『とある暗部の未元物質』5
浜面仕上は普通の人間だ。
浜面仕上はごく普通の高校生だ。
浜面仕上はごくごく普通の無能力者だ。
よってRPGの主人公のように秘められた伝説の力や、映画の主人公のように物理法則を無視したような無茶苦茶なアクションができるわけではない。
しかし、そんな没個性人間・浜面仕上は謎の黒づくめ集団の凶弾から逃げるべく、プロのスタントマンも真っ青なスーパーアクションを決め込んでいる。
どうしてこうなったのか。話は45分程前に遡る。
「あぁ、今日は買出しの日だったわ。途中でスーパー寄ってかないとなー」
浜面は自宅の冷蔵庫の状況を思い出しながらそんな事を呻いた。
浜面が借りているアパートは第七学区の西。第九学区と第十五学区のほぼ境目と言ってもいい場所だった。
なので数多くの学校が密集している中心街や『学舎の園』がある南方面と比べると人気の無い場所でもあった。
とは言っても、今は午後二時を少し過ぎたあたり。まだ辺りは充分に明るいし、ポツリポツリではあるが通行人もいる。もちろんいきなりビームを乱射してきたり、クレーンで襲撃するような事は起こるはずがない。
しかし。
前方十時の方向に何やら蠢く二つの物体。
否、人間。
一つは黒。一つは明るい黄色。
あれー?アレどっかで見た事あるよなぁ?つーかあいつらあれで隠れてるつもりなのかなぁ?どうしよう?俺はここで声かけるべき?orスルー?
などと浜面が色々と面倒になりそうだなぁ、などど考えていると隣にいた滝壺が浜面の右腕をぐいっと引っ張り、
「あの人達、なんか苦しんでるよ」
いやあいつらは絶対そうじゃない、と浜面が返そうとした瞬間、前方にいた人影が気配を察したのか、こちらを向いた。
「む…。お、おおおおおぉぉぉぉ!!浜面じゃねぇか!!」
数年来の親友に会ったようなリアクションで歩み寄ってきたのは黒の物体、改め服部半蔵。トコトコとその後ろを郭がついてきた。
「えーと…。色々とツッコミたいところではあるんだが、とりあえず何してるんだ?お前ら…」
浜面の至極当然の質問に少し逡巡してしまう半蔵。
今現在、浜面はスキルアウトを離れ普通の高校生として生活している。風の噂では普通にアルバイトをしている姿を見た、という話も聞いた。
もう浜面仕上は汚い裏路地で手を汚すような事をしている人間ではないし、するべきではない。その事は半蔵自身、浜面の親友として理解していた。
しかし。スキルアウトのリーダー代理として、浜面仕上という人間に復帰して欲しいという気持ちもまた半蔵の本心でもあった。
だが、後者は絶対に浜面に悟られてはならない。悟られでもしたら浜面の性格だ。「俺が何とかする!」なんて言い出してまた無茶するに決まってる。
なので半蔵は適当に理由をつけて浜面をはぐらかし、早々にこの場所を去ろうとしたのだが――、
「浜面氏。私達、『原石』について調べてたら学園都市の連中に追われる羽目になったんですよ」
うぉぉい!!何でそんなあっさり正直に言っちゃうのよ!俺の苦悩と堅い決意はなんなのよ!!と、言いたげな半蔵は漫画のようなリアクションで郭に無言のツッコミを入れる。
が、当の郭は悪びれる様子はないし、それどころか気付いてもいない。
そんな半蔵を無視して浜面はイマイチ状況が掴めないので首を捻りつつ疑問を投げかける。
「なんかよく知らねえけど…とりあえず『原石』って何だ?お前ら今度は宝石でも作るのか?」
「いや、そうではなくて…。『原石』というのは――」
浜面のあまりにも的外れな話に内心呆れつつも郭が説明しようとしたが、それは叶わなかった。
原因は半蔵。
半蔵が浜面に飛びかかり、強制的に地面に伏せさせたのだ。状況が理解できない三人。しかし結論はすぐに導き出された。
先程まで半蔵が背を向けていた壁に刃渡り三十センチ程のサバイバルナイフが突き刺さっていた。それは正確には半蔵を狙ったものなのだが、延長線上に浜面がいた為、結果的に浜面が狙われたような恰好になったのだ。
状況を飲み込み三人の表情にも緊張が走る。
そこからは早かった。
危険と認識するや否や、言葉も交わさずに彼らは散り散りになった。
浜面と滝壺、半蔵、郭、と三方向に分かれて走り出した。
スキルアウトは無能力者の集まり故に、純粋に戦闘に特化した人員はごく一部である。そういった彼らが『警備員』や『風紀委員』、能力者相手に立ち回るには逃げの一手が基本になる。
