第13話「天地開闢計画《プロジェクト=ワールドルーツ》」
オービタルホール 警備スタッフ室付近の廊下
「ははは。これは驚いた。」
持蒲鋭盛は笑う。好ましい状況にでは無い。その真逆の最悪の状況に対してだ。
彼の目の前には護衛を務めていた死人部隊の死骸が転がっている。彼らの防弾チョッキや銃器は穿たれ、死人部隊たちは血を流すことも無く、その場で突っ伏していた。
(客と一緒に警備会社の奴らを追い出して正解だったな。)
持蒲の視線の先には2人の人間が立ちはだかっていた。死人部隊を全滅させ、持蒲の命を脅かす存在だ。
一人は
イルミナティのボスでお馴染みの
双鴉道化だった。その姿を持蒲はイギリス清教から与えられた試料と昂焚が多霧に送ったハガキの写真で見たことがあるが、やはりこうして直に対面すると分かる。イルミナティという歪な組織のボスの風格、ただ者ならぬプレッシャー。学園都市の暗部でもこれほどの奴はそうそういない。
(こいつが…双鴉道化。)
持蒲は双鴉道化の隣にいる男に目を遣る。
短い金髪碧眼の鍛えられた肉体を持つ男だ。何かしらのルーンが編み込まれた目隠しで視界を自ら塞いでいる。ベージュのスラックスにブラウンのセーター、その上に白いコートを着ていた。
彼の手には全長2m程の捻れた木の槍、マチの義手霊装を貫いた槍と同じものだ。
双鴉道化がにじり寄る。
「学園都市の治安維持組織の者だな?」
「あ…ああ。」
「そう怯えるな。私は君を殺さない。生かすように言われているからね。」
「それは…どういうこどだ?」
「尼乃昂焚からの伝言だ。『メインホールの2階席に来い。良いものを見せてやる。』」
そう言い残すと双鴉道化は姿を消し、ニコライも黙ったまま持蒲に背を向けてどこかへと消えてしまった。
(罠か?…いや、今ここで殺すことも出来たはずだ。わざわざ罠をかける必要がどこにある?)
持蒲はケータイ電話を取り出して、電話をかける。
「俺だ。先ほど頼んでいた予備のステージの手配は済ませたか?・・・ああ。なら良かった。ステージの詳細と位置データを主催者に送ってくれ。」
そう言うと持蒲はケータイを切り、別のポケットからスマホを取り出した。
「蒲田です。主催者の方に・・・ああ!貴方でしたか。失礼しました。現在、ホール内は我々とテロリスト、膠着状態が続いておりまして、メインホールの方では一度発生した激しい戦闘で復旧は難しいですね。…ええ。ご心配なく。上にかけあって、屋外ステージですが、場所を取ることが出来ました。会場をそちらに映して頂ければ幸いかと。―――――ええ、はい。お願いします。警備については引き続きクラヴマガ社に任せて下さい。ホールの詳細と位置データは後ほど送ります。」
持蒲はそう言って、通話を切った。
「これで邪魔者はいなくなった。こっちも存分に戦わせて貰おう。」
第六学区のオービタルホール・メインステージ
そこら中に散らばる死人部隊の死骸、ステージ上で対峙するディアスと美繰、観客席の通路で昂焚を抑え込む尊と彼に対面し、恍惚とした表情を浮かべるアリサ。
そして、壁を破壊し、メインステージに醜い女のような姿のゴーレムと各所に火傷の跡を持つ美女が姿を現した。
笑莉はディアスに百合若の矢先を向けると同時に美繰にも気を向ける。イルミナティ幹部2人を相手に二正面戦争をやれるほど笑莉は優秀な武闘派魔術師ではない。それは笑莉も自覚しており、この場から逃走することを考えていた。
(黄泉軍《ヨモツイクサ》に蹂☆躙されるとか本当に嫌だからね☆)
美繰の魔術の恐ろしさは古代の亡者の軍勢を操る黄泉軍《ヨモツイクサ》による圧倒的な物量、そしてホールの壁を破壊して突入してきたゴーレム、黄泉醜女《ヨモツシコメ》のパワーとスピードにある。
神道系最大級の「禁忌」に相応しい大魔術であり、それをたった一人で難なくこなす美繰の魔術師としての手腕がかなり優秀であることが分かる。
(皇宮警護士でも連れて来るんだったなぁ…)
