朝は戦場だ。
と言っていたのは誰だっただろうか。
ここは学園都市であり、人口の八割を学生で占めていて、その大半は親元を離れ、一人ないし相部屋での寮生活を余儀なくされている。
そのため、ほとんどの学生の平日の朝の準備は慌しい。
着替えにその日の時間割の確認に朝食、そして、(一部中学も含む)高校以上となれば、購買派や学食派も少なくはないが、お弁当作りも加わる。
これを、六時に起きるなら約二時間内、一時間早く起きしたとしても約三時間でこなさなければならない。
だからこその『戦場』なのだ。
「黒子、その野菜サラダはこっち。あと、卵焼きの具はこっちよ」
「承知いたしましたわ、お姉様。そちらの照り焼きの具合は如何ですか?」
「問題ないわ。私の方はお味噌汁にかかるから、あれとこれとそれを頼むわね」
「了解です。インデックスさん、サンドイッチの準備はできていますの?」
「うん。こんな感じでどうかな?」
「問題無しですわ。では次に、このミキサーに剥き身ののリンゴをかけて」
「OKなんだよ」
女三人寄れば姦しい、とはよく言ったものだ。
と、思わなくもないが、この騒がしさは姦しいのではないので、騒々しさの意味合いが違う。
なんと言っても、今、この三人は三人分のお弁当、そして朝食の準備を同時にしているのである。騒がしくても当然と言えよう。
上条家のキッチンがえらいことになっている。
えらいことになっていると言っても、何かが散乱しているのではなく、ガス、電気問わず、全料理器具がフル稼働しているという意味だ。
そんな三人の様子に、いや、正確にはありえないはずの状況を目の当たりにして、上条当麻はバスルームから出てきたなり、固まってしまったのであった。
(ええっと……インデックスの中身は御坂だったよな? だから『インデックス』が厨房に立っているのは当然として、んで、白井はそのままのはずだから、御坂の中身がインデックスってことは……って、ええ!? あのインデックスが、喰うしかできないインデックスが、食事作りの手伝いをしてるだってええええええええええええ!?)
とまあ、こういう理由で。
「あ、とうま、おはよう」
「おはようございます殿方様」
「おはよ。よく眠れた?」
三人が上条に気づく。忙しいので短いながらもきちんと挨拶する。
「あ、ああ……おはよう……?」
まだ上条が愕然から戻らない。
そんな上条の様子を怪訝に思ったインデックスが問いかける。
「どうしたの? とうま」
「い、いや……お前が朝食のつまみ食いをしないで、御坂と白井の手伝いをしているのが信じられなくて……」
「うぐ……」
呆然としたまま返す上条に、図星を付かれて呻くインデックス。
「ふふっ。わたくしがインデックスさんに教えて差し上げましたのよ。『料理ができる女性は日本人男性のポイントが高い』と。そうしましたらインデックスさん、張り切ってわたくしたちの手伝いをすると言って下さいましたの」
「……黒子、余計な真似を……」
「何か言いまして、お姉様?」
「なんでもないわよ」
すっとぼけて聞こえない振りをしてまで聞いてきた白井に、それが分かっている美琴は憮然と返すしかできなかった。
少なくとも『料理』に関して言えば、確実にインデックスをリードしていた美琴は面白くない。
ちなみに(寝るときは上条のYシャツを失敬した)インデックスと白井はすでに制服に着替えていて、エプロン装備である。いったいどこにエプロンがあったのかというと、それは単に上条のエプロンを借用しただけであり、二着しかなかったので、制服を汚すわけにもいかないインデックスと白井がエプロンをしているということだ。美琴はパジャマのままなので、上条たちが学校へ行っている間に洗ってしまえばいいだけの話である。
ただ、セレブな常盤台の制服に、安物で白のエプロンと三角頭巾という出で立ちが妙に似合っているように見えるのは何故だろう?
美琴(中身インデックス)と白井の素材がいいからなのか、それとも『制服にエプロン』が上条的にツボなのか。
とりあえず、立ち直った上条は、学ランと下に着る黄色地に赤のラインが入った長袖Tシャツを持って再びバスルームへ。
626 名前: Change3-2 [sage] 投稿日: 2011/07/05(火) 20:24:28 BFTAIU2c
出てくる頃にはちょうど、朝食の準備も終わり、決して大きくない正方形の座卓から溢れんばかりの料理が並べられていた。上条の分が白いご飯にお味噌汁、ダシ巻き卵と大根おろしをちょこんと盛った焼き魚にお茶で、インデックス、美琴、白井は二枚のマーマレードを引いたトーストとハムエッグ、サラミ入り野菜サラダに紅茶という一人当たりのメニューとしてはお皿の数が多いわけでもないのだが、それでも多く見えるのは四人分あるからである。
「何で、俺だけメニューが違うんだ……?」
「あら? 殿方様というものは婦人お手製の場合の嗜好のメニューは、そちらが定番とお聞きしてましたので、喜んでもらえると思っていたのですが、上条さんは違うのですか? 異論はあるかもしれませんが、わたくしたちはハムエッグとご飯というメニューにどうしても馴染めませんでして、ダシまき卵という形を取らせていただきました次第ですの」
上品にトーストを咥えていた、正座の白井がキョトンとした素で聞き返す。
ところで、配置だが、上条の正面に白井、両隣が右にインデックス、左に美琴である。
「いやまあ……定番っちゃ定番なんだが、一人だけ違うメニューってのは何と言うか侘しいと言うか寂しさを感じると言うか……」
「複雑ねぇ……」
「わふぁひは、ふぉっっふぃふぇもふぃふぃふぁな」
美琴が嘆息しつつサラダを口に運べば、インデックスはハムエッグを口いっぱいに頬張って自分の主張。ちなみにインデックスは「わたしは、どっちでもいいかな」と言っている。
少し不満を感じた上条ではあったが、それでも、料理に箸をつけた途端、そんなわだかまりは吹き飛んだ。
昨日の夕食もそうだったのだが、美琴はもちろん、白井の腕もまた並ではないということを、こういう単純なメニューでも証明されたからである。
「んじゃあ、これがアンタのお弁当で、こっちの二つが黒子たちの分ね。後片付けは私がやっとくから」
美琴が笑顔で、それぞれ渡す。
「わりい。頼むぜ御坂」
「では、お姉様、よろしくお願いいたします」
「行ってきますなんだよ」
三人はそれぞれ、美琴に見送られながら玄関を後にした。
上条は玄関から飛び出し、そして、
(はたして、今日はどうなるのやら、一抹の不安を感じますわ。逐一、様子を見に行く必要がありますわね)
白井はインデックスの手を掴み、妙な噂が流れるのを憂慮して、テレポートで上条の学生寮から離れることにしたである。
食器洗い、洗濯、部屋の掃除を終えて、一人、美琴は静かにベッドに腰掛ける。
「ふぅ……」
溜息一つ。
専業主婦さながらの、獅子奮迅だったけに疲労が来たのである。ましてや、その身体は普段の自分のものではなく、別の人間のものなのだ。使い慣れていない『器』だけに、もしかしたら疲労は倍増されているのかもしれない。
(昨日はよく観察できなかったけど、ここがアイツの部屋、か……)
特に何もやることがなくなった美琴は何気なく部屋を見渡す。
普段、自分が居住している学生寮と比べるなら、はるかに質素であることくらいは理解できるが、それでも、ここには自分たちの部屋と同じくらいの暖かさを感じた。
楽しい毎日を送る人が住んでいる、ということを実感する。
すでに美琴は、上条に対する自分の気持ちを自覚している。十月のあの夜、普通ではなかった上条を見て、自分の思いを爆発させたときの感情。だからこそ、ロシアまで上条を追いかけた。間違いなく厄介ごとに巻き込まれたであろう上条の力になりたかったから。借りを返す、なんて言葉を用意した辺り、まだ素直になりきれていない点は否めなかったが。
しかし、あの戦争で、誰もがフィアンマを撃退するために奮闘していた中で、誰よりも上条の力になったのは美琴だったことだけは確かだ。
誰も到達できなかった上条当麻の元に唯一到達したのは御坂美琴だけだった。最後の最後まで一緒に居たのは美琴だけだったのだ。
だけど、と、美琴は思ってしまう。
それでもインデックスには敵わない、と。
それは一緒に住んでいるから、とか、この部屋の雰囲気が暖かいから、とか言った理由ではない。
上条が記憶喪失を隠していた理由という名の偽り。それを知ってなお、包み込むように許容したインデックス。
こんな深い絆で結ばれている二人は、そうはいない。自分と上条の間にある『信頼』程度では到底届かない。
「ま、考えても仕方ないんだけどね」
瞳を伏せて、自嘲の笑みを浮かべた美琴は一人呟きつつ、思考を中断する。
『ベツレヘムの星』で自分自身に言い聞かせたことを今一度、反芻しながら。
テレビの上のデジタル時計を確認して見れば現在、時刻は午前十一時過ぎ。
(そろそろ、自分の分の昼食を準備しようかしらね)
などと考えつつ、ベッドから腰を浮かせた美琴は、キッチンへと歩みを進めて、
ぴんぽーん♪
「え?」
突然、響いた呼び鈴。
学園都市では、八割が学生のため、この時間帯の学生寮に人がいる、と考える人間はほとんど居ない。
ゆえに何かの勧誘だとしても、この時間帯は来るはずもない。
やって来るとすれば、今、この部屋に誰かが居ると知っているということに他ならない。
今の自分は『能力』を失っている。ましてやインデックスと入れ替わっている。敵対勢力が来るのは絶対にやばい。
そのことを知っている人間なのか、もしくは、インデックスの知人か――
美琴は警戒心を漂わせて、覗き窓を確認する。
そこに居たのは知らない顔ではなかった。
ある意味、敵対勢力であり、インデックスの知人でもあるのだが。
即座にドアを開ける。
「あなたは――」
「こんにちは。御坂美琴さん」
涼やかで、しかし、自愛に溢れた笑顔を向けていたのは、先月、美琴の回復に一役買ってくれた長身ポニーテールの、美琴がうらやむ胸部の持ち主たる、ただ、臍だしTシャツはともかくとして、左足の太もも付け根までジーンズを切っているファッションだけがどうしても理解できない細目の美女だった。
イギリス清教傘下、天草式の女教皇(プリエステス)、そして世界でも二十人ほどしかいない、魔術側の最高峰である『聖人』の。
神裂火織がそこにいた。
「むむ。なんだか今日は珍しい」
「お前も弁当か?」
「ただでやるおかずはない。やるならトレード」
「……何か、以前にもこんな会話があったような……」
どことなく自然な佇まいで涼やかな表情をしているのだが、内心はバクバクの、学生服よりも巫女装束が似合いそうな姫神秋沙がお弁当を包んだピンクのハンカチの結び目を持ちつつ、本日のお弁当を取り出して机の上に置いた上条当麻の前の机の椅子を反対にして、上条の向かいに座る。
「ちなみに今日はフロントホックだから」
「………………何の話だ?」
意味不明の姫神の発言に、上条は怪訝になりながら、自身の弁当の包みをほどいた。
――!!