逃げて逃げて、闇に姿をくらまし相手の不意をつく、それが彼らスキルアウトの戦闘セオリーなのだ。
その為、どんな場所にいてもその場に合わせた逃走ルート、潜伏場所は常に頭に叩き込んである。
特に浜面はスキルアウトの『アシ』の役割を担っていたので逃走ルートの把握は他のスキルアウトのメンバーとは一線を画すものがあった。
実際に浜面が逃げ込んだルートには追っ手の足音が聞こえてくるものの、みるみるその距離を離していっている。
「(何だかよくわかんねえけど、何かおかしな事に巻き込まれたのか!?つーか咄嗟に体が反応して裏路地走り回ってるって…これってある種の職業病なのか~!?)」
そして今に至る。
「ちくしょう!何となく嫌な予感はしてたんだ!でも何だってあいつら俺らを集中的に追ってきやがるんだ!!ターゲットは半蔵達じゃなかったのかよ!!」
ほとんど吐き捨てるように絶叫し逃走する浜面とその手に引かれる滝壺。
「(今手元にある獲物は護身用ナイフだけか。まぁ普通に生活するんだったら拳銃はいらねえもんなぁ…。もっともあの人数相手じゃ拳銃一丁あったって焼け石に水だろうけどよ!)」
追っ手の黒ずくめの集団は目測で七、八人。ただ、連中が各個撃破で追っていると仮定すれば全体の数は二十人以上は確実にいると思われた。
「(可能性は低いとは思うが、もし半蔵達と鉢合わせになった場合、当然奴らとも鉢合わせになる。そうなれば数的不利は否めないよな。だったらイチかバチかどっかに身を隠してやり過ごした方が得策かな…!)」
浜面は路地の角を左に曲がろうとした。彼の記憶が確かならその先には盗んだ金を隠す為に使われていたスペースがあったはずだ。そこに二人も入るのは厳しいが、隠れる場所としてはもってこいの場所だった。
しかし。
ドス、と何かを突き破るような音が聞こえたと思ったら浜面の動きが完全に止まった。
「ぐっ!?あっつ…!!」
浜面の左脇腹にナイフが突き刺さっていた。波状になったキルパンのようなナイフだった。そのナイフは皮膚を突き破り肉を裂くだけではなく、その傷口を抉り取るような形状をしていた。
別ルートから回り込んでいた襲撃者は浜面がこのルートを通るのを見透かしていたかのように待ち構えていたのだ。
浜面は絶叫しなかった。それは声によって追っ手に居場所を知られるのを恐れたわけではない。ただ単純に痛すぎたのだ。体幹から来る凄まじい痛みに声を上げる事すら脳が拒否していたのだ。
「はまづら!!――!?あうっ!」
滝壺は思わず浜面の名を呼んだが、直後、襲撃者の裏拳を喰らい吹き飛ばされてしまう。
その光景を見た浜面は思考が一気に沸騰する。しかし激痛と激しい怒りでまともな思考が働かない。何より体を動かす事が出来なかった。
「(体の感覚が―な、い?何でだ!?毒か!?奴らの能力か!?くそ!動け、動けよ俺の体!!)」
怒りと混乱と焦りと悔しさで思考が滅茶苦茶になっている浜面をよそに襲撃者は上半身のポケットから一丁の拳銃を取り出した。
浜面は自分の体温が下がっていくのを実感した。
襲撃者は倒れている滝壺に照準を合わせ、引き金に指をかけた。
「(何で何でだ何でだよ!!!何で俺は何もできねえんだ!!ちくしょうが!!これじゃ前と何も変わってねえじゃねえか!!!)」
憤怒による鬼の形相と、悔しさからくる泣き出しそうな表情が混在した浜面を一瞥してから襲撃者はゆっくりと引き金を引いた。
『とある暗部の未元物質』6
「あー…何だってお前らがここにいるんだ?つーかお前らの組み合わせって一体ナニ?」
厄介なモノを見つけてしまった、とばかりにテンションの低い声を出しているのは黒髪ツンツン頭の上条当麻。
「いや、別に僕も好き好んでこんな所にいるわけではなくてね。まぁ有り体に言えば仕事ってところだよ」
こっちこそ変なゴミを拾ってしまった、とばかりに嫌味を交えて答える炎の魔術師・ステイル=マグヌス。
「別にいちいち挨拶するような仲じゃないだろ?時間が無いのだからさっさと始めましょう」
男同士の喧嘩なら後で勝手にやれ、とばかりに呆れているのは大地を掌握する魔術師・シェリー=クロムウェル。
御坂美琴から理不尽かつ無慈悲に電撃を喰らった挙句、待ち合わせをしていた筈の姫神とはぐれてしまい、やや茫然自失していた上条当麻であったがいやはや、また一悶着ありそうだ、とこれまでの経験則からこの先の展開を推測する。
「で、何なんだよ?その仕事ってのは?」