笑莉は余所見しているのをディアスに気付かれぬようにしながら尊の方を一瞥する。彼は昂焚を取り押さえ、首筋に刃を立てていた。
尼乃昂焚は新参とは言え幹部の一人、その上、ボスである双鴉道化の親友だ。人質としては大いに価値がある。尊もそれについては理解しているだろう。太刀の刃を強く首筋に付きたて、昂焚が人質になった姿をまざまざと見せつける。それはむしろ悪役の役目だ。
「そのゴーレムを退かせて下さい。でなければ、彼の首が飛ぶことになりますよ。」
尊の声が聞こえないのか、いや距離的に聞こえているはずだから、あえて無視しているのだろう。しかし、美繰は昂焚の方に瞳を動かした。
突如、黄泉醜女が腕で目の前の瓦礫と観客席を右へと薙ぎ払い、払われた瓦礫や客席が昂焚と大和、そしてその後方にいるアリサに向かってくる。
「!?」
尊はとっさに昂焚を自身から突き飛ばし、瓦礫に向けて太刀を振るう動作を行う。それに呼応して周囲の水滴が尊とアリサの周囲で高速移動し、ウォーターカッターの弾幕を張ることで2人に向かう瓦礫を粉砕する。無論、尊に突き飛ばされた昂焚は天叢雲剣の防御圏の範囲外であり、黄泉醜女が払った瓦礫や座席の雨の巻き添えになった。
天叢雲剣によるウォーターカッターの防御圏に囲まれた尊とアリサは無傷で、2人を囲む円形の
サークルの中は塵一つ入り込まなかった。
尊は天叢雲剣を解除し、周囲を見渡す。瓦礫の雨に巻き込まれた昂焚の姿は見当たらない。都牟刈大刀が未だに尊のすぐそばに落ちている。昂焚が飛んできた瓦礫や座席を防ぐ唯一の手段はここに放置されてのだ。
(瓦礫に潰されたか…。血は天叢雲剣の自浄作用で流れたと考えれば…あるいは…)
尊が安堵した途端だった。
「ミコト!!後ろ!」
アリサの声に促され、尊は咄嗟に振り向いた。昂焚が手放した都牟刈大刀の枝の1本が先端の刃を向けて尊に突撃する。
(霊装の遠隔操作!?)
尊は咄嗟に背後から襲いかかる刃を太刀で弾いて軌道を変えた。刃は慣性の法則に従ってそのまま突き進み、虚しくも観客席を破壊する。
(術者の手から離れても自立行動する霊装ですか。かなり厄介な―――――――!!)
尊は都牟刈大刀の全ての枝が伸長し、まるで蛇のように地を這って大量の観客席の下に潜り込んでいることに気付く。切先が今どこにあるのか分からず、藪の中に隠れた蛇の如く、どこから刃が飛び出すか分からない状況に陥ったのだ。分裂した刀身の根元である鍔と柄は昂焚が手放した位置から変わっていないが、見るからに高圧電流が流れており、迂闊に触れることは出来なかった。
(なるほど。今までの刃全て、私とアリサの注意を都牟刈大刀から逸らすためのものであって、我々はまんまとはめられた訳ですか。しかし…)
尊は太刀を鞘の中に収め、居合抜きの構えを取る。
此の神剣に仰ぎ奉る猛も畏き建速須佐之男命大前を拝み奉りて恐み恐みも白さく。
諸諸の敵 禍事 有らむをば討ち給ひ倒せ給へと白す事を聞こし食せと恐み恐みも白す。
尊の詠唱と共に床を濡らしていた水や天井を漂う雨雲から滴る水滴が彼の周囲に集まる。
「一掃してください。―――――天叢雲剣《アメノムラクモノツルギ》」
彼が居合抜きをした瞬間、彼の周囲に集まっていた水滴は一気に飛散し、水の刃となって周囲の観客席を次々と粉砕する。オービタルホールのステージは黄泉醜女と天叢雲剣によって原型を留めないほと破壊する。
そして、破壊された観客席の中から昂焚が姿を現した。黄泉醜女が払った瓦礫なのか、それとも天叢雲剣によるものなのかは分からないが、彼のスーツはボロボロで全身に血が滲んだ跡があった。
「姿を現してくれるとは…好都合です。」
尊は太刀の切先を昂焚に向ける。それに呼応して、空から降り注ぐ雨粒とホールを濡らしていた水滴が槍状になる。人間を殺すには充分な数の雨の刃が昂焚の元へと飛来した。
