこか哀愁を漂わせていた。
「大して珍しくもない、ねえ……」
 覚えているのか忘れているのか分からないが、『一方通行』と呼ばれる少年はどっちにしろ名乗るつもりはなさそうだった。
(ま、俺もガキの頃は疫病神とか呼ばれてたし……それと同じようなもんか)
 幼い頃から『不幸』だった上条は、この街に来る前はそう呼ばれて陰湿なイジメを受けていたことがある。もう昔のことなのでそう明確に覚えているわけでもないのだが。
 忌避される人間への扱いというものはいつであってもそんなものだ。同じ人間だとすら認められず、容赦なく輪の外へと弾かれる。


「ってかよォ上条、銭湯ってのは缶コーヒーくらい売ってンだろォな?」
「ん? ……さあ? コーヒー牛乳とかならあるだろうけど」
「ンなモン飲めるワケねェだろォが……仕方ねェ、途中で買っていくか」
 気だるげにしながらも、そこだけは譲るつもりはないらしい。どうやら缶コーヒーに対してはそれなりのこだわりがあるようだ。
 なんとなく浮世の幻想などに執着しません的な人なのかと思っていたので、一方通行の人間的な面が見られて少し嬉しくなる上条。
「つうかなんだ、お前銭湯行ったことないのか」
 まあ確かにこの時代、ましてやこの街である。若者なら銭湯に行ったことがある方が少ない――というかもはや銭湯そのものと同じように希少価値の絶滅危惧種だろう。
 そもそもこれまで割と殺伐とした生活を送ってきたであろう一方通行が、のんびり銭湯に向かっているこの現状のほうが異常なのかもしれない。
「あー? ……銭湯ってか、風呂に浸かること自体久しぶりだな」
「ああ、そういえばお前の能力ってなんでも反射するんだっけ? でも汗はかくだろ?」
「本質は『ベクトル操作』って言っただろォが。風呂なンざ入らなくても体を清潔に保つくらいワケねェンだ」
 そういえばそんな反則的な能力だったな、と思い出す。しかしつくづく便利な能力だ。流石は第一位といったところか。
 絶対防御に圧倒的な攻撃力、重ねて日常生活にも活用出来る。一芸のみ、しかも融通の効かない不便な右手を持つ上条としては、その汎用性は羨ましいばかりだ。
 最も、その魅力的過ぎる能力には弊害も多そうだが。


「でもそんな便利な能力があるのに今銭湯に向かってる辺り、何だかんだで風呂も嫌いじゃないんじゃねえか。やっぱ浴槽に浸からないと気持ち悪いってか?」
「まァ、べっつに嫌いってワケじゃあねェけどよ」
「わけじゃねえけど?」
 歯切れの悪い答えに上条が聞き返すと、
「単純に、今能力が使えねェンだよ」
 一方通行はなんでもないように言った。
 だからどうしたとでも言わんばかりに。
 そしてあまりに一方通行が平然としているからこそ、逆に上条は慌てふためいてしまう。
「やっぱ脳へのダメージがやばかったのか!? 今からでもちゃんと治療してもらった方が……」
 原因は明白、妹達に撃たれた傷だ。その傷はインデックスの魔術とかいう謎の技術で癒した(らしい)のだが、その際に上条は彼女に傷を塞ぐだけでいいと伝えていた。
 一方通行本人の希望だったのであまり考えずにそのまま伝えたのだが、こうなってしまうとやはり間違いだったのだろうかと思ってしまう。
「騒ぐンじゃねェよ鬱陶しい。想定の範囲内だ、じきに戻るしそうすりゃ万事解決なンだよ」
「そんなこと言ったって……って、え? 万事解決?」
 どさくさに紛れてとても平和で不穏な台詞が聞こえた気がして、上条は思わず聞き返す。
 それに答える一方通行は、なんというか『らしい』笑みを浮かべて、
「あァ、そォいやオマエ妹達を救うとか意気込ンでやがったな。だがまァ残念だったな、もォオマエの出る幕なンざねェから」
「……えーと、それはどういうことでせう?」
「面倒だから詳細は端折るがよォ、俺の能力が復活すりゃあとの諸々の問題は全て解消されるってワケだ。まァ精々それまで妹達に殺されねェよォに逃げ回るこったな」