「ん…ちょっと人が多くないかい?この時間帯というのは学校の授業じゃないのか?僕達も馬鹿じゃないし、少しでも人が少ない時間帯を狙って侵入したわけなんだが…」
「テメエは人の質問に答える気は微塵も無いんですかそうですか今は一端覧祭っていう学園祭の準備だからほとんどの学校は授業無し有志の連中がその準備をしてるんダヨ」
上条は案の定とも思えるステイルの返答に対し息継ぎなしの無機質な機械音声のようなトーンで返した。
「成程。いや、僕は先の『使徒十字』の件といい、今回といい、どうも祭りという類のものに好かれているのかな」
「そんなモン知るかよ。で、いい加減に答えてもらいたいんだが、仕事ってのは何なんだよ。俺だって暇じゃないんだし、関係無いならさっさとこの場を立ち去りたいわけなんですが」
「じゃあ私が説明しましょう。上条当麻。お前、『魔神』ってのは知ってるか?」
横合いから口を挟んできたのはシェリー。上条とステイルとのやりとりに無駄な時間を過ごしたという思いが強いのか、上条を見る視線が心なしか少し鋭い。
「マジン…?って何だそりゃ?あれか?漫画とかゲームで出てくるモンスターみたいな奴か?」
科学に囲まれた世界で暮らしているのなら当然の反応な筈なのだが、全く的外れな反応に呆れを隠せない魔術世界で育ったシェリーとステイル。
「『魔神』ってのは魔術を極めた結果神の領域にまで足を突っこんだ人間を指す言葉よ。よってお前の言うモンスターとかいう表現は適切じゃないな」
「人間か…何だかよくイメージが沸かないが、そいつがどうかしたのか?」
上条の何の事も無いような質問に魔術師の二人はこれまでとは少し違ったある種の緊張感のある空気を作りだす。
「その『魔神』が学園都市に向かっている」
言ったのはステイル。
「何だって?でもどうして?」
「それはわからないわね。目的もよくわからないし。ただ確実に言える事は一つ。その『魔神』はこれまでのどんな魔術師よりも強いわよ。はっきり言って神裂が加勢した所で時間稼ぎにもならないだろうな」
「…あの右方のフィアンマって奴よりもか?」
「だろうね。奴の『聖なる右』は結局不完全な顕現だったが…それを差し引いても『魔神』はレベルが違いすぎる」
冗談じゃねぇぞ、と上条は思う。
神裂やアックアと言った聖人、騎士団長、前方のヴェント、天草式や騎士派の精鋭、イギリス清教に属する高レベルの魔術師らを総動員してやっと退けた右方のフィアンマを遥かに上回る魔術師がいるとは。
しかし上条には解せない事があった。
「でもさ、そんな強い魔術師が勝手に動いたら色々と面倒が起きるんじゃないのか?ほら、神裂とかは勝手に動けないとか制約があったじゃんか。神の右席が来た時だって一応ローマ教皇の許可があったって話だったじゃねぇか」
「うん、神裂はイギリス清教に属する魔術師だからね。君には理解できないかもしれないが、魔術世界にも色々とルールってものがあるんだよ。彼女はそのルールに準じて活動している。もちろん僕達もね」
だが、とステイルは付け足して、
「『魔神』にはそれがない。奴は魔術世界に身を置きながら、宗派はおろか魔術結社にすら属さない完璧な孤高の魔術師なんだよ」
「孤高の…魔術師……」
上条は息を飲む。
「魔術世界はローマ正教、イギリス清教、ロシア聖教の三者により構築されているのは、これまでの事からわかっているよね。これらはそれぞれが不可侵条約なるものを作って表立った正面衝突を防いでいるわけだが――」
ステイルは吸い終わった煙草を携帯灰皿に入れ、新たな煙草に火をつける。煙草独特の匂いにわずかに顔をしかめたのはシェリー。
「しかし個人で動く『魔神』にはそれが適用されない。そもそも適用された所で奴を止める手段は皆無なんだけどね」
「それで…これからどうするんだ?」
「とりあえず僕達の仕事は禁書目録の保護だ。とは言っても無理矢理君と引き剥がしてイギリスに連れ帰るわけじゃないから安心していいよ。癪ではあるが君も保護対象になってるみたいだからね」
「俺に何かできる事は――」
「勝手に動くのはよしてくれよ。これからあたし達は防御用の結界を張らなきゃならないのよ。あんたのその右手で壊されたら二度手間になるだろ?」
上条の言葉を遮ったのはシェリーだった。
返す言葉が見つからない上条をほくそ笑みながら、ステイルは言う。
「まぁ防御用の結界は保険のようなものだ。戦闘になると決まったわけじゃないし、話し合いで解決できるものであればそれに越した事はないからね。こちらから過剰なアクションを起こす必要もないだろう」
