能力を使用した授業を行うことを前提に設計された体育館は、一般のそれより遥かに頑丈な骨組みとただっぴろい空間を持っている。そのため屋上もかなり広く、上条が着地した玄関側の端からサーシャの立つ魔法陣まで三〇メートルくらい距離があった。
風に揺れる金の髪。拳銃型霊装を握り締めた制服シスターの足元には、言祝栞が倒れている。
とりあえず間に合いはしたらしい、と上条は安堵した。
その一瞬の油断を、突如放たれた爆音とそれに伴う釘の乱打が貫く。
「うおっ!? は! おうわっ!?」
上条は思わずのけぞったが、初めから当てるつもりはなかったのだろう。十数本の釘は上条の前方二メートルくらいで横一線に屋上の床に突き刺さり、コンクリートをバレーボール大の円形に消失させた。砂と散った建築材の名残が宙を舞う。
境界線を引かれたみたいだ、と上条は思った。その考えをぐっと飲み込み、叫ぶ。
「おいサーシャ! 何の真似だ!」
「自明のはずであるが回答一。邪魔をしないでもらいたい。これはロシア成教とイギリス清教が下した最重要指令である。貴方の右手は儀式の妨げになると証明済みのはず」
返事は即答。それほど大きな声でもないのにここまでしっかりと聞こえるのは、演劇の練習の成果か。
と、息をつぎ、
「宣告一。それ以上近づいた場合、実力で排除する」
持ち上げられた銃口がピタリと上条を照準した。
石膏で固めたような無表情は、一人の少女としてではない、「魔術師」サーシャ=クロイツェフとしての顔なのだろうか。
本来なら対人で用いるべきではない凶悪すぎる術式が少年に向けられる。
しかし上条はその程度で怯んだりはしなかった。銃と向き合うプレッシャーなどおくびにも出さず、声を張り上げる。
「ふざけるな! インデックスから話は聞いた。その『零時の鐘(ロンドベル)』っていう捜索術式は、“一人じゃ使えないもの”なんだろうが!」
右の足を前に出しかけ、
「『灰姫症候(シンデレラシンドローム)』から術者の魔力を抜き出す役と、魔法陣を保つ役の二人が必要な魔術なんだろ。本当なら教会からの応援要員を待って、演劇に乗じた『灰姫症候』の走査術式を終えてから使う予定だったから。“お前が焦って無理矢理やろうとしても”、成果なんかでやしないんだ。だから、」
ダン! と再び足元に打ち込まれた釘弾に止めさせられる。
前を見やると、やはり貼り付けたような無表情がそこにあった。
「宣告二。次は無い」
「サーシャ! 人の話を聞いてんのか!?」
「回答二。問題なく。続いて回答三。貴方の今の発言は作戦中断の理由にならない。単独で『零時の鐘』を行う方法は存在する」
なんだって? と上条の思考が凍る。
サーシャは与えられた台本を棒読みするかのように淡々と、
「補足一。用は魔法陣――『神殿』内に『灰姫症候』に含まれた魔力を波長として放てばいいだけ。わざわざ丁寧に解析せずとも、私の攻性魔術で破壊し、その際に生じる魔力の残響現象を活用すればいい」
上条は基本的に科学側の人間だ。魔術側の用語を用いられても理解しきれない。それでも聞きかじりの知識で何とか意味を捉えようとする。
要は、鍵のかかった宝箱のようなものか。
中身が何であるのかを調べなければならないが、自分には鍵開けの技術もそのための魔法も使えない。箱は完全に密閉されていて、揺らしても音の一つもしない。
ではどうすればよいか。
サーシャはこう言ったのだ。
“宝箱ごと叩き壊し、散らばった破片から推察すればいい”と。
肝心なのは「中身を手に入れる」事ではなく、「中身を調べる」事なのだから。
それを現在の状況に照らし合わせた時、壊される「宝箱」とは、
「――――――っ! 言祝ぃ! 起きろぉぉ!」
そこまで考えが及んだところで、上条の硬直が解けた。声の限りに倒れたままの言祝栞に呼びかける。だが、いつもは頼んでも黙ってくれない行動派文学少女は、まるで置物のように身じろぎすらしなかった。
「くそ、こんなときだけ物静かになってんじゃねぇよ!」
無茶な文句を言いながら、上条は走り出す。激しい足音に無機質なカチャリという金属音が混じって聞こえた。
「宣告三。次は無いと言った」
ダン! という強い音に釘弾がはじき出される。
左の太ももを狙ったその攻撃を右へステップしてかわした。
上条は再びダッシュしようとしたが、その矢先にまた左足を狙われてやはり右へ飛ぶ。
