とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

SS 3-170

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集


第五話『対人指向性散弾地雷の日常』have a break

闇。
 太陽が存在しない世界。
 月がこの世の全てを支配する時間。
 突然だった。
 夜の世界を埋め尽くす静寂の中、風を切る影が、月の中に現われた。
 だがそれも一瞬のこと。黒に浮かぶ黄色い円を横切ったシルエットは、現われた時と同じくすぐに消え去った。
 闇に溶けて消えたそれの姿は、誰の目にも止まることはなかった。
 暗黒。
 静寂。

 バキッという音とともに殴り付けられて、学生服姿の少年は薄汚い路地裏の地面に倒れ伏した。
「ギャハハハ!ザマァ見やがれ!もやし野郎が!」
「ハッハァーッ!思い知ったか!調子野郎!」
 数人がかりで少年を痛め付ける不良達の輪の外では、その惨状に一人の少女が震えている。
「イチャイチャしてるからいけねぇんだぜぇ?!イケ面クンよォー!」
「裏の世界で最強を誇る俺たちに見つかったのが運の尽きだったな!」
 ボキッ!という一際不気味な音がして少年が動かなくなると、不良達は少女を相手に振り向いた。
 その下卑た視線に、少女はヒッと身を震わせる。
「ギャハハ!そんなに怖がんなよ!可愛いお顔が台無しだぜぇ?!」
「そうだぜお嬢ちゃん、あんな弱っちい野郎なんて置いといてさ、俺たちと遊ぼうぜ?!」
「今はそいつもお寝んね中だから、ちょっとぐらいの浮気なんてバレやしねぇよ!」
 ピクリとも動かない少年。にじり寄る不良達。
「い……いやぁ!!」
 耐えかねたように、少女は暗い路地の奥へと逃げ出した。
 しかしそれも長くは続かない。
 キャッと悲鳴をあげて、少女は何かに足をとられたように転んだ。不良達のうち、一際体の大きな一人が、手元にあった小石を投げ付けたのだ。
「ゲへへへ、そんなに俺たちが嫌だってのかい?」
「そんなら仕方ないなぁ――」
「ちょーっとだけ、痛い目にあってもらおうかぁー?」
 不良達が、倒れこむ少女に手を伸ばす。
 迫り来る恐怖に、少女が甲高い悲鳴をあげる――
 ――その時だった!


「そこらへんにしておくんだな、不良共」

 声と同時、少女に手をのばしていた不良三人の指がぽろぽろと落っこちた!
「ギャアアアアア!!」
「なんだ!いったい誰の仕業だ!」
 姿の見当たらない敵!怒鳴り合う不良達!
「よく言うぜ、か弱い女の子によってたかったりなんかしやがって」
 そこか!と不良達が振り向いた先には!なんと!包帯巻き姿の少年が、空中に浮いていた!
「お前等、完璧な暴行罪だぜ?分かってんのか?」
 空中で不敵に告げる少年に、不良達は怒り狂う!
「てめえ!よくも俺様の指を!俺の最強の能力、“加速装置”(アクセルレート)でボコボコに――」
 最後まで言い終わる隙もなかった!包帯の少年は目にも止まらぬ速さでに背後に回り込み、手にした日本刀で切り付けていた!
 声もなくくずおれる不良!
「確かに、最強に似てはいるな。名前だけ」
 言い捨てる少年!不良達の怒りは頂点に達した!
「てめぇぇええぇえ!よくもやってくれたな!俺の超絶能力!“肉体硬化”(フルメタルボディ)で生ごみにして――」
 直後!その体は、バラバラに切り刻まれていた!
「はいうぇいいいいいい!」
 その早業!何をしたのかも分からぬ間の出来事に、不良たちは肝を潰す!
「誰なんだお前!第七学区最強の俺たち“サンダーフレイム”のリーダー、グレンゴリとギーリムを、一瞬で倒すなんて!」
 その恐怖の声に、少年はフッと笑って答えた!
「学園都市最強の風紀委員と言えば、お前たちにも分かるだろう?」
 なっ!?と、不良の一人が息を飲む!
「まさかお前は!チャイルド・オブ・ピーチの異名を持つ、最強の――!?」
 最後まで言うことはできなかった!少年が腕を一振りすると、喉から血を流して倒れこむ!血に濡れた包帯をだらりとぶら下げて、少年は他の不良達へと振り返った!
「そうだ……俺は最強の風紀委員……戦場に生きる破壊神……」
 顔に巻かれた包帯を歪ませ、獰猛な笑みを浮かべながら。日本刀と血塗られた包帯を携えて、少年は高らかに言い放った!
「その名は、桃太郎!」

