上条当麻は疲弊していた。姫神秋沙は忘我していた。ステイル・マグヌスに至ってはそもそもその場にいなかった。無論、敵地において警戒を怠ることが死に直結することは周知の事実であるが、上条も姫神も歴戦の強者ではない。或いは『記憶を失う前の上条当麻』や、先程までの『姫神と再開する前の上条当麻』ならば、或いは気づくことができたかもしれないが、如何せん日常レベルにまで緊張を緩めてしまった彼には、どうしようもなかった。
がつがつと立てられる金属的な足音。ぜえぜえと鳴る荒い息。じゃらじゃらと鎖の擦れる音。
それら全てに、上条は反応することはなく。
ひゅん、と鎖が飛んで。とすん、と鏃が刺さって。
小さな呻き声を上条が認識した、次の瞬間には。
姫神秋沙の、頬が、顎が、額が、頭髪が、瞼が、耳が、眼球が、唇が、歯茎が、歯が、舌が――崩れて。
皮膚という皮膚が、筋肉という筋肉が、脂肪という脂肪が、骨という骨が、内臓器官という内臓器官が――姫神秋沙という姫神秋沙が――金色の粘液と化していた。
上条は、先程の姫神秋沙のように、ただ呆然とするしかなかった。
がつがつと立てられる金属的な足音。ぜえぜえと鳴る荒い息。じゃらじゃらと鎖の擦れる音。
それら全てに、上条は反応することはなく。
ひゅん、と鎖が飛んで。とすん、と鏃が刺さって。
小さな呻き声を上条が認識した、次の瞬間には。
姫神秋沙の、頬が、顎が、額が、頭髪が、瞼が、耳が、眼球が、唇が、歯茎が、歯が、舌が――崩れて。
皮膚という皮膚が、筋肉という筋肉が、脂肪という脂肪が、骨という骨が、内臓器官という内臓器官が――姫神秋沙という姫神秋沙が――金色の粘液と化していた。
上条は、先程の姫神秋沙のように、ただ呆然とするしかなかった。
――彼の認識が現実に追いつくのに掛かった時間は十数秒。しかし彼は未だ生存している。視覚を復帰させると、足元には変わらず黄金の液体。前を見れば、狂ったように笑いながら何事かを叫んでいる男。脳内の記憶領域を検索すると、魔術師アウレオルス・イザードが該当する。今作戦の第二目的は当該魔術師の排除であるため、彼は対象の情報を取得するために未だ休止していた四つの感覚を復帰させた。
ホモ=サピエンスは外部情報の七割を視覚から取得する、という常識は現在の彼には当てはまらない。視覚障害者の聴覚が常人よりも発達するのと同じように、彼の全身の感覚器官は鋭敏化していた。
「私の専門は『人間』。必然、このような異能は無用! ひゃは、認めよう、確然私は間違えていた! しかし間違いは正すのが必然! 過ちには修正! 失敗には再始! そうして道を進むのが、『人間』たる私の完然たる在り方! ひゃは、ひゃははははは!」
対象は錯乱状態にある。彼はそれだけを認識した。
魔術師の発言そのものには何ら感情を抱くことなく、彼は拳を構える。無表情にして無感情な相手に、魔術師は微かに首を傾げた。
「泰然――いや、脱然か? たかが数十秒でブッディズムにおける悟りの境地へと至るか! ひゃはは、やはり人間は素晴らしい! その性質こそが真理へと繋がるのだ! ――瞬間、錬金!」
飛来するは鏃。秘めたる異能は黄金化。彼は前傾姿勢を取り、次いで開いた右手を前に突き出す。
中遠距離では届かない。近距離でもまだ分が悪い。――故に、彼は鏃を止め、走り出す。
勝率が最も上昇するのは対象の初撃の直後。幻想殺しにて黄金化を無効化し、接近距離での戦闘へと移行する。
「――な、馬鹿な!」
彼は魔術師の驚愕に反応を示すこともせず、ただ拳を握る。筋肉の出力制限を解除し、拳撃の理想軌道を演算――終了。
――彼は学園都市の人間であり、それは脳の開発が行われていることと直結する。現在彼に能力が発現しないのは、幻想殺しの影響か、多重能力となるからか、単に無能力なだけか。彼と幻想殺しが共に在る限り、意味のない問いであるが――一つ、揺らがないことがある。
脳開発による演算能力の向上。程度の差こそあれ、学園都市の学生ならば誰でも、この恩恵を得ている。『神様』を真似る為に、この学園都市は存在するのだから。
――だから、稀有な事でこそあれ、在り得ない事ではないのだ。
肉体的には一般人でしかない彼の拳の一撃で、魔術師が沈むことは。
「――チッ!」
魔術師は迎撃のために鎖を射出する。しかし、鏃の当たった先は右拳。ボロボロと崩れていく鏃に魔術師は再び驚愕する。
それが迫り来るものである事すら忘れて、魔術師は自らの顔面に突き刺さるまで瞬間錬金をないものとして扱った彼の右拳を凝視していた。
