(3-15)
こちらを向きなさい、と恫喝する凶悪な音色に応えて五和は静かに破裂音の主に正対する。
そこには『雷光のレッド』こと御坂美琴の姿があった。
バチン、と再び御坂美琴の前髪から青白い火花が散るとビリビリと大気が震えだした。
「そんな戯言は私の超電磁砲(レールガン)を受けてきってから言いなさい!」
五和を睨み付ける御坂美琴の体内電圧は既に臨界を迎えていた。
押さえきれない電流が青白い電気の蛇となって御坂美琴の身体にまとわりつき、凶暴な音
色を立てながら獲物に牙を剥く時を今か今かと待ち構えている。
しかし臨戦態勢に入った学園都市第3位の超能力者(レベル5)を前にしても五和は不敵
な笑みを崩さない。
「ええ、受けてあげますって言いたいところなんですけど。
貴女はレールガンを撃つことなんてできませんよ。きっと。ふふっ」
「どういうこと?」
「だって、もし私がレールガンを避けちゃったらどうなります?
私の後ろは観客席ですよ。それでも撃ちますか?」
「くっ!…………」
確かにこんな状況でレールガンを撃つほど御坂美琴は馬鹿ではない。
先ほど控え室で暴発しかけたことは当人の名誉のため魔が差したということにしておく。
ビリビリと大気を振るわせていた凶暴な青白い蛇達が御坂美琴の身体に身を沈め始める。
しかしそれは降参を意味するものではない。
「でもね。私の攻撃はレールガンだけじゃないのよ!!」
そう叫んだ御坂美琴の身体から青白い電気の蛇たちが一気に溢れ出すと10億ボルトの雷
撃の槍となって舞台中央に立つ五和に襲いかかる。
その瞬間舞台には激しい爆音が鳴り響き、舞い上がる爆煙が視界を防いだ。
強烈な閃光と爆音に思わず目を閉じ耳を塞いでしまった観客達が恐る恐る目を開けた時、
薄まりつつある爆煙の中には全く無傷の五和の姿があった。
あり得ない状況に驚く御坂美琴は五和の50cm前方の舞台に不自然に刺さった一本の
鉛筆にも気付かない。
御坂美琴から再び雷撃の槍が放たれるが、五和を貫くハズの雷撃の槍は途中で方向をねじ
曲げるとその鉛筆に吸い込まれていった。
「なっ!?」
「避雷針、って思ってくれたら良いですよ。
ただ魔術(オカルト)サイドのものは科学サイドのとはちょっと違いますよ。
この鉛筆がある限り貴女の雷撃の槍は決して私には届きません」
科学的に考えれば地面に刺さった僅か10cmの鉛筆が避雷針になる訳がない。
そもそも只の鉛筆が床に深々と突き刺さっていること自体が不自然なのだ。
御坂美琴には信じ難いことだったが、相手が『魔術』と言った以上、原理は分からないが
そういう機能を果たす装置であると考えるしかない。
もし『ヒヨコ爆弾』事件において姫神秋沙から魔術の話を聞いていなければ、御坂美琴は
きっと何が起こったのかも判らない内に五和に叩き伏せられていただろう。
「わざわざご丁寧にタネ明かしまでしてくれちゃって……とことん私を舐めてるのね?」
「まさか。舐めていないからこんな事するんですよ。
超電磁砲の雷撃をまともに喰らって無事でいられると思うほど自惚れていませんから」
「その口調が余裕綽々なのよ!だったらこれでどう?」
御坂美琴が地面に向けて降ろした右手の指を開くと地面に向けて何本もの稲妻が走る。
すると御坂美琴を中心にして黒い霧が渦を巻きながら集まってきた。
そして黒い渦が稲妻に逆らって舞い上がると長さ1mほどの黒剣を形づくる。
「砂鉄の剣(これ)でアンタのチャンバラごっこに付き合ってあげるわ」
余裕の笑みを浮かべる御坂美琴であったが内心は冷や汗ものだった。
(ふぅーッ、なんとか剣の形になったけど…………
特設会場(ここ)は舗装されているから砂鉄が集まらない。
もし秋沙が魔法でそこら中を破壊してくれてなかったら砂鉄のナイフしかできなかったわ。
でも砂鉄の剣(これ)ができたからにはあんな古くさい槍なんかに負けるもんですか!)
(3-16)
切り札である超電磁砲(レールガン)と雷撃の槍を封じられた上、性能を著しく制限され
た砂鉄の剣で4m以上の長さを持つフリウリスピアと対峙しなければなくなった御坂美琴
は敵戦闘力の分析を行う。
単純な武器として比較するならば、刺突・斬撃・打撃を駆使できる強力な白兵戦用武器で
ある槍と遠い間合いで斬り合えば剣に勝ち目はない。
接近戦になれば槍はその長さが仇となるが、逆に言えば懐に飛び込まない限り剣が槍に
勝つことなどできないのだ。
ただしそれは彼女たちが持つ武器が普通の武器であった場合の話だ。
御坂美琴が能力で造り上げた砂鉄の剣、五和が魔術的補強を施したフリウリスピアの優劣
が常識で計れるハズがない。
御坂美琴は砂鉄の剣に絶対の自信を持っている。槍の穂先だろうが簡単にぶった切ると。
しかしその自信ゆえに闘い方の自由度を自ら狭めてしまう。
たとえ突き出された三つ又の穂先を砂鉄の剣で受け止めても一つの穂先を一瞬で切り落と
してしまうなら残りの穂先が勢いを落とすことなく自分に突き刺さってしまうだろう。
そのことを心配する余り、刺突を体捌きでかわして槍の柄を断ち切る、もしくは相手の懐
に潜り込に相手に斬りつけるという選択肢しか残らなかった。
どちらにしても体捌きで槍の刺突をかいくぐる必要があった。
確かに御坂妹を軽くあしらった技量は決して侮ることはできない。
無駄と思えるほど長い槍をわざわざ持っている以上は懐に飛び込まれないための対策も
当然練っているハズだ。
それでも御坂美琴には自信があった。
なんと言っても今着用しているのは学園都市製のバトルスーツである。
そのパワーアシスト機能は筋肉へ伝達される筋電信号に瞬時に反応しタイムラグなく通常
の5倍の力を引き出してくれる。
そして生みだされる瞬発力は相手を惑わすほどのダッシュや方向転換を可能にしている。
相手の予想を越える素早い動きで刺突をかわして懐に飛び込むつもりであったし、いざと
なればスーツの防弾・防刃・耐爆性能に頼った強引な突進も試みるつもりだった。
一方、相手はビキニアーマーも真っ青な、どう見ても防御力の低そうなボンテージ風
ファッションに身を包んでいる。
というよりは露出狂と言った方が手っ取り早いだろう。
ほとんど素肌を晒しており、僅かに素肌を隠す素材ですら革製にしか見えない。
(なんなのよ、あの格好!