「なんてもん見てんだよ、ミサカ」


 そのあまりにも破滅的なネーミングセンスその他に、ちょっとの間見入ってしまっていた俺もさすがに声をあげた。
 ここはとある病院の談話室。教室程の広さに椅子と長テーブルを並べ、テレビをポイッと置いただけの部屋。中庭に向けられた一面のガラス張りからは日光がさんさんと降り注ぎ、太陽は今日も核融合に励んでいることを知らせている。
 その正午の日光によって明るく照らされた空間には、現在二人の人間が存在していた。
「何をと言われれば、『桃太郎伝説エピソードONE~暗闇からの始まり~』ですが?とミサカは番組情報欄通りの題名を答えます」
 という無表情な不思議口調の不思議少女ミサカと、
「エピソードONEって……まだまだ続編があんのかよ……」
 ちょっぴり脱力的に絶句中の俺。
 午前中に行われる診察等を終えた俺は、ミサカと一緒に中庭で電磁波障害克服の訓練をしようと思っていたのだが、その準備の途中で彼女を発見しただった。ミサカはいつものようにボーっとした表情で安っぽい椅子に腰掛け、珍しいことにアニメを放送するテレビを視ていた。
 いや。眺めていた、と言った方が正確かもしれない。
 こいつはただ何となくフラフラとこの部屋に入り込んでユラユラと椅子に座り、ポケーっとして顔を上げるとたまたまそこにテレビの画面があったのだろう。
『ミサカは、言葉を発さない』
「お前、これいっつも見てんのか?」
 画面を見やって言う。そこでは今、ちょっと強そうな不良(イケメン)と一騎打ちを始めようとしている少年を映していた。
 ミサカは、いいえ、と首を横に振る。
「アニメを見るというのも、これが初めてです、ミサカは事実を述べます」
「……そうか」
 俺はポソっと呟いた。
『ミサカは、言葉を発さない』
 なんだよ、それ。
 お前は今まで、どんな生活をしてきたんだ?
 俺はひどくやるせない気持ちになった。
 あの夜カエル先生が告げた事実に、俺もようやく気付き始めていた。
 彼女は、普通の人間が経験していて当たり前なことをほとんどしたことがなかった。それほどに長い間、彼女は病院の中に閉じ込められていたと言うのだろうか。そうして、普通の人間たちが当たり前に楽しむことさえ知らされなかったというのだろうか。人と関わる術を持つ必要がなく、一言も話すことがなくなるまでに。
 しかし、ミサカは今、俺と言葉を交わしていた。
「そういえばあなたも風紀委員でしたね、とミサカはいつか聞いた情報を反芻します」
 彼女は、ふと思い出したように言った。
「ん?あぁ、一応な。でもあんな理不尽な暴力なんかは現実にはないぞ」
 俺は少し呆れたように言う。現在、画面には力尽きた不良少年の頭を足で踏み付けてポーズをとっている暴力少年がいた。