姫神の表情が、一瞬で、背景ごと協調反転したような感じで、強張った。
そんな眼前の姫神を見ることなく、いや、上条もまた、弁当の中身を見て驚嘆に硬直したのだ。
無理もない。
素っ気無い弁当箱に似つかわしくないばかりか、幕の内弁当と比べても遜色のないラインナップできちんと陳列されたおかずとご飯がそこにあったからだ。
ジューシーそうなのに見た目で判断できるほど完全に油が切られて、さっぱり味に仕上がっているであろうトンカツ。
焼け具合もタレの仕込み具合も完璧な色彩を誇っている鮭の照り焼き。
トマトをくりぬいた器に、鼻腔くすぐるドレッシングを施された野菜サラダ。
切ってあるので見える柔らかなはんぺんを挟み込んだ、ふんわり感抜群の卵焼き。
他のおかずに水気が飛んでいないのに、艶々で瑞々しくふっくら炊かれた白ご飯。
なんだか、これもミスター何某に出てきた気がする弁当の折衷っぽいのだが、全て輝いて見えるのは気のせいだろうか。
「すご……!」
感嘆のセリフは上条のすぐ傍から聞こえてきて、その声に上条はようやく我に返る。
声をした方に目を移せば、巨乳でおでこで可愛いのに色っぽさをまったく感じない吹寄整理の呆然とした顔があり、
「これ……カミやんが作ったん……?」
さらに震える声が聞こえてきた方へと視線を向ければ、そこには、いつもは笑い目なのに、今日に限っては目を見開いている長身の青髪ピアスがいて、
「ば、ばか! こんなの俺に作れるかよ! これは御坂と白井が――って、はっ!」
あまりの凄さを誇るお弁当に、興奮してしまった上条は、思わず言ってはならないことを口にした。
もちろん、姫神、吹寄、青髪ピアスは聞き逃さない。
「みさか……って、まさか、常盤台の超電磁砲……? 学園都市に『みさか』という名前は彼女以外居ないはずだけど……」
「しらい……って、超電磁砲の名前が出てきたってことは、ひょっとして、風紀委員の空間移動能力者で、超電磁砲の露払いをしている……?」
クリスマスの朝に、上条を見舞いに行った際の、上条が居た病室の表札の名前を思い出した姫神と、学園都市行事の運営委員を結構やっているので風紀委員とは妙なところで顔を合わせることが多い吹寄が、思いっきり不信感たっぷりの声色で、上条を問い詰めるように呟いて、
「……常盤台ってお嬢様学校で有名な『女子校』でっせ……カミやん、また……?」
青髪ピアスも恨みがましく言い募る。
ちなみに、どうでもいいことかもしれないが、学園都市には、『みさか』という名の少女が、ある意味、美琴以外に、少なくとも十人ほど居るのだが、これを知っているのは極一部の人間だけである。
「ああ……それはその……」
上条の顔が愛想笑いに引きつった。
ちなみに土御門元春は事情を知っているので、上条に詰め寄る三人の後ろからニヤニヤしながら眺めているだけである。
一応、上条の目には土御門が映っていて、ちゃんと、ヘルプコールもアイコンタクトで送ったのだが、むろん、それは華麗にスルーされた。
はたして、上条はちゃんと昼食にありつけるのだろうか。
いや、上条はちゃんと、この昼食にありつけなければならない。
そうでなければ、後ほど、今以上の不幸が確実に待っているからだ。
「つ、疲れましたわ……」
白井黒子が、心の底から脱力して中庭の丸テーブルに突っ伏している。
「どうしたんだよ?」
それをきょとんと見つめる、外見と声色が御坂美琴のインデックスは、白井の正面に座っていた。
すでに二人分の弁当は広げられ、しかし、食べているのはインデックスだけである。
メニューは、いくつかのキャンディーのように包み込んだロールサンドイッチに、籠のように練りこんだパンを揚げたものが四つ、その中はそれぞれ、フグの白子、野菜サラダ、マッシュポテト、チーズをまぶしたホワイトソースのマカロニグラタンが入っており、リンゴジュースにリンゴのムースがデザートして彩りを華やかにしている。
しばしの間、インデックスの咀嚼する音響だけが響き、
「くろこ?」
へんじがない。ただのしかばねのようだ。
「………………何ですの? 今の天の声のようなものは……」
「ん? 意味不明なんだよ?」
「いえ……何でもありませんわ……」
ようやくインデックスに返事をして、ふらりと、重そうに顔を上げる白井。
自分の弁当に手をつける。
ところでインデックスなのだが、普段のインデックスであれば、その食欲は、ほとんど際限がないもののはずなのに、今日は、白井のお弁当を強奪することなく、自分の分だけで、すでに満腹感に支配されていた。
理由は単純。
体が御坂美琴のものであるからだ。
「それにしても『お姉様』。お願いですから、少しは行動を抑えていただかないとわたくしの身が持ちません」
「む……」
溜息交じりで自嘲気味の白井の言葉に、少し不機嫌にはなるが、その通りなので、どちらかといえばバツが悪いインデックスは呻くしかできない。
無理もない。
一時間目の外国語の『文法』の講義では、教師と「会話したりヒアリングの方が大事なんだよ」と口論してるわ。
二時間目の経済戦略論では、宗教思想を持ち出して、(学園都市の学生からすれば)意味不明の説教を始めるわ。
三時間目の家庭科では、ペルシャ絨毯のほつれの直し作業中にイライラして、逆にほつれを破れにしてしまうわ。
四時間目の美術では、目の前のモチーフを無視して多彩な色を飛び散らせながら勝手気ままに落書きに勤しむわ。
と、一時間目の段階で常盤台全体に御坂美琴の中身が別人になったんじゃないかって思われるくらい異様な状態である、と、分かってもらえたとは言え、トラブルを起こすたびに、白井は呼び出されて、監督責任ということで、講師全員からありがたい説教を受けたのである。
はっきり言ってしまえば、白井黒子には何の罪もないわけで、それなのに、インデックスのとばっちりで朝から憂鬱な目に合っているというのに、それでもブチ切れずに、インデックスに懇願している辺り、白井黒子の人としての大きさが表れていると言ってもいいのかもしれない。それともこれば常盤台の指導の賜物なのだろうか。
「もう、わたくしが呼び出されることがありませんよう、振舞ってくださいな」
「……ど、努力はするから……」
苦笑ではあるが、本当に怒りを感じない母親のような愛情溢れる笑顔の白井に、さすがに少しは罪悪感を感じ始めて、俯き気味に、少し顔を紅潮させて受け入れるインデックス。
しかし、二人は知らない。
午後からのインデックスの受ける講義が、礼儀指導とコンピュータ講習であることを。
お昼休み終了十分前。
しかし、いまだに上条は食事にありつけていなかった。
理由は至極単純。
土御門以外のクラスメイト全員から尋問攻めにあっていたからである。
もっとも、上条は黙秘権を貫き通していた。
口を滑らせてしまったとは言え、御坂美琴と白井黒子が、どうして上条当麻の昼食を作ったのかという背後関係だけは、このクラスメイトにだけは知られるわけにはいかなかったからだ。
単純な偶然が引き起こした入れ替わりなら、ある意味、問題はないだろう。
だが、今現在、インデックスと美琴が入れ替わった理由が分からない。
何か、危険な陰謀渦巻く謀略ではない、と、言い切れない以上、ただでさえ、十二月に心底世話になったクラスメイトたちを巻き込むのは申し訳が立たない、と上条当麻は考える。
事情を知っていて、かつ協力を依頼した土御門だけは例外だとしても。
「上条当麻! いつまで、そうやって黙っているつもり! なんなら強硬手段に及んでもいいのよ!」
吹寄整理が、両手を組んで指をボキボキ鳴らしつつ、危険な笑顔で迫ってくる。
ちなみに彼女の場合の『強硬手段』とは硬質オデコを利用した頭突きであるから指を鳴らす必然性はあるのだろうか。
もっとも、彼女の頭突き攻撃は、ひょっとしたら、とある窒素を利用した装甲を作り出すレベル4の少女と互角かもしれない、とか思う。
が、いつもなら救いの女神が上条に微笑みかけることは皆無だというのに、今回に限っては、何故か、救いの神が居たのである。
これはひょっとしたら、上条の『クラスメイトは巻き込みたくない』という殊勝な心が、本来なら蟻の触角ほどの先もなさそうな『幸運』を呼び寄せたのかもしれない。
その救いの主の名は『携帯電話』という端末機械である。
プルルルルルル。
「あ……!」
「む、上条! 貴様、携帯の電源を切っていなかったのか! くっ、仕方ない。とにかく、さっさと用事を済ませて来なさい!」
さすがに吹寄も、携帯に出るな、とは言えなかった。
学校に居ることが分かっていながら、かかってきたのだ。相手が友人の馬鹿話である可能性も否定できないが、もしかしたら、家族からの緊急の用事の可能性もあるからだ。
「お、おう!」
頷いて、上条は走って教室の外へと向かう。
「んな!?」
廊下の向こうへと視線を向けた途端、そこには土御門元春がいた。
ついでに言うなら、上条の弁当包みをひけらかしていた。
「カミやん。昼食にありつくなら今だにゃー」
「恩に切るぜ、土御門!」
にたにた笑顔の土御門に、会心の笑顔を浮かべる上条は、土御門と供に廊下を走る。行き先は屋上。
電話の相手が『インデックス』になっている以上、そこでしか、この電話に出るわけにはいかないからだ。
インデックスの姿をしている御坂美琴は上条当麻に電話をかけていた。
しかし、なかなか出ない。とにかく出ない。拠所なく出ない。
「うがぁぁぁ! あいつはいったい何やってんのよぉぉぉ! そんなに私からの電話は出たくないんかああああああああああああ!」
いつもの美琴なら、この辺りで携帯電話を完全にショートさせてしまいそうなものだが、今の美琴は、幸か不幸か電撃を出せないので、インデックスの電話が惨劇に見舞われることはなかった。見舞われることはなかったのだが、どことなく、握り潰してしまいそうな雰囲気ではある。
「まあまあ落ち着いてください。彼にも何か事情があるのでしょう。もうしばらくしてから、かけ直してみては?」
そんな美琴の様子を、どこか母親が、駄々をこねる小さい子供を愛でるような瞳で見つめる神裂が優しく嗜める。
「うぅ……そうするしかないか……」
その神裂の言葉に、ちょっと心残りを持ったまま、美琴はそれでも素直に従おうとして、
『わりぃ! 御坂、出るのが遅くなっちまった!』
「遅すぎるわよっ! この、ど馬鹿!」
ところが、切ろうとした瞬間に、相手が電話を取ったものだから、思わず怒鳴りつけてしまったのである。
神裂の自嘲と苦笑を足した笑顔は濃くなり、美琴からは見えないが、後頭部にはでっかい玉の汗を浮かべていた。
相変わらず上条と美琴は気が合うんだか合わないんだか、よく分からないやり取りになる二人である。
それはともかく、とりあえず美琴はどうしても聞いておかなければならないことがあったので、
「ねえ、アンタの知り合いに土御門って男の人がいるの?」
もしかしたら土御門舞夏の関係者かも、と一瞬、考えた美琴ではあるが、それは現状では関係がない話なのでおいておくとして、上条の返事を待つ。
しかし、電話の向こうの相手は、何故か、不満げな声をあげた。
632 名前: Change3-8 [sage] 投稿日: 2011/07/05(火) 20:30:38 BFTAIU2c
『……あのなあ、いきなりのお前の大声で、上条さんの耳が大変なことになっているわけなんですが、その辺りはスルーして、普通に会話を始めるのか?』
「どうでもいいじゃない。こっちだって聞きたいことがあったんだから。それに耳が痛くなりたくなかったら、ちゃんと即座に電話を取ればいいだけよ」
『そりゃそうだけど……ちょっとは、こっちで何かあったとか思ってほしいところなんだが……』
「で、どうなの? アンタの知り合いに土御門って人いる?」
『ああ、いるが……それがどうした? と言うか、今、隣にいるぞ』
「そうなの? じゃあさ、アンタはその人に私とあのちっこいのの話をしたの?」
『まあな。この場だから話せるが、あいつは魔術師でもあるんでね。今回の件で、お前や白井も『魔術』を利用しようとしたのと同じで、俺も『魔術』見地から調べてみることにしようとしたって訳だ」
「そういうこと、か……ああビックリした」
『どうした?』
「いやね、いきなりアンタの部屋に来訪があったし、その人が、見た目が違うのに『私』の名前を呼んだから、ちょっと驚いちゃったのよ。んで、話を聞いてみると、アンタの知り合いの土御門って人に頼まれた、って言ったからさ。一応、確認させてもらったの」
『あん? そいつって俺と土御門両方の知り合いってことか?』
「うん。神裂火織って名乗ってるし、今も隣にいるわよ」
『なるほどな。なら、心配するな。そいつは間違いなく俺の知り合いで、土御門もインデックスも知ってる奴だ』
「分かったわ。じゃあ、後でみんなで落ち合いましょ。神裂さんも含めて、今後のことはみんなで話し合った方が良さそうだし。そっちも土御門さんを連れてきて」
『おう。あの公園でいいか? 俺の学校からもお前、と言うか、インデックスと白井が行っている常盤台からもちょうどいい距離だしな』
「それでいいわ。黒子たちには私から連絡しとくから。じゃ、また後で」
『ああ、またな』
「って、ちょっと待った!」
にこやかな笑顔を浮かべて、電話を切ろうとした美琴はふと思い出す。電話の向こうの相手も、にこやかな笑顔で切ろうとしていた雰囲気は醸し出していたのだが。
『おま……だから、デカイ声出すなって……』
「あ、ごめんごめん。でも、ちょっと気になったことがあって」