今、昂焚の手には何も無い。都牟刈大刀から離れており、彼に壊されないように魔術で刀に高圧電流を流すしか無かった。いつも盾に使っていた棺桶トランクも無い。文字通り丸腰の状態だった。しかし、昂焚は逃げも隠れもしなかった。
「天叢雲剣か。」
昂焚は尊の魔術を知っていた。と言うよりは、尊がイルミナティに対して自分の魔術を晒し過ぎていた。彼はイルミナティに対して度々攻撃を仕掛けており、イルミナティからは要注意人物としてマークされていたからだ。無論、魔術についても幹部に元神道系の美繰がいるのだから、解明は難しくなかった。
粉砕された観客席瓦礫の山の各所から残りの都牟刈大刀の枝が姿を現す。
(思った通り、所有者を守るために出てきましたね。)
尊の思惑通り、観客席の影から奇襲攻撃できる有利な立場にあった刃たちはその立場を放棄した。昂焚の意思によるものか、それとも霊装に供えられた自動防御システムが働いたのかは尊には分からない。だが、どちらにせよこの対応は尊の思惑通りだった。
そして、同時に昂焚の思惑通りでもあった。
「忘れものにはご注意を♪」
突如、昂焚の前に大量のジュースのペットボトルが投げ込まれた。尊はペットボトル越しに見せる昂焚の浮かべる不敵な笑みを見て、悟った。
(なるほど…全て作戦通りだったわけですね。)
雨の刃は全てのペットボトルを貫き、切断し、粉砕した。中身のジュースが一気に飛び散り、オレンジ色や黒色の液体で雨に濡れた観客席を汚していく。そして、ペットボトルを貫通した雨の刃は昂焚へと向かうが、いくつかがスーツの袖や頬に切り傷を付ける程度であり、そのほとんどが目標から外れた。
都牟刈大刀の枝が観客席の中に潜り込んでいたのは影に隠れて奇襲の機会を窺っていたからではない。それぞれの刀身が客席に忘れられていたジュースを密かに探してかき集めていたのだ。いくら霊装の遠隔操作でもそこまで器用な真似は出来ない。かなりの集中力が必要であり、同時に昂焚がジュースの入ったペットボトルの位置を把握していなければならない。しかし、彼はそれを擬神付喪神という疑似的な付喪神を生みだす魔術でカバーしたのだ。
そして、尊が天叢雲剣を出した途端にペットボトルを関節を駆使して放り投げ、ペットボトルを粉砕させることで天叢雲剣の弱点である“水に混ざる異物”を撒き散らしたのだ。水気、雲気の塊である八岐大蛇が、酒気、酔気によって退治されたように、水に似た、水と混じりやすいもので気を乱されると、操作ができなくなってしまう。血が混ざるのもそうだし、単純なところではオレンジジュースのようなものですら、厳禁だ。こうなると再び手間暇かけて術式を発動させなければならない。
昼間の喫茶店で全崩に酒を掛けられたことで都牟刈大刀が動かない“ただの異形の剣”となってしまったのも同じ伝承による弱点からだ。
(こうなったら、もう戦略的撤退ですね。私としては既に目的の一つは果たしているわけですし。)
尊はアリサと出口の位置をわき見で確認する。そして、すぐさまスーツの内ポケットに手を入れた。
「こういった科学の産物は使い慣れていないんですけどね。笑莉さん!」
尊の内ポケットから現れた手の平より少し大きな黒い筒状の物体。それが放り投げられ、空中で炸裂した。
その場にいた誰もが眩い閃光に目を潰される。
(スタングレネード!?いや、耳は潰されていないから、おそらくフラッシュバンか。)
駆ける足音とキャッというアリサの小さな声が聞こえたが、昂焚と美繰は何も出来なかった。段差の多いこのホールでは動けばたちまち躓いてろくに動けないからだ。黄泉醜女も美繰による命令なのか、音を追おうとはしなかった。
閃光が薄まり、皆の目が回復した頃には尊とアリサの姿は無かった。あの足音から大方の予想はついていたが、一人だけその事実に驚愕した人物がいた。
「あれ!?まさか、今の逃げるタイミングだったの!?」
尊の仲間である笑莉だった。どうやら、彼女は逃げるタイミングを見事に失ってしまった。
(無理無理無理☆こんな奴らの相手一人じゃ無理だって!!!)