言いながら上条の肩をポンと叩く。
「まぁここまで色々と説明したが、まずはあの子と合流しなくちゃ話は始まらないわけなんだけど…あの子はどこにいるんだい?」
上条は鬱陶しそうとステイルの手を退ける。
「あぁ…そういや小萌先生の所に行くって言ってたな。まぁここからじゃそんな遠くはないし、すぐに落ち合えるだろ」
「よし。じゃあ早速案内してもらおうか。事態は急を要するだろうからね」
『とある暗部の未元物質』7
垣根帝督は学園都市内のとあるコンビニの中にいた。少し小腹が空いたので食料調達に来たというわけだ。
「(ったく、前だったらこんなもん下っ端の野郎を使い走りさせれば済んだ話だったんだけどな。まぁこうやって俗世に触れるのも悪くはねえが――)」
ピリリリッ、という携帯電話の着信音に垣根の思考は遮断された。
誰だこの野郎、と舌打ちしながら携帯電話を取り出すと、そのディスプレイには番号のみが表示されていた。
「(非通知じゃねぇのか?こっちの番号知ってる奴なんてそんないない筈だし、そもそも連中がこんな番号丸出しでかけてくるわけねぇんだけどな)」
垣根は携帯電話を二つ持っていた。一つは『表』の世界で使うもの。一つは『裏』の世界で使うもの。今鳴っているのは後者だ。
考えても仕方ないしとりあえず出るか、と結論を出し通話ボタンを押す。
『お、やっと出たか。用足さない携帯だと思って呆れそうなところだったんだけど』
「ん?誰だお前?」
『随分な言われ様だけど。お前は三時間前に話した人間の声を忘れてしまう程物忘れが酷いのか?』
「ん…あー雲川か。お前何で俺の番号知ってんだよ」
クスッ、という笑いが電話越しに聞こえ垣根は言葉では言い表せないような不快感のようなものを感じた。
『そこは気にするなよ。乙女の秘密という事にしといてくれると嬉しいけど』
「はいはい。で、何用よ?」
『いやあ、そろそろ学園都市の異変に気付いてもらえたかな、と思ってね。復帰に向けての試運転も上々だったと思うんだけど?』
「テメエ全部知ってやがったのか。あいつはお前の差し金…ってわけでも無さそうだな。お前がそんな事するメリットがあるわけねえもんな」
言いながらレジの店員に商品を預けた。直後、店員がビクッ!と肩を震わせたが垣根はそんな事には気付いていない。
『それはそうだ。学園都市第二位に喧嘩を売るほど私は馬鹿じゃないけど』
「じゃあ何なんだ?『ブレイン』とも呼ばれるお方がわざわざコンタクトを取ってきたんだ。下らん世間話じゃないんだろ?」
『察しが早くて助かるよ。それじゃ早速本題に入ろうか。昼間にお前達の『役割』について話したと思うんだけど――』
「あぁ、一方通行の野郎と俺と、それと…削板って奴の話か?」
『そうだ。まぁお前はある程度知っていそうだが、私の方も色々ツテを辿って新しい情報を掴んだんだよ。それを特別に教えてやろうと思ってな』
「これはこれは有難い、と言いたい所なんだが、またどういう風の吹き回しだそりゃ?何だか色々と後が怖いんだが」
『まぁ黙って聞けよ。お前にとっても悪くない話だと思うけど?』
「…」
沈黙は無言の了承。
『さて、いきなり質問なんだが、アレイスターはどうして学園都市を作ったと思う?』
「あ?そんなの俺が聞きたいくらいなんだが?」
『そうだな。では第二の質問だ。一方通行の能力とは何だ?』
「そりゃ『ベクトル操作』だろ?つーかお前俺の事舐めてるだろ?」
垣根は会計が終わったレジで商品を受け取り店の外に出る。午後の陽気のせいか外が少し静かな感じがする。
『では最後の質問だ。一方通行にも操れないベクトルは存在すると思うか?』
「……」
ない、と答えるのが普通だ。
しかし『ブレイン』と呼ばれる天才少女がわざわざこんなわかりきった事を聞いてくると少し勘繰ってしまう。だからこそ垣根はわずかの間を置いて答えた。
「ある、というのが正解なんだろうな」
『では、それは何だと思う?』
雲川の声に笑いのような感情が混じっているような気がした。
「それをお前が教えてくれるんじゃないのか?」
もったいぶってないでさっさと結論を言え、と垣根は思う。
『そうだったな。いや、失礼。私はどうもこうやってもったいぶって話すのが大好きみたいだけど。まぁ悪く思わないでくれ』
雲川は笑いながら言うと、その笑いが引くまで言葉を止めた。
そして数秒の沈黙の後、彼女は一言だけ、ゆっくりとこう言った。