『なんだよ?』
「ちゃんと、お弁当の感想も聞かせてもらうからね?」
『――――――――!!』
「何よ、その間を空けたダブルエクスラメーションマークは?」
『いや、それが分かるお前はスゲエよ。あと、心配するな。なんとか、今からありつけそうだからな』
「は?」
『い、いや、何でもない! てことは用件はこれでお終いだよな!? じゃ、じゃあ、また後でな!』
なにやら電話の向こうの相手は捲くし立てるように言って、こっちの返事も聞かずに電話を切ってしまったのだ。
しばし受話器を見つめる美琴。
「なんなの……?」
訝しげな表情で、ポツリと漏らす彼女の問いに答えられる者は誰もいない。
その日の放課後。
御坂美琴の姿をしたインデックスは一人、白井から伝えられた集合場所へと歩みを進めていた。
そう、一人である。
むろん、その理由は言うまでもないと思うが、午後からの講義で、また、インデックスがやらかしたからである。
インデックスと御坂美琴が入れ替わっている。
それを知っているのは、当人たちを除けば、上条当麻、白井黒子といった二人の共通の知人たちであり、上条が相談を持ちかけた神裂火織と土御門元春、そして、日本には来ていないがステイル=マグナスの三人と、白井が事情説明した常盤台中学学生寮の寮監殿の、計六人だけなのだ。
つまり、本当の事情を知らない常盤台の教師たちは、美琴の精神状態が異様なだけとしか思っておらず、かと言って、まさかインデックス本人に説教してもどうにもならないことくらいは理解できているので、結果、矛先がいつも一緒にいる白井黒子に向いてしまうのは仕方がないところなのだが、白井にとっては本当に迷惑なことだろう。
ちなみに、インデックスは、自分の行動によって白井が怒られていることは理解できていても、実のところ、自分のどこに非があったのかは全然理解できていなかったりする。
それ故、最初は白井を守るべく、教師たちを敵視して突っ掛かって行こうとしたというエピソードはあったのだが、それは全て白井によって窘められたという経緯があったのだ。
だから今、インデックスは白井への贖罪と、いったい自分の何がいけなかったのだろうという疑問を抱えたまま、ここに至る。
言うまでもなく、白井黒子は居残りでインデックスの代わりにお説教を聞く羽目になってしまっているので、先にインデックスが行動していたのだ。
もちろん、当初、インデックスは白井を待っていると提案したのだが、白井自身がテレポートで追いつけることを告げて、先に行くよう促したのである。もっとも本当の理由は、この説教がいつ終わるかも知れず、それでまた一悶着あっては敵わないからだ。むろん、それはインデックスには言っていないのだが。
と言うわけでインデックスは一人、集合場所へと向かう。白井から聞いた上条との集合場所は、昨日、自分と美琴が入れ替わってしまった自販機の前だった。考え事をしていても、前さえ向いていれば、インデックス自身も何度も行っている場所だけに、たとえ体という器が違おうとも、間違うことはない。
「むぅ。それにしても短髪もくろこも随分寒い格好してるかも。これだと体調崩すかもしれないくらいスカートの丈が短いし」
普段、年がら年中、全身をすっぽり覆う白い修道服を身に纏うインデックスからすれば、常盤台中学の制服はちょっとした異文化なのかもしれないが、ただ、確かに常盤台中学のスカートの丈は短い。他の学校の大半は膝上か膝下、短くてもせいぜい太ももの真ん中辺りなのに、常盤台に限って言えば、ほとんど足の付け根寸前なのだ。いったい誰の趣味なのだろうか。それとも女子校だったり淑女育成校だったりするから、嗜みには自信があるのだろうか。
それはさておき、もうすぐ例の公園の手前まで来たところで。
「や、やめて下さい!」
という、懇願否定形の言葉が、すぐ傍の路地裏から聞こえてきた。
「んー?」
当然、インデックスは視線を声のした方へと移す。
敬謙なシスターたる彼女は、困っている人を見過ごすことはない。
例外なく、その人物に手を伸ばし、場合によっては、その人物の障害を取り除くために行動することも多々ある。
見れば、そこには妙な格好をしたモヒカン頭やスキンヘッドやパンチパーマやリーゼントやバンダナを巻いた長髪といった男たち=通称・スキルアウトの連中が背を向けて、誰かを囲っているようだった。
と言っても、男たちの影になっているので、その纏わりつかれている『誰か』の表情を窺い知ることはできない。窺い知ることはできないのだが、さっきの声を聞く限りは少女である、と言うことくらいは分かった。
インデックスは考える、までもなく、声を上げた。
「何やってるんだよ?」
腰に手を当てて、鋭い怒気を孕んだ視線を向けて。
「あん?」「なんだぁ?」
当然、男たちはインデックスに反応する。
「お? なんだ、こっちの彼女も可愛いじゃん。しかも常盤台」
「こらこら、お兄さんたちは今、大事な話の最中なんだから邪魔しちゃいけないよ」
「ま、もっとも、嬢ちゃんも参加したいってなら話は別だけど」
『御坂美琴』の姿を見て取った男たちは、振り向いたときの険悪な視線はどこへやら。
いきなり、下劣な笑みを浮かべて、三人ほどが近づいてくる。
当然、インデックスはその男たちがまともな話し合いをしていたとは思わない。
絶対に、誰かを困らせていたとしか考えない。
「嘘つくんじゃないよ。その子の声は、あなたたちを嫌がってたし。それに、あなたたちからは下劣な雰囲気しか伝わらないんだよ」
力いっぱい核心を突く。
もっとも男たちは、そんな勇ましいインデックスのセリフを鼻で笑い飛ばす。
ただ如何せん、このスキルアウトと呼ばれる連中は頭が悪いのか、ちゃんと学校に通っている学生であれば、常盤台の制服を着ている時点で、その学生が最低でもレベル3の能力者であることは理解できるはずなのだが、見た目だけで自分たちの方が有利だと考える悪癖があるらしく、それを意に反すことはない。それ故、『大馬鹿者』の称号を得ているといっても過言ではないだろう。
「なんだ? 仲間に入れてほしいのか? だったら――」
その内の一人が手を伸ばしてくる。
しかし。
「触らないで」
怒りのままに呟いたインデックスの、正確には、御坂美琴の頭髪の一櫛から放たれる稲光。
「あぐっ!」
それを浴びた男は当然、そのまま衝撃を受けて倒れ伏す。
言うまでもないが、本来の器の持ち主である御坂美琴ではないから威力が彼女よりは落ちるとは言え、それでも、インデックスはレベル4クラスの電撃を放つことはできるのだ。
つまり。
スキルアウトと言うレベル0が何百人でかかっていこうが、インデックスは歯牙にもかけない。かける必要も無い。
殺生しないレベルの電撃でも充分、対処できるということである。
結果、一人の女子学生を取り囲んでいた、スキルアウトは、文字通り、瞬殺で真っ黒焦げと化し、路上に転がる羽目となる。
もっとも、インデックスは、路上に転がる物体よりも、今、自分が振るった力の方に興味が行っていた。
白井曰くの、御坂美琴には劣るとは言え、それでも、路地裏の不良五人をあっさりと瞬殺した力に身を震わせていた。
(この力があれば、とうまを守れるかも……)
などと少し考えたインデックスではあったが、即座に気を取り直し、スキルアウトの残骸には目もくれず、
「大丈夫?」
と、男たちに囲まれていたと思われる女子学生に声をかけた。
「御坂さん!?」
ところが返ってきた驚嘆が含まれた答えは意外や意外。今のインデックスの姿の知り合いだったりしたのだ。
どこにでもありそうな紫色のセーラー服と赤いスカーフ。しかし、ちょっと丈が長めのスカートに、花の形を模したヘアピンをワンポイントにしたストレートのロングヘアの美少女。バストは美琴よりも大きいようなのだが、実のところ、美琴よりも一つ年下の彼女。
インデックスは彼女のことを知らなくても、彼女の方は『御坂美琴』を知っている。
「ありがとう、助かりました!」
心の底から安堵した笑顔を見せる柵川中学一年の佐天涙子がそこにいた。
弁当裁判をなんとか明日に延期させることに成功した上条当麻は土御門元春と供に待ち合わせ場所の公園へと向かっていた。
もっとも、それは土御門の舌先三寸説得のおかげでもあったし、告訴取り下げではなく、延長であるから、おそらく明日は『昨日、裁判を受けておけばよかった』と心から後悔する羽目になることは間違いない。
とは言っても、予知能力を持たない今の上条は、ただただ今日の災難を逃れたことに対して土御門にはどれだけお礼を言っても言い足りない、という心境だったりする。
「それにしても、禁書目録と入れ替わっていたのが、あの常盤台の超電磁砲とは思わなかったにゃー。カミやん、やっぱあの子と妙な運命があるかもよ」
「まあ、なぁ……」
どこかからかい気味に聞いてくる土御門の言葉を上条は、うんざりした表情を浮かべていはいるが、否定はしなかった。それは仕方がない話で、上条自身も自覚しているのだが、昨年六月の出会いから、ことあるごとに顔を合わせることが多いのである。おそらく、月曜から金曜まで必ず顔を合わせているはずのクラスメイトよりも、日数的には多いんじゃないか、ってくらいに。
もっとも、それはさすがに比喩でしかなく、現実的にはクラスメイトと顔を合わせることの方がはるかに多い。
インパクト的に言えば、美琴の方があるってだけの話だ。
とりあえず、それがいったいどんな運命なのかを考えることは放棄して、
「それはそうとすまねえな。何かお前を巻き込んじまったみたいで」
「なーに気にすることはないぜよ。俺もカミやんを俺たちの側の事情に巻き込んだことが多々あるにゃー。ギブアンドテイクってやつだ」
苦笑の上条に、まるで気にしていない笑顔の土御門。
「それに、カミやんに付いていけば、俺も常盤台のお嬢様たちと知り合いになれるわけだから、実のところ、嬉しかったりするぜよ」
「はっはっはー。よーし土御門、先に忠告しておいてやるぞ。女子校に夢見るな」
「なんだそりゃ?」
「ふっふっふっふっふ。お前が思い描いている優雅で高貴で世間知らずなお嬢様方は存在しないという意味だ。少なくともこれから会う相手は、はっきり言って、そういう想像からは対極の位置にいる」
「オイオイ、随分シビアな現実だにゃー。健全な男子高校生の切なる思いを踏みにじらんでくれよ」
「過度の期待は、後の落胆を大きくするだけだ。よって、友達思いの上条さんとしては、落ち込むお前の姿を見たくないから、先に注意してやったのさ」
「そうかい。まあ他ならぬカミやんの忠告だ。受け入れておくことにするぜよ」
そんな会話を交わしながら歩き続けて、公園に入った二人の視線の先には、自販機の前に先に着いていた白い修道服姿の『インデックス』と長身ポニーテールの女侍が飛び込んできた。それでいて、なんとも『インデックス』の表情が苛立っている。両手を腰につけて、薄い胸を張りつつ、どこかふんぞり返っているようにも見える。
「よう、早いな」
上条は、それでも気軽に声をかけた。今日は、絶対に電撃が飛んでこないことを知っているからだ。
しかし、
「遅い! 罰金!」
「いや、それはお前の決め台詞じゃないから」
美琴の、どこかで聞いたような怒声に、上条は大きく脱力してしまうのであった。
確かに上条と一緒にいるときに美琴は、姿かたちはともかく、振る舞い的には、どこぞの山吹色のカチューシャ付きリボンを着けた神様モドキ女子高生に似てないこともないのだが。
636 名前: Change3-12 [sage] 投稿日: 2011/07/05(火) 20:34:33 BFTAIU2c
上条と土御門は近くのベンチに座りつつ、自販機の前でなにやら話し込んでいる美琴を神裂を眺めていた。
もっとも、笑顔で自販機を指差しながら話しかける美琴に、神裂が困った表情で両手をばたばた振っている様を見れば、何を言っているかはだいたい想像できるというものだ。
「おーい御坂、神裂は真面目な奴なんだから無茶言うな」
苦笑交じりで上条が口を挟めば、
「別に無茶なことなんて言ってないわよ。ちょろーっとこの自販機に回し蹴りを入れて、って頼んでるだけなんだから」
美琴はキョトンと素で返してくる。
まあ、確かに自販機に回し蹴りを入れること自体は無理な話ではない。神裂の体術を持ってすれば、足の当たり処が悪くなることなんてないだろうし、太ももの付け根までジーンズを切ってある左足ではなく、ちゃんと足首まで覆われている右足で上段回し蹴りを敢行する分にはパンチラの期待を抱くこともあり得ない。
ただ、物理的に可能なのと倫理的に可能なのとでは、話はまったく違う。
「そりゃ、蹴りを入れることは難しくないかもしれんが、タダで飲料を搾取しようというのはマズイだろ? 俺が言ってるのはそういうことだ」
「と言うか、その前にねーちんが蹴りを入れてしまうと、その自販機は誤作動どころか完全に破壊されてしまう可能性があるにゃー」
「あーその可能性は考慮してなかったなー。そういや神裂の馬鹿力は折り紙つきだったっけ。サンキュー土御門」
「にゃはははははは」
「は?」
もちろん、美琴には上条と土御門が何を言っているのかは理解できない。確かに見た目はプロポーションの割には鍛えこんでいることは分からないでもないのだが、それにしても自販機を破壊してしまうほどの力持ちには見えないのだ。
これは、美琴は知らないことなのだが、言うまでもなく、神裂火織の聖人としての力を指す。しかも、これがまた、常識では計り知れないくらいの馬鹿力なのだ。
