[15]Imagine Breaker05―幕間 とある二人の純情
第七学区にある、とある高校の男子寮の一室にある、卓上時計の針が二時半を越えた頃。
部屋の主である上条当麻は死にそうになっていた。
死因は多分――ハラペコ。
空腹とか栄養失調とか、とにかくそういう類の原因で体を動かす活力が沸かない。ぶっちゃけ死にそう。
だから、少年は一人暮らし用に作られたワンルームマンションの狭いキッチン――というか台所に呼びかけた。
「御坂ー、いい加減に腹減ったぞ。このままでは上条さんってば死んじゃうかも――がぁ」
まるで入稿の終わった後の漫画家みたいな格好で、ガラステーブルの上に突っ伏した上条の言葉は、台所から飛んで来た調理器具に
よって中断された。調理器具は上条を撃沈した後に、フローリングの床に二度、三度と跳ね、軽い音を奏でた。
「御坂、『おたま』は結構痛いぞ」
赤くなった額に右手を当てながら、上条の非難がましい声が台所へ飛んだ。
上条の右手に宿る幻想殺しは、いくら痛む場所をさすっても、額の痛みを緩和してくれたりはしてくれない。
「もう少しで出来るから、大人しく待ってなさいよ」
上条が今いる居間兼勉強部屋兼寝床な部屋に隣接している台所から、美琴の声がした。
居間の上条からは、台所でせわしなく動く美琴の後ろ姿が、丁度目に入る。
美琴は仕立ての良い白いブラウスの上に、普段上条が使っているエプロンといった格好。彼女が着ていた常盤台中学指定のコートと
冬服の上着は上条の丁度後ろの壁にハンガーで吊るされていた。
美琴がいるのでおおっぴらに着替える事も出来ず、未だに上条も学生服のままだった。
上条は美琴の後姿に、もう一度声を掛けた。
「御坂ぁ」
「んっ?」
「何か手伝うか?」
「アンタねぇ、それじゃ意味ないでしょうが。まぁその気持ちだけ受け取っておくわ」
半分呆れ、半分照れたようにお嬢様が返答する。口調こそ柔らかいが、断固として台所に入らせないつもりだ。
「そうか?俺が直に見た方がいいような気もするんだが?」
「しつこいわ、アンタが私に話しかけてくる分だけ、食事にありつけるのが遅くなるわよ」
上条と美琴は男子寮の部屋に戻ってきてから、こんな感じの会話を繰り返していた。何回も。実は既に三回目を数える。
あんまり、お嬢様の機嫌を損ねると後が恐いので、上条はリモコンを操作してTVをつけた。
一般的な大きさのTV画面に映し出されたのは、二十代前半の女性レポーターと学園都市の街並。
レポーターはマイクを片手に走りまわり、あちこちを指差しては、その説明に声を弾ませていた。
『クリスマス・イヴを翌日に控えた、地下ショッピングモールではクリスマスカラー一色で飾りつけられ、多くの人々で賑わっていま~
す。学生達は冬休みに突入し、友達、あるいは恋人と一緒に出歩く姿も多いようです。クリスマス・イヴ当日には
煌びやかにライトアップされた演出が恋人達の夜を祝福し、なかでも――』
九月からこっち、幾度と無く破壊されて、その度に修復される地下街。なんだかんだ言っても近くにあるし、若者向けの店の豊富さ
や閉店時間が遅い等、便利な条件が重なるので上条もよく利用する場所だ。美琴とペア登録をした携帯電話の代理店や御坂妹にプレゼ
ントしたアクセサリーの露店などは、まだ記憶に新しい。
「痛っ」
突然、台所から包丁の音が途切れて、小さく美琴の声。
上条はモソモソっと立ち上がり、台所へと入った。
そこには、少し涙目になった美琴が、左手の人差し指に例のキャラクター物の絆創膏を、貼り付けている光景。