 ふへぇ、と呆れたため息。
 ほんまもんの風紀委員から言わせてもらうと、このアニメの展開には突っ込みドコロが満載だった。
 まず第一に、街の治安を守る風紀委員が人を一方的に半殺しにしてどうするのか。まぁあの不良達は確かに問答無用でぶっ飛ばしたくはなるのは認める。しかしそれにしたって、そういった稀少生物はごく少数しか生息しないのだ。
 でもって第二に、あの人格異常な暴力包帯少年の風紀委員としての適性。
 この少年の能力はおそらく目に見えないほど細い念力で紡いだ糸を操るものではないかと思う。そう仮定すれば、何本かを体や建築物に巻き付けて宙に浮いたり、極限まで細くして指を締め千切ったり、それを包帯の中に仕組んで自由に操ることも可能だ。人間とは思えない身体能力も、ワイヤーの補助が働いているのだとすれば説明が付く。それだけでも相当評価は高く付くし、現に不良数人を瞬殺したことから、その能力はレベル3を下らないといえる。
 しかし、こんな危険な人格をしているようでは定期的に行われる心理適性検査で一発免停だろう。これは様々な規制で縛り付けられている読心能力者がその力を存分に発揮することが許される、数少ない機会の一つだ。この審査の前に、プライバシーという言葉は存在しない。異常嗜好、謀反・テロ計画の考案、規則違反などの項目に引っ掛かってしまえば、緑に白線の腕章は即没収である。
「まあ、学園都市外の制作会社みたいだし、フィクションにケチ付けても仕方ないけどな」
 俺のそんなリアル話に、ミサカはふんふんと頷いた。
「面白いが正義、ということなんですね、とミサカは必殺技を繰り出す主人公に目を奪われながらまとめます」
 その目は相変わらず無表情だったが、ミサカは今、確かにテレビを“見て”いた。どうやら、本腰を入れて見入り始めてしまっているらしい。
 生まれて初めてファンタジーの世界に身を浸すミサカ。どうやらその頭の中からは『訓練』の二文字が消え去っているようだった。
 ……仕方がない。
「外は天気良過ぎだし、今日は室内でまったりするか」
「いいのですか?とミサカは新たに始まった人と架空小動物とのふれあい冒険物語のオープニングから目を離さずに問い掛けます」
『ミサカは、言葉を発さない』
 俺が話し掛けるまで部屋の設置物だったミサカ。しかし彼女は今、聞き分けの良い子供のようにテレビの前に座っている。
 あのカエルの言う通りだ。ミサカの一切の人的行動は、俺との接触によって起動するのだった。
 何故、俺なのか。自分はどちらかといえば無口な部類に入る。人の心を開かせる話術なんて持ち合わせてはいないし、その相手が病人などという特異な精神状態の人間であるなら、なおさら不可能なはずだ。
 しかし、そんな疑問はもう、俺にとってはどうでも良くなっていた。
 ミサカに、普通の人間のような振る舞いをさせられるのは、俺だけで。
 俺は彼女に、そんな『普通』でいて欲しかった。
 他に理由は必要ないだろう?
 俺は中庭のガラス戸を開け、部屋の中に猫を入れ込みながら思う。
 とりあえず今俺がすべき事は、ミサカの隣で一緒にアニメを鑑賞することだった。


 世の中には、実に色々な事がある。戦争、繁栄、飢餓、飽食。一つも欠けた完璧な人生を歩む者に、崩れに崩れた、ボロボロの道に這いつくばる者。そして、明日の心配をする必要もない健康な人間と、今日さえ信じられない命を抱えて日々を過ごす病人。不幸や幸運なんてのは、きっと同じ数だけ存在していて、そのバランスが崩れることは有り得ないのだろう。
 俺はどちらかと言えば、幸運な方の世界に住んでいるといえる。安全を約束された生活。飢えることのない食料供給。持病があるわけでもなく、ましてや、いつ死んでしまうかビクビクしながら生活しているなんてこともない。
 その世界に住んでいる者にとって、不幸というものは実に遠い存在だ。馬鹿な独裁者による戦争。何百万人も死ぬ飢餓。思いもよらぬ事故によって失われる命。この世のどこかにそんなことがあるとは聞いていても、自覚なんてものは持てるもんじゃない。それが自分の世界に侵攻してきて初めて、人は知るのだ。
 自分の信じてきた世界が、いとも簡単に崩れ去る恐怖を。
 惨劇というものは、いかに容赦の無いものであるのかを。
 ……うーん。我ながら、なんとも哲学的なことを語ってしまったものだ。こういうこと考えると、自分はかなりの思想家ではないか、とか思っちゃったりする。だけど、たいていの人間はこの程度のことぐらい考えてるんだよな。そして、そのことを知って、自分はやっぱりなんの変哲もないやつなのだということを思い知らされたりする。有りがちなことだ。
 とにかく俺が言いたいのは、
「人は、自分自身を取り巻くものにしか関心を持たない」
 ということだ。
 それはもちろん、俺だって例外ではない。
 ミサカにしたって、同じようなことなんだ。
 保健所やどこやらでたくさんの犬がぶっ殺されていようが気にしないくせに、目の前の段ボールにうずくまっている小犬を助けてしまうように。
 目の前にミサカという病人を見せつけられた俺は、彼女を助けることにした。
 それは、自分の世界にそんな人間を存在させたくない、という自己中心的な理由からの行動だ。でないと、俺は恵まれない全ての病人達のために、全財産を赤十字にでも寄付し、寝る間を惜しんで医療の道を突っ走っていなければおかしいだろう?
 だから、そう。
 毎日毎日、自分からミサカとの会話に付き合っていても。
 いつかそうなれるかもしれない、ミサカが楽しそうな声で笑う姿を思い浮べ、暖かい気持ちになったりしていても。
 ミサカのために、一日二十時間ほど悶々とした思考を繰り返しているとしても。
 それは全て、まったくもって下らない、俺の自己満足というやつのためなのさ。

