とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

SS 3-201

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匿名ユーザー

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【初出】
SSスレpart3 >>201


     第六話     破滅狂走曲 第惨番 破綻調 


 第一章 give me a break~じわじわと侵食しながら~

  ▼
「どうかしたのですか?とミサカはグロッキー状態のあなたに一応心配の意を示してみま
す」
 彼女は無表情にあさっての方向を見やりながら言った。
 はぁ。できれば外面の方でも心配の体を示してくれると嬉しいのだが。
「今はちょっと、精神的な疲労が大きくてな」
 あの旗男対策会議(全議員二名)からしばらくして、教室で勝手にアホな実験をした生
徒達はフラフラにされた体で帰っていった。簡単に言ってしまえば、彼らの行為は自分の
学校に忍び込んでわいわいしていただけであるため、厳重注意という事で許してもらえた
らしい(それだけでも十分すぎるかもしれないが)。
 その後、説教して暴れてすっきりした黄泉川姉ちゃんは職員室ヘ戻り、デート中だった
らしい先輩お二人方はその続きを楽しむために街の雑踏へと消えていった。
 俺も勿論病院に帰る気だった。しかしもう一人の風紀委員、長谷美冴子によって、家路
は断たれてしまったのだった。彼女は俺に第九九支部の書類等を押しつけて、今日中に仕
上げろと有り難いお言葉をかけてくださった。そういえば、彼女は夏休み中なのに制服姿
だった。どうやらその日は支部当番だったらしい。
 誰かを道連れにしたくなるのは理解できるが、それが俺に向いてくるのなら当然同意は
できない。しかし、俺は入院していた事で掛けた迷惑等の弱味に付け込まれてしまい、結
局一緒に支部室ヘこもることになった。
 すぐに嫌になった。逃げることにした。
 俺は同僚の様子を伺う――までも無かった。彼女は机に突っ伏して寝ていた。俺に仕事
押しつけておいて、テメエは寝てやがるのかそうかそうか。脱出は後回し。憤った俺は、
手元にあった油性でコイツを超人にしてあげようと思った。しかし、そうしなかった。覆
い被さり、抱き抱えるような姿勢をした彼女の腕の中に、繕いかけのノースリーブを見つ
けたからだった。それは、一日の激務の内に使い物にならなくなって着替えた、俺が朝着
ていた服だった。いつの間に、どうして拾ったんだろう。こいつも着るもので困っている
くちなのか。
 それにしてもこの女は寝顔まで真剣な表情だな、と眺めていると、突然中年オヤジの怒
鳴り声が俺の鼓膜を震わせた。どうやら能力で寝言を吐いたらしかった。器用な奴だな、
と苦笑する。


 メチャクチャに喚く声は、誰かを責めあげているらしかった。そしてその最中、時折彼
女の唇はくにゃりと曲がって、にんまりとした顔をつくった。
 俺は結局、油性ペンを使う事なく元へ戻した。
 彼女の腕の中の生地には縫い針が刺さったままだった。そいつを剣山に立たせてから、
俺は今度こそ支部室を後にした。

 ミサカは突然言い放った。
「どこかへ出かけましょう、とミサカは立ち上がります」
 いつものベンチに座り、近頃の風紀委員としての活動を話してやっている時の事だった。
 当然、驚いた。
「は?いや、お前大丈夫なのか?」
 こいつは、あまり体を動かしてはいけないんじゃなかったか。
「大丈夫です。少し歩き回るぐらいなら問題ありません、とミサカは我が体が安全である
事をここに証明します」
 なんかカッコ付けた台詞だな。
 そんな言い方しても心配なもんは心配だ。
 俺にとって、彼女はいつ底を付くか知ることができない電池だった。体を動かしてはい
けない。ということは、激しい運動や、長時間連続した運動は禁止なのだと思う。だが、
俺にはその『激しい』や『長時間』の程度が分からなかった。
 いくら走ってはダメなのか。
 どれほど歩き続けてよいのか。
 ミサカ本人には分かるだろう。
 その彼女は大丈夫だと言っている。
 だが、そんなものは酔っ払いのおっちゃんが「酔っ払ってねぇよぉ」と喚くようなもの
だ。
 俺は何よりも、ミサカ自身のために、その要求を却下するべきだった。
 ……だったのだが。