あらゆる王の剣の振るう者“
ディアス=マクスター”
神道系最大の禁忌統べる将“箕田美繰”
鋼の八岐大蛇を握る計画の首謀者“尼乃昂焚”
(とりあえず、戦略的撤退☆)
笑莉は全ての戦闘行為を放棄し、ディアスに背を向けて逃げる。逃げ足に相当の自身があるのだろうか。
逃げる笑莉を見て美繰はすぐに指示を出す。
「逃がすな。」
普段の穏和な姿を知っている者からすれば信じられないほど冷徹で、静かな怒りとどす黒い憎悪が感じられた。仲間である昂焚とディアスでさえ身震いする。
黄泉醜女が両手を地面に付ける。口から大粒の涎を流し、獲物を目の前にした飢えた獣のように唸る。
ヴォォォオォッォォォォォォォォォッォオッォアアアアアアアアアアアアア!!!!
黄泉醜女は一気に飛び上がった。3m近い巨体と土とコンクリートで形成されたゴーレムであることを忘れさせるほど俊敏な動きで数秒足らずでステージまであと10mの地点まで到達する。
大口を開けて黄泉醜女は飛び上がり、ステージ上の笑莉へと喰らいつこうとする。
「極めて遺憾の意を示す!大臣みんなガチギレバージョン!!」
数本の矢を束にして笑莉は百合若を黄泉醜女に向けて放つ。放たれた瞬間に音速を超えて莫大な運動エネルギーを持った大量の矢は黄泉醜女の身体を貫いて粉砕する。土やコンクリートが粉砕されることで埃が舞い散る。
「やっ―――――――――――」
笑莉は「やった!」と言いたかった。神道系最大級の禁忌である黄泉醜女を単独で迎撃したのだから、喜びたい気持ちは大きかった。しかし、非情にもそれは裏切られる。立ち込める埃を突き破ってほぼ無傷の黄泉醜女が姿を現したのだ。矢を受けても一切減速せず、大口を開けて笑莉の身体に喰らいついた。その光景は大型の肉食動物が小型の草食動物を喰らう様だ。
笑莉は喰らいつかれた衝撃で百合若を手放してしまい、完全に無防備な状態だった。段々と黄泉醜女の顎の力が強くなっていき、自分がゴーレムに噛み潰されるのも間近だった。
「嫌っ!離して!離してよ!」
なんの武器も持たず、笑莉はその拳一つで黄泉醜女を叩く。土とホールの建築材で形成された黄泉醜女を殴るたびに拳から血が滲み出る。笑莉は死に物狂いで必死に抵抗する。抵抗しなければ、黄泉醜女に喰い潰されて肉塊へと変貌する。そんな最期なんて迎えたくないからだ。
同じくステージ上に立っていたディアスは美繰という増援に喜びながらも、彼女が皇室派に対して持つ憎悪のどす黒さに少し慄いていた。
「殺すな。」
美繰の言葉と共に黄泉醜女は顎を閉じるのを止める。だが、笑莉を降ろすことは無く、今でも咥えたままだ。笑莉はガタガタ震え、今にも失禁しかねないほど怯えていた。
「神道系皇室派の魔術師で間違いないわね?」
「はははは…はい。」
「
神薙秘呼に、皇室派の奴らに伝えなさい。“守護神は戻って来た”と――――」
美繰がそう言うと黄泉醜女は顎を開けて笑莉を解放する。美繰とディアスは何もしようとしなかった。逃げるも立ち向かうも笑莉次第。しかし、彼女にそんな気力は残されていなかった。
感じたのは圧倒的な力の差、死への恐怖、それをまざまざと残すように笑莉の身体には黄泉醜女に噛まれた感覚が残っていた。
そう、自分はメッセンジャーとして“生かされた“のだ。
「逃げるのなら、さっさとしなさい。“私の気が変わる前に”」
笑莉は涙ぐみながら黙って首を縦に振り、そそくさと命懸けの全力疾走で逃走する。徹底的なまでの敗北、そして完全なる敗走だった。
敵がいなくなったにも関わらず、美繰は黄泉醜女を戻さず、黄泉醜女は警戒する肉食獣のように四つん這いになり、ホール全体に向けて唸り声を挙げる。