「大丈夫か御坂、指切ったか?」
「あわわわ、ゆ、指なんか切ってないわよッ!?入ってくんなって言ってるでしょ!」
上条の姿に気づいて、慌てて左手を腰の後ろに隠した美琴は、上条を台所から追い出した。
部屋の主である上条当麻は死にそうになっていた。
死因は多分――ハラペコ。
空腹とか栄養失調とか、とにかくそういう類の原因で体を動かす活力が沸かない。ぶっちゃけ死にそう。
だから、少年は一人暮らし用に作られたワンルームマンションの狭いキッチン――というか台所に呼びかけた。
「御坂ー、いい加減に腹減ったぞ。このままでは上条さんってば死んじゃうかも――がぁ」
まるで入稿の終わった後の漫画家みたいな格好で、ガラステーブルの上に突っ伏した上条の言葉は、台所から飛んで来た調理器具に
よって中断された。調理器具は上条を撃沈した後に、フローリングの床に二度、三度と跳ね、軽い音を奏でた。
「御坂、『おたま』は結構痛いぞ」
赤くなった額に右手を当てながら、上条の非難がましい声が台所へ飛んだ。
上条の右手に宿る幻想殺しは、いくら痛む場所をさすっても、額の痛みを緩和してくれたりはしてくれない。
「もう少しで出来るから、大人しく待ってなさいよ」
上条が今いる居間兼勉強部屋兼寝床な部屋に隣接している台所から、美琴の声がした。
居間の上条からは、台所でせわしなく動く美琴の後ろ姿が、丁度目に入る。
美琴は仕立ての良い白いブラウスの上に、普段上条が使っているエプロンといった格好。彼女が着ていた常盤台中学指定のコートと
冬服の上着は上条の丁度後ろの壁にハンガーで吊るされていた。
美琴がいるのでおおっぴらに着替える事も出来ず、未だに上条も学生服のままだった。
上条は美琴の後姿に、もう一度声を掛けた。
「御坂ぁ」
「んっ?」
「何か手伝うか?」
「アンタねぇ、それじゃ意味ないでしょうが。まぁその気持ちだけ受け取っておくわ」
半分呆れ、半分照れたようにお嬢様が返答する。口調こそ柔らかいが、断固として台所に入らせないつもりだ。
「そうか?俺が直に見た方がいいような気もするんだが?」
「しつこいわ、アンタが私に話しかけてくる分だけ、食事にありつけるのが遅くなるわよ」
上条と美琴は男子寮の部屋に戻ってきてから、こんな感じの会話を繰り返していた。何回も。実は既に三回目を数える。
あんまり、お嬢様の機嫌を損ねると後が恐いので、上条はリモコンを操作してTVをつけた。
一般的な大きさのTV画面に映し出されたのは、二十代前半の女性レポーターと学園都市の街並。
レポーターはマイクを片手に走りまわり、あちこちを指差しては、その説明に声を弾ませていた。
『クリスマス・イヴを翌日に控えた、地下ショッピングモールではクリスマスカラー一色で飾りつけられ、多くの人々で賑わっていま~
す。学生達は冬休みに突入し、友達、あるいは恋人と一緒に出歩く姿も多いようです。クリスマス・イヴ当日には
煌びやかにライトアップされた演出が恋人達の夜を祝福し、なかでも――』
九月からこっち、幾度と無く破壊されて、その度に修復される地下街。なんだかんだ言っても近くにあるし、若者向けの店の豊富さ
や閉店時間が遅い等、便利な条件が重なるので上条もよく利用する場所だ。美琴とペア登録をした携帯電話の代理店や御坂妹にプレゼ
ントしたアクセサリーの露店などは、まだ記憶に新しい。
「痛っ」
突然、台所から包丁の音が途切れて、小さく美琴の声。
上条はモソモソっと立ち上がり、台所へと入った。
