がやがや……ざわざわ……と、人ごみに特有のさざめきが舞台袖まで聞こえてくる。騒がしくはなく、大人しくもなく、これから始まることへの期待感が隠し切れなかった分だけ漏れ出しているような感じだった。
体育館の入り口には、このイベントの名前がでかでかと書かれたポスターが貼り付けられている。
生徒代表(プラスα)による演劇『シンデレラ』プレ公演。
五時開演と告知してあったのだが、四時を少し過ぎたあたりから人が集まり始め、三十分後にはほとんどの座席が埋まっていた。五時五分前の現在では、立ち見客がでるほどになっている。全校生徒全教員に加え、近隣の学生なども集まっているのではないだろうか。
この公演を見るために、ほかの場所の作業が通常の数倍のスピードで進んだというのは、誇張でもなんでもなかったりする。
そんな本番直前の舞台裏。
「とうま、とうま。この帽子どう? 似合ってる?」
「いやーしかしすごい混み具合だなー。三〇〇人、いや五〇〇人、いやいやもっとか? そんなに椅子並べたっけかなぁ」
「ねぇねぇとうま、とうまってば」
「あれ? 客席最前列に何やら見覚えのある他校(よそ)の制服が……って美琴と白井!? なんであいつらあんな肘掛とドリンク置きのついた豪華なパイプ椅子に座ってんの!? しかもそれでも不満っぽいし! おのれブルジョワ!」
「…………………………」
「え? 言祝、何だって? かみやんマスク捕獲部隊の士官待遇? 一発ネタじゃなかったのかてか人の知らねーとこで物騒な組織運営してんじゃねーよ! お前の一声でどんだけの戦力が集まるんだ!? あのな、そんな風に考えもなしに勢力を広げてると、その内アステカスマイルに輝き殺されるぞ。あるいは糸目のロリコンに誘拐されるかもしれんし、黒光りしたサンゴが集団で襲ってくるかもってぎゃあああぁぁぁぁぁ……(フェードアウト)」
場所柄を考慮した慎ましい悲鳴が上がる。ネズミ着ぐるみ(リバーシブルで馬に。芦田先輩渾身の力作)の上条当麻は踏み潰された足の小指をつかんでけんけんしつつ、その少女を睨んで言った。
「インデックスぅぅぅぅ! 何しやがる!(小声)」
シスター少女は靴の踵を修道服の裾に隠しつつ、素知らぬ顔でそっぽを向く。どこから持ち出してきたのかお嬢様風の帽子など被っていたが、いつものフードの上に乗せているので似合っているとかどうとかいうレベルではない。
その騒ぎの横で王子様ルックの吹寄が「また上条はあんな小さい子に……」とイライラ呟き、魔女装束の姫神は「まあ。今さらではあるのだけど」とひっそり腹を立てていて、上条とお揃いの着ぐるみを着た青髪ピアスは「あはははー! テンションうなぎ登りやー!」とヤケクソにわめいている。
なぜインデックスがここにいるのかというと、それはずばり言祝栞が連れ込んだからだった。海賊放送で校内を魅了した美声に監督少女が目をつけないはずがなく、飛び入りでナレーションをさせようと目論んだのである。ちなみにその情報が知れ渡ると観客動員数は一.五倍ほど増えた。
ちなみに、『灰姫症候(シンデレラシンドローム)』は海賊放送に文句をつけに来た教頭先生に貼り付けた。元々人気のない人だし、機嫌の悪い今は特に近寄る者もいないはずだから、公演が終わるまでは大丈夫だろう。
さてそんな混迷とした本番直前の舞台裏で、主演女優たるサーシャ=クロイツェフは何をしているのかというと、
「はいどうぞ。サーシャちゃん」
「…………ありがとう」
缶入り紅茶を差し出してきた言祝と、壁際に並び、それきり何を話すでもなく沈黙を続けている。
言祝はその後も音声増幅(ハンディスピーカー)で指示を飛ばしたり、上条をおちょくったり(上手く調節してあるので音量に関わらず客席には漏れない。便利な能力だと思う)、自分の分のジュースを飲んだりしていたが、一向にサーシャの傍を離れる気配は無い。
気まずい、という言葉の意味を嫌というほど実感する。