そりゃ動きやすいかもしれないけど、どう考えても防御力0(ゼロ)よね)
防具に関しては私の完勝よね、と余裕の御坂美琴はつい余計なモノまで分析してしまった。
(ぐッ!トップ88cm、Dカップ…………)
バストサイズに関しては御坂美琴の完敗であった。
(巨乳(それ)を私に見せつけるためにわざわざそんな露出度の高い格好をしたってこと?
…………いい気になるんじゃないわよ。この巨乳女がァァあああああ!
こうなったらAカップの意地にかけてアンタを叩きのめしてやる!!)
闘志が燃え上がった御坂美琴は五和に最後通告を突きつける。
「おとなしく降参するなら許してあげるけど、その気はないのよね。
でもね。この砂鉄の剣って一種の超音波ブレードなの。
高速で振動する砂鉄は鋼鉄だって一瞬でぶった切るわ。
あなたの槍なんて触れただけで真っ二つよ。それでも良いなら掛かってきなさい!」
投降を促す御坂美琴に対して五和もニッコリと微笑み返す。
「それはご親切にありがとうございます。では遠慮無く!」
ゆっくりと傾き始めたフリウリスピアの穂先が御坂美琴に向いた瞬間、五和は電光石火の刺突を繰り出した。
五和が繰り出した雷光のような刺突を身体を捻って辛うじて避けた御坂美琴であったが、
予想を超えた刺突の速さにバランスを崩してしまう。
(くッ、速っ!ひとまず体勢を整えないと)
御坂美琴は体勢を立て直すためいったん後方に大きく跳び退く。
御坂美琴がスーツの力を借りて跳躍した距離は4mもあった。
しかし五和は生身とは思えないスピードで一気にその間合いを詰めると、着地の瞬間を狙って再び刺突を繰り出す。
体勢を立て直す隙もなく御坂美琴は着地と同時の左サイドステップで辛くも槍の穂先をかわした。
(3-17)
それでも五和は追撃の手を弛めない。
五和は突き出した槍の柄を脇で挟むとそこを支点として右手一本で槍を水平に払い御坂美
琴の横っ面に穂先を叩き込む。
紙一重で身体を沈めた御坂美琴の頭の直ぐ上をフリウリスピアの穂先がうなりを立てて通過する。
(なっ、なんなのよ。コイツ。スーツを着た私の動きに付いてくるなんて…………
本当に人間!?まさかサイボーグじゃないでしょうね?)
御坂美琴は五和の攻撃を何とか紙一重でかわしているがこのままではジリ貧なのは間違いない。
どうやって反撃しようかと考えたとき一瞬の隙が生まれてしまった。
気付いたときにはフリウリスピアの三つ又の穂先が御坂美琴の視界に飛び込んでいた。
御坂美琴は思わず砂鉄の剣を眼前にかざしフリウリスピアを受け止める。
「ガキッ!キィィィィィィィィッ!」と特設会場内に金属が擦れ合う甲高い音が鳴り響く。
そして高速で振動する砂鉄の剣とぶつかり合うフリウリスピアの穂先が盛大に火花を散らす。
(えっ!?)その時御坂美琴は驚いた顔をしていたに違いない。
御坂美琴は古くさい槍の穂先なんて砂鉄の剣で簡単にぶった切れると思っていた。
だからこそ槍の穂先をわざわざ体捌きだけで避けていたのに現実には槍の穂先は砂鉄の剣
と打ち合ってもビクともしなかったのだ。
(なんなのよ。砂鉄の剣と打ち合ってもびくともしないなんて…………
一体どんな合金使ってんのよ!?それとも硬質多層膜コーティング?
とにかくこの距離は完全に槍の間合いだわ。
どうにかして懐に飛び込まないと私の切っ先はコイツに届かない。
コイツがこの槍を引き戻す時がチャンス!タイミングを合わせて跳び込んでやる)
激しく鍔迫り合いしながら美琴は五和が槍を引く予兆を読み取っていた。
そして五和の右肩の筋肉がピクリと動いた瞬間、御坂美琴は引き戻される槍に合わせ一気に五和の懐に飛び込む。
その時御坂美琴の目には後ろを振り返る五和の背中が映ったのだが、とっさのことに御坂
美琴はそれが何を意味するのかが判らなかった。
それでも右から迫る殺気が身体を貫くと御坂美琴は歯を食いしばり前進を踏みとどまる。
そして急激な方向転換に悲鳴を上げる脚の筋肉を強引に動かしスーツの力も借りて後方へ跳躍する。
同時に御坂美琴の胸元僅か数mm先を横薙ぎに払われた穂先が「ビュッ!」と風切り音を立てて通り過ぎる。
五和は御坂美琴が飛び込んでくることを予測し、引き戻した槍の勢いに身体の捻りを加えて槍の中央を脇に挟んだまま身体ごと一回転したのだ。
もしそのまま飛び込んでいたら御坂美琴は槍の穂先に胴を薙ぎ払われていただろう。
(痛うぅっ!あっぶなかっ…………げっ!)
しかし御坂美琴には脚の痛みを気にするどころか冷や汗をかく隙もなかった。
御坂美琴の目の前で槍の穂先が回転の勢いを殺さずに左上方に跳ね上がると五和の頭上で
弧を描くように大きく旋回する。
遠心力を使ってさらに加速した穂先が右斜め上から御坂美琴に袈裟懸けに叩きつけられる。
白い光の尾を引いて流れる槍の穂先を御坂美琴は右前方に肩から倒れ込むように一回転してかわした。
(いつまでもいい気になってんじゃないわよ!)
御坂美琴は回転した勢いで素早く上体を起こすと膝立ちのまま五和の足首を狙って砂鉄の
剣を横一閃に振り抜く。
「ちっ!」っと舌打ちした五和は御坂美琴の斬撃を2mも跳び上がってかわした。
そして上空から御坂美琴に全体重を掛けた一撃を叩き込む。
御坂美琴は上空から襲いかかる一撃をとっさにもう一度身体を側転させてかわす。
紙一重でかわしたフリウリスピアの穂先は「グァシィィッ!」と音を立てまるでバターに
熱いバターナイフを突き刺すようにコンクリートの床に深々と突き刺さった。
「もらったあぁぁぁぁ!」
御坂美琴は回転した勢いも使って舞台に突き刺さったフリウリスピアの柄に砂鉄の剣を叩き込んだ。
しかしフリウリスピアの柄は「ガキィィィィッ!」と悲鳴のような金切り音をあげたもの
の砂鉄の剣の一撃を受け止めていた。
(えっ!?一体なんなの?この槍!柄もただの木じゃないってこと?)