そこには、少し涙目になった美琴が、左手の人差し指に例のキャラクター物の絆創膏を、貼り付けている光景。
「大丈夫か御坂、指切ったか?」
「あわわわ、ゆ、指なんか切ってないわよッ!?入ってくんなって言ってるでしょ!」
上条の姿に気づいて、慌てて左手を腰の後ろに隠した美琴は、上条を台所から追い出した。
無能力者(レベル0)である上条は、当然貰える奨学金もたかが知れている。
毎月毎月、いろいろとやりくりして過ごしてるのが現状であり。早い話が貧乏学生だ。
美琴によって再び定位置(ガラステーブル)に、戻された上条は、美琴にどう礼を言ったものだろうか、と考えを巡らせていた。
いくら美琴が言い出した事とは言っても、結果として上条のお財布に優しい結果となっている。買い物までして。指まで切って。
だったらせめてその労力に見合う分ぐらいは、彼女に還元してやってもいいのでは無いか?とそう思っていた。
もちろん手料理なんて物は値段が付けれる物じゃ無い。だから単純に「代わりに晩飯を奢る」で済ますのは、いくらなんでも早計だ。
有力な候補は二つ。
どこかに遊びに連れて行くか。何か喜びそうな物をプレゼントするか。
だが、悲しいかな上条当麻、水瓶座の十六歳。いままでの人生では不幸にも彼女がいた試しは無かった。
女の子が喜びそうな物が分からないので、そのたった二択が決めれない。
(アイツが喜びそうな場所なんて本気で知らないんだが、どうしたものか)
普通に考えれば、映画館、レストラン、ボーリング場。ゲームセンターは美琴のイメージに合ってるけど、喜ぶかどうかは不明だ。
欲しがりそうな物といえば、例のカエルグッズ。これは美琴と同一のDNAを持つ御坂妹も興味を示してた事から、おそらく遺伝子
レベルでああいう物が好きなんだろうなぁ、と推測できる。
ただ、ああいう物がどういう店に置いてあって、どこに店があるのかなんて事は良く知らなかった。
「御坂」
TVの画面から視線を外し、上下逆さまの世界で美琴を呼ぶ。
(俺に分からないのなら、本人に聞けばいいんだよな)
乙女心はそんな単純な物では無いのだが、立て捨てフラグ王の異名を持つ上条当麻に、それを期待するのは酷と言うものだった。
「だぁぁ!もうさっきから何よ。欠食児童かアンタは!」
バタンッ、という音の後に、台所から目を吊り上げて美琴が出てきた。美琴はエプロンの裾で水に濡れた手を乱暴に拭き、ガラス
テーブルを挟んで上条の向かい側にちょこんと座った。
左手の人差し指には、真新しい絆創膏。やはり指は切っていたようだ。
「濡れても剥がれないなんて流石はカエルだな。水陸両用か」
「何の事よ、それ。――で、何よ」
美琴は上条の視線に気づいて、左手の人差し指を隠す様にしてグーにした手を、膝に置いて軽く正座。
口をとんがらせる仕草は、なんだか美琴のイメージと違い、少し子供っぽかった。
「あれ?お前料理は?」
「炊飯ジャーの中に突っ込んだからしばらく時間が空くわよ。それより続き!さっさと話しなさいよ」
「ああ、なるほどね」
上条はガラステーブルに突っ伏した体をむくりと起こした。
「今TVで地下街の特集しててな。なんかいろいろやってるみたいだぞ。あそこ」
「"明日はクリスマス・イヴ"だもんね。"クリスマスパレード"もあるし、結構賑わうんじゃない?」
ああ、もう何でここまで言ってんのに気づかないかな?ほんとに鈍すぎんのよコイツ、本当は気づいててやってんじゃ無いの?――
とでも言いたそうな表情を浮かべ。『クリスマス・イヴ』だとか『クリスマスパレード』だとか一部を強調しながら、チラチラと上条に視