「これは本当にアニメなのですか?とミサカはリアル過ぎる映像に驚きと疑心を同時に抱きます」
『行け!ライトニングマウス!五千ワット放電現象だ!』
『OK!Master!』
 ミサカが向ける視線の先では、メチャクチャド派手な演出を使うアニメ(一応)が放映中だった。目も狂わんばかりの激しい光が点滅する中、架空超動物と、それを使役する猛獣使いが二組、命を賭けた戦いを繰り広げたり、熱く語り合って和解したり、というソウルフルな物語だ。
「だなー。こりゃもう実写の域に入ってるな。よくやるよ、こんな手のこんだCGアニメ」
『Chew on this!』
 BARI BARI BARI BARI――!!
 俺が呆れ半分、感心半分で言うと、画面の中の超動物が強烈な電撃を放った。しかし、この描写がまた、問題有りまくりだった。普通ならば、人間が雷に撃たれたら骸骨のシルエットが点滅する、というのがお約束だ。だが、このアニメはそんなものなど全く無視していた。皮膚の焦げた生々しい黒ずみまでリアルに描かれていやがる。


「うへ……こんなもん、この時間帯で放送していいのか……?」
「もとは深夜アニメだったものを再放送しているようですよ?とミサカは本物に近い負傷に感心しつつ報告します」
 そう言った口調は、いつものごとく平然とした無表情だった。
 ……さっきの学園都市もどきといい、もとは深夜アニメでも、夏休みキッズアニメタイムで放送しては意味が無かろうに。俺は番組表見ながら、テレビを放映する会社の神経を疑った。
「お前、こういうバイオレンスなものって大丈夫なの?」
「はい。恐怖や拒絶とは本来、自身の危険を回避するために持つようになった感情です。しかし、肝心な時に身がすくんで危機に対処できないようでは本末転倒ですからね、とミサカは画面から目をそらす事なく答えます」
 これまた、平然と言ってのけた。
 少し。いや、かなり感心した。それは、仕事内容上、そこそこ危険な現場に身を置くことのある俺の心構えによく似たものだった。『能力を開発された動物ですか、やりますね、とミサカは同じ電撃使いとして対抗意識を感じて』しまっているらしい彼女を見る限り、その言葉は戯言でも何でもない、本心からのものであるようだった。
 十代前半の少女らしからぬ持論。それはおそらく、病を患っているという、普通の人間とは違った環境から生み出されたものなのだろう。
 病が彼女に与えたもの。しかし、俺はそれを思っても、いつものように暗い気持ちになることはなかった。その独特な思考回路は既に、彼女の個性――まぁ、その中でも、魅力というやつの一つとなっていたからだ。
 ミサカとのお喋りは、楽しかった。
 俺が話すとき、彼女は聴神経の全てをこちらに向ける。
 俺の語る言葉を一つ残らず聞き取る。
 話題に対する考えを素直に意見し、自分なりの結論をまとめようとする。
 自分はどちらかといえば口数が少ない部類に入る。しかしそんな俺でも、彼女とならば何時間でも話していたいと思えた。
 でもさ、なぁ、ミサカ。
「この登場人物達の服は、どうして陰部を覆う部分だけ破損しないのでしょう、とミサカは当然の疑問を抱きます」
 なんて言葉はね、年ごろの女の子としてどうなのかと思うわけだよ。年ごろの男の子としてはさ。
「ミサカ」
「はい、なんでしょう?とミサカは返答します」
「これから始まるアニメは、しっかりと見ろ。勉強になるから」
「はぁ。勉強、ですか……?とミサカはよく理解できないながらもとりあえず指示に従うことにします」
 言葉通り、彼女はもとからまっすぐだった姿勢を正して座り直った。
 大爆発を起こして腰布一枚になった人間が倒れている場面が切り替わると、新たなアニメのオープニングが画面に映し出される。そして、アニメタイトルらしくデザインされた輪郭が浮かび上がり、次のような文字を描いた。
 ――超起動少女カナミン。