 つまり、だ。
 上条が「妹達を助けるために頑張るぜ!!」なんて意気込んでいた頃には、一方通行は既に殆どそれを終わらせていたと。
 高校一年生上条当麻君、完全に空回りでしたと、そういうことだろうか。
「……不幸、じゃあねえな。じゃねえけど、結果妹達が救われるならそれは良いことなんだけど、……釈然としねえ」
「なンつーか、ご苦労サマ」
 そんなこと言われたところで全然労われた気もしない。というか馬鹿にされているように聞こえる、いや絶対されている。
 一人で勝手に熱血して空回っていた彼のことを、この第一位は腹の中でせせら笑っているのに違いない。
 上条だってあれやこれやと今後のことを考えていたのだ。あまり優秀とは言い難い学校の中でも輪をかけて不出来なこの鈍色の脳細胞で、必死に活路を見出そうとしていたのだ。
 しかしまあそれら全てまるで無意味な思考だったわけで、そう思うと流石に肩を落とさずにはいられない。
「けどまあ、それで妹達とお前が救われるならいいか……。正直、女の子を殴る羽目になるんじゃないかとヒヤヒヤしてたし」
「何間違ったフェミニストみてェなコト言ってやがンだ気持ち悪ィ」


「上条さんは女の子には優しいんですよー。……ってか、お前って男? 女?」
 不意に、なんとなく聞いてみた。
 別に本気で性別が分からなかったわけではない。一方通行があまり自分のことを話したがらないから、そういった会話の取っ掛かりにでもと思ったのだ。
 案の定、一方通行はものすごく怪訝な表情を浮かべてこっちを睨んでくる。
「何ほざいてやがるンだテメエ、見て分かンねェのか」
「いや冗談だって。ただ俺結局お前のこと通称一方通行で性別男ってことしか知らないからさ」
「……、」
「って、アレ? ……アクセラレータさん、なんでこのタイミングで無表情になって閉口してしまうのでせう?」
「…………。」
 おかしい。何がおかしいってここでひっかかりのあるリアクションが返ってくるのがおかしい。彼が自身のことを話したくないのだとしても、まだ会話のキャッチボールは続くはずだ。
 ましてあの無表情はなんていうか若干傷ついたっぽいというかショックを受けてるようにも見えるようなっていうか、いやまさかそんなはずは。
「上条」
「イエスサー!」
 少々強引にでもギャグの流れに持って行こうと試みるも、手ごたえはまるで無く。
「先行くわ」
 のっぺりとした声色でそう言った一方通行は、さっさと先にいってしまった。
 上条はその背中を呆然として見送りながら、一人呟く。
「ははは……いやまさかそんなはずは。……でも否定材料もないな」
 一応一人称は俺で、三人称も彼だったが。
 本当のところは本人と神のみぞ知るなのかもしれない。