「覗き見なんて趣味が悪いですね。そろそろ出てきたらどうですか?」
ホールに響き渡る美繰の声。それに呼応して白い霧と共にリーリヤが現れる。
「ピンチに、なったら…助けるつもり、だった。」
「いや、俺は確実にピンチだっただろ?もうちょっとで頸動脈ぶった斬られてただろ?見ろよ。あいつ刃を強く押し当てるから、ちょっと切れて血が出てるぞ。」
昂焚はワイシャツのボタンを開けて、半脱ぎで切り傷が見えやすいようにする。かれの胸元には美繰が黄泉醜女で飛ばした大量の瓦礫で出来た打撲による痣も見受けられる。
「『あの程度の敵、退けなければ幹部として認めない。』って、意思表示だったんじゃないか?」
続いて姿を現したのはミランダだ。午前中の戦いで着ていた服が汚れてしまったため、店で買いそろえた安物のTシャツとジーンズを着ている。
「お前もか。二度と月刊ショタコンホイホイを送ってやらんぞ。」
「馬鹿!それをここで言うな!―――って、あ、えーっと、それはショタコンの友人のマリーに頼まれて・・・」
「ショタコンの友人はルーシーとカレンじゃなかったか?」
「マリーもショタコンなんだ!」
「またショタコンの友人が増えたな…。」
観客席後部、美繰が黄泉醜女で壁を破壊したことで出来た穴からニコライが姿を現した。
「どうやら、私が最後のようだな。」
「まぁ、ね。私たちは、トークショーの時から、ここにいたから。」
「居たのか?観客席をざっと見た感じでは居なかったが・・・」
「うん。だって、双鴉道化にかけてもらった、身を隠す魔術で、ずっと隠れてた、から。」
「私もだ。そもそも、ちゃんとチケットを買って座席を確保してたのは尼乃とディアスだけ。私もリーリヤと一緒に隠れてた。」
「なんか、苦労してチケットを買った俺とディアスがアホみたいだ。なぁ?」
「私に話を振るな。別に構わん。王とは堂々としてなければならない。貴様らみたいにコソコソと隠れてショーを楽しむような泥棒のようなことはしたくない。」
「言っている、ことは立派。だけど、その穢れた血―-----
ディアスはリーリヤに向けてナイフを投げ、彼女の頬を掠めさせる。
「次言ってみろ。命は無い。」
「ふふふふ…。肝に銘じて、おく。」
ディアスが険悪な眼差しでリーリヤを睨み、リーリヤはそれを静かに嘲笑っていた。
「仲間割れとは…私としては悲しいものだな。」
2階席に双鴉道化が姿を現した。そして、その傍の席に持蒲が座っていた。
「ここに関係者を集めたのは意味があるのだろう?尼乃昂焚。」
「ああ。勿論だ。ここにいる全員に話そう。」
天地開闢計画《プロジェクト=ワールドルーツ》の全容を―――
計画の始まりは10年前、どこで俺が魔術師だと知ったのか、神道系皇室派の魔術師が俺に接触してきた。「日本を守るためにある大魔術を構築している。その研究に協力して欲しい。」とのことだった。
“大日本魔術防衛機構構築計画”
古臭い計画名と胡散臭さが凄かったが、これは100年以上前から続いている計画だから名前も古臭いと言われたので一応納得した。他に何かをやる理由も無く、暇潰しとちょっとした興味で計画に協力した。
実際のところ、計画はかなり壮大なもので「日本の防衛」が目的の計画だったから日本のみを対象とした魔術(それでも国家規模の大魔術)だったが、少し弄れば全世界を巻き込んだ大魔術にすることも可能だった。俺はそこの研究に協力しながら彼らの持つ技術を吸収した。ここで手に入れた地脈・龍脈、世界の力、テレズマ、この世界に流れる巨大な魔力に関わる知識と技術は後の天地開闢計画に役だった。