力加減を間違えてしまうと土御門が言ったとおりになりかねないし、神裂自身もどれだけの力で蹴ればいいのかも分からない。
ただ、神裂火織という人物は、自分が戦士であるというスタンスを持っていながら、女性としてのプライドも高いのである。
すなわち。
「ほほぉ……上条当麻に土御門……それでは、あなた方相手に入れるべき蹴力の加減を御坂美琴さんからご教授いただくことにしましょうか……」
ベンチでのんきしていた上条と土御門の眼前に立ちはだかった神裂は笑顔を浮かべてはいたが、その目はちっとも笑っていなかった。
女性に対して『馬鹿力』発言は慎むべきだったかもしれなかったが、すでに後の祭りである。
もっとも、起こったかもしれない惨劇は上条と土御門の誠心誠意な土下座と、とりあえずは宥めた方が良いと判断した美琴の口添えによって回避されたことだけは記しておかなければならない。
さて、さらに少々時間は経過して。
「あら? もう皆様、集まっていますわね」
「本当なんだよ」
さらに遅れて、白井黒子と『御坂美琴』の姿をしたインデックスと、
「え? ええ!? あの子が御坂さんなんですかー!?」
『インデックス』の姿を見とめて、素っ頓狂な声を上げる佐天涙子が現れた。
「うわうわ。本当に御坂さんなんですね!? さっき、白井さんから聞いたときはまだ半信半疑だったんですけど、これは信じざる得ませんよ!」
なんとも佐天はハイテンションである。
無理もない。先にも言ったが、『超能力』という六感を超える力が日常の学園都市とは言え、『偶然』と『事故』で人格が入れ替わる、なんて出来事は常軌を逸し過ぎている。
「しかも、かっわいぃぃぃぃぃ! 普段の御坂さんは凛々しくて素敵ですけど、この姿の御坂さんも良いですよ! なんだか庇護欲をそそられる萌えキャラって感じで!」
言って、上機嫌な笑顔で佐天は美琴に抱きついた。
確かに、初めて『インデックス』の姿を見て、まともな人間であれば、そういう印象を抱いても仕方がないというものだ。ただし、その実態が噛み付きビッグイーターであることを知ってしまうと、はたして、それでもそう思えるかどうかは甚だ疑問なところではあるのだが。
「ちょ、ちょっと佐天さん!?」
抱きつかれた美琴はちょっと複雑で困った自嘲の笑顔を浮かべていたが、それでも悪い気はしなかった。
普段と見た目が違う自分なのに、佐天は、いつも通りに接してくれたのだ。実に友達とはありがたいものだと感じてしまうのも無理はない。
これがもし、友達ではない顔見知り程度が相手だとしたら、おそらくその相手は汚物を見るような距離を置いた視線を向けてくることだろう。
だから、いつもと同じで、でも興味津々を体現した佐天の態度が嬉しかった。
「で、何で佐天さんが私のこと知ってるわけ?」
少しほっとした笑顔を見せつつも、それでも、この件に関して言えば無関係のはずの佐天を巻き込んでいる理由は知っておきたい、と言うところだろうか。
ちなみに佐天はいまだに『にゃはー』という笑顔で美琴を抱きしめている。
「どこぞの不良に囲まれているところをインデックスさんが助けたからでございます。ただ、間が悪かったことに、わたくしが居ないときのことでしたので、インデックスさんが対応に苦慮し、もう、誤魔化すことができなくなってしまっていましたから、説明せざる得なくなったためですわ」
「うん。向こうは短髪を知っていたけど、私はるいこのことを知らなかったからね。だから思わず『誰?』って聞いてしまったんだよ」
「あーそういうこと……」
これでは諦めるしかない。
「ったく、これ以上、誰かを巻き込みたくはなかったんだが……まあ、御坂と白井の知り合いならまだマシか……」
上条も頭をぼりぼり掻いていたのだが、ふと疑問を感じることがあった。
「ところで、何で白井はインデックスの傍にいなかったんだ? 今のインデックスの姿を思うと、白井が常に傍にいないとマズイと思うのだが」
「ああ、それはですね――」
上条の問いに、白井は諦観の笑みを浮かべて視線を美琴へと向ける。
もちろん、美琴にはその意味は分からない。普段であれば、ある程度、悟れるかもしれないが、今日は、完全に別行動だったのだ。何か気まずいことがあったことくらいは理解できるとは言え、それが何なのかまでは想像できない。
そんな、小首をかしげてクエッションマークが頭の上に浮かんでそうな美琴に、白井は一度、溜息を吐いた後、意を決して、今日の出来事を、あえて滔々と語るのであった。
その話を聞いて。
「うわあ……それは何と言うか……」
「ええっと、御坂さん、ご愁傷様です……」
「まあ、そうなるだろうぜよ」
「しかし、インデックスは何も知らないのですから、多少は大目に見てあげてもよろしいものではないでしょうか」
上条は、心底、苦虫を潰した顔。
佐天は、もう同情するしかなく。
土御門は、思いっきり他人事で。
神裂は、何やら少し怒っていた。
で、当の御坂美琴はというと、
「ああああああああああああああ………」
真っ赤になっている顔を隠すように、全員に背中を向けてしゃがみ込んで頭を抱えている。
そんな五人の様子を眺めている白井の心境は、これは完全に佐天に同意だった。自身が、もう飽きるほど説教を受けたことよりも、美琴が羞恥に震えていることの方が深刻だったからだ。
と言うか、白井には美琴の気持ちが分かるのだろう。自分の与り知らないところで、『自分』の行動が周りに影響を与えたのだ。しかも良い方向だったならともかく、確実に悪い方向に影響を与えているのである。さすがにこれは誰もが嫌だ。
もっとも、インデックスは何がなんだか分からない。
「ちょっと、とうま。その顔はどういう意味なんだよ?」
「いや……さすがに御坂が可哀相だな、って思ってな……」
むしろ、むくれて上条に詰め寄ってい来るくらいだったりする。
しかも近い。普段のインデックスよりも御坂美琴の体は身長があるし、上条とも七センチメートルしか違わないのである。背伸びすれば、あっさりインデックスが上条と目を合わせられるのだ。
てことで、何かの拍子に、上条が後ろに倒れないことを願うのみなのだが、対する上条は瞳を伏せて、頭を掻いていた。
「むぅ。とうま、それはどういう意味なんだよ?」
しかし、さらにインデックスは詰め寄った。
マジで近い、とにかく近い、これは何かのフラグなくらい近い。
これがいちゃスレなら間違いなく事故が起こる。
事故という名のラッキーイベントと言い換えてもいいかもしれない。
誰にとってのラッキーなのかはこの際、考えないようにしておこう。
もっとも、今、この場では、そのようなイベントは起こるはずもなく、上条は何も意識せずに、目を伏せたまま、インデックスの肩に手を置いて、そっと引き離す。
「そのままの意味だ。とにかく、ちょっとは御坂のことも考えてやれ。今のお前は『御坂』なんだから、お前の行動一つ一つが御坂の評判に影響しちまうんだよ」
少し、厳しい言い方かもしれないが、それでも上条はインデックスを諭すことにした。
真剣に。
誰よりも真摯に。
まるで、父親か兄が、子供か妹を、愛情を持って叱るように。
無理もない。なんと言っても御坂美琴は学園都市に七人しかいないレベル5の第三位だ。それも世界に名立たるお嬢様学校に通う学生なのだ。
当然、その立ち振る舞いには品格が求められて然るべき存在なのである。
そんな堅苦しい振る舞いが美琴にとって良いか悪いかはこの際、置いておくとしても、インデックスによって、美琴の評判が下がるのはいたたまれないことだけは確かだ。
そういう世間体くらいは上条にも分かっている。
まあ、上条が接する普段の美琴を思えば、別段、そこまで気を使う必要は無いのかもしれないが、以前、八月二十一日の、常盤台の学生寮に行ったときに聞いた白井黒子の言葉を思い出せば、罪悪感がはたらくというものである。
「……分かったんだよ」
そんな上条の真剣な瞳を見れば、インデックスも言い返すわけにもいかず、しぶしぶではあったが従うしかなかった。
さて、一段落したところで、神裂が土御門から依頼を受けたことを全員に告げた。
もっとも、調べているのは、今、この場にいない同僚であることを話し、とりあえず、何か分かるまでは、自分は、現時点では何の力もなくなった美琴を護衛するつもりだということを伝えた。
「さてと、そこのお嬢ちゃん?」
神裂の話が終わったところで、土御門が話しかけたのは佐天涙子に対してだ。
「な、何でしょうか?」
少し警戒心を漂わせて、佐天は白井の後ろに隠れてしまう。
無理もない。知人である上条や神裂ならともかく、見た目ツンツン金髪でサングラスをかけている土御門元春は、初めて会った人間からすれば、怪しいことこの上なしなのだ。しかも、美琴や白井でさえも今日が初顔合わせであり、しかも『魔術』側の人ときた。人見知りしても仕方がない。付け加えるなら、上条とも初めて会った佐天である。彼女からすれば、頼れるのは美琴と白井だけなのだ。てことで、怯えるな、という方が無理な話なのだが、
「そんなに怯えなくても大丈夫ぜよ。俺たちは別に嬢ちゃんを取って喰おうなんて思っちゃいない。ただ――」
「『ただ』?」
「禁書目録と超電磁砲が入れ替わっていることを知ってしまった以上、今後も、元に戻るまで付き合ってもらうぜ。それと、このことは他言無用で頼む」
「土御門――!」
久しぶりに見た土御門の真剣な眼差しに上条は息を呑む。
「当然の処置ですね。もっとも、誰かに話したとしても信じてもらえるとは思えませんが」
神裂は鼻で一つ息を吐いた。
「佐天さん……?」
美琴が肩越しに心配げな声をかけ、しかし、佐天は前髪で瞳を隠して沈黙している。
しばし、間を空けて。
「――分かりました」
発した声には、はっきりとした意志が宿っていた。
「偶然ですけど、首を突っ込んでしまったからには、私も責任を果たします」
続けた佐天の表情には不敵な笑みが浮かんでいた。
その後、一同は毎日会合の場を設けることで了承し、その場所は、この自販機の前にするということも決まったのである。
また、今日から神裂が上条の学生寮に寝泊りすることになった。
理由は至極単純。
昨夜の上条と美琴の秘め事未遂事件があったからであり、インデックスと白井の強い要望を受けたからだ。
本当は、白井は今日も外泊許可を取ろうとしていたのだが、さすがに二日連続では出してもらえなかった。
と言うわけで、上条の暴走と美琴の誘惑を阻止するためには、お目付け役を置くしかない、という結論に至り、なんだかとっても只ならぬ雰囲気を醸し出す神裂にお願いした次第である。
実のところ、神裂も上条に気がないわけではないのだが、それを土御門以外は知らない。もちろん、面白そうだから土御門は何も語るはずもない。神裂の方も、それを語ることはないだろう。
もっとも、今日の夜、土御門は間違いなく上条の部屋側の壁に聞き耳を立てているだろうが。
そんなわけで、解散した一行はそれぞれの居住地へと帰っていく。
インデックスと白井黒子は『学舎の園』へ、佐天涙子は自分の学生寮へ、上条当麻と御坂美琴、神裂火織、土御門元春の向かう先は同じだ。
ところで、今日の上条宅の寝所は、美琴と神裂がベッドで上条がバスルームである。
昨夜のことがあったので、美琴も上条のバスルーム行きを止めることはできなかった。
そして。
インデックスと御坂美琴が入れ替わった非日常の二日目は更けていく。
特別、何の進展もないまま。
と言っていたのは誰だっただろうか。
ここは学園都市であり、人口の八割を学生で占めていて、その大半は親元を離れ、一人ないし相部屋での寮生活を余儀なくされている。
そのため、ほとんどの学生の平日の朝の準備は慌しい。
着替えにその日の時間割の確認に朝食、そして、(一部中学も含む)高校以上となれば、購買派や学食派も少なくはないが、お弁当作りも加わる。
これを、六時に起きるなら約二時間内、一時間早く起きしたとしても約三時間でこなさなければならない。
だからこその『戦場』なのだ。
「黒子、その野菜サラダはこっち。あと、卵焼きの具はこっちよ」
「承知いたしましたわ、お姉様。そちらの照り焼きの具合は如何ですか?」
「問題ないわ。私の方はお味噌汁にかかるから、あれとこれとそれを頼むわね」
「了解です。インデックスさん、サンドイッチの準備はできていますの?」
「うん。こんな感じでどうかな?」
「問題無しですわ。では次に、このミキサーに剥き身ののリンゴをかけて」
「OKなんだよ」
女三人寄れば姦しい、とはよく言ったものだ。
と、思わなくもないが、この騒がしさは姦しいのではないので、騒々しさの意味合いが違う。
なんと言っても、今、この三人は三人分のお弁当、そして朝食の準備を同時にしているのである。騒がしくても当然と言えよう。
上条家のキッチンがえらいことになっている。
えらいことになっていると言っても、何かが散乱しているのではなく、ガス、電気問わず、全料理器具がフル稼働しているという意味だ。
そんな三人の様子に、いや、正確にはありえないはずの状況を目の当たりにして、上条当麻はバスルームから出てきたなり、固まってしまったのであった。
(ええっと……インデックスの中身は御坂だったよな? だから『インデックス』が厨房に立っているのは当然として、んで、白井はそのままのはずだから、御坂の中身がインデックスってことは……って、ええ!? あのインデックスが、喰うしかできないインデックスが、食事作りの手伝いをしてるだってええええええええええええ!?)