 一方通行はとっとと銭湯に行ってしまった。
 それを追わずに、上条はだらだらと銭湯に向かっていた。
 最初は追いかけていたのだが、追いつくと彼は野良猫のように走って逃げるわけでもなく、ただ無表情にこちらを見てくるというホラーじみた反応を返してくるのだ。
 まあ向こうは杖をついているわけだし、そもそも目的地は変わらないのだからいいか、と上条は適当に妥協したのである。
 決してあの無反応がマジでキレる五秒前なんじゃなかろうかとビビッているわけではない。
「学園都市第一位、か」
 上条は自分一人分の足音のみが響く道を歩きながら、なんともなしに呟いた。
 この問題が解決したら、彼はどうするのだろう。妹達を実験から解放して、その後のことまでしっかりと保障してからのことだ。
 再び様々な実験に身を貸す――ことはもうないかもしれない。となればどこか真っ当な学校に通うのか、はたまた研究者サイドにでも回るのか。
 何にしても、その隣に上条がいるというのは想像出来なかった。
 そのことになんの引っかかりも感じないわけではない。
 ないわけではないが、そんなもんだろうと思う。まさかこのまま追われ続けるわけにもいかないし、そうでないのならそれぞれの日常に帰っていくのみだ。
 住んでいる街も同じで、年齢も大して変わらず、性別も(多分)一緒なのに、住む世界は大きく違う。
 ただの学生である上条と、最強の能力者である一方通行。
 二人の立ち位置は、近いはずなのに決して交わることはない。
 不思議なようで、当たり前の話。
 そんなものなのだろうと思う。
 思うのだが、どこか綺麗に消化できないところもあって


「って、ん?」
 違和感を覚えて時計を探す。近くにあった公園のものを見てみれば、ちょうど九時を回ったところだった。
 まあ学生だらけのこの街ならば、人通りが少ないのも当然だろう。
 だが、あまりにも少ない。そんなに極端に人通りが少ない道でもなく、道路だって普通に二車線ずつ通っている道だ。
 それなのに、人も車も一切見当たらない。この時間は学生が出歩くにはいい顔をされない時間ではあるのだが、それでも教員なんかの車の一台や二台、当たり前に通っているはずなのだ。
 漠然と感じた違和感は、はっきりと認識出来る異常へと変わる。
 この通りはさして大きな商店も無いが、だからといってこの静けさは異常でしか有り得ない。
 まるでゴーストタウンのような雰囲気。
「こういう街の人の流れってね、ある程度なら信号なんかをいじれば制限出来るのよ」
 とん、と。不躾に踏み込んでくるような、少女の声。
 なんのことはない。その少女は単純に正面の道から、ごく普通に歩いてきただけだ。
 別におかしなことなど何一つ無い。おかしいのはこの空間であって、そこに平然と踏み込んできたから違和感を覚えただけだ。
「心配しないで、細かい取りこぼしはあの子達がちゃんと拾ってるから。これだけ派手にやれば警備員も動くだろうけど、まあそんなに長居する気もないから問題無いわね」
 少女が暗がりから街灯の下へ出てくる。灰色のプリーツスカートに半袖のブラウス、その上からサマーセーター。普通の常盤台中学の制服に、あと特徴といえば飾り気の無いヘアピンくらいのもの。
 しかし、同じ顔をした少女を上条は知っている。


「妹達、か――何の用だ?」
「違う違う、私は妹達じゃないわ」
 若干の緊張を帯びて問いかける上条に対し、少女は世間話でもするような自然体で返す。
「御坂美琴。ああでも、もう片方の名前の方が分かりやすいかしら」
「……もう片方?」
「”超電磁砲”」
 予想外の言葉が出てきて、上条は目を見開いた。
 超電磁砲――これまでに何度も、一方通行との会話で出てきた単語だ。
「てことは何か、テメエが妹達の母体ってわけか」
「『母』体、ね」御坂は微妙な表情を作って、「まあ、そういうことになるのかしら?」
 上条は黙って御坂を睨みつける。
 超電磁砲。二万の妹達の母体であり、学園都市第三位の超能力者。学園都市に存在する全ての能力者の頂点に立つ、七人しかいないレベル5の一人。
「単刀直入に言うわね」
 御坂は勝気に笑って、
「実験を続けたいの。だからアンタが匿ってる一方通行、引き渡してくれないかしら」
 ただそれだけの台詞に、寒気を感じた。
 上条は目の前の少女より年上なのに、右手というジョーカーだってあるのに。それでも彼女には決して敵わないと思わせられる、冷たい迫力があった。
「……、断ったら?」
 それでも上条は退かない。退きたくないと思える理由なんて山ほどあった。
「不本意だけど」御坂は笑みを消して「力ずくで、回収するまでよね」
 キィン、と澄んだ音が響いた。
 なんということはない、御坂がポケットから取り出したコインを弾いただけだ。真上に上がったコインが、暗闇の中でオレンジ色の街灯の光を微かに反射している。なんでもない、何気ないただの遊びのような動作だ。