『「時間」――だよ』
浜面仕上は普通の人間だ。
浜面仕上はごく普通の高校生だ。
浜面仕上はごくごく普通の無能力者だ。
よってRPGの主人公のように秘められた伝説の力や、映画の主人公のように物理法則を無視したような無茶苦茶なアクションができるわけではない。
しかし、そんな没個性人間・浜面仕上は謎の黒づくめ集団の凶弾から逃げるべく、プロのスタントマンも真っ青なスーパーアクションを決め込んでいる。
どうしてこうなったのか。話は45分程前に遡る。
「あぁ、今日は買出しの日だったわ。途中でスーパー寄ってかないとなー」
浜面は自宅の冷蔵庫の状況を思い出しながらそんな事を呻いた。
浜面が借りているアパートは第七学区の西。第九学区と第十五学区のほぼ境目と言ってもいい場所だった。
なので数多くの学校が密集している中心街や『学舎の園』がある南方面と比べると人気の無い場所でもあった。
とは言っても、今は午後二時を少し過ぎたあたり。まだ辺りは充分に明るいし、ポツリポツリではあるが通行人もいる。もちろんいきなりビームを乱射してきたり、クレーンで襲撃するような事は起こるはずがない。
しかし。
前方十時の方向に何やら蠢く二つの物体。
否、人間。
一つは黒。一つは明るい黄色。
あれー?アレどっかで見た事あるよなぁ?つーかあいつらあれで隠れてるつもりなのかなぁ?どうしよう?俺はここで声かけるべき?orスルー?
などと浜面が色々と面倒になりそうだなぁ、などど考えていると隣にいた滝壺が浜面の右腕をぐいっと引っ張り、
「あの人達、なんか苦しんでるよ」
いやあいつらは絶対そうじゃない、と浜面が返そうとした瞬間、前方にいた人影が気配を察したのか、こちらを向いた。
「む…。お、おおおおおぉぉぉぉ!!浜面じゃねぇか!!」
数年来の親友に会ったようなリアクションで歩み寄ってきたのは黒の物体、改め服部半蔵。トコトコとその後ろを郭がついてきた。
「えーと…。色々とツッコミたいところではあるんだが、とりあえず何してるんだ?お前ら…」
浜面の至極当然の質問に少し逡巡してしまう半蔵。
今現在、浜面はスキルアウトを離れ普通の高校生として生活している。風の噂では普通にアルバイトをしている姿を見た、という話も聞いた。
もう浜面仕上は汚い裏路地で手を汚すような事をしている人間ではないし、するべきではない。その事は半蔵自身、浜面の親友として理解していた。
しかし。スキルアウトのリーダー代理として、浜面仕上という人間に復帰して欲しいという気持ちもまた半蔵の本心でもあった。
だが、後者は絶対に浜面に悟られてはならない。悟られでもしたら浜面の性格だ。「俺が何とかする!」なんて言い出してまた無茶するに決まってる。
なので半蔵は適当に理由をつけて浜面をはぐらかし、早々にこの場所を去ろうとしたのだが――、
「浜面氏。私達、『原石』について調べてたら学園都市の連中に追われる羽目になったんですよ」
うぉぉい!!何でそんなあっさり正直に言っちゃうのよ!俺の苦悩と堅い決意はなんなのよ!!と、言いたげな半蔵は漫画のようなリアクションで郭に無言のツッコミを入れる。
が、当の郭は悪びれる様子はないし、それどころか気付いてもいない。
そんな半蔵を無視して浜面はイマイチ状況が掴めないので首を捻りつつ疑問を投げかける。
「なんかよく知らねえけど…とりあえず『原石』って何だ?お前ら今度は宝石でも作るのか?」
「いや、そうではなくて…。『原石』というのは――」
浜面のあまりにも的外れな話に内心呆れつつも郭が説明しようとしたが、それは叶わなかった。
原因は半蔵。
半蔵が浜面に飛びかかり、強制的に地面に伏せさせたのだ。状況が理解できない三人。しかし結論はすぐに導き出された。
先程まで半蔵が背を向けていた壁に刃渡り三十センチ程のサバイバルナイフが突き刺さっていた。それは正確には半蔵を狙ったものなのだが、延長線上に浜面がいた為、結果的に浜面が狙われたような恰好になったのだ。
状況を飲み込み三人の表情にも緊張が走る。
そこからは早かった。
危険と認識するや否や、言葉も交わさずに彼らは散り散りになった。
浜面と滝壺、半蔵、郭、と三方向に分かれて走り出した。
スキルアウトは無能力者の集まり故に、純粋に戦闘に特化した人員はごく一部である。そういった彼らが『警備員』や『風紀委員』、能力者相手に立ち回るには逃げの一手が基本になる。
逃げて逃げて、闇に姿をくらまし相手の不意をつく、それが彼らスキルアウトの戦闘セオリーなのだ。