着地した五和がフリウリスピアを引き抜くと、呆然としてしまった御坂美琴の一瞬の隙を
狙って穂先を螺旋のように回転させて砂鉄の剣を跳ね上げる。
(あっ!)と御坂美琴が我に返った時、その胴はガラ空きになっていた。
その無防備な胴にフリウリスピアの穂先が叩き込まれる。
(3-18)
しかし五和が繰り出したフリウリスピアの穂先は御坂美琴の身体を貫かなかった。
その直前、五和の視界から御坂美琴が消え去っていたのだ。
空を切ったフリウリスピアを引き戻す五和は初めて戸惑いの表情を浮かべる。
素早く周囲を探るが御坂美琴の気配を捉えられない。
それもそのはず今御坂美琴は地上10mの高さから五和を見下ろしていた。
照明器具を吊す鉄製の梁に足裏を貼り付けてぶら下がる姿はコウモリのようだ。
スーツの跳躍力と身体を流れる電流をコントロールし電磁石と化した自分自身の磁力を利
用して舞台を覆う鉄傘まで一気に跳び上がったのだ。
幸い、真下のブラックキャット(五和)はまだこちらに気付いていない。
常識を越えた五和の身体能力と槍の強度に押され気味だった御坂美琴はホッと一息付く。
その時ふとスーツの右胸に付いた数㎝の白い線に気付く。
だがそれは汚れではなく、赤いスーツの裂け目から見えた御坂美琴専用の胸部装甲板
(胸パッドともいう。しかも2枚重ね)だった。
フリウリスピアの切っ先は高い耐刃性能を持つバトルスーツを易々と切り裂き、その傷は
胸パッドにまで達していた。
(えっ、なんでスーツが裂けてんの?
あ─────────っ!胸パッドまで裂けてる!!)
どうやら学園都市製防刃スーツが切り裂かれたことより胸パッドが傷ついたことがよほど
ショックだったらしい。
その時御坂美琴の脳裏に思い出が走馬燈のように蘇えっていた。
初めての邂逅は黒子と行った『学舎の園』のランジェリーショップであった。
売れ残りの哀愁漂う一画に佇むその偉容に目を奪われてしまった。
その時は買うどころか手にとることすらできなかった。
そんな胸部に自信のない女の子に勇気をくれる夢のアイテムが支給品という形で合法的に
手に入った時は思わず小躍りしてしまった。
その後スーツに着替える度に姿見に全身を映すことが習慣になった。
鏡に向かって色んなポーズをしては将来の栄光(とりあえずはBカップ)を夢見ていた。
だから御坂美琴は悔しくて堪らない。
(裂けたのがスーツだけだったら胸パッドは再利用できたのに……………………
あっ!でもこれは私利私欲で言ってるんじゃなくて…………えーっと…………
そう!地球環境を考えれば限りある資源の再利用は人類の義務なんだから!)
そう自分自身に言い聞かせる御坂美琴であった。
だからこそ再利用できないような傷を胸パッドに付けた反エコロジーな悪の女幹部を許す
訳にはいかない、と心の中で理論武装する。
御坂美琴は夢を与えてくれた親友(胸パッド)に感謝を、自分の身代わりとなり巨乳女の
刃に傷ついた戦友(胸パッド)に哀悼の意を送る。
もし戦友(胸パッド)がなければ乙女の柔肌に傷がついていたかもしれない。
もっとも上げ底(胸パッド)がなければスーツが傷つくことすらなかったのだが…………
そのことには言及しない方が賢明だろう。
本件終了後『もう少し胸がデカかったら危なかったな。良かったな。胸が小さくて』と言った
上条が御坂美琴にゲンコツで殴られたのは自業自得だろう。
(身を挺して私を庇ってくれたあなた達の犠牲は決して無駄にはしない。
仇は私がキッチリ取ってあげる。
見てなさい。あの巨乳女をコテンパンに叩きのめしてあげる!!)
今日一番の闘志を燃え上がらせた御坂美琴は(照明用ライトの一つでも頭に叩き付けて
やろうかしら)と周囲を見回す。
そして左右に吊されている手近な照明用ライトを磁力で引き寄せようとした時、天井の
御坂美琴に気付いた五和と目が合ってしまった。
(3-19)
一方、御坂美琴を圧倒しているように見えた五和も実際には余裕など無かった。
表情にこそ出さないが現時点において自分と御坂美琴との差が紙一重ほどもないことを十
分理解していた。
通常、魔術師同士の闘いは敵に遭遇するまでに勝敗は決しているものだ。
敵の力量と闘いの展開をどれほど正確に分析・予測できるか、そしていかに自分に有利な
場所と時間を設定しどれだけの術式を事前に準備しておけるかが勝敗を分ける。
だから五和もこの勝負のために丸5日かけて入念な準備を行ってきた。
なにしろ聖人に匹敵する超能力者(レベル5)が相手である。
考えられるありとあらゆる魔術的補強を施してもし過ぎるということはない。
その対象はフリウリスピアやコスプレ衣装に留まらず、この特設会場にさえ及んでいる。
生身の五和が常人を凌駕するスピードを出せるのも、フリウリスピアが砂鉄の剣と互角に
打ち合えるのも魔術的補強のおかげなのだ。
それに五和は御坂美琴の実力を本人以上に理解している。
可能な限りの魔術的補強を施し防御術式を展開していたとしてもレールガンが直撃すれば
どうなるか?