 だが。
「動いたら、死ぬわよ」
 彼女はレベル5だ。そして上条は彼女の異名を知っている。
 そこまで思い至った上条はほとんど反射で右手を跳ね上げようとして、

 瞬間、閃光が貫いた。

 上条と御坂の間は十メートルほど、それでも上条は決して油断などしていなかった。なにせ相手はレベル5だ、この程度の距離など気休めにもならないと理解していたのだ。
 故に彼は彼女の一挙一動から目を離さなかった。コインが弾かれてから再び指に乗る瞬間まで、しっかり目で追っていた。
 ――それでも、軌跡すら追えなかった。
 一瞬遅れて熱風と轟音が殺到する。それでも上条は、腕で顔を覆うことすら出来ない。
「気をつけなさいね」声は、前方十メートルから。「下手に動いたら、本当に死ぬから」
 二枚目のコインを弄びながら、御坂はこちらを見据えている。
 右手は間に合わなかった。
 それでも自分の呼吸が続いているのは、元から向こうに当てる気が無かったから――頭ではそう理解できた。だが喉も、右手も、体も、それに追いついてこない。
 ベギベギと音を立てて、遠くで風力発電のプロペラが支柱ごと倒れた。
 そこにきてやっと、上条の体は動いた。中途半端なところで止まっていた右手を、どうするべきか分からずに軽く握る。
「もう一回言うわね。さっさと、一方通行の身柄を引き渡しなさい」
 御坂の声が低く響く。
 いつまでも手加減すると思うな――そう言わんばかりの、冷酷な声。
「……っ、一々、言わせるんじゃねえ」
 無意識に、足がジリジリと後ろへ引き寄せられる。
 斥力をその身に受けているかのように、震える足が勝手に後退する。


「誰がテメエなんかに――」
「仏の顔も三度まで、ってね」
 キィン、という軽い音と共にコインが再び宙に舞う。
 そのコインは頂点に到達した瞬間、直線の閃光になって上条の頬をかすめた。
「なっ!?」
 殆どレーザー兵器のような一撃が、上条の後ろのアスファルトに突き刺さった。
 先の一撃で薙ぎ払われた街路樹や街灯が、その煽りを受けて再び吹き飛ばされる。
 着弾点には隕石の落下跡のようなクレーターが出来ていた。
 焼けたように痛む頬に手をやることも出来ず、上条はただ立ち尽くす。
 完全にタイミングを外された。
 余韻のように、彼女の額の前でバチッと電気が弾ける。
「不要な怪我人は出したくないんだけれどね」
 新たにコインを取り出しながら、御坂は明らかな害意を滲ませて言う。
 同じ攻撃を二発受けて、上条はその攻撃が彼女の通り名でもある『超電磁砲』であるということを確信した。
 すなわちレールガン。電磁誘導によって超高速で弾丸を飛ばす兵器。
 そして、その『超電磁砲』を可能にしているのは、紛れもない超能力だ。常盤台中学の超電磁砲は、学園都市最強の『電撃使い』――それくらい、小学生でも知っている。
「これは音速の五倍くらいにしか加速してないけど、本当はもっと速いのよ? ま、何にしたって普通の人間に撃つようなものじゃないけどね」
 その言葉に応えるように、上条は握っていた右手を開く。
 確かに、普通の人間にはどうしようも無い攻撃だろう。だが、イレギュラー中のイレギュラーであるこの右手ならば、と。



