とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

SS 3-241

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匿名ユーザー

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 それから一〇分ほど上条は泣き続けた。
 涙が静まると、とめどなく溢れていた感情も影を潜め、冷静な思考と身体の自由が戻ってきた。
 やってしまった。
 思った以上に追い詰められていたことには驚いたが、それを堪えきれないほどに自分が脆かったことを痛感した。記憶喪失を隠し通
せていたと油断していた。
 横目でベンチの方に視線を向ける。小萌はなにを考えているかわからなかったが、一応は笑顔で天頂に上り始めた月を見上げている。
 上条が泣いている間は、ぽつりぽつりと小さな言葉を紡いだ。
「小萌先生はずっとそばにいるですよ。だから……上条ちゃんは泣いてもいいのです」
 なに一つ思い出を持っていないことを知った上で。
 上条は感情の昂ぶるまま記憶喪失のことを吐露していた。
 あの日より前の記憶がなにもないこと。それが決して戻ってこないこと。記憶喪失ということを知られてはいけないこと。それでも
自分のこと以外——インデックスや魔術に関することを言わなかったのは、インデックスを想ってか、それとも小萌を巻き込まないた
めか。
 上条の視線に気づいて小萌がおだやかに微笑む。
「……『あなた』は自分のことをどう思うです?」
 普段の呼び方——『上条ちゃん』ではなく『あなた』だった。
「俺は……気づいたら真っ白な病室だった。なんかのマンガみたいな、信じられないことばっか説明された。全然実感がなかったけど、
インデックスが……あの女の子が俺の前で泣くのを見たら……すごく、辛かった。だから、あの子を泣かせちゃいけないって思った。
だから——俺は『上条当麻』になった」
 その言葉は小萌に説明しているようで、上条自身に言い聞かせるようでもあった。
 事実を追いかけ、感情を鮮明にしていく。
「最初は、ほんとわけがわかんなかった。『上条当麻』って人間が……台本がないまま舞台に立たされてる、っていう感じ……かもし
れない。そういうの、よくわからないけど……でも大変だった」
 目を背けていた想いに再び出会う。
「——自分のことを考えてる暇なんてなかった。あの子と『上条当麻』の知り合いたち……いろんなことが起きたけど、俺は見て見ぬ
振りなんてできなかったし……やっぱ、したくなかった。知識だけしかなかったけど身体は動いてくれた。バカみたいなことだけど、
どっかに残ってたのかも、って思う。……俺は少しずつ『上条当麻』に近づいた」
 小萌はなにも言わない。
 いきなり自分の生徒が泣きだしたら、記憶喪失だなんて言い出したら、事情を聴きたくなるはずなのに——、
 ただ、そばにいてくれるだけ。
「だけど……近づいたのは外側だけだった」
 目頭が熱を帯びていく。
「みんなが俺を『上条当麻』って認めると、その度に自分がわからなくなった。記憶がなくなっても『上条当麻』は『上条当麻』だと
か、そんなこと言われなくてもわかってる。けど、でも……納得なんてできなかった! 俺の中で『上条当麻』はちゃんとした形にな
っていくのに……俺自身は空っぽのまま」
 揺らいだ世界に気づいて顔を隠すように俯く。もう、泣き顔は見せられない。
「結局……俺は誰、なんだよ」
 情けなさと、苛立ちと、虚しさと——混然した感情に思わず開口する。
「……」
 不意の気配。
 かわいらしい小萌の革靴が視界にはってきた。
 怖い。
 視線をあげることが怖い。小萌の顔を見ることが怖い。『上条当麻』ではない——初対面の人間と向き合う小萌が怖い。
「『あなた』は……」
 肩が震える。惨めな上条を嘲るように膝が笑いだす。
「『あなた』は『上条当麻』です。おバカさんで、どうしようもなくて……でも一生懸命で、ちっともめげない。小萌先生の大事な大
事な教え子です」
 小萌は笑っていた。いや……『あの日』自分に向けられた笑顔のように……精一杯、笑おうとしていた。
「——っ、だからっ!!」
 荒ぶる感情が声となって吐き出される。
 小萌が放った言葉はどうしようもなく正しいのだろう。記憶喪失になったからといって異なる人物に成り代わることなどありはしな
い。『記憶を失った上条』も『記憶を失う前の上条』も所詮は同一人物だ。
 けれど……それは偽善だ。慰めにすらほど遠い。


「違います。そうじゃないのです」
 頭(かぶり)を振って小萌は言った。
「どんな経緯で記憶喪失になったのか、小萌先生に詳しいことはわかりません。……でも『あなた』は……記憶を失ったときから、シ
スターちゃんを守ろうと思ったときから……『あなた』は『上条当麻』になったのです」
 温かい優しさが肩の震えを抑えていく。
「さっき『あなた』が言ったように、きっと……どこかに『上条当麻』が残っていたですよ。シスターちゃんに出会って、姫神ちゃん
と過ごして、風斬ちゃんと仲良くなって、土御門ちゃんたちと笑って、吹寄ちゃんに怒られて……『あなた』の中の『上条当麻』はみ
んなに触れて少しづつ大きくなったはずです」
 ゆっくりと首に腕を回され抱きしめられた。
 ちょっとタバコ臭い……でも陽だまりのような匂いが包み込んでくる。
「それはいままでの『上条当麻』じゃなくて……新しい、『あなた』が成長して創りあげた『上条当麻』なのですよ。以前と同じ必要
なんてありません。なりきる意味なんてないのです。だって……」
 小萌の腕に力が入った。
「だって『あなた』は、いままでの『上条当麻』よりずっと素敵な『上条当麻』なのですから」
 そんなの詭弁だと思った。この場凌ぎの言葉遊びだと罵りたかった。
 だけど——、
 その台詞は心の奥底に突き刺さって決して引き抜けないほどにめり込んでいく。
「小萌……せん、せい……」
 たとえ詭弁でも、たとえ言葉遊びでも……、
「——ありが、とう」
 送られた言葉はひどく嘘っぽくて——そして、嘘みたいに温かかった。
 上条は声を押し殺して再び、泣いた。