線を送っていた。
「あそことかいいよなぁ」
さりげなく会話の方向を誘導しようとして、画面を見ずに上条はTVを指差した。
美琴がそれを追う。そして率直に感想を口にした。
「なによ、新装開店のレストランの特集じゃない?これから私の手料理を食べようって時に。私の料理なんか食べたくないっていう遠ま
わしな抗議?だったら素直に食べたくないって言えばいいじゃないのよ!」
「はっ?えっ?うわっ特集変わってやがる!」
TV画面は既に違う特集に変わっており。レポーターがこの世の極楽を味わったような笑顔で、ハンバーグに舌鼓を打っていた。やたら
と幸せそうなレポーターの顔が余計にムカついたが、上条はそれどころではなかった。
お嬢様の機嫌がすこぶる悪くなりつつあったから。
「待て!御坂」
「"待たない"」
「わかった、時に落ち着け御坂」
「"落ち着かない"」
「怒るな御坂」
「"怒ってない"」
上条当麻の言葉を美琴は全面否定。お嬢様の表情は笑顔のまま。ただ一部分を除いて。笑顔の除外部分は目。
TV画面を遮る様に美琴がゆらりと立ち上がった。拳を握り、敵を見据え、にっこりと微笑んで、一歩、また一歩。ゆっくりと距離を
詰めてくる。
「御坂、目が笑ってねぇよ、マジで落ち着け」
「私は冷静よ、怒ってなんか無いわよ、ムカついてなんかいないわよ。なんだかアンタを殴り飛ばしたくて仕方ないだけよ」
「そういうのを冷静とはいわねぇよ!」
割と本気で命の危険を覚え、上条はわしゃわしゃーっとツンツン頭を掻き回した。そして若干混乱気味、空腹気味、ボイコット気味の
頭に様々な思考を走らせる。
(命令だ!考えろMY脳)
命題は『お嬢様の機嫌の取り方』これ一本。
思考の海に飛び込んで、浮上し、全力のクロールで思考の波をザッパザッパと泳ぐ。
だけど混乱した頭では、目の前のお嬢様(きょうい)のご機嫌を戻すほどの機転が働くわけも無く。
そもそも答えがあるのかすら怪しい。
上条が思考の海で溺れそうになってる間にも、お嬢様は間合いを詰めてくる。
(逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げ、げっ)
後ずさり、懸命に距離を離すが、ワンルームマンションの狭い部屋だ。すぐに壁にぶち当たる。
型遅れのTVのスピーカーからは、相変わらず地下街のお店を紹介するレポーターの声が零れていた。
『こちらのお店では特に"若い女の子"に人気の商品を取り揃えてあります。こんな素敵な場所に連れてこられたら、きっと彼女は喜ぶで
しょうね』
正に天啓。救いの光。まるで地獄の底から救い出してくれる蜘蛛の糸。
(これだぁぁあぁあああああ!)
上条は神様って本当にいるんだなぁ――って割と本気で、思った。
御坂美琴は十四歳。女子中学生。常盤台中学という箱入り娘養成所のようなお嬢様学校に通ってる癖に、あまりお嬢様っぽくないのが
玉に瑕だが、文句無しに若い女の子。
レポーターのお姉さんが嘘を言ってるのでなければ、彼女はきっと機嫌を直してくれるに違いない。というより、そう願う。
上条は美琴の後ろに見えるTV画面を指差して、
「あ~、あそこに行きたいなぁって思ってただけだ」
と拳を鳴らして、鉄拳制裁の予備動作に入ろうとしていた美琴にわざとらしく言う。
(頼む!効果があってくれ!)
神に祈る。仏にも祈る。レールガンノミコト様にも祈る。
「ん?」
と美琴が上条の指差すTV画面へと目を向け。すぐに反応を示した。
(よし、危機(クライシス)脱出!)