「なあ……本当に大丈夫なんだろうな?」
 俺は早くも少しだけ後悔しながら尋ねた。
「大丈夫です。第一これぐらいの距離なら病院内を歩くのと変わり無いではないですか、
とミサカはうんざりします」
 無表情に切り捨てられた。
 そんなやりとりの数メートル左には、時速40㎞で飛び交う鋼鉄の固まり、自動車。学
園都市特有の、きめ細かいアスファルトで固められた道路。そしてそのど真ん中にそびえ
立ち、悠々と風に身を任す風力発電機。
 俺たちは、二人してこっそり病院を抜け出してきたのだった。


 敷地を脱出するのは簡単だった。いつも居座るベンチの中庭は隣の公園と繋がっていて、
そこには見張りも何も置かれていない。病院中には種類様々な売店があり、娯楽も健康に
支障が出ない程度ならばあらかたが揃えられているので、そもそも俺以外には抜けそうと
する奴が稀なのだ。
 むしろそのさまたげになったのは、その俺の、病人を、しかも自分の手で抜け出させて
いいのだろうかというささやかな良心の方だった。
 なあ本当に大丈夫なんだよなはい大丈夫ですマジで信じるぞいいんだろうなはいだから
大丈夫ですもう一度聞くけど本当にだから大丈夫だといっています――
 と、度胸も情報量も生産性も無い押し問答を5回ほど繰り返した3分前だが、今となっ
てはさすがに開き直っている。
第一、 止めようと思えば、もっと確実な手段で止める事ができたはずだ。だが、俺はグ
チグチと心配するだけで本格的な制止はしなかった。それはつまり、俺もミサカと一緒
に外へ出たかったということなのだ。
 こういう天の邪鬼な言動を認めてやるのは少々癪だが、今の俺にはすんなりとそうす
る事ができた。
 なぜか?
 その理由は、俺の60センチ右手にあった。
「……と、ミサカは、おぉ……」
 気のせいかも知れないが、目まぐるしく刺激的な街の世界に、目をいつもより2ミリ
見開いているようにも見えるミサカ。
 こいつを隣にして、ゆっくりと歩調を合わせながら歩いてみろよ。
 誰だって、道端に転がる落ち葉の一生に思いをはせてしまうような、そんな素直で温
情な気分になるだろうさ。


 目的があっての外出ではなかったらしい。それならこれから目的地を作って赴こうとい
うわけでもなく、結局俺たちは猫缶を買って帰ることにした。外出といえば猫缶とイコー
ルになっていた、俺の最近の習性による。
「そういえば、あのコンビニにはまだ猫缶あったな?」
 というわけで、俺は先日見つけた新たな猫缶出没スポットヘやって来た。

 ウィーン――

 自動ドアの赤外線が、二人分の影に反応して客を迎え入れる。
 お目当ての物はちゃんとまだそこにあった。
 店の中は綺麗なもんだった。俺も鎖を弾き飛ばしたりして傷を付けてしまっていたと思
われるが、おかげで後ろめたい感も少なく買える。
 ドアの前で一歩も動かずキョトンと突っ立っているミサカを待たす事もなくレジで会計
を済ませ、さあ帰ろうか、と彼女に振り返ってから、

 ――ザァーー

 ミサカの視線は、外でいつの間にか始まっていた、降水の着陸音に向いていることに気
付いた。
「あぁー、雨……」
「降っていますね、とミサカはさらに強くなっていく勢いに目を見張ります」
 どうしようか。
 さすがに、この雨の中をずぶ濡れで帰るわけにはいかないだろう。入院患者の外出を許
してしまった俺だが、それぐらいの判断はできる。そうなると傘買うなりしなければなら
ないが、ポケットに入っている小銭はたった今25円(税込)となったところだ。これで
は雨が止むのを待つ他に無いということに。
 すると、

