業務用スーパーという特殊性か、一般的な学生の姿は少ない。むしろ喫茶店やファミレスの制服が目に付く。メイド服からエプロンだけ外したような格好の女の子が二人の脇を通り過ぎた。
「部屋って……」
「部屋なら。作り置きのめんつゆもある。天丼にしてもいい」
「いや、でも一人暮らしの女の子の部屋に上がりこむっていうのも……」
「大丈夫。信用してる」
「さ、流石に不味いような……」
「それに。看病してくれるなら。家の場所くらい知っておかないと」
思いつく言い訳を全て並べ終え、う、と上条は言葉に詰まる。というか、
(なんだこの妙な雰囲気……!?)
抵抗がある、というより抵抗しないと流されてしまいそうな空気がある。
「そっ、そうだ、インデックスにエサやらないといけないから! とりあえずまた今度な!」
「……。そう」
いつもの無表情で姫神は返した。しかしなんでだろう、僅かに下を向いて、肩を落としている気がする。
「悪い姫神、またいつか機会作るから……っと、電話だ」
ポケットの中の携帯が振動していた。開けば『土御門元春』という名が表示されている。
「もしもし、土御門? どうした?」
「やーかみやん! 今日鍋しないかにゃー?」
「……鍋?」
「そ! いやー、舞夏の奴が廃棄食材を貰ってきたんだが、賞味期限がギリギリでにゃー? 量もあるからインデックス連れて来てもいいぜよ?」
それは家計的に物凄く助かる。それに舞夏はいわば料理のプロである訳だし味の保障付きだ。
「ああ、分かった。……なぁ土御門、さらに一人追加しても大丈夫か?」
「うん? 問題なしだけど誰かにゃー?」
「ちょっと待ってくれ」
携帯のマイク部分を手で塞ぎ、少し先を歩いていた姫神に声をかける。
「なぁ姫神、土御門が鍋やるらしいんだけどお前も来る?」
「……。お鍋」
「ああ、無料だってよ」
「お邪魔じゃ。ないのなら」
「了解、土御門? 姫神も来るってさ」
「……にゃー? かみやん、今どこにいるぜよ?」
電話口から訝しげな土御門の声。確かに姫神と学校外で会うようなことは珍しかった、だからそのせいだろう。
「スーパー。買出しの途中で姫神に会ったんだよ」
「スーパーならシメのうどんを頼むぜい。さすがにうどんまでは常備してないのにゃー」
「了解、他に何か買うものあるか?」
「それなら」
「…………!?」
いつのまにかすぐ傍まで来ていた姫神が会話に割り込んでいた。電話に口を近づけて喋りだす。
(ちっ、近っ、近いって……!!)
丁度上条が姫神の頬に口付けするような形になってしまっていた。化粧気が無いにも関わらずその肌は滑らかで、病的なほど白く、そこに紅い唇が映える。シャンプーとは違う、けれどどこか懐かしいような匂いがした。
「それなら。てんぷらを持っていくから」
「にゃー? 姫神か? そんなに気を使わなくてもいいぞ?」
「……逆に。何も持っていかないのも。気分が悪い」
「そうかにゃー、それなら頼むぜい」
「……。わかった」
「という訳でかみやん、うどん十玉くらい頼んだぜーい? ……かみやん? もしもーし」
「あ、ああ、分かった」
一歩退いてから答える。けれど明らかに動揺していた。姫神も自分がしていたことに気付いたのだろう、頬を紅く染めていた。
「他に必要なものはないか?」
「んー特に無いかにゃー。ってかかみやん、もしかして姫神んちによってくのかにゃー?」
姫神の方を見る。会話が聞こえていたのだろう、表情を変えないまま赤くなり何度も頷いていた。
「そういうことになりそうだ」
「……時に、かみやん」
唐突に、土御門が声を低くする。その声はかつて御使堕しや、使途十字の事件に聞いた声で、
「……何か、あったのか」
「ちゃんとゴムは
「切るぞ」
通話を切って携帯をポケットに仕舞った。
「部屋って……」
「部屋なら。作り置きのめんつゆもある。天丼にしてもいい」
「いや、でも一人暮らしの女の子の部屋に上がりこむっていうのも……」
「大丈夫。信用してる」
「さ、流石に不味いような……」
「それに。看病してくれるなら。家の場所くらい知っておかないと」
思いつく言い訳を全て並べ終え、う、と上条は言葉に詰まる。というか、
(なんだこの妙な雰囲気……!?)