何を話せばいいのか、分からない。いや、話せることなど一つもないのだ。サーシャが言祝に返せるのは、亀のような沈黙のみ。
互いの関係が魔術サイドと科学サイドだから、魔術師と超能力者だからなんてくだらない理由からじゃない。
任務と友達を天秤にかけてしまったことを知られるのが、どうしようもなく恥ずかしかっただけ。
体育館の入り口には、このイベントの名前がでかでかと書かれたポスターが貼り付けられている。
生徒代表(プラスα)による演劇『シンデレラ』プレ公演。
五時開演と告知してあったのだが、四時を少し過ぎたあたりから人が集まり始め、三十分後にはほとんどの座席が埋まっていた。五時五分前の現在では、立ち見客がでるほどになっている。全校生徒全教員に加え、近隣の学生なども集まっているのではないだろうか。
この公演を見るために、ほかの場所の作業が通常の数倍のスピードで進んだというのは、誇張でもなんでもなかったりする。
そんな本番直前の舞台裏。
「とうま、とうま。この帽子どう? 似合ってる?」
「いやーしかしすごい混み具合だなー。三〇〇人、いや五〇〇人、いやいやもっとか? そんなに椅子並べたっけかなぁ」
「ねぇねぇとうま、とうまってば」
「あれ? 客席最前列に何やら見覚えのある他校(よそ)の制服が……って美琴と白井!? なんであいつらあんな肘掛とドリンク置きのついた豪華なパイプ椅子に座ってんの!? しかもそれでも不満っぽいし! おのれブルジョワ!」
「…………………………」
「え? 言祝、何だって? かみやんマスク捕獲部隊の士官待遇? 一発ネタじゃなかったのかてか人の知らねーとこで物騒な組織運営してんじゃねーよ! お前の一声でどんだけの戦力が集まるんだ!? あのな、そんな風に考えもなしに勢力を広げてると、その内アステカスマイルに輝き殺されるぞ。あるいは糸目のロリコンに誘拐されるかもしれんし、黒光りしたサンゴが集団で襲ってくるかもってぎゃあああぁぁぁぁぁ……(フェードアウト)」
場所柄を考慮した慎ましい悲鳴が上がる。ネズミ着ぐるみ(リバーシブルで馬に。芦田先輩渾身の力作)の上条当麻は踏み潰された足の小指をつかんでけんけんしつつ、その少女を睨んで言った。
「インデックスぅぅぅぅ! 何しやがる!(小声)」
シスター少女は靴の踵を修道服の裾に隠しつつ、素知らぬ顔でそっぽを向く。どこから持ち出してきたのかお嬢様風の帽子など被っていたが、いつものフードの上に乗せているので似合っているとかどうとかいうレベルではない。
その騒ぎの横で王子様ルックの吹寄が「また上条はあんな小さい子に……」とイライラ呟き、魔女装束の姫神は「まあ。今さらではあるのだけど」とひっそり腹を立てていて、上条とお揃いの着ぐるみを着た青髪ピアスは「あはははー! テンションうなぎ登りやー!」とヤケクソにわめいている。
なぜインデックスがここにいるのかというと、それはずばり言祝栞が連れ込んだからだった。海賊放送で校内を魅了した美声に監督少女が目をつけないはずがなく、飛び入りでナレーションをさせようと目論んだのである。ちなみにその情報が知れ渡ると観客動員数は一.五倍ほど増えた。
ちなみに、『灰姫症候(シンデレラシンドローム)』は海賊放送に文句をつけに来た教頭先生に貼り付けた。元々人気のない人だし、機嫌の悪い今は特に近寄る者もいないはずだから、公演が終わるまでは大丈夫だろう。
さてそんな混迷とした本番直前の舞台裏で、主演女優たるサーシャ=クロイツェフは何をしているのかというと、
「はいどうぞ。サーシャちゃん」
「…………ありがとう」
缶入り紅茶を差し出してきた言祝と、壁際に並び、それきり何を話すでもなく沈黙を続けている。
言祝はその後も音声増幅(ハンディスピーカー)で指示を飛ばしたり、上条をおちょくったり(上手く調節してあるので音量に関わらず客席には漏れない。便利な能力だと思う)、自分の分のジュースを飲んだりしていたが、一向にサーシャの傍を離れる気配は無い。
気まずい、という言葉の意味を嫌というほど実感する。