風に揺れる金の髪。拳銃型霊装を握り締めた制服シスターの足元には、言祝栞が倒れている。
とりあえず間に合いはしたらしい、と上条は安堵した。
その一瞬の油断を、突如放たれた爆音とそれに伴う釘の乱打が貫く。
「うおっ!? は! おうわっ!?」
上条は思わずのけぞったが、初めから当てるつもりはなかったのだろう。十数本の釘は上条の前方二メートルくらいで横一線に屋上の床に突き刺さり、コンクリートをバレーボール大の円形に消失させた。砂と散った建築材の名残が宙を舞う。
境界線を引かれたみたいだ、と上条は思った。その考えをぐっと飲み込み、叫ぶ。
「おいサーシャ! 何の真似だ!」
「自明のはずであるが回答一。邪魔をしないでもらいたい。これはロシア成教とイギリス清教が下した最重要指令である。貴方の右手は儀式の妨げになると証明済みのはず」
返事は即答。それほど大きな声でもないのにここまでしっかりと聞こえるのは、演劇の練習の成果か。
と、息をつぎ、
「宣告一。それ以上近づいた場合、実力で排除する」
持ち上げられた銃口がピタリと上条を照準した。
石膏で固めたような無表情は、一人の少女としてではない、「魔術師」サーシャ=クロイツェフとしての顔なのだろうか。
本来なら対人で用いるべきではない凶悪すぎる術式が少年に向けられる。
しかし上条はその程度で怯んだりはしなかった。銃と向き合うプレッシャーなどおくびにも出さず、声を張り上げる。
「ふざけるな! インデックスから話は聞いた。その『零時の鐘(ロンドベル)』っていう捜索術式は、“一人じゃ使えないもの”なんだろうが!」
右の足を前に出しかけ、
「『灰姫症候(シンデレラシンドローム)』から術者の魔力を抜き出す役と、魔法陣を保つ役の二人が必要な魔術なんだろ。本当なら教会からの応援要員を待って、演劇に乗じた『灰姫症候』の走査術式を終えてから使う予定だったから。“お前が焦って無理矢理やろうとしても”、成果なんかでやしないんだ。だから、」
ダン! と再び足元に打ち込まれた釘弾に止めさせられる。
前を見やると、やはり貼り付けたような無表情がそこにあった。
「宣告二。次は無い」
「サーシャ! 人の話を聞いてんのか!?」
「回答二。問題なく。続いて回答三。貴方の今の発言は作戦中断の理由にならない。単独で『零時の鐘』を行う方法は存在する」
なんだって? と上条の思考が凍る。
サーシャは与えられた台本を棒読みするかのように淡々と、
「補足一。用は魔法陣――『神殿』内に『灰姫症候』に含まれた魔力を波長として放てばいいだけ。わざわざ丁寧に解析せずとも、私の攻性魔術で破壊し、その際に生じる魔力の残響現象を活用すればいい」
上条は基本的に科学側の人間だ。魔術側の用語を用いられても理解しきれない。それでも聞きかじりの知識で何とか意味を捉えようとする。
要は、鍵のかかった宝箱のようなものか。
中身が何であるのかを調べなければならないが、自分には鍵開けの技術もそのための魔法も使えない。箱は完全に密閉されていて、揺らしても音の一つもしない。
ではどうすればよいか。
サーシャはこう言ったのだ。
“宝箱ごと叩き壊し、散らばった破片から推察すればいい”と。
肝心なのは「中身を手に入れる」事ではなく、「中身を調べる」事なのだから。
それを現在の状況に照らし合わせた時、壊される「宝箱」とは、
「――――――っ! 言祝ぃ! 起きろぉぉ!」
そこまで考えが及んだところで、上条の硬直が解けた。声の限りに倒れたままの言祝栞に呼びかける。だが、いつもは頼んでも黙ってくれない行動派文学少女は、まるで置物のように身じろぎすらしなかった。
「くそ、こんなときだけ物静かになってんじゃねぇよ!」
無茶な文句を言いながら、上条は走り出す。激しい足音に無機質なカチャリという金属音が混じって聞こえた。
「宣告三。次は無いと言った」
ダン! という強い音に釘弾がはじき出される。
左の太ももを狙ったその攻撃を右へステップしてかわした。
上条は再びダッシュしようとしたが、その矢先にまた左足を狙われてやはり右へ飛ぶ。
転がり、進み、避け、かすめ。
気づいた時には、まっすぐ走っていたはずなのにかなり屋根の端の方まで追いやられていた。
(まずい……。俺を近寄らせないためだけじゃない、俺の右手(イマジンブレイカー)を使わせないための誘導か!)