運が良ければ一撃目は凌げるかもしれない。
しかし一撃目で綻んだ防御術式を組み直す前に二撃目を受ければそれでお終いなのだ。
だから常に観客席を背にしてレールガンを撃たせないようにする必要があった。
避雷針として使った鉛筆は御坂美琴の雷撃の槍を二度防いでくれた。
五和のハッタリを御坂美琴が真に受けたから良かったがもう一度雷撃の槍が放たれていた
ら鉛筆は耐え切れずに跡形もなく砕け散ったに違いない。
御坂美琴自身自覚していないが御坂美琴の性能(スペック)は五和達魔術師から見ても桁
外れなのだ。
フリウリスピアに樹脂を吹きつけてはやすりで削るという作業を1000回以上繰り返し
刻み込んだ『樹木の年輪』の象徴はフリウリスピアの強度を限界まで引き上げている。
そして舗装された特設会場を戦場に選ぶことで変幻自在な攻撃を繰り出せる砂鉄の剣の威
力を大幅に削ぐこともできた。
だから一日の長のある剣技によって御坂美琴を押し込むことができるのだ。
ただし能力者との接近戦を選んだことが五和から魔術攻撃という選択肢を奪ったのも事実だ。
魔術とは能力を持てなかった人間が能力者に近づくために編み出した技術である。
能力者相手にクイックドロー(早撃ち)を挑んでも勝ち目が無いことは判っている。
術式を組み上げている間に能力者の攻撃が魔術師を打ち倒しているだろう。
例えステイル=マグヌスであっても炎剣を出すにはルーンのカードを取り出す時間が必要になる。
だから一流の魔術師はどんな時だろうが無防備な状態は作らないし周囲の警戒も怠らない。
超能力者を前にして術式の組み上げに時間を費やすなどは自殺行為でしかない。
だから術式はあと一動作のみで発動するように予め組み上げておかなければならない。
とはいえ不安定な術式をいくつも抱えたまま闘えば何時それらが暴発するか判らない。
結局、携えられた術式はほんの僅かだった。
(あれだけ何日も前から入念に準備して相手の切り札まで封じ込めたっていうのに
これでようやく対等だなんて……………………
ホント、超能力者(レベル5)ってバケモノですね。イヤになります)
つい愚痴をこぼしたくなる五和だった。
だが愚痴をこぼす前に、先ほどまでの闘いで消費した気を急いで補充しなければならない。
天井の御坂美琴を見据えつつ、五和は静かに呼吸を整えて丹田に送り込んだ大量の気を
必死に練り上げていく。
(3-20)
「そんなところに隠れていたんですか?『雷光のレッド』さん」
「やっと見つけてくれたのね。『ブラックキャット』さん」
「上に逃げたのは良いですけど、それから一体どうするんですか?
飛び降りてきたら串刺しですよ」
「へーっ、心配してくれるんだ。でもその心配は無用かもねっ!!」
そう言いながら御坂美琴は左右の照明用ライトを磁力で引き寄せ根本から引き千切ると
両手を振るってそれらを五和目掛けて投げつける。
「ゴォーッ!」と唸りをあげて二基の照明用ライトが五和に襲いかかる。
しかし五和はフリウリスピアの一閃でそれらをいとも簡単に弾き飛ばしてしまう。
「そんなもので私にダメージを与えられるとでも……………………えっ?」
フリウリスピアを振り抜いた五和は一瞬前まで天井にいた御坂美琴をまたもや見失っていた。
御坂美琴は照明用ライトが五和の視界を遮った瞬間に天井を勢いよく蹴り飛ばしていた。
空中で半回転したものの墜落と言った方が良い着地の衝撃はスーツで吸収しきれず御坂
美琴の全身を軋ませる。
(痛ぅ──────────っ!)
骨の随まで響く痛みが御坂美琴の踵から背骨を通って頭頂まで一気に駆け抜ける。
余りの痛さに涙が出そうになるがここはグッと歯を食いしばる。
この一瞬が勝負を決めるのだ。
御坂美琴は未だ痺れが残る両足を無理やり動かし五和に向けてダッシュした。
御坂美琴の奇襲に五和の迎撃は僅かに遅れてしまう。
突進してくる御坂美琴へ向け慌てて刺突を繰り出したものの今までの鋭さは無かった。
半身になってフリウリスピアを右にかわす御坂美琴は身を捻りながら砂鉄の剣を自分の
身体に巻き付けるように振り上げる。
勢いよく振り上げた砂鉄の剣はフリウリスピアを大きく弾き上げた。
そして返す刀でガラ空きとなった五和の胴を水平に薙ぎ払う。
バランスを崩し後方へ倒れかかっているブラックキャットがこの一撃を防げるとは到底思えない。
(勝った!)
しかし御坂美琴のその確信が油断を生んでしまった。
後方に倒れながらも五和は横蹴りを放ちヒールの踵を御坂美琴の鳩尾に叩き込んだのだ。
本来バランスを崩した状態で繰り出される蹴りに大した威力などあるハズが無い。
これが普通の闘いなら相手の蹴りを警戒しなかったからといって責められることはない。
事実、物理的ダメージなら学園都市製防弾・防刃・耐爆スーツが完璧に防いでいた。
しかし相手が魔術師であることを忘れていたのは完全に御坂美琴の油断だ。
蹴りと同時に踵に組み込まれていた術式が発動すると、その衝撃はスーツを素通りし御坂
美琴の体内に直接ダメージを叩き込んだ。
「うぐぅっ!」
御坂美琴から苦悶の声が漏れだす。
叩き込まれた衝撃はそれが腹から背中に抜ける間に御坂美琴の体温を根こそぎ奪い去った。
今まで経験したことのないダメージに御坂美琴の動きは完全に止まってしまう。
そんな御坂美琴に対して五和は体勢を立て直すとフリウリスピアを大きく振り上げる。
(ダメ!この状態でまともに打撃を喰らっちゃ絶対にダメ!早く避けなきゃ!)
御坂美琴の思考は緊急回避命令を発信するものの身体は全く反応してくれない。
(ダメ!全然動かない!!)
その時「ダァン!バキッ!」とどこかで何かが壊れる音がした。
その音に気を取られたのか槍を振りかぶった五和は一瞬視線を横に動す。
その間も御坂美琴は全身の筋肉に向けて必死に指令を送り続ける。
(動け!動け!動け!動け!動け!)
しかしいくら指令を送っても身体はまだ上手く動いてくれない。
(もう少し。あとちょっとで…………)
しかし御坂美琴が回復する前に五和は再び視線を御坂美琴に戻してしまった。
必死にもがく御坂美琴目掛けて五和は上段に構えたフリウリスピアを一気に振り下ろすと
舞台に「バキッ」っという低い打撃音が鳴り響いた。
その時、御坂美琴は振り下ろされる槍から最後まで目を逸らさなかった。
絶対に気を失うまいと歯を食いしばってその瞬間に備えていた。
しかしいつまで経っても槍は御坂美琴の身体を打ち付けない。
槍が振り下ろされた時、耳の直ぐ傍でもの凄い打撃音が鳴り響いたのは確かだ。
事実、目の前には槍を振り下ろした姿勢の女幹部が見える。
ただ、その視線は自分ではなくなぜか自分の後方に向けられていた。
御坂美琴はダメージの残る身体をゆっくり捻って後方へ視線を向ける。
そこには薄紫色に光るマジカルステッキを両手で掲げた超機動少女カナミンの姿があった。
こちらを向きなさい、と恫喝する凶悪な音色に応えて五和は静かに破裂音の主に正対する。
そこには『雷光のレッド』こと御坂美琴の姿があった。
バチン、と再び御坂美琴の前髪から青白い火花が散るとビリビリと大気が震えだした。
「そんな戯言は私の超電磁砲(レールガン)を受けてきってから言いなさい!」
五和を睨み付ける御坂美琴の体内電圧は既に臨界を迎えていた。
押さえきれない電流が青白い電気の蛇となって御坂美琴の身体にまとわりつき、凶暴な音
色を立てながら獲物に牙を剥く時を今か今かと待ち構えている。
しかし臨戦態勢に入った学園都市第3位の超能力者(レベル5)を前にしても五和は不敵
な笑みを崩さない。
「ええ、受けてあげますって言いたいところなんですけど。
貴女はレールガンを撃つことなんてできませんよ。きっと。ふふっ」
「どういうこと?」
「だって、もし私がレールガンを避けちゃったらどうなります?