何を話せばいいのか、分からない。いや、話せることなど一つもないのだ。サーシャが言祝に返せるのは、亀のような沈黙のみ。
互いの関係が魔術サイドと科学サイドだから、魔術師と超能力者だからなんてくだらない理由からじゃない。
任務と友達を天秤にかけてしまったことを知られるのが、どうしようもなく恥ずかしかっただけ。
でも、このまま黙っているのは、何故か嫌だ。このまま何も言わないまま終わってしまうのは、きっと辛いという確信めいた予感がある。
この街でサーシャが知り合った人達なら、笑い飛ばしてしまうくらいちっぽけな悩みなのだろうけど、彼女にとっては生まれて初めての苦しみだった。葛藤(ジレンマ)はロシア成教のシスターとして絶対に抱いてはいけない感情だったから。
揺らぐ心には魔が宿る。それを嫌というほど見てきたはずなのに。
今、サーシャには自分で自分が分からない。
何も聞かれないことを言い訳にして、何も言わない。でもどこかで胸の内を明かしたいと思っている。
責められないことを言い訳にして、謝らない。でもどこかで許されたいと思っている。
ただ一つ確実に言えるのは、上条の言葉とインデックスの歌に応えたいと思っている自分がいるということだ。
だからこの演劇だけは全力でやり遂げる。最高の演技を見せる。
そして、その後は――
と、
「聞かないのって聞かないの?」
「なっ」
不意に言祝が口を開いた。思考に埋没していたサーシャは反応できずにおかしな声を上げてしまう。
それがおかしかったのか、監督少女はくすくすと肩を揺らし、
「まあいいのですけどね。聞かないのって聞かれても聞かないよとしか答えないし、聞かないのって聞かれなくても聞かないんだからかまわないんだけど――」
「待った、シオリ、待って」
早口言葉のようにまくし立てる言祝を、サーシャは両手を突き出して制しようとする。
何なんだ、この状況は。
なんであんなことがあったのに、この人は、この人達はサーシャに笑いかけることが出来るのか。
責められるのならまだ理解できる。それが一番自然な反応だと思う。
「そうとも限らなかったりするのが、人間の面白いところなのですよ」
「……え!? 今、私、」
「ああ別に読心能力とかじゃないから。サーシャちゃん、きっと自分で思っている以上に考えてることが顔に出やすいよ」
思いもよらないことを言われ慌てふためくが、それも監督少女の含み笑いを増量させることにしかならない。
それをひとしきり堪能すると、言祝は空になった缶を床に置き、
「サーシャちゃんはさ、舞台に上がってくれたじゃない」
まるで過去のことのように言う。
私達の舞台はこれから始まるのでは、と返しかけて、違う意味なのだと気づく。
彼女が言っているのは“ここ”ではない。
「どんな事情があったとしても、どんな秘密があるのだとしても、私にとっては私の演劇に参加してくれた“貴女が”サーシャちゃん。」
誰よりも傍若無人で、誰よりも重責を担ってきた監督少女は、サーシャにしか聞こえない声で、サーシャのためだけに言祝ぐ。
この街でサーシャが知り合った人達なら、笑い飛ばしてしまうくらいちっぽけな悩みなのだろうけど、彼女にとっては生まれて初めての苦しみだった。葛藤(ジレンマ)はロシア成教のシスターとして絶対に抱いてはいけない感情だったから。
揺らぐ心には魔が宿る。それを嫌というほど見てきたはずなのに。
今、サーシャには自分で自分が分からない。
何も聞かれないことを言い訳にして、何も言わない。でもどこかで胸の内を明かしたいと思っている。
責められないことを言い訳にして、謝らない。でもどこかで許されたいと思っている。
ただ一つ確実に言えるのは、上条の言葉とインデックスの歌に応えたいと思っている自分がいるということだ。
だからこの演劇だけは全力でやり遂げる。最高の演技を見せる。
そして、その後は――
と、
「聞かないのって聞かないの?」
「なっ」
不意に言祝が口を開いた。思考に埋没していたサーシャは反応できずにおかしな声を上げてしまう。