抵抗がある、というより抵抗しないと流されてしまいそうな空気がある。
「そっ、そうだ、インデックスにエサやらないといけないから! とりあえずまた今度な!」
「……。そう」
いつもの無表情で姫神は返した。しかしなんでだろう、僅かに下を向いて、肩を落としている気がする。
「悪い姫神、またいつか機会作るから……っと、電話だ」
ポケットの中の携帯が振動していた。開けば『土御門元春』という名が表示されている。
「もしもし、土御門? どうした?」
「やーかみやん! 今日鍋しないかにゃー?」
「……鍋?」
「そ! いやー、舞夏の奴が廃棄食材を貰ってきたんだが、賞味期限がギリギリでにゃー? 量もあるからインデックス連れて来てもいいぜよ?」
それは家計的に物凄く助かる。それに舞夏はいわば料理のプロである訳だし味の保障付きだ。
「ああ、分かった。……なぁ土御門、さらに一人追加しても大丈夫か?」
「うん? 問題なしだけど誰かにゃー?」
「ちょっと待ってくれ」
携帯のマイク部分を手で塞ぎ、少し先を歩いていた姫神に声をかける。
「なぁ姫神、土御門が鍋やるらしいんだけどお前も来る?」
「……。お鍋」
「ああ、無料だってよ」
「お邪魔じゃ。ないのなら」
「了解、土御門? 姫神も来るってさ」
「……にゃー? かみやん、今どこにいるぜよ?」
電話口から訝しげな土御門の声。確かに姫神と学校外で会うようなことは珍しかった、だからそのせいだろう。
「スーパー。買出しの途中で姫神に会ったんだよ」
「スーパーならシメのうどんを頼むぜい。さすがにうどんまでは常備してないのにゃー」
「了解、他に何か買うものあるか?」
「それなら」
「…………!?」
いつのまにかすぐ傍まで来ていた姫神が会話に割り込んでいた。電話に口を近づけて喋りだす。
(ちっ、近っ、近いって……!!)
丁度上条が姫神の頬に口付けするような形になってしまっていた。化粧気が無いにも関わらずその肌は滑らかで、病的なほど白く、そこに紅い唇が映える。シャンプーとは違う、けれどどこか懐かしいような匂いがした。
「それなら。てんぷらを持っていくから」
「にゃー? 姫神か? そんなに気を使わなくてもいいぞ?」
「……逆に。何も持っていかないのも。気分が悪い」
「そうかにゃー、それなら頼むぜい」
「……。わかった」
「という訳でかみやん、うどん十玉くらい頼んだぜーい? ……かみやん? もしもーし」
「あ、ああ、分かった」
一歩退いてから答える。けれど明らかに動揺していた。姫神も自分がしていたことに気付いたのだろう、頬を紅く染めていた。
「他に必要なものはないか?」
「んー特に無いかにゃー。ってかかみやん、もしかして姫神んちによってくのかにゃー?」
姫神の方を見る。会話が聞こえていたのだろう、表情を変えないまま赤くなり何度も頷いていた。
「そういうことになりそうだ」
「……時に、かみやん」
唐突に、土御門が声を低くする。その声はかつて御使堕しや、使途十字の事件に聞いた声で、
「……何か、あったのか」
「ちゃんとゴムは
「切るぞ」
通話を切って携帯をポケットに仕舞った。
「……。どうぞ」
「……ん、お邪魔します……」
姫神が開けたドアをくぐった。入ってすぐの空間には台所や洗面台、そしてトイレや風呂のドアがある。新居独特の畳の匂いと生活臭が混じっていた。
「へー……綺麗にしてるんだな」
「……つい先日。引っ越したばかりだから」
姫神の部屋は上条の寮から少し離れた場所にあった。どうも、季節はずれの引越しだったため学校の寮には空きが無かったらしい。外観はすこし古臭かったが、内装はずいぶん綺麗にされていた。
台所にはいくつもフックが取り付けられ、そこにおたまやフライ返し、フライパンなどがぶら下がっている。コンロ周りも綺麗に掃除してあり、姫神の性格がうかがえる。
「……とりあえず。中で座ってて」
「ああ、悪い」
靴を脱いで部屋に上がり、少し歩くと洗濯カゴが見えて、
「…………!」
「……そんな所で止まられると。私が通れない」
「あ、わ、悪い、俺何も見てないから!」
「…………?」
フリルのついた赤いひもパンと、それに合わせたデザインのブラが思いっきり見えていた。正直インデックスのパンツならいい加減見慣れていたけれど、こんな可愛らしいデザインではないし、何よりブラのボリュームが段違いだ。
(ていうか無防備過ぎますよ姫神サン!! ……けど、姫神って案外着やせするタイプなんだなーってなに考えてるんだ俺……!)