とまあ、こういう理由で。
「あ、とうま、おはよう」
「おはようございます殿方様」
「おはよ。よく眠れた?」
三人が上条に気づく。忙しいので短いながらもきちんと挨拶する。
「あ、ああ……おはよう……?」
まだ上条が愕然から戻らない。
そんな上条の様子を怪訝に思ったインデックスが問いかける。
「どうしたの? とうま」
「い、いや……お前が朝食のつまみ食いをしないで、御坂と白井の手伝いをしているのが信じられなくて……」
「うぐ……」
呆然としたまま返す上条に、図星を付かれて呻くインデックス。
「ふふっ。わたくしがインデックスさんに教えて差し上げましたのよ。『料理ができる女性は日本人男性のポイントが高い』と。そうしましたらインデックスさん、張り切ってわたくしたちの手伝いをすると言って下さいましたの」
「……黒子、余計な真似を……」
「何か言いまして、お姉様?」
「なんでもないわよ」
すっとぼけて聞こえない振りをしてまで聞いてきた白井に、それが分かっている美琴は憮然と返すしかできなかった。
少なくとも『料理』に関して言えば、確実にインデックスをリードしていた美琴は面白くない。
ちなみに(寝るときは上条のYシャツを失敬した)インデックスと白井はすでに制服に着替えていて、エプロン装備である。いったいどこにエプロンがあったのかというと、それは単に上条のエプロンを借用しただけであり、二着しかなかったので、制服を汚すわけにもいかないインデックスと白井がエプロンをしているということだ。美琴はパジャマのままなので、上条たちが学校へ行っている間に洗ってしまえばいいだけの話である。
ただ、セレブな常盤台の制服に、安物で白のエプロンと三角頭巾という出で立ちが妙に似合っているように見えるのは何故だろう?
美琴(中身インデックス)と白井の素材がいいからなのか、それとも『制服にエプロン』が上条的にツボなのか。
とりあえず、立ち直った上条は、学ランと下に着る黄色地に赤のラインが入った長袖Tシャツを持って再びバスルームへ。
626 名前: Change3-2 [sage] 投稿日: 2011/07/05(火) 20:24:28 BFTAIU2c
出てくる頃にはちょうど、朝食の準備も終わり、決して大きくない正方形の座卓から溢れんばかりの料理が並べられていた。上条の分が白いご飯にお味噌汁、ダシ巻き卵と大根おろしをちょこんと盛った焼き魚にお茶で、インデックス、美琴、白井は二枚のマーマレードを引いたトーストとハムエッグ、サラミ入り野菜サラダに紅茶という一人当たりのメニューとしてはお皿の数が多いわけでもないのだが、それでも多く見えるのは四人分あるからである。
「何で、俺だけメニューが違うんだ……?」
「あら? 殿方様というものは婦人お手製の場合の嗜好のメニューは、そちらが定番とお聞きしてましたので、喜んでもらえると思っていたのですが、上条さんは違うのですか? 異論はあるかもしれませんが、わたくしたちはハムエッグとご飯というメニューにどうしても馴染めませんでして、ダシまき卵という形を取らせていただきました次第ですの」
上品にトーストを咥えていた、正座の白井がキョトンとした素で聞き返す。
ところで、配置だが、上条の正面に白井、両隣が右にインデックス、左に美琴である。
「いやまあ……定番っちゃ定番なんだが、一人だけ違うメニューってのは何と言うか侘しいと言うか寂しさを感じると言うか……」
「複雑ねぇ……」
「わふぁひは、ふぉっっふぃふぇもふぃふぃふぁな」
美琴が嘆息しつつサラダを口に運べば、インデックスはハムエッグを口いっぱいに頬張って自分の主張。ちなみにインデックスは「わたしは、どっちでもいいかな」と言っている。
少し不満を感じた上条ではあったが、それでも、料理に箸をつけた途端、そんなわだかまりは吹き飛んだ。
昨日の夕食もそうだったのだが、美琴はもちろん、白井の腕もまた並ではないということを、こういう単純なメニューでも証明されたからである。
「んじゃあ、これがアンタのお弁当で、こっちの二つが黒子たちの分ね。後片付けは私がやっとくから」
美琴が笑顔で、それぞれ渡す。
「わりい。頼むぜ御坂」
「では、お姉様、よろしくお願いいたします」
「行ってきますなんだよ」
三人はそれぞれ、美琴に見送られながら玄関を後にした。
上条は玄関から飛び出し、そして、
(はたして、今日はどうなるのやら、一抹の不安を感じますわ。逐一、様子を見に行く必要がありますわね)
白井はインデックスの手を掴み、妙な噂が流れるのを憂慮して、テレポートで上条の学生寮から離れることにしたである。
食器洗い、洗濯、部屋の掃除を終えて、一人、美琴は静かにベッドに腰掛ける。
「ふぅ……」
溜息一つ。
専業主婦さながらの、獅子奮迅だったけに疲労が来たのである。ましてや、その身体は普段の自分のものではなく、別の人間のものなのだ。使い慣れていない『器』だけに、もしかしたら疲労は倍増されているのかもしれない。
(昨日はよく観察できなかったけど、ここがアイツの部屋、か……)
特に何もやることがなくなった美琴は何気なく部屋を見渡す。
普段、自分が居住している学生寮と比べるなら、はるかに質素であることくらいは理解できるが、それでも、ここには自分たちの部屋と同じくらいの暖かさを感じた。
楽しい毎日を送る人が住んでいる、ということを実感する。
すでに美琴は、上条に対する自分の気持ちを自覚している。十月のあの夜、普通ではなかった上条を見て、自分の思いを爆発させたときの感情。だからこそ、ロシアまで上条を追いかけた。間違いなく厄介ごとに巻き込まれたであろう上条の力になりたかったから。借りを返す、なんて言葉を用意した辺り、まだ素直になりきれていない点は否めなかったが。
しかし、あの戦争で、誰もがフィアンマを撃退するために奮闘していた中で、誰よりも上条の力になったのは美琴だったことだけは確かだ。
誰も到達できなかった上条当麻の元に唯一到達したのは御坂美琴だけだった。最後の最後まで一緒に居たのは美琴だけだったのだ。
だけど、と、美琴は思ってしまう。
それでもインデックスには敵わない、と。
それは一緒に住んでいるから、とか、この部屋の雰囲気が暖かいから、とか言った理由ではない。
上条が記憶喪失を隠していた理由という名の偽り。それを知ってなお、包み込むように許容したインデックス。
こんな深い絆で結ばれている二人は、そうはいない。自分と上条の間にある『信頼』程度では到底届かない。
「ま、考えても仕方ないんだけどね」
瞳を伏せて、自嘲の笑みを浮かべた美琴は一人呟きつつ、思考を中断する。
『ベツレヘムの星』で自分自身に言い聞かせたことを今一度、反芻しながら。
テレビの上のデジタル時計を確認して見れば現在、時刻は午前十一時過ぎ。
(そろそろ、自分の分の昼食を準備しようかしらね)
などと考えつつ、ベッドから腰を浮かせた美琴は、キッチンへと歩みを進めて、
ぴんぽーん♪
「え?」
突然、響いた呼び鈴。
学園都市では、八割が学生のため、この時間帯の学生寮に人がいる、と考える人間はほとんど居ない。
ゆえに何かの勧誘だとしても、この時間帯は来るはずもない。
やって来るとすれば、今、この部屋に誰かが居ると知っているということに他ならない。
今の自分は『能力』を失っている。ましてやインデックスと入れ替わっている。敵対勢力が来るのは絶対にやばい。
そのことを知っている人間なのか、もしくは、インデックスの知人か――
美琴は警戒心を漂わせて、覗き窓を確認する。
そこに居たのは知らない顔ではなかった。
ある意味、敵対勢力であり、インデックスの知人でもあるのだが。
即座にドアを開ける。
「あなたは――」
「こんにちは。御坂美琴さん」
涼やかで、しかし、自愛に溢れた笑顔を向けていたのは、先月、美琴の回復に一役買ってくれた長身ポニーテールの、美琴がうらやむ胸部の持ち主たる、ただ、臍だしTシャツはともかくとして、左足の太もも付け根までジーンズを切っているファッションだけがどうしても理解できない細目の美女だった。
イギリス清教傘下、天草式の女教皇(プリエステス)、そして世界でも二十人ほどしかいない、魔術側の最高峰である『聖人』の。
神裂火織がそこにいた。
「むむ。なんだか今日は珍しい」
「お前も弁当か?」
「ただでやるおかずはない。やるならトレード」
「……何か、以前にもこんな会話があったような……」
どことなく自然な佇まいで涼やかな表情をしているのだが、内心はバクバクの、学生服よりも巫女装束が似合いそうな姫神秋沙がお弁当を包んだピンクのハンカチの結び目を持ちつつ、本日のお弁当を取り出して机の上に置いた上条当麻の前の机の椅子を反対にして、上条の向かいに座る。
「ちなみに今日はフロントホックだから」
「………………何の話だ?」
意味不明の姫神の発言に、上条は怪訝になりながら、自身の弁当の包みをほどいた。
――!!