それがおかしかったのか、監督少女はくすくすと肩を揺らし、
「まあいいのですけどね。聞かないのって聞かれても聞かないよとしか答えないし、聞かないのって聞かれなくても聞かないんだからかまわないんだけど――」
「待った、シオリ、待って」
早口言葉のようにまくし立てる言祝を、サーシャは両手を突き出して制しようとする。
何なんだ、この状況は。
なんであんなことがあったのに、この人は、この人達はサーシャに笑いかけることが出来るのか。
責められるのならまだ理解できる。それが一番自然な反応だと思う。
「そうとも限らなかったりするのが、人間の面白いところなのですよ」
「……え!? 今、私、」
「ああ別に読心能力とかじゃないから。サーシャちゃん、きっと自分で思っている以上に考えてることが顔に出やすいよ」
思いもよらないことを言われ慌てふためくが、それも監督少女の含み笑いを増量させることにしかならない。
それをひとしきり堪能すると、言祝は空になった缶を床に置き、
「サーシャちゃんはさ、舞台に上がってくれたじゃない」
まるで過去のことのように言う。
私達の舞台はこれから始まるのでは、と返しかけて、違う意味なのだと気づく。
彼女が言っているのは“ここ”ではない。
「どんな事情があったとしても、どんな秘密があるのだとしても、私にとっては私の演劇に参加してくれた“貴女が”サーシャちゃん。」
誰よりも傍若無人で、誰よりも重責を担ってきた監督少女は、サーシャにしか聞こえない声で、サーシャのためだけに言祝ぐ。
「……それがお芝居でもいいじゃない。同じ世界(ぶたい)に立ってるってことなんだからさ」
誰も本音だけで生きているわけじゃない。演技(うそ)もつけば化粧(かめん)もつける。
でも、だからってありのままを分かって欲しくないわけじゃない。
矛盾していても、その両方を抱えていくのが人生だ。
サーシャは悟った。さっきまで、自分は「友達」という「本当」だけを見て悩んでいた。それでは駄目なのだ。今日に至るまでについてきた「嘘」も、全部ひっくるめて答えを出さなければいけなかったのだ。
魔術師と超能力者という立場の違いを下らないものと切り捨てたことの愚かさをようやく知る。そんなのは身分を偽った「嘘」を誤魔化すための方便だ。
「友達」という「本当」を大切に思うのなら、「彼らから見たサーシャ」という「嘘」も守り抜かなければならない。
誤解も偽りも、今となっては、手放せないくらい暖かなものになってしまったのだから。
小さく小さく、言葉がこぼれる。
「………………もう少しだけ、この舞台の上にいてもいいのかな」
「ん? 何か言った?」
言祝が聞き返してくる。自分が言ったことなどもう忘れてしまったかのような、吹き抜けのようにすっきりとした声で。
その向こうでは上条達がぎゃあぎゃあ騒ぎながらも最後の準備をしている。これからのために。これまでのために。
(……うん。確かに、もったいない)
心の中であの『悪魔』に感謝してみたりして。
「別に。少し元気になっただけ」
「それは何よりなのですよ」
差し出された手を、迷わずとる。
「本当」も「嘘」もまとめて握り締めて。
でも、だからってありのままを分かって欲しくないわけじゃない。
矛盾していても、その両方を抱えていくのが人生だ。
サーシャは悟った。さっきまで、自分は「友達」という「本当」だけを見て悩んでいた。それでは駄目なのだ。今日に至るまでについてきた「嘘」も、全部ひっくるめて答えを出さなければいけなかったのだ。
魔術師と超能力者という立場の違いを下らないものと切り捨てたことの愚かさをようやく知る。そんなのは身分を偽った「嘘」を誤魔化すための方便だ。
「友達」という「本当」を大切に思うのなら、「彼らから見たサーシャ」という「嘘」も守り抜かなければならない。
誤解も偽りも、今となっては、手放せないくらい暖かなものになってしまったのだから。
小さく小さく、言葉がこぼれる。