私の後ろは観客席ですよ。それでも撃ちますか?」
「くっ!…………」
確かにこんな状況でレールガンを撃つほど御坂美琴は馬鹿ではない。
先ほど控え室で暴発しかけたことは当人の名誉のため魔が差したということにしておく。
ビリビリと大気を振るわせていた凶暴な青白い蛇達が御坂美琴の身体に身を沈め始める。
しかしそれは降参を意味するものではない。
「でもね。私の攻撃はレールガンだけじゃないのよ!!」
そう叫んだ御坂美琴の身体から青白い電気の蛇たちが一気に溢れ出すと10億ボルトの雷
撃の槍となって舞台中央に立つ五和に襲いかかる。
その瞬間舞台には激しい爆音が鳴り響き、舞い上がる爆煙が視界を防いだ。
強烈な閃光と爆音に思わず目を閉じ耳を塞いでしまった観客達が恐る恐る目を開けた時、
薄まりつつある爆煙の中には全く無傷の五和の姿があった。
あり得ない状況に驚く御坂美琴は五和の50cm前方の舞台に不自然に刺さった一本の
鉛筆にも気付かない。
御坂美琴から再び雷撃の槍が放たれるが、五和を貫くハズの雷撃の槍は途中で方向をねじ
曲げるとその鉛筆に吸い込まれていった。
「なっ!?」
「避雷針、って思ってくれたら良いですよ。
ただ魔術(オカルト)サイドのものは科学サイドのとはちょっと違いますよ。
この鉛筆がある限り貴女の雷撃の槍は決して私には届きません」
科学的に考えれば地面に刺さった僅か10cmの鉛筆が避雷針になる訳がない。
そもそも只の鉛筆が床に深々と突き刺さっていること自体が不自然なのだ。
御坂美琴には信じ難いことだったが、相手が『魔術』と言った以上、原理は分からないが
そういう機能を果たす装置であると考えるしかない。
もし『ヒヨコ爆弾』事件において姫神秋沙から魔術の話を聞いていなければ、御坂美琴は
きっと何が起こったのかも判らない内に五和に叩き伏せられていただろう。
「わざわざご丁寧にタネ明かしまでしてくれちゃって……とことん私を舐めてるのね?」
「まさか。舐めていないからこんな事するんですよ。
超電磁砲の雷撃をまともに喰らって無事でいられると思うほど自惚れていませんから」
「その口調が余裕綽々なのよ!だったらこれでどう?」
御坂美琴が地面に向けて降ろした右手の指を開くと地面に向けて何本もの稲妻が走る。
すると御坂美琴を中心にして黒い霧が渦を巻きながら集まってきた。
そして黒い渦が稲妻に逆らって舞い上がると長さ1mほどの黒剣を形づくる。
「砂鉄の剣(これ)でアンタのチャンバラごっこに付き合ってあげるわ」
余裕の笑みを浮かべる御坂美琴であったが内心は冷や汗ものだった。
(ふぅーッ、なんとか剣の形になったけど…………
特設会場(ここ)は舗装されているから砂鉄が集まらない。
もし秋沙が魔法でそこら中を破壊してくれてなかったら砂鉄のナイフしかできなかったわ。
でも砂鉄の剣(これ)ができたからにはあんな古くさい槍なんかに負けるもんですか!)
(3-16)
切り札である超電磁砲(レールガン)と雷撃の槍を封じられた上、性能を著しく制限され
た砂鉄の剣で4m以上の長さを持つフリウリスピアと対峙しなければなくなった御坂美琴
は敵戦闘力の分析を行う。
単純な武器として比較するならば、刺突・斬撃・打撃を駆使できる強力な白兵戦用武器で
ある槍と遠い間合いで斬り合えば剣に勝ち目はない。
接近戦になれば槍はその長さが仇となるが、逆に言えば懐に飛び込まない限り剣が槍に
勝つことなどできないのだ。
ただしそれは彼女たちが持つ武器が普通の武器であった場合の話だ。
御坂美琴が能力で造り上げた砂鉄の剣、五和が魔術的補強を施したフリウリスピアの優劣
が常識で計れるハズがない。
御坂美琴は砂鉄の剣に絶対の自信を持っている。槍の穂先だろうが簡単にぶった切ると。
しかしその自信ゆえに闘い方の自由度を自ら狭めてしまう。
たとえ突き出された三つ又の穂先を砂鉄の剣で受け止めても一つの穂先を一瞬で切り落と
してしまうなら残りの穂先が勢いを落とすことなく自分に突き刺さってしまうだろう。
そのことを心配する余り、刺突を体捌きでかわして槍の柄を断ち切る、もしくは相手の懐
に潜り込に相手に斬りつけるという選択肢しか残らなかった。
どちらにしても体捌きで槍の刺突をかいくぐる必要があった。
確かに御坂妹を軽くあしらった技量は決して侮ることはできない。
無駄と思えるほど長い槍をわざわざ持っている以上は懐に飛び込まれないための対策も
当然練っているハズだ。
それでも御坂美琴には自信があった。
なんと言っても今着用しているのは学園都市製のバトルスーツである。
そのパワーアシスト機能は筋肉へ伝達される筋電信号に瞬時に反応しタイムラグなく通常
の5倍の力を引き出してくれる。
そして生みだされる瞬発力は相手を惑わすほどのダッシュや方向転換を可能にしている。
相手の予想を越える素早い動きで刺突をかわして懐に飛び込むつもりであったし、いざと
なればスーツの防弾・防刃・耐爆性能に頼った強引な突進も試みるつもりだった。
一方、相手はビキニアーマーも真っ青な、どう見ても防御力の低そうなボンテージ風
ファッションに身を包んでいる。
というよりは露出狂と言った方が手っ取り早いだろう。
ほとんど素肌を晒しており、僅かに素肌を隠す素材ですら革製にしか見えない。
(なんなのよ、あの格好!