バクバク言ってる心臓を押さえ、なんとか体裁を保つ。すると後ろからバサバサバサーッという音が聞こえ、
「……見た?」
「な、何が?」
振り向くと、姫神が慌てて下着を隠しているところだった。
「……。何でも。ない」
二人揃ってどぎまぎしつつのれんを潜ると、次の部屋は和室になっていた。一つだけあるカラーボックスには教科書が仕舞われており、その上に学校鞄が置いてある。隣には箪笥があり、洋服はそこに仕舞っているのだろう。部屋の片隅にある和服掛けと巫女服が妙に和室と合っていた。
「あんまり物ないんだな……」
小萌先生の部屋が綺麗になったらこんな感じかな、と上条は思う。
「お金。あまりないから。……服を着替えたら。下ごしらえ始める」
「着替え……って、えええ!?」
上条が振り向くと――ジャケットを脱ぎ、エプロンの腰紐を結んでいる姫神がいた。
「……何か。期待するようなことでも」
「……いえ、何でもありませんですはい」
「じゃあ。始めるから。ついてきて」
「……はい」
言われるがまま、姫神の後についていく。台所で手を洗うと、姫神はやかんでお湯を沸かし始める。開いたシンクで上条も手を洗った。
お湯が沸くまでの間に、姫神は冷凍庫から海老と貝の剥き身を解凍する。海老の解凍が終ると殻を剥き、キッチンペーパーで水気を取った。
「……てんぷらを揚げる時には。まず水気をしっかり取ること。じゃないと。油が跳ねる」
「ふぅん……っと、お湯沸いてるぞ」
姫神がまな板と包丁を取り出してシンクに置き、そのまま熱湯を注いで消毒をする。
次にキャベツや玉葱、茄子やサツマイモなどを調理台に並べた。
「今日は。キャベツと玉葱。茄子と。サツマイモのてんぷら。それから海老天」
「……キャベツ? それに、玉葱もか」
「キャベツも。玉葱も。揚げると甘くて美味しい」
貝の解凍が終わり、それの水気も取る。それから大き目の鍋にサラダ油とゴマ油を入れ火にかけた。
「……油は180℃。サラダ油とゴマ油を混ぜると。カラッと揚がる」
「……こんなに油使うのか? もったいなくない?」
「……油は。少ないと美味しくならない。私は。あれを使ってる」
そう言って台所の隅を指差した。小さくしたドラム缶のようなものが置いてある。
「これなんだ?」
「……ろ過機。使用済みの油を。綺麗にする」
「……なんだか、すげぇ主婦してるのな、お前。お母さんみたいだ」
「……。お母さん」
「……ん、お邪魔します……」
姫神が開けたドアをくぐった。入ってすぐの空間には台所や洗面台、そしてトイレや風呂のドアがある。新居独特の畳の匂いと生活臭が混じっていた。
「へー……綺麗にしてるんだな」
「……つい先日。引っ越したばかりだから」
姫神の部屋は上条の寮から少し離れた場所にあった。どうも、季節はずれの引越しだったため学校の寮には空きが無かったらしい。外観はすこし古臭かったが、内装はずいぶん綺麗にされていた。
台所にはいくつもフックが取り付けられ、そこにおたまやフライ返し、フライパンなどがぶら下がっている。コンロ周りも綺麗に掃除してあり、姫神の性格がうかがえる。
「……とりあえず。中で座ってて」
「ああ、悪い」
靴を脱いで部屋に上がり、少し歩くと洗濯カゴが見えて、
「…………!」
「……そんな所で止まられると。私が通れない」
「あ、わ、悪い、俺何も見てないから!」
「…………?」
フリルのついた赤いひもパンと、それに合わせたデザインのブラが思いっきり見えていた。正直インデックスのパンツならいい加減見慣れていたけれど、こんな可愛らしいデザインではないし、何よりブラのボリュームが段違いだ。
(ていうか無防備過ぎますよ姫神サン!! ……けど、姫神って案外着やせするタイプなんだなーってなに考えてるんだ俺……!)
バクバク言ってる心臓を押さえ、なんとか体裁を保つ。すると後ろからバサバサバサーッという音が聞こえ、
「……見た?」
「な、何が?」
振り向くと、姫神が慌てて下着を隠しているところだった。
「……。何でも。ない」
二人揃ってどぎまぎしつつのれんを潜ると、次の部屋は和室になっていた。一つだけあるカラーボックスには教科書が仕舞われており、その上に学校鞄が置いてある。隣には箪笥があり、洋服はそこに仕舞っているのだろう。部屋の片隅にある和服掛けと巫女服が妙に和室と合っていた。
「あんまり物ないんだな……」
小萌先生の部屋が綺麗になったらこんな感じかな、と上条は思う。
「お金。あまりないから。……服を着替えたら。下ごしらえ始める」
「着替え……って、えええ!?」
上条が振り向くと――ジャケットを脱ぎ、エプロンの腰紐を結んでいる姫神がいた。
「……何か。期待するようなことでも」
「……いえ、何でもありませんですはい」
「じゃあ。始めるから。ついてきて」
「……はい」
言われるがまま、姫神の後についていく。台所で手を洗うと、姫神はやかんでお湯を沸かし始める。開いたシンクで上条も手を洗った。
お湯が沸くまでの間に、姫神は冷凍庫から海老と貝の剥き身を解凍する。海老の解凍が終ると殻を剥き、キッチンペーパーで水気を取った。