「なっ!?あ、アン、アンタ。私とあそこに行こうっての!?本気で!?それマジで言ってるの?」
(あれ?少し反応がおかしいけど?って、あ……)
上条はいまだにTV画面を指差していた。そこに映っているのは若いレポーターと"オシャレなアクセサリーショップ"の店内。
狙ったかの様に『恋人達の永遠の愛がどうたら』とかいうサブタイトルまでついてる。外国人らしい店のオーナーの男が、字幕音声付
で長々とレポーターへ説明している。どうも今年はハートのあしらわれたリングとかネックレスとかが巷では流行らしい。
(うわ、まじかよ……)
「え、あ、えーと、その……」
美琴の視線はTV画面と上条を交互にチラチラ。さっきまでの怒りはどこか遠くのお山辺りにでも飛んでったらしい。
「アンタがどうしてもって言うなら……。その、あの、行ってもいいけどさ……。深い意味とか無いからね……」
モニュモニュ、ゴニョゴニョと美琴は恥ずかしそうに両手の人差し指同士を絡ませてる。
そこまで気が回らなくなったのか左手の絆創膏を隠す事もやめていた。
微妙な乙女心を察しなさいよ、このボンクラ――行きたいに決まってるでしょうが、と眼で訴える美琴の顔は、誰が見ても一目で分か
るぐらい紅潮していたが。でも肝心の上条が全く気づいてない辺り、彼女も結構な苦労人だった。
その時、上条当麻は別の事を考えていた。もはやそれは確信に近かった。
神様なんてろくな奴じゃ無い――と。
この世にもし神様って存在がいるとして、果たしてその存在は都合よく味方してくれるほど人間が出来ているだろうか?答えは否。
神様は人間では無い。だから人間は出来ていない。きっと善人にも、悪人にも、働き者にも、怠け者にも、平等に幸福と苦難を与える
に違いない。きっとこの世界の神様はそんな神様。
でもってそれには偏りがあるのだろう。"不幸にも"上条当麻の幸福は後半に偏ってるようだから。
「じゃねぇと納得できねぇよ!」
ありがたい、ありがたすぎておもわず右手の幻想殺しが牙を剥きそうになるぐらいに、ありがたい。
「納得!?でも私のイメージにはちょっと、ね、え、えへへへへ、まいったなぁ、どうしようかな……」
上条の発言に美琴は目を丸くして驚きの表情を浮かべた。ポーっとした目つきで自分の指や首に着けられたソレを想像し、
一人で顔を赤らめるお嬢様をよそに、
「ああ、神様。此度の温情に心より感謝致します。とりあえず一命は取り留めましたが――もし狙ってやってるのなら覚えてやがれ。
今度会ったら、その平和な幻想(よこっつら)をぶち殺してやる」
上条は、右手を握り締めて、そんな妙な台詞を口走るのだった。
神の子の誕生日も近いというのに、ひどく罰当たりな人間がここに居た。
[12月23日―PM14:52]
毎月毎月、いろいろとやりくりして過ごしてるのが現状であり。早い話が貧乏学生だ。
美琴によって再び定位置(ガラステーブル)に、戻された上条は、美琴にどう礼を言ったものだろうか、と考えを巡らせていた。
いくら美琴が言い出した事とは言っても、結果として上条のお財布に優しい結果となっている。買い物までして。指まで切って。
だったらせめてその労力に見合う分ぐらいは、彼女に還元してやってもいいのでは無いか?とそう思っていた。
もちろん手料理なんて物は値段が付けれる物じゃ無い。だから単純に「代わりに晩飯を奢る」で済ますのは、いくらなんでも早計だ。
有力な候補は二つ。
どこかに遊びに連れて行くか。何か喜びそうな物をプレゼントするか。
だが、悲しいかな上条当麻、水瓶座の十六歳。いままでの人生では不幸にも彼女がいた試しは無かった。
女の子が喜びそうな物が分からないので、そのたった二択が決めれない。
(アイツが喜びそうな場所なんて本気で知らないんだが、どうしたものか)
普通に考えれば、映画館、レストラン、ボーリング場。ゲームセンターは美琴のイメージに合ってるけど、喜ぶかどうかは不明だ。
欲しがりそうな物といえば、例のカエルグッズ。これは美琴と同一のDNAを持つ御坂妹も興味を示してた事から、おそらく遺伝子
レベルでああいう物が好きなんだろうなぁ、と推測できる。
ただ、ああいう物がどういう店に置いてあって、どこに店があるのかなんて事は良く知らなかった。
「御坂」
TVの画面から視線を外し、上下逆さまの世界で美琴を呼ぶ。