そりゃ動きやすいかもしれないけど、どう考えても防御力0(ゼロ)よね)
防具に関しては私の完勝よね、と余裕の御坂美琴はつい余計なモノまで分析してしまった。
(ぐッ!トップ88cm、Dカップ…………)
バストサイズに関しては御坂美琴の完敗であった。
(巨乳(それ)を私に見せつけるためにわざわざそんな露出度の高い格好をしたってこと?
…………いい気になるんじゃないわよ。この巨乳女がァァあああああ!
こうなったらAカップの意地にかけてアンタを叩きのめしてやる!!)
闘志が燃え上がった御坂美琴は五和に最後通告を突きつける。
「おとなしく降参するなら許してあげるけど、その気はないのよね。
でもね。この砂鉄の剣って一種の超音波ブレードなの。
高速で振動する砂鉄は鋼鉄だって一瞬でぶった切るわ。
あなたの槍なんて触れただけで真っ二つよ。それでも良いなら掛かってきなさい!」
投降を促す御坂美琴に対して五和もニッコリと微笑み返す。
「それはご親切にありがとうございます。では遠慮無く!」
ゆっくりと傾き始めたフリウリスピアの穂先が御坂美琴に向いた瞬間、五和は電光石火の刺突を繰り出した。
五和が繰り出した雷光のような刺突を身体を捻って辛うじて避けた御坂美琴であったが、
予想を超えた刺突の速さにバランスを崩してしまう。
(くッ、速っ!ひとまず体勢を整えないと)
御坂美琴は体勢を立て直すためいったん後方に大きく跳び退く。
御坂美琴がスーツの力を借りて跳躍した距離は4mもあった。
しかし五和は生身とは思えないスピードで一気にその間合いを詰めると、着地の瞬間を狙って再び刺突を繰り出す。
体勢を立て直す隙もなく御坂美琴は着地と同時の左サイドステップで辛くも槍の穂先をかわした。
(3-17)
それでも五和は追撃の手を弛めない。
五和は突き出した槍の柄を脇で挟むとそこを支点として右手一本で槍を水平に払い御坂美
琴の横っ面に穂先を叩き込む。
紙一重で身体を沈めた御坂美琴の頭の直ぐ上をフリウリスピアの穂先がうなりを立てて通過する。
(なっ、なんなのよ。コイツ。スーツを着た私の動きに付いてくるなんて…………
本当に人間!?まさかサイボーグじゃないでしょうね?)
御坂美琴は五和の攻撃を何とか紙一重でかわしているがこのままではジリ貧なのは間違いない。
どうやって反撃しようかと考えたとき一瞬の隙が生まれてしまった。
気付いたときにはフリウリスピアの三つ又の穂先が御坂美琴の視界に飛び込んでいた。
御坂美琴は思わず砂鉄の剣を眼前にかざしフリウリスピアを受け止める。
「ガキッ!キィィィィィィィィッ!」と特設会場内に金属が擦れ合う甲高い音が鳴り響く。
そして高速で振動する砂鉄の剣とぶつかり合うフリウリスピアの穂先が盛大に火花を散らす。
(えっ!?)その時御坂美琴は驚いた顔をしていたに違いない。
御坂美琴は古くさい槍の穂先なんて砂鉄の剣で簡単にぶった切れると思っていた。
だからこそ槍の穂先をわざわざ体捌きだけで避けていたのに現実には槍の穂先は砂鉄の剣
と打ち合ってもビクともしなかったのだ。
(なんなのよ。砂鉄の剣と打ち合ってもびくともしないなんて…………
一体どんな合金使ってんのよ!?それとも硬質多層膜コーティング?
とにかくこの距離は完全に槍の間合いだわ。
どうにかして懐に飛び込まないと私の切っ先はコイツに届かない。
コイツがこの槍を引き戻す時がチャンス!タイミングを合わせて跳び込んでやる)
激しく鍔迫り合いしながら美琴は五和が槍を引く予兆を読み取っていた。
そして五和の右肩の筋肉がピクリと動いた瞬間、御坂美琴は引き戻される槍に合わせ一気に五和の懐に飛び込む。
その時御坂美琴の目には後ろを振り返る五和の背中が映ったのだが、とっさのことに御坂
美琴はそれが何を意味するのかが判らなかった。
それでも右から迫る殺気が身体を貫くと御坂美琴は歯を食いしばり前進を踏みとどまる。
そして急激な方向転換に悲鳴を上げる脚の筋肉を強引に動かしスーツの力も借りて後方へ跳躍する。
同時に御坂美琴の胸元僅か数mm先を横薙ぎに払われた穂先が「ビュッ!」と風切り音を立てて通り過ぎる。
五和は御坂美琴が飛び込んでくることを予測し、引き戻した槍の勢いに身体の捻りを加えて槍の中央を脇に挟んだまま身体ごと一回転したのだ。
もしそのまま飛び込んでいたら御坂美琴は槍の穂先に胴を薙ぎ払われていただろう。
(痛うぅっ!あっぶなかっ…………げっ!)
しかし御坂美琴には脚の痛みを気にするどころか冷や汗をかく隙もなかった。
御坂美琴の目の前で槍の穂先が回転の勢いを殺さずに左上方に跳ね上がると五和の頭上で
弧を描くように大きく旋回する。
遠心力を使ってさらに加速した穂先が右斜め上から御坂美琴に袈裟懸けに叩きつけられる。
白い光の尾を引いて流れる槍の穂先を御坂美琴は右前方に肩から倒れ込むように一回転してかわした。
(いつまでもいい気になってんじゃないわよ!)
御坂美琴は回転した勢いで素早く上体を起こすと膝立ちのまま五和の足首を狙って砂鉄の
剣を横一閃に振り抜く。
「ちっ!」っと舌打ちした五和は御坂美琴の斬撃を2mも跳び上がってかわした。
そして上空から御坂美琴に全体重を掛けた一撃を叩き込む。
御坂美琴は上空から襲いかかる一撃をとっさにもう一度身体を側転させてかわす。
紙一重でかわしたフリウリスピアの穂先は「グァシィィッ!」と音を立てまるでバターに
熱いバターナイフを突き刺すようにコンクリートの床に深々と突き刺さった。
「もらったあぁぁぁぁ!」
御坂美琴は回転した勢いも使って舞台に突き刺さったフリウリスピアの柄に砂鉄の剣を叩き込んだ。
しかしフリウリスピアの柄は「ガキィィィィッ!」と悲鳴のような金切り音をあげたもの
の砂鉄の剣の一撃を受け止めていた。
(えっ!?一体なんなの?この槍!柄もただの木じゃないってこと?)