「一応忠告しとくけど、右手で受けようなんて考えない方がいいわよ」
 だが、その考えを読んだかのように御坂の声が割り込む。
「なんかアンタの右手、変な能力があるらしいわね。けどそれ、超能力以外には効かないんでしょう? 私の超電磁砲は単純な超能力だけじゃなく、通常の物理法則にも従ったもの。もし打ち消せなくても知らないからね」
 ――そう、上条の右手は異能以外には何の効果も無い。
 これが妹達のようなただの電撃なら打ち消すことも可能だったろうが、彼女は『超能力の磁力』を操って『コイン』を飛ばしているのだ。正直この右手のクセのようなものは上条本人にも未だに把握しきれておらず、この場合右手がコインを『ただの物理法則に従っている』と判断するのか、『異能の支配下にある』と判断するのかが分からない。
 それ以前に、触れなければ右手は効果を発揮しない。しかし上条は未だに超電磁砲を目で追うことすら出来ていない上に、その軌道を先読みすることも出来ない。
 或いは彼女が馬鹿正直に一直線に超電磁砲を撃ってくるならば、先読みすることも可能だっただろう。だが実際は軌道どころか発射タイミングまで、的確に彼女はこちらの読みを外してくる。
「……分かったでしょ、勝ち目なんか無い。だから、さっさと降参なさい」
 コインの乗った右手が、真っ直ぐこちらに向けられる。
 冷たい汗が頬を流れた。
 今はまだ手加減されているが、上条が降参しない限りは彼女の攻撃は終わらない。そして彼女がその気になれば、上条は一瞬で肉塊に変わるだろう。射程も威力も、まともに取り合えるレベルではない。
 御坂との距離は十メートルほど。
 一撃を避けられれば、次弾を撃つより早く詰められる距離。


(……、行けるか?)
 震える足に力をこめて、上条はタイミングを計る。
「一方通行を、引き渡しなさい」
(……迷ってる暇なんて、ねえだろうが!!)
 一歩。踏み込むというよりも、飛び込む為の構えの動作。それに対し御坂が眉をひそめるのと同時、アスファルトを砕かんばかりの勢いで上条は一歩を踏み出す。
「おおおおおっ!!」
 更に一歩。逃げることも防ぐことも無理ならば、玉砕覚悟で突っ込むしか術は無い。
 次の一発さえ、避けることが出来れば。
「――痛い目を見ないと、分からないようね」
 御坂は憤りを滲ませながら、コインの乗った右手を僅かに下げる。
 超電磁砲が発射された。
 だが、それは上条のところまで飛んでこない。着弾点は、ちょうど上条と御坂の中間地点。
 閃光と化したコインにアスファルトは容赦なく砕かれ、ドゴンッ!! という爆音ごと上条へと殺到する。
「ッ!? な、ごはぁっ!!」
 真正面で炸裂した細かいアスファルトの破片が、凶器となって上条の全身に突き刺さる。
 足が地面から浮く。全力で前に進んでいたはずの体が、強引に後ろへと吹き飛ばされた。
 即頭部に破片の一つが当たり、一瞬意識を飛ばされかける。それでもなんとか踏みとどまって、身を起こした。全身がまんべんなく痛いが、動けないほどではない。
 しかしそれは上条が頑丈なわけでも、上手いこと衝撃を殺せたわけでもない。むしろ交差法でダメージが倍増してもおかしくないのに、さしたる致命傷を負った様子もないのだ。
 すなわち、単純に手加減されていた。超電磁砲が先ほどまでのものと同じ一撃であれば、今の攻撃で上条は確実に意識を刈られていたはずだ。