「……てんぷらを揚げる時には。まず水気をしっかり取ること。じゃないと。油が跳ねる」
「ふぅん……っと、お湯沸いてるぞ」
姫神がまな板と包丁を取り出してシンクに置き、そのまま熱湯を注いで消毒をする。
次にキャベツや玉葱、茄子やサツマイモなどを調理台に並べた。
「今日は。キャベツと玉葱。茄子と。サツマイモのてんぷら。それから海老天」
「……キャベツ? それに、玉葱もか」
「キャベツも。玉葱も。揚げると甘くて美味しい」
貝の解凍が終わり、それの水気も取る。それから大き目の鍋にサラダ油とゴマ油を入れ火にかけた。
「……油は180℃。サラダ油とゴマ油を混ぜると。カラッと揚がる」
「……こんなに油使うのか? もったいなくない?」
「……油は。少ないと美味しくならない。私は。あれを使ってる」
そう言って台所の隅を指差した。小さくしたドラム缶のようなものが置いてある。
「これなんだ?」
「……ろ過機。使用済みの油を。綺麗にする」
「……なんだか、すげぇ主婦してるのな、お前。お母さんみたいだ」
「……。お母さん」
記憶喪失の上条に、母親との思い出はない。ただ知識として知っている一般的な母親像や、数度会ったことのある『記憶に無い』母親の持つ空気、そういったものを、今の姫神は持っている気がしていた。
「考え方もそうだけどさ。そのエプロン姿とか、髪のまとめ方とか」
「……これだけ長いと。扱いも大変だから」
「ふぅん……その割りに、学校ではいつもストレートだけどな」
体育の授業はもちろん、大覇星祭の中ですら姫神はいつもどおりの髪型で通していた。長い髪は手入れも勿論、日常生活ですら邪魔になる。それを通しているのは、
「……。綺麗って。言ってくれるかなって」
「ん、ごめん聞き取れなかった。なんだって?」
「……。なんでもない」
姫神は赤い顔のまま、トレイに海老と貝を並べていく。
「ま、俺は今の髪型も好きだけど」
やることもなく、手持ち無沙汰のまま、そう上条は呟いた。
「……聞こえて。た?」
「……何が?」
話している間にもう油は熱くなっている。火を調整してタネの仕込みに取り掛かった。
「……衣は。薄力粉と。卵と炭酸水。薄力粉は。何度も振るうとさっくりしあがる」
冷蔵庫から良く冷えた炭酸水と卵を取り出す。片手で卵を割り、炭酸水と一緒にボウルへ入れる。それを上条に手渡し、
「これ。溶いて」
「了解」
上条が卵を溶いている間に、姫神が薄力粉を振るう。
「姫神、これでいいか?」
「……。大丈夫。貸して」
ボウルの中に振るった薄力粉を半量入れて手早く混ぜる。残りも入れて、同じようにさっくりかき混ぜた。
「衣が粘り気を持つと。美味しく揚がらない。だから混ぜすぎないのがコツ」
衣を作り終わって、次にキャベツ。一枚一枚洗った後、太い芯だけ取り除いてから一口大に切る。
「私は。キャベツを揚げているから。他の野菜の下拵えを。お願い」
「分かった、……野菜から揚げるんだな」
「……海老とか貝は。先に揚げると油を悪くする」
姫神は菜箸の先に衣を付け、油に垂らした。
「油の温度は。衣を落としたとき。表面で散るくらいがベスト。ただし。火の通りにくいものは。もう少し低い温度で揚げる」
落とした衣が油の表面で飛沫のようになった。
姫神が野菜を揚げ、その隣で上条がそれを見つつ野菜を切っていく。空いた時間に油を切るためのキッチンペーパーの準備や、海老と貝の下拵えを進めていった。
窓の外はいつの間にか日が暮れていて、気付けば一時間ほど経過していた。
(女の子の部屋で、二人並んでてんぷらの準備って……)
随分盛り上がりが無い、と上条は思う。
(……いや、別に何を期待しているって訳でもないんですが)
「……野菜が終ったら。次は海老。魚介類は油が跳ねやすいから。薄力粉を塗してから。衣を付ける」
この時点で、既に上条がやることは残っていない。姫神の手際を見ているだけだ。随分慣れた様子で海老の並んだトレイに薄力粉を塗し、衣を付けていく。
「……あとは。長年の勘」
「本当に主婦みてーだな、お前」
海老の尻尾をつまんで油に入れる、と、
「……あっ、つっ……!」
盛大に油が跳ね、姫神の手についた。
「ちょっ、大丈夫か姫神!」
「……ん。大丈夫。……」
姫神の手を取って見ると、人差し指の腹が赤くなっていた。火ぶくれにはなっていないようで少し安心する。
「…………あの。上条君」
「……? なんだ姫神、他のところも火傷したのか?」
「……。手……」
姫神と上条の視線が絡んだ。手を取ったまま、何故か動けなくなる。
(……ってなんですかコレ、何この甘い雰囲気――!!)
何か。するの。とでも言わんばかりに姫神は上条を見つめている。対する上条は硬直して、もはや何がなんだか分からない。
「……」
姫神は一つため息をついて、
「……。手。火傷してるから。冷やしてくれると。助かる」
「そっ、そうだよな、冷やさないとな!」
上条が蛇口を捻り、姫神の手を握ったまま水に晒した。
「……。…………」
(って、だからなんなんですかこの空気ー!?)
「…………。…………」
(くっあっー!!)