その為、どんな場所にいてもその場に合わせた逃走ルート、潜伏場所は常に頭に叩き込んである。
特に浜面はスキルアウトの『アシ』の役割を担っていたので逃走ルートの把握は他のスキルアウトのメンバーとは一線を画すものがあった。
実際に浜面が逃げ込んだルートには追っ手の足音が聞こえてくるものの、みるみるその距離を離していっている。
「(何だかよくわかんねえけど、何かおかしな事に巻き込まれたのか!?つーか咄嗟に体が反応して裏路地走り回ってるって…これってある種の職業病なのか~!?)」
そして今に至る。
「ちくしょう!何となく嫌な予感はしてたんだ!でも何だってあいつら俺らを集中的に追ってきやがるんだ!!ターゲットは半蔵達じゃなかったのかよ!!」
ほとんど吐き捨てるように絶叫し逃走する浜面とその手に引かれる滝壺。
「(今手元にある獲物は護身用ナイフだけか。まぁ普通に生活するんだったら拳銃はいらねえもんなぁ…。もっともあの人数相手じゃ拳銃一丁あったって焼け石に水だろうけどよ!)」
追っ手の黒ずくめの集団は目測で七、八人。ただ、連中が各個撃破で追っていると仮定すれば全体の数は二十人以上は確実にいると思われた。
「(可能性は低いとは思うが、もし半蔵達と鉢合わせになった場合、当然奴らとも鉢合わせになる。そうなれば数的不利は否めないよな。だったらイチかバチかどっかに身を隠してやり過ごした方が得策かな…!)」
浜面は路地の角を左に曲がろうとした。彼の記憶が確かならその先には盗んだ金を隠す為に使われていたスペースがあったはずだ。そこに二人も入るのは厳しいが、隠れる場所としてはもってこいの場所だった。
しかし。
ドス、と何かを突き破るような音が聞こえたと思ったら浜面の動きが完全に止まった。
「ぐっ!?あっつ…!!」
浜面の左脇腹にナイフが突き刺さっていた。波状になったキルパンのようなナイフだった。そのナイフは皮膚を突き破り肉を裂くだけではなく、その傷口を抉り取るような形状をしていた。
別ルートから回り込んでいた襲撃者は浜面がこのルートを通るのを見透かしていたかのように待ち構えていたのだ。
浜面は絶叫しなかった。それは声によって追っ手に居場所を知られるのを恐れたわけではない。ただ単純に痛すぎたのだ。体幹から来る凄まじい痛みに声を上げる事すら脳が拒否していたのだ。
「はまづら!!――!?あうっ!」
滝壺は思わず浜面の名を呼んだが、直後、襲撃者の裏拳を喰らい吹き飛ばされてしまう。
その光景を見た浜面は思考が一気に沸騰する。しかし激痛と激しい怒りでまともな思考が働かない。何より体を動かす事が出来なかった。
「(体の感覚が―な、い?何でだ!?毒か!?奴らの能力か!?くそ!動け、動けよ俺の体!!)」
怒りと混乱と焦りと悔しさで思考が滅茶苦茶になっている浜面をよそに襲撃者は上半身のポケットから一丁の拳銃を取り出した。
浜面は自分の体温が下がっていくのを実感した。
襲撃者は倒れている滝壺に照準を合わせ、引き金に指をかけた。
「(何で何でだ何でだよ!!!何で俺は何もできねえんだ!!ちくしょうが!!これじゃ前と何も変わってねえじゃねえか!!!)」
憤怒による鬼の形相と、悔しさからくる泣き出しそうな表情が混在した浜面を一瞥してから襲撃者はゆっくりと引き金を引いた。
『とある暗部の未元物質』6
「あー…何だってお前らがここにいるんだ?つーかお前らの組み合わせって一体ナニ?」
厄介なモノを見つけてしまった、とばかりにテンションの低い声を出しているのは黒髪ツンツン頭の上条当麻。
「いや、別に僕も好き好んでこんな所にいるわけではなくてね。まぁ有り体に言えば仕事ってところだよ」
こっちこそ変なゴミを拾ってしまった、とばかりに嫌味を交えて答える炎の魔術師・ステイル=マグヌス。
「別にいちいち挨拶するような仲じゃないだろ?時間が無いのだからさっさと始めましょう」
男同士の喧嘩なら後で勝手にやれ、とばかりに呆れているのは大地を掌握する魔術師・シェリー=クロムウェル。
御坂美琴から理不尽かつ無慈悲に電撃を喰らった挙句、待ち合わせをしていた筈の姫神とはぐれてしまい、やや茫然自失していた上条当麻であったがいやはや、また一悶着ありそうだ、とこれまでの経験則からこの先の展開を推測する。
「で、何なんだよ?その仕事ってのは?」