右へ右へと避け続ければ、当然サーシャの側へは左半身が向くことになる。右手に宿るどんな異能も問答無用で打ち消す力、幻想殺しで防御させないための戦術だ。
だが、頭ではそうと分かっていても体は勝手に避けてしまう。これらの釘が図書室の窓ガラスや体育館の屋根を塵に変えたのを目の前で見ているし、そうでなくとも五寸釘が高速で飛んでくれば普通は怖い。
『確実』に仕留める。そのためだけにロシア成教が研鑽を重ねてきた心理誘導戦術の一つである。
(止まるわけにはいかない。だからってこのままじゃ、いずれは屋根の端から転げ落ちちまう。開き直って右手を盾にして突撃しても、美琴の電撃の槍と違って腕に向かって飛んでくれるわけじゃないし、もし“魔術のかかっていない”ただの釘を撃たれたらアウトだ)
位置関係が致命的なものになる前に打開策を見つけなければならない。上条は走り転げながら頭の中に優先事項とそのための手段を並べ立てていく。
今一番しなければならないこと――決まっている。サーシャの魔術を止めることだ。
そのためにすべきこと。上条当麻の勝利条件。
――条件一。『零時の鐘』の魔法陣を幻想殺しで破壊する。
屋根に白い線で描かれた円と紋様。あれらが『零時の鐘』であることは間違いない。ならばあれらの線を右手で撫でるだけで効果を消すことが出来るはずだ。
――条件ニ。『零時の鐘』の起動に用いるあの銃型霊装を幻想殺しで破壊する。
「宝箱」を壊すために、サーシャは魔術で攻撃すると言った。それを使えなくさせれば、少なくとも儀式を中断させられるはず。
――条件三。言祝を確保し、幻想殺しで『灰姫症候』を破壊する。
これはある意味最後の手段だ。確実に『零時の鐘』を中断させられる代わりに、『灰姫症候』を学園都市に放った魔術師を捕まえる手がかりがなくなってしまう。そうなればイギリス、ロシア両宗派から責任を問われるのはもちろん、正体不明の魔術師を野放しにしてしまうことになる。
――条件四。術者であるサーシャ自身の意識を断ち切る。
……出来ればやりたくない。それに、やるならば最初からサーシャのみを狙わなければならないだろう。迷っている間にズドンだ。
これは全ての条件にも言える。一から四のどれかに失敗したからといって、別の目標に移る余裕は恐らくない。狙いは一つでなければならなかった。
(――どうする!? 魔法陣か、霊装か、言祝か、サーシャか!)
上条当麻は全力で走りながら全力で思考する。だが極度の緊張に暴走しかけている脳は全く関係のない記憶を走馬灯のように流していた。
サーシャとの出会いを思い出す。インデックスとの顔合わせを思い出す。言祝の無茶なスカウトを思い出す。吹寄達のふざけた裁判を思い出す。演劇班の人達との練習の日々を思い出す。小萌先生の気配りを思い出す。
気づいた時には、まっすぐ走っていたはずなのにかなり屋根の端の方まで追いやられていた。
(まずい……。俺を近寄らせないためだけじゃない、俺の右手(イマジンブレイカー)を使わせないための誘導か!)