「考え方もそうだけどさ。そのエプロン姿とか、髪のまとめ方とか」
「……これだけ長いと。扱いも大変だから」
「ふぅん……その割りに、学校ではいつもストレートだけどな」
体育の授業はもちろん、大覇星祭の中ですら姫神はいつもどおりの髪型で通していた。長い髪は手入れも勿論、日常生活ですら邪魔になる。それを通しているのは、
「……。綺麗って。言ってくれるかなって」
「ん、ごめん聞き取れなかった。なんだって?」
「……。なんでもない」
姫神は赤い顔のまま、トレイに海老と貝を並べていく。
「ま、俺は今の髪型も好きだけど」
やることもなく、手持ち無沙汰のまま、そう上条は呟いた。
「……聞こえて。た?」
「……何が?」
話している間にもう油は熱くなっている。火を調整してタネの仕込みに取り掛かった。
「……衣は。薄力粉と。卵と炭酸水。薄力粉は。何度も振るうとさっくりしあがる」
冷蔵庫から良く冷えた炭酸水と卵を取り出す。片手で卵を割り、炭酸水と一緒にボウルへ入れる。それを上条に手渡し、
「これ。溶いて」
「了解」
上条が卵を溶いている間に、姫神が薄力粉を振るう。
「姫神、これでいいか?」
「……。大丈夫。貸して」
ボウルの中に振るった薄力粉を半量入れて手早く混ぜる。残りも入れて、同じようにさっくりかき混ぜた。
「衣が粘り気を持つと。美味しく揚がらない。だから混ぜすぎないのがコツ」
衣を作り終わって、次にキャベツ。一枚一枚洗った後、太い芯だけ取り除いてから一口大に切る。
「私は。キャベツを揚げているから。他の野菜の下拵えを。お願い」
「分かった、……野菜から揚げるんだな」
「……海老とか貝は。先に揚げると油を悪くする」
姫神は菜箸の先に衣を付け、油に垂らした。
「油の温度は。衣を落としたとき。表面で散るくらいがベスト。ただし。火の通りにくいものは。もう少し低い温度で揚げる」
落とした衣が油の表面で飛沫のようになった。
姫神が野菜を揚げ、その隣で上条がそれを見つつ野菜を切っていく。空いた時間に油を切るためのキッチンペーパーの準備や、海老と貝の下拵えを進めていった。
窓の外はいつの間にか日が暮れていて、気付けば一時間ほど経過していた。
(女の子の部屋で、二人並んでてんぷらの準備って……)
随分盛り上がりが無い、と上条は思う。
(……いや、別に何を期待しているって訳でもないんですが)
「……野菜が終ったら。次は海老。魚介類は油が跳ねやすいから。薄力粉を塗してから。衣を付ける」
この時点で、既に上条がやることは残っていない。姫神の手際を見ているだけだ。随分慣れた様子で海老の並んだトレイに薄力粉を塗し、衣を付けていく。
「……あとは。長年の勘」
「本当に主婦みてーだな、お前」
海老の尻尾をつまんで油に入れる、と、
「……あっ、つっ……!」
盛大に油が跳ね、姫神の手についた。
「ちょっ、大丈夫か姫神!」
「……ん。大丈夫。……」
姫神の手を取って見ると、人差し指の腹が赤くなっていた。火ぶくれにはなっていないようで少し安心する。
「…………あの。上条君」
「……? なんだ姫神、他のところも火傷したのか?」
「……。手……」
姫神と上条の視線が絡んだ。手を取ったまま、何故か動けなくなる。
(……ってなんですかコレ、何この甘い雰囲気――!!)
何か。するの。とでも言わんばかりに姫神は上条を見つめている。対する上条は硬直して、もはや何がなんだか分からない。
「……」
姫神は一つため息をついて、
「……。手。火傷してるから。冷やしてくれると。助かる」
「そっ、そうだよな、冷やさないとな!」
上条が蛇口を捻り、姫神の手を握ったまま水に晒した。
「……。…………」
(って、だからなんなんですかこの空気ー!?)
「…………。…………」
(くっあっー!!)