ホモ=サピエンスは外部情報の七割を視覚から取得する、という常識は現在の彼には当てはまらない。視覚障害者の聴覚が常人よりも発達するのと同じように、彼の全身の感覚器官は鋭敏化していた。
「私の専門は『人間』。必然、このような異能は無用! ひゃは、認めよう、確然私は間違えていた! しかし間違いは正すのが必然! 過ちには修正! 失敗には再始! そうして道を進むのが、『人間』たる私の完然たる在り方! ひゃは、ひゃははははは!」
対象は錯乱状態にある。彼はそれだけを認識した。
魔術師の発言そのものには何ら感情を抱くことなく、彼は拳を構える。無表情にして無感情な相手に、魔術師は微かに首を傾げた。
「泰然――いや、脱然か? たかが数十秒でブッディズムにおける悟りの境地へと至るか! ひゃはは、やはり人間は素晴らしい! その性質こそが真理へと繋がるのだ! ――瞬間、錬金!」
飛来するは鏃。秘めたる異能は黄金化。彼は前傾姿勢を取り、次いで開いた右手を前に突き出す。
中遠距離では届かない。近距離でもまだ分が悪い。――故に、彼は鏃を止め、走り出す。
勝率が最も上昇するのは対象の初撃の直後。幻想殺しにて黄金化を無効化し、接近距離での戦闘へと移行する。
「――な、馬鹿な!」
彼は魔術師の驚愕に反応を示すこともせず、ただ拳を握る。筋肉の出力制限を解除し、拳撃の理想軌道を演算――終了。
――彼は学園都市の人間であり、それは脳の開発が行われていることと直結する。現在彼に能力が発現しないのは、幻想殺しの影響か、多重能力となるからか、単に無能力なだけか。彼と幻想殺しが共に在る限り、意味のない問いであるが――一つ、揺らがないことがある。
脳開発による演算能力の向上。程度の差こそあれ、学園都市の学生ならば誰でも、この恩恵を得ている。『神様』を真似る為に、この学園都市は存在するのだから。
――だから、稀有な事でこそあれ、在り得ない事ではないのだ。
肉体的には一般人でしかない彼の拳の一撃で、魔術師が沈むことは。
「――チッ!」
魔術師は迎撃のために鎖を射出する。しかし、鏃の当たった先は右拳。ボロボロと崩れていく鏃に魔術師は再び驚愕する。
それが迫り来るものである事すら忘れて、魔術師は自らの顔面に突き刺さるまで瞬間錬金をないものとして扱った彼の右拳を凝視していた。
「――かはっ」
上条当麻は血を吐いた。全身のあらゆる機能に掛かった過負荷のせいでただ息をすることさえ苦痛だった。
足元には、変わらず金色の液体。その中に百円硬貨が浮かんでいるのを見て、上条は意味もなく笑い出したくなった。錬金術という異能の結果を打ち消すことすら、この右手にはできないから。
「――神様の奇跡すら打ち消せる? 面白い冗談だ、全く」
魔術によって失った記憶は取り戻せない。仮に液化黄金に効力を発したところで、結果として現れるのはぐずぐずに溶け落ちた姫神だったモノでしかない。上条当麻の右手は、学園都市の判定通りの『無能力』としか言えなかった。
上条はため息をついて座り込む。ただ、いずれやってくるであろうステイルを待ちながら。
上条当麻は血を吐いた。全身のあらゆる機能に掛かった過負荷のせいでただ息をすることさえ苦痛だった。
足元には、変わらず金色の液体。その中に百円硬貨が浮かんでいるのを見て、上条は意味もなく笑い出したくなった。錬金術という異能の結果を打ち消すことすら、この右手にはできないから。
「――神様の奇跡すら打ち消せる? 面白い冗談だ、全く」
魔術によって失った記憶は取り戻せない。仮に液化黄金に効力を発したところで、結果として現れるのはぐずぐずに溶け落ちた姫神だったモノでしかない。上条当麻の右手は、学園都市の判定通りの『無能力』としか言えなかった。
上条はため息をついて座り込む。ただ、いずれやってくるであろうステイルを待ちながら。
炎の魔術師は記憶を消され、禁書目録も確保された。理想とは言いがたい黄金錬成の使い手は、己が望みを達するために流儀を曲げて行動する。
無能にして全能の破壊者と、全能にして無能の創造者。
互いが互いを知らずとも、既に衝突する運命にある。
外界に繋がらないビル――否、ビルの形に納められた異界の中で、『人間』アレイスター・クロウリーは嗤う。
自らのプランの短縮を喜んで。
無能にして全能の破壊者と、全能にして無能の創造者。
互いが互いを知らずとも、既に衝突する運命にある。
外界に繋がらないビル――否、ビルの形に納められた異界の中で、『人間』アレイスター・クロウリーは嗤う。
自らのプランの短縮を喜んで。