右へ右へと避け続ければ、当然サーシャの側へは左半身が向くことになる。右手に宿るどんな異能も問答無用で打ち消す力、幻想殺しで防御させないための戦術だ。
だが、頭ではそうと分かっていても体は勝手に避けてしまう。これらの釘が図書室の窓ガラスや体育館の屋根を塵に変えたのを目の前で見ているし、そうでなくとも五寸釘が高速で飛んでくれば普通は怖い。
『確実』に仕留める。そのためだけにロシア成教が研鑽を重ねてきた心理誘導戦術の一つである。
(止まるわけにはいかない。だからってこのままじゃ、いずれは屋根の端から転げ落ちちまう。開き直って右手を盾にして突撃しても、美琴の電撃の槍と違って腕に向かって飛んでくれるわけじゃないし、もし“魔術のかかっていない”ただの釘を撃たれたらアウトだ)
位置関係が致命的なものになる前に打開策を見つけなければならない。上条は走り転げながら頭の中に優先事項とそのための手段を並べ立てていく。
今一番しなければならないこと――決まっている。サーシャの魔術を止めることだ。
そのためにすべきこと。上条当麻の勝利条件。
――条件一。『零時の鐘』の魔法陣を幻想殺しで破壊する。
屋根に白い線で描かれた円と紋様。あれらが『零時の鐘』であることは間違いない。ならばあれらの線を右手で撫でるだけで効果を消すことが出来るはずだ。
――条件ニ。『零時の鐘』の起動に用いるあの銃型霊装を幻想殺しで破壊する。
「宝箱」を壊すために、サーシャは魔術で攻撃すると言った。それを使えなくさせれば、少なくとも儀式を中断させられるはず。
――条件三。言祝を確保し、幻想殺しで『灰姫症候』を破壊する。
これはある意味最後の手段だ。確実に『零時の鐘』を中断させられる代わりに、『灰姫症候』を学園都市に放った魔術師を捕まえる手がかりがなくなってしまう。そうなればイギリス、ロシア両宗派から責任を問われるのはもちろん、正体不明の魔術師を野放しにしてしまうことになる。
――条件四。術者であるサーシャ自身の意識を断ち切る。
……出来ればやりたくない。それに、やるならば最初からサーシャのみを狙わなければならないだろう。迷っている間にズドンだ。
これは全ての条件にも言える。一から四のどれかに失敗したからといって、別の目標に移る余裕は恐らくない。狙いは一つでなければならなかった。
(――どうする!? 魔法陣か、霊装か、言祝か、サーシャか!)
上条当麻は全力で走りながら全力で思考する。だが極度の緊張に暴走しかけている脳は全く関係のない記憶を走馬灯のように流していた。
サーシャとの出会いを思い出す。インデックスとの顔合わせを思い出す。言祝の無茶なスカウトを思い出す。吹寄達のふざけた裁判を思い出す。演劇班の人達との練習の日々を思い出す。小萌先生の気配りを思い出す。
――――――あの子達を、お願いします。
いつか何処かで聞いたことのある、控えめな少女の声が回想に混じって聞こえた気がした。
その瞬間。
上条は全てを理解した。
インデックスの知識、上条の記憶、サーシャの言動。
“それらの中にただ一つの嘘もないのなら”。
「狙うべきは…………あそこだッ!」
決断は一瞬。想いは一心。行動は一歩。
少年は全身に働く慣性を根性で跳ね除け、右に傾いていた体勢を強引に立て直す。
そして、
“おもむろに目を閉じ”、何の小細工もなくまっすぐに突撃する――!
その瞬間。
上条は全てを理解した。
インデックスの知識、上条の記憶、サーシャの言動。
“それらの中にただ一つの嘘もないのなら”。
「狙うべきは…………あそこだッ!」
決断は一瞬。想いは一心。行動は一歩。
少年は全身に働く慣性を根性で跳ね除け、右に傾いていた体勢を強引に立て直す。
そして、
“おもむろに目を閉じ”、何の小細工もなくまっすぐに突撃する――!
「ッ!」
サーシャの顔色が変わった――ような気がした。
「……くっ!」
いつ飛んできたのかも分からない釘が、左のふくらはぎを浅く裂いた。が、無視。
ただ網膜に焼き付いている光景だけを頼りに走る。走る!