「………………もう少しだけ、この舞台の上にいてもいいのかな」
「ん? 何か言った?」
言祝が聞き返してくる。自分が言ったことなどもう忘れてしまったかのような、吹き抜けのようにすっきりとした声で。
その向こうでは上条達がぎゃあぎゃあ騒ぎながらも最後の準備をしている。これからのために。これまでのために。
(……うん。確かに、もったいない)
心の中であの『悪魔』に感謝してみたりして。
「別に。少し元気になっただけ」
「それは何よりなのですよ」
差し出された手を、迷わずとる。
「本当」も「嘘」もまとめて握り締めて。
◇ ◇
その頃。体育館の屋上。
どこから登ったのか、土御門元春は屋根の端に腰掛けて遠くを見るような目をしていた。
彼の尻の下では、今まさに演劇が始まろうとしている。普通ならどきどきわくわくしてもよさそうなものだが……そういう気分ではなかった。
「なんだかにゃー」
「こんなところで何してんだー? 兄貴」
土御門が振り返ると、これまたどこから登ってきたのか義妹の舞夏がいた。メイド見習いの少女はジュースやお菓子の詰まったバスケットを提げ、ドラム缶みたいな掃除ロボットの上に正座している。この状態で屋上にまで登る方法なんてあるのだろうか。
が、義兄もこのくらいの不条理には慣れっこなようで、気にした様子もない。
「……ん、舞夏。お前、演劇見に行かなくていいのか?」
「どうせ本公演で売り子するしなー。美味しいものは最後まで残しておくタイプだしー」
そうか、とだけ答えて土御門は再び遠くを見る目をする。
どうにも覇気のない義兄を、舞夏は訝しそうに見る。すると、彼がその手に何やら赤いものを持っていることに気づいた。
「何だそれー? …………絵本? 兄貴、まさかとうとうやっぱり児童文学にまで萌えを求めるように」
「淀みのなさが酷いぞ妹よ。――まあ、ちょっとメランコリック入ってるお兄ちゃんを心配してくれるのは嬉しいが」
「いいからはよ言え」
今度はちょっぴりしょげる妹愛の伝道師、土御門元春。気を取り直して赤い絵本を開くと、表紙の裏側に落書きだらけの折り紙のようなものが貼り付けられていた。
彼はそれを爪でつまんでピッと剥がすと、二つに四つに八つにと引き裂いていく。
季節はずれの桜吹雪のように、細かくなった紙片が散っていく。
最後に手の中に残った細切れを投げ捨てて、ぼそっと呟く。
「『迷子札』。……ウチのお姫様もあのびっくりホルマリンも、もう少しましなやり方があるだろうに……」
「兄貴ー? よくわからんが、ゴミのポイ捨てはいけないんじゃないかー?」
「そうだな。お兄ちゃんは悪いお兄ちゃんだ。だから皆に合わせる顔がなくて、こんなところで黄昏れてるんだ」
それは彼の偽らざる本音だった。誰に対しても数え切れない嘘をつき続けてきた『背中刺す刃』がこのような弱みを見せる相手は、決して多くはない。
しかし、舞夏は彼の事情は知らない。知らされていない。彼が滅多に言わない弱音を吐いているのだとしても、それと判断する基準がない。
ただ、そういう秘密も義兄の一部だと知っているから、舞夏は何も気にすることなくいつものように接する。それが最良なのだと思っている。
どこから登ったのか、土御門元春は屋根の端に腰掛けて遠くを見るような目をしていた。
彼の尻の下では、今まさに演劇が始まろうとしている。普通ならどきどきわくわくしてもよさそうなものだが……そういう気分ではなかった。
「なんだかにゃー」
「こんなところで何してんだー? 兄貴」
土御門が振り返ると、これまたどこから登ってきたのか義妹の舞夏がいた。メイド見習いの少女はジュースやお菓子の詰まったバスケットを提げ、ドラム缶みたいな掃除ロボットの上に正座している。この状態で屋上にまで登る方法なんてあるのだろうか。
が、義兄もこのくらいの不条理には慣れっこなようで、気にした様子もない。
「……ん、舞夏。お前、演劇見に行かなくていいのか?」