もう日はとっくに暮れている。街灯のおかげで足元は明るいが、行き交う人はまばらだった。その中を、買い物袋を提げた上条と、竹かごを抱えた姫神が歩いてた。
「……随分遅れたから。急がないと」
「だな、もう始めてるだろうし」
時間を考えると既に鍋は食べられつくしているかもしれなかった。食材は大量にあると聞いていたが、インデックスのことを考えるとありえない話ではない。下手するとシメのうどんだけで夕食を過ごす羽目になる。
「……ま、それはそれでいいかもしれねーけどな」
「……何の。こと?」
「いんや、何でもない」
「……。そう。ならいい」
「って、なんで俯いちまうんだ姫神?」
「なんでも。ない」
街灯の間隔は広く、その間は暗かった。だからきっと、頬の朱色に気付くことも無いのだろう。
「ほら、着いたぞ」
「……上条君の。部屋」
「あれ、来たことなかったか?」
「……上条君が。居ないときなら」
「……それはそれで、問題がある気がするけどな……」
階段を登って上条の部屋へ。もう鍋パーティーは始まっているところだろう、土御門の部屋には電気が点いていた。気になることといえば上条宅にも電気がついていることだが、
「インデックスの奴、電気消し忘れてったな……」
「……私のことを主婦って言ってたけど。上条君も十分に主婦だと思う」
「うるせぇ」
ポケットから取り出した鍵を差込み、捻る。ガチャリと音がして鍵が開き、ドアノブに手をかける。
「ただいまー……って、なんだこの匂い……? 鍋、か……?」
なにやらいい匂いがする。となりのお宅からだろうか、モツ鍋のような……。
「土御門ー? もしかしてうちで鍋やってるのかー?」
靴を脱ぎ部屋に入る。
「……私は。入っていい?」
「と、悪い悪い、勝手に上がってくれ」
振り向かずに答え、部屋の奥に入る。すると、そこには――
「何してんだお前ら!?」
――思い思いの姿で寝ている三人の姿があった。
インデックスは鍋のすぐ傍、床で茶碗と箸を握り締めながら涎をたらしている。土御門は壁にもたれかかり、その膝を枕に舞夏が寝言を呟いている。
「……随分遅れたから。急がないと」
「だな、もう始めてるだろうし」
時間を考えると既に鍋は食べられつくしているかもしれなかった。食材は大量にあると聞いていたが、インデックスのことを考えるとありえない話ではない。下手するとシメのうどんだけで夕食を過ごす羽目になる。
「……ま、それはそれでいいかもしれねーけどな」
「……何の。こと?」
「いんや、何でもない」
「……。そう。ならいい」
「って、なんで俯いちまうんだ姫神?」
「なんでも。ない」
街灯の間隔は広く、その間は暗かった。だからきっと、頬の朱色に気付くことも無いのだろう。
「ほら、着いたぞ」
「……上条君の。部屋」
「あれ、来たことなかったか?」
「……上条君が。居ないときなら」
「……それはそれで、問題がある気がするけどな……」
階段を登って上条の部屋へ。もう鍋パーティーは始まっているところだろう、土御門の部屋には電気が点いていた。気になることといえば上条宅にも電気がついていることだが、
「インデックスの奴、電気消し忘れてったな……」
「……私のことを主婦って言ってたけど。上条君も十分に主婦だと思う」
「うるせぇ」
ポケットから取り出した鍵を差込み、捻る。ガチャリと音がして鍵が開き、ドアノブに手をかける。
「ただいまー……って、なんだこの匂い……? 鍋、か……?」
なにやらいい匂いがする。となりのお宅からだろうか、モツ鍋のような……。
「土御門ー? もしかしてうちで鍋やってるのかー?」
靴を脱ぎ部屋に入る。
「……私は。入っていい?」
「と、悪い悪い、勝手に上がってくれ」
振り向かずに答え、部屋の奥に入る。すると、そこには――
「何してんだお前ら!?」
――思い思いの姿で寝ている三人の姿があった。
インデックスは鍋のすぐ傍、床で茶碗と箸を握り締めながら涎をたらしている。土御門は壁にもたれかかり、その膝を枕に舞夏が寝言を呟いている。
「……地獄絵図……」
「……これは。何があったの?」
「原因はコレ、かな……」
そう呟いて、上条は床に転がっている空き缶の一つを拾い上げた。
「……それは。ビール?」
「酎ハイもあるぞ。……酒瓶まで転がってるな、これ」
空き缶だけでも30個近くある。その全てが空になっているあたり、どんなことがあったのかは読み解けた。
「……要するに。土御門が酒を持ち込んでそれを二人とも飲んじまったんだろ。……さて、これどうするかなー……」
土御門義兄妹はあれで幸せそうだが、インデックスは流石にこのままでは駄目だろう。
「……よっと。姫神、ベッドの布団めくってくれるか?」
「……。お姫様。抱っこ……」
呟きながら、姫神が布団をめくり上げた。そこに抱え上げたインデックスを横たえ布団を被せる。
「……よし、こんなもんか」
「……上条君。ベッド。一つだけ」
一つ息をつき、
「同衾?」
「んなわけねぇーだろ!? 上条さんはお風呂場で鍵かけて寝ています! ……それで姫神、どうする? うどんだけでも食べていくか……って、姫神?」
振り向くと、ベッドに近い壁へと姫神がもたれている。節目がちで、吐息にかすれた音が混じり――顔が、赤い。
よくよく思い出してみれば、そういった兆候はあった。顔を赤くする、呆けてこちらの話を聞かない、それは良く考えていれば気付けたことかもしれなかった。
「……姫神? 大丈夫か、顔色悪いぞ……?」
「……大丈夫。ちょっと。疲れた。だけ。うどん。は……」
「うどんよりお前のことだっての!」
切りそろえられた前髪を避け、額に手を当てる。
「……。あ……」
「三十八度越えてるかな……ベッドは塞がってるし、第一男の部屋で寝かせとくわけにも……」
「……大丈夫。一人で。帰れる」
抱えていた竹カゴを卓袱台の上に乗せて姫神が背を向けた。数歩歩いたところで何もないところに躓き、よろける。
「姫神!? 大丈夫か!?」
「う。あ……!」
慌てて上条が支えると、姫神の体は柔らかく――そして、熱かった。
(うわっ、右手っ! 右手になんか柔らかい感触が――ってそんな場合じゃねぇ!)