「ん…ちょっと人が多くないかい?この時間帯というのは学校の授業じゃないのか?僕達も馬鹿じゃないし、少しでも人が少ない時間帯を狙って侵入したわけなんだが…」
「テメエは人の質問に答える気は微塵も無いんですかそうですか今は一端覧祭っていう学園祭の準備だからほとんどの学校は授業無し有志の連中がその準備をしてるんダヨ」
上条は案の定とも思えるステイルの返答に対し息継ぎなしの無機質な機械音声のようなトーンで返した。
「成程。いや、僕は先の『使徒十字』の件といい、今回といい、どうも祭りという類のものに好かれているのかな」
「そんなモン知るかよ。で、いい加減に答えてもらいたいんだが、仕事ってのは何なんだよ。俺だって暇じゃないんだし、関係無いならさっさとこの場を立ち去りたいわけなんですが」
「じゃあ私が説明しましょう。上条当麻。お前、『魔神』ってのは知ってるか?」
横合いから口を挟んできたのはシェリー。上条とステイルとのやりとりに無駄な時間を過ごしたという思いが強いのか、上条を見る視線が心なしか少し鋭い。
「マジン…?って何だそりゃ?あれか?漫画とかゲームで出てくるモンスターみたいな奴か?」
科学に囲まれた世界で暮らしているのなら当然の反応な筈なのだが、全く的外れな反応に呆れを隠せない魔術世界で育ったシェリーとステイル。
「『魔神』ってのは魔術を極めた結果神の領域にまで足を突っこんだ人間を指す言葉よ。よってお前の言うモンスターとかいう表現は適切じゃないな」
「人間か…何だかよくイメージが沸かないが、そいつがどうかしたのか?」
上条の何の事も無いような質問に魔術師の二人はこれまでとは少し違ったある種の緊張感のある空気を作りだす。
「その『魔神』が学園都市に向かっている」
言ったのはステイル。
「何だって?でもどうして?」
「それはわからないわね。目的もよくわからないし。ただ確実に言える事は一つ。その『魔神』はこれまでのどんな魔術師よりも強いわよ。はっきり言って神裂が加勢した所で時間稼ぎにもならないだろうな」
「…あの右方のフィアンマって奴よりもか?」
「だろうね。奴の『聖なる右』は結局不完全な顕現だったが…それを差し引いても『魔神』はレベルが違いすぎる」
冗談じゃねぇぞ、と上条は思う。
神裂やアックアと言った聖人、騎士団長、前方のヴェント、天草式や騎士派の精鋭、イギリス清教に属する高レベルの魔術師らを総動員してやっと退けた右方のフィアンマを遥かに上回る魔術師がいるとは。
しかし上条には解せない事があった。
「でもさ、そんな強い魔術師が勝手に動いたら色々と面倒が起きるんじゃないのか?ほら、神裂とかは勝手に動けないとか制約があったじゃんか。神の右席が来た時だって一応ローマ教皇の許可があったって話だったじゃねぇか」
「うん、神裂はイギリス清教に属する魔術師だからね。君には理解できないかもしれないが、魔術世界にも色々とルールってものがあるんだよ。彼女はそのルールに準じて活動している。もちろん僕達もね」
だが、とステイルは付け足して、
「『魔神』にはそれがない。奴は魔術世界に身を置きながら、宗派はおろか魔術結社にすら属さない完璧な孤高の魔術師なんだよ」
「孤高の…魔術師……」
上条は息を飲む。
「魔術世界はローマ正教、イギリス清教、ロシア聖教の三者により構築されているのは、これまでの事からわかっているよね。これらはそれぞれが不可侵条約なるものを作って表立った正面衝突を防いでいるわけだが――」
ステイルは吸い終わった煙草を携帯灰皿に入れ、新たな煙草に火をつける。煙草独特の匂いにわずかに顔をしかめたのはシェリー。
「しかし個人で動く『魔神』にはそれが適用されない。そもそも適用された所で奴を止める手段は皆無なんだけどね」
「それで…これからどうするんだ?」
「とりあえず僕達の仕事は禁書目録の保護だ。とは言っても無理矢理君と引き剥がしてイギリスに連れ帰るわけじゃないから安心していいよ。癪ではあるが君も保護対象になってるみたいだからね」
「俺に何かできる事は――」
「勝手に動くのはよしてくれよ。これからあたし達は防御用の結界を張らなきゃならないのよ。あんたのその右手で壊されたら二度手間になるだろ?」
上条の言葉を遮ったのはシェリーだった。
返す言葉が見つからない上条をほくそ笑みながら、ステイルは言う。
「まぁ防御用の結界は保険のようなものだ。戦闘になると決まったわけじゃないし、話し合いで解決できるものであればそれに越した事はないからね。こちらから過剰なアクションを起こす必要もないだろう」