彼らの目的は俺の強制翻訳であり、それが必要なくなるとそのまま追い出される様に研究から外された。別に研究に執着は無かったし、知識と技術は十分に吸収したのでむしろ出て行く理由を考える手間が省けて良かった。
それから数年はその知識と技術を持て余していたが、ふとある日思った。
「この技術と知識を使って、更に膨大な知識と技術を手に入れることは出来ないか。」
言っていることは海老で鯛を釣るのと同じだが、俄然興味が湧いた俺はそれに必要なものを集めるために旅に出た。
まず必要だったのは記録媒体だった。国家、いや世界を巻き込んで膨大な知識を入れるのだ。人間の脳では到底足りず、更に巨大な記録媒体が必要だった。学園都市のスーパーコンピュータでも容量が足りないと知った時は絶望しかけたが、
魔術サイドでそれを探し求めた。
そして、南米の大霊装“La religión y la sociedad moderna en América Latina”と出会った。あれは暗号化と複数の解読法を利用することで膨大な情報を1冊の本に凝縮したものだった。それを切っ掛けに自分は「魔力には“情報の記録”という方向性を与えることが可能なのではないか」という仮定に辿りつく。
魔術を行使する際、それに適した魔力を魔術師は身体のエネルギーや世界の力から生成する。適した魔力というのは、その魔術の宗教に合った魔力であり、魔術は魔力に方向性を与えるコマンド、プログラムのようなものだ。魔術を用いることで魔術師は魔力を炎に、ゴーレムの核に、召喚の媒体にする。昂焚は魔力に“情報の記録”という方向性を与えようと考えていたのだ。
これを考えたのは昂焚が初めてでは無く、それが行使された魔術の痕跡は数多く残っていたが、残念ながら研究そのものは現代まで継承されていなかった。
それからは世界中を旅して情報恐縮型霊装をかき集め、双鴉道化に頼み込んでイルミナティの研究者たちに解析させ、独自に研究を重ねた結果、魔力に情報の記録という方向性を与える魔術の開発、いや、再現に成功した。
その大魔術の行使には中心となる舞台が必要だった。地脈・龍脈が集まりやすい場所、つまり人が集まる場所で尚且つそこに集まったエネルギーを外部に出さない構造をした都市、欧州にあるような要塞都市が望ましかった。また、地脈・龍脈に関わる知識と技術が日本中心だったこともあって、日本国内が望ましかった。学園都市はそれを十分に満たしていたのだ。
それから数年かけてまちまちと学園都市の周囲にて天地開闢計画の下準備を進めた。
「とまぁ、こんな感じだ。」
「いや、“とまぁ、こんな感じだ”って言われても訳が分からない。要点を言え。要点を。」
ディアスが昂焚に突っかかる。彼はトークショーの時から天地開闢計画について考えており、今までずっと焦らされていた。
「そうだな。ディアス。お前がこの計画の目的を黄金錬成だと予測した時に、俺が言ったことを覚えているか?」
「ああ。その“途中過程を利用する術式”だとは言ってたな。」
黄金錬成は世界の全てを呪文と化し、それを詠唱完了することで行使可能となる錬金術の到達点である。その黄金錬成を成すには“世界の全てを呪文にする”過程が含まれる。これがこの計画の要だ。
“力の循環”を利用して世界をスキャンし、
この世の全ての情報を記録した魔力を学園都市で凝縮させる。
神の知識にも等しい最強の情報記録媒体を作りだす計画
それが天地開闢計画《プロジェクト=ワールドルーツ》だ。
そこにいた全員が驚きを隠せず、それが可能なのか疑う者もいれば、それがどんなにヤバいものか想像したくも無いのに想像する者もいる。そんな中、双鴉道化が喋り始めた。
「世界の情報を集める…なるほど、それが君の目的なのか。昂焚。」