丁度抱きとめるような形になってしまい、姫神は慌てて抜け出そうとする。
「上条君。……大丈夫だから。離して……!」
「馬鹿、こんなふらふらで大丈夫な訳ないだろ! いいから捕まってろ!」
姫神の声はいつもの平坦な調子を装っていたが、上擦り、そして精彩を欠いている。
上条は姫神の背に腕を回し、ウエストを手で支える。そして姫神の左手を担いだ。
「とりあえず、部屋まで送ってくから。具合悪くなったら休むから言え。って、聞こえてるか姫神?」
姫神の目蓋がゆるゆると落ちて行き、閉じられる。息は熱く、身体は力を無くして、
「姫神? ……姫神!?」
その声を最後に、姫神の意識は堕ちていった。
「……これは。何があったの?」
「原因はコレ、かな……」
そう呟いて、上条は床に転がっている空き缶の一つを拾い上げた。
「……それは。ビール?」
「酎ハイもあるぞ。……酒瓶まで転がってるな、これ」
空き缶だけでも30個近くある。その全てが空になっているあたり、どんなことがあったのかは読み解けた。
「……要するに。土御門が酒を持ち込んでそれを二人とも飲んじまったんだろ。……さて、これどうするかなー……」
土御門義兄妹はあれで幸せそうだが、インデックスは流石にこのままでは駄目だろう。
「……よっと。姫神、ベッドの布団めくってくれるか?」
「……。お姫様。抱っこ……」
呟きながら、姫神が布団をめくり上げた。そこに抱え上げたインデックスを横たえ布団を被せる。
「……よし、こんなもんか」
「……上条君。ベッド。一つだけ」
一つ息をつき、
「同衾?」
「んなわけねぇーだろ!? 上条さんはお風呂場で鍵かけて寝ています! ……それで姫神、どうする? うどんだけでも食べていくか……って、姫神?」
振り向くと、ベッドに近い壁へと姫神がもたれている。節目がちで、吐息にかすれた音が混じり――顔が、赤い。
よくよく思い出してみれば、そういった兆候はあった。顔を赤くする、呆けてこちらの話を聞かない、それは良く考えていれば気付けたことかもしれなかった。
「……姫神? 大丈夫か、顔色悪いぞ……?」
「……大丈夫。ちょっと。疲れた。だけ。うどん。は……」
「うどんよりお前のことだっての!」
切りそろえられた前髪を避け、額に手を当てる。
「……。あ……」
「三十八度越えてるかな……ベッドは塞がってるし、第一男の部屋で寝かせとくわけにも……」
「……大丈夫。一人で。帰れる」
抱えていた竹カゴを卓袱台の上に乗せて姫神が背を向けた。数歩歩いたところで何もないところに躓き、よろける。
「姫神!? 大丈夫か!?」
「う。あ……!」
慌てて上条が支えると、姫神の体は柔らかく――そして、熱かった。
(うわっ、右手っ! 右手になんか柔らかい感触が――ってそんな場合じゃねぇ!)
丁度抱きとめるような形になってしまい、姫神は慌てて抜け出そうとする。
「上条君。……大丈夫だから。離して……!」
「馬鹿、こんなふらふらで大丈夫な訳ないだろ! いいから捕まってろ!」
姫神の声はいつもの平坦な調子を装っていたが、上擦り、そして精彩を欠いている。
上条は姫神の背に腕を回し、ウエストを手で支える。そして姫神の左手を担いだ。
「とりあえず、部屋まで送ってくから。具合悪くなったら休むから言え。って、聞こえてるか姫神?」
姫神の目蓋がゆるゆると落ちて行き、閉じられる。息は熱く、身体は力を無くして、
「姫神? ……姫神!?」
その声を最後に、姫神の意識は堕ちていった。
「……あれ。ここ。は?」
揺られる背中の上で、姫神が僅かに意識を戻す。
「お、起きたか、姫神?」
「……どこ。ここ……」
「あと少しでお前の部屋だからもう少し休んでろよ」
「……上条。……君っ!! わたっ、私。一人であるけるからっ……」
「あああ暴れるなっつーの! いいから大人しくしろって!」
上条に担がれている、ということに気付いたのだろう。必死に身を離そうとする。その動きで肩に掛けられていた学生服が地面へと落ちた。
「……。上着?」
「ああ、……お前担いでるとこの季節でも暑いんだよ。だからお前に掛けさせてもらった。拾うからちょっと引っ付いてもらえるか?」
「……。引っ付いて……」
「ほら、危ないだろ?」
「……。……」
上条の首を抱くように、姫神が腕を回す。首筋に熱い吐息が、肩甲骨の辺りに胸が当たる。動揺を押さえ上条がしゃがみ込み、姫神が上着を拾い上げた。
「歩くからな、ちゃんと捕まってろよ」
「……うん。……重く。ない?」
「……インデックスなんかよりは軽くないけどな、それでもまだ軽い。もっと食べろよ、お前」
揺られる背中の上で、姫神が僅かに意識を戻す。
「お、起きたか、姫神?」
「……どこ。ここ……」
「あと少しでお前の部屋だからもう少し休んでろよ」
「……上条。……君っ!! わたっ、私。一人であるけるからっ……」