 ウィーン――

「え?あ、ちょっとおい、ミサカ?」
 考えあぐねて立ちすくんでいる間に、彼女はすたすたと店外へ出てしまった。
 開いた自動ドアが閉じきらないうちに、後を追う。


 ミサカは雨の降り注ぐ元ヘ踏み出すでもなく、コンビニの廂で水滴に濡れない空間に身
を置いていた。
「雨が止むのを待つぞ。どうせ夕立だろうから、すぐに通り過ぎるさ」
 返答は、頷き。
 5分待った。
 雨はまだ止む気配すら見えない。
 10分待った。
 始めの勢いは若干削がれたようだが、以前として順調に降り続けている。
 昼過ぎ頃までは晴れていたせいだろうか。熱されたアスファルトにエネルギーを与えら
れ、水蒸気となった水分子たちが空気中を漂っている。
 辺りは白い霧が立ちこめていて、まるで雲の中にいるようだった。
「……止まないな」
 ふとミサカを見ると、彼女は空中に描かれる垂直な直線にむかって手を差し伸べていた。
 着陸するはずだった目的地を遮られ、白い手の上に水が跳ねる。
 砕け散った雫の欠けらが、宙を踊る。
 単純な、しかし見ていて飽きない光景に、俺は何となく小さな頃の事を思い出した。雨
に手をかざして感触を楽しむなんて子供らしい行為は、小学三年生にして『黒山おじちゃ
ん』のニックネームをほしいままにしていた俺でも、さすがにやってみた事ぐらいはあっ
た。自分はたしか、椀を作った両手に貯水する派だったと思う。
 と、こんな無意味な回想をしてしまう程に暇だった。する事が無い。雨はまだあがらない。
「止みませんね、とミサカは退屈を持て余します」
 水素原子二つに酸素原子の集合体との戯れに飽きているようには見えなかったが、一応
彼女からも要請が出た。どうしよう。
 そこで気がついた。
 自動ドアを抜けたすぐ右隣。
 そこに設置された傘立てに、誰かが置き忘れたビニール傘が立て掛けてあった。
 コンビニは今日も人気が無かった。俺たち以外には誰もいなかったよな?と、思い出し
ながら振り返る。
 やはり、店内にいるのは、やる気無さそうな男子学生のアルバイトだけ。
 十秒とは迷わなかった。
「ミサカ、この傘を使って帰ろう」
 彼女はこちらを、正確には俺の手に握られた物を見ると、
「それはあなたではない、他の誰かの所有物ではないのですか?とミサカは眉をひそめま
す」
 俺は拒否を掲げる無表情に、この世の物の流れとか八百万の神いうのを説いてやった。
この傘は本来の所有者であった人間に見捨てられた事。それを必要としている者、つまり
俺たちが使ってあげた方がこいつも幸せだという事。でないと、満月が七回交差する時、
負の念を持ったがらくた達は無差別に人を襲う醜い化け物になってしまう、というあるこ
と無いこと。
 それを聞いた彼女は、注意深く、傘から目を離さずに、
「……それでは、仕方ないですね、使うとしましょう、とミサカは承諾します」
 じゃ、とっとと行くとしよう
 俺は傘を押しつけると歩き始めたのだが、そこへまたもや待ったがかかった。
「これはどういう意味ですか?とミサカは手渡された傘に戸惑います」
「意味も何も。それをさして歩くと体が濡れない」
「そういう事ではありません。これは一つしかないのですから、私だけか持っていてはあなたが濡れてしまうではないですか、とミサカは抗議します」
「いや、俺は別にいいから」
「よくありません。ミサカのせいであなたが被害をこうむるのは納得しません、とミサカ
は断固拒否します」
 そこで彼女は、無表情な顔を背けて続けた。
「だから、あなたが傘をさして、ミサカもそこに入れてく――なさい」
 俺は素手に掴んでいた猫缶をポケットにねじ入れ、
「分かったよ」
 そっぽを向いたまま突き出された傘を仕方なく手に取り、雨模様の空に向けて展開した。
 仕方なく。
 あくまで仕方なく。