姫神の表情が、一瞬で、背景ごと協調反転したような感じで、強張った。
そんな眼前の姫神を見ることなく、いや、上条もまた、弁当の中身を見て驚嘆に硬直したのだ。
無理もない。
素っ気無い弁当箱に似つかわしくないばかりか、幕の内弁当と比べても遜色のないラインナップできちんと陳列されたおかずとご飯がそこにあったからだ。
ジューシーそうなのに見た目で判断できるほど完全に油が切られて、さっぱり味に仕上がっているであろうトンカツ。
焼け具合もタレの仕込み具合も完璧な色彩を誇っている鮭の照り焼き。
トマトをくりぬいた器に、鼻腔くすぐるドレッシングを施された野菜サラダ。
切ってあるので見える柔らかなはんぺんを挟み込んだ、ふんわり感抜群の卵焼き。
他のおかずに水気が飛んでいないのに、艶々で瑞々しくふっくら炊かれた白ご飯。
なんだか、これもミスター何某に出てきた気がする弁当の折衷っぽいのだが、全て輝いて見えるのは気のせいだろうか。
「すご……!」
感嘆のセリフは上条のすぐ傍から聞こえてきて、その声に上条はようやく我に返る。
声をした方に目を移せば、巨乳でおでこで可愛いのに色っぽさをまったく感じない吹寄整理の呆然とした顔があり、
「これ……カミやんが作ったん……?」
さらに震える声が聞こえてきた方へと視線を向ければ、そこには、いつもは笑い目なのに、今日に限っては目を見開いている長身の青髪ピアスがいて、
「ば、ばか! こんなの俺に作れるかよ! これは御坂と白井が――って、はっ!」
あまりの凄さを誇るお弁当に、興奮してしまった上条は、思わず言ってはならないことを口にした。
もちろん、姫神、吹寄、青髪ピアスは聞き逃さない。
「みさか……って、まさか、常盤台の超電磁砲……? 学園都市に『みさか』という名前は彼女以外居ないはずだけど……」
「しらい……って、超電磁砲の名前が出てきたってことは、ひょっとして、風紀委員の空間移動能力者で、超電磁砲の露払いをしている……?」
クリスマスの朝に、上条を見舞いに行った際の、上条が居た病室の表札の名前を思い出した姫神と、学園都市行事の運営委員を結構やっているので風紀委員とは妙なところで顔を合わせることが多い吹寄が、思いっきり不信感たっぷりの声色で、上条を問い詰めるように呟いて、
「……常盤台ってお嬢様学校で有名な『女子校』でっせ……カミやん、また……?」
青髪ピアスも恨みがましく言い募る。
ちなみに、どうでもいいことかもしれないが、学園都市には、『みさか』という名の少女が、ある意味、美琴以外に、少なくとも十人ほど居るのだが、これを知っているのは極一部の人間だけである。
「ああ……それはその……」
上条の顔が愛想笑いに引きつった。
ちなみに土御門元春は事情を知っているので、上条に詰め寄る三人の後ろからニヤニヤしながら眺めているだけである。
一応、上条の目には土御門が映っていて、ちゃんと、ヘルプコールもアイコンタクトで送ったのだが、むろん、それは華麗にスルーされた。
はたして、上条はちゃんと昼食にありつけるのだろうか。
いや、上条はちゃんと、この昼食にありつけなければならない。
そうでなければ、後ほど、今以上の不幸が確実に待っているからだ。
「つ、疲れましたわ……」
白井黒子が、心の底から脱力して中庭の丸テーブルに突っ伏している。
「どうしたんだよ?」
それをきょとんと見つめる、外見と声色が御坂美琴のインデックスは、白井の正面に座っていた。
すでに二人分の弁当は広げられ、しかし、食べているのはインデックスだけである。
メニューは、いくつかのキャンディーのように包み込んだロールサンドイッチに、籠のように練りこんだパンを揚げたものが四つ、その中はそれぞれ、フグの白子、野菜サラダ、マッシュポテト、チーズをまぶしたホワイトソースのマカロニグラタンが入っており、リンゴジュースにリンゴのムースがデザートして彩りを華やかにしている。
しばしの間、インデックスの咀嚼する音響だけが響き、
「くろこ?」
へんじがない。ただのしかばねのようだ。
「………………何ですの? 今の天の声のようなものは……」
「ん? 意味不明なんだよ?」
「いえ……何でもありませんわ……」
ようやくインデックスに返事をして、ふらりと、重そうに顔を上げる白井。
自分の弁当に手をつける。
ところでインデックスなのだが、普段のインデックスであれば、その食欲は、ほとんど際限がないもののはずなのに、今日は、白井のお弁当を強奪することなく、自分の分だけで、すでに満腹感に支配されていた。
理由は単純。
体が御坂美琴のものであるからだ。
「それにしても『お姉様』。お願いですから、少しは行動を抑えていただかないとわたくしの身が持ちません」
「む……」
溜息交じりで自嘲気味の白井の言葉に、少し不機嫌にはなるが、その通りなので、どちらかといえばバツが悪いインデックスは呻くしかできない。
無理もない。
一時間目の外国語の『文法』の講義では、教師と「会話したりヒアリングの方が大事なんだよ」と口論してるわ。
二時間目の経済戦略論では、宗教思想を持ち出して、(学園都市の学生からすれば)意味不明の説教を始めるわ。
三時間目の家庭科では、ペルシャ絨毯のほつれの直し作業中にイライラして、逆にほつれを破れにしてしまうわ。
四時間目の美術では、目の前のモチーフを無視して多彩な色を飛び散らせながら勝手気ままに落書きに勤しむわ。
と、一時間目の段階で常盤台全体に御坂美琴の中身が別人になったんじゃないかって思われるくらい異様な状態である、と、分かってもらえたとは言え、トラブルを起こすたびに、白井は呼び出されて、監督責任ということで、講師全員からありがたい説教を受けたのである。
はっきり言ってしまえば、白井黒子には何の罪もないわけで、それなのに、インデックスのとばっちりで朝から憂鬱な目に合っているというのに、それでもブチ切れずに、インデックスに懇願している辺り、白井黒子の人としての大きさが表れていると言ってもいいのかもしれない。それともこれば常盤台の指導の賜物なのだろうか。
「もう、わたくしが呼び出されることがありませんよう、振舞ってくださいな」
「……ど、努力はするから……」
苦笑ではあるが、本当に怒りを感じない母親のような愛情溢れる笑顔の白井に、さすがに少しは罪悪感を感じ始めて、俯き気味に、少し顔を紅潮させて受け入れるインデックス。
しかし、二人は知らない。
午後からのインデックスの受ける講義が、礼儀指導とコンピュータ講習であることを。
お昼休み終了十分前。
しかし、いまだに上条は食事にありつけていなかった。
理由は至極単純。
土御門以外のクラスメイト全員から尋問攻めにあっていたからである。
もっとも、上条は黙秘権を貫き通していた。
口を滑らせてしまったとは言え、御坂美琴と白井黒子が、どうして上条当麻の昼食を作ったのかという背後関係だけは、このクラスメイトにだけは知られるわけにはいかなかったからだ。
単純な偶然が引き起こした入れ替わりなら、ある意味、問題はないだろう。
だが、今現在、インデックスと美琴が入れ替わった理由が分からない。
何か、危険な陰謀渦巻く謀略ではない、と、言い切れない以上、ただでさえ、十二月に心底世話になったクラスメイトたちを巻き込むのは申し訳が立たない、と上条当麻は考える。
事情を知っていて、かつ協力を依頼した土御門だけは例外だとしても。
「上条当麻! いつまで、そうやって黙っているつもり! なんなら強硬手段に及んでもいいのよ!」
吹寄整理が、両手を組んで指をボキボキ鳴らしつつ、危険な笑顔で迫ってくる。
ちなみに彼女の場合の『強硬手段』とは硬質オデコを利用した頭突きであるから指を鳴らす必然性はあるのだろうか。
もっとも、彼女の頭突き攻撃は、ひょっとしたら、とある窒素を利用した装甲を作り出すレベル4の少女と互角かもしれない、とか思う。
が、いつもなら救いの女神が上条に微笑みかけることは皆無だというのに、今回に限っては、何故か、救いの神が居たのである。
これはひょっとしたら、上条の『クラスメイトは巻き込みたくない』という殊勝な心が、本来なら蟻の触角ほどの先もなさそうな『幸運』を呼び寄せたのかもしれない。
その救いの主の名は『携帯電話』という端末機械である。
プルルルルルル。
「あ……!」
「む、上条! 貴様、携帯の電源を切っていなかったのか! くっ、仕方ない。とにかく、さっさと用事を済ませて来なさい!」
さすがに吹寄も、携帯に出るな、とは言えなかった。
学校に居ることが分かっていながら、かかってきたのだ。相手が友人の馬鹿話である可能性も否定できないが、もしかしたら、家族からの緊急の用事の可能性もあるからだ。
「お、おう!」
頷いて、上条は走って教室の外へと向かう。
「んな!?」
廊下の向こうへと視線を向けた途端、そこには土御門元春がいた。
ついでに言うなら、上条の弁当包みをひけらかしていた。
「カミやん。昼食にありつくなら今だにゃー」
「恩に切るぜ、土御門!」
にたにた笑顔の土御門に、会心の笑顔を浮かべる上条は、土御門と供に廊下を走る。行き先は屋上。
電話の相手が『インデックス』になっている以上、そこでしか、この電話に出るわけにはいかないからだ。
インデックスの姿をしている御坂美琴は上条当麻に電話をかけていた。
しかし、なかなか出ない。とにかく出ない。拠所なく出ない。
「うがぁぁぁ! あいつはいったい何やってんのよぉぉぉ! そんなに私からの電話は出たくないんかああああああああああああ!」
いつもの美琴なら、この辺りで携帯電話を完全にショートさせてしまいそうなものだが、今の美琴は、幸か不幸か電撃を出せないので、インデックスの電話が惨劇に見舞われることはなかった。見舞われることはなかったのだが、どことなく、握り潰してしまいそうな雰囲気ではある。
「まあまあ落ち着いてください。彼にも何か事情があるのでしょう。もうしばらくしてから、かけ直してみては?」
そんな美琴の様子を、どこか母親が、駄々をこねる小さい子供を愛でるような瞳で見つめる神裂が優しく嗜める。
「うぅ……そうするしかないか……」
その神裂の言葉に、ちょっと心残りを持ったまま、美琴はそれでも素直に従おうとして、
『わりぃ! 御坂、出るのが遅くなっちまった!』
「遅すぎるわよっ! この、ど馬鹿!」
ところが、切ろうとした瞬間に、相手が電話を取ったものだから、思わず怒鳴りつけてしまったのである。
神裂の自嘲と苦笑を足した笑顔は濃くなり、美琴からは見えないが、後頭部にはでっかい玉の汗を浮かべていた。
相変わらず上条と美琴は気が合うんだか合わないんだか、よく分からないやり取りになる二人である。
それはともかく、とりあえず美琴はどうしても聞いておかなければならないことがあったので、
「ねえ、アンタの知り合いに土御門って男の人がいるの?」
もしかしたら土御門舞夏の関係者かも、と一瞬、考えた美琴ではあるが、それは現状では関係がない話なのでおいておくとして、上条の返事を待つ。
しかし、電話の向こうの相手は、何故か、不満げな声をあげた。
632 名前: Change3-8 [sage] 投稿日: 2011/07/05(火) 20:30:38 BFTAIU2c
『……あのなあ、いきなりのお前の大声で、上条さんの耳が大変なことになっているわけなんですが、その辺りはスルーして、普通に会話を始めるのか?』
「どうでもいいじゃない。こっちだって聞きたいことがあったんだから。それに耳が痛くなりたくなかったら、ちゃんと即座に電話を取ればいいだけよ」
『そりゃそうだけど……ちょっとは、こっちで何かあったとか思ってほしいところなんだが……』
「で、どうなの? アンタの知り合いに土御門って人いる?」
『ああ、いるが……それがどうした? と言うか、今、隣にいるぞ』
「そうなの? じゃあさ、アンタはその人に私とあのちっこいのの話をしたの?」
『まあな。この場だから話せるが、あいつは魔術師でもあるんでね。今回の件で、お前や白井も『魔術』を利用しようとしたのと同じで、俺も『魔術』見地から調べてみることにしようとしたって訳だ」
「そういうこと、か……ああビックリした」
『どうした?』
「いやね、いきなりアンタの部屋に来訪があったし、その人が、見た目が違うのに『私』の名前を呼んだから、ちょっと驚いちゃったのよ。んで、話を聞いてみると、アンタの知り合いの土御門って人に頼まれた、って言ったからさ。一応、確認させてもらったの」
『あん? そいつって俺と土御門両方の知り合いってことか?』
「うん。神裂火織って名乗ってるし、今も隣にいるわよ」
『なるほどな。なら、心配するな。そいつは間違いなく俺の知り合いで、土御門もインデックスも知ってる奴だ』