(俺に分からないのなら、本人に聞けばいいんだよな)
乙女心はそんな単純な物では無いのだが、立て捨てフラグ王の異名を持つ上条当麻に、それを期待するのは酷と言うものだった。
「だぁぁ!もうさっきから何よ。欠食児童かアンタは!」
バタンッ、という音の後に、台所から目を吊り上げて美琴が出てきた。美琴はエプロンの裾で水に濡れた手を乱暴に拭き、ガラス
テーブルを挟んで上条の向かい側にちょこんと座った。
左手の人差し指には、真新しい絆創膏。やはり指は切っていたようだ。
「濡れても剥がれないなんて流石はカエルだな。水陸両用か」
「何の事よ、それ。――で、何よ」
美琴は上条の視線に気づいて、左手の人差し指を隠す様にしてグーにした手を、膝に置いて軽く正座。
口をとんがらせる仕草は、なんだか美琴のイメージと違い、少し子供っぽかった。
「あれ?お前料理は?」
「炊飯ジャーの中に突っ込んだからしばらく時間が空くわよ。それより続き!さっさと話しなさいよ」
「ああ、なるほどね」
上条はガラステーブルに突っ伏した体をむくりと起こした。
「今TVで地下街の特集しててな。なんかいろいろやってるみたいだぞ。あそこ」
「"明日はクリスマス・イヴ"だもんね。"クリスマスパレード"もあるし、結構賑わうんじゃない?」
ああ、もう何でここまで言ってんのに気づかないかな?ほんとに鈍すぎんのよコイツ、本当は気づいててやってんじゃ無いの?――
とでも言いたそうな表情を浮かべ。『クリスマス・イヴ』だとか『クリスマスパレード』だとか一部を強調しながら、チラチラと上条に視
線を送っていた。
「あそことかいいよなぁ」
さりげなく会話の方向を誘導しようとして、画面を見ずに上条はTVを指差した。
美琴がそれを追う。そして率直に感想を口にした。
「なによ、新装開店のレストランの特集じゃない?これから私の手料理を食べようって時に。私の料理なんか食べたくないっていう遠ま
わしな抗議?だったら素直に食べたくないって言えばいいじゃないのよ!」
「はっ?えっ?うわっ特集変わってやがる!」
TV画面は既に違う特集に変わっており。レポーターがこの世の極楽を味わったような笑顔で、ハンバーグに舌鼓を打っていた。やたら
と幸せそうなレポーターの顔が余計にムカついたが、上条はそれどころではなかった。
お嬢様の機嫌がすこぶる悪くなりつつあったから。
「待て!御坂」
「"待たない"」
「わかった、時に落ち着け御坂」
「"落ち着かない"」
「怒るな御坂」
「"怒ってない"」
上条当麻の言葉を美琴は全面否定。お嬢様の表情は笑顔のまま。ただ一部分を除いて。笑顔の除外部分は目。
TV画面を遮る様に美琴がゆらりと立ち上がった。拳を握り、敵を見据え、にっこりと微笑んで、一歩、また一歩。ゆっくりと距離を
詰めてくる。
「御坂、目が笑ってねぇよ、マジで落ち着け」
「私は冷静よ、怒ってなんか無いわよ、ムカついてなんかいないわよ。なんだかアンタを殴り飛ばしたくて仕方ないだけよ」
「そういうのを冷静とはいわねぇよ!」
割と本気で命の危険を覚え、上条はわしゃわしゃーっとツンツン頭を掻き回した。そして若干混乱気味、空腹気味、ボイコット気味の
頭に様々な思考を走らせる。
(命令だ!考えろMY脳)
命題は『お嬢様の機嫌の取り方』これ一本。
思考の海に飛び込んで、浮上し、全力のクロールで思考の波をザッパザッパと泳ぐ。
だけど混乱した頭では、目の前のお嬢様(きょうい)のご機嫌を戻すほどの機転が働くわけも無く。
そもそも答えがあるのかすら怪しい。
上条が思考の海で溺れそうになってる間にも、お嬢様は間合いを詰めてくる。
(逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げ、げっ)
後ずさり、懸命に距離を離すが、ワンルームマンションの狭い部屋だ。すぐに壁にぶち当たる。
型遅れのTVのスピーカーからは、相変わらず地下街のお店を紹介するレポーターの声が零れていた。
『こちらのお店では特に"若い女の子"に人気の商品を取り揃えてあります。こんな素敵な場所に連れてこられたら、きっと彼女は喜ぶで
しょうね』
正に天啓。救いの光。まるで地獄の底から救い出してくれる蜘蛛の糸。
(これだぁぁあぁあああああ!)