 辺りを取り囲む雲のように白い霧は細部を包み隠し、見飽きたいつもの眺めとは違う、
夢の中のような世界を作り出していた。

 ミサカが、いつもと違う。
 鈍感を自覚する俺でも、さすがにそう感じ取っていた。
 例えば今日の朝。俺はミサカの声で目を覚ました。ねぐらにしているカエル先生の研究
室の中、俺の網膜が一番に目にしたのは、西洋鎧じみた義手でも、脳に寄生するんじゃな
いかと思うような人工視神経でもなかった。寝起きで不鮮明な視界にあったのは、こちら
を覗き込みながら、ついでに縞々パンツも覗かせている、整った顔の無表情だった。俺の
頭は機能を止めて氷結し、誰かに助けてもらわなければ永久凍土となる道を避けられなか
った。しかし、俺を睡眠から引き上げそのまま凍獄に突き落とした彼女は、そこからどう
していいのか分からない様子だった。自分がこの世に留まる理由を思い出そうとする記憶
喪失の自縛霊のように、しばらくキョロキョロと視線を迷わせてから、やっとの事で『夏
休みの宿題は終わっているのですか?』という言葉を発した。
 これは今までに無いことだった。
 ミサカが自分から何かの行動を起こすというところを、俺は見たことが無かった。
 そりゃそうだ、何せ彼女は数日前まで、俺が接触して初めてスイッチの押されたロボッ
トのように行動を開始していたのだから。俺が異性の危険地帯の露出に忠言するだけの余
裕が無かったのも、無理はないよな?
 驚天動地なミサカと強制昇天の素朴下着にノックアウトされてしまった俺は抵抗する事
も叶わず、動天驚地に手を引かれてテレビを置かれた娯楽室に連行された。最終日に一日
で終わらせるつもりで一つも手を付けていなかったのならそれは無計画とはいわないのさ、
という俺の持論は即却下された。
 その後俺はアニメを鑑賞するミサカの隣で、延々と指先を動かす作業を続けさせられた。
余りにも溜まりすぎるストレスに脳が耐えきれなくなろうとしたあの日あの時あの場所で
ミサカが俺に話し掛けてきてくれていなければ、俺は文部省大臣のお家を爆雷していただ
ろう。
 自分が命令した事そっちのけで超能力アニメに夢中になっていた彼女は、学園都市にも
守護霊を作り出すような能力は存在するのか知っているかと尋ねてきた。その瞳の中には、
今まさに壁紙型液晶の中で大活躍している(一応霊らしい)大巨人が輝いていた。
 質量があって宙に浮けて色があって声を出してビームも発射する元気いっぱいな巨人、
なんて芸当はおそらく超能力(レベル5)、そうでなければ多重能力でなければ無理だろう。
しかし二百三十万分の七人の中にはそんな器用な奴はいなかったし、能力の重複(デュア
ルスキル)は人間の脳容量的に不可能という事になっている。よってそんな能力者は存在
しない、との結論を俺は告げた。
 すると、


「……そうですか……、とミサカは当然の返答に……」
 なぜか俺は、ナノパウダー加工された塩の吹雪に放り出された青菜を幻視した。んなも
んだから慌てて、
「いやっ、でも最近は変な能力を発現する新入生とかも多いから、これから出てくるんじ
ゃないか!?」
 と、実際にそういう傾向が報告されていることを付け加えた。
 学園都市に遍在する異能の力は、行儀が良いというかなんというか、科学的な法則にき
ちんと則っている物が多い。電撃使いは電子を操っているワケであって、肉眼で回避でき
るような電撃は打たないし、超人的な身体能力を誇る肉体強化能力者も、それ相応のカロ
リーを摂取していなければ最大限の力は発揮できない。
 しかし、近代の発達し過ぎた娯楽文化の中で育った子供達の未完成な精神は、いったい
何処へむかおうとしているのでしょうか、と言ったところだろうかね。近ごろ、能力を開
帳したはいいが、原理が分からず研究施設(学校)の引き受け先に困っている、という事
態が増えているらしい。
 原理が不明というのは、能力の大元――ダークマターが通常よりマクロな場所に干渉し
ている事による。
 そしてそれを表した言葉が過誤観測、俺もその傾向のある状態の事だ。
 具体的に言うと、体育の選択種目の一つにある『切断』をこなすためには、例えばエア
ロハンドなら特定の気体原子の動きを司る『ダークマター』を操作して風の刄を作り出す。
しかし過誤観測の能力者の場合、『何か刀のようなもの』という、科学的な観測不能の感覚
を作り出して物体を切り裂いてしまう(爆破能力の場合のそれは、交点上に爆発を発生さ
せるビームのようなもの、だな)といった具合だ。
 このような能力者を受け入れてくれる場所は少ないが、その分野で実績を上げているの
が、かの不気味な校風で有名な霧が丘女学院だ。おかげで最近株があがっているらしく、
関連する研究施設も増加中、過誤観測から『過』の字がとれる日も近いかもしれない。
 そうしてそんな能力も増えていけば、分子を繋げて十数メートルもの人型を形成し、そ
れらしい動きをさせながら発光する程のエネルギーを帯びさせて一部を射出する、なんて
ややこしい制御をしなくてもいいような、『ビームとか撃っちゃうスーパー巨人を操る』と
いう能力も現われるだろう。
 その話を聞き終えたミサカには、無表情の中にも安心満足したような雰囲気があった。
 すかさず息抜きを兼ねての磁場相殺訓練を提案すると、俺の夏課題の事は忘れたかのよ
うにあっさりと頷かれてしまった。あれ、よかったのか?というくらいに。まぁ、そろそ
ろ何か他の事をしないとホントにやばかったし、もともと明日一日で終わらせるつもりだ
ったので、構わなかったのだが。
 そしてもはや俺が付き添う必要性ゼロの訓練、もといくっちゃべりin中庭ベンチが始ま
り、風紀委員支部内の近ごろを語ってやっていると、ミサカがその場の思い付きをエウレ
カしたというわけだ。
 そんなわけで今に至る。