着地した五和がフリウリスピアを引き抜くと、呆然としてしまった御坂美琴の一瞬の隙を
狙って穂先を螺旋のように回転させて砂鉄の剣を跳ね上げる。
(あっ!)と御坂美琴が我に返った時、その胴はガラ空きになっていた。
その無防備な胴にフリウリスピアの穂先が叩き込まれる。
(3-18)
しかし五和が繰り出したフリウリスピアの穂先は御坂美琴の身体を貫かなかった。
その直前、五和の視界から御坂美琴が消え去っていたのだ。
空を切ったフリウリスピアを引き戻す五和は初めて戸惑いの表情を浮かべる。
素早く周囲を探るが御坂美琴の気配を捉えられない。
それもそのはず今御坂美琴は地上10mの高さから五和を見下ろしていた。
照明器具を吊す鉄製の梁に足裏を貼り付けてぶら下がる姿はコウモリのようだ。
スーツの跳躍力と身体を流れる電流をコントロールし電磁石と化した自分自身の磁力を利
用して舞台を覆う鉄傘まで一気に跳び上がったのだ。
幸い、真下のブラックキャット(五和)はまだこちらに気付いていない。
常識を越えた五和の身体能力と槍の強度に押され気味だった御坂美琴はホッと一息付く。
その時ふとスーツの右胸に付いた数㎝の白い線に気付く。
だがそれは汚れではなく、赤いスーツの裂け目から見えた御坂美琴専用の胸部装甲板
(胸パッドともいう。しかも2枚重ね)だった。
フリウリスピアの切っ先は高い耐刃性能を持つバトルスーツを易々と切り裂き、その傷は
胸パッドにまで達していた。
(えっ、なんでスーツが裂けてんの?
あ─────────っ!胸パッドまで裂けてる!!)
どうやら学園都市製防刃スーツが切り裂かれたことより胸パッドが傷ついたことがよほど
ショックだったらしい。
その時御坂美琴の脳裏に思い出が走馬燈のように蘇えっていた。
初めての邂逅は黒子と行った『学舎の園』のランジェリーショップであった。
売れ残りの哀愁漂う一画に佇むその偉容に目を奪われてしまった。
その時は買うどころか手にとることすらできなかった。
そんな胸部に自信のない女の子に勇気をくれる夢のアイテムが支給品という形で合法的に
手に入った時は思わず小躍りしてしまった。
その後スーツに着替える度に姿見に全身を映すことが習慣になった。
鏡に向かって色んなポーズをしては将来の栄光(とりあえずはBカップ)を夢見ていた。
だから御坂美琴は悔しくて堪らない。
(裂けたのがスーツだけだったら胸パッドは再利用できたのに……………………
あっ!でもこれは私利私欲で言ってるんじゃなくて…………えーっと…………
そう!地球環境を考えれば限りある資源の再利用は人類の義務なんだから!)
そう自分自身に言い聞かせる御坂美琴であった。
だからこそ再利用できないような傷を胸パッドに付けた反エコロジーな悪の女幹部を許す
訳にはいかない、と心の中で理論武装する。
御坂美琴は夢を与えてくれた親友(胸パッド)に感謝を、自分の身代わりとなり巨乳女の
刃に傷ついた戦友(胸パッド)に哀悼の意を送る。
もし戦友(胸パッド)がなければ乙女の柔肌に傷がついていたかもしれない。
もっとも上げ底(胸パッド)がなければスーツが傷つくことすらなかったのだが…………
そのことには言及しない方が賢明だろう。
本件終了後『もう少し胸がデカかったら危なかったな。良かったな。胸が小さくて』と言った
上条が御坂美琴にゲンコツで殴られたのは自業自得だろう。
(身を挺して私を庇ってくれたあなた達の犠牲は決して無駄にはしない。
仇は私がキッチリ取ってあげる。
見てなさい。あの巨乳女をコテンパンに叩きのめしてあげる!!)
今日一番の闘志を燃え上がらせた御坂美琴は(照明用ライトの一つでも頭に叩き付けて
やろうかしら)と周囲を見回す。
そして左右に吊されている手近な照明用ライトを磁力で引き寄せようとした時、天井の
御坂美琴に気付いた五和と目が合ってしまった。
(3-19)
一方、御坂美琴を圧倒しているように見えた五和も実際には余裕など無かった。
表情にこそ出さないが現時点において自分と御坂美琴との差が紙一重ほどもないことを十
分理解していた。
通常、魔術師同士の闘いは敵に遭遇するまでに勝敗は決しているものだ。
敵の力量と闘いの展開をどれほど正確に分析・予測できるか、そしていかに自分に有利な
場所と時間を設定しどれだけの術式を事前に準備しておけるかが勝敗を分ける。
だから五和もこの勝負のために丸5日かけて入念な準備を行ってきた。
なにしろ聖人に匹敵する超能力者(レベル5)が相手である。
考えられるありとあらゆる魔術的補強を施してもし過ぎるということはない。
その対象はフリウリスピアやコスプレ衣装に留まらず、この特設会場にさえ及んでいる。
生身の五和が常人を凌駕するスピードを出せるのも、フリウリスピアが砂鉄の剣と互角に
打ち合えるのも魔術的補強のおかげなのだ。
それに五和は御坂美琴の実力を本人以上に理解している。
可能な限りの魔術的補強を施し防御術式を展開していたとしてもレールガンが直撃すれば
どうなるか?