 三十秒後、俺達は窓の縁に座って中庭の猫達を眺めていた。
「何故テレビを消してしまったのですか?私は勉強しなくてはならなかったのではないのですか?とミサカはあなたに質問を浴びせかけます」
 いや、あれは勉強しないでいい。というか、しないでくれ。
「すまんな。ちょっと変な電波が飛んで来てたもんだから。すぐに電源を切らないと、テレビから火が噴いたり、爆発したりして大変なことになってたんだよ。」
 俺は『アセアセ』という効果音と共に弁解した。電撃使い(エレクトロマスター)である彼女にこんな言い訳が通じるとは思っていなかったけど。
 やっぱり納得してないようだった。『ジ――と、ミサカはジ――とします』とか言って、泳ぎまくる俺の目を無表情に睨み続けていた。彼女の言葉無き視線に突き刺され、俺は体を小さくした。


 油断していたのだ。
 あの魔法少女だか起動少女だかなんとかというアニメは、実はとんでもない代物だった。
 俺は前に一度だけこれを視聴したことがあった。ミサカにそれを勧めたのは、その時のストーリーとか、登場人物のやりとり、訴えかけるテーマ、そういったものが結構いい感じだったからだ。しかし、今日もそれを期待したのが間違いだった。
 四十秒前、俺達が見たものを簡潔に説明しよう。
 ピンク。
 肌色。
 他に言葉は要らない。というか、付け足してはならない。それを言ったら、何か大変なことになってしまう。それが目に入った瞬間、俺は即座にテレビを覆い隠した。ミサカの目に何も映らないように。そしてメチャクチャな理由を並べ立てて窓辺に移動し、今に至るわけである。
 後で知った所によると、そのアニメのコンセプトは『七色』であるとのことだった。熱血ど根性(赤)な話もあれば、超鬱展開(ブルー)な場合もあるとか。監督は多重人格者かよ、とか、ピンクは七色に入ってねぇだろ、とか色々突っ込みたくはなるが、今のところはとりあえずスルーだ。
「だからさ、俺は猫と触れ合わないと5分で死んじゃうんだよ」
「どこまで行くんですかあなたの猫好きは、とミサカは嫌疑の視線をぶつけます。というか、あなたは以前猫に触らなければ5秒で死んでしまうと言っていたではないですか、とミサカはあなたの猫々理論の矛盾点を指摘します」
 あれ、そうだったっけ。しまったな。というか、よく覚えてるな、お前。
「えーっとそれはだな、あれだ。俺も5秒しか耐えられないんじゃいけないなぁーとか考えたんだよ。で、練習に練習を重ねて、5分まで耐えられるようになったんだ」
「たった数日の間に六十倍の時間延長、ということはそれをあと5回程繰り返せば一生猫が要らなくなりますね、とミサカはしたり顔で解析します。それはただ単に猫への愛が尽きているだけではないのですか?とミサカはズバリ指摘します」
 俺達は、そんなどうでもいい事を喋り合った。窓の縁は陰になっていて直射日光は当たらなかった。猫達も木陰で気持ち良さそうに寝転がっている。学園都市製クーラーは、窓を全開にしても快適な温度を保っている。灼熱の外界へと旅立つ涼気はミサカ髪も一緒に連れていこうとしていて、俺はそのたびにそよそよと凪ぐ栗色のやわらかな流れを見つめながら反駁した。
「いや、俺の猫への愛が尽きるなんてことは有り得ねぇぞ。俺は猫を愛する為に生まれ、猫を愛しながら死んで行くのだ」
「そこまで言いますか、とミサカは呆れます。あなたの猫好きは遺伝子レベルからのものだったのですね、とミサカは少しだけ納得します」
 遺伝子、か。
 俺はその単語について思いを巡らせた。そういえば、あいつらも相当の猫好き――というか、“猫狂い”だったな。

 大ちゃーん!ほら見て!そこの林の中で見つけたの!可愛いでしょ!
 また拾って来たのかよもう何匹目だよというかなんだよその格好見つけたと言うよりもはや捕獲だろう
 いいじゃないか大助。母さん喜んでるし。
 良くねぇ。第一俺は動物ってトコからしてが嫌いなんだよ。毛とか体臭とか。つうか家計の何割を猫の食費にあててると思ってんだ。
 いいじゃないお金ぐらい。猫はこの世で二番目に愛しいものよ?ねぇ父さん。
 あぁ、猫はこの世界で二番目に愛すべき存在だ。全くその通りだよ母さん。
“ねぇ~っ”
 黙れバカ夫婦。