「分かったわ。じゃあ、後でみんなで落ち合いましょ。神裂さんも含めて、今後のことはみんなで話し合った方が良さそうだし。そっちも土御門さんを連れてきて」
『おう。あの公園でいいか? 俺の学校からもお前、と言うか、インデックスと白井が行っている常盤台からもちょうどいい距離だしな』
「それでいいわ。黒子たちには私から連絡しとくから。じゃ、また後で」
『ああ、またな』
「って、ちょっと待った!」
にこやかな笑顔を浮かべて、電話を切ろうとした美琴はふと思い出す。電話の向こうの相手も、にこやかな笑顔で切ろうとしていた雰囲気は醸し出していたのだが。
『おま……だから、デカイ声出すなって……』
「あ、ごめんごめん。でも、ちょっと気になったことがあって」
『なんだよ?』
「ちゃんと、お弁当の感想も聞かせてもらうからね?」
『――――――――!!』
「何よ、その間を空けたダブルエクスラメーションマークは?」
『いや、それが分かるお前はスゲエよ。あと、心配するな。なんとか、今からありつけそうだからな』
「は?」
『い、いや、何でもない! てことは用件はこれでお終いだよな!? じゃ、じゃあ、また後でな!』
なにやら電話の向こうの相手は捲くし立てるように言って、こっちの返事も聞かずに電話を切ってしまったのだ。
しばし受話器を見つめる美琴。
「なんなの……?」
訝しげな表情で、ポツリと漏らす彼女の問いに答えられる者は誰もいない。
その日の放課後。
御坂美琴の姿をしたインデックスは一人、白井から伝えられた集合場所へと歩みを進めていた。
そう、一人である。
むろん、その理由は言うまでもないと思うが、午後からの講義で、また、インデックスがやらかしたからである。
インデックスと御坂美琴が入れ替わっている。
それを知っているのは、当人たちを除けば、上条当麻、白井黒子といった二人の共通の知人たちであり、上条が相談を持ちかけた神裂火織と土御門元春、そして、日本には来ていないがステイル=マグナスの三人と、白井が事情説明した常盤台中学学生寮の寮監殿の、計六人だけなのだ。
つまり、本当の事情を知らない常盤台の教師たちは、美琴の精神状態が異様なだけとしか思っておらず、かと言って、まさかインデックス本人に説教してもどうにもならないことくらいは理解できているので、結果、矛先がいつも一緒にいる白井黒子に向いてしまうのは仕方がないところなのだが、白井にとっては本当に迷惑なことだろう。
ちなみに、インデックスは、自分の行動によって白井が怒られていることは理解できていても、実のところ、自分のどこに非があったのかは全然理解できていなかったりする。
それ故、最初は白井を守るべく、教師たちを敵視して突っ掛かって行こうとしたというエピソードはあったのだが、それは全て白井によって窘められたという経緯があったのだ。
だから今、インデックスは白井への贖罪と、いったい自分の何がいけなかったのだろうという疑問を抱えたまま、ここに至る。
言うまでもなく、白井黒子は居残りでインデックスの代わりにお説教を聞く羽目になってしまっているので、先にインデックスが行動していたのだ。
もちろん、当初、インデックスは白井を待っていると提案したのだが、白井自身がテレポートで追いつけることを告げて、先に行くよう促したのである。もっとも本当の理由は、この説教がいつ終わるかも知れず、それでまた一悶着あっては敵わないからだ。むろん、それはインデックスには言っていないのだが。
と言うわけでインデックスは一人、集合場所へと向かう。白井から聞いた上条との集合場所は、昨日、自分と美琴が入れ替わってしまった自販機の前だった。考え事をしていても、前さえ向いていれば、インデックス自身も何度も行っている場所だけに、たとえ体という器が違おうとも、間違うことはない。
「むぅ。それにしても短髪もくろこも随分寒い格好してるかも。これだと体調崩すかもしれないくらいスカートの丈が短いし」
普段、年がら年中、全身をすっぽり覆う白い修道服を身に纏うインデックスからすれば、常盤台中学の制服はちょっとした異文化なのかもしれないが、ただ、確かに常盤台中学のスカートの丈は短い。他の学校の大半は膝上か膝下、短くてもせいぜい太ももの真ん中辺りなのに、常盤台に限って言えば、ほとんど足の付け根寸前なのだ。いったい誰の趣味なのだろうか。それとも女子校だったり淑女育成校だったりするから、嗜みには自信があるのだろうか。
それはさておき、もうすぐ例の公園の手前まで来たところで。
「や、やめて下さい!」
という、懇願否定形の言葉が、すぐ傍の路地裏から聞こえてきた。
「んー?」
当然、インデックスは視線を声のした方へと移す。
敬謙なシスターたる彼女は、困っている人を見過ごすことはない。
例外なく、その人物に手を伸ばし、場合によっては、その人物の障害を取り除くために行動することも多々ある。
見れば、そこには妙な格好をしたモヒカン頭やスキンヘッドやパンチパーマやリーゼントやバンダナを巻いた長髪といった男たち=通称・スキルアウトの連中が背を向けて、誰かを囲っているようだった。
と言っても、男たちの影になっているので、その纏わりつかれている『誰か』の表情を窺い知ることはできない。窺い知ることはできないのだが、さっきの声を聞く限りは少女である、と言うことくらいは分かった。
インデックスは考える、までもなく、声を上げた。
「何やってるんだよ?」
腰に手を当てて、鋭い怒気を孕んだ視線を向けて。
「あん?」「なんだぁ?」
当然、男たちはインデックスに反応する。
「お? なんだ、こっちの彼女も可愛いじゃん。しかも常盤台」
「こらこら、お兄さんたちは今、大事な話の最中なんだから邪魔しちゃいけないよ」
「ま、もっとも、嬢ちゃんも参加したいってなら話は別だけど」
『御坂美琴』の姿を見て取った男たちは、振り向いたときの険悪な視線はどこへやら。
いきなり、下劣な笑みを浮かべて、三人ほどが近づいてくる。
当然、インデックスはその男たちがまともな話し合いをしていたとは思わない。
絶対に、誰かを困らせていたとしか考えない。
「嘘つくんじゃないよ。その子の声は、あなたたちを嫌がってたし。それに、あなたたちからは下劣な雰囲気しか伝わらないんだよ」
力いっぱい核心を突く。
もっとも男たちは、そんな勇ましいインデックスのセリフを鼻で笑い飛ばす。
ただ如何せん、このスキルアウトと呼ばれる連中は頭が悪いのか、ちゃんと学校に通っている学生であれば、常盤台の制服を着ている時点で、その学生が最低でもレベル3の能力者であることは理解できるはずなのだが、見た目だけで自分たちの方が有利だと考える悪癖があるらしく、それを意に反すことはない。それ故、『大馬鹿者』の称号を得ているといっても過言ではないだろう。
「なんだ? 仲間に入れてほしいのか? だったら――」
その内の一人が手を伸ばしてくる。
しかし。
「触らないで」
怒りのままに呟いたインデックスの、正確には、御坂美琴の頭髪の一櫛から放たれる稲光。
「あぐっ!」
それを浴びた男は当然、そのまま衝撃を受けて倒れ伏す。
言うまでもないが、本来の器の持ち主である御坂美琴ではないから威力が彼女よりは落ちるとは言え、それでも、インデックスはレベル4クラスの電撃を放つことはできるのだ。
つまり。
スキルアウトと言うレベル0が何百人でかかっていこうが、インデックスは歯牙にもかけない。かける必要も無い。
殺生しないレベルの電撃でも充分、対処できるということである。
結果、一人の女子学生を取り囲んでいた、スキルアウトは、文字通り、瞬殺で真っ黒焦げと化し、路上に転がる羽目となる。
もっとも、インデックスは、路上に転がる物体よりも、今、自分が振るった力の方に興味が行っていた。
白井曰くの、御坂美琴には劣るとは言え、それでも、路地裏の不良五人をあっさりと瞬殺した力に身を震わせていた。
(この力があれば、とうまを守れるかも……)
などと少し考えたインデックスではあったが、即座に気を取り直し、スキルアウトの残骸には目もくれず、
「大丈夫?」
と、男たちに囲まれていたと思われる女子学生に声をかけた。
「御坂さん!?」
ところが返ってきた驚嘆が含まれた答えは意外や意外。今のインデックスの姿の知り合いだったりしたのだ。
どこにでもありそうな紫色のセーラー服と赤いスカーフ。しかし、ちょっと丈が長めのスカートに、花の形を模したヘアピンをワンポイントにしたストレートのロングヘアの美少女。バストは美琴よりも大きいようなのだが、実のところ、美琴よりも一つ年下の彼女。
インデックスは彼女のことを知らなくても、彼女の方は『御坂美琴』を知っている。
「ありがとう、助かりました!」
心の底から安堵した笑顔を見せる柵川中学一年の佐天涙子がそこにいた。
弁当裁判をなんとか明日に延期させることに成功した上条当麻は土御門元春と供に待ち合わせ場所の公園へと向かっていた。
もっとも、それは土御門の舌先三寸説得のおかげでもあったし、告訴取り下げではなく、延長であるから、おそらく明日は『昨日、裁判を受けておけばよかった』と心から後悔する羽目になることは間違いない。
とは言っても、予知能力を持たない今の上条は、ただただ今日の災難を逃れたことに対して土御門にはどれだけお礼を言っても言い足りない、という心境だったりする。
「それにしても、禁書目録と入れ替わっていたのが、あの常盤台の超電磁砲とは思わなかったにゃー。カミやん、やっぱあの子と妙な運命があるかもよ」
「まあ、なぁ……」
どこかからかい気味に聞いてくる土御門の言葉を上条は、うんざりした表情を浮かべていはいるが、否定はしなかった。それは仕方がない話で、上条自身も自覚しているのだが、昨年六月の出会いから、ことあるごとに顔を合わせることが多いのである。おそらく、月曜から金曜まで必ず顔を合わせているはずのクラスメイトよりも、日数的には多いんじゃないか、ってくらいに。
もっとも、それはさすがに比喩でしかなく、現実的にはクラスメイトと顔を合わせることの方がはるかに多い。
インパクト的に言えば、美琴の方があるってだけの話だ。
とりあえず、それがいったいどんな運命なのかを考えることは放棄して、
「それはそうとすまねえな。何かお前を巻き込んじまったみたいで」
「なーに気にすることはないぜよ。俺もカミやんを俺たちの側の事情に巻き込んだことが多々あるにゃー。ギブアンドテイクってやつだ」
苦笑の上条に、まるで気にしていない笑顔の土御門。
「それに、カミやんに付いていけば、俺も常盤台のお嬢様たちと知り合いになれるわけだから、実のところ、嬉しかったりするぜよ」
「はっはっはー。よーし土御門、先に忠告しておいてやるぞ。女子校に夢見るな」
「なんだそりゃ?」
「ふっふっふっふっふ。お前が思い描いている優雅で高貴で世間知らずなお嬢様方は存在しないという意味だ。少なくともこれから会う相手は、はっきり言って、そういう想像からは対極の位置にいる」
「オイオイ、随分シビアな現実だにゃー。健全な男子高校生の切なる思いを踏みにじらんでくれよ」
「過度の期待は、後の落胆を大きくするだけだ。よって、友達思いの上条さんとしては、落ち込むお前の姿を見たくないから、先に注意してやったのさ」
「そうかい。まあ他ならぬカミやんの忠告だ。受け入れておくことにするぜよ」
そんな会話を交わしながら歩き続けて、公園に入った二人の視線の先には、自販機の前に先に着いていた白い修道服姿の『インデックス』と長身ポニーテールの女侍が飛び込んできた。それでいて、なんとも『インデックス』の表情が苛立っている。両手を腰につけて、薄い胸を張りつつ、どこかふんぞり返っているようにも見える。
「よう、早いな」
上条は、それでも気軽に声をかけた。今日は、絶対に電撃が飛んでこないことを知っているからだ。
しかし、
「遅い! 罰金!」
「いや、それはお前の決め台詞じゃないから」
美琴の、どこかで聞いたような怒声に、上条は大きく脱力してしまうのであった。
確かに上条と一緒にいるときに美琴は、姿かたちはともかく、振る舞い的には、どこぞの山吹色のカチューシャ付きリボンを着けた神様モドキ女子高生に似てないこともないのだが。
636 名前: Change3-12 [sage] 投稿日: 2011/07/05(火) 20:34:33 BFTAIU2c
上条と土御門は近くのベンチに座りつつ、自販機の前でなにやら話し込んでいる美琴を神裂を眺めていた。
もっとも、笑顔で自販機を指差しながら話しかける美琴に、神裂が困った表情で両手をばたばた振っている様を見れば、何を言っているかはだいたい想像できるというものだ。
「おーい御坂、神裂は真面目な奴なんだから無茶言うな」
苦笑交じりで上条が口を挟めば、
「別に無茶なことなんて言ってないわよ。ちょろーっとこの自販機に回し蹴りを入れて、って頼んでるだけなんだから」