運が良ければ一撃目は凌げるかもしれない。
しかし一撃目で綻んだ防御術式を組み直す前に二撃目を受ければそれでお終いなのだ。
だから常に観客席を背にしてレールガンを撃たせないようにする必要があった。
避雷針として使った鉛筆は御坂美琴の雷撃の槍を二度防いでくれた。
五和のハッタリを御坂美琴が真に受けたから良かったがもう一度雷撃の槍が放たれていた
ら鉛筆は耐え切れずに跡形もなく砕け散ったに違いない。
御坂美琴自身自覚していないが御坂美琴の性能(スペック)は五和達魔術師から見ても桁
外れなのだ。
フリウリスピアに樹脂を吹きつけてはやすりで削るという作業を1000回以上繰り返し
刻み込んだ『樹木の年輪』の象徴はフリウリスピアの強度を限界まで引き上げている。
そして舗装された特設会場を戦場に選ぶことで変幻自在な攻撃を繰り出せる砂鉄の剣の威
力を大幅に削ぐこともできた。
だから一日の長のある剣技によって御坂美琴を押し込むことができるのだ。
ただし能力者との接近戦を選んだことが五和から魔術攻撃という選択肢を奪ったのも事実だ。
魔術とは能力を持てなかった人間が能力者に近づくために編み出した技術である。
能力者相手にクイックドロー(早撃ち)を挑んでも勝ち目が無いことは判っている。
術式を組み上げている間に能力者の攻撃が魔術師を打ち倒しているだろう。
例えステイル=マグヌスであっても炎剣を出すにはルーンのカードを取り出す時間が必要になる。
だから一流の魔術師はどんな時だろうが無防備な状態は作らないし周囲の警戒も怠らない。
超能力者を前にして術式の組み上げに時間を費やすなどは自殺行為でしかない。
だから術式はあと一動作のみで発動するように予め組み上げておかなければならない。
とはいえ不安定な術式をいくつも抱えたまま闘えば何時それらが暴発するか判らない。
結局、携えられた術式はほんの僅かだった。
(あれだけ何日も前から入念に準備して相手の切り札まで封じ込めたっていうのに
これでようやく対等だなんて……………………
ホント、超能力者(レベル5)ってバケモノですね。イヤになります)
つい愚痴をこぼしたくなる五和だった。
だが愚痴をこぼす前に、先ほどまでの闘いで消費した気を急いで補充しなければならない。
天井の御坂美琴を見据えつつ、五和は静かに呼吸を整えて丹田に送り込んだ大量の気を
必死に練り上げていく。
(3-20)
「そんなところに隠れていたんですか?『雷光のレッド』さん」
「やっと見つけてくれたのね。『ブラックキャット』さん」
「上に逃げたのは良いですけど、それから一体どうするんですか?
飛び降りてきたら串刺しですよ」
「へーっ、心配してくれるんだ。でもその心配は無用かもねっ!!」
そう言いながら御坂美琴は左右の照明用ライトを磁力で引き寄せ根本から引き千切ると
両手を振るってそれらを五和目掛けて投げつける。
「ゴォーッ!」と唸りをあげて二基の照明用ライトが五和に襲いかかる。
しかし五和はフリウリスピアの一閃でそれらをいとも簡単に弾き飛ばしてしまう。
「そんなもので私にダメージを与えられるとでも……………………えっ?」
フリウリスピアを振り抜いた五和は一瞬前まで天井にいた御坂美琴をまたもや見失っていた。
御坂美琴は照明用ライトが五和の視界を遮った瞬間に天井を勢いよく蹴り飛ばしていた。
空中で半回転したものの墜落と言った方が良い着地の衝撃はスーツで吸収しきれず御坂
美琴の全身を軋ませる。
(痛ぅ──────────っ!)
骨の随まで響く痛みが御坂美琴の踵から背骨を通って頭頂まで一気に駆け抜ける。
余りの痛さに涙が出そうになるがここはグッと歯を食いしばる。
この一瞬が勝負を決めるのだ。
御坂美琴は未だ痺れが残る両足を無理やり動かし五和に向けてダッシュした。
御坂美琴の奇襲に五和の迎撃は僅かに遅れてしまう。
突進してくる御坂美琴へ向け慌てて刺突を繰り出したものの今までの鋭さは無かった。
半身になってフリウリスピアを右にかわす御坂美琴は身を捻りながら砂鉄の剣を自分の
身体に巻き付けるように振り上げる。
勢いよく振り上げた砂鉄の剣はフリウリスピアを大きく弾き上げた。
そして返す刀でガラ空きとなった五和の胴を水平に薙ぎ払う。
バランスを崩し後方へ倒れかかっているブラックキャットがこの一撃を防げるとは到底思えない。
(勝った!)
しかし御坂美琴のその確信が油断を生んでしまった。
後方に倒れながらも五和は横蹴りを放ちヒールの踵を御坂美琴の鳩尾に叩き込んだのだ。
本来バランスを崩した状態で繰り出される蹴りに大した威力などあるハズが無い。
これが普通の闘いなら相手の蹴りを警戒しなかったからといって責められることはない。
事実、物理的ダメージなら学園都市製防弾・防刃・耐爆スーツが完璧に防いでいた。
しかし相手が魔術師であることを忘れていたのは完全に御坂美琴の油断だ。
蹴りと同時に踵に組み込まれていた術式が発動すると、その衝撃はスーツを素通りし御坂
美琴の体内に直接ダメージを叩き込んだ。
「うぐぅっ!」
御坂美琴から苦悶の声が漏れだす。
叩き込まれた衝撃はそれが腹から背中に抜ける間に御坂美琴の体温を根こそぎ奪い去った。
今まで経験したことのないダメージに御坂美琴の動きは完全に止まってしまう。
そんな御坂美琴に対して五和は体勢を立て直すとフリウリスピアを大きく振り上げる。
(ダメ!この状態でまともに打撃を喰らっちゃ絶対にダメ!早く避けなきゃ!)
御坂美琴の思考は緊急回避命令を発信するものの身体は全く反応してくれない。
(ダメ!全然動かない!!)
その時「ダァン!バキッ!」とどこかで何かが壊れる音がした。
その音に気を取られたのか槍を振りかぶった五和は一瞬視線を横に動す。
その間も御坂美琴は全身の筋肉に向けて必死に指令を送り続ける。
(動け!動け!動け!動け!動け!)
しかしいくら指令を送っても身体はまだ上手く動いてくれない。
(もう少し。あとちょっとで…………)
しかし御坂美琴が回復する前に五和は再び視線を御坂美琴に戻してしまった。
必死にもがく御坂美琴目掛けて五和は上段に構えたフリウリスピアを一気に振り下ろすと
舞台に「バキッ」っという低い打撃音が鳴り響いた。
その時、御坂美琴は振り下ろされる槍から最後まで目を逸らさなかった。
絶対に気を失うまいと歯を食いしばってその瞬間に備えていた。
しかしいつまで経っても槍は御坂美琴の身体を打ち付けない。
槍が振り下ろされた時、耳の直ぐ傍でもの凄い打撃音が鳴り響いたのは確かだ。
事実、目の前には槍を振り下ろした姿勢の女幹部が見える。
ただ、その視線は自分ではなくなぜか自分の後方に向けられていた。
御坂美琴はダメージの残る身体をゆっくり捻って後方へ視線を向ける。
そこには薄紫色に光るマジカルステッキを両手で掲げた超機動少女カナミンの姿があった。