「なんで、手加減した……」
 歯を食いしばって立ち上がる上条に対し、御坂は新たなコインを取り出しながらこちらを睨む。
「……さっさと楽になりたいって言うなら、一方通行の居場所を吐きなさい」
 御坂は揺るがない。怒気も殺気も隠さず、ただひたすらに一つの要求を押し付けてくる。
 こんな、明らかに過剰な手加減をしておきながら。本当にただそれだけを望むのなら、もっと上条を痛めつけてしかるべきなのに。
「一応言っとくけどね。レールガンを避けたところで、アンタに勝ち目は無いわ」
 御坂はいかにも敵をなぶるのが楽しいといった風に言う。
「妙な右手を持ってるみたいだけど、そんなの別に何の脅威にもならない。今のと同じ攻撃をただ繰り返すだけで、アンタは私に届かない」
「……」
 上条は、ゆっくりと立ち上がる。
「そもそも」御坂は余裕たっぷりに笑い「私の異名は超電磁砲だけど、何もこれを撃つだけが能じゃないのよ? 見た目に分かりやすく、且つ手軽に高威力を出せるから多用してるだけで、他にもアンタを蹴散らす方法なんていくらでも思いつく」
「…………」
 砂埃に塗れた右手を握る。
「大体――その超電磁砲だって、まだ全然本気じゃない」
「………………っ」
 強く、握る。
「それでも、まだやる? 全身ボロボロになりながら勝ち目の無い戦いを続けて、そうまでして実験の邪魔をする理由がある?」


 震えてしまわないよう、拳を強く握り締める。彼女は、違う。そこら辺のただの能力者とは、更に一枚大きな壁を隔てている。
 普通の能力者というのは、いわば銃を持った一般人のようなものだ。引き金を引いて弾を撃つことは出来ても、それを効果的に使う術は知らない。どう使えば人を殺すのに都合がいいのかが分からないし、分かっても経験が無いからそう簡単には実践出来ない。
 だが、彼女は違う。どの場面でどこに向けて撃つのが効果的なのかを、身についた知識として知っている。十分の一秒を問われる場面で、迎撃と手加減を両立させることが出来る。
 勝てない。
「……だから、どうしたっていうんだ」
 諦めるなんて選択肢は、最初から持っていない。
 血塗れになっても諦めなかった一方通行の姿が、脳裏をよぎる。
「……何で、そんなに頑張っちゃうのかしらね」
「うっせえんだよ、てめえなんかに分かってたまるか!!」
 上条は再び駆け出し、握った拳を振りかぶる。
 だが、それが届くより早く、コインがアスファルトに突き刺さる。飛散した破片が腹に直撃し息が詰まった瞬間、別の破片がアッパーカットのように顎に強烈に突き刺さった。脳が揺れて一瞬視界がブレるが、半ば気力で耐える。
 出血も痛みも無視して更に進もうとしたところで、上条は二発目のコインが弾かれる音を聞いた。
 反射的に体を低く沈めたが、
「それで、避けたつもり?」
 声からワンテンポ遅れて、超電磁砲が先程までより遥かに低い位置から発射される。
 浅く地面を裂くように着弾したコインは、アスファルトを散弾銃のようにぶち撒き、上条を容易く吹き飛ばす。


「ごあああっ!?」
 全身に破片が直撃し、上条は転がりながら悶絶した。五体満足なのが奇跡に思えるような激痛が、全身を隙間無く埋めている。
 明滅する意識の中、一組の軽い足音が聞こえた。
 体が動かない。立たなくてはと頭では分かっているのに、ぴくりとも。
「困ったもんね、死にたがりは」張り付けたような侮蔑の乗った声が降る。「それとも一方通行に脅されてるのかしら? 心配しなくてもちゃんと吐けば身柄の安全くらいは確保してあげるから、さっさと吐きなさいってば。ここで死にたいっていうなら話は別だけど」
「……」
 掠れたような意識の中、上条は笑う。
 別に死にたいわけではない。命と引き換えにしてまで助けようとも思わない。
 けれど。
 上条は一方通行と最初に会った時のことを思い出す。ああ、そういえば確かに脅された。これ以上関わるな、と。
 上条がここで屈しても、きっと一方通行は微塵も責めない。むしろそれが当然だと言うように笑うだろう。
 そして、当たり前のように彼は一人で戦い続けるのだ。押し付けられた大罪を、まさしく必死に贖おうと。その責任を誰にも押し付けず、たった一人で一万もの命を背負っていく。
 そんな結末に、拍手を送ることなんて出来ない。出来るわけが無い。
 痛みを無視して右手を強く握る。
 まだ、体は動く。
「……、何がしたいんだよ」
 よろよろと起き上がりながら上条は言う。
 風が吹いただけで倒れそうなほど頼りなく、けれど決して膝を屈さず。