 穏やかに降りしきる雨の風情というのは、人を物憂げな気分にさせる。いや、そんな気
分に浸りたくさせるのかもしれない。
 昔の人は純粋に物憂くなったんだろうけど、今現在ではそんなリアクションは既に常識
の域に達しているのではなかろうか、ととりとめのない考え事をしていると、何か温かく
て適度な手応えのあるモノが右手に触れた。
 俺はミサカの斜め左後、七時の方向から、手を背中に添えるようして傘をさしていた。
その背筋から生え立ったかたちのアルミ骨格のビニール屋根は彼女を中心として広がって
いて、これは俺に必要の無い心遣いに対しての、せめてもの配慮だ。
 手に感じ取られた、プラスチックの取っ手以外の感触の正体は、ミサカの肉付きが少な
い背筋(はいきん)だった。どうやら、急に立ち止まった所に俺が気付かずぶつかったら
しい。
「おとと」
 また5センチ程距離をもたせてから彼女を見ると、なにやらキョロキョロと周囲を見回している。
「どうした?雨に震える子猫か何かか?」
 ミサカはこちらを振り返り、首で否定の動作をすると、
「いえ。ですが今、不可解な音を捕らえたので、とミサカは――」
 と言ったところで、俺にもその不可解な音らしきものが聞こえた。

 ポトタパパッ――

「――っ!!!!」
 ミサカはピクリと身を震わせて後退り、おかげで俺の傘を持った右手がまた背中に当た
った。
 そこへもう一度、

 バタボトバタタパパパッ――!!