「あああ暴れるなっつーの! いいから大人しくしろって!」
上条に担がれている、ということに気付いたのだろう。必死に身を離そうとする。その動きで肩に掛けられていた学生服が地面へと落ちた。
「……。上着?」
「ああ、……お前担いでるとこの季節でも暑いんだよ。だからお前に掛けさせてもらった。拾うからちょっと引っ付いてもらえるか?」
「……。引っ付いて……」
「ほら、危ないだろ?」
「……。……」
上条の首を抱くように、姫神が腕を回す。首筋に熱い吐息が、肩甲骨の辺りに胸が当たる。動揺を押さえ上条がしゃがみ込み、姫神が上着を拾い上げた。
「歩くからな、ちゃんと捕まってろよ」
「……うん。……重く。ない?」
「……インデックスなんかよりは軽くないけどな、それでもまだ軽い。もっと食べろよ、お前」
鍵を姫神に開けてもらい、部屋の中へと入る。姫神を壁際に座らせた。
「布団、ここでいいんだよな」
「……自分で。敷けるから」
「いいから座っとけって」
押入れを開け布団を取り出していく。ちゃぶ台を壁に立て掛け、敷布団、毛布、掛け布団の順で並べた。
「ほら、姫神、布団敷いたから」
上条は肩と膝の裏に手をかけ、姫神を抱き上げる。
「じ。自分で。歩けるから……!」
「そんなこと言われたって、もう布団に下ろす方が早いぞ」
敷布団の上に姫神を寝かせ、毛布と掛け布団を首元まで被せる。
「小萌先生がもうすぐ来てくれるって言うから、着替えとかはやってもらえ。……あのせんせーにどこまで出来るかは分からないけど。あと、おかゆ作っておくから食べられるようになったら少しでも食え」
「待って……」
立ち上がろうとする上条の手を、姫神が掴んだ。
「ちょっ、うわっ……!?」
上条がバランスを崩し、布団の上に手をつく。それはまるで、姫神に覆いかぶさるようで、
「……もう少し。ここに。いて」
熱に浮かされた姫神の目は、風邪で弱ったときに誰かを頼るという、ただそれだけだったのだろうか。しかし姫神の目は上条を見詰め、上条の目もまた、姫神を放さない。
「姫、神……」
さっきまで姫神に当たっていた蛍光灯の光を、上条の体が遮り――
「姫神ちゃーん!! だっ、大丈夫なのですか!?」
ドアを開ける音と共に小さい先生の声が聞こえ、ぱたぱたという足音が無言になった二人の間に響く。
「……かっ、上条ちゃん……!? びょっ、病人に何をしてるのですかー!?」
「いっいいいいいえ何も!? じゃあひっ、姫神っ!! 俺もう行くから! また学校でな!!」
言い捨てて上条が逃げていく。部屋には姫神と小萌先生だけが残った。
「……。小萌先生の。馬鹿」
「……ひ、姫神ちゃん……? 一体何が……」
「なんでも。ない」
未だに状況が飲み込めていない小萌先生から姫神は視線を外し、天井を見詰める。
「……ちょっと。夢をみた。だけ……。だから」
「布団、ここでいいんだよな」
「……自分で。敷けるから」
「いいから座っとけって」
押入れを開け布団を取り出していく。ちゃぶ台を壁に立て掛け、敷布団、毛布、掛け布団の順で並べた。
「ほら、姫神、布団敷いたから」
上条は肩と膝の裏に手をかけ、姫神を抱き上げる。
「じ。自分で。歩けるから……!」
「そんなこと言われたって、もう布団に下ろす方が早いぞ」
敷布団の上に姫神を寝かせ、毛布と掛け布団を首元まで被せる。
「小萌先生がもうすぐ来てくれるって言うから、着替えとかはやってもらえ。……あのせんせーにどこまで出来るかは分からないけど。あと、おかゆ作っておくから食べられるようになったら少しでも食え」
「待って……」
立ち上がろうとする上条の手を、姫神が掴んだ。
「ちょっ、うわっ……!?」
上条がバランスを崩し、布団の上に手をつく。それはまるで、姫神に覆いかぶさるようで、
「……もう少し。ここに。いて」
熱に浮かされた姫神の目は、風邪で弱ったときに誰かを頼るという、ただそれだけだったのだろうか。しかし姫神の目は上条を見詰め、上条の目もまた、姫神を放さない。
「姫、神……」
さっきまで姫神に当たっていた蛍光灯の光を、上条の体が遮り――
「姫神ちゃーん!! だっ、大丈夫なのですか!?」
ドアを開ける音と共に小さい先生の声が聞こえ、ぱたぱたという足音が無言になった二人の間に響く。
「……かっ、上条ちゃん……!? びょっ、病人に何をしてるのですかー!?」
「いっいいいいいえ何も!? じゃあひっ、姫神っ!! 俺もう行くから! また学校でな!!」
言い捨てて上条が逃げていく。部屋には姫神と小萌先生だけが残った。
「……。小萌先生の。馬鹿」
「……ひ、姫神ちゃん……? 一体何が……」
「なんでも。ない」
未だに状況が飲み込めていない小萌先生から姫神は視線を外し、天井を見詰める。
「……ちょっと。夢をみた。だけ……。だから」