 思わず、苦笑した。こんな事を思い出したのは、さっきの言葉のせいか。それとも、いつの間にかミサカの隣にやってきた二匹組の雄猫と雌猫のせいだろうか。
 しかし、どちらにせよその回想はすぐに途切れた。それに引きずられるようにして、俺の中に弾け飛び出して来たものによって。



――閃光。衝撃。壊れる何か。

「どうかしましたか?とミサカはあなたの意識を確かめます」
 反応して隣を見ると、ミサカの無表情が七センチの距離から覗き込んできていた。それまで気が付かなかった自分に驚いて、我に帰った。どうしたんだろうな。昨日はよく寝たはずなんだけどな。
「いや、ちょっと寝不足でさ。ぼ~っとしてただけだよ。何でもねえ」
 ミサカは、そうですか、と言うと猫に視線を戻した。そこでは今や五匹程の猫達が彼女の脚に群がっていた。もともとは猫受けする人間だったのだろうか。今では彼女も、皮膚に触られなければ大丈夫な所まで上達していたらしい。そのせいで猫達は『触りたいのに触ると怖い!不思議!』と言いながら手を出したり引っ込めたりという状況に陥っている。
 それを離れた場所から見守る二匹の猫がいた。よく見ると、それはさっきの猫カップルだった。しばらくすると、ミサカの脚にアタックをかけていた一匹の子猫が、その二匹の元に歩み寄った。二匹と一匹は三匹となり、歩調を揃えてどこかへ歩き去った。
「親子でしょうか、とミサカは根拠のない推測をします」
 彼女も同じものを見ていたらしかった。ぼんやりとした言葉に、俺もまたぼんやりと頷いた。あぁ、きっとそうだよ。


  ▼

 俺は、レストランにいる。
 壁の一面がガラス張りになった、小洒落た造りだ。
 満席に近い店内では、それぞれの客達が明るい正午の一時を過ごしている。
 俺の向かい合わせには、見慣れた二人が座っている。
 そして、それら全てが、赤く弾けて消えた。

 そんな夢だった。
 いい加減にしてほしいものだ。見る夢の内の二つに一つは決まってこれなのだから。はっきり言って、飽きた。目の前に並べられた料理は食べられないし。目の前には馬鹿みたいな顔した二人が日に照らされて光ってるし。最後は決まって弾けて消えた、だし。だし。
 まあいいか。俺は起き上がると、病室のカーテンを開いた。光を遮る垂れ布が裂け割れ、夏の青空が現われた。
 夢の事をグダグダ考えても仕方ない。こんな天気の良い日には、ミサカに会いに行くのが一番だ。夏の今、天気が悪い事のほうが少ないんだけど。悪くても行くんだけど。
 俺は薄味の不味い朝食と得体の知れないカプセル数錠を胃の中に収め終わると、寝巻きと区別が付かない袖なしとハーフパンツに着替え、寝起きに決めた通り、ミサカに会うために病室の扉を開けた。

  ▼

 彼の声が聞こえたのは、丁度僕がミサカ10039号さんの聴診を終えたときだった。
「ミサカー、いるかー?」
 一応はノックしたようだが、ドアは返事も合間もない内に開かれた。
 珍しいことに、妙に愛想の良い仕草で片手を挙げた姿を現した彼は――
 そのまま、劇画チックに石化した。
 しまった。苦笑いと共に冷や汗を垂らす僕。半開きの口で、目を白くして固まったままの彼。
 そしてそんな男二人の中間地点には、
「??」
 と無表情に突然の沈黙を訝しがる、上半身裸のミサカ10039号さんがいた。
 瞬間。
「ブバァッッッッ!!!」
 彼の顔の中心が赤く弾けた。
 彼はそのまま、血の赤い霧を煙幕のように残し、自分が開けたドアの向こうにぶっ飛んで姿を消した。