「ああ。そうさ。双鴉道化。もう一度天地開闢(世界創造)をやるには申し分ないぐらいの情報集合体、いわばこの世界のDNAだ。」
そう言ってのける昂焚の顔は笑っていた。これまでにないほど純粋に――――
(なるほど…昂焚。そこまで笑う君を見たのは初めてだ。)
昂焚に指定された2階席で全てを聞いていた持蒲も驚愕していた。
(世界のDNA?神の知識に等しい究極の情報記録媒体?―――魔術師の頭がどこかぶっ飛んでいるのは分かっていたが、あの男の頭はぶっ飛んでるなんてレベルじゃない。この世の創造神に喧嘩売ってるようなもんだぞ。)
持蒲は昂焚の壮大な計画に驚愕し、それがどれほどぶっ飛んだものかを表現するための語彙を探し、そして同時に究極の情報記録媒体“世界のDNA”が完成するのをどこかで楽しみにしている自分に戸惑う。下手をすれば、自分がイルミナティ側に籠絡するところだった。
「さて、この計画を聞いて、学園都市の治安維持組織としてはどう思う?完成が待ち遠しいか?それとも止めるか?」
下から2階席を見上げて昂焚は持蒲に話を振る。全員の視線が持蒲へと注がれ、その恐怖とプレッシャーは半端なものではない。それでも持蒲は平静を保っていた。
「個人的にはもの凄く魅力的な計画だ。その世界のDNAとやらが完成すれば、その恩恵は計り知れないだろう。だが、俺は学園都市の人間として、君たちを排除しなければならない。学園都市に魔術師が侵入すること自体が御法度だ。その上、第三次世界大戦後のデリケートな時代に君たちは『学園都市に魔術師が入った。』という事実を作り上げた時点でお前たちは学園都市の敵になったんだ。上が『やれ』と言えば『やる』。それが我々だ。」
「なるほど、お前は我々の敵に廻るのか。」
「元から敵だし、お前たちのせいで折角の休暇がパーになった個人的な怒りもある。」
すると、ワイヤーで吊るされたかのように双鴉道化の身体が浮かび上がり、浮遊して持蒲の目の前にまで近付いて来た。彼の仮面のくちばしの様な鼻と持蒲の顔がぶつかりそうなほど近い。
「我々を止めたいと言うのなら、良いだろう。好きにすればいい。だが―――」
“他者から与えられた使命で止められるほど、我々の強欲は浅くない。”
そう言い残すと、双鴉道化は大量の黒い羽根となってどこかに消えてしまった。幹部の姿も無く、一人残らず逃げられてしまったようだ。そして、同時に“今回は”自分の命が助かったことに安堵した。
* * *
オービタルホール地下駐車場。
整然と車が並べられた地下駐車場。
尊とアリサ、その後方に笑莉が続いてゆっくりと出口に向かって歩いていた。
尊は太刀を抜いて周囲を警戒する。今、ろくに戦えるのは自分だけである現状にプレッシャーを感じており、神経をすり減らしながらも1歩ずつ先へ進む。
その後に続くアリサは復讐の敵から離れたのか、落ち着きとまともな思考を取り戻し、尊の後ろについて行く。
一番後方にいるのは笑莉であった。しかし、持ち前の明るさなどは無く、黙ったままガタガタと震えていた。
すると、1台のワンボックスカーのヘッドライトが光り、尊の進路を塞ぐように出てきた。尊は警戒して太刀の切先を車に向ける。イルミナティの差し金という最悪の事態も考える。
すると、黒スーツにサングラスといういかにもボディーガードといった姿の男が運転席から現れた。
「ジェフリー。」
アリサはその男を知っているのか、彼の名を呟いた。
「お待ちしておりました。アリサ様。キャンサー様がお待ちです。」
よく見ると後部座席の方に誰か座っているようだ。スモークガラスのせいでよく見えないが、シルエットからおそらく老齢の男性だと推測する。