言いながら上条の肩をポンと叩く。
「まぁここまで色々と説明したが、まずはあの子と合流しなくちゃ話は始まらないわけなんだけど…あの子はどこにいるんだい?」
上条は鬱陶しそうとステイルの手を退ける。
「あぁ…そういや小萌先生の所に行くって言ってたな。まぁここからじゃそんな遠くはないし、すぐに落ち合えるだろ」
「よし。じゃあ早速案内してもらおうか。事態は急を要するだろうからね」
『とある暗部の未元物質』7
垣根帝督は学園都市内のとあるコンビニの中にいた。少し小腹が空いたので食料調達に来たというわけだ。
「(ったく、前だったらこんなもん下っ端の野郎を使い走りさせれば済んだ話だったんだけどな。まぁこうやって俗世に触れるのも悪くはねえが――)」
ピリリリッ、という携帯電話の着信音に垣根の思考は遮断された。
誰だこの野郎、と舌打ちしながら携帯電話を取り出すと、そのディスプレイには番号のみが表示されていた。
「(非通知じゃねぇのか?こっちの番号知ってる奴なんてそんないない筈だし、そもそも連中がこんな番号丸出しでかけてくるわけねぇんだけどな)」
垣根は携帯電話を二つ持っていた。一つは『表』の世界で使うもの。一つは『裏』の世界で使うもの。今鳴っているのは後者だ。
考えても仕方ないしとりあえず出るか、と結論を出し通話ボタンを押す。
『お、やっと出たか。用足さない携帯だと思って呆れそうなところだったんだけど』
「ん?誰だお前?」
『随分な言われ様だけど。お前は三時間前に話した人間の声を忘れてしまう程物忘れが酷いのか?』
「ん…あー雲川か。お前何で俺の番号知ってんだよ」
クスッ、という笑いが電話越しに聞こえ垣根は言葉では言い表せないような不快感のようなものを感じた。
『そこは気にするなよ。乙女の秘密という事にしといてくれると嬉しいけど』
「はいはい。で、何用よ?」
『いやあ、そろそろ学園都市の異変に気付いてもらえたかな、と思ってね。復帰に向けての試運転も上々だったと思うんだけど?』
「テメエ全部知ってやがったのか。あいつはお前の差し金…ってわけでも無さそうだな。お前がそんな事するメリットがあるわけねえもんな」
言いながらレジの店員に商品を預けた。直後、店員がビクッ!と肩を震わせたが垣根はそんな事には気付いていない。
『それはそうだ。学園都市第二位に喧嘩を売るほど私は馬鹿じゃないけど』
「じゃあ何なんだ?『ブレイン』とも呼ばれるお方がわざわざコンタクトを取ってきたんだ。下らん世間話じゃないんだろ?」
『察しが早くて助かるよ。それじゃ早速本題に入ろうか。昼間にお前達の『役割』について話したと思うんだけど――』
「あぁ、一方通行の野郎と俺と、それと…削板って奴の話か?」
『そうだ。まぁお前はある程度知っていそうだが、私の方も色々ツテを辿って新しい情報を掴んだんだよ。それを特別に教えてやろうと思ってな』
「これはこれは有難い、と言いたい所なんだが、またどういう風の吹き回しだそりゃ?何だか色々と後が怖いんだが」
『まぁ黙って聞けよ。お前にとっても悪くない話だと思うけど?』
「…」
沈黙は無言の了承。
『さて、いきなり質問なんだが、アレイスターはどうして学園都市を作ったと思う?』
「あ?そんなの俺が聞きたいくらいなんだが?」
『そうだな。では第二の質問だ。一方通行の能力とは何だ?』
「そりゃ『ベクトル操作』だろ?つーかお前俺の事舐めてるだろ?」
垣根は会計が終わったレジで商品を受け取り店の外に出る。午後の陽気のせいか外が少し静かな感じがする。
『では最後の質問だ。一方通行にも操れないベクトルは存在すると思うか?』
「……」
ない、と答えるのが普通だ。
しかし『ブレイン』と呼ばれる天才少女がわざわざこんなわかりきった事を聞いてくると少し勘繰ってしまう。だからこそ垣根はわずかの間を置いて答えた。
「ある、というのが正解なんだろうな」
『では、それは何だと思う?』
雲川の声に笑いのような感情が混じっているような気がした。
「それをお前が教えてくれるんじゃないのか?」
もったいぶってないでさっさと結論を言え、と垣根は思う。
『そうだったな。いや、失礼。私はどうもこうやってもったいぶって話すのが大好きみたいだけど。まぁ悪く思わないでくれ』
雲川は笑いながら言うと、その笑いが引くまで言葉を止めた。
そして数秒の沈黙の後、彼女は一言だけ、ゆっくりとこう言った。
『「時間」――だよ』