  ▼

「いや、ホント見事にぶっ飛んだね?ダイ君」
 カエル先生はそう言いながら、俺の鼻に絆創膏を張り付けた。
「痛ッ――仕方ねぇだろ、勝手になるんだから。俺だって迷惑してんだよ」
 参った。何しろ緊張でガチガチになりながらドアを開けたら、×××××だったのだから。
 実は、ミサカの部屋に入るのは初めてのことだった。病室とは言え、一応は立派な“オンナノコの部屋”だ。人生初の経験値を我が身に積むべく、それ相応の緊張と構えをもってして挑んだのだが、散々な結果に終わった。
 しかし、自分の血管を傷つけてしまうまでの深さで暴発してしまったのは問題だ。反省の必要がある。自分の能力で自滅するなんて格好わるい事には絶対になりたくない。
「いや、君の能力が、驚いたりしたときなんかに勝手に発動するのは知っているけどねぇー?」
 カエル先生は、純真な若者をからかうエロ爺さんの笑みを浮かべた。どうやら、ミサカの素肌の上半身(しかもカエルの方を向いていたので後ろ姿のみ)を見ただけであんな失態を演じた事をからかっているらしい。くそ。どうせ俺は女に対しては免疫ゼロだよ。あのフラグ野郎がクラスメイトと桃色接触事故を起こしてんのを目の端に捕らえる度に、部屋の一角に災いを引き起こすぐらいだよ。
「しかし、今日は君の顔面花火だけじゃなく、もっと面白いものまで見せてもらったよ」
 不意に、カエル先生の口調が今までとは違う、しみじみとしたものになった。
「彼女、僕に初めて口をきいたんだよ」
「……ふうん。なんて?」
「黒山大助って、なんですか?だってさ」
 先生はなぜか俺を一瞥して、苦笑いを浮かべながら言った。俺は黙っていた。先生は、娘が自分に懐いてくれなくなった父親のような表情を浮かべた。
「いやはや、初めて話し掛けてくれたかと思ったら、やっぱり君の事なんだねえ?しかも君のこと全てに関して、なのに漠然とした質問と来た。これはますます、ミサカさんとよろしくやって頂かないとね?」

 ミサカは、先程の事を全く気にしていなかった。
「猫缶買ってきてください、とミサカは依頼します」
 そんなわけで、俺は猫缶を求めてぶらぶらと歩道を歩いていた。分かってたけどさ。いくら医者相手だから言っても、肌を見せるのが恥ずかしくならない奴は居ない。だから聴診の時にあんなにはだける必要はない。そりゃマッパの方が楽には楽なんだろうが。しかし、ミサカはその合理的な方法に従っている。
 分かってたけど。あいつがそんな人間してるって事は分かってたけどさ。もうちょっと、あれだ。頬を赤らめたりとか、しどろもどろになりながら言い訳するとか、あるいは殴り付けるとかいうリアクションが欲しいものだ。と、そこまで考えて俺は頭を冷やした。
 ちょっと待て、暴走し過ぎだぜ、俺。世の中そんなギャルゲーみたいな事は起こらない。二次元の世界に飛び込まなければそんなことは――じゃなくて。俺は頭を振って、今度こそ思考を修正した。
 そもそも、なんで俺はそんな事をミサカに求めてんのか。客観的に見てだな、あいつはただの、知り合って間も無い知人だ。そんなことを期待する権利なんて、俺には無いのだ。そういう事は、もっと親密な人間同士ですることなのだ。
 しかし、俺はまたもやメビウスな思考にこんがらがる。
 でも、あれ?あいつ俺としか話せないんじゃなかったっけ?それって結構凄いことじゃね?いやいや、もうカエル先生とも話せるようになったじゃねぇか。でもそれは毎日俺と話してたおかげなんじゃないか?そうすると、あれ?どうなんだろう。俺とあいつって、どんなものなんだ?
 そうこうして考えているうちに今朝の光景が蘇ってきて、俺は頬が熱くなるのを感じた。くそ、これもみんな、カエルがあんな変なことを言うせいだ。なんだよ、ミサカをよろしく頼むって。お前は保護者なのかっての。5億歩譲って保護者だとして、一介の高校生に過ぎない俺に吐く言葉じゃないのは確かだろう。
 しかし暑いな。そして熱い。そうだな、この太陽のせいか。絶対そうだな。今日も相変わらずバカ天気振りまきやがって。どっか涼しい所に避難しないといけないな。
 ドロドロな思考に耽り、またもや頭の天辺からプスプスと音を立てていた俺は、気を取り直して周りを見渡した。そこへ丁度良くコンビニを見つけたので、俺はこれ幸い、と、クーラーによって満たされた冷涼空間へいそいそと身を投じた。