 彼女は面白い反応を示した。
「未確認音源を察知、第三級危機対処姿勢を措置します。あなたはミサカから離れないで
くださいとミサカは――」
 ずいぶんと慌てているようだ。急に加速した動きで姿勢を低くし、俺をどこかへ押しや
ろうとし始める。
 もう少し見ていたい気もした。しかしそんな全身に警戒心を漲らせるのは悪いし、ドス
ドスとヒップアタックをくらわされるのも何なので、俺は正直に言ってやる事にした。
「ミサカ、大丈夫だ、なんて事無い。今のは傘に雨粒が落ちてきただから」
 ザラザラと、雨がまんべんなく降り付ける音。
「はい?とミサカは理解に苦しみます」
 クルンっと、身構えたまま振り返る。
 その目は、雨粒があんな音を立てるわけないだろう、と語っていた。
 こんな経験も無かったのなら、わけもないか。俺は説明するために少しだけ傘を傾けて、
頭上がよく見えるようにした。
 灰色の建築物に切り取られ、雨雲に覆われた空。機械仕掛けの見慣れた町並み。しかし
そこには、学園都市にとっては時代遅れなエネルギー伝達ラインである電線が、黒い線を
描いて伸びていた。
「ああいう半端に遮る障害物に落っこちた雨は、ある程度まで蓄えられてな、風とかの振
動で一気に降ってくるから、でっかい塊になってるんだな」
 言って俺は傘を元の角度に戻す。
 ついでに、ミサカの頭の上のビニールを指で弾いてみる。そして起こった、ボンッ、と
いう独特な音色に、彼女のは納得の色を表した。
「で、傘に当たると、変な楽器になるわけだ」
 黒山センセーのなるほど講義は終了した。これで疑問も解けたと思うが、ミサカはまだ
歩き出そうとしなかった。
 まだ気になる事があるのだろうか。その目線は、透明のビニールの向こうでぼやけた電
線に注がれて動かない。
 少し焦れったくなる。しかし不思議な事に、そう感じているのはミサカも同じであるら
しかった。
 すぐ横にぶらさがる、旧電線近日撤去の看板。
 古めのコンクリートの壁に垂れている黒ずみ、それに沿って流れ落ちる雨水。
 そして何かを待ち続けるミサカ。
 そう。俺は、彼女は何かを待っているのだと悟った。そして同時に、なにを待っている
のかも察した。
 再び、少しだけ傘を傾ける。その動きで飛び降りようとし始めた水滴たちが、ミサカのに降り掛からないようにしながら、何も持っていない左手を空に掲げる。
 その人差し指に赤い光を灯らせて、俺は伝染を指差し、自らの能力を発動させた。

 バスン――


 それは爆発というより、風船の破裂に近い。
 運動量保存の法則や作用反作用と言ったものをあっさりと無視した現象、指向性爆破。
その方向をある程度まで限定された光も熱も少ない爆風は、落下中だった雨粒を霧に変え
ながら電線に命中した。
 ふいに与えられた衝撃によって解放され、重力に従順に自由落下した大粒の水滴は、そ
のまま真下にいたビニール傘を叩き付けた。
 もうよく思い出せない程小さい頃に見たアニメの映画に、似たような場面があった気が
する。記憶の中のそのシーンは、恐ろしいものだったのか、可笑しかったのか、それすら
も曖昧な程に不鮮明だ。
 それでも、その時自分の隣にいた誰かはどんなふうだったのかは思い出せた。そいつは、
いや、そいつ等は、可笑しくておもしろくて仕方が無い、というように笑っていた。
 今。
 特大の振動音が、ビニールのスピーカーを通して降り注ぐ中。
 すぐ20センチも離れていない所にいる人の表情もまた、俺はこの先、長い間覚えてい
るのだろうと思った。
 俺が土砂降りを演出する間も、全く身動きしなかったミサカの目。
 そこにあったのは、紛れもない恍惚だった。
 彼女は、感情を表に表すという事が不得手だ。しかし、その心の中までもが全くの不動
ではない事を、俺はこの数日の間に感じ取っていた。
 そして、今生まれ立ったその感情は、水晶体なんて透明度の高い物体で覆い隠されるに
は大きすぎるものだったらしい。
 彼女の顔は相変わらず能面のまま、何の喜怒哀楽も作ってはいない。
 しかしそれでも、その双眸だけは、まるで生まれて初めて流星群を仰ぎ見た子供の瞳の
ように輝いていた。

 ミサカが、いつもとは全く違う。
 だがしかし、そんな彼女は、決して悪くはなかった。
 全く、悪くない。
 むしろ、イイ。
 メチャクチャ、良い。
 だってそうだろ?人間ってのは、動くものに心を動かすようにできているんだ。確かに、
抑揚の無い、淡々としたミサカも良かった。でもやっぱり、これなんだ。人間には、何か
飛んだり跳ねたり、弾けたりしてる物が似合うんだ。それこそがあらゆる活動の動力であ
り、魅力でもあるんだ。
 そして彼女はやはり、それを持っていた。これまで目にした事は無かったけど、今、確
かに見た。
 ビニールのスクリーンは滲むように歪んだ映像から立ち直り、ポツポツとノイズを発生
するだけの状態に戻った。
 静まり返る空気。
 俺にまじまじと見られていたとも知らず、ミサカは何かを訴えたげな雰囲気でこちらを振り返る。