上条は神様って本当にいるんだなぁ――って割と本気で、思った。
御坂美琴は十四歳。女子中学生。常盤台中学という箱入り娘養成所のようなお嬢様学校に通ってる癖に、あまりお嬢様っぽくないのが
玉に瑕だが、文句無しに若い女の子。
レポーターのお姉さんが嘘を言ってるのでなければ、彼女はきっと機嫌を直してくれるに違いない。というより、そう願う。
上条は美琴の後ろに見えるTV画面を指差して、
「あ~、あそこに行きたいなぁって思ってただけだ」
と拳を鳴らして、鉄拳制裁の予備動作に入ろうとしていた美琴にわざとらしく言う。
(頼む!効果があってくれ!)
神に祈る。仏にも祈る。レールガンノミコト様にも祈る。
「ん?」
と美琴が上条の指差すTV画面へと目を向け。すぐに反応を示した。
(よし、危機(クライシス)脱出!)
「なっ!?あ、アン、アンタ。私とあそこに行こうっての!?本気で!?それマジで言ってるの?」
(あれ?少し反応がおかしいけど?って、あ……)
上条はいまだにTV画面を指差していた。そこに映っているのは若いレポーターと"オシャレなアクセサリーショップ"の店内。
狙ったかの様に『恋人達の永遠の愛がどうたら』とかいうサブタイトルまでついてる。外国人らしい店のオーナーの男が、字幕音声付
で長々とレポーターへ説明している。どうも今年はハートのあしらわれたリングとかネックレスとかが巷では流行らしい。
(うわ、まじかよ……)
「え、あ、えーと、その……」
美琴の視線はTV画面と上条を交互にチラチラ。さっきまでの怒りはどこか遠くのお山辺りにでも飛んでったらしい。
「アンタがどうしてもって言うなら……。その、あの、行ってもいいけどさ……。深い意味とか無いからね……」
モニュモニュ、ゴニョゴニョと美琴は恥ずかしそうに両手の人差し指同士を絡ませてる。
そこまで気が回らなくなったのか左手の絆創膏を隠す事もやめていた。
微妙な乙女心を察しなさいよ、このボンクラ――行きたいに決まってるでしょうが、と眼で訴える美琴の顔は、誰が見ても一目で分か
るぐらい紅潮していたが。でも肝心の上条が全く気づいてない辺り、彼女も結構な苦労人だった。
その時、上条当麻は別の事を考えていた。もはやそれは確信に近かった。
神様なんてろくな奴じゃ無い――と。
この世にもし神様って存在がいるとして、果たしてその存在は都合よく味方してくれるほど人間が出来ているだろうか?答えは否。
神様は人間では無い。だから人間は出来ていない。きっと善人にも、悪人にも、働き者にも、怠け者にも、平等に幸福と苦難を与える
に違いない。きっとこの世界の神様はそんな神様。
でもってそれには偏りがあるのだろう。"不幸にも"上条当麻の幸福は後半に偏ってるようだから。
「じゃねぇと納得できねぇよ!」
ありがたい、ありがたすぎておもわず右手の幻想殺しが牙を剥きそうになるぐらいに、ありがたい。
「納得!?でも私のイメージにはちょっと、ね、え、えへへへへ、まいったなぁ、どうしようかな……」
上条の発言に美琴は目を丸くして驚きの表情を浮かべた。ポーっとした目つきで自分の指や首に着けられたソレを想像し、
一人で顔を赤らめるお嬢様をよそに、
「ああ、神様。此度の温情に心より感謝致します。とりあえず一命は取り留めましたが――もし狙ってやってるのなら覚えてやがれ。
今度会ったら、その平和な幻想(よこっつら)をぶち殺してやる」
上条は、右手を握り締めて、そんな妙な台詞を口走るのだった。
神の子の誕生日も近いというのに、ひどく罰当たりな人間がここに居た。
[12月23日―PM14:52]