 あった。
 猫缶が。
 コンビニの棚に。
 「……ラッキー?」
 俺はリアクションに迷った。
 たまたま入ったそのコンビニには、他の客が一人も居なかった。俺が自動ドアをくぐった時、暇そうに欠伸をかましていたアルバイトらしき女子高生店員が慌てて居住まいを正したぐらいだ。
 そんな所に入ってしまった俺は、なんか買ってかないと悪いな、と思いつつ見回したところで目的の物品を発見したのだった。いつもは結構な苦労と時間を掛けて手に入れる猫缶が、こんなにもあっさり手に入ってしまうとは。なんか、有り難みが半減してしまうような気がしないでもない。
 でも手っ取り早く猫缶を見つけられたのはいいことだ、と俺は気を取り直した。ミサカも喜ぶかな。いや、十中十、十一で無表情だろうな。でもほら、胸の内じゃあちょっとは――という所まで考えて、“胸の内”というフレーズに“あれ”を連想してしまい、クーラーの効いている店内にもかかわらず頬が熱くなるのを感じた。
 今度のこれは、夏風邪のせいだ。必死に自分へ言い訳をする。
 だからその時、俺はヤバイ目をした男が店内に入って来たのに気付く事ができなかった。

「金を出せ、でないと死ぬぜ」
 それは、日常を守る平穏を崩し落とすかのように響いた。

 言葉が耳に届いた瞬間、俺は音も無く身を隠してレジを注視した。
 俺がいた場所は入り口からは死角となっていたので、今店内に入ってきた人物がこちらに気付いている可能性は少なかった。
 そいつはレジの前に唖然として立ちすくむ女子店員に刃渡り二十数センチの包丁を突き付けていた。
 間違いなかった。今時褒めてやりたいほどのステレオタイプだ。
 白昼堂々コンビニ強盗。
 目の前で行われる光景に、頭を抱えたくなった。
 どうして、俺が巻き込まれなければならないんだ。
 俺は風紀委員、この街の治安を守る人間達の一員だが、この状況に職業意識や義務感というものを覚えはしなかった。
 そもそも自分は、悪を滅するため、正義を行うために風紀委員になったわけではなかった。見た目の治安が善くなれば、犯罪は裏で溢れかえる。事件の件数が減れば、一つ一つの事件が凶悪なものになる。悪の絶対数は変化しない、というのが俺の言い訳論だ。だから治安維持活動等の風紀委員の活動に、俺は積極的に参加していなかった。そんな事をしても、世の中から犯罪が消えるわけではないのだ。少しは減ったりするかもしれないが、そういう事は起きるときには起き、遭う時には遭うものなのだ。そう思っていた。
 そして、それは俺の目に入らない所でやって欲しかった。そうすれば、そこへ関わらなければならない義務がない。それなら、自分は何もしないでもすむ。
 しかし、俺の目の前では正に犯行が現在進行している状況だった。
「ボケッとしてんじゃねぇ!早く金出しやがれ!」
 男が怒鳴った。店員は恐怖に身を震わせた。
 その時。
 彼女の涙を浮かべた顔が目に入ってしまった瞬間、俺の腹の底がうずいた。
 あーあ。泣かせちゃってるぜ、こいつ。
 あーあ。むかついてきたぜ、こいつ。
 しゃーないか、あの子可哀想だし。ついでに可愛いし。やる気出て来ちゃったし。
 俺は覚悟を決めた。この世のどこで悪事が起ころうが、そんな事は知ったこっちゃない。俺に関わらなければそれでいい。しかし、それが目の前で繰り広げられようとしているなら、話は別だった。
 俺は自己中心的な人間だ。だが、俺に後味の悪い思いをさせようとするのなら、黙っているわけにはいかなかった。
――やってやるよ。こんな糞ショボ臭い悪事、木っ端微塵に叩き壊してやる。
 俺はあるものを取り出すべく、ケツのポケットをまさぐった。
 それはこの街の治安を守る者の証、緑に走る白線。風紀委員の腕章。
 犯罪者に対する引導とも言えるそれを腕に――
 留めようとした。
 でも、ありませんでした。
 ポケットの中、空っぽでした。

「ミャー」
「??と、ミサカは文章ならではの表現であなたに疑問を示します。その口にくわえているのはあの人の所有物ではありませんでしたか?とミサカはあなたに問い掛けます」
「ミャー」
「言葉は通じませんか……とミサカは先日見たアニメを思い出しながら、空想と現実の違いを思い知ります」

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
記事メニュー
ウィキ募集バナー