美琴はキョトンと素で返してくる。
まあ、確かに自販機に回し蹴りを入れること自体は無理な話ではない。神裂の体術を持ってすれば、足の当たり処が悪くなることなんてないだろうし、太ももの付け根までジーンズを切ってある左足ではなく、ちゃんと足首まで覆われている右足で上段回し蹴りを敢行する分にはパンチラの期待を抱くこともあり得ない。
ただ、物理的に可能なのと倫理的に可能なのとでは、話はまったく違う。
「そりゃ、蹴りを入れることは難しくないかもしれんが、タダで飲料を搾取しようというのはマズイだろ? 俺が言ってるのはそういうことだ」
「と言うか、その前にねーちんが蹴りを入れてしまうと、その自販機は誤作動どころか完全に破壊されてしまう可能性があるにゃー」
「あーその可能性は考慮してなかったなー。そういや神裂の馬鹿力は折り紙つきだったっけ。サンキュー土御門」
「にゃはははははは」
「は?」
もちろん、美琴には上条と土御門が何を言っているのかは理解できない。確かに見た目はプロポーションの割には鍛えこんでいることは分からないでもないのだが、それにしても自販機を破壊してしまうほどの力持ちには見えないのだ。
これは、美琴は知らないことなのだが、言うまでもなく、神裂火織の聖人としての力を指す。しかも、これがまた、常識では計り知れないくらいの馬鹿力なのだ。
力加減を間違えてしまうと土御門が言ったとおりになりかねないし、神裂自身もどれだけの力で蹴ればいいのかも分からない。
ただ、神裂火織という人物は、自分が戦士であるというスタンスを持っていながら、女性としてのプライドも高いのである。
すなわち。
「ほほぉ……上条当麻に土御門……それでは、あなた方相手に入れるべき蹴力の加減を御坂美琴さんからご教授いただくことにしましょうか……」
ベンチでのんきしていた上条と土御門の眼前に立ちはだかった神裂は笑顔を浮かべてはいたが、その目はちっとも笑っていなかった。
女性に対して『馬鹿力』発言は慎むべきだったかもしれなかったが、すでに後の祭りである。
もっとも、起こったかもしれない惨劇は上条と土御門の誠心誠意な土下座と、とりあえずは宥めた方が良いと判断した美琴の口添えによって回避されたことだけは記しておかなければならない。
さて、さらに少々時間は経過して。
「あら? もう皆様、集まっていますわね」
「本当なんだよ」
さらに遅れて、白井黒子と『御坂美琴』の姿をしたインデックスと、
「え? ええ!? あの子が御坂さんなんですかー!?」
『インデックス』の姿を見とめて、素っ頓狂な声を上げる佐天涙子が現れた。
「うわうわ。本当に御坂さんなんですね!? さっき、白井さんから聞いたときはまだ半信半疑だったんですけど、これは信じざる得ませんよ!」
なんとも佐天はハイテンションである。
無理もない。先にも言ったが、『超能力』という六感を超える力が日常の学園都市とは言え、『偶然』と『事故』で人格が入れ替わる、なんて出来事は常軌を逸し過ぎている。
「しかも、かっわいぃぃぃぃぃ! 普段の御坂さんは凛々しくて素敵ですけど、この姿の御坂さんも良いですよ! なんだか庇護欲をそそられる萌えキャラって感じで!」
言って、上機嫌な笑顔で佐天は美琴に抱きついた。
確かに、初めて『インデックス』の姿を見て、まともな人間であれば、そういう印象を抱いても仕方がないというものだ。ただし、その実態が噛み付きビッグイーターであることを知ってしまうと、はたして、それでもそう思えるかどうかは甚だ疑問なところではあるのだが。
「ちょ、ちょっと佐天さん!?」
抱きつかれた美琴はちょっと複雑で困った自嘲の笑顔を浮かべていたが、それでも悪い気はしなかった。
普段と見た目が違う自分なのに、佐天は、いつも通りに接してくれたのだ。実に友達とはありがたいものだと感じてしまうのも無理はない。
これがもし、友達ではない顔見知り程度が相手だとしたら、おそらくその相手は汚物を見るような距離を置いた視線を向けてくることだろう。
だから、いつもと同じで、でも興味津々を体現した佐天の態度が嬉しかった。
「で、何で佐天さんが私のこと知ってるわけ?」
少しほっとした笑顔を見せつつも、それでも、この件に関して言えば無関係のはずの佐天を巻き込んでいる理由は知っておきたい、と言うところだろうか。
ちなみに佐天はいまだに『にゃはー』という笑顔で美琴を抱きしめている。
「どこぞの不良に囲まれているところをインデックスさんが助けたからでございます。ただ、間が悪かったことに、わたくしが居ないときのことでしたので、インデックスさんが対応に苦慮し、もう、誤魔化すことができなくなってしまっていましたから、説明せざる得なくなったためですわ」
「うん。向こうは短髪を知っていたけど、私はるいこのことを知らなかったからね。だから思わず『誰?』って聞いてしまったんだよ」
「あーそういうこと……」
これでは諦めるしかない。
「ったく、これ以上、誰かを巻き込みたくはなかったんだが……まあ、御坂と白井の知り合いならまだマシか……」
上条も頭をぼりぼり掻いていたのだが、ふと疑問を感じることがあった。
「ところで、何で白井はインデックスの傍にいなかったんだ? 今のインデックスの姿を思うと、白井が常に傍にいないとマズイと思うのだが」
「ああ、それはですね――」
上条の問いに、白井は諦観の笑みを浮かべて視線を美琴へと向ける。
もちろん、美琴にはその意味は分からない。普段であれば、ある程度、悟れるかもしれないが、今日は、完全に別行動だったのだ。何か気まずいことがあったことくらいは理解できるとは言え、それが何なのかまでは想像できない。
そんな、小首をかしげてクエッションマークが頭の上に浮かんでそうな美琴に、白井は一度、溜息を吐いた後、意を決して、今日の出来事を、あえて滔々と語るのであった。
その話を聞いて。
「うわあ……それは何と言うか……」
「ええっと、御坂さん、ご愁傷様です……」
「まあ、そうなるだろうぜよ」
「しかし、インデックスは何も知らないのですから、多少は大目に見てあげてもよろしいものではないでしょうか」
上条は、心底、苦虫を潰した顔。
佐天は、もう同情するしかなく。
土御門は、思いっきり他人事で。
神裂は、何やら少し怒っていた。
で、当の御坂美琴はというと、
「ああああああああああああああ………」
真っ赤になっている顔を隠すように、全員に背中を向けてしゃがみ込んで頭を抱えている。
そんな五人の様子を眺めている白井の心境は、これは完全に佐天に同意だった。自身が、もう飽きるほど説教を受けたことよりも、美琴が羞恥に震えていることの方が深刻だったからだ。
と言うか、白井には美琴の気持ちが分かるのだろう。自分の与り知らないところで、『自分』の行動が周りに影響を与えたのだ。しかも良い方向だったならともかく、確実に悪い方向に影響を与えているのである。さすがにこれは誰もが嫌だ。
もっとも、インデックスは何がなんだか分からない。
「ちょっと、とうま。その顔はどういう意味なんだよ?」
「いや……さすがに御坂が可哀相だな、って思ってな……」
むしろ、むくれて上条に詰め寄ってい来るくらいだったりする。
しかも近い。普段のインデックスよりも御坂美琴の体は身長があるし、上条とも七センチメートルしか違わないのである。背伸びすれば、あっさりインデックスが上条と目を合わせられるのだ。
てことで、何かの拍子に、上条が後ろに倒れないことを願うのみなのだが、対する上条は瞳を伏せて、頭を掻いていた。
「むぅ。とうま、それはどういう意味なんだよ?」
しかし、さらにインデックスは詰め寄った。
マジで近い、とにかく近い、これは何かのフラグなくらい近い。
これがいちゃスレなら間違いなく事故が起こる。
事故という名のラッキーイベントと言い換えてもいいかもしれない。
誰にとってのラッキーなのかはこの際、考えないようにしておこう。
もっとも、今、この場では、そのようなイベントは起こるはずもなく、上条は何も意識せずに、目を伏せたまま、インデックスの肩に手を置いて、そっと引き離す。
「そのままの意味だ。とにかく、ちょっとは御坂のことも考えてやれ。今のお前は『御坂』なんだから、お前の行動一つ一つが御坂の評判に影響しちまうんだよ」
少し、厳しい言い方かもしれないが、それでも上条はインデックスを諭すことにした。
真剣に。
誰よりも真摯に。
まるで、父親か兄が、子供か妹を、愛情を持って叱るように。
無理もない。なんと言っても御坂美琴は学園都市に七人しかいないレベル5の第三位だ。それも世界に名立たるお嬢様学校に通う学生なのだ。
当然、その立ち振る舞いには品格が求められて然るべき存在なのである。
そんな堅苦しい振る舞いが美琴にとって良いか悪いかはこの際、置いておくとしても、インデックスによって、美琴の評判が下がるのはいたたまれないことだけは確かだ。
そういう世間体くらいは上条にも分かっている。
まあ、上条が接する普段の美琴を思えば、別段、そこまで気を使う必要は無いのかもしれないが、以前、八月二十一日の、常盤台の学生寮に行ったときに聞いた白井黒子の言葉を思い出せば、罪悪感がはたらくというものである。
「……分かったんだよ」
そんな上条の真剣な瞳を見れば、インデックスも言い返すわけにもいかず、しぶしぶではあったが従うしかなかった。
さて、一段落したところで、神裂が土御門から依頼を受けたことを全員に告げた。
もっとも、調べているのは、今、この場にいない同僚であることを話し、とりあえず、何か分かるまでは、自分は、現時点では何の力もなくなった美琴を護衛するつもりだということを伝えた。
「さてと、そこのお嬢ちゃん?」
神裂の話が終わったところで、土御門が話しかけたのは佐天涙子に対してだ。
「な、何でしょうか?」
少し警戒心を漂わせて、佐天は白井の後ろに隠れてしまう。
無理もない。知人である上条や神裂ならともかく、見た目ツンツン金髪でサングラスをかけている土御門元春は、初めて会った人間からすれば、怪しいことこの上なしなのだ。しかも、美琴や白井でさえも今日が初顔合わせであり、しかも『魔術』側の人ときた。人見知りしても仕方がない。付け加えるなら、上条とも初めて会った佐天である。彼女からすれば、頼れるのは美琴と白井だけなのだ。てことで、怯えるな、という方が無理な話なのだが、
「そんなに怯えなくても大丈夫ぜよ。俺たちは別に嬢ちゃんを取って喰おうなんて思っちゃいない。ただ――」
「『ただ』?」
「禁書目録と超電磁砲が入れ替わっていることを知ってしまった以上、今後も、元に戻るまで付き合ってもらうぜ。それと、このことは他言無用で頼む」
「土御門――!」
久しぶりに見た土御門の真剣な眼差しに上条は息を呑む。
「当然の処置ですね。もっとも、誰かに話したとしても信じてもらえるとは思えませんが」
神裂は鼻で一つ息を吐いた。
「佐天さん……?」
美琴が肩越しに心配げな声をかけ、しかし、佐天は前髪で瞳を隠して沈黙している。
しばし、間を空けて。
「――分かりました」
発した声には、はっきりとした意志が宿っていた。
「偶然ですけど、首を突っ込んでしまったからには、私も責任を果たします」
続けた佐天の表情には不敵な笑みが浮かんでいた。
その後、一同は毎日会合の場を設けることで了承し、その場所は、この自販機の前にするということも決まったのである。
また、今日から神裂が上条の学生寮に寝泊りすることになった。
理由は至極単純。
昨夜の上条と美琴の秘め事未遂事件があったからであり、インデックスと白井の強い要望を受けたからだ。
本当は、白井は今日も外泊許可を取ろうとしていたのだが、さすがに二日連続では出してもらえなかった。
と言うわけで、上条の暴走と美琴の誘惑を阻止するためには、お目付け役を置くしかない、という結論に至り、なんだかとっても只ならぬ雰囲気を醸し出す神裂にお願いした次第である。
実のところ、神裂も上条に気がないわけではないのだが、それを土御門以外は知らない。もちろん、面白そうだから土御門は何も語るはずもない。神裂の方も、それを語ることはないだろう。
もっとも、今日の夜、土御門は間違いなく上条の部屋側の壁に聞き耳を立てているだろうが。
そんなわけで、解散した一行はそれぞれの居住地へと帰っていく。
インデックスと白井黒子は『学舎の園』へ、佐天涙子は自分の学生寮へ、上条当麻と御坂美琴、神裂火織、土御門元春の向かう先は同じだ。
ところで、今日の上条宅の寝所は、美琴と神裂がベッドで上条がバスルームである。
昨夜のことがあったので、美琴も上条のバスルーム行きを止めることはできなかった。
そして。
インデックスと御坂美琴が入れ替わった非日常の二日目は更けていく。
特別、何の進展もないまま。