 上条が落ち着いてから、二人は公園を背に帰路を歩む。
 車椅子に揺られながら上条は気になっていたことを尋ねる。
「小萌先生は……俺が記憶喪失だって、気づいてたんですか? それであの公園に行ったんですか?」
 今日、小萌はまっすぐにあの公園に向かっていた。上条と小萌が出会ったのが『あの場所』というのなら記憶喪失のことを知ってい
て連れ出したとしか思えない。
 しかし——、
「あは……あはははは……か、上条ちゃん、それはですねー」
 小萌の反応は妙に落ち着きがない。
 なんというか……教師にいたずらがばれた小学生のようだ。
「小萌先生?」
「お、怒らないで聞いてくださいねっ?」
「……話の内容によります」
 小萌の表情はわからないが、ぐっと息を飲んだことがわかった。どうにも言いづらいことらしい。
 こほん、と喉を整えて小萌は話を切り出した。
「その……最近、上条ちゃんの様子がちょっと変だったので気になっていたのです。少し元気がないようい見えたので、まずはお見舞
いに行ったのですけど……案の定、上条ちゃんに違和感を覚えてしまったのですよー。それでですね……」
 振り向いて視線を合わせる。
「——カマ、かけたんですか?」
 一秒もしないで顔をそむけた小萌。少し頬がひくついている。かと思えば鼻先が触れ合いそうなほど顔を寄せてきた。
「ち、違うのですよー! 上条ちゃんのことなので、小萌先生がなにを聞いても『大丈夫』とかそんなこと言って、絶対はぐらかすと
思ったのです。なので、ちょっとだけ……ちょっとですよ!? その、上条ちゃんをからかっちゃおうと思いまして……」
「……から、かう?」
 予想外の告白だった。
 上条としては最初から小萌が記憶喪失のことを知っていたと思っていた。だから上条の昔のことを話し出したと思っていたのに……。
 からかおうとした?
「どうせ上条ちゃんったら小萌先生と会ったときのことなんか忘れてると思ったので、わざとその話をして焦らせてやろうと思ってた
のです。そしたら……その、上条ちゃんがいきなり泣き出して——」
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
 ということはまさか……、
「最初から記憶喪失って知ってたんじゃ……」
「そ、そんなことわかるわけないじゃないですか! 上条ちゃんから聞いて小萌先生だってビックリしてるですよ!?」
 まさか……思いっきり墓穴を掘ったのか?
 盛大な脱力感に襲われ、なにもかも投げ出したくなる。
 しかし、その前にもう一つ聞かなければいけないことが増えた。
「じゃ、じゃあ……俺と小萌先生が初めて会った場所って……」


 一瞬の間。その後、不安に覆われていた顔を眩しい笑顔に塗り替えた。
「もちろん、あの公園じゃないですよー」
「……うだー、マジかよ」
 もはや文句を言うだけの気力すらない。というか、もとから文句を言うつもりなど全くない。
 深く身体を車椅子に預け、黒塗りの天井を見上げる。雲一つない空で月は煌々(こうこう)と輝き、夜の色合いを深めていく。
 今日も静かな夜になるだろう。
 けれど、安らかな眠りが待っている。そう確信できる。
 もう自分はいままでの『上条当麻』とは、仮初めの存在とは違うのだから。


 穏やかな夜。
 視界の隅にはさっきまで泣いていたかわいい教え子の黒髪。
(えへへ、上条ちゃんったら、まだまだ子供なのですよー)
 ナデナデとかヨシヨシとかイイ子イイ子とか、大好きな教え子に色々したい感情を必死に抑える。こうして一緒に歩いていると自然
と気分が高鳴っていった。
 それでも……、
 どうしても表情が曇っている気がする。
(記憶喪失、ですか……)
 なんとか笑顔を作ってみるが、やはり表情筋が固いようだ。たった数十分ではあの衝撃からは立ち直れない。
 本当に側頭部を鈍器で殴られたような鈍い衝撃だった。
 クラスの中でムードメイカーとして、まとめ役の一人として振舞う彼を知っている。
 自分の信念を曲げずに、誰かのために身を削っている彼を知っている。
 どんなにつらくても決して諦めない彼を知っている。
 そして記憶を失っても彼は彼のまま、誰にも迷惑をかけず全てを一人で抱え込んでいた。
(やっぱり……『あの時』となにも変わっていないのですね)
 一つだけ嘘をついていた。
 あの公園。
 いまの高校に赴任して数日足らずの月詠小萌と、学園都市に来たばかりの上条当麻。
 そこは本当に二人が出逢った場所だった。
(ごめんなさい、上条ちゃん……でも、これだけは言えなかったです)
 それは二人だけの思い出。
 『上条当麻』にさえ踏み入ることを許さない月詠小萌の大切な記憶。
 なにかあればいつも思い出していた。
(いつのまにかお別れしちゃったのですね……本当にずるい子です、本当に)
 けれど、その思い出も深く深くしまわなければいけない。
 忘れることなどできないから……一つの想いに添えられた言葉とともに、二度と開くことのない宝石箱の中へ。
(——さようなら『上条当麻』君)
 秋の夜風が慰めるように優しく頬を撫でていく。
 月詠小萌は『上条当麻』に気づかれないように一雫だけ涙を流した。
 たった一雫だけ。

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