「そんな薄っぺらな悪意張り付けて、どうしたいんだよ。お前も妹達と同じじゃねえか。さっさと俺を殺して口封じして、あとは数に物言わせてアイツを探せばいいだろ。それなのにいつまでも俺一人殺すのにも躊躇いやがって。……結局、お前らまとめて根っからの善人なんじゃねえかよ」
 御坂も、そして妹達も。
 何度だって上条を殺せた。致命傷を負わせて行動力を奪うことだって出来たはずだ。
 それなのに、異なる非情さを湛えた少女達はその度に躊躇を重ねてきた。
「……」
 御坂の顔から表情が消えた。それには気付かず上条は続ける。
「なのに、なんで分かんねえんだよ。クローン殺してレベルを上げるなんて、そんなのまかり通っていいわけが無いって。それくらい分かるだろ、どう考えても、そんなのおかしいだろ」
 御坂は黙って聞いている。
 分からないわけが無いのだ。彼女のような善人が、人を傷つけることの意味を知っているであろう彼女が。
 それぐらい、分かっているはずなのだ。
「……知ってるか、一方通行が今何をしようとしてるのか。実験を止めようとしてるんだぞ。今更かもしれねえけど、それでも死にそうな大怪我しながらでも妹達を救おうとしてるんだよ」
 歯軋りが、聞こえた。
 上条は分からない。いくら大きな目標の為とは言っても、勝手に人を作って勝手にそれを刈り取って、なんてことを平然と出来る科学者達の思いなんか。分かりたいとも思わない。
 そして、それは彼女も同じはずなのだ。
 彼女は理由があっても人を傷つけることを躊躇う善人で、良識のある真っ当な人間で。その彼女が、人の命をゴミのように扱うような実験を認めるなんて納得出来ない。まして、殺される側は彼女のクローンなのに。


「おかしい、だろ?」
 上条は重ねて言う。
「俺は、命がけで闘っても所詮こんなもんだ。譲れない理由ごと軽々と吹き飛ばされるくらい無力で、それが踏みにじられても吼えることしか出来ない負け犬さ」
 惨めなのを承知で続ける。
「だけど、テメエは違うだろ?」
 情けないのを分かった上で、続ける。
「それだけの力があれば、誰に跪く理由も無いのに。いつだって自分を貫けるのに」
 みっともなく、言い縋る。
「……なんで、そんなこと続けたいんだよ」
 上条は、ただ悔しかった。
 自分にそんな力があれば、きっと全部余さず自分の意思を貫けるとさえ思えるのに。
 彼女にはそれだけの力があるのに、その意思が人の痛みを無視したところに向けられているのが。
 泣きそうになるくらい、悔しかった。
 自分の思いが、その程度だと言われているようで。
「……ッ」
 御坂は、浅く顔を伏せていた。
 そこで初めて、上条は彼女の表情の変化に気付く。
「……、私、だって」
 彼女は、様々な感情がない交ぜになった顔をしていた。
 嘘のない、追い詰められた人間の表情をしていた。
「私だって、好きでこんな実験に手を貸してるわけじゃない。あの子達にだって、出来るなら生きていって欲しいって思ってる……」
 意味が、分からなかった。
「私は、あの子達を本当の妹みたいに思ってるのよ。冗談みたいに沢山いるけど、なんとかして一緒に生きていけたらって……」
 怒りと哀しみが混ざり合ったような表情。
 そんな顔をする理由が、分からない。
「でもね、無理なのよ。――あの子達は、殺されないと処分されてしまうから」
 その言葉の意味が、上条には分からない。

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