「もう一度はできないぞ。電線に溜まってた水は全部吐き出させちゃったからな」
 口を開いてものを言いかけていた所に、先手の釘止め。すると彼女はパクパクと酸欠の
魚のようにうろたえて、
「ち、違いますっ、ミサカは、えぇーっと、ミサカは……」 
 その時俺は突然、体験した事の無い不思議な感覚に襲われた。なにぶん初体験なもんだ
から、どう表現したらいいのか。例えるなら、肺や心臓、肝臓・腎臓に、胃、小腸・大腸、
それらあらゆる臓器の隙間で、蛇か何かの触手が蠢いて暴れているような、とにかくとて
も奇妙な感覚だった。
 決して悪い気分ではない。それどころか、これに身を任し、その衝動の赴くままにこの
腹の中の何かを此処に吐き出してしまえば、とても良い気分になれるだろうと思った。
 しかし俺は、留めておく事にした。今それを実行してしまっては、何か失敗を犯してし
まう気がしたからだ。
 端的に言うと、度胸が無かったんだ。
 でも、どうって事は無い。この衝動がまた繰り返されるようならば、いつか何度目かの
時には、つい、ポロっという感じで自然に漏れ出してしまうだろう。それがベストのよう
に思われた。
 そう考えると、体内の暴動が、急にスゥっと静まった。五臓六腑を食い破るらんとして
いた触手や蛇たちが、獲物はすぐには逃げ出さないと気付いて、安心して余裕を持ったよ
うだった。
「えーと、そうです、あなたの力は爆発を起こすものだと聞ていましたが、今のはとても
不可解な爆裂でした。あなたのパーソナルリアリティはどうなっているのですか?とミサ
カは興味を持ちました」
「んー、それはちょっと難しい質問だぞ。俺に限らず」
 んな事聞かれてもな。自分自身の事ってのは意外と知らないものだって言うだろ?発現
当初はデベロッパーたちも珍しがってたけど、所詮は爆破能力。原理の測定方法の見当も
つかないから、すぐにほっぽり出された。俺は以後、どんな教育プログラム(ドーピング)
を課せば能力の規模が増幅されるのかを研究する脳みそ方面の学校で過ごした。そこでは
個人の能力についての探求など行われない。能力者の六割が役立たず(レベル0)である
ここでは、普通の事だ。まぁ、俺はそんな普通の中でもそれなりの努力を重ねたわけだよ。
風紀委員としてだけど。
 ようやく足を動かし始めたミサカに付き添いながら語る。並んでいるのか、付き従って
いるのか、微妙な位置関係。彼女は、俺の言葉の端々にチョコチョコと振り向きながら耳
を傾けた。
 堅い話の連続を遮るようにして、でもそういえば、と俺は思いついた。
「こんなことぐらいはできるな」
 ミサカに向かって伸びたものと反対の手を、再び雨の中へ突き出す。
 何かを受け取るように上を向いた手の平を赤く発光させ、俺は感覚神経に集中した。雨
粒が平均より固めの表皮と衝突する度に発生する触覚信号に対応させて、パシュパシュと、
炭酸ガスの抜けるような音の爆発を起こす。
「射程がゼロだからってわけなのか知らないけど、力加減や起爆点、爆発の連射ってのは
結構得意だな」
 掌に触れると同時に跡形もなく消し飛ばされていく水滴。
「だから、色紙の紙吹雪をひとつかみ握れば、いつでもクラッカーを鳴らせたりする」
 俺はそう言い、一旦爆発を止めて少しばかり貯水した水たちを一気に弾き飛ばす。同一
方向に揃って弾道を描く水飛沫は、地面に転がっていた吸い殻を排水溝に流し落とした。
「そうですか。それなら、あんな事も……いや、それよりも、あっちの方が……」
 何を考えているんだろう。ミサカはその目をしきりに瞬きさせながら小刻みに頷いた。
 そして、バッ、と勢い良くいきなり振り返った彼女は、いかなる理由か、赤く上気させ
た顔で俺を見て、口を開いた。
「お願いがあります、とミサカは懇願します」
 俺はこの後起こったことを、いつまでもいつまでも――悪寒とともに、思い出すことになる。





































 ミサカの体が、ストン――と崩れた。

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