「どうせ本公演で売り子するしなー。美味しいものは最後まで残しておくタイプだしー」
そうか、とだけ答えて土御門は再び遠くを見る目をする。
どうにも覇気のない義兄を、舞夏は訝しそうに見る。すると、彼がその手に何やら赤いものを持っていることに気づいた。
「何だそれー? …………絵本? 兄貴、まさかとうとうやっぱり児童文学にまで萌えを求めるように」
「淀みのなさが酷いぞ妹よ。――まあ、ちょっとメランコリック入ってるお兄ちゃんを心配してくれるのは嬉しいが」
「いいからはよ言え」
今度はちょっぴりしょげる妹愛の伝道師、土御門元春。気を取り直して赤い絵本を開くと、表紙の裏側に落書きだらけの折り紙のようなものが貼り付けられていた。
彼はそれを爪でつまんでピッと剥がすと、二つに四つに八つにと引き裂いていく。
季節はずれの桜吹雪のように、細かくなった紙片が散っていく。
最後に手の中に残った細切れを投げ捨てて、ぼそっと呟く。
「『迷子札』。……ウチのお姫様もあのびっくりホルマリンも、もう少しましなやり方があるだろうに……」
「兄貴ー? よくわからんが、ゴミのポイ捨てはいけないんじゃないかー?」
「そうだな。お兄ちゃんは悪いお兄ちゃんだ。だから皆に合わせる顔がなくて、こんなところで黄昏れてるんだ」
それは彼の偽らざる本音だった。誰に対しても数え切れない嘘をつき続けてきた『背中刺す刃』がこのような弱みを見せる相手は、決して多くはない。
しかし、舞夏は彼の事情は知らない。知らされていない。彼が滅多に言わない弱音を吐いているのだとしても、それと判断する基準がない。
ただ、そういう秘密も義兄の一部だと知っているから、舞夏は何も気にすることなくいつものように接する。それが最良なのだと思っている。
「――――ところで兄貴」
「ん?」
「あれは何なんだー?」
と、舞夏が指差したのは屋上の別の場所。そこにはスーツが所々凍りついた細目の男と特徴的なヘアースタイルに風穴が開いた男とやばい催眠術でもかけられたみたいに目がぐるぐるしている爽やかそうな少年が大の字になって倒れていた。どんなすさまじいバトルを展開していたのか、三人とも息絶え絶えである。
耳を澄ませば、うめき声に混じってかすれた会話が聞こえてくるような気もする。
「……け、結局貴方がたは何しに来たんですか……?」
「……一端覧祭の前売りフリーパスが一枚しか手に入らなかったので……その、決して彼女のためという訳ではないのだが、確実に当日券を手に入れたく……色々と下調べを。いや、彼女が一緒に祭に行くのをとても楽しみにしていたとか、そのような理由では絶対にないのだが」
「俺はあれよ。とある女教皇(おひと)がご執心の方々が、今度のお祭りでおもしろそうなことやるって聞いてな。忙しいあのお方の代わりに記録映像でもと思ったんだが……どこの学校だか聞くの忘れたんで、早めに来て調べてたんよ。で、あんたは?」
「自分は……ちょっと訳あってこの街の近くに軟禁されてたんです。ようやく開放されたので、以前迷惑かけた人に謝りに行こうと思ったんですが――」
「が?」
「その人、自分に会うなりこう言ったんですよ。『腕の皮くらいいくらでもやるから、ちょっと変わり身やってくれ』と。その日のうちに彼はバカンスに出かけました」
「あー、その顔借り物なのな。爽やかそうなルックスしといて腹黒いなぁそいつ」
「断じて間違っても彼女に責任はない。彼女のためなどではないのだからしかし」
土御門は激闘の果てに奇妙な友情が芽生え始めている三者をちらっと見やり、
「気にするな。そういう季節なんだ」
「そうかー」
かなり投げやりな感じに、舞夏はうなづいた。納得した訳ではなかろうが、世の中にはそういうこともあるのだ。
そして、土御門義兄妹は揃って校庭の方に目を向けた。
割と無視したかった光景がそこにあった。
なぎ倒された並木。地面ごとひっくり返された仮設ステージ。『ぐわし』になった掌のオブジェ。エトセトラエトセトラ。