そう、なまじ銃が見えているから無意識に体が身構えてしまい、サーシャの腕の動きに反応して回避をしてしまうのだ。その刹那の恐怖こそが最大の敵。
目を閉じれば『いつ撃たれるか分からない』。それは即ち恐怖の均一化であり、とっさの回避を行わずにすむ。
あと必要なのは、多少の傷を無視できる覚悟だけ。
是が非でもサーシャを止めるという、シンプルな心意気だけだ。
普通の戦闘では不利にしかならない選択。だがこのような“自身の認識能力を変化させることで相手の優位を封じる”戦法が用いられる戦場は、存在する。
対幽霊戦闘、だ。
もちろん上条がそうだと知っていたわけではない。だがサーシャはよく知る戦術が自分に向けられたことと、肉を裂かれる痛みにも怯まず走り続ける少年の異様な迫力に二重に動揺してしまった。
その結果、銃撃がほんの少しゆるんだ。
上条はそのわずかな間隙を惜しむことなく前進に費やす。
記憶にある赤い少女の位置まで、残り三歩。
サーシャは魔法陣の中から動かず、射撃に徹していた。つまり、術者は儀式の最中に陣の外に出ることは出来ないのだと見ていい。
だから移動している可能性はない。まっすぐ走り続けるだけで辿り着ける!
左ももをもう一発釘弾がかすめた。しかし少年は止まらない。止まる訳が無い。
記憶にある赤い少女の位置まで、残り一歩。
上条は目を開ける。
怯えたような、それでいて何処か覚悟を決めたような顔がそこにあった。
(やっぱりな)
確信する。“この少女は魔術師なんかではないと”。
ただそう振舞おうと演技していた役者に過ぎない。上条にも見破られてしまうような大根役者だったが。
けれど。
「お前の役は……『魔法使い(それ)』じゃねぇだろ!!」
下半身はほとんど使わず、腰の捻りと肩の回転で右手を“撃ち出す”。
五指は拳を作らず、大きく開かれている。
交錯の時は一秒もなかっただろう。
それで閉幕(カーテンフォール)だ。
サーシャの顔色が変わった――ような気がした。
「……くっ!」
いつ飛んできたのかも分からない釘が、左のふくらはぎを浅く裂いた。が、無視。
ただ網膜に焼き付いている光景だけを頼りに走る。走る!
そう、なまじ銃が見えているから無意識に体が身構えてしまい、サーシャの腕の動きに反応して回避をしてしまうのだ。その刹那の恐怖こそが最大の敵。
目を閉じれば『いつ撃たれるか分からない』。それは即ち恐怖の均一化であり、とっさの回避を行わずにすむ。
あと必要なのは、多少の傷を無視できる覚悟だけ。
是が非でもサーシャを止めるという、シンプルな心意気だけだ。
普通の戦闘では不利にしかならない選択。だがこのような“自身の認識能力を変化させることで相手の優位を封じる”戦法が用いられる戦場は、存在する。
対幽霊戦闘、だ。
もちろん上条がそうだと知っていたわけではない。だがサーシャはよく知る戦術が自分に向けられたことと、肉を裂かれる痛みにも怯まず走り続ける少年の異様な迫力に二重に動揺してしまった。
その結果、銃撃がほんの少しゆるんだ。
上条はそのわずかな間隙を惜しむことなく前進に費やす。
記憶にある赤い少女の位置まで、残り三歩。
サーシャは魔法陣の中から動かず、射撃に徹していた。つまり、術者は儀式の最中に陣の外に出ることは出来ないのだと見ていい。
だから移動している可能性はない。まっすぐ走り続けるだけで辿り着ける!
左ももをもう一発釘弾がかすめた。しかし少年は止まらない。止まる訳が無い。
記憶にある赤い少女の位置まで、残り一歩。
上条は目を開ける。
怯えたような、それでいて何処か覚悟を決めたような顔がそこにあった。
(やっぱりな)
確信する。“この少女は魔術師なんかではないと”。
ただそう振舞おうと演技していた役者に過ぎない。上条にも見破られてしまうような大根役者だったが。
けれど。
「お前の役は……『魔法使い(それ)』じゃねぇだろ!!」
下半身はほとんど使わず、腰の捻りと肩の回転で右手を“撃ち出す”。
五指は拳を作らず、大きく開かれている。
交錯の時は一秒もなかっただろう。
それで閉幕(カーテンフォール)だ。
鉄以上の強度を持つはずの“銃型霊装”は、砂糖菓子のようにあっさりと幻想殺しによって握り潰されていた。