「彼らも…一緒に乗せて下さい。」
アリサはジェフリーに懇願し、ジェフリーは少し困った顔をする。しかし、すぐに後部座席にいる男がガラスをノックする。
「はい。如何なさいましたか?キャンサー様。」
ジェフリーが近付くとキャンサーは窓を少し開けて男の耳元で何かを囁く。
「は!…かしこまりました。」
ジェフリーはバックドアを開け、スロープを設置した。
「ご苦労。」
しゃがれた老人の声がした後、車椅子に座った男は後ろ向きにスロープを降りながら車から姿を現した。
頬はこけ、生気のない虚ろな目にハリのない青白い肌。呼吸するのも一苦労な様子で、見るに堪えない程みすぼらしく貧相な姿の男だ。長袖のシャツに細身のデニム、その上にコートを羽織っている。靴は安物の運動靴だ。
セリフの途中でキャンサーは吐血して自分の膝元に血を撒き散らす。ジェフリーは彼を労わり、タオルで彼の口元を拭う。
「俺は魔女の夜会に所属し、ぜぇ…ぜぇ…、イルミナティに復讐する機会を窺っていたところ…同じ目的を持つ
アリサ=アルガナンと同盟を結ぶことになった。」
「なるほど、貴方が彼女を復讐に駆り立てたわけですか。」
尊は太刀の切先をキャンサーに向ける。アリサを復讐という望まぬ道に導いた男に対する怒りがそのまま顔に表れる。
「それは違うな。復讐は…彼女の意思だ。私と同じ目をしている…。己も未来すらも犠牲にした殺意、目的のためなら善にも悪にもなる。“仇敵は自分によって無残にも殺害された”という事実だけを欲する屍のような存在、それが“復讐者”というものだ。」
「あなたの言う通りです。もう過去には戻れず、望んでいたものは未来にはありません。だから、私は全てを復讐に捧げました。だけど、アリサは違います。彼女はまだ未来があり、復讐に身を落としていい娘じゃありません。」
「それでも彼女は復讐の道を選んだ。未来を犠牲にしてでも葬りたい存在がいるのだろう。彼女を止めるか?どうやって?説得か?それとも愛の力か?」
キャンサーの口調は段々と尊のことを嘲笑するように変わっていく。
「私が、アリサの母の仇を取ります。元はと言えば、私の一族を皆殺しにした者もアリサの母を殺した者も同じくイルミナティ幹部のディアス=マクスター。私が彼を殺します。」
「ハハハハ・・・なるほど、そう来たか。アリサ、お前はそれで良いのか?」
キャンサーはかき消されそうな声で笑い、尊の腕にしがみついて後ろに隠れるアリサに目を向ける。
「私は…お母さんに歌を届けたい。それを邪魔する奴らを尊さんが倒してくれるなら…嬉しい。」
「そうか…。車に乗れ。詳しい話は…ゴホッ…ホテルでしよう。」
キャンサーは車椅子を反転させ、バックドアのスロープから車に乗ろうとした途端だった。
「車から離れて下さい!」
突如、尊が叫ぶ。ジェフリーが咄嗟にキャンサーを抱えて車から離れる。
黒い霧が現れ、車をまるで空を斬るようにバラバラに切断する。
尊は天叢雲剣を出し、水の刃で応戦するが霧にはまったく効いている様子は無い。
「まったく、厄介な魔術の――――――ッ!?」
音も無く、影も気配も感じさせずに鋼鉄の鎖が尊の身体に巻きついて彼を拘束する。アリサ、笑莉、キャンサーにジェフリーも同じように拘束されており、その鎖の出所は一点に集中していた。
大量の鎖の出所の暗闇から大量の鎖を握る
ハーティ=ブレッティンガムと自身の周囲に黒い霧を漂わせる
藍崎多霧が姿を現した。
「詳しい話は…“私たち”のホテルでしましょうか。」
神域を侵す壮大な計画
それがもたらすのは恩恵か、それとも厄災か。
人類は再び、禁断の果実を欲した。
最終更新:2012年12月30日 14:14