校門から体育館まで、ほぼ一直線に竜巻でも通り過ぎたかのような有様になっている。ただし、地面に氷柱が幾本も突き刺さっていたり、屋台がネジ一本にいたるまで分解されていたりするのは、通り過ぎたのがまともな竜巻ではなかったことを示しているのかいないのか。
「…………誰がこの後始末を…………」
公演直前で生徒教員のほとんどが体育館に集まっているため、今のところ騒ぎは起こっていない。しかし、公演が終わって観客達が帰りだす前に、魔術的事象の痕跡は消しておかなければならないだろう。
決まりきったことを恨めしそうに吐きつつ、苦労性な陰陽師は頭を抱える。結局の所、彼の役回りなんてこんなもんだった。
「ん?」
「あれは何なんだー?」
と、舞夏が指差したのは屋上の別の場所。そこにはスーツが所々凍りついた細目の男と特徴的なヘアースタイルに風穴が開いた男とやばい催眠術でもかけられたみたいに目がぐるぐるしている爽やかそうな少年が大の字になって倒れていた。どんなすさまじいバトルを展開していたのか、三人とも息絶え絶えである。
耳を澄ませば、うめき声に混じってかすれた会話が聞こえてくるような気もする。
「……け、結局貴方がたは何しに来たんですか……?」
「……一端覧祭の前売りフリーパスが一枚しか手に入らなかったので……その、決して彼女のためという訳ではないのだが、確実に当日券を手に入れたく……色々と下調べを。いや、彼女が一緒に祭に行くのをとても楽しみにしていたとか、そのような理由では絶対にないのだが」
「俺はあれよ。とある女教皇(おひと)がご執心の方々が、今度のお祭りでおもしろそうなことやるって聞いてな。忙しいあのお方の代わりに記録映像でもと思ったんだが……どこの学校だか聞くの忘れたんで、早めに来て調べてたんよ。で、あんたは?」
「自分は……ちょっと訳あってこの街の近くに軟禁されてたんです。ようやく開放されたので、以前迷惑かけた人に謝りに行こうと思ったんですが――」
「が?」
「その人、自分に会うなりこう言ったんですよ。『腕の皮くらいいくらでもやるから、ちょっと変わり身やってくれ』と。その日のうちに彼はバカンスに出かけました」
「あー、その顔借り物なのな。爽やかそうなルックスしといて腹黒いなぁそいつ」
「断じて間違っても彼女に責任はない。彼女のためなどではないのだからしかし」
土御門は激闘の果てに奇妙な友情が芽生え始めている三者をちらっと見やり、
「気にするな。そういう季節なんだ」
「そうかー」
かなり投げやりな感じに、舞夏はうなづいた。納得した訳ではなかろうが、世の中にはそういうこともあるのだ。
そして、土御門義兄妹は揃って校庭の方に目を向けた。
割と無視したかった光景がそこにあった。
なぎ倒された並木。地面ごとひっくり返された仮設ステージ。『ぐわし』になった掌のオブジェ。エトセトラエトセトラ。
校門から体育館まで、ほぼ一直線に竜巻でも通り過ぎたかのような有様になっている。ただし、地面に氷柱が幾本も突き刺さっていたり、屋台がネジ一本にいたるまで分解されていたりするのは、通り過ぎたのがまともな竜巻ではなかったことを示しているのかいないのか。
「…………誰がこの後始末を…………」
公演直前で生徒教員のほとんどが体育館に集まっているため、今のところ騒ぎは起こっていない。しかし、公演が終わって観客達が帰りだす前に、魔術的事象の痕跡は消しておかなければならないだろう。
決まりきったことを恨めしそうに吐きつつ、苦労性な陰陽師は頭を抱える。結局の所、彼の役回りなんてこんなもんだった。
◇ ◇
そして時刻は午後五時になる。
同時に観衆は静まり返り、やがて厳かに幕が上がり始めた。
白い少女の謳う声が、御伽噺に最初の色を着ける。
同時に観衆は静まり返り、やがて厳かに幕が上がり始めた。
白い少女の謳う声が、御伽噺に最初の色を着ける。
「――これはとある時代、とある国の、とある少女の物語。灰かぶりの少女と不思議な魔法使いが出会う時、奇跡の夜が始まります……